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221.

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 ダリアと喧嘩した侍女のレミニーは、屋敷を出て川辺に来ていた。
 座るのにちょうど良い岩に腰を下ろし、そこそこ激しく流れる水を見て、一人でため息を吐く。

「はぁ、昔はあんな方じゃなかったのに」

 レミニーはそう呟いて学生時代のダリアのことを思い出そうとした。
 すると、浮かんできたのは、クロスウェルさまとお会いできるパーティーで、新調したドレスが届かず、『パーティーに行かない!』と泣きながら駄々をこねている中等部時代のダリアの姿だった。
「…………ま、まあ昔から少し我侭だったけど、その分覇気があったわ」

 その日だって、結局はお古のドレスに目一杯のお洒落をして、パーティーに出たのだ。
 そして、そのパーティーの参加者の誰よりも可愛らしかった。

 お世辞にも性格が良かったとはいえないかもしれない。貴族としての資質もそんなに評価はされてなかった。でも、好きな相手の前では可愛く振舞えるしたたかさがあった。
 それに困難なことに、立ち向かっていた。

 だからクロスウェルさまを射止めることができたのだ、レミニーは思っている。

「なのに……」

 不満がどんどん口から出そうになって、そこでレミニーは言葉を止めた。
 今のダリアさまは公爵家夫人として、とても褒められたものではないが、自分も主人の悪口ばかりいうのは侍女としてあるまじきことだ。

 戻ろう、そう思って川辺に背を向けると背後から女の子の声が聞こえてきた気がした。
 でも、背後に広がるのは、人のいるはずもない川と森だけだ。

 気のせいだろうと思って、振り返りもせず行こうとすると、また聞こえてきた。

「ぷか~」

(ぷか~……?)

 さすがに内容が気になって振り返った、レミニーは驚愕した。
 川を女の子が流されている。

 しかも、うつ伏せ状態で――。
 いったいどうやってあの「ぷか~」って声をだしたのかもはや意味不明だ。

(というか話せたとしても、ぷか~なんてのんきに言ってる状況じゃないでしょう!)

 レミニーは心の中で突っ込みながら、慌てて前を通りすぎようとした女の子の体を掴む。

「うっ……重い……」

 川の流れは上流ほどに急ではないが、子供の体重に水の重さが加わり、普通の侍女のレミニーでは引っ張りあげられない。

 このままでは女の子が下流まで流されてしまう。

「だれかー! きてー! 女の子が流されての!」

 レミニーは大声で、たぶん一番近くにいるであろう庭師や馬小屋の管理人に助けを呼びかけた。


***


 その後、別荘はちょっとした騒ぎになった。
 何しろ、ずっと主人に付いて、この田舎に引きこもりきりだったのだ。二週に一度誰かが買い出しに行くくらいで、大きな事件もニュースもなく、使用人たちは刺激に飢えていた。

 レミニーが引き上げた少女はまだ息があって、濡れた体を乾かし、空き部屋のベッドに寝かせ、医術の心得のある使用人に看てもらったが、なんと体は至って健康らしい。
 うつ伏せで川から流れてきたという話が信じきれない、と言うぐらいに。

 そんな退屈な屋敷で起こった大事件に、部屋の周りにはほとんどの使用人が集まってしまった。

 そこにダリアもやってくる。レミニーに連れられて、わけがわからないという顔で眉をひそめて。
 部屋の周りにたむろしていた使用人たちが、さぼっているところを見られ、ちょっと気まずそうな顔をした使用人たちが道を譲る。

 ダリアは、さっきまで使用人たちが覗き見していたせいで、少しだけ開いていた扉から部屋の中を覗き込んだ。そこには、ひとりの少女がいた。糸のような目をした、ちょっと独特な容姿の少女だ。
 ベッドから上半身だけ起こして、ゆったりした動作で部屋の中を見回している。

