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220.

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 アグラは目の前に倒れたエトワを見つめた。

 人間の魔法や、魔族が持つ魔法や異能、そのどれにも属さない力。

 一体、どうやってこんな力を手に入れたのかは分からない。

 それが遺跡から生み出されたのか、それともまったく別の場所から来たのか、まったくも検討がつかなかった。だからこそ、放置しておくには危険すぎた。

 約束があった――アグラには。
 遥か昔に、この国の王と交わした約束。

 その王はもう生きてはいないけれど……。

 この国の守り手となり、あらゆる危険をこの国から排除し、その命の限り守り続けると――。

 だから、今回も放っておくわけにはいかなかった。

 アグラはエトワに、一歩ずつ歩みを進めていく。
 そしてその体の前に膝をつくと、エトワの小さな体を、アグラの小さな背中に背負おうとする。

「その力を忘れ、普通の子供として平穏に生きていくが良い」

 アグラはエトワを、少し離れた場所にある村に運ぶつもりだった。

 そこはそれなりに豊かで、心優しい者たちが暮らしている村だった。記憶をなくした少女がいて、引き取って欲しいとあらかじめ話をつけていた。子供が大人になり、村をでた夫婦が引き取ってくれると約束してくれた。
 もちろん、ちゃんと大人になるまで育ててもらう費用として、しっかりと金銭も渡しておくつもりだ。

 力も記憶も失った少女は、そのままその村で普通の人として暮らし、きっと幸せに生涯を終えることができるだろう。

 アグラがエトワの体に手を触れたとき――。
 アグラはエトワの額の紋章に気がつく。

「そういえば、公爵家から失格の烙印を押された娘だったか……。酷いことをする……」

 その顔が一瞬、同情に歪んだ。

 しかし、このままでは村に預けても、いずれ公爵家に情報が伝わってしまう。額の印は何人であろうと消してはいけないと、公爵家からの通達で決まっていた。国王の次に権力を持つ、公爵家からの通達である。それは法律と同等、いや状況によってはそれ以上の効力があった。

「だが、それは人の理だ。我には関係ない」

 そう言うとアグラは、エトワの額に手をかざした。そして呪文を唱える。

『認識阻害(アヴィジーヴ)』

 すると、エトワの額の印が周囲から見えなくなった。
 アグラはエトワの額を撫でて呟く。

「効力は三年ぐらいか……。ちゃんと定期的に様子は見に行く。安心するがよい。お主は何も知らず、幸せにその生の一刻を過ごせばよい」

 そう言って優しげに呟くと、エトワの体を背負い抱えた。
 そして村へ向け、一歩一歩、歩き出す。

 その足は、ルーペドルンの自然豊かな大地を踏みしめていき、川沿いの綺麗な苔の生えた岩場に足を乗せ、こけた。

「あぎゃっ!?」

 つるんドシンぼちゃん。

 正面からもろに転んだアグラは、顔面を思いっきり岩場に打ち付ける。

「いだだだだだぁー」

 打ち付けた顔を赤くし、涙目になりながらアグラは立ち上がる。
 そしてそこで、大切な背中の重みが無くなっていることに気づいた。そこには力を封じるために、記憶を失わせた少女がいたはず。いたはずだったのだが――。

「えっ、えっ、あれ?」

 状況が分からず、アグラは周囲をきょろきょろと周囲を見渡した。
 しかし、背中に抱えていたはずの少女の姿はどこにも見当たらない。

 周囲に見えるのは、岩場と、森と、勢いよく流れる川だけ。
 少女一人ならわりとあっさり流せてしまいそうな川だけ。

「あれっ……?」

 アグラは源流の勢いのまま、気持ちよく下流へ流れて行く川の水を、呆然と見つめながら再び、あれっと呟く。

 それから一瞬、正気を取り戻したように動き出すと、小走りでたったったと川を下ってみた

 すると、その先には滝があった。谷の下層へ向けて、気持ちよく水を噴き出すそこそこの規模の滝が。
 そしてエトワの姿は、当然どこにも見当たらない。

「あれぇ…………?」

 三度の、あれ、がでた。
 その全身からは凄い量の汗が吹き出しはじめている。もしかしてまずいことをやっちゃっいました?――そんな風にその場で小首をかしげている。

 アグラが最悪の騎士と呼ばれるのには、三つの理由があった。

 ひとつはその能力の凶悪さ。精神操作に特化した魔法は、対処が厄介であり、その効力もえげつない。十三騎士ですら対峙するのを忌避する。

 ふたつめはその独善的な性格。自分の判断を絶対だと信じ、周囲の意見をめったに聞こうとしない。時には国のルールすら破る、独断専行の常習犯であった。

 そして三つ目の理由は――。

 ドジなのである。何をやらせても、何を任せても、しょうもないミスばかり起こす。生粋のトラブルメーカーなのだ。その厄介な性格と合わさり、自分の判断で独自の行動をはじめては、必ずを何かポカをやらかし、十三騎士にとって厄介ごとを運んでくる。
 もともと厄介者揃いの十三騎士からすら厄介者扱いされる、厄介者中の厄介者なのである。

 だからアグラは十三騎士たちから呼ばれていた、最悪の騎士と。

 ちなみに最悪の騎士は、比較的優しい方のあだ名だった。本人の前で呼んでも支障がないように、公称はこれで通っていた。
 他にも彼女には、十三騎士たちがそれぞれつけたあだ名がある。

 『十三騎士の産業廃棄物』、『いるよりはいない方がマシ』、『十三騎士の足かせ担当』、『マイナス十三人力』、『私たちの国が戦争している相手はいないがあいつは敵からのスパイ』、『十三騎士に三名ほど人員を追加して欲しい。彼女に何もさせない係りと、彼女の尻拭いをする係りと、彼女の代わりに働く係りを』、『ただのゴミ』、『いや、迷惑なゴミ』などなど。

