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228.

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 朝起きたダリアは、汗だくだった服を着替えた。
 外ではぱらぱらと雨が降って、空気がじめじめしている。

(嫌な夢……)

 悪夢の内容なんてすぐ忘れてしまうことが多いのに、今日はやけに記憶に残っていた。おかげで一度起こされた後も、寝つきが悪く、今朝の気分は最悪だ。

 台所にいって朝食の準備をしていると、タッタッタと嬉しそうな足音でエトワがやってくる。エトワはいつものように、ダリアに抱きつこうとしてくるけど、ダリアはすっと避けてしまった。

「あう?」

 いつもと違う反応に、エトワは首を傾げる。

 ダリアは横目で周囲を見渡した。誰かに見られている気がした。いや、誰かというより、夢で見た小さな女の子の陰に……。
 エトワはダリアの作った朝食を美味しそうに食べている。いつもなら、それなりに嬉しく感じるようになってきたその光景を見ても、今は胸のうちをチリチリとした焦りのような感情が支配している。

 あの黒い影が笑っている気がする。自分の行いをあざ笑っている気がする。
 実の子供には生まれたとき以来、会ったこともない癖に…・・迷い込んで来た子供で現実逃避しているのね……、そんなことを呟いている気がした。

 食事が終わり、洗濯物も洗い終え空いた時間。
 エトワが本を持ってダリアのもとにやってくる。

 いつもなら仕方ないわね……、とため息を吐きながら、微笑んで読んでやるのだが……。
 本を手に取ろうとした瞬間、誰かにくすっと笑われた気がした。

 ドンッ、そんな音がして、エトワが地面に尻餅をつく。
 ダリアは自分の伸びた手を見て、初めてエトワを突き飛ばしてしまったことに気がついた。

 びっくりした顔で見上げてくるエトワを見て、『誰か』に言い訳するかのように、真っ青な顔で叫ぶ。

「あっ……甘えないでよ! あんたは別に私の子供でもなんでもないんだから!」

 ダリアはその場から逃げるように走り出して、自分の部屋に入り、扉の鍵まで閉めた。
 胸がキリキリと痛んだ。

 何故か込み上げてくる罪悪感を誤魔化すように、自分に言い聞かせる。

(本当のこと、そう本当のことよ……別に何も嘘なんかついてないわ……! 悪いことをしてるわけでもない! あの子供は、ただ屋敷に迷い込んで、勝手に居候してるだけ。面倒を見る義理だって、甘えさせてやる義務だってないんだから!)

 あの子が来てから、振り回され通しで、ずっと思い出すことがなかった暗い感情が蘇ってきた。
 ダリアはまたベッドに戻り、膝を抱えた。

(今さら……今さらよ……)

 失格の子を生んでから、子供なんて嫌悪の対象でしかなかったのに、あの子の世話をしてこんな生活も悪くないなと思ってしまった。

 でも今さら遅いのだ……。
 子供なんて生まれて以来、一度も会ってない。クロスウェル様にだっていっぱい迷惑をかけてしまった。結婚したことを後悔しているかもしれない。そして周りからは、落伍者として嘲笑われ続ける。

 今までしていたことは現実逃避だ……何も変わらない。

 雨の音が強くなったり弱くなったりするのを聞きながら、ダリアはずっと一人でベッドに座っていた。最初は何度か扉を叩く音がしたけど、無視しているといずれ聞こえなくなった。
 雨足が強まったせいか、部屋の中が薄暗くなっていく。

 部屋の闇がおぼろげながら、小さな女の子の形を取った気がした。
 自分を見てにやにやと笑っている。

 ダリアは叫んだ。

「もうやめたわよ! あの子の面倒をみるのも! だからもう満足でしょう!? 消えてよ!!」

 なのに影は笑うのをやめず、それどころか増えていった。
 知っている大人や同級生の姿になって、ダリアのことを嘲笑する。

 ダリアが耳を塞いでも、その笑い声は届いてきた。

 ……結局、何も変わらなかった。
 自分より両親に愛される兄を羨んでいたころから。人より優れた容姿を利用してがんばっても、公爵家の嫡子を射止めても、そのまま公爵夫人になっても、また同じ場所に、いや以前より悪い場所に戻ってきてしまった。

 いろんな形を取った影たちが自分をけらけらと笑う。
 その中心にいるのは女の子の影……自分で生んだ実の娘の影だ……。

 きっと自分のことを恨んで行く。憎んでいる。
 だからこんなことをするのだ……。

(もうやめて……やめてよ……!)