「何よあれ……」
「だから女の子です。川から流れてきたんです」

 レミニーの説明にダリアは顔をしかめた。
 貴族育ちのダリアにはまったく意味がわからない。魚ならともかく、どうして人が川から流れてくるというのだ。

「なんで川から流れてくるのよ」
「さあ……それは私にも分かりかねます……」

 レミニーはダリアに比べて、少しは平民界隈の知識があった。
 だから思いつく理由としては、川遊びして流されたとか、嫌な予想をすると、捨て子を川に流したなんてのが思いつく。でも、どちらも、この辺りではありそうにはなかった。

 国によって自然が保護されているこの地域は、点々とだけ村が存在し、子供の数もそんなに多くない。しかも、ほとんどの川は急流で、遊びに向かないのは子供でも分かる。

 捨て子についても、この地域に存在する村は、居住地や畑の拡大には国の許可がいる。その代わり、農産物などは国が高値で買い上げていた。だから、少なくとも生活には困らないぐらいには裕福なのだ。子供を捨てるのは考えられない。

「そもそもなんで、うちに連れてくるのよ」

 不満げにそう呟いたダリアのその言葉に、今度はレミニーが顔をしかめた。

「本気でいってらっしゃるんですか? 怪我を負った国民を見つけたら、特段の理由がない限り保護せよ。シルフィール公爵家からの通達ですよ」

 その通達は、シルフィール公爵家本体から、風の派閥の貴族や構成員たちに伝えられているものだった。当然、シルフィール公爵家に使える家人たちにも。

 特段の理由――つまり自分たちの仕事や、王家を守護する役目に支障がない限りは、困っている国民を見つけたら助けてやれという話である。
 曖昧な文言なので、どれぐらい積極的に保護するかは人によるのだが。

 傘下の貴族たちにも伝え聞かせているのだから、当然、本家の人間もそれを守る必要がある。
 公爵家夫人であるダリアなどは、自ら実行するだけでなく、むしろ家人たちに注意して守らせる立場なのだ。本来は……。

 でも、ダリアはシルフィール公爵家の考えに馴染めていなかった。
 長年仕えているレミニーから見ても、ダリアにはそういう部分があった。

 ダリアとレミニーは本来は、風の派閥の人間ではないのだ。

 ダリアは水の派閥、第七位の貴族、ケルビス侯爵家の令嬢だ。そしてレミニーはそんなケルビス家に代々仕えている家の娘である。

 ケルビン家は水の派閥にはありがちな、貴族同士の付き合いを重視するタイプの家系だった。だから、もともとの考え方はシルフィール家とかけ離れているといえる。

 でも、他家に嫁ぐからには、その家の考えを学び、合わせていかなきゃならないものなのだ。それが貴族の令室となる者の義務だった。

 ちょっとわがままな少女だったダリアも順調に行けば、本人なりのペースでも、そうやってシルフィール家にふさわしい公爵夫人になっていったのかもしれない。
 でも……、とレミニーは暗い気持ちを心に淀ませる。

(魔力を持たない子を産んでしまったことが、ダリアさまを挫折させてしまった……)

 今のダリアはシルフィール家の奥方と呼べる人間にはなれていなかった。それどころか、このようにシルフィール家の基本的な考え方すら理解できていない。それは傍仕えしているレミニーから見ても、あまりにも情けない有様だと思えた。

 当然、公爵家にずっと仕えている家人たちの信頼は、得られているとはいい難い。

「怪我って、そんな大きな怪我負っているように見えないじゃない。元気そうよ。それに見た目からして貴族の子でしょ? どこの家の子か聞き出して、はやく帰せばいいじゃないの」

 確かに少女の髪はあざやかな金髪だった。
 もちろん、平民にもいないわけではないが、これほど綺麗だと貴族の血を濃く引いてる可能性が高い。

 しかし、その問い掛けにレミニーは口ごもった。

「そ、それが……」

 はっきりとした態度にイラッとしたダリアは、扉を開けて中に入る。

「あっ、ちょっとダリアさま!」

 レミニーが止めようとするが、ダリアは無視して中に入って、ベッドに上にいる少女に問い掛けた。

「ちょっと、あなたどこの家の子供なの。貴族の子息なら家名を告げなさい」

 貴族の子ならこれですぐに家名を名乗って、あとはその家に連絡を取れば解決のはずだった。貴族ではなく、少し遠めの血縁者だとしても、同じように血縁のある家に引き取らせればいい。

