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2.不機嫌な人
謝罪
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『黒崎くん、おはよう! 昨日は嫌な態度をとってごめんなさい』
用意した言葉を、口の中で小さく繰り返す。
昨日から何度も練習したから大丈夫。自分に言い聞かせて、緊張でこわばる頬を両手でさすりながら、黒崎くんが来るのを待つ。
けれど、彼がその日教室に入ってきたのは朝のHRが始まってからだった。
「寝坊?」
「朝練」
長谷くんの問いかけに、黒崎くんはいつもどおり短くひと言を返す。そちらを見なくても、その声だけで不機嫌なことがわかった。
……今は無理だ。
あっけなく決意がしぼむ。
せめてもう少し機嫌の良いときにしよう。そう思って機会を待つことにしたけれど、視界の端っこに映る姿が気になって授業中もまったく集中できなかった。
黒崎くんは授業中は寝ていることが多い。起きていても、こちら側に頬杖をついているから顔は見えない。
まだ怒っているかな……。
威圧感のある大きな身体からは、話しかけるなオーラが出ているようにすら思える。その上、授業が終わっていざ話しかけようとしても、黒崎くんは友達に呼ばれてすぐに教室からいなくなってしまったり、授業中の延長で寝ていたりして、話しかける隙がなかった。
そうしているうちに時間だけが過ぎていって、私は謝るタイミングを完全に逃してしまっていた。
登校してきた時に、無理やりにでも謝ればよかった。
謝罪どころかおはようの挨拶すらできていないことに気づいて、ますます気持ちがしぼんでいく。
でも、今日を逃すときっと謝れないことは自分でもわかっていた。
ブルーを思い浮かべて、残りわずかな勇気をかき集める。
声をかけて、すぐに謝る。グズグズしない。
頭の中で何回もシミュレーションして、私は四時間目が終わってすぐに教室を出て行こうとする黒崎くんを呼び止めた。
「あ、あのっ。黒崎くんっ」
思いのほか大きくなってしまった声が、お昼休みの教室に響く。振り向いた黒崎くんは、少し驚いた表情をしていた。
私も自分の声の大きさにびっくりしたくらいだ。みんなに聞こえないように、こそっと話そうと思っていたのに。
視界の端で、教室にいるみんながこちらを振り向いているのが見えて、失敗した、と思った。でも、もう後には引けない。
「あ、あの……き、昨日は」
汗でしめった手で、スカートをぎゅっと握って恐怖を抑え込む。そして、用意したフレーズを口に出そうとした時、後ろから大きな声がした。
「えっ、何!? 北野ちゃん、まさか? え、まさかまさか?」
すごく嬉しそうな顔をした長谷くんが、黒崎くんと私を交互に見ながら近づいてくる。
まさか、ってなんだろう。
彼の言葉の意味も、何をそんなに喜んでいるのかもわからなくて戸惑ってしまう。長谷くんの大声がまた注目を集めて、まわりの空気がさらに騒がしくなっていく。
わわわ、早く謝らないと……。
焦っていると、頭の上で小さく舌打ちが聞こえた。ドキッとして、みぞおちの辺りにぐっと力が入る。
「くだらねぇ」
続いて聞こえた吐き捨てるような言葉が、胸を突き刺した。停止ボタンを押されたみたいに身体が固まって動かない。
「黒崎っ。女の子に向かってそんな」
あわてて取りなそうとしてくれた長谷くんを無視して、黒崎くんが教室を出ていく。
「長谷! デリカシーなさずぎ!」
「いだだだだ! ちょ待っ、だってあんなの見たら誰だって……」
由真ちゃんに締め上げられて、長谷くんが悲鳴を上げる。それを止めることができないくらい、私は呆然としていた。
……また怒らせちゃったんだ。
そのことだけはわかった。
朝から謝ればよかった。誰もいなくなるまで待てばよかった。後悔がぐるぐると頭をめぐる。
「詩ちゃん、香奈か悠里に頼んで席を替わってもらう?」
夏梨ちゃんが労るように背中をなでてくれる。私はぷるぷると首をふった。
そんなことをしたら、また嫌な気分にさせてしまうかもしれない。それとも、替わってもらった方が黒崎くんの怒りはおさまるのかな。
どれが正解なのかわからなかった。
