花火の音

並河コネル

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第五話 初恋と傷心

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 真新しい青藍の袴を着た青年が、新宮の大廊下を颯爽と歩いている。

 折り目が付いた白い上衣は、陽に焼けた逞しい身体を引き立てていた。
 職員たちは青年とすれ違うと、挨拶代わりの祝辞を述べる。その度に彼は、照れくさそうに微笑んだ。

 厨房の前を通り過ぎた青年は、そこに居るはずもない女性の姿を見つけて、立ち止まる。
「石楠花、そこで何しているんだ」
 襷がけをした彼女が、作業台の前で銀色のボウルを抱えて、途方に暮れていた。

「虎丸!」
 彼の顔を見るなり、表情を明るくする石楠花。厨房に入ってくる彼の姿を、じっと目で追う。

 彼女が抱えているボウルの中身を見て、虎丸はげんなりとした。
「もしかしてそれ……団子か?」
 ボウルの中には、水分を含み過ぎてベタベタになった、白い塊があった。

「う、うるさいなぁ! お前の為に、作ってやってるんだぞ。感謝しろ」
 ボウルの中身を隠すように背を向けると、虎丸はクスッと笑った。
「そうかそうか。それは俺の就任式の席に出す、祝いの団子か。そりゃ悪かった。まさか石楠花が直々に、お作りになるとは」

 皮肉交じりの虎丸に、石楠花が癇癪を起こす。
「なんだその態度は。お前を相談役に抜擢してやったのは、私なんだぞ。私は今日から、お前の主人になったんだからな。口の利き方に気をつけろ」

「はいはい。でも、なんでお前……石楠花様が、団子なんて作ってるんだ? 侍女にやらせればいいだろ」
 厨房の奥に目をやるが、誰もいない。

「この間の事件で、侍女も何人か怪我をして、休暇を取っている。人手が足りないんだ。だから私も出来ることはやろうと、こうやって手伝ってるんだ」
 石楠花はボウルに目線を落とし、糊のようになった生地を、無理矢理まとめようとする。

「そうか。じゃ、俺も手伝ってやろう」
 虎丸は懐から小さくたたんだ紐を取り出し、器用に襷をかける。筋肉の付いた二の腕が露わになり、石楠花は顔を赤くする。

 虎丸は残りの白玉粉を持ってきて、彼女の手元のボウルに足した。声を張り上げる石楠花。
「い、入れ過ぎだ!」
「入れ過ぎじゃねぇよ。『耳たぶぐらい』って言うだろ。お前の耳たぶは、こんなベタベタなのかよ」
「……違う」
「だったら早くこねろ」
「うん」

 黙々と生地をこねる石楠花。彼は屈んでボウルを支えてくれている。徐々に生地がまとまってくる。
「そのぐらいで、もう良いだろ」
 虎丸の合図を聞いて、一口大にちぎり始める。

「随分小さいな」
「いちいち煩いなぁ。一口大って言ったら、このぐらいでしょ」
「確かに、お前は口が小さいからな。デカいと喉に詰まるから、そのぐらいで良いだろう」

 再びクスクスと笑い出す虎丸。両手がふさがっている石楠花は、肩で彼を小突こうとする。
 数回にわたる攻撃をかわした虎丸が、石楠花の頬に手を伸ばす。暖かい手が、彼女の小さな顔を包む。

「虎丸……?」
 自分の名を呼ぶその唇に、虎丸は自身の唇を重ねた。

 無意識に息を止める石楠花。
 頭が真っ白になる。

 彼の唇が離れると、石楠花は大きく短く息を吐いた。
 虎丸は少しだけ笑ったが、角度を変えて、再びくちづけをしてきた。

 唇を割って、舌が入ってくる。ザラザラとした彼の舌が、彼女の口の中を弄る。石楠花は無我夢中でそれを受け入れる。

 胸の中が痺れるように疼き、指先まで痺れてくる。
 虎丸、虎丸。貴方が好き。貴方が好きなの。

 長いくちづけのあと、高揚した様子の虎丸が、彼女の瞳を見つめて囁く。
「石楠花、お前が好きだ」

「虎丸、私も……」
 石楠花が言いかけた時。

「虎丸殿、こちらにいらっしゃいましたか」
 総監の望月の声に、二人は反発する磁石のように飛び退いた。
 
「石楠花様もご一緒でしたか。これはまぁ、お二人とも、珍しいところに」
 望月が厨房に足を踏み入れると、彼の背後から一人の女性が姿を見せた。
 水無月の女性にしては珍しい、ショートカットの派手な着物の女性だった。

天音あまねさん……!」
 石楠花は女性の顔を見て、思わず声を上げた。

「石楠花様、お久しぶりです。昨日、水無月に帰ってきました」
 天音はにこやかに笑うと、石楠花の後ろに立つ男に視線を送った。
「そちらが、虎丸殿……ですね? 初めまして。私、望月総監の姪で、天音といいます。どうぞよろしく」

