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5巻
5-2
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次の日、エトワという少女は意気揚々と森へ入っていった。花を探すと言っていたのに、なぜか虫取り網を持って……。貴族の血縁者らしい少女なのに、従者たちが現れる気配はない。貴族ってそういうものなのだろうか、田舎生まれのネザにはわからなかった。
少女のいない村では、ひそひそと話し合いが行われていた。場所は村の中央にある教会。
この国でも神を信じる教えはある。恐ろしい魔族たちが住む北方の領域と接し、魔族たちに対抗し得る力を持つ貴族たちが束ねるこの国では、神への信仰は忘れかけられたものだが、北方から離れた国々には、信仰に熱心な場所もある。そんな場所から、神への信仰を復活させようと、この国にやってくる人たちもいた。この教会を建てたのも、そんな人間の一人だったのかもしれない。
「あのガキ、本当に貴族なんですかね?」
「着ている服はここらじゃ見ることができないいい仕立てでしたし、間違いねえでしょう」
教会に集まってるのは壮年の男ばかりだった。老人や女性の姿は見えない。ただ一人の少女、ネザはその理由を知っていた。彼らは村を乗っ取った山賊たちだからだ。
ネザはこの村の出身ではない。魔族の襲撃により、親を亡くした孤児だった。
そのときの襲撃で親を亡くした子供は他にもいて、しばらくはもとの村で一緒に暮らしていたが、身寄りのない子供の面倒は見切れないということで、この村の教会に引き取ってもらう話になったのだ。最低限の旅支度だけで村を出されたネザたちを待っていたのは、村の住人ではなく、その場所を乗っ取った山賊たちであった。殺されるかと思ったが、まだ生かされている。
理由は山賊たちが、物資の買い出しなどに彼女たちを利用するためだ。山賊たちは村人の格好をしているものの、見る人が見れば怪しい。だから対外的な交渉はネザを使うことにしたらしい。
「ネザ……カールがお腹すいたって……」
無言で話し合いを聞いてるネザのもとに、八歳ぐらいの男の子が歩いてきた。
同じ村の孤児だったテトだ。他にテトと同い年の女の子のリン。二つ下の男の子のカールがいる。彼らもネザと同じく、山賊たちに生かされていた。ネザは脅されていた。命令に逆らったら、子供たちを殺すと……。同じ村に生まれ、親を失ってからは家族のように暮らしてきた。見捨てられるわけがなかった。だからネザは山賊たちの命令に従っていた。
「話し合いが終わったら、すぐにごはんの用意をするから待ってて」
ネザは山賊たちに目をつけられないように小声でテトを送り返したが、山賊たちの首領である男、エトワには村長と名乗っていたバーグの視線がネザへと向く。ネザの背中に嫌な汗が流れた。
「おい、ネザ。そういえば、なんであのガキを村から勝手に出そうとしていた」
「……バレないように村から追い出したほうがいいと思ったからです」
そう言い訳するネザの心を見透かすようにバーグはニヤニヤする。
「まあ今回はそれでいい。今度から訪問者が来たら、きちんと俺に報告しろ」
「はい……」
このバーグという男、それからその両脇に立つ二人の側近は特別な力を持っていた。
魔法を使えるのだ。
部下の山賊たちが言うには、彼らは高名な魔法学校に通っていたが、素行不良で追放されたらしい。一度だけその力を使っているのを見たことあるが、恐ろしい力だった。それこそ自分たちの村を襲い、両親を殺した魔族と何も変わらない凶悪な力だ。
ネザはこの男から逃れられる気がしなかった。ましてや子供たちを連れてなど……。
「襲って金品を奪っちまうか?」
その言葉にネザは焦った。
「あのっ……しばらくは潜伏しているはずじゃ……事件を起こしたらまずいのでは……」
山賊たちの目的は身を隠すことにあった。ネザが囚われて半年間、血生臭い事件は起きなかった。それがネザが今まで彼らに手を貸せていた理由だった。暴力や殺しを伴う行為に手を貸せと言われていたなら、子供たちの命がかかっていたとしても協力できたか怪しい。
バーグがあごひげをこすりながら言った。
「しかしなぁ。そろそろ資金が尽きてきたんだよなぁ。ここらでひと稼ぎしとかねぇとまずい」
「貴族のガキならそれなりに高価なものを持ってるでしょうしね。殺して奪って換金すれば、いい資金になりますよ」
(まずいまずい……)
危惧していた話の流れになりつつある。でもそれを制止するような言葉は出てこない。
怖いのだ。自分の両親を殺した魔族のように、絶対的な力を持つバーグという男が怖い……。情けなさと恐怖で、目に涙がにじんだ。
「ですが、バーグ様。貴族の子供ってことは恐らく魔法が使えます。さすがに俺たちが負けることはないでしょうが、それでも高位貴族の子女だったら部下たちは危険ですよ。それに消息不明になった子供を探しに貴族がこの村にやってくるのもまずいです」
「まあ、それもそうだな。だが、あんなアホで旨そうな獲物、逃すのは惜しい。どうせ数日は滞在するだろうし、もう少し様子を見てから決めよう。おい、ネザ」
「は、はい……」
「お前はそれとなくあのガキから情報を聞き出せ。金目のものを持ってるか、どの程度魔法が使えるのか、親がすぐに探しにくる状況なのか。そこらへんが重要だ。いいな」
「はい……」
バーグの言葉に、ネザは暗い顔をして頷いた。
バーグによって用意された夕飯の席。そこには招待されたエトワもいた。
(この子が無事に村を出られるように、不利な情報を出さないようにうまく誘導しないと……)
そんな決心をするネザを尻目に――
「いやぁ、魔法はさっぱり使えないんですよね~。そのせいで廃嫡になっちゃって、ちょっと別の事情で護衛の子たちはいるんですけど、あの子たちも忙しいし、時間を奪っちゃうのも悪いから、手紙だけ置いて出てきちゃいました、教えてないので、この村にいるのは分からないと思います」
