79 / 81
第7曲 charme ―色香―
7-3(2)
しおりを挟む
◇
まだ夜明けの兆しもない早朝。
何となく空気が湿っぽく、今日は雨が降りそうな予感だ。
俺は体力作りのため、毎日一人でランニングをしていた。外気はまだ冷え込むが、走っていればすぐに暖まるから心配ない。
和泉市の町並みもすっかり見慣れた。同じくランニングしながら通りすがるオッサンと、〝お互い今日もやってるな〟とアイコンタクトで意思疎通できるくらいになったほどだ。
でも今日はやけにムシャクシャしていた。走ると大概のストレスは解消されるのだが、胸焼けを感じて仕方がない。
分かってる。これは他でもない俺自身のせいだ。
自分で自分を追い込むなんて、馬鹿みてぇ。
結局いつもより30分早く切り上げてシェアハウスに戻った。これでも他の二人を起こさないように、行きも帰りも音を立てない気遣いはしている。大体俺がシャワーを浴びている頃に安芸が起きて自分の朝食を作り始め、それを横目で見ながら俺が適当に買ったパンを食っていると、近江が起きてきて安芸の朝食をつまみ食いする……というテンプレが多い。
だが今日はリビングに入った瞬間、机の上にラップがかかった焼き塩鮭の定食と、添えられた一枚の紙が目に入った。
『朝食を作ってやったから、さっさと食べて早急に防音ブースに来い。来なかったら承知しない』
紙には整った文字でそう書かれていた。定食はご丁寧に2食分用意されているが、近江がこんな早くに起きてくることはまずないだろう。
……あのヤロー、サシで話をしたいわけだな?
「何が〝承知しない〟だ。ったく……、相変わらずおっかねぇ奴」
アイツの〝承知しない〟は舐めていたらマジでロクなことになりかねない。俺は深く溜め息を吐いて、とりあえず手短にシャワーを浴びると、小鉢と卵焼きまでついた完璧な朝食を取った。いい嫁になれるだろうな、あの男は。
後片付けを済ませ、チェロを持ち再びハウスを出る。日は昇ったが空も俺の気分も薄暗く、気持ちの良い朝ではない。
和泉が行きつけている防音ブースは、カルテットの練習場所として俺たちも最近よく利用している。指定された部屋番号の前に着くと、深呼吸を挟んで扉に手をかけた。開いた瞬間、分厚い壁に守られていた室内からクラリネットの響きが溢れ出す。
「……よぉ安芸、お望みどおり来てやったぞ。用件は何だ」
分かっているくせにワザと聞くところが、我ながら素直じゃない。クラリネットの音がピタリと止み、安芸は俺を睨むように鋭く見つめた。
「これを。君の腕なら余裕だろう?」
それだけ言うと安芸は無言で数枚の紙を差し出した。面倒くせぇと思いながらもそれを奪うように受け取って目を通すと、それはとある曲の楽譜だった。
まだ夜明けの兆しもない早朝。
何となく空気が湿っぽく、今日は雨が降りそうな予感だ。
俺は体力作りのため、毎日一人でランニングをしていた。外気はまだ冷え込むが、走っていればすぐに暖まるから心配ない。
和泉市の町並みもすっかり見慣れた。同じくランニングしながら通りすがるオッサンと、〝お互い今日もやってるな〟とアイコンタクトで意思疎通できるくらいになったほどだ。
でも今日はやけにムシャクシャしていた。走ると大概のストレスは解消されるのだが、胸焼けを感じて仕方がない。
分かってる。これは他でもない俺自身のせいだ。
自分で自分を追い込むなんて、馬鹿みてぇ。
結局いつもより30分早く切り上げてシェアハウスに戻った。これでも他の二人を起こさないように、行きも帰りも音を立てない気遣いはしている。大体俺がシャワーを浴びている頃に安芸が起きて自分の朝食を作り始め、それを横目で見ながら俺が適当に買ったパンを食っていると、近江が起きてきて安芸の朝食をつまみ食いする……というテンプレが多い。
だが今日はリビングに入った瞬間、机の上にラップがかかった焼き塩鮭の定食と、添えられた一枚の紙が目に入った。
『朝食を作ってやったから、さっさと食べて早急に防音ブースに来い。来なかったら承知しない』
紙には整った文字でそう書かれていた。定食はご丁寧に2食分用意されているが、近江がこんな早くに起きてくることはまずないだろう。
……あのヤロー、サシで話をしたいわけだな?
