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白く綺麗な花が咲く森の中の花畑。
そこに花びらが舞う。
幻想的な景色と裏腹に、ダリアの顔は真っ青だった。
「はぁはぁはぁっ……」
荒い息を吐きながら腕の中の少女を抱きしめる。
花畑に向かって走っていたとき、あの子を見つけて喜んだのもつかの間、その側にローブで顔を隠した男が立っていることに気づいた。
ダリアは不審がった。だって、ここらは国王から許可を得た貴族の別荘と、もともと現地に住んでいた小規模の村しかいない。それぞれもかなり遠く離れている。
それを公爵家の別荘の近くで人に会う、その時点で珍しいのに、男はローブを脱ぎ捨て何事か叫ぶと、いきなりあの子にその腕を振り下ろしたのだ。
咄嗟に水の鞭をだして、あの子を引き寄せた。
引き寄せた子をぎゅっと抱きしめながら、そう心の中で叫んだ。
(なっ、なんなのよ……いったいなんだっていうのよっ……!)
振り下ろされた腕は黒いオーラを放ち、地面に鋭角の穴を穿つ。男の行動は明らかに冗談などではなかった。
心臓がバクバクと鳴る。ダリアは荒事など経験したことない箱入り娘だった。授業だってアンデューラがあったけど、真面目にやったことはない。戦いは取り巻きたちに任せて、適当にやり過ごし、主にクロスウェルの応援ばかり熱心にしていた。
ゆらりと男がこちらを向く。
(魔族……!? なんでこんなところにっ……)
遠目から見ていたせいでわからなかったが、それは漆黒の毛並みを持つ人狼だった。
魔族の中でも有名な存在であり、その魔力の高さと身体能力の高さから、一級の危険な魔物として扱われている。
「なんだっ……お前は……」
人狼がその尖った口から、そう言った。
(それはこっちのセリフよ……!)
そう思いながら、口が震えてでてこない。
「死ね……」
「ひっ!」
そして答えるまでもなく、魔物は攻撃しかけてきた。
飛んでくる闇の矢を、水の壁を張って防ぐ。
あらゆる衝撃を吸収し受け止める丸い水の壁は、しなやかで強固で、この国でも有数の防御魔法と言われている。アンデューラなんてやりたくなかったダリアは、この魔法ばかり練習していた。しかし、ダリアの張ったそれは、人狼のただの一撃で吹っ飛んだ。
力の差は歴然だった。
(どうしよう……どうしたら……)
胸に少女を抱くダリアの体がガタガタと震える。
「あーう?」
腕の中で少女が首を傾げた。
(この子はもう……! いつものんき過ぎるのよ!)
少しイラっとしながらも元気がでた。なんとか逃げる方法を見つけなければならない。水の魔法使いは移動力に優れない。でも、移動手段はある。
呼び出した水を蛇のように変化させて、ダリアはその上に乗る。
別に魔族に勝つ必要はない、二人で逃げ切ればいいのだ。
しかし、ダリアがそれに乗って逃げようとした先に、狼の姿が現れた。狼は爪を振り下ろす。
「きゃあっ!」
ダリアは慌ててその攻撃を避けた。というより、驚いて魔法の制御を失ったせいで、たまたま避けられたといったほうがいいかもしれない。
魔族は魔法など使わずに、人間よりも強く速く動くことができる。実を言うと、人間の魔法使いも鍛えれば常人より身体能力が上がりやすい傾向があるが、魔族の場合、それよりさらに高いケースが多い。魔族と戦う時に厄介な点のひとつだ。
だから魔族との戦闘を生業としようとする魔法使いは、体も出来る限り鍛えておこうとするのである。
当然、貴婦人となって左うちわで楽々生活を目標としていたダリアが鍛えているはずがない。ダリアの息は、先ほどの攻防ですでに上がっていた。