エトワという少女は即、バーグたちが獲物として狙いを定める条件を、思い切って二つもぶち抜いていったのだった。ネザは内心涙目になる。
(どうしよう……どうしよう……この子どうしたらいいの……? っていうか、いくらなんでも無防備すぎない? 貴族の血縁者なんだから少しは警戒しようよ)
少女を心配していたネザも、あんまりな展開に少し毒づいてしまった。
「そうだったのですか。ところで、フレンリアの花は見つかりましたか?」
「いや~、それがなかなか見つからなくて」
一方のバーグは上機嫌になり、少女のコップに水を注いでいく。
「そうですか、珍しいものですからね。どうぞこの村に滞在してゆっくり探していってください」
「はい、ありがとうございます」
(あとはもう、バーグが狙うような大金やお宝とか持ってないことを祈るしかない……)
まだ希望はあった。廃嫡されたということは、金品はそんなに持ってないのかもしれない。
「ネザさん、顔色が悪いけど大丈夫ですか?」
胃がきりきりと痛くなってきたネザに、エトワはのんきな声で尋ねてくる。
「はは、すみません。ネザは人見知りする性格でしてね。久しぶりにお客さんが来て緊張しているのでしょう」
顔色が悪くなってしまったネザをバーグがフォローする。ネザにとっては、フォローされてもまったく嬉しくはなかったが。ただここで自分たちの正体がばれたら、殺されるのは確実に少女のほうだ。ネザは不本意ながらも、バレないように演技を続けなければならなかった。
「そうなんですか~、私のせいですみません」
「いえ……大丈夫です……こちらこそごめんなさい……」
ネザはエトワにこれ以上不審がられないように、気を張って時間を過ごした。
「それじゃあ、行ってきます~!」
二日目も少女は森の中に花を探しにいった。山賊たちは彼女のいなくなった村で企みを進める。
「おい、あのガキの荷物を見て、金目のものがあるかチェックしてこい」
山賊団の下っ端の男にそう言われた。人の荷物を漁るのは嫌だけど、ネザにとってはありがたいことだった。高価なものを見つけても、何もなかったと嘘をつこうと決めていた。
「いや、お前も行け」
「へ……?」
「ネザと一緒に行け」
しかし、すぐさまバーグが命令する。見透かされてる、とネザは感じた。
下っ端の男と一緒に、エトワが滞在している家に入る。
簡素な部屋の中に、大きめのバッグがひとつだけ置いてあった。
祈るようにネザはバッグを開いた。背後には下っ端の山賊が立ち、彼女を監視している。
結論から言うと、バッグの中にあったのは着替えや薬箱などの旅用品だけだった。ネザはホッとする。結果をバーグに報告すると、彼は顎に手を当てて考えはじめた。
「貴重品は持ち歩いてやがるのかもしれないな。今日の夕飯の席で探りをいれてくか」
まだ安心できる状況ではなさそうだった。こちらに探るように指示されるかと思ったがそれはなかった。信用されてないのだろう。ネザは子供たちのいる所に戻ろうと、バーグたちに背を向けた。
出口の前で、下っ端の山賊が愚痴を呟くのが聞こえる。
「ちくしょう。まどろっこしいな。なんでこんなにこそこそしなくちゃいけないんだよ」
「仕方ねぇだろ。あんな化け物に目をつけられちゃ……」
化け物……?
ネザからすると、バーグとその取り巻き二人こそ化け物に見える。なのにそんな三人を抱える山賊団たちの男が化け物と評する存在がこの世にはいるというのだろうか。
「まさか十三騎士が出てくるなんて……」
「さすがに派手に暴れすぎたってお頭も言ってたよ。それもあと少しの辛抱だ。これだけ潜伏してりゃ、さすがのあいつも諦めるだろうってよ」
そんな会話にバーグが割って入ってくる。
「その通りだ」
「お頭!?」
「あと一ヶ月潜伏すりゃ、あいつも諦めるだろう。その隙に国外に脱出すりゃ、俺たちの天下だ。新天地では酒も暴力もやりたい放題だぜ。それまでの間、俺たちが優雅な生活を送れるよう、あのアホそうなガキからちゃ~んと金品を剥ぎ取っとかねぇとな」
「へへへ、さすがお頭!」
聞いていて気分が悪くなる企みだった。
暗い顔をしてネザは子供たちと暮らす住居に戻ってくる。台所に立ち、子供たちとそれから用意したくはないが山賊たちの食事を作り始めた。すると、カールがとことこと寄ってきた。
カールはネザに何かを差し出す。
それは真っ白な花だった。この森ではどこでも取れる珍しくない花。しかし白い色になると、一気に希少性が増す。純白のフレンリア。
「カール!?」
驚いて目を見開くと、カールは舌ったらずな喋り方で言った。
「ネザ、元気ないみたいだから、お花摘んできた。これあげる。きれいでしょ?」
ネザは思った。これをあの子に渡せば、すぐにでも村を去ってくれるかもしれない。
胸に希望が湧いてくる。しかし、すぐにそちらのほうが危険だと思い直す。バーグは今獲物を見定めてる途中だ。そんなときに少女が村を去ろうとすれば、強引に襲いかかるかもしれない。
結局、いつも心に残るのは絶望だ。両親が死んだときも、故郷の村の人たちがよそよそしくなっていったときも、引き取ってくれる人がいるというこの村に来てからだって……。
「……元気でなかった?」
「ううん、元気でたよ。ありがとう、カール」
ネザは笑みを作った。子供たちは事情がわからなくても励ましてくれているのだ。まだ諦めない。なんとかあの少女をこの村から脱出させるのだ。そのとき、この花を託せればいい……。
その日の夕飯の席を、少女とネザは無事に乗りきった。少女から怪しまれずに金品の情報を引き出すことに、バーグのほうも慎重になりすぎたのかもしれない。
しかし、絶望は次の日の朝にやってきた。
その日、前日よりラフな格好になった少女の襟首に、目を奪われる輝きを放つ金属の鎖が見えた。とても高価そうなネックレスだ。
見送りという名の品定めに来ていた山賊たちの目も、その輝きに引き寄せられていく。
「その首にかけていらっしゃるのは?」
(ダメ……!)