 石楠花の心がざわつく。
 なんだろう。この妙な空気は。
 巫女の直感が、彼女を不安にさせた。
 
 ◇◇◇◇

 天音は石楠花の親友だった。
 叔父が総監ということもあり、幼い頃は新宮に入り浸り、四つ年下の石楠花を、妹のように可愛がってくれた。

 彼女は石楠花同様、好奇心旺盛な女性だった。
 十三歳で水無月を出て、異国の学校に通い始めた。成人すると直ぐに事業を始め、異国を旅しながら貴重な品々を買い付け、時折水無月に戻っては、新宮に卸したり自身の店で販売をしている。

 閉鎖的な水無月で、ここまで自由に行動できる女性は、非常に珍しい。それもこれも、望月の後ろ盾あってのことだった。

 水無月の特権階級である農富族。その中でも新宮に関わる一族は、極めて重要な権益を手にすることができる。
 巫女の親族になることはもとより、新宮総監や侍女、巫女の幼少期の世話役といった特別職も、農富族にとっては、この上なく魅力的な職業だった。

 ◇◇◇◇

「いくらなんでも、酷すぎます」

 本殿の仮御殿で、侍女頭の早川が拳を丸めて畳に叩きつけた。
 庭に面した障子をすべて開放し、石楠花は新緑を携えた桜を眺めている。
 
「総監だって、姫様のお気持ちを、知らないわけがないでしょうに……」
 声を震わせ、悔し涙を溢れさせる早川。

「早川、もういい。言うな」
 石楠花が老女を窘める。

「天音様も天音様です。断ってくださればいいものを……」
「早川」
「ですが姫様……」
「私は、水無月の巫女だ。物心ついた頃から、夫は農富族だと聞かされている。今に始まった話ではない」

 天音は虎丸との見合いの為に、帰国してきた。
 縁談は順調に進み、二人の結婚はあっけなく決まった。
 
 石楠花の熱望を受けて、望月は虎丸を、護衛代わりの相談役にすることを承認した。
 しかし、農富族や官僚の反発は、想像を絶するものだった。

 余所者の虎丸を新宮に留めるどころか、要職に就けるなどもってのほか。相談役などという、特別職があるならば我こそは。と、農富族の若者が相次いで手を挙げたのである。

 思案を巡らせた望月は、虎丸を水無月に帰化させることにした。
 それを可能にする最も早い手段が、水無月の女性と結婚することであった。

 望月としては、この機会に一族の中でいつまでも好き勝手している天音を、早く片付けてしまいたいという気持ちがあった。
 それとは別に、虎丸を婿養子に迎えることで、望月家の系譜に【巫女の相談役】が加わるのも悪くないと、考えたのである。

 半ば放心状態の石楠花が、ポツリポツリと言葉を口にする。
「私の一番の願いは、虎丸に相談役として、そばに居てもらうことだ。それ以上も、それ以下もない。そのために国籍が必要なら、仕方ない。天音さんは異国に精通しているし、虎丸とも話が合うだろう。彼の幸せを思うなら、天音さんが最適だ」
「姫様……」

「悪いが、一人にしてくれ」
 彼女は視線を桜に向けたまま、侍女頭に退席を促した。

 袖口で涙を拭いながら、部屋を後にする早川。
 襖が閉まる音がすると、石楠花は唇を噛んだ。

 泣くものか。
 私は水無月の巫女だ。この程度の事、乗り越えてみせる。

 母の雛菊は、しょっちゅう泣いては、望月や父を困らせていた。
 あんなふうに、私はならない。私は新しい水無月の巫女なのだ。
 泣けば済むと思うような、弱い女にはならない。歴代の巫女のような、術をやるだけの人形にも決してならないと、幼心に誓ったのだ。

 虎丸は私のことを好きだと言ってくれた。熱いくちづけもしてくれた。
それで十分じゃないか。

 たとえ別の形で帰化したとしても、虎丸と私は結ばれない。ならば、どこの誰ともわからぬ女と睦まじくされるより、自分の親しい人間と結婚してくれた方が、まだましだ。

 桜の葉に、ポツポツと雨が落ち始める。
次第に雨足は激しくなり、庭の砂利を叩きだす。

 早川は私の為に泣いてくれた。
 そして水無月の空も、私の代わりに泣いてくれている。

 一世一代の恋をした。
 あの時、私は本当に幸せだった。

 心残りなのは、虎丸に想いを伝えられなかったこと。
 でも平気。きっと彼は、私の気持ちを分かってくれている。
 そういう人だ。私の好きになった人は、そういう人。
 
 大丈夫。あの思い出を胸に、私はこれからも生きていける。
 水無月の巫女として、生きていける。
 大丈夫、私は大丈夫。

 私は、きっと大丈夫。
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