クラスの女の子たちが遠巻きにこちらを見ながら、何か話している。自己嫌悪と後悔が津波のように押し寄せてきた。
でも、絶対に泣いちゃダメだと思った。
用意した言葉を、口の中で小さく繰り返す。
昨日から何度も練習したから大丈夫。自分に言い聞かせて、緊張でこわばる頬を両手でさすりながら、黒崎くんが来るのを待つ。
けれど、彼がその日教室に入ってきたのは朝のHRが始まってからだった。
「寝坊?」
「朝練」
長谷くんの問いかけに、黒崎くんはいつもどおり短くひと言を返す。そちらを見なくても、その声だけで不機嫌なことがわかった。
……今は無理だ。
あっけなく決意がしぼむ。
せめてもう少し機嫌の良いときにしよう。そう思って機会を待つことにしたけれど、視界の端っこに映る姿が気になって授業中もまったく集中できなかった。
黒崎くんは授業中は寝ていることが多い。起きていても、こちら側に頬杖をついているから顔は見えない。
まだ怒っているかな……。
威圧感のある大きな身体からは、話しかけるなオーラが出ているようにすら思える。その上、授業が終わっていざ話しかけようとしても、黒崎くんは友達に呼ばれてすぐに教室からいなくなってしまったり、授業中の延長で寝ていたりして、話しかける隙がなかった。
そうしているうちに時間だけが過ぎていって、私は謝るタイミングを完全に逃してしまっていた。
登校してきた時に、無理やりにでも謝ればよかった。
謝罪どころかおはようの挨拶すらできていないことに気づいて、ますます気持ちがしぼんでいく。
でも、今日を逃すときっと謝れないことは自分でもわかっていた。
ブルーを思い浮かべて、残りわずかな勇気をかき集める。
声をかけて、すぐに謝る。グズグズしない。
頭の中で何回もシミュレーションして、私は四時間目が終わってすぐに教室を出て行こうとする黒崎くんを呼び止めた。
「あ、あのっ。黒崎くんっ」
思いのほか大きくなってしまった声が、お昼休みの教室に響く。振り向いた黒崎くんは、少し驚いた表情をしていた。
私も自分の声の大きさにびっくりしたくらいだ。みんなに聞こえないように、こそっと話そうと思っていたのに。
視界の端で、教室にいるみんながこちらを振り向いているのが見えて、失敗した、と思った。でも、もう後には引けない。
「あ、あの……き、昨日は」
汗でしめった手で、スカートをぎゅっと握って恐怖を抑え込む。そして、用意したフレーズを口に出そうとした時、後ろから大きな声がした。
「えっ、何!? 北野ちゃん、まさか? え、まさかまさか?」
すごく嬉しそうな顔をした長谷くんが、黒崎くんと私を交互に見ながら近づいてくる。
まさか、ってなんだろう。
彼の言葉の意味も、何をそんなに喜んでいるのかもわからなくて戸惑ってしまう。長谷くんの大声がまた注目を集めて、まわりの空気がさらに騒がしくなっていく。
わわわ、早く謝らないと……。
焦っていると、頭の上で小さく舌打ちが聞こえた。ドキッとして、みぞおちの辺りにぐっと力が入る。
「くだらねぇ」
続いて聞こえた吐き捨てるような言葉が、胸を突き刺した。停止ボタンを押されたみたいに身体が固まって動かない。
「黒崎っ。女の子に向かってそんな」
あわてて取りなそうとしてくれた長谷くんを無視して、黒崎くんが教室を出ていく。
「長谷! デリカシーなさずぎ!」
「いだだだだ! ちょ待っ、だってあんなの見たら誰だって……」
由真ちゃんに締め上げられて、長谷くんが悲鳴を上げる。それを止めることができないくらい、私は呆然としていた。
……また怒らせちゃったんだ。
そのことだけはわかった。
朝から謝ればよかった。誰もいなくなるまで待てばよかった。後悔がぐるぐると頭をめぐる。
「詩ちゃん、香奈か悠里に頼んで席を替わってもらう?」
夏梨ちゃんが労るように背中をなでてくれる。私はぷるぷると首をふった。
そんなことをしたら、また嫌な気分にさせてしまうかもしれない。それとも、替わってもらった方が黒崎くんの怒りはおさまるのかな。
どれが正解なのかわからなかった。
クラスの女の子たちが遠巻きにこちらを見ながら、何か話している。自己嫌悪と後悔が津波のように押し寄せてきた。
でも、絶対に泣いちゃダメだと思った。
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