ネザは心の中でそう叫んだのに、少女は胸元からあっさりとネックレスを取り出す。
それは見事な金属の装飾がなされていて、中心には美しい無色透明の宝石が輝いていた。
「我が家の家宝で、もとは特別な魔力を持ったアイテムだったんです。今は私のせいで力を失っちゃってて。ずっと引き出しに入れっぱなしはかわいそうだから、たまにつけてるんです」
バーグたちの目の色が変わっていくのをネザは感じた。少女は価値を失ったと思い込んでいるようだが、どう見てもとてつもない価値を持つ宝物だ。平民なら、売れば一生遊んで暮らせるような。山賊たちがすぐさま少女に襲いかかり、その細い首を引きちぎり、ネックレスを奪う、そんな光景を想像してしまい、ネザは震えた。
しかし、バーグたちはぎりぎり理性を保ったようだった。
「夜、寝込みを襲うぞ。魔法を使えないっていうのは嘘かもしれねぇからな」
ただ、それも少女の寿命がわずか一昼夜ほど延びたにすぎなかった。
エトワのいなくなった村で、山賊の男たちは嬉々として、彼女を襲う準備をはじめる。
刃渡りの大きなナイフ、乾いた血のついた斧、この国の兵士から奪ったであろう剣。子供一人を相手にするには大袈裟すぎる装備。数ヶ月暴れられなかった鬱憤を晴らそうとしているようだ。
バーグと側近の二人は手ぶらのままだった。彼らにはそんな武器より恐ろしい魔法がある。
バーグが恐ろしい笑みを浮かべながら、ネザのほうを向いた。
「ネザ、お前は家にいろ。分かってると思うが、余計なことはするんじゃないぞ。あの貴族のガキの代わりに、お前の大事な家族がこいつらの手にかかるところは見たくないだろ」
ネザは俯いて、子供たちのいる家へと戻った。
家には名前も知らない女神の像があった。教会の人間が村の人たちに配ったのだろう。
(ああ……神様、どうかあの子を助けてください……)
ネザはギュッと目を瞑り、その像に祈った。けど、こんなの気休めだ。こんなことで助かるなら誰も苦労はしないのだ。村が魔族に襲われて、ネザの両親が死んだときもそうだった。
「おねーちゃん大丈夫?」
テトが心配そうな表情で、ネザのことを見つめてくる。
そんなに酷い顔をしていたのだろうか、ネザは自嘲する。他人を見捨てて自分が助かろうとしているだけなのに――心配される資格などないのに。
今からでも森に行って、あの子に真実を話せば、助かるかもしれない。
でもそんなことをしたら、バーグは自分たちを許さないだろう。あの恐ろしい化け物のような男から、子供たちを連れて逃げられるイメージは湧いてこなかった。まだ幼い子供たちの顔を見る。今のネザにとって、この子たちこそが家族だった。
(無理だ。この子たちを見捨てることなんてできない……ごめんなさい、ごめんなさい!)
ネザは自分が見捨てた少女に、心の中で苦しい思いで謝罪をした。
それから長く、とても長く感じる時間が過ぎていき、日が落ちる頃に少女は帰ってきた。
あまりに遅いのでネザは夕食の準備をさせられたが、少女と顔を合わせることは許されなかった。ずっと子供たちのいる家から出ないように言われている。
村を散歩してるのか、外からはあの少女の独特の間延びした歌声が聞こえてくる。
その声を聞くたびに心が痛んだ。その痛みに耐えるように、ネザは部屋の隅で膝を抱える。
仕方のないことだ。見捨てなきゃ、殺されるのは自分たちだ。生きるためだ。
必死に心にそう言い聞かせる。
そんなネザの耳に、古ぼけた扉が開く音が聞こえた。顔をあげるとリンがいた。ネザの今の家族の一人でテトと同い年の女の子だ。あのエトワという少女も同じぐらいの歳かもしれない。
「おねーちゃん大丈夫?」
心配そうな顔で尋ねるリンに、ネザは辛そうにしながらも無理やり笑みを作る。
「うん……ごめんね……少し休んだら仕事するから……」
「ううん、きぶんが悪いなら今日は休んでて。洗い物は私たちがやるから」
まだ幼いリンの優しさが嬉しくて、そして辛かった。顔を伏せ、泣き顔を見られまいとしたネザに、リンの立ち去る足音が聞こえた。しかし、その音は途中で止まる。
「ネザおねーちゃん、私たちのために無理してない?」
再び聞こえたリンの言葉に、はっと顔を上げる。
そこには自分と同じように辛そうなリンの顔があった。
「私たちがいるから、ネザおねーちゃん、あいつらの言うこと聞いてるんでしょ。いつも辛そうな顔してる。ネザおねーちゃんがつらいなら、私たちもつらいよ」
リンはネザをまっすぐ見て続ける。
「私たちだって……まだ子供だけど、ちょっと大人になったよ。食器洗いだって掃除だってできるようになった。だから、おねーちゃんが本当に辛いなら、私たちをたよって……!」
その言葉にネザは自分の本心に気づいた。
(助けたい……見捨てたくない……)
魔族や山賊や、理不尽な暴力から犠牲になる子を……。自分たちと同じように、そのせいで何かを失ってしまう子を……。今日、不幸な目に遭おうとしているあの子のことも……。
ネザは立ち上がった。
「リン、ごめん。テトとカールを呼んできて!」
「うん!」
リンが部屋を小走りに出ていって、しばらくしてテトとカールがやってくる。
「どうしたのおねえちゃん」
首を傾げるカール、何かを察したのか緊張した表情のテト、ネザの思いが乗り移ったような強い決心の表情をしたリン。そんな三人をネザは抱きしめた。
「今から三人で森の中に隠れて! あいつらに見つからないように! 必ず迎えにいくから!」
「……うん、分かった!」
ネザの言葉に、すぐに三人は真剣な表情になって頷いた。
三人が夜の森に入っていくのを見送ったあと、ネザも家を出る。あの子に伝えるのだ。この村は恐ろしい山賊たちに支配されてることを。今夜、その山賊たちが襲撃に来ることを。
山賊たちの目につかないルートをネザは走る。
その瞳に、あの少女の滞在する家が映った。
(もうすぐ!)