 そんな十三騎士きっての役立たずは、勢いよく流れる川の前で、小さな声で呟いた。

「え、えっとぉ……。どうしようぉ……? これぇ……。どうしようぉ……」

 そんなこと言っても誰が答えてくれるはずもなく、その小さな呟きは、ルーペドルンを吹くさわやかな風に消えていった。


***


「ダリアさま、フィーレットさまからお茶会のお誘いが届いてます。出席しませんか?」
「絶対いやよ」

 ダリアの代わりに手紙を開く侍女からの言葉に、ダリアは眉間にしわを寄せ、そう答えた。

「何故です? もうずっと断り続けてばかりじゃないですか」

 普通の侍女なら、それだけでもう何も尋ねてこないはずなのに、侍女のレミニーは再び、ダリアに質問をぶつけてくる。
 彼女は幼馴染なのだ。ダリアがシルフィール公爵家に嫁いでくる前から、ずっと傍で仕えてくれていた。だから、他の侍女と違い、遠慮なしに物を言ってくるのだ。

 昔はそれを気にしたことはなかった。
 ずっと子供のころから一緒だったし、身分は違っても姉妹みたいなものだったから。

 でも今はそれが無性に苛立たしい。
 レミニーを睨んでみるけど、幼馴染の関係だけあってか、相手も引かない。

「バカにされるからに決まってるでしょう」

 仕方なく、ダリアは唸るようにそう答えた。
 すると、レミニーも悲しそうな表情をして、少し強い口調で言う。

「フィーレットさまはダリアさまのご学友だったじゃないですか。バカにするなんてあるわけないですよ!」
「あなたに何が分かるのよ!」

 ダリアも叫んだ。

 自分は魔力のない子を産んでしまったのだ。
 それが貴族にとってどれだけ不名誉なことか。レミニーは分かってない。ううん、これと同じ状況に直面しない限り、貴族の人間ですら理解してもらえばいい。

 両親なんかは、また産めばいいなんて気軽に言ってくれた。

 でも、また産んで、その子までもし魔力がなかったら……。自分は完全に公爵家の妻として失格者の烙印を押されてしまう……。

 そんな恐ろしさを、誰も分かってくれなかった。

 クロスウェルに会いたい、そう思った。自分の気持ちを少しでも理解してくれて、優しくしてくれるのは夫であるクロスウェルだけだった。

 でも、仕事が忙しいせいか、それもなかなか会いにきてくれない……。

 ベッドで子供のように膝を抱えるダリアを見て、レミニーはため息を吐いた。

「たしかに……そういう心無い方だっていると思います。でも、そういう人ばかりじゃないはずです……。フィーレットさまは何度も誘いの手紙を送ってくださってますし、このお茶会だって、ダリアさまのために、ダリアさまと親しかったご学友だけを集めて……」

 レミニーはダリアを説得しようとしたが、ダリアが聞こうとせず布団を被るのを見て、諦めて部屋をでていった。
 そんなレミニーを布団の隙間から見送り、いなくなったのを確認してから、ダリアはまたベッドに座り込む。

「ふんっ、侍女ごときに何が分かるのよ。そうやって、人を集めてるのだって、私をバカにするために決まってるじゃない……」

 そもそも、ダリアがこのルーペドルンにいるは、そういう付き合いを避けるためなのだ。
 この一帯は、自然を保護するために、国王から許可を受けないと、貴族ですら別荘を建築できない。あるのは数えられるほどの別荘と、もとからこの地方に住んでいた小さな村だけだ。

 周囲に大きな街はなく、買出しには馬車を使い数日かけて行かなければならない。

 普通、貴族の別荘地なら、平民たちがそこから落ちる金を目的として、買出し用の町が作られていくのだ。でも、ここにはそんなものはない。
 だから、この地方に別荘を建てる貴族も、実際に利用することは稀だった。

 ダリアにとっては都合の良い場所である。

 ここにいれば嫌な人付き合いを避けられて、クロスウェルだけが会いに来てくれるのだから。

 本来なら、都会っこのダリアには、退屈極まりない場所だ。でも、人付き合いを何より厭わしく思っている今は、ここが一番理想に近い場所だった。

 ただ、退屈なのはどうしようもない。
 ダリアは誰もいなくなった部屋で、ベッド脇の本を取る。

 学生時代、パーティーに参加しまくっていた自分が、今の自分を見たらきっと驚くだろう。当時、半ばバカにしていた教室の隅で本ばかり読んでいる子。それと同じような状態に、まさか自分がなるとは……。
 でも、仕方ない……。

 それもこれも全部、あんな子が生まれてきたせいだ……。自分のせいじゃない……。

 もともと本好きでもなかったダリアは、集中できず、同じページをいったりきたり、うろうろする。

 しばらく、そうしていると、急に部屋の外がどたばたと騒がしくなった。

(なにごと……?)

 いつもとは違う、使用人たちの様子に、ダリアも首をかしげる。

 すると、でていったレミニーが走りながら戻ってくる。侍女として、しっかり教育を受けていた彼女としては珍しい。

「大変です、ダリアさま!」
「なによ」

 そう叫ぶ彼女に、さっきのやり取りのしこりが残っていたダリアは、つっけんどんに返事をした。
 するとレミニーから返ってきたのは、わけのわからない言葉だった。

「川の上流から、女の子が流れてきました!!」
「……はあ?」

 本当に意味がわからなかった。


※母親関係の設定は自分が迷走したのもあって、いろいろ変なことになってるんですけど、なんとか読者さんの中で合いそうなのだけ選んで取捨選択していただけたらと思います。本当にすみません。
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