「何が〝承知しない〟だ。ったく……、相変わらずおっかねぇ奴」
アイツの〝承知しない〟は舐めていたらマジでロクなことになりかねない。俺は深く溜め息を吐いて、とりあえず手短にシャワーを浴びると、小鉢と卵焼きまでついた完璧な朝食を取った。いい嫁になれるだろうな、あの男は。
後片付けを済ませ、チェロを持ち再びハウスを出る。日は昇ったが空も俺の気分も薄暗く、気持ちの良い朝ではない。
和泉が行きつけている防音ブースは、カルテットの練習場所として俺たちも最近よく利用している。指定された部屋番号の前に着くと、深呼吸を挟んで扉に手をかけた。開いた瞬間、分厚い壁に守られていた室内からクラリネットの響きが溢れ出す。
「……よぉ安芸、お望みどおり来てやったぞ。用件は何だ」
分かっているくせにワザと聞くところが、我ながら素直じゃない。クラリネットの音がピタリと止み、安芸は俺を睨むように鋭く見つめた。
「これを。君の腕なら余裕だろう?」
それだけ言うと安芸は無言で数枚の紙を差し出した。面倒くせぇと思いながらもそれを奪うように受け取って目を通すと、それはとある曲の楽譜だった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
1番じゃない方が幸せですから
cyaru
ファンタジー
何時だって誰かの一番にはなれないルビーはしがない子爵令嬢。
家で両親が可愛がるのは妹のアジメスト。稀有な癒しの力を持つアジメストを両親は可愛がるが自覚は無い様で「姉妹を差別したことや差をつけた事はない」と言い張る。
しかし学問所に行きたいと言ったルビーは行かせてもらえなかったが、アジメストが行きたいと言えば両親は借金をして遠い学問所に寮生としてアジメストを通わせる。
婚約者だって遠い町まで行ってアジメストには伯爵子息との婚約を結んだが、ルビーには「平民なら数が多いから石でも投げて当たった人と結婚すればいい」という始末。
何かあれば「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われ続けてきたルビーは決めた。
「私、王都に出て働く。家族を捨てるわ」
王都に行くために資金をコツコツと貯めるルビー。
ある日、領主であるコハマ侯爵がやってきた。
コハマ侯爵家の養女となって、ルワード公爵家のエクセに娘の代わりに嫁いでほしいというのだ。
断るも何もない。ルビーの両親は「小姑になるルビーがいたらアジメストが結婚をしても障害になる」と快諾してしまった。
王都に向かい、コハマ侯爵家の養女となったルビー。
ルワード家のエクセに嫁いだのだが、初夜に禁句が飛び出した。
「僕には愛する人がいる。君を愛する事はないが書面上の妻であることは認める。邪魔にならない範囲で息を潜めて自由にしてくれていい」
公爵夫人になりたかったわけじゃない。
ただ夫なら妻を1番に考えてくれるんじゃないかと思っただけ。
ルビーは邪魔にならない範囲で自由に過ごす事にした。
10月4日から3日間、続編投稿します
伴ってカテゴリーがファンタジー、短編が長編に変更になります。
★↑例の如く恐ろしく省略してますがコメディのようなものです。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
【完結】美醜逆転!? ぽっちゃり令嬢のビボー録
酒本 アズサ
恋愛
侯爵家の長女として産まれたアレクシアはまるで花の精の様だと周りにチヤホヤされながら育っていた。
3日後に4歳の誕生日を控えたその日は大雨で外に出られなくてイライラしていた為、タイミング良くミスをしたメイドに八つ当たりしてストレス解消していた。
「あなた見た目が悪いだけじゃなく仕事もまともに出来ないのね、そんなかんたんな仕事も出来ない人はこの侯爵家のメイドとしてふさわしくないんじゃない?」
泣きそうなメイドを見てせせら笑った次の瞬間、視界を真っ白に染める程の大きな雷が庭に落ちた。
落雷の轟音を聞きながらフラッシュバックの様に蘇る前世の記憶。
そのまま倒れて1時間。
は? 誰が花の精みたいやって?