 でも、それに何と思われていようとも、その影を消せたって、真実は何も変わらない。
 自分の人生は失敗したのだ……。

 公爵家の夫人になってまで失敗した女。
 ダリアはみんなに笑われ続ける。

 ずっと……ずっと……。
 これからもずっと……みんなが自分のことを笑い続ける。

 涙で濡れた頬で何もできずに自分を笑う黒い影たちから逃げるように耳を塞いでいたダリアは、ふと顔をあげて……呟いた。

「違う……」

 呆然と……。

「これはみんなじゃない……私だ……」


***


「もうだめよぉー! おしまいだわ! 何もかもおしまいよー!!」

 ダンスパーティーが終わったあと、ダリアは休憩室のテーブルに突っ伏してそう叫んでいた。
 それを苦笑いして、赤い髪の少年、スカーレット侯爵家の君が声をかける。

「気にしすぎだよ、ダリア」
「気にしすぎじゃない! 大事な日なのに! よりによってこんな失敗をするなんて……」

 小等部五年生のダンスパーティー、クロスウェル様のパートナーに選ばれて、それは人生で最良の日になるはずだった。
 なのに……よりによってその日のダリアは、スカートを後ろ前、逆に着ていたのだ。

 この日のために、王都の新気鋭のデザイナーを呼び出して作ったモノで、着方が複雑だったのもある。でも、手伝った侍女たちが間違えても、普段のダリアなら気付くはずだった。
 しかし、クロスウェルのパートナーに選ばれたダリアも緊張して気付かず、その間違いに気づいたのは、まさかパーティーの終わり際だった。
 パーティーの間中、スカートの前後をずっと間違え続けていたのだ。

「こんなの貴族として一生の恥。周りも笑ってたに決まってる!」
「気づいてない人が大半だったよ。あのスカートの形って珍しいし。何より肝心のクロスウェル様がまったく気づいてなかったんだし……」

 いくら慰めても、ダリアの嘆きは止まない。

「きっとみんな、このことを将来まで覚えているわ……。これからの人生ずっと笑い者よ……。一生このことを、陰で笑われ続けるんだわ!」
「う~~~ん」

 そんなダリアに、スカーレットの君は少し考えたあと。

「その場合、笑ってるのはみんなじゃないよ。ダリアだよ」
「へっ……?」

 言ってる言葉の意味が分からず、ダリアは呆然とスカーレットの君の顔を見た。
 そのせいで涙が止まる。

「ダリアは、今日自分と同じ失敗をしてしまった人がいたらどうする?」
「大声で笑う。それから敵対してる相手だったら、そのあと周りに言い触らす」
「…………素直なのはダリアのいいところだよね……。だからね、ダリアがそう考えるから、他の人もそうするって思うんだよ」
「違う、だって!」

 実際、貴族ならそういう小さなミスで馬鹿にされることはたくさんあるのだ。特にやっかみを受ける上位貴族ほどそういう経験は多い。

「うん、実際ダリアの考えるような考えをする人たちもいるよ。けど、そうじゃない人たちだっている。クロスウェルさまはそうでしょう? 僕もだけど。周りの反応なんて人それぞれだよ。気にしないのもおかしいけど、気にしすぎても仕方ない。それでもどうしても気になるのは、ダリアが同じように考えてるからだよ。だから、今のダリアを笑ってるのは、他の誰でもないダリア自身なんだよ?」

 それはダリアを慰めるばかりの言葉じゃなかったけど、聞いていると不思議と気が楽になった気がする。

 どうせ時間が経ってしまえば、恥ずかしい思い出も薄れて、ダリアはまた元気にクロスウェルを射止める努力を再開していただろう。
 でも、その時はその言葉のおかげで少し早く立ち直れた。

 自分を嘲笑う黒い影に囲まれる中、ダリアの中にふと、そのときの言葉が浮かんでいた。

「私を笑ってたのは……私だ……」

 当時はその言葉に気持ちを救われながらも、本心では信じていなかった。
 貴族社会に生きる人間としては、自分の考えの方が真実で。彼の言葉は、優しい彼が咄嗟にだした甘い慰めのためだけの言葉とすら思っていた気がする。

 でも、ふと理解してしまった。彼が言ったことも真実だったんだと……。
 失格の子を生んだこと、貴族としての不名誉。そのことでダリアのことを馬鹿にする人がいるのは事実だ。けど、ダリアがそのことをここまで気に病み続けてたのは、ダリア自身が名誉を求め続けていたからだ。

 子供のころからダリアは名誉だったり、人から注目されたり、周りよりも上の立場にいることを求め続けていた。それは愛する人にだってそうで、好きだと思うクロスウェルにだって、同時に彼との関係で貴族の栄誉や周りからの羨望を求める気持ちを切り離せたことはなかった……。
 名誉だって、人から羨ましがられる立場だって、今も欲しいのは変わらない。けれど、それを失ったとしても、他に何か自分が欲しいと思える別のものを探せばよかったのかもしれない。

 今さら気づく……。
 困ってる誰かを助けたり、この国を守るために強くなったり、他にも大切なものを持つ、そういう人たちの生き方を隣で見てきたのに……。ダリアは名誉以外を求めようとはしなかった……。

