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第2章 黄昏の悪魔

8-6 イカを酒で釣る

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「もうすこしよ!!岸がだいぶ近くなったわ」
 ヘイマスの言っていたポイントの近くまで来た私たちは、ソレードの命令により葡萄酒を持って先行した小型船の時間稼ぎもしなくてはいけない。
 先に岸へ小型船を向かわせて、クラーケンの餌となる葡萄酒をまき散らす。
 ある意味、この作戦では一番大事な任務であると言える。
 でも、色々と障害がある。
 このまま母船であるシルフィーアが先に行っては、後方から来るクラーケンにそのまま陸へ押し上げられて船が大破。全員無事では済まない。
 逆に小型船の準備が遅くなれば、餌を見失ったクラーケンはどこかへ行ってしまうだろう。
 早くいっても行けない。遅くなれば逃げられる。クラーケンの知能が不明だけど、悟られないようにタイミングが重要だ。
「かしらぁ!樽が、酒がなくなります!!」
 甲板から葡萄酒を流し続けて走ってきたけど、さすがに小型船に酒樽を2つもっていかれた状態で、もともとギリギリだったのもあってか目的地に到着する前に底をつきそうな葡萄酒・・・。
「泣き言なんか言うんじゃねぇ!どうにかしろ!」
 どうにかしろって言われても、ないモノをどうにかとは、なかなか厳しい。
「ソレードさん!あとどのくらいですか!?」
「この船で行けるギリギリの場所まではもう少し!そのあとは、小型船で先に向かっている二人に任せるしかない!」
 私の声に声を上げるソレード。この船に、今はそれほど余裕がない。
 底をつきかける葡萄酒。
 船員たちの体力の消耗。
 先行している小型船がまだ用意できていない。
 背後には蒼月の破壊者。クラーケン。
 どこを見てもいい結果は報告されてこない。
「かしらぁ!」
 見張り台の男が声を上げる。船に緊張が走った。
 またなにかトラブルだろうか。
「先行している2隻、目標地点に到着を確認!!海域から離脱できます!」
「よぉし!!全速でこの海域から離脱する!残っている酒はすべて捨てろ!」
『おおぉぉ!!』
 ソレードの号令で海に投げ落とされる葡萄酒。
 ようやく、いい報せが入った。
 あとは、私たちがクラーケンと陸の板挟みになる前にここから脱出。
 クラーケンが陸の方へうまく進んでくれればいいんだけど・・・。
 私たち3人にはできることがなく、ただクラーケンの動きを見ていることしかできなかった。
 私たちの船、シルフィーアが大きく迂回しながら岸から離れ、クラーケンの姿を後ろから眺めるような場所から作戦の無事を願うばかり。
(お願い。無事に陸まで上がって・・・)
 私は天にも祈るような気持ちだった。これがうまくいかなかった場合、もう陸に上げるような方法は残されていない。私たちの負けが確定するから。
 ゆっくりとその巨体を陸に近づけていく。
 あと少し・・・
 シルフィーアに乗るすべての人間が、クラーケンの動きをただ静かに見守っていた。
「もう少し・・・、もう少しなんだ。」
 ソレードが唇を噛みしめながらうわ言の様に繰り返し囁く。
 海面から、少し、また少しとクラーケンがその巨体を現す。
 12本の長い触手を操りながら、ゆっくりと陸に上がる姿は、まさに巨大な悪魔。
「やったわ・・・。成功よ!陸に上がってる!」
 私の声を発端にシルフィーアに歓声が湧きあがる!
「やった!お姉ちゃん!!うまくいったね!」
 そららが私に抱き着いてきた。とにかくここまでは順調のはず・・・だった。
「いや、様子がおかしい・・・」
 歓喜に舞う船の中、船長のソレードがクラーケンの動きを注視しながら、何かに気が付いた
「アリスも、おかしいと思う。」
「ふ、二人とも、やめてよ。冗談でしょ?なにがおかしいの?」
 2人の視線の先で、突如大きな物音がした。

 バンッ!!バキバキバキ・・・

 私たちの目に映ったのは、小型船を長い触手で持ち上げながら粉々に砕き、葡萄酒の樽を頭の上に持っていくと、文字通り、浴びるように酒を飲むクラーケンの姿だった。青白いその身体は紫色の葡萄酒と重なり所々が赤黒く染まっていて、血を浴びているようにも見える。
「ロゼッ!!ロキッ!!!」
 ソレードは触手に捕まる小型船で降りた2人の姿を見つけていた。
 長い触手に蝕まれる2人の姿を見る私たちには、ここから何もできることがない。
 船体にどよめきが生まれる。
【恐怖】
 先ほどまでの事が嘘のように、ここにいる人間たちはクラーケンの姿を動けず、見ているだけの人形のように硬直している。
「あ、アリシア、どうにかできないの?」
「ちょっと・・・無理かな。アリスもどうにか助けてあげたいけど・・・。」
 そららがアリシアに打開策を聞いてみるも、この状況でできることはやはりなく、ただその光景を見ていることしかできなかった。
「くそっ!くそっ!!」
 ソレードがその拳を船に叩きつける。
 クラーケンは私たちの感情がわかっているかのように、その大きな巨体をこっちへゆっくりと振り返る。青い瞳は二人をギョロっと見ると、ロゼ、ロキ、と呼ばれた2人の身体をまるで花を摘むようにあっさりと、無情にも残った触手を使い引き千切った。
『ひぃっ!』
 私たちは目をそむけ縮こまる・・・。
 血が滴り、内臓が落ち、二人は断末魔の声をあげ絶命した。
 最初は身体が引き千切れ、血が水風船を割った時のように飛び散っていたが、それはすぐになくなり、鮮やかなピンク色の肉と白い骨が見える塊になっていた。
「ロキっ!ロゼェ!」
 ソレードの声が虚しく響き渡る。
 クラーケンは見せしめの様に2人のバラバラになった身体を触手でしばらく弄ぶと、ひとつひとつ
 大事そうに口に運んでいた。