そう思った瞬間、誰かがネザの腕を掴む。そのままネザは地面に引き倒された。
叩きつけられた背中に痛みが走る。
顔を上げると、山賊の一人が自分の腕を掴んでいた。そのもう片方の腕には、ギラリと光るナイフが握られている。
「お~い、こんな夕暮れにどういうつもりなんだ、ネザ。女の子の夜歩きは危ないぞぉ」
その頭上からずっと恐怖を感じてきた男の声がかかった。
山賊団の首領、バーグの声。
(何か……何か言わなきゃ……)
なんとか誤魔化そうと口を開きかけたが、それより先にバーグの声が制する。
「下手な言い訳は聞きたくねぇなぁ。今の俺は裏切られて傷心だからよ。半年間一緒にうまくやってきた仲間じゃねぇか。なんで急に俺たちを裏切ったんだよ」
ふざけるな、そう言いたかった。仲間なんかじゃない、脅されて従わされていただけだ。
バーグの部下がにやついた表情で言う。
「お頭、もういいでしょう。綺麗な顔してるから無傷で囲っておいて、国外に脱出したあとに奴隷商に売っ払って、資金にしようって話でしたけど、もう俺たちには大金が入ってくるんだ、必要ねぇ。殴って言うこと聞かせちまったほうが楽になりますぜ」
「そうそう、ついでに役立たずのガキは片づけしちゃいましょうよ」
その言葉に震えた。もともと自分たちを無事に見逃すつもりなどなかったのだ、この男たちは。そんなこと、少し考えれば分かることだとみんな言うかもしれない。でも、ネザたちはその希望にすがるしかなかったのだ……。
バーグは顎髭を撫で、ネザたちのことなど虫けらとも思ってない表情で言う。
「うーん、確かにまとまった金が入るとなると、こいつらの相手をするのも面倒になってきたなぁ。こいつには対外交渉役にもう少し生きてて欲しいが、他のガキは死んでも構わねぇなぁ」
絶望と悲しみと怒りがこみ上げてきて、ネザの目じりに涙が溜まる。でもネザは無力だった。片腕ひとつで男に掴まれ、身動きすらできない。そんなネザが唯一できる抵抗が、言葉だった。
「天罰が……下るわよ……」
「あんっ?」
山賊たちが訝しげな表情をした。
「こんなことしてたら……いつかあんたたち天罰が下るわよ……。絶対によくない目に遭う……」
なんでこんな言葉がでてきたのかは分からない。もしかしたらこの村で、ずっと教会のそばで暮らしていたせいで、少しぐらい信仰心が身についたのかもしれない。
神様なんて……そんなの信じてないのに、ネザにはもうそれぐらいしか頼るものがなかった。
「ぎゃははははは! 何言ってんだこいつ!?」
「おいおい、気でも狂っちまったか?」
ネザの必死に搾り出した言葉も、山賊たちを笑わせただけだった。
これまで悪行ばかり犯してきた山賊たちが神を信じているわけがなかった。ただバーグだけは、少し興味を惹かれたようにネザを見て言った。
「おめぇさぁ、神を信じてるのか? 世の中には神様がいて悪い奴には罰を下すとかいう話を」
分からない。むしろネザの人生経験からすれば、そんなものはいなかった。
村が魔族に襲われたときだって、山賊に捕まったこの数ヶ月だって神様は助けてくれなかった。でもいて欲しいとこれほど思ったことはない。そしてすぐにでも、この恐ろしい山賊たちを打ち倒し、あの少女と自分たちを救ってくれたなら――
バーグは笑みを浮かべ、ネザに言った。
「そんなものどこにもいねぇさ。なんで人間が法律やルールを作って、悪人を取り締まったりすると思う。神様がやってくれねぇからさ。もし神様がいて、天罰とやらで悪い奴を勝手に捌いてくれるなら、そんなもの必要ねぇだろ? ただボケッと突っ立って、いいことだけしてりゃ、勝手に悪人だけが死んでくれるだ。でも現実はそうはならねぇ。だからめんどくせー連中が、せせこましく法律やらルールを作って取り締まろうとしやがる。本当にめんどうな連中だぜ。結局やってることは俺たちと変わらねぇ、力に任せて自分たちの都合を押し付けてるだけじゃねぇか」
バーグは世界に演説するように手を広げて言う。
「分かるか? 世の中ってのは理不尽なもんなんだ。俺のように力があればどうにでもなる。逆にお前みたいな無力な奴はどうにもなんねぇ。お前らを救ってくれる存在なんていねぇのよ」
何も言い返せなかった。現実を教えるように、ネザは地面に押しつけられて何もできない。
「よーし、あのガキを殺しに行くぞ。お前たちはネザを痛めつけてやれ、まだ死なない程度にな」
「ま、まって……!」
ネザはもがいた。エトワを襲いに行くバーグを止めようと。でも、ふりほどけない。暴れるたびに、手に痛みが走るばかりだった。結局、諦めても諦めてなくても何もできない。しかし――
「ぐあっ!?」
いきなり腕の拘束がゆるんだ。誰かの小柄な体が、ふわっとネザを抱きしめて、立ち上がらせてくれる。ネザが驚き、振り返ると、腕を切られた山賊の男がうずくまっていた。
「うぁぁぁっ、腕が……腕が!?」
呆然とそれを見ているネザに、自分を抱きとめてる人から声がかかる。
「あのー……、結構ぐろいからあんまり見ないほうがいいかとー」
独特のイントネーションの間延びした声。
月明かりに反射する金色の髪。
自分を立ち上がらせてくれたその存在を、ネザはようやく認識した。それは自分が守りたかったあの少女、エトワだった。
(たぶん……)
ちょっと不安になったのは、あの覇気のない糸のような目が今は開かれてるからだった。そこから、灰色の綺麗な右目と赤く発光している異形の左眼が、ネザのことを見つめてる。
「あ、あなたは……」
少女のいない村では、ひそひそと話し合いが行われていた。場所は村の中央にある教会。