逃げ切れないと思い知らされたダリアは、また水の膜を張って防御に徹するしかない。それは撃つ手がもうないということでもあった。
しかし、人狼の方もダリアの防御を破れずにいた。
その原因は……人狼は何度も張り直される水の膜に攻撃を繰り返しながら、グルル……と苛立たしげに喉を鳴らした。
「くそっ……力をうまく操れん……。この傷がなければ……フェルーンにもあのニンゲンにも舐められることなどないのに……」
イライラした様子の人狼が先ほどより威力の増した攻撃をダリアに放つ。
その攻撃は狙いを逸れて、ダリアの水の膜を掠めていった。だが、それだけでダリアの張った水の膜が破れかける。もしこれが直撃したら……ダリアの背筋が冷たくなる。
人狼とダリアの攻防はそれからも続いた。戦い慣れしていないダリアは防御することしかできないのだが……。それも幸いだったかもしれない。下手に攻撃に転じようとすれば、防御が疎かになってもっと早くにやられてたかもしれないから。
ただこのままでは、どうせ魔力が切れていずれやられる運命だった。この水の膜の中で二人で死を待つだけ……。
そんな状況で、ダリアの胸に浮かぶのは後悔だった。
もっと……学生時代、戦う訓練をしておけばよかった……。魔法だってもっとちゃんと練習しておけばよかった。そうしたら、この状況でもまだ何かできていたかもしれないのに……。
他にもぼろぼろといろんな後悔が浮かんでくる。
こんなことになるなら、もっと別荘にこもりっきりじゃなくていろんな場所に遊びにいけばよかった。レミニーにだって、少しぐらいなら謝ってやってもいい余地があったかもしれない。クロスウェルに旅行に誘われた時、拗ねていかなかったけど、ちゃんと行けばよかった。格好だって寝間着のままだし、髪だってセットしてない。
あたりの地面が吹き飛び、土砂やバラバラになった花が飛び散るそんな中で考えることではないのかもしれない。でも、その後悔は本当だった。
絶望しかない状況。それでも、少女を抱え必死に粘るダリアに、人狼の攻撃が止まった。
「ニンゲンの女……お前はそいつのなんだ……?」
その表情にはわずかに疲労が見えていた。そのせいか、少し冷静になったようにも見える。
「そいつはお前の娘か……? それとも仲間か? お前にとっての何だ……? ………・・まあなんでもいい。その子供を置いていけ……そうすればお前の命は助けてやる……」
このまま攻撃を繰り返せば、いずれ人間の女もろとも倒せるだろう。しかし、腕を失ったことで魔力のバランスが崩れている状態で、さらに感情が高ぶってしまってるせいで、魔法を使うたびに不快感が襲ってくる。さっさと決着をつけてしまいたかった。
しかも、自分の復讐の相手はどうやら戦う力を失っているようだった。だが、これ以上、戦いが継続すれば何が起こるかわからない。以前、ベリオルという魔術師を襲ったときのように横槍がはいるかもしれない。そういった焦燥もあった。
自分だけ助けてやる、そう問われたダリアの心は混乱の極致だった。
そこまでこんな魔族に言わせるなんて、この子はいったい何なのか。なんで血も繋がっていない、出会って数週間の子供を自分は命をかけて守ったりしてるのか。
何もかも、わけがわからない。
でも良かったと思った。
……だって、魔族の言葉が逆だったら、自分は従ってただろうから。この胸の中の少女の命を助けるかわりに、おのれの死を命じられたら、もしかして従っていたかもしれない、そんな予感があったのだ。魔族の言葉なんて何より信用できないのに……。
この子は自分にとって一体どういう存在か……?