溢した紅茶を拭いとったソフィーの方がよっぽど花の精やん、皆私が侯爵令嬢やからってご機嫌取りの為にお世辞を言うとっただけやんか!
こんな幼児の内から成人病まっしぐらな体型やのに花の精なんて言われて喜んでた自分が情けないわ、そやけどリップサービスにしては妙に皆うっとりと私を見とったのは何でなん…?
前世の記憶を取り戻し、麗しき悪役令嬢になりそこねた侯爵令嬢……のお話。
分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活
SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。
クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
高難易度ダンジョン配信中に寝落ちしたらリスナーに転移罠踏まされた ~最深部からお送りする脱出系ストリーマー、死ぬ気で24時間配信中~
紙風船
ファンタジー
入るたびに構造が変わるローグライクダンジョン。その中でもトップクラスに難易度の高いダンジョン”禍津世界樹の洞”へとやってきた僕、月ヶ瀬将三郎はダンジョンを攻略する様を配信していた。
何でも、ダンジョン配信は儲かると聞いたので酔った勢いで突発的に始めたものの、ちょっと休憩してたら寝落ちしてしまったようで、気付けば配信を見ていたリスナーに居場所を特定されて悪戯で転移罠に放り込まれてしまった!
ばっちり配信に映っていたみたいで、僕の危機的状況を面白半分で視聴する奴の所為でどんどん配信が広まってしまう。サブスクも増えていくが、此処で死んだら意味ないじゃないか!
僕ァ戻って絶対にこのお金で楽な生活をするんだ……死ぬ気で戻ってやる!!!!
※この作品は小説家になろう様、カクヨム様でも投稿しています。
転生して異世界の第7王子に生まれ変わったが、魔力が0で無能者と言われ、僻地に追放されたので自由に生きる。
黒ハット
ファンタジー
ヤクザだった大宅宗一35歳は死んで記憶を持ったまま異世界の第7王子に転生する。魔力が0で魔法を使えないので、無能者と言われて王族の籍を抜かれ僻地の領主に追放される。魔法を使える事が分かって2回目の人生は前世の知識と魔法を使って領地を発展させながら自由に生きるつもりだったが、波乱万丈の人生を送る事になる
「お前のような役立たずは不要だ」と追放された三男の前世は世界最強の賢者でした~今世ではダラダラ生きたいのでスローライフを送ります~
平山和人
ファンタジー
主人公のアベルは転生者だ。一度目の人生は剣聖、二度目は賢者として活躍していた。
三度目の人生はのんびり過ごしたいため、アベルは今までの人生で得たスキルを封印し、貴族として生きることにした。
そして、15歳の誕生日でスキル鑑定によって何のスキルも持ってないためアベルは追放されることになった。
アベルは追放された土地でスローライフを楽しもうとするが、そこは凶悪な魔物が跋扈する魔境であった。
襲い掛かってくる魔物を討伐したことでアベルの実力が明らかになると、領民たちはアベルを救世主と崇め、貴族たちはアベルを取り戻そうと追いかけてくる。
果たしてアベルは夢であるスローライフを送ることが出来るのだろうか。
ある日、近所の少年と異世界に飛ばされて保護者になりました。
トロ猫
ファンタジー
仕事をやめ、なんとなく稼ぎながら暮らしていた白川エマ(39)は、買い物帰りに偶然道端で出会った虐待された少年と共に異世界に飛ばされてしまう。
謎の光に囲まれ、目を開けたら周りは銀世界。
「え?ここどこ?」
コスプレ外国人に急に向けられた剣に戸惑うも一緒に飛ばされた少年を守ろうと走り出すと、ズボンが踝まで落ちてしまう。
――え? どうして
カクヨムにて先行しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる