第五皇女の成り上がり! 捨てられ皇女、皇帝になります

清家未森

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「え? なんだっけ?」
「これから皇帝陛下のお茶会でしょう。忘れたの?」

 月に一度、皇帝が主催する茶会には、妃と皇子皇女全員が出席することになっている。
 とはいえ忙しい身の皇帝は顔を出さないことも多く、招かれた側も公務や私用で欠席することは珍しくない。ユーゼリカも領地からの陳情だのを理由に欠席したことは一度や二度ではなかった。
 ところが今日は、皇帝が久々に臨席するため必ず出席せよと厳命が下っている。こんなことは初めてで戸惑いはあったが、そういわれては知らん顔はできない。

「めんどくさい。行きたくない」
「おだまり。さっさと着替えなさい」

 案の定しぶい顔になった弟を叱りつけ、ユーゼリカは立ち上がった。自分も普段着から皇女の正装へと衣装を替えねばならないのだ。

「皇子の特権を失いたくないなら、最低限のことはしないと。こんなことで足下をすくわれたら馬鹿らしいわ」

 些細なことで足の引っ張り合いをする者たちがはびこる宮廷で、隙を見せれば命取りになる。目立たずひっそりしているのは当然として、与えられた責務を放棄することは許されないのだ。たとえそれが皮肉と嘲笑と侮蔑の飛び交う集まりだとしても。
 そこまでは説明せずとも理解しているのだろう。シグルスは肩をすくめ、

「あー、めんどくさい」

 もう一度そうぼやくと、さっと立ち上がって部屋を出て行った。
 彼を任せるべく執事にうなずいてみせると、こちらも部屋を出る。

「久々のご正装ですわねえ。今日はどんなドレスで姫様をお飾りしましょうかしら。瞳と合わせたすがすがしい翠色? それとも華やかな桃色? でもでも、情熱的な深紅で大人っぽさを演出するのも捨てがたいですし……。ああっ、考えただけで燃えますわぁ!」

 どこか場違いな侍女のはしゃぎ声を聞きながら、ユーゼリカは皇帝の茶会に思いをせた。
 何かはわからないが、胸騒ぎのようなものを覚えながら。


  ***


 鏡の間と呼ばれる大広間には、高貴な人々が集い、あちこちに歓談の輪ができていた。
 その名の通り、壁面を鏡で覆われたそこはあらゆるものを反射してきらめいている。
 緋石と呼ばれる動力を持つ貴重な鉱石を使い、煌々と輝くシャンデリア。長いテーブルの上に配されたきらびやかな燭台の数々。妃やお付きの貴婦人たちのつけた宝石。皇子たちのまとうロイヤルガウンを留める装身具や、皇女たちの髪をいろどる華麗な飾り――
 むせかえるほどのまばゆさの中、現れた銀髪の男女に、先着していた人々の視線が注がれる。
 菫色のドレスをまとい、髪には同じ色の宝石をちりばめた飾りをつけたユーゼリカは、その視線に気づかないふりをして傍らへ目をやった。皇子の正装に深緑のロイヤルガウンをまとったシグルスが仏頂面をしている。楽しい場所でないのは嫌というほど同意なので、もっと愛想良くしろなどという無理な要求はやめておいた。

「本当に全員来てるの?」
「上の姉上お二人以外はね」

 シグルスのつぶやきに、同じく小声で答える。第一皇女と第二皇女はすでに嫁いでおり、今日の茶会は特例で欠席とのことだった。
 皇帝直属の女官が席に案内してくれるのを辞退し、二人はゆっくりとそちらへ向かった。
 茶会の席順は決まっている。皇帝の席に近いほうから妃たちが座り、長いテーブルの両側に皇子と皇女が分かれて年齢順に陣取るのだ。もっとも、まだ席についている者は少なく、ほとんどの者たちが立ち話に花を咲かせている。
 ツェルバキア帝国には今、皇后がいない。妃たちは嫁いだ順に第一皇妃、第二皇妃と呼ばれてはいるが、先に嫁した者が年長者として敬われるというのはあっても、立場も権力も皆同等とされている。同様に皇子皇女にも年齢以外の序列はつけられてない。他ならぬ皇帝がそう宣言しているため、妃同士が醜く寵を争うこともなかった。――一応、表向きは。
 けれどその中でも上下関係を作り出そうとする者はいる。母親を亡くした皇子皇女を軽んじる風潮があるのは、ツェルバキアが周辺諸国と政略結婚を繰り返してきたからだった。つまり妃のほとんどが、かつての王女や公女、高位貴族の令嬢なのだ。そんな彼女らの祖国も今はこの帝国の一部となっているが、諸侯として国内での権力は保ち、彼女たちの後ろ盾となっている。
 妃である母も、後ろ盾になるその祖国もすでにない姉弟は、自分たちで己の身を守るほかないのだった。

「挑発されても、乗ってはだめよ」

 席に向かいながら、ユーゼリカは隣を見やった。シグルスが冷めた顔で前を見たまま、鼻で笑う。

「さあね」

 相変わらず覇気のない態度だったが、これなら喧嘩になることもないだろう。そう思いながら視線を前に戻した時だった。
 突然、横から誰かがぶつかってきた。さほど強い力ではなかったが、不意を突かれてよろけてしまい、ユーゼリカはその場にうずくまった。

「姉上」
「あっ……、申し訳ありません!」

 頭上からシグルスの息を呑んだような声と、知らない男の慌てた声が降ってくる。
 一瞬顔をしかめたものの、ユーゼリカは俯いたまま素早く確認した。

(怪我は――していない。刺客ではないわね。恥をかかそうと故意にやった? それにしてはうろたえているようだけれど)
「大丈夫ですかっ? お怪我は?」

 ぶつかってきた男が気遣いながら手を差し伸べてくる。それをシグルスが鋭く払いのけた。

「どこの者だ? 無礼だろ、皇女に向かって」
「シグルス」

 ユーゼリカは急いで止めると、弟の手を借りて立ち上がる。こんなことでシグルスに喧嘩を売らせてはいけない。自分が無様に転んだせいでただでさえ注目を浴びているのに。

「ルディアス卿? どうなさいましたの?」
「それが、皇女殿下に失礼をしてしまって……あ」

 男は誰かに話しかけられておろおろしている様子だったが、ユーゼリカは構わず背を向けて歩き出した。視界の端に眼鏡をかけたその男がこちらを見ているのが映る。
 細身だが上背のある体格に、ぴしりと着こなした礼服や明るい色のつややかな髪。どこぞの貴婦人に甘えたような声で気遣われているところからして有力貴族の子息というところか。ちらりとそう思ったが、すぐに人に紛れて見えなくなった。

「いやだわ、みっともない。あれで皇女を名乗るなんて」
「履き慣れない靴で苦労しているのよ。正装するのも久しぶりなんでしょう」

 ひそひそと笑いが広がる中、他の皇女たちが馬鹿にしたようにこちらを見ている。久々に会うので挨拶でもするかと思ったが、目が合った途端、皆、つんと知らん顔をして背を向けてしまった。

(言葉を交わすのも嫌なようね)

 挨拶の手間が省けたとばかりにユーゼリカはその場を離れようとしたが、今度は堂々と行く手に立ちふさがった者がいた。

「へーえ、珍しい。今日はご出席ですか、お二人とも」

 高慢さを絵に描いたような声とともに現れたのは、茶色の髪の少年だ。
 年の頃は十三、四。ユーゼリカたちより明らかに年下なのだが、その態度は大きすぎるほどに傲然としている。足を止めたのを見てふふんとせせら笑う表情はなんとも小憎らしい。

「ここ数回は来ていなかったのに。さすがに父上のご命令には逆らえないのかな? そうですよね。父上の不興を買っては城を追い出されるかもしれないもの。そうなったら行くところがないし、大変だものなあ」

 鼻の穴をふくらませてにやにやとこちらを見ているのは、末弟の第十一皇子である。二人の境遇を当てこすっているのは明白だったが、彼を一瞥いちべつしたユーゼリカは表情も変えず皇女の礼をした。

「ごきげんよう、ヘンドリック殿下。アカデメイアにご入学と聞いたけれど、昨年のご成績はいかがでしたかしら?」

 途端、ヘンドリックの顔が目に見えて動揺した。

「妙な噂を伺ったわ。アカデメイアに詳しい知人に聞いたのだけれど……落第の文字がちらついているとかいないとか……」

 隣で〝アカデメイアに詳しい知人〟であるところのシグルスが皮肉げに唇をほころばせたが、ユーゼリカは気づかぬふりでたたみかける。

「もちろん、いつも自信満々なヘンドリック殿下がそんなわけはないと断言しておいたわ。けれど、赤点を撤回しろと先生方を脅しただの、それが失敗して学内に蛮行を張り出されただの、一連の諸々をお母上に知られまいと必死の画策をなさっているだの、信じられない話ばかり耳に入ってきて。まさかそんな、皇子ともあろう人が」
「そ……そんなわけないじゃないか! なんだよ、弱みでも握ったつもり――」
「あら、イザベラ妃殿下」