この国でも神を信じる教えはある。恐ろしい魔族たちが住む北方の領域と接し、魔族たちに対抗し得る力を持つ貴族たちが束ねるこの国では、神への信仰は忘れかけられたものだが、北方から離れた国々には、信仰に熱心な場所もある。そんな場所から、神への信仰を復活させようと、この国にやってくる人たちもいた。この教会を建てたのも、そんな人間の一人だったのかもしれない。
「あのガキ、本当に貴族なんですかね?」
「着ている服はここらじゃ見ることができないいい仕立てでしたし、間違いねえでしょう」
教会に集まってるのは壮年の男ばかりだった。老人や女性の姿は見えない。ただ一人の少女、ネザはその理由を知っていた。彼らは村を乗っ取った山賊たちだからだ。
ネザはこの村の出身ではない。魔族の襲撃により、親を亡くした孤児だった。
そのときの襲撃で親を亡くした子供は他にもいて、しばらくはもとの村で一緒に暮らしていたが、身寄りのない子供の面倒は見切れないということで、この村の教会に引き取ってもらう話になったのだ。最低限の旅支度だけで村を出されたネザたちを待っていたのは、村の住人ではなく、その場所を乗っ取った山賊たちであった。殺されるかと思ったが、まだ生かされている。
理由は山賊たちが、物資の買い出しなどに彼女たちを利用するためだ。山賊たちは村人の格好をしているものの、見る人が見れば怪しい。だから対外的な交渉はネザを使うことにしたらしい。
「ネザ……カールがお腹すいたって……」
無言で話し合いを聞いてるネザのもとに、八歳ぐらいの男の子が歩いてきた。
同じ村の孤児だったテトだ。他にテトと同い年の女の子のリン。二つ下の男の子のカールがいる。彼らもネザと同じく、山賊たちに生かされていた。ネザは脅されていた。命令に逆らったら、子供たちを殺すと……。同じ村に生まれ、親を失ってからは家族のように暮らしてきた。見捨てられるわけがなかった。だからネザは山賊たちの命令に従っていた。
「話し合いが終わったら、すぐにごはんの用意をするから待ってて」
ネザは山賊たちに目をつけられないように小声でテトを送り返したが、山賊たちの首領である男、エトワには村長と名乗っていたバーグの視線がネザへと向く。ネザの背中に嫌な汗が流れた。
「おい、ネザ。そういえば、なんであのガキを村から勝手に出そうとしていた」
「……バレないように村から追い出したほうがいいと思ったからです」
そう言い訳するネザの心を見透かすようにバーグはニヤニヤする。
「まあ今回はそれでいい。今度から訪問者が来たら、きちんと俺に報告しろ」
「はい……」
このバーグという男、それからその両脇に立つ二人の側近は特別な力を持っていた。
魔法を使えるのだ。
部下の山賊たちが言うには、彼らは高名な魔法学校に通っていたが、素行不良で追放されたらしい。一度だけその力を使っているのを見たことあるが、恐ろしい力だった。それこそ自分たちの村を襲い、両親を殺した魔族と何も変わらない凶悪な力だ。
ネザはこの男から逃れられる気がしなかった。ましてや子供たちを連れてなど……。
「襲って金品を奪っちまうか?」
その言葉にネザは焦った。
「あのっ……しばらくは潜伏しているはずじゃ……事件を起こしたらまずいのでは……」
山賊たちの目的は身を隠すことにあった。ネザが囚われて半年間、血生臭い事件は起きなかった。それがネザが今まで彼らに手を貸せていた理由だった。暴力や殺しを伴う行為に手を貸せと言われていたなら、子供たちの命がかかっていたとしても協力できたか怪しい。
バーグがあごひげをこすりながら言った。
「しかしなぁ。そろそろ資金が尽きてきたんだよなぁ。ここらでひと稼ぎしとかねぇとまずい」
「貴族のガキならそれなりに高価なものを持ってるでしょうしね。殺して奪って換金すれば、いい資金になりますよ」
(まずいまずい……)
危惧していた話の流れになりつつある。でもそれを制止するような言葉は出てこない。
怖いのだ。自分の両親を殺した魔族のように、絶対的な力を持つバーグという男が怖い……。情けなさと恐怖で、目に涙がにじんだ。
「ですが、バーグ様。貴族の子供ってことは恐らく魔法が使えます。さすがに俺たちが負けることはないでしょうが、それでも高位貴族の子女だったら部下たちは危険ですよ。それに消息不明になった子供を探しに貴族がこの村にやってくるのもまずいです」
「まあ、それもそうだな。だが、あんなアホで旨そうな獲物、逃すのは惜しい。どうせ数日は滞在するだろうし、もう少し様子を見てから決めよう。おい、ネザ」
「は、はい……」
「お前はそれとなくあのガキから情報を聞き出せ。金目のものを持ってるか、どの程度魔法が使えるのか、親がすぐに探しにくる状況なのか。そこらへんが重要だ。いいな」
「はい……」
バーグの言葉に、ネザは暗い顔をして頷いた。
バーグによって用意された夕飯の席。そこには招待されたエトワもいた。
(この子が無事に村を出られるように、不利な情報を出さないようにうまく誘導しないと……)
そんな決心をするネザを尻目に――
「いやぁ、魔法はさっぱり使えないんですよね~。そのせいで廃嫡になっちゃって、ちょっと別の事情で護衛の子たちはいるんですけど、あの子たちも忙しいし、時間を奪っちゃうのも悪いから、手紙だけ置いて出てきちゃいました、教えてないので、この村にいるのは分からないと思います」
エトワという少女は即、バーグたちが獲物として狙いを定める条件を、思い切って二つもぶち抜いていったのだった。ネザは内心涙目になる。
(どうしよう……どうしよう……この子どうしたらいいの……? っていうか、いくらなんでも無防備すぎない? 貴族の血縁者なんだから少しは警戒しようよ)
少女を心配していたネザも、あんまりな展開に少し毒づいてしまった。
「そうだったのですか。ところで、フレンリアの花は見つかりましたか?」
「いや~、それがなかなか見つからなくて」
一方のバーグは上機嫌になり、少女のコップに水を注いでいく。
「そうですか、珍しいものですからね。どうぞこの村に滞在してゆっくり探していってください」
「はい、ありがとうございます」
(あとはもう、バーグが狙うような大金やお宝とか持ってないことを祈るしかない……)
まだ希望はあった。廃嫡されたということは、金品はそんなに持ってないのかもしれない。
「ネザさん、顔色が悪いけど大丈夫ですか?」
胃がきりきりと痛くなってきたネザに、エトワはのんきな声で尋ねてくる。
「はは、すみません。ネザは人見知りする性格でしてね。久しぶりにお客さんが来て緊張しているのでしょう」
顔色が悪くなってしまったネザをバーグがフォローする。ネザにとっては、フォローされてもまったく嬉しくはなかったが。ただここで自分たちの正体がばれたら、殺されるのは確実に少女のほうだ。ネザは不本意ながらも、バレないように演技を続けなければならなかった。
「そうなんですか~、私のせいですみません」
「いえ……大丈夫です……こちらこそごめんなさい……」
ネザはエトワにこれ以上不審がられないように、気を張って時間を過ごした。
「それじゃあ、行ってきます~!」
二日目も少女は森の中に花を探しにいった。山賊たちは彼女のいなくなった村で企みを進める。
「おい、あのガキの荷物を見て、金目のものがあるかチェックしてこい」
山賊団の下っ端の男にそう言われた。人の荷物を漁るのは嫌だけど、ネザにとってはありがたいことだった。高価なものを見つけても、何もなかったと嘘をつこうと決めていた。
「いや、お前も行け」
「へ……?」
「ネザと一緒に行け」
しかし、すぐさまバーグが命令する。見透かされてる、とネザは感じた。
下っ端の男と一緒に、エトワが滞在している家に入る。
簡素な部屋の中に、大きめのバッグがひとつだけ置いてあった。
祈るようにネザはバッグを開いた。背後には下っ端の山賊が立ち、彼女を監視している。
結論から言うと、バッグの中にあったのは着替えや薬箱などの旅用品だけだった。ネザはホッとする。結果をバーグに報告すると、彼は顎に手を当てて考えはじめた。
「貴重品は持ち歩いてやがるのかもしれないな。今日の夕飯の席で探りをいれてくか」
まだ安心できる状況ではなさそうだった。こちらに探るように指示されるかと思ったがそれはなかった。信用されてないのだろう。ネザは子供たちのいる所に戻ろうと、バーグたちに背を向けた。
出口の前で、下っ端の山賊が愚痴を呟くのが聞こえる。
「ちくしょう。まどろっこしいな。なんでこんなにこそこそしなくちゃいけないんだよ」
「仕方ねぇだろ。あんな化け物に目をつけられちゃ……」
化け物……?
ネザからすると、バーグとその取り巻き二人こそ化け物に見える。なのにそんな三人を抱える山賊団たちの男が化け物と評する存在がこの世にはいるというのだろうか。
「まさか十三騎士が出てくるなんて……」
「さすがに派手に暴れすぎたってお頭も言ってたよ。それもあと少しの辛抱だ。これだけ潜伏してりゃ、さすがのあいつも諦めるだろうってよ」
そんな会話にバーグが割って入ってくる。
「その通りだ」
「お頭!?」
「あと一ヶ月潜伏すりゃ、あいつも諦めるだろう。その隙に国外に脱出すりゃ、俺たちの天下だ。新天地では酒も暴力もやりたい放題だぜ。それまでの間、俺たちが優雅な生活を送れるよう、あのアホそうなガキからちゃ~んと金品を剥ぎ取っとかねぇとな」
「へへへ、さすがお頭!」
聞いていて気分が悪くなる企みだった。
暗い顔をしてネザは子供たちと暮らす住居に戻ってくる。台所に立ち、子供たちとそれから用意したくはないが山賊たちの食事を作り始めた。すると、カールがとことこと寄ってきた。
カールはネザに何かを差し出す。
それは真っ白な花だった。この森ではどこでも取れる珍しくない花。しかし白い色になると、一気に希少性が増す。純白のフレンリア。
「カール!?」
驚いて目を見開くと、カールは舌ったらずな喋り方で言った。
「ネザ、元気ないみたいだから、お花摘んできた。これあげる。きれいでしょ?」
ネザは思った。これをあの子に渡せば、すぐにでも村を去ってくれるかもしれない。
胸に希望が湧いてくる。しかし、すぐにそちらのほうが危険だと思い直す。バーグは今獲物を見定めてる途中だ。そんなときに少女が村を去ろうとすれば、強引に襲いかかるかもしれない。
結局、いつも心に残るのは絶望だ。両親が死んだときも、故郷の村の人たちがよそよそしくなっていったときも、引き取ってくれる人がいるというこの村に来てからだって……。
「……元気でなかった?」
「ううん、元気でたよ。ありがとう、カール」
ネザは笑みを作った。子供たちは事情がわからなくても励ましてくれているのだ。まだ諦めない。なんとかあの少女をこの村から脱出させるのだ。そのとき、この花を託せればいい……。
その日の夕飯の席を、少女とネザは無事に乗りきった。少女から怪しまれずに金品の情報を引き出すことに、バーグのほうも慎重になりすぎたのかもしれない。
しかし、絶望は次の日の朝にやってきた。
その日、前日よりラフな格好になった少女の襟首に、目を奪われる輝きを放つ金属の鎖が見えた。とても高価そうなネックレスだ。
見送りという名の品定めに来ていた山賊たちの目も、その輝きに引き寄せられていく。
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(ダメ……!)
ネザは心の中でそう叫んだのに、少女は胸元からあっさりとネックレスを取り出す。
それは見事な金属の装飾がなされていて、中心には美しい無色透明の宝石が輝いていた。
「我が家の家宝で、もとは特別な魔力を持ったアイテムだったんです。今は私のせいで力を失っちゃってて。ずっと引き出しに入れっぱなしはかわいそうだから、たまにつけてるんです」
バーグたちの目の色が変わっていくのをネザは感じた。少女は価値を失ったと思い込んでいるようだが、どう見てもとてつもない価値を持つ宝物だ。平民なら、売れば一生遊んで暮らせるような。山賊たちがすぐさま少女に襲いかかり、その細い首を引きちぎり、ネックレスを奪う、そんな光景を想像してしまい、ネザは震えた。
しかし、バーグたちはぎりぎり理性を保ったようだった。
「夜、寝込みを襲うぞ。魔法を使えないっていうのは嘘かもしれねぇからな」
ただ、それも少女の寿命がわずか一昼夜ほど延びたにすぎなかった。
エトワのいなくなった村で、山賊の男たちは嬉々として、彼女を襲う準備をはじめる。
刃渡りの大きなナイフ、乾いた血のついた斧、この国の兵士から奪ったであろう剣。子供一人を相手にするには大袈裟すぎる装備。数ヶ月暴れられなかった鬱憤を晴らそうとしているようだ。
バーグと側近の二人は手ぶらのままだった。彼らにはそんな武器より恐ろしい魔法がある。
バーグが恐ろしい笑みを浮かべながら、ネザのほうを向いた。
「ネザ、お前は家にいろ。分かってると思うが、余計なことはするんじゃないぞ。あの貴族のガキの代わりに、お前の大事な家族がこいつらの手にかかるところは見たくないだろ」
ネザは俯いて、子供たちのいる家へと戻った。
家には名前も知らない女神の像があった。教会の人間が村の人たちに配ったのだろう。
(ああ……神様、どうかあの子を助けてください……)
ネザはギュッと目を瞑り、その像に祈った。けど、こんなの気休めだ。こんなことで助かるなら誰も苦労はしないのだ。村が魔族に襲われて、ネザの両親が死んだときもそうだった。
「おねーちゃん大丈夫?」
テトが心配そうな表情で、ネザのことを見つめてくる。
そんなに酷い顔をしていたのだろうか、ネザは自嘲する。他人を見捨てて自分が助かろうとしているだけなのに――心配される資格などないのに。
今からでも森に行って、あの子に真実を話せば、助かるかもしれない。
でもそんなことをしたら、バーグは自分たちを許さないだろう。あの恐ろしい化け物のような男から、子供たちを連れて逃げられるイメージは湧いてこなかった。まだ幼い子供たちの顔を見る。今のネザにとって、この子たちこそが家族だった。
(無理だ。この子たちを見捨てることなんてできない……ごめんなさい、ごめんなさい!)
ネザは自分が見捨てた少女に、心の中で苦しい思いで謝罪をした。
それから長く、とても長く感じる時間が過ぎていき、日が落ちる頃に少女は帰ってきた。
あまりに遅いのでネザは夕食の準備をさせられたが、少女と顔を合わせることは許されなかった。ずっと子供たちのいる家から出ないように言われている。
村を散歩してるのか、外からはあの少女の独特の間延びした歌声が聞こえてくる。
その声を聞くたびに心が痛んだ。その痛みに耐えるように、ネザは部屋の隅で膝を抱える。
仕方のないことだ。見捨てなきゃ、殺されるのは自分たちだ。生きるためだ。
必死に心にそう言い聞かせる。
そんなネザの耳に、古ぼけた扉が開く音が聞こえた。顔をあげるとリンがいた。ネザの今の家族の一人でテトと同い年の女の子だ。あのエトワという少女も同じぐらいの歳かもしれない。
「おねーちゃん大丈夫?」
心配そうな顔で尋ねるリンに、ネザは辛そうにしながらも無理やり笑みを作る。
「うん……ごめんね……少し休んだら仕事するから……」
「ううん、きぶんが悪いなら今日は休んでて。洗い物は私たちがやるから」
まだ幼いリンの優しさが嬉しくて、そして辛かった。顔を伏せ、泣き顔を見られまいとしたネザに、リンの立ち去る足音が聞こえた。しかし、その音は途中で止まる。
「ネザおねーちゃん、私たちのために無理してない?」
再び聞こえたリンの言葉に、はっと顔を上げる。
そこには自分と同じように辛そうなリンの顔があった。
「私たちがいるから、ネザおねーちゃん、あいつらの言うこと聞いてるんでしょ。いつも辛そうな顔してる。ネザおねーちゃんがつらいなら、私たちもつらいよ」
リンはネザをまっすぐ見て続ける。
「私たちだって……まだ子供だけど、ちょっと大人になったよ。食器洗いだって掃除だってできるようになった。だから、おねーちゃんが本当に辛いなら、私たちをたよって……!」
その言葉にネザは自分の本心に気づいた。
(助けたい……見捨てたくない……)
魔族や山賊や、理不尽な暴力から犠牲になる子を……。自分たちと同じように、そのせいで何かを失ってしまう子を……。今日、不幸な目に遭おうとしているあの子のことも……。
ネザは立ち上がった。
「リン、ごめん。テトとカールを呼んできて!」
「うん!」
リンが部屋を小走りに出ていって、しばらくしてテトとカールがやってくる。
「どうしたのおねえちゃん」
首を傾げるカール、何かを察したのか緊張した表情のテト、ネザの思いが乗り移ったような強い決心の表情をしたリン。そんな三人をネザは抱きしめた。
「今から三人で森の中に隠れて! あいつらに見つからないように! 必ず迎えにいくから!」
「……うん、分かった!」
ネザの言葉に、すぐに三人は真剣な表情になって頷いた。
三人が夜の森に入っていくのを見送ったあと、ネザも家を出る。あの子に伝えるのだ。この村は恐ろしい山賊たちに支配されてることを。今夜、その山賊たちが襲撃に来ることを。
山賊たちの目につかないルートをネザは走る。
その瞳に、あの少女の滞在する家が映った。
(もうすぐ!)
