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9.思い出の人
関東大会⑤
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黒崎くんも笑いを堪えているのか、グーにした手で口元を隠しながら受け取った紙袋の中を覗く。
「食べ物?」
「えっと、スポーツドリンクと、栄養ゼリーとバランス栄養食品と……」
そこまで言って、試合後に渡す差し入れじゃないことに今更ながらに気づいた。おまけに、水泳大会の差し入れで調べて、おすすめされていたものを選んできたけれど、女の子が渡すにしては華やかさがまるでない。
うう、これは失敗してる。
そう思って身を縮こめる私に、黒崎くんはふっと優しく目を細めた。
「ありがと、インハイまで取っとく」
「え、あ、は、はいっ」
笑ってくれたことに、じわじわと喜びがこみ上げて頬がゆるむ。黒崎くんの笑顔ひとつでしおれた心がふくらんで、跳び上がるほど嬉しくなる。
照れ隠しに前髪をいじりながら喜びを噛みしめていると、黒崎くんの後ろから小さく呟く声が聞こえた。
「……詩?」
「え?」
名前を呼ばれて、無意識に視線が声の方に動く。その先で、黒崎くんの後ろにいる背の高いジャージ姿の人と目が合った。
夏梨ちゃんの情報が正しければ、おそらく大和くんだろう。ロイヤルブルーのジャージにも清陵学園と学校名が入っている。
でも、どうして私の名前を……。
不思議に思っていると、大和くんはパァッと顔を輝かせて私の前に歩み出た。
「詩だよね? 俺、覚えてない?」
「え、あの」
急に距離が近くなって、つい後ずさる。
ずっと女子校だった私に、男の人の知り合いなんていない。
そう思いながら首を横に振ったけれど、否定の意思が伝わらなかったのか大和くんは身をかがめて私を覗き込んだ。
「詩、変わってないな」
色素の薄い瞳が近づいて、びくっと肩がゆれる。彼の右目の下にあるほくろまで、はっきりと見えた。
……え。
瞬間、ゾワッと全身が総毛立つ。忘れたい記憶の中の面影が大和くんと重なり、思わず叫び声をあげてしまいそうになった。
どうして、だって……名前……。
固く閉じていた蓋が開いたみたいに、心の奥からどろりとした黒いものがあふれ出ていく。
今まで黒崎くんや他の男の子に感じていたものとは比べものにならない。息ができないほどの恐怖に、足がガクガクと震えた。
逃げなきゃ。ここにいちゃダメだ。
頭の中で、サイレンみたいな警告音が鳴った。
「ほら、幼稚園で一緒だった大和あさ……」
「し、知らないっ」
大和くんの言葉を遮るように、声を絞り出す。悲鳴みたいな声に、大和くんがハッと息を呑んだ。
「あ……」
凍りついた空気を肌に痛いほど感じる。黒崎くんの顔も、後ろで見守ってくれているふたりの顔も、見られなかった。
「ご、ごめんなさ、私、用があ、さ、先に帰り、ま……」
唇が震える。ちゃんと声を出せているか、話せているかどうかも、わからない。
もう耐えきれなくて、私は逃げるようにその場から駆け出した。
背中で由真ちゃんたちの声がした。けれど、ふり返ることはできなかった。
記憶があるのは、ここまで。
どうやって家までたどり着いたのかも、全く覚えていない。
そして、途中で降り出した雨にびしょ濡れになった私は、この日から三日間高熱を出して寝込んだ。
「食べ物?」
「えっと、スポーツドリンクと、栄養ゼリーとバランス栄養食品と……」
そこまで言って、試合後に渡す差し入れじゃないことに今更ながらに気づいた。おまけに、水泳大会の差し入れで調べて、おすすめされていたものを選んできたけれど、女の子が渡すにしては華やかさがまるでない。
うう、これは失敗してる。
そう思って身を縮こめる私に、黒崎くんはふっと優しく目を細めた。
「ありがと、インハイまで取っとく」
「え、あ、は、はいっ」
笑ってくれたことに、じわじわと喜びがこみ上げて頬がゆるむ。黒崎くんの笑顔ひとつでしおれた心がふくらんで、跳び上がるほど嬉しくなる。
照れ隠しに前髪をいじりながら喜びを噛みしめていると、黒崎くんの後ろから小さく呟く声が聞こえた。
「……詩?」
「え?」
名前を呼ばれて、無意識に視線が声の方に動く。その先で、黒崎くんの後ろにいる背の高いジャージ姿の人と目が合った。
夏梨ちゃんの情報が正しければ、おそらく大和くんだろう。ロイヤルブルーのジャージにも清陵学園と学校名が入っている。
でも、どうして私の名前を……。
不思議に思っていると、大和くんはパァッと顔を輝かせて私の前に歩み出た。
「詩だよね? 俺、覚えてない?」
「え、あの」
急に距離が近くなって、つい後ずさる。
ずっと女子校だった私に、男の人の知り合いなんていない。
そう思いながら首を横に振ったけれど、否定の意思が伝わらなかったのか大和くんは身をかがめて私を覗き込んだ。
「詩、変わってないな」
色素の薄い瞳が近づいて、びくっと肩がゆれる。彼の右目の下にあるほくろまで、はっきりと見えた。
……え。
瞬間、ゾワッと全身が総毛立つ。忘れたい記憶の中の面影が大和くんと重なり、思わず叫び声をあげてしまいそうになった。
どうして、だって……名前……。
固く閉じていた蓋が開いたみたいに、心の奥からどろりとした黒いものがあふれ出ていく。
今まで黒崎くんや他の男の子に感じていたものとは比べものにならない。息ができないほどの恐怖に、足がガクガクと震えた。
逃げなきゃ。ここにいちゃダメだ。
頭の中で、サイレンみたいな警告音が鳴った。
「ほら、幼稚園で一緒だった大和あさ……」
「し、知らないっ」
大和くんの言葉を遮るように、声を絞り出す。悲鳴みたいな声に、大和くんがハッと息を呑んだ。
「あ……」
凍りついた空気を肌に痛いほど感じる。黒崎くんの顔も、後ろで見守ってくれているふたりの顔も、見られなかった。
「ご、ごめんなさ、私、用があ、さ、先に帰り、ま……」
唇が震える。ちゃんと声を出せているか、話せているかどうかも、わからない。
もう耐えきれなくて、私は逃げるようにその場から駆け出した。
背中で由真ちゃんたちの声がした。けれど、ふり返ることはできなかった。
記憶があるのは、ここまで。
どうやって家までたどり着いたのかも、全く覚えていない。
そして、途中で降り出した雨にびしょ濡れになった私は、この日から三日間高熱を出して寝込んだ。
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