 ヘンドリックが飛び上がる。
 その背後――鬼のような形相でたたずんでいる彼の母妃に、ユーゼリカはお辞儀をした。

「ごきげんよう。ご健勝のようで何よりですわ」

 イザベラ妃はユーゼリカの挨拶に応じなかった。いや、応じる余裕がなかったのかもしれない。青ざめて引きつっているヘンドリックの首根っこをつかむと、ずんずんと引きずって人々の輪を抜けていった。
 見送ったユーゼリカは、顔色も変えずシグルスを促す。

「行きましょう」

 早く席につくに限る。ぼうっとしていても他の誰かに因縁をふっかけられるのは目に見えているからだ。
 と思った矢先、早速予想通りの展開がやってきた。

「相変わらず陰険だな。ユーゼリカ」

 ユーゼリカは目線だけでそちらを見やる。やってきた二人組が誰か気づくと、仕方なく向き直った。

「ごきげんよう、ベルレナード殿下、アルフォンス殿下。陰険とはどういうことでしょう?」
「わざとらしいやつめ。おまえのことだからこんな時のためにヘンドリックの周辺をこそこそと調べたのだろう? 陰険以外の何者でもないだろうが」

 顔をしかめて言い放ったのは、第四皇子のベルレナードだ。
 金色の髪をゆるく肩にたらした華やかな容貌に、垂れ気味の目が女心をくすぐるのか、女性の噂が絶えない貴公子。ただその噂の内容は良いことばかりではない。

「聞くところによると、女だてらに領地の経営に励んでいるそうだな。領民と直接話をしたり、逐一ちくいち要望を聞いてやっているらしいが……。そこまでして税を取り立てねば暮らしていけないのか? 可哀相に」

 なあ、と同意を求められ、第六皇子のアルフォンスが忍び笑いをもらす。
 濃い茶色の髪に同色の瞳を持つ彼も皇子にふさわしい優れた容姿をしているが、尊大な表情と『腰巾着』と陰で呼ばれるほどベルレナードにくっついている日常のせいなのか、残念ながらその美点が生かされていない。第四皇子と同じく派手な私生活を送っているらしいが、こちらは異性関連ではなく金銭の絡む遊行を好んでいるとの噂だ。

「まったく、信じられませんね。しかし仕方ありませんよ。そういう労働をしてもその日暮らしがやっとなのでしょう。館ではいつも使用人のようなぼろをまとっていると聞きましたよ」
「やれやれ。皇族とは名ばかりだな。聞いているこっちが恥ずかしいぞ」
「いっそのこと街へ出て割の良い職を求めたらどうだ? 城にいても金は入ってこないだろ?」

 母親の違う兄弟だが、よほど気が合うのか彼らは大抵いつも一緒にこうしていびってくる。
 仲良しで結構なことだと思いながらユーゼリカは侮蔑の視線を受け止めていたが、一通りやわらかな罵倒が終わったようだとみるや礼を返した。

「仰るとおり、領地の経営に苦心しておりますわ。いくら時間を費やしてもできることは限られていますし、税収など微々たるものです。もっと時間があればよいのに……。ところでベルレナード殿下は恋人が大勢いらっしゃるそうですね。お暇がたくさんおありで羨ましいですわ」

 うっ、と首を絞められたようにベルレナードが息を詰める。

「大勢と同時に交際なさるとは器が大きいというのかしら。どのようにしたらそんなにお暇を作れるのでしょう。お暇をひねりだすその素晴らしいお知恵が知りたいものです」

 暇と連呼しつつ、うやうやしくユーゼリカが言うと、彼の背後が不穏にざわめき始めた。
 近頃皇宮では醜聞が飛び交っていた。いわく、女性との交友関係が華やかになりすぎた彼が同時にいくつも修羅場を起こしたというものである。
 その当事者には妃の取り巻きの貴婦人やその親族も含まれているらしい。つまり今日の出席者の中にもいるのである。この場で蒸し返された今は、針のむしろ状態といってもいいだろう。
 事実、方々から白い目を向けられ、ベルレナードは動揺で顔を赤くしている。彼から視線をはずし、ユーゼリカはアルフォンスにも礼をとった。