そんなのダリアにだってわからない。
屋敷に迷い込んできて、好き勝手に振る舞って、苛立たされたことは数えきれない。この子が来てからは、使用人には反抗されるし、おかしなことばかり起こるし、何の義理もないのに世話だって押し付けられてしまった。
とても迷惑な存在……。
でも何故だろう、そんな存在が、一緒に過ごした時間が、とても大切に思えるのだ、今。
子供なんて嫌いだって思ってたのに、振り回されているうちに、こんな状況も悪くない、そう思っている自分がいたことに気づいた。暗い闇を抜け出せたような、微かに光のある場所にもどってこれたようなそんな感覚がした。
同時に胸の中の闇が少しずつ大きくなっていった……。今なら分かる、それは後悔だ。
客観的に見れば赤の他人、関係のない子供。
でも、理屈なんてどうでも良かった。だって心はこの子を大切に思えるのだから。なぜだかは、自分でもわからないけれど。
「この子は……」
考えてみれば後悔ばかりだ。
自分が過ごしてきた数年間、ここで死ぬなんて、そんなの納得できないことばかり……。やり残したことがたくさんあった……。
そして……やりたいことができてしまった。
「この子は…………」
ダリアの青い瞳から涙が零れる。
泣きながらダリアは叫んだ。
「この子も私の子供よ……! 絶対にあんたになんか渡さない!!」
せめてこの子だけでも助けたい……。
ううん、嘘だ。
自分も助かりたい。助かって、この子を連れて、自分が見捨てた娘のもとにもどって、クロスウェルも一緒に……、今度こそ家族として暮らしたい、やり直したい。
もう遅すぎるのかもしれないけど――もう何年も時間が経ってしまった、ここから助かるすべも思いつかないけど、都合がよすぎるかもしれないけれど、やり直したい、本心からそう思った……。
「そうかならば死ね」
魔族が再び攻撃を再開する。
さきほどから完全に防御できてなかった攻撃。制御が不安定で狙いが逸れていたからこそなんとか防げていた。その攻撃の照準がこちらにかちりと合った気がした。
(だめだっ……)
防御しきれない予感がする。ダリアはぎゅっと体を固くして、腕の中の少女を庇うように背中をむけた。全魔力を注ぎ込んだ水の壁が防御してくれることにかけて。
魔族にとっても快心の魔法だったらしい、勝利を確信しその顔に笑みが浮かぶ。
ダリアと少女に終わりをもたらす魔法が放たれるまでの一瞬、小さな手がダリアの涙を拭った。ダリアが下を向くと、灰色の瞳が自分を見つめていた。
以前、一度だけ見たことのある、クロスウェルとまったく同じ色の瞳。
その右目に赤い光が灯る。少女の右手から光の粒子が漏れ出し、集合し一振りの剣となった。
「その子供もろとも死ね……! 愚かなニンゲン……!!」
人狼が禍々しい暗黒の槍を放つ。
それを見てダリアの腕の中から、少女がするっと抜け出した。
「おかーさんを……」
少女は雷神のような速さで剣を横なぎに振る予備動作をする。
「いじめるなっ……」
次の瞬間、強烈な閃光のような斬撃が放たれ、人狼の放った魔法ごとその体を吹き飛ばした。
***
ダリアは呆然とその光景を見ていた。
絶体絶命と思われた次の瞬間、自分の腕の中から抜け出した少女が、魔族を倒してしまった。
片目だけ赤く輝く瞳に、金色の剣。それは以前、夜の部屋で見たはずの目を開いた姿とも違ってた。
少女はその姿のまま、すっと目を閉じた。その体から力が失われる。
ダリアは慌てて走って、その体が地面にたおれないように抱きとめた。
「大丈夫っ……!?」
心配そうに声をかける。
すると、再び少女の目が開いた。灰色の瞳がまたダリアを覗く。ただ今度は赤く光ったりすることはなかった。
呆然とするダリアの顔を見て、少女は微笑むと口を開いた。
「ありがとう、おかーさん。おかーさんのおかげで『この子』も助かったよ」
ダリアは直感的に分かった。今、目の前で話してる子供は、今まで過ごしていたあの子とは別の存在だということに……。
今いるのはたぶん、ダリアが夜の屋敷で一度だけ見たことがあるあの子だ。