そう思った瞬間、誰かがネザの腕を掴む。そのままネザは地面に引き倒された。
叩きつけられた背中に痛みが走る。
顔を上げると、山賊の一人が自分の腕を掴んでいた。そのもう片方の腕には、ギラリと光るナイフが握られている。
「お~い、こんな夕暮れにどういうつもりなんだ、ネザ。女の子の夜歩きは危ないぞぉ」
その頭上からずっと恐怖を感じてきた男の声がかかった。
山賊団の首領、バーグの声。
(何か……何か言わなきゃ……)
なんとか誤魔化そうと口を開きかけたが、それより先にバーグの声が制する。
「下手な言い訳は聞きたくねぇなぁ。今の俺は裏切られて傷心だからよ。半年間一緒にうまくやってきた仲間じゃねぇか。なんで急に俺たちを裏切ったんだよ」
ふざけるな、そう言いたかった。仲間なんかじゃない、脅されて従わされていただけだ。
バーグの部下がにやついた表情で言う。
「お頭、もういいでしょう。綺麗な顔してるから無傷で囲っておいて、国外に脱出したあとに奴隷商に売っ払って、資金にしようって話でしたけど、もう俺たちには大金が入ってくるんだ、必要ねぇ。殴って言うこと聞かせちまったほうが楽になりますぜ」
「そうそう、ついでに役立たずのガキは片づけしちゃいましょうよ」
その言葉に震えた。もともと自分たちを無事に見逃すつもりなどなかったのだ、この男たちは。そんなこと、少し考えれば分かることだとみんな言うかもしれない。でも、ネザたちはその希望にすがるしかなかったのだ……。
バーグは顎髭を撫で、ネザたちのことなど虫けらとも思ってない表情で言う。
「うーん、確かにまとまった金が入るとなると、こいつらの相手をするのも面倒になってきたなぁ。こいつには対外交渉役にもう少し生きてて欲しいが、他のガキは死んでも構わねぇなぁ」
絶望と悲しみと怒りがこみ上げてきて、ネザの目じりに涙が溜まる。でもネザは無力だった。片腕ひとつで男に掴まれ、身動きすらできない。そんなネザが唯一できる抵抗が、言葉だった。
「天罰が……下るわよ……」
「あんっ?」
山賊たちが訝しげな表情をした。
「こんなことしてたら……いつかあんたたち天罰が下るわよ……。絶対によくない目に遭う……」
なんでこんな言葉がでてきたのかは分からない。もしかしたらこの村で、ずっと教会のそばで暮らしていたせいで、少しぐらい信仰心が身についたのかもしれない。
神様なんて……そんなの信じてないのに、ネザにはもうそれぐらいしか頼るものがなかった。
「ぎゃははははは! 何言ってんだこいつ!?」
「おいおい、気でも狂っちまったか?」
ネザの必死に搾り出した言葉も、山賊たちを笑わせただけだった。
これまで悪行ばかり犯してきた山賊たちが神を信じているわけがなかった。ただバーグだけは、少し興味を惹かれたようにネザを見て言った。
「おめぇさぁ、神を信じてるのか? 世の中には神様がいて悪い奴には罰を下すとかいう話を」
分からない。むしろネザの人生経験からすれば、そんなものはいなかった。
村が魔族に襲われたときだって、山賊に捕まったこの数ヶ月だって神様は助けてくれなかった。でもいて欲しいとこれほど思ったことはない。そしてすぐにでも、この恐ろしい山賊たちを打ち倒し、あの少女と自分たちを救ってくれたなら――
バーグは笑みを浮かべ、ネザに言った。
「そんなものどこにもいねぇさ。なんで人間が法律やルールを作って、悪人を取り締まったりすると思う。神様がやってくれねぇからさ。もし神様がいて、天罰とやらで悪い奴を勝手に捌いてくれるなら、そんなもの必要ねぇだろ? ただボケッと突っ立って、いいことだけしてりゃ、勝手に悪人だけが死んでくれるだ。でも現実はそうはならねぇ。だからめんどくせー連中が、せせこましく法律やらルールを作って取り締まろうとしやがる。本当にめんどうな連中だぜ。結局やってることは俺たちと変わらねぇ、力に任せて自分たちの都合を押し付けてるだけじゃねぇか」
バーグは世界に演説するように手を広げて言う。
「分かるか? 世の中ってのは理不尽なもんなんだ。俺のように力があればどうにでもなる。逆にお前みたいな無力な奴はどうにもなんねぇ。お前らを救ってくれる存在なんていねぇのよ」
何も言い返せなかった。現実を教えるように、ネザは地面に押しつけられて何もできない。
「よーし、あのガキを殺しに行くぞ。お前たちはネザを痛めつけてやれ、まだ死なない程度にな」
「ま、まって……!」
ネザはもがいた。エトワを襲いに行くバーグを止めようと。でも、ふりほどけない。暴れるたびに、手に痛みが走るばかりだった。結局、諦めても諦めてなくても何もできない。しかし――
「ぐあっ!?」
いきなり腕の拘束がゆるんだ。誰かの小柄な体が、ふわっとネザを抱きしめて、立ち上がらせてくれる。ネザが驚き、振り返ると、腕を切られた山賊の男がうずくまっていた。
「うぁぁぁっ、腕が……腕が!?」
呆然とそれを見ているネザに、自分を抱きとめてる人から声がかかる。
「あのー……、結構ぐろいからあんまり見ないほうがいいかとー」
独特のイントネーションの間延びした声。
月明かりに反射する金色の髪。
自分を立ち上がらせてくれたその存在を、ネザはようやく認識した。それは自分が守りたかったあの少女、エトワだった。
(たぶん……)
ちょっと不安になったのは、あの覇気のない糸のような目が今は開かれてるからだった。そこから、灰色の綺麗な右目と赤く発光している異形の左眼が、ネザのことを見つめてる。
「あ、あなたは……」
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しかし、自身をただのしがない無名の三流冒険者だと思っているバーツは、そんな指導力はないと語る――が、そう思っているのは本人のみで、実はバーツはテイマーとしてだけでなく、【育成者】としてもとんでもない資質を持っていた。
バーツはノエリ―に押し切られる形で王都へと出向くことになるのだが、そこで立派に成長した弟子たちと再会。さらに、かつてテイムしていたが、諸事情で契約を解除した魔獣たちも、いつかバーツに再会することを夢見て自主的に鍛錬を続けており、気がつけばSランクを越える神獣へと進化していて――
こうして、無名のテイマー・バーツは慕ってくれる可愛い弟子や懐いている神獣たちとともにさまざまな国家絡みのトラブルを解決していき、気づけば国家の重要ポストの候補にまで名を連ねるが、当人は「勘弁してくれ」と困惑気味。そんなバーツは今日も王都のはずれにある運河のほとりに建てられた小屋を拠点に畑をしたり釣りをしたり、今日ものんびり暮らしつつ、弟子たちからの依頼をこなすのだった。
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