「アルフォンス殿下も、ご心配ありがたく存じますわ。そういえば殿下も先頃、城下でお勤めをなさったとか。賭博屋? 賭博場? 世間知らずゆえよく知りませんけれど、ずいぶんたくさんの資金を投じていらっしゃるそうですわね。私もご教示いただこうかしら」

 アルフォンスがぎょっと目を見開き、周囲を見回す。ユーゼリカは彼を見つめて言い募った。

「賭け事……というのは一体どんなお勤めなのかしら。もちろん皇族にふさわしい崇高なものなのでしょうけれど。確か、負けても諦めず続けることが大事なのですわよね?」

 さりげなく彼の〝信条〟を出すと、アルフォンスが青ざめてぷるぷる震えだした。
 皇子でありながら賭博に手を出し、しかも大金をすってしまったという不名誉な噂があるのは公然の秘密だった。しかし彼のうろたえぶりからして単なる噂話というわけではないようだ。
 ひそひそとさざ波のように声が広がる中、ベルレナードとアルフォンスは憎々しげにこちらをにらみつけている。
 それまで無言だったシグルスが、呆れたように小声でぼやいた。

「俺には挑発に乗るなとか言っておいて。一番喧嘩っ早いのは姉上じゃないか」

 ユーゼリカは素知らぬ顔のまま、ささやくように応じる。

「私、何か悪いことを言ったかしら?」
「よく言うよ、まったく」
「久々に会ったから近況報告でもしようと思っただけなのだけど」

 こちらは耳にした噂話をしただけで誹謗中傷などをしたわけではない。彼らが勝手に絡んできて勝手にしどろもどろになっているだけだ。

「ま、先に侮辱してきたのは全部向こうだものな」

 シグルスが愉快そうにつぶやくと、それが聞こえたかのようにアルフォンスが険しい顔になった。
 しかしそれも一瞬で、ふと笑みをたたえる。蔑笑ともいうべき表情のまま、彼はベルレナードに目をやると、わざと声を張るように言った。

「兄上、仕方ありませんよ。あんな端っこの宮殿に追いやられて、貧乏な暮らしをしているのです。性根が曲がってしまったのでしょう。何せ母親も父上に見捨てられたくらいですからね。あんなに惨めなのはあいつらくらいなものです」

 隣でシグルスが殺気立つのを感じた。
 ユーゼリカは振り返り、咄嗟とっさに弟のそでをつかんで引き留める。

「シグルス」

 嫌みや皮肉でやり込めるのはいい。だが真っ向からもめ事を起こすのはだめだ。
 紫色の瞳に怒りをたぎらせ、シグルスはアルフォンスをにらみつけている。アルフォンスのほうもそれに気づいたらしい。いい気味だと言いたげになんとも嫌な笑みを浮かべてこちらを見ている。
 彼は言ってはいけないことを言ってしまった。ただの侮辱ではない、もっとも心の深い場所にある傷に触れたのだ。弟の怒りは正当なものだ。
 けれどもこの場で手を出そうものなら非難されるのはこちらだ。何しろここは半年ぶりに皇帝が出御する、皇族全員が集った茶会の席なのだから。

(暴れて憂さを晴らすのは簡単だわ。でもそれではシグルスの将来が――)

 好奇と軽蔑の目が集まる中、なおも飛び出そうとしかける弟をそでをつかむ力だけで押しとどめながら、ユーゼリカが思いをめぐらせた時だった。
 ――コツ、コツ、コツ。
 ざわめきのただよう中を、なぜか鮮明な靴音が響いて。

「おやおや」

 いやに明るい呑気な声が、緊迫する空気をやぶった。

「みんな、悪かったね。先に席についていてくれてもよかったのに」

 陽光を集めたような金色の髪。深い湖のごとき神秘的な翠の瞳。優れた容貌をもつとうたわれる皇帝の子どもたちの中で、もっとも美しいと自他共に認める青年が、にこやかにあたりを見渡す。

「わざわざ私の登場を待っていてくれたなんて! フフ、困ったな。これじゃ誰が主役かわからないじゃないか。そんなに熱望されては父上に叱られてしまうよ」

 まったく困った様子もなくにこにこしているさまは、場違いなほど優雅で楽しげだった。
 実際、それまでただよっていた空気にまったく気づいていないようで、堂々と人の輪の中央に出ていく。アルフォンスらとユーゼリカたちがにらみ合っていた、そのど真ん中へと。