『ギュオオォォォォ!!』

【食事】を終えたクラーケンは再びこちらへ、海の方へ向かってゆっくりと動き出した。
「ダメ!海に入れちゃ!!」
 アリシアの声が響くが、誰もその場から動けない。
 ここに、まともな思考の人間は残っていなかった。
 恐怖に支配された人間は、悪魔にとって餌でしかないからだ。
炎風咆ヴァルス・ウォム!!」
 アリシアの両手から燃え上がる炎が海面を走り、クラーケンを襲う。
『ギュアァアァァァ!!』
 燃え盛る炎がクラーケンを包み込む。
 触手をバタバタと振り回し、苦痛にもがくクラーケン。
「みんな!立って!!しっかりしてよ!」
 アリシアの声が船で抜け殻となっていたみんなに響く。
 が、それと同時にヌルヌルとした粘膜で守られていたクラーケンの炎が消え、攻撃を仕掛けた私たちを敵とみなし近づいてくる。
 アリシアは近づくクラーケンを相手にもせずに続けた。
「今日、あいつを倒すんでしょ!?負けていいの?悔しくないの!!?この意気地なし!!」
 アリシアの声で、1人、また1人と瞳に光を取り戻していく。
「あぁ、そうだ。」
「いままで、逃げて隠れてきたんだ」
「今日でそれも終わりだ!」
 失意の底に叩き落されたソレードがゆっくりと立ち上がる。
「ロキィ・・・ロゼェ・・・。俺たちが必ず、お前らの敵を討つ!!」
『おおおぉぉぉ!!』
「進めぇ!!このままシルフィーアをあのイカ野郎にぶつけて陸に押し戻せ!!」
「あ、ありがとう。アリシア。」
 私とそらも2人の最期の瞬間を見たショックで気が動転していた。
 そららも気持ちがまいっているようだったけど、アリシアの言葉で少し落ち着きを取り戻したみたい。
「きら。人は弱いよ。でも、あいつだって邪竜王よりは弱い!だから、あきらめちゃダメ!」
「アリシア・・・。うん、そうだね。あきらめちゃダメだね。」
「でも、このままじゃうちらもやばくない?この船、あれに突っ込むんでしょ?」
 そうだった。たしか、船ごと突っ込むって・・・。
「ソレードさん!船ごと突っ込むなんて、みんな無事じゃすみませんよ!?」
「船体の一番下の貨物室、そこの扉からなら海にすぐ出れる!ぶつかる前にそこから全員脱出すればいい!」
 船の、一番下・・・。
 甲板から下を見ると確かに、扉らしき作りの場所がある。
 陸から降りて来るクラーケン、沖から向かうシルフィーア。
 どう考えても、このまま進めばクラーケンの方が早く戻ってくるだろう。
 そうしたら、やつを陸に上げることはもう不可能。
「アリシア、そらら。もう一回協力して!」
「うちは、また風だね?」
「うん!できる限り破れたところとかどうにかしてもらうから!お願い!」
 破れた帆や折れた部分を見ながら少し不安そうにしながらも、
「わかった!準備できたら教えて!」
 そららは船尾の方へ再び向かう。
「あ、ねぇ!!ちょっと!!」
 私は近くにいた40歳ぐらいの男性に声をかけた。
「お願い。あの子のそばにいてあげて。また魔法を使うから、倒れたりしないように。面倒を見てあげて!」
「お、俺がか?」
「うんっ!お願い!!」
「わ、わかった。必ず連れて戻る!」
 そう言うと男性はそららの後を追っていく。
 これで、あの子の方は安心ね。
「アリスは、どうすればいいの?」
「少しでも、あいつのスピードが落ちるようになにか魔法を使ってほしいの。足止めがしたい」
「わかった。やってみる。」
 アリシアは操縦桿のところに立ち、前方のクラーケンを睨み付ける。
 後は、みんな逃げる準備。
「ソレードさん!今すぐ帆を、マストをどうにかしてください!」
「はぁ!?この忙しいときに!」
「もう一回、風を起こします!一気に加速してぶつけます。避難の準備も必要です。進行方向、クラーケンで操縦桿を固定したら、今すぐ貨物室へみんな行きましょう!私はこれ以上誰にも死なれたくありません!」
 私の顔を見て少し間があったけど、ソレードはすぐに号令を出してくれた。
「全員撤退!貨物室へ!またお嬢さん方がとっておきを見せてくれるぞ!帆を張れ!手が空いてるやつは手伝え!その他は全員脱出準備だ!!」
 再び海に戻ってきたクラーケン、最後の海上戦が始まった。
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