そして見たのはその一度きりだけど、ずっと一緒にいてくれたことがようやく分かった。子供の世話になれないダリアだったけど、時々、誰かが助けてくれてる気配がした。きっとこの子が傍でそれとなく助けてくれていたのだ……。
「あ、あなたは……?」
そう問いかけるダリアに、少女は胸に手を当てるしぐさをする。
「この子の名前はね、エトワっていうの。あなたとクロスウェルさまの間に生まれた娘よ」
それを聞いても、不思議とダリアは驚かなかった。予想していたわけではなかったのに、聞いて仕舞えば腑に落ちてしまうような、そんな答え。
「この子はね、ある人の魔法で心を壊されてしまったの。私はそれを修復しようとした……。この2週間、私の力と自然の治癒力でそれは成功したわ……。でも、成功してもこの子の心が再び動き出すことはなかった……」
少女は俯いて少し悲しげな表情を、その灰色の瞳に浮かべる。
「たぶん、悩んでたんだと思う……。この世界に生まれて、歓迎されなかったことについて……。いつも明るく振舞って、本人も気づかないようにしてたのかもしれない……。けれど、この子の心の底にはずっとあった、自分はこの世界に生まれてきて本当にいい存在だったのか……そんな疑問が……。このまま眠りについた方が、みんな幸せになれるかもしれない、そんな想いが……」
少女はダリアに笑顔を向けた。
「でもね、おかーさんが愛してくれたから、この子はまた歩き出せた。復活できたの。ありがとう、おかーさん!」
ダリアは何も言えなかった。
いきなり目の前に現れた、ううん、ずっと一緒にそばにいた娘に、なんて言葉をかければいいのだろう、思いつかない。
黙っているうちに、時間が過ぎていった。
少女が何かに気づいたように背後を振り返って、少し険しい表情をした。
「おかーさん、私たちそろそろ行かなくちゃ。あの子と……決着をつけないと……!」
そう言うと花畑から浮かび上がり、川の上流方向に飛んで行こうとする。
「ま、待って!!」
その少女をダリアは呼び止めた。
少女は少し驚いた様子で振り返る。
「どうしたの……? おかーさん」
「あなたの……あなたの名前を教えて!」
ダリアは少女にそう尋ねた。
「……? この子はエトワって……」
「そうじゃなくて、『あなた』の名前も……知りたいの……!」
その言葉の意味を理解して、少女は最初は驚いた様子で目を丸くすると、くすりと微笑んだ。
そして飛び去りながらダリアに答える。
「ふふっ、私はね、エトワちゃんからこう呼ばれてるわ。アップルぺ――」
名前の最後の方は、風の音にかき消されてうまく聞こえなかった。
「エトワ……アップルぺ……」
遠くに消えていくその背中を見つめながら、ダリアは二つの名前を確認するように呟いた。
※あと一話です……。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
※追記
すみません、誤解を与えてしまいました。
この章があと一話で終わりで、お話はまだ続きます。次章はソフィアちゃんと冒険者ごっこ?
まだまだ続けていくためになんとしてでも更新ペースをあげなければいけませんね。がんばります。
そこに花びらが舞う。
幻想的な景色と裏腹に、ダリアの顔は真っ青だった。
「はぁはぁはぁっ……」
荒い息を吐きながら腕の中の少女を抱きしめる。
花畑に向かって走っていたとき、あの子を見つけて喜んだのもつかの間、その側にローブで顔を隠した男が立っていることに気づいた。
ダリアは不審がった。だって、ここらは国王から許可を得た貴族の別荘と、もともと現地に住んでいた小規模の村しかいない。それぞれもかなり遠く離れている。
それを公爵家の別荘の近くで人に会う、その時点で珍しいのに、男はローブを脱ぎ捨て何事か叫ぶと、いきなりあの子にその腕を振り下ろしたのだ。
咄嗟に水の鞭をだして、あの子を引き寄せた。
引き寄せた子をぎゅっと抱きしめながら、そう心の中で叫んだ。
(なっ、なんなのよ……いったいなんだっていうのよっ……!)
振り下ろされた腕は黒いオーラを放ち、地面に鋭角の穴を穿つ。男の行動は明らかに冗談などではなかった。
心臓がバクバクと鳴る。ダリアは荒事など経験したことない箱入り娘だった。授業だってアンデューラがあったけど、真面目にやったことはない。戦いは取り巻きたちに任せて、適当にやり過ごし、主にクロスウェルの応援ばかり熱心にしていた。
ゆらりと男がこちらを向く。
(魔族……!? なんでこんなところにっ……)
遠目から見ていたせいでわからなかったが、それは漆黒の毛並みを持つ人狼だった。
魔族の中でも有名な存在であり、その魔力の高さと身体能力の高さから、一級の危険な魔物として扱われている。
「なんだっ……お前は……」
人狼がその尖った口から、そう言った。
(それはこっちのセリフよ……!)
そう思いながら、口が震えてでてこない。
「死ね……」
「ひっ!」
そして答えるまでもなく、魔物は攻撃しかけてきた。
飛んでくる闇の矢を、水の壁を張って防ぐ。
あらゆる衝撃を吸収し受け止める丸い水の壁は、しなやかで強固で、この国でも有数の防御魔法と言われている。アンデューラなんてやりたくなかったダリアは、この魔法ばかり練習していた。しかし、ダリアの張ったそれは、人狼のただの一撃で吹っ飛んだ。
力の差は歴然だった。
(どうしよう……どうしたら……)
胸に少女を抱くダリアの体がガタガタと震える。
「あーう?」
腕の中で少女が首を傾げた。
(この子はもう……! いつものんき過ぎるのよ!)
少しイラっとしながらも元気がでた。なんとか逃げる方法を見つけなければならない。水の魔法使いは移動力に優れない。でも、移動手段はある。
呼び出した水を蛇のように変化させて、ダリアはその上に乗る。
別に魔族に勝つ必要はない、二人で逃げ切ればいいのだ。
しかし、ダリアがそれに乗って逃げようとした先に、狼の姿が現れた。狼は爪を振り下ろす。
「きゃあっ!」
ダリアは慌ててその攻撃を避けた。というより、驚いて魔法の制御を失ったせいで、たまたま避けられたといったほうがいいかもしれない。
魔族は魔法など使わずに、人間よりも強く速く動くことができる。実を言うと、人間の魔法使いも鍛えれば常人より身体能力が上がりやすい傾向があるが、魔族の場合、それよりさらに高いケースが多い。魔族と戦う時に厄介な点のひとつだ。
だから魔族との戦闘を生業としようとする魔法使いは、体も出来る限り鍛えておこうとするのである。
当然、貴婦人となって左うちわで楽々生活を目標としていたダリアが鍛えているはずがない。ダリアの息は、先ほどの攻防ですでに上がっていた。
逃げ切れないと思い知らされたダリアは、また水の膜を張って防御に徹するしかない。それは撃つ手がもうないということでもあった。
しかし、人狼の方もダリアの防御を破れずにいた。
その原因は……人狼は何度も張り直される水の膜に攻撃を繰り返しながら、グルル……と苛立たしげに喉を鳴らした。
「くそっ……力をうまく操れん……。この傷がなければ……フェルーンにもあのニンゲンにも舐められることなどないのに……」
イライラした様子の人狼が先ほどより威力の増した攻撃をダリアに放つ。
その攻撃は狙いを逸れて、ダリアの水の膜を掠めていった。だが、それだけでダリアの張った水の膜が破れかける。もしこれが直撃したら……ダリアの背筋が冷たくなる。
人狼とダリアの攻防はそれからも続いた。戦い慣れしていないダリアは防御することしかできないのだが……。それも幸いだったかもしれない。下手に攻撃に転じようとすれば、防御が疎かになってもっと早くにやられてたかもしれないから。
ただこのままでは、どうせ魔力が切れていずれやられる運命だった。この水の膜の中で二人で死を待つだけ……。
そんな状況で、ダリアの胸に浮かぶのは後悔だった。
もっと……学生時代、戦う訓練をしておけばよかった……。魔法だってもっとちゃんと練習しておけばよかった。そうしたら、この状況でもまだ何かできていたかもしれないのに……。
他にもぼろぼろといろんな後悔が浮かんでくる。
