それはきっと、夜明け前のブルー

遠藤さや

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1.はじまりは黒と青

青①

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 チリンチリン、と可愛い鈴の音が響く。しばらくしてから、ニャアオと私を呼ぶ声がそれに続く。

 午後八時。
 いつもこの時間になると、庭に一匹の猫がやってくる。

 彼の名前は、ブルー。

 宝石みたいに綺麗な青い目をしているから、そう名づけた。と言っても、本当の名前はわからない。
 ブルーは通い猫だ。小さな鈴がついた首輪をしているから、きっとどこかのおうちで飼われているのだろう。よく手入れされたグレーの毛並みが美しい。瞳の色と同じ青色の首輪がよく似合っている。

「こんばんは、ブルー。ちょっと待ってね、今日は新しいおやつがあるの」

 私がいそいそと網戸を開けて縁側に座ると、ブルーも足音を立てずに跳びのって、少しだけ離れたところに座る。チリン、と優しく鳴る鈴音が返事をしているみたいに聞こえた。
 ブルーは人懐っこいけれど、来てすぐに近づいたり跳びかかったりはしない。今も、人ひとり分くらい間を空け、水晶のように透き通った青い瞳でこちらをじっと見つめておやつを待っている。

 ふふっ、可愛いなぁ。 

 小さい頃に手をひっかかれたトラウマで、ブルーに出会うまでは猫を可愛いなんて思ったことはなかったのに、今では毎日この時間が待ち遠しい。

「今日はね、席替えをしたんだよ」

 いつものように今日の出来事を話しながら、魚の形をしたおやつを床の上にそっと置く。ブルーは私の手が離れたのを確認してから近づいて、小さな舌をぺろりと出してそれを食べた。

「それがね、由真ちゃんとも夏梨ちゃんとも離れちゃって、おまけに前の席も隣の席も男の子なの」

 言葉にすると、さらに落ち込んでしまう。ふいに昔のことを思い出して、鉛玉を飲み込んだみたいにずしりと心が重くなった。

 幼稚園の頃、私は朝陽くんという男の子にいじめられていた。
 鞄の中に大量のダンゴムシを入れられたり、何日もかけて作った泥だんごを踏みつぶされたり、綺麗に結ってもらった髪をぐちゃぐちゃにされたり。遠足でひとり置いて行かれことや、プールで溺れさせられたこともあった。
 毎日嫌がらせが続き、最後には追いかけられて階段から落ちて、幼稚園に行けなくなった。その時の傷跡は今でもまだ額の右端に残っている。
 パパの転勤をきっかけに遠くの町に引っ越したけれど、男の子への恐怖は消えなかった。小学校から女子校に入ったのは、そのためだ。 

 あれから九年が経って、額の傷跡は薄くなったけれど、あの時の恐怖は今もまだ消えていない。  

 そんなわたしが、パパには殻に閉じこもっているように見えたのかも知れない。女子校ではなく共学校に進学したのはパパの強い勧めがあったからだ。
 もちろんわたしだって、ずっと温室にいられるとは思っていなかったけれど。

 クラスの男の子は、朝陽くんじゃない。ひどいことはされない。
 頭では理解していても、いざとなると普通に接することはかなり難しかった。

「明日からやっていけるかな……」

 前の席はサッカー部の長谷くん、隣の席は水泳部の黒崎くん、その前が帰宅部の橋本くんだと、由真ちゃんが教えてくれた。私はまだ、彼らと一言も話をしていない。
 せめて近くにひとりでも女の子がいればよかったのに。そう思って、何度もため息を吐いてしまう。

「早く次の席替えしないかなぁ。遠足やテストがあるから、次は夏休み明けだって。長いよね」

 話を聞いていたブルーが、ニャアオと鳴いて小さな体をすり寄せてくる。その仕草が励ましてくれているようで、じわりと心があたたかくなった。
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