 ダリアはそのまま少女からの答えを待つ。
 しかし、少女は糸のような目をこちらに向けると、首を傾げて。

「あうっ?」

 どこか間延びしたように聞こえる、返答になってない声が返ってくる。

 ダリアはイラッとする。
 ダリアの今の心境としては、少しでも貴族と関わり合いになるのは避けたいのだ。だというのに、こうして貴族の子女と思わしき闖入者がやってきて、もしかしたらこの家まで迎えがくることになるかもしれない。

 さっさと済ませてしまいたい。
 焦ったダリアは、少女に詰め寄りその肩を掴んだ。でてくる言葉も自然と厳しくなる。


「ちょっとふざけてないで答えなさいよ」
「んんんっ~!」

 詰問みたいな調子になってしまったダリアの態度に、少女は布団を小さな手で掴んで、首をいやいやふって、意味不明のうなり声をあげるだけだった。まともな受け答えは返ってこない。

 そんな二人のやり取りに、レミニーが慌てて割って入る。

「この子、しゃべれないみたいなんです! もとからなのか、川に落ちたショックかは分かりませんが……」
「はあっ?」

 信じきれずに少女の容態を看た使用人の方に目をむけると、その使用人もこくりと頷いた。……どうやら本当らしかった。

 ダリアは呆然と立ち竦む。

 川から女の子が流されてきたというわけのわからない報告で、家に見ず知らずの少女がやってきた。しかも、貴族の血を引いてるらしき容姿で、ただでさえ面倒そうなのに、言葉すら話せずコミュニケーションも取れない。

 さっさと追い出してしまいたい、そう思ってるのに――。

「とにかくこの子は私たちで保護します。ダリアさまもしばらく我慢してください」
「なるべくご迷惑はおかけしないようにしますから」

 幼馴染のレミニーも、使用人たちも少女の味方についてしまっていた。
 ダリアにとって、とてつもないめんどうごとがやってきたのは確かだった。

 そしてその厄介ごとの本体である少女は、さっきの詰問で不興を買ったのか、庇うレミニーたちの後ろで、糸のような細い目をこちらに向けて、「あううう~~~っ」と抗議の声らしきものを送ってきていた。

***

「もう、大丈夫だからね。ちゃんと引き取り先が見つかるまで、私たちがお世話するから安心してね」

 ダリアは拗ねて部屋に戻ってしまった。
 他の使用人たちは各自の仕事に戻り、レミニーが部屋に残り少女の面倒を見ている。

「あう!」

 レミニーの言葉が分かっているのかは分からないが、少女は明るい声で返事をする。

 外見から見て年齢は10歳前後だと思うけど、中身はもっとだいぶ幼い感じがする。貴族の子の精神的成長は早いから比較しないにしても、普通の平民の子でも4、5歳、下手したら3歳ぐらいの感じがする。
 それが何らかの事故の影響でこうなってしまったのか、それとももともとこうだったのかは、レミニーたちには分からないことだった。

 でも、少し接してみれば分かるけれど、とても素直でいい子であることは分かった。
 レミニーへの返事もとても素直だ。

 ダリアさまみたいに高圧的に詰め寄れば、嫌がられて当然だ。

 少女の頭を撫でていると、なんだか懐かしい気持ちになって、レミニーは少女のことをじっと見た。その視線が、糸のように細い目に向く。

(そういえば……これって見えているのかしら……)

 何も気にしていなかったときは、とてつもない細目なのかと思っていたけれど、よく見ると、じっと閉じていて、動いている様子がまったくない。
 でも、少女の動作からは、目が見えない様子はまったくない。むしろ、自分たちと顔を合わせてよく微笑むし、部屋でも興味深げにいろんな場所に視線を向けたりする。

(視覚に変わる能力を持っているってことかしら……)

 そこでレミニーは小さな違和感を感じた。

 人間の目に代わる視覚能力。その中でも特に有名なのが心眼<マンティア>だ。人間の目と同等、いやそれ以上に周囲を見ることができる能力だと聞く。
 そしてダリアさまが生んだ子供が持っていた能力でもある……。

 ダリアさまが生んだ子供は、最初、目が見えない、完全な盲目だと思われていた。しかし、あとで心眼という能力を持っていたことが分かったのだ。
 レミニーはその子のことは、生まれたときに見ただけで、あとは人伝えに聞いた話しかないけれど、視覚のハンデはまったくなく、普通の子供みたいに暮らしていると聞いた。

 心眼<マンティア>というスキルは、当時は有名ではなく文献に記述だけが残されていたような状態だった。それが公爵家の失格の子がもっていたということで、一気に知名度があがった。

 もちろん目の代わりになれるスキルは、心眼<マンティア>だけじゃない。
 周囲の熱を感じ取る温眼<サモンティア>、音の反射で周りを見ると言われる音眼<サウンティア>などが知られている。
 この子がもっているのも、そのどちらかなのかもしれない。レミニーには判別が付かない。

 でも……。
 心眼を持った子を生んだダリアさまのもとに、目が見えない、何らかのスキルで周囲を見渡している子がやってくる。それはちょっとでき過ぎているように感じた……。

(あれ……?)

 そう考えていると、ふとレミニーの心に二つ目の違和感が浮かんできた。

 それは目の前の女の子からもたらされたというより、もっとレミニーの奥底から湧いてきたものだった。

 幼い頃からずっとダリアさまの傍に仕えて、一番近くで彼女のことを見ていたからこそ、気づけたこと。

(この子って子供のときのダリアさまにそっくりなような……)

 記憶の中にある小等部時代のダリアさまの姿と、目の前の少女の横顔が、レミニーの頭の中で重なって見えた。

 最初は気づかなかった。
 何故なら、目元がぜんぜん違うから。綺麗なぱっちりとした美しい目をしているダリアさまに対して、少女は糸のように細い目をしていた。

 そこの違いに騙されて気づけなかった。

 いや、実は濡れて乾いたあとの少女の髪を見たとき、ダリアさまとまったく同じ色だとは思ったのだ。ただ、まったく同じ色は少なくとも、貴族には金髪は多い。
 だから偶然の一致で済ませてしまった。

 しかし、こうしてみると偶然とは思えない。髪の色はまったく、そう喩えではなくまったく同じ。小ぶりだけど整った鼻も、頬のラインも、白い肌の色まで、ほぼまったく一致してしまうのだ。
 レミニーの記憶の中にある幼き日のダリアと……。

「ど、どういうこと……? まさかこの子って……」

 信じられない、なのに本能的に信じるしかない確信を持って、レミニーはひとつの予感に辿り着いてしまった。慌てて、額を確認するけれど、失格の印はない。

 当然だ。この家の人間は誰もそんな印を目撃してないし、そんなものが額に刻まれた子が来たなら、この別荘はこんな騒ぎでは済まない。

 なのにレミニーの中の予感はまったく消えてくれない。

「どうしよう……相談する……? 誰に……? ダリアさまに……? まさか……。じゃあ、公爵家の方に……?」

 全身に汗をかき、迷い始めるレミニー。
 そんなレミニーの表情がいきなりふっと消え、全身の動きが停止した。そして数秒後、再起動したように、また動きはじめる。

「あら、私、ぼーとしちゃってたみたい。ごめんねぇ。コックのサンに頼んでいたパン粥ができているはずだから取ってくるわね」

 さっきまでの思考が、すべて抜け落ちてしまったかのように、レミニーは少女に微笑むと立ち上がり部屋をでた。

 誰もいなくなった部屋に、涼やかでどこか控えめそうな女の子の声が響く。

『ごめんなさい、本当はこんなことしたくないけど……。でも、今は私が二人を守らないと……』


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