こんなことになるなら、もっと別荘にこもりっきりじゃなくていろんな場所に遊びにいけばよかった。レミニーにだって、少しぐらいなら謝ってやってもいい余地があったかもしれない。クロスウェルに旅行に誘われた時、拗ねていかなかったけど、ちゃんと行けばよかった。格好だって寝間着のままだし、髪だってセットしてない。
あたりの地面が吹き飛び、土砂やバラバラになった花が飛び散るそんな中で考えることではないのかもしれない。でも、その後悔は本当だった。
絶望しかない状況。それでも、少女を抱え必死に粘るダリアに、人狼の攻撃が止まった。
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その表情にはわずかに疲労が見えていた。そのせいか、少し冷静になったようにも見える。
「そいつはお前の娘か……? それとも仲間か? お前にとっての何だ……? ………・・まあなんでもいい。その子供を置いていけ……そうすればお前の命は助けてやる……」
このまま攻撃を繰り返せば、いずれ人間の女もろとも倒せるだろう。しかし、腕を失ったことで魔力のバランスが崩れている状態で、さらに感情が高ぶってしまってるせいで、魔法を使うたびに不快感が襲ってくる。さっさと決着をつけてしまいたかった。
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そこまでこんな魔族に言わせるなんて、この子はいったい何なのか。なんで血も繋がっていない、出会って数週間の子供を自分は命をかけて守ったりしてるのか。
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……だって、魔族の言葉が逆だったら、自分は従ってただろうから。この胸の中の少女の命を助けるかわりに、おのれの死を命じられたら、もしかして従っていたかもしれない、そんな予感があったのだ。魔族の言葉なんて何より信用できないのに……。
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客観的に見れば赤の他人、関係のない子供。
でも、理屈なんてどうでも良かった。だって心はこの子を大切に思えるのだから。なぜだかは、自分でもわからないけれど。
「この子は……」
考えてみれば後悔ばかりだ。
自分が過ごしてきた数年間、ここで死ぬなんて、そんなの納得できないことばかり……。やり残したことがたくさんあった……。
そして……やりたいことができてしまった。
「この子は…………」
ダリアの青い瞳から涙が零れる。
泣きながらダリアは叫んだ。
「この子も私の子供よ……! 絶対にあんたになんか渡さない!!」
せめてこの子だけでも助けたい……。
ううん、嘘だ。
自分も助かりたい。助かって、この子を連れて、自分が見捨てた娘のもとにもどって、クロスウェルも一緒に……、今度こそ家族として暮らしたい、やり直したい。
もう遅すぎるのかもしれないけど――もう何年も時間が経ってしまった、ここから助かるすべも思いつかないけど、都合がよすぎるかもしれないけれど、やり直したい、本心からそう思った……。
「そうかならば死ね」
魔族が再び攻撃を再開する。
さきほどから完全に防御できてなかった攻撃。制御が不安定で狙いが逸れていたからこそなんとか防げていた。その攻撃の照準がこちらにかちりと合った気がした。
(だめだっ……)
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魔族にとっても快心の魔法だったらしい、勝利を確信しその顔に笑みが浮かぶ。
ダリアと少女に終わりをもたらす魔法が放たれるまでの一瞬、小さな手がダリアの涙を拭った。ダリアが下を向くと、灰色の瞳が自分を見つめていた。
以前、一度だけ見たことのある、クロスウェルとまったく同じ色の瞳。
その右目に赤い光が灯る。少女の右手から光の粒子が漏れ出し、集合し一振りの剣となった。
「その子供もろとも死ね……! 愚かなニンゲン……!!」
人狼が禍々しい暗黒の槍を放つ。
それを見てダリアの腕の中から、少女がするっと抜け出した。
「おかーさんを……」
少女は雷神のような速さで剣を横なぎに振る予備動作をする。