 ダリアはようやく気付いた……。
 周りが自分のことを笑ってるからではない、ダリアがダリアを笑っていたから黒い影たちは笑うのだ。

「これは……みんな……私だ……」

 黒い影をまっすぐ見つめると、周りの影たちが消えていく。
 ダリアを苛んでいた笑い声は鳴りやんだ。

 最後に残った小さい女の子。
 その顔を覆い隠していた影が薄れていく。

 姿をあらわした女の子はダリアの娘ではなかった。
 考えてみれば当たり前の話だった。だって、ダリアは実の娘の顔も姿も、一度も見たことがないのだから。その娘が今どうしているのかも知らないのだ。

 それは幼いころのダリアの姿だった。
 あの頃、鏡の前で身づくろいしながら、絶対幸せになってやると誓っていたころの姿のまま。

 違うのは、あの頃のように無邪気に未来の希望だけに満ちた笑顔はしていなかった。
 笑うでも、怒るでも、泣いてるのでもなく、ただまっすぐ自分を見つめる視線は何を思っているのだろうか……。

(私は……)

 そう思った瞬間、目が覚めた。
 いつの間にか、寝ていたらしい。雨が止んでいて、いつの間にか窓の外は晴れていた。

 ダリアはベッドから起き上がり、扉を開ける。
 きょろきょろと、あの子の姿を探す。もうお昼過ぎなのに、放っておいてしまった。どうしているのか気になったのだ。

「あっ…………」

 呼びかけようとして、その子の名前すら知らないことに気づく。
 あまりにも知らないことが多すぎた。

 屋敷を探してみたが、あの子はいなかった。まさかレミニーたちのように急にいなくなってしまったのか、一瞬そう思って不安になる。
 しかし、ダリアは玄関まで来て、開けっ放しの扉と、そこから続く足跡を見つけた。

 足跡は屋敷のある高台を下って、森へと続いている。その先にあるのは……。

(まさか……)

 ダリアはあの子にクロスウェルとの想い出を語って聞かせたことを思い出した。
 森の向こうにあるのは、ダリアがプロポーズをされた思い出の花畑だ。

(花を取りにいったの……? 私のため……?)

 安全な地方だとはいえ森の中だ。迷子になってたりしないだろうか、小さい獣にでも襲われたりしてないか、靴はちゃんと履けているだろうか、そんなことを考えてしまう。
 ぎゅっと胸を締め付ける感情。
 ダリアはそれが心配の感情だということに、ようやく気づいた。

 ダリアは駆け出した、名誉を求めるわけでもなく、打算もなく、ただ心のままに。


***


 森の中の小さな天然の花畑。
 雨露に濡れながらも、綺麗な白い花が一面に咲き誇っている。

「あーうーう~」

 その中で、ひとりの少女が花を選んで摘んでいた。
 大切な誰かのために、とびっきりの綺麗な花を探すように、楽しそうに。

 ふっとその前に人影が現れる。
 白いローブに身を多い、顔は見えない。

 しかし、その向こうからは膨大な喜びと、莫大な憎しみを湛えた黒々しい声が漏れた。

「くっくっく……まさか……こんな……こんなところで、お前に出会えるとはっ……!」

 エトワは夢中で花を摘んでるので、そんな彼の存在にも気づいていなかった。

「アルフォンスに言われ、13騎士のうち3名が別行動を取り秘密裏に捜索している何かを、奴らとは逆の下流方面から探していたが、まさか目標はお前だったのか……? いや、どうでもいいっ! あいつの指示に従うのも癪だったが、むしろ今となっては僥倖だ!」

 脱ぎ捨てられたローブの下から、片腕を失った漆黒の毛並みの人狼が姿を現わす。

「姿は知らぬが、この匂いは忘れもしない……っ! お前に斬られた右腕が疼くぞぉっ!! あかめええええぇっ……! くははははははははっ!!」

 哄笑とは裏腹に、その顔からは喜悦がだんだんと消え、憎しみだけに支配されていく。魔族は理性を失いかけた獣そのものの表情を晒した。残った左腕が、エトワの頭上に振り上げられる。

「死ね……」

 ダリアのために無邪気に花を詰むエトワに、闇を纏った黒腕が振り下ろされた。




電子版の購入のご報告ありがとうございます。とてもうれしいです。
のちほど個別にお礼の返信などもさせていただきますね。

遅いペースでしたが、なんとかこの章も残り2話で完結できそうです。付き添って励ましてくれた方、ありがとうございます。みなさんのおかげです。

この章が終わったらなんとかペース維持しながら連載する方法考えたいですね。
書きだめとか……なんとかして……。

※補足
あと「あ、こいつか!」ってアハ体験を味わっていただけるかなと思って、黒い人狼の説明をはぶいてしまったのですが、「こいつ誰わかんねーよ」って方にお答えしておくと
第二王子の誕生会で姫さまとべリオル(13騎士のリーダー)を襲った三体の魔物のうちの一体です。
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