「フッ」

 注目を浴びるのが心地よくてしょうがないといった様子で、気取った微笑を横顔に見せた彼は、くるりとこちらを振り返った。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「ユーゼリカ! ずいぶんと久しぶりじゃないか。私が待っているというのにおまえときたら茶会を欠席してばかりで。本当にいけない子だな。どれだけ寂しい思いをさせれば気が済むんだ」

 ぺらぺらと口上を述べながらつかつかと歩み寄ってくる。
 笑顔のまま、大きく両手を広げながら――

「いや、お説教はここまでにしておこう。ようやく会えたのにねられてはかなわない。とにかくまずは再会の挨拶を……」

 さっ、とユーゼリカは身体を引いた。抱擁ほうようをかわされ、彼の腕が宙を掻く。
 数歩引いて距離を取ると、ユーゼリカはあらためて居住まいを正した。

「ご無沙汰しております。アレクセウス殿下。ご健勝のようで何よりです」

 自身を抱きしめるような形になってきょとんとしていた彼が、ふっと微笑する。

「相変わらずの照れ屋だな」
「殿下こそ、相変わらずのご様子で」
「こらこら。兄上様と呼ばないか」

 つん、と額を指でつつかれた。ユーゼリカは無表情のまま視線を返す。

「ご冗談が過ぎますわ。アレクセウス殿下」
「えー。冷たいー」

 大げさに悲しい顔をされ、思わずため息が出た。

(本当に相変わらず……。いつになっても接し方がわからないわ)

 軽んじてきたり距離を置いたりという兄弟姉妹が多い中で、この第二皇子だけは異質だった。
 馴れ馴れしいというか、暑苦しいというのか、顔を合わせるたびにこうして親愛の情をぶつけてくるのだ。罵倒や嘲笑を向けられないのはいいのだが、これはこれで胡散臭うさんくさいことこの上なく、困惑するしかない。

「まあいい。せっかく会えたんだ。特別にエスコートしてやろう」

 一瞬で立ち直ったアレクセウスがにこやかに手を差し伸べる。席はすぐそこだが、彼が誘導してくれるとなると場の注目を集めるのは間違いない。これ以上目立つのは御免だ。

「エスコート役ならおりますので」

 シグルスの腕を取り、軽く会釈えしゃくをすると、アレクセウスはようやく弟の存在に気づいたようだった。いや、気づいてはいたが構う順番を取っておいたというべきか。

「おまえもだぞ、シグルス。ユーゼリカと一緒になって毎回茶会に出てこない。しかしまあこれもお説教はやめておく。フッ。では二人まとめてエスコートを――」
「結構です」

 そっけないシグルスの一言にも、アレクセウスはめげた様子もなくにこやかなままだ。

「まったく……姉弟そろって照れ屋なことだ」
「アレクセウス」

 彼の背後から声がかかった。見れば、白金色の髪に蒼の瞳をした青年が冷めた顔をしている。

「相手の顔をよく顔を見ろ。鬱陶うっとうしいと書いてあるだろ」
鬱陶うっとうしい? どういう意味だ?」
「これ以上話しかけるなという意味だ」

 本気でわからないと言いたげなアレクセウスに真顔で返したのは、彼と同い年の第三皇子オルセウスである。アレクセウスが陽光なら、冷たい印象のある端整な容貌の彼は月にたとえられようか。見た目も性格も対照的だが、気が合うのかよく行動を共にしているようだ。

「ごきげんよう。オルセウス殿下」

 ユーゼリカの挨拶にオルセウスは「ああ」と短く応じ、シグルスとも目線で会釈えしゃくを交わすと、アレクセウスに目を戻した。

「いいからそのへんにしておけ。もう父上がお出でになる」

 その一言でようやく姉弟を解放する気になったらしい。
 くるりと背を向けるとアレクセウスは横顔だけで振り返った。おそらくは彼のもっとも誇れる角度なのであろう。ふっと満足げに笑みを浮かべて。

「ではまた後ほどな」

 それだけ言って、すたすたと席のほうへと行ってしまった。
 あっけない幕切れに、やれやれと見送っていると、彼は次の標的を見つけたらしい。

「アルフォンス! 最近は狩りに行っているのか?」
「え? はい、まあ」
「あれ以来なかなか私を誘ってくれないな。まあ、私がいると誰より目立ってしまうから狩りにならないというのはあるだろうが。しかしそんな時は私の美貌を愛でる会にすればいいだろう? だからまた誘ってくれ」
「ええっ。は、はあ……」