「いじめるなっ……」
次の瞬間、強烈な閃光のような斬撃が放たれ、人狼の放った魔法ごとその体を吹き飛ばした。
***
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ダリアは慌てて走って、その体が地面にたおれないように抱きとめた。
「大丈夫っ……!?」
心配そうに声をかける。
すると、再び少女の目が開いた。灰色の瞳がまたダリアを覗く。ただ今度は赤く光ったりすることはなかった。
呆然とするダリアの顔を見て、少女は微笑むと口を開いた。
「ありがとう、おかーさん。おかーさんのおかげで『この子』も助かったよ」
ダリアは直感的に分かった。今、目の前で話してる子供は、今まで過ごしていたあの子とは別の存在だということに……。
今いるのはたぶん、ダリアが夜の屋敷で一度だけ見たことがあるあの子だ。
そして見たのはその一度きりだけど、ずっと一緒にいてくれたことがようやく分かった。子供の世話になれないダリアだったけど、時々、誰かが助けてくれてる気配がした。きっとこの子が傍でそれとなく助けてくれていたのだ……。
「あ、あなたは……?」
そう問いかけるダリアに、少女は胸に手を当てるしぐさをする。
「この子の名前はね、エトワっていうの。あなたとクロスウェルさまの間に生まれた娘よ」
それを聞いても、不思議とダリアは驚かなかった。予想していたわけではなかったのに、聞いて仕舞えば腑に落ちてしまうような、そんな答え。
「この子はね、ある人の魔法で心を壊されてしまったの。私はそれを修復しようとした……。この2週間、私の力と自然の治癒力でそれは成功したわ……。でも、成功してもこの子の心が再び動き出すことはなかった……」
少女は俯いて少し悲しげな表情を、その灰色の瞳に浮かべる。
「たぶん、悩んでたんだと思う……。この世界に生まれて、歓迎されなかったことについて……。いつも明るく振舞って、本人も気づかないようにしてたのかもしれない……。けれど、この子の心の底にはずっとあった、自分はこの世界に生まれてきて本当にいい存在だったのか……そんな疑問が……。このまま眠りについた方が、みんな幸せになれるかもしれない、そんな想いが……」
少女はダリアに笑顔を向けた。
「でもね、おかーさんが愛してくれたから、この子はまた歩き出せた。復活できたの。ありがとう、おかーさん!」
ダリアは何も言えなかった。
いきなり目の前に現れた、ううん、ずっと一緒にそばにいた娘に、なんて言葉をかければいいのだろう、思いつかない。
黙っているうちに、時間が過ぎていった。
少女が何かに気づいたように背後を振り返って、少し険しい表情をした。
「おかーさん、私たちそろそろ行かなくちゃ。あの子と……決着をつけないと……!」
そう言うと花畑から浮かび上がり、川の上流方向に飛んで行こうとする。
「ま、待って!!」
その少女をダリアは呼び止めた。
少女は少し驚いた様子で振り返る。
「どうしたの……? おかーさん」
「あなたの……あなたの名前を教えて!」
ダリアは少女にそう尋ねた。
「……? この子はエトワって……」
「そうじゃなくて、『あなた』の名前も……知りたいの……!」
その言葉の意味を理解して、少女は最初は驚いた様子で目を丸くすると、くすりと微笑んだ。
そして飛び去りながらダリアに答える。
「ふふっ、私はね、エトワちゃんからこう呼ばれてるわ。アップルぺ――」
名前の最後の方は、風の音にかき消されてうまく聞こえなかった。
「エトワ……アップルぺ……」
遠くに消えていくその背中を見つめながら、ダリアは二つの名前を確認するように呟いた。
※あと一話です……。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
※追記
すみません、誤解を与えてしまいました。
この章があと一話で終わりで、お話はまだ続きます。次章はソフィアちゃんと冒険者ごっこ?
まだまだ続けていくためになんとしてでも更新ペースをあげなければいけませんね。がんばります。
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