 いきなり話しかけられたアルフォンスがへどもどしているのが見えた。第四皇子にくっついて嫌みばかり言ってくる彼も、アレクセウスの謎理論にはついていけないようだ。
 始まる前からどっと疲れてしまった。すでにもう自分の宮殿に帰りたくてたまらない。
 シグルスも同じだったのか、うんざりした顔で見ている。

「なんなんだよ。なんであんなに構ってくるの」

 知らないわ、と返そうとしたユーゼリカは、ふと気づいてそれを呑みこんだ。
 アレクセウスの登場によっていさかいの空気は霧散した。周囲で見ていた人たちももう何を揉めていたかなんて忘れてしまっただろう。第二皇子の華やかさと有無を言わせぬ独壇場のおかげで。

(まさか、揉めているのを聞きつけてわざとあんな絡み方を……?)

 だからだろうか。去り際がやけにあっさりとしていたのは。
 さっさと席について周囲の人たちと談笑している彼を、困惑しながら見つめたが――

「皇帝陛下のご入場でございます」

 ベルの音とともに宣言が響き渡り、はたと我に返る。
 ユーゼリカは大広間の入り口を一瞥いちべつし、足早に自分の席へと向かった。
 いよいよ、半年ぶりの皇帝臨席の茶会が始まるのだ。


 周辺諸国を政略や武力によって併呑へいどんしてきたツェルバキア帝国は、広大な国土を誇っている。
 東は海峡まで。西は大陸の果て。北は氷に覆われた山脈の際。南は海洋の諸島群も。
 それらを治める皇帝レオナルダス二世は、当然ながら多忙で知られていた。諸侯と視察に回ったり時には親征することもあり、城にいることのほうがもしかしたら少ないかもしれない。
 そんな彼が臨席するというので、大広間は緊張と高揚に満ちていた。
 入場した皇帝を迎えるため、席についていた皇族たちが一斉に立ち上がる。

「ご健勝をお喜び申し上げます。皇帝陛下」

 華々しく着飾った妃、皇子、皇女、そしてお付きの貴婦人たち一同が礼を取り、祝いを述べるさまは圧巻である。壁一面の鏡に反射し、空気までもがきらきらとまぶしいほどだ。
 その壮麗な眺めにも表情一つ変えることなく、レオナルダスは淡々と彼らを見回した。

「皆も変わらないようだな。――座りなさい」

 低いながらもよく通る威厳に満ちた声。礼をして腰を下ろす一同を見守る瞳は湖水のような翠色。五十に手が届く年齢でありながら輝かしい金髪にも陰りはない。
 美しい子どもたちの父である彼もまた美しかった。年齢を重ねたぶん、深みと憂愁ゆうしゅうを乗せた容貌は若い時分とは違った魅力をかもし出している。
 特に体格に恵まれているわけでもなければ、武勇に優れているわけでもない。それでいて他国との交渉や前線で指揮を執る折には、すさまじい支配力を発揮するのだという。大帝国の頂点に君臨するのに値すると相手に思わせる何かを生来持っているのだろう。

「顔を見るのは久しぶりの者も多いな。余が留守の間、面白いことがあったのなら聞いてみたい」

 彼が妃たちに目をやると、年かさの者たちが競うようにして近況を話し始めた。
 皇后のいない後宮で、宮廷についていかに把握しているか自己主張するのに必死の様子だ。年若い妃たちは笑みをたたえてうなずきながらそれを聞いている。
 一通り聞き終えると、まだ話し足りない妃たちを軽く制し、皇帝は目線を移した。

「次は皇子に聞こう。エレンティウス、どうだ?」

 まず指名されたのは子どもたちの中でもっとも上座にいる第一皇子だ。栗色の髪をした物静かな皇子は突然名を呼ばれて驚いたのか、どぎまぎしたように瞬いて父帝を見やる。

「は、はい、父上。そのぅ……、ええ、特に、変わったことはありません。政務も……滞りなかったかと思います」

 ぎこちない口調と実のない内容に羞恥を感じたのか、言い終えたエレンティウスは申し訳なさそうに目を伏せた。控えめで口数の少ない彼の性格を承知しているようで、皇帝は特に何も言わず次を促す。

「他の者は、何かあるか?」
「ふっ。では私が」


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