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苦悩
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夜、ダッドは妻が待つマンションの一室へと帰宅した。
「お帰り」
ドアを開けるとセミロングのウェーブが掛かった金髪の女性、フランシスが出迎える。
「ただいま」
「今日も大変だった?」
「ああ、色々とね」
ダッドはくたびれた様子で居間へ足を運ぶ。
妻が作ってくれた夕食の匂いが食欲をそそり、疲労した精神を癒してくれた。
椅子に座り、二人で一緒に食べ始める。
「うん、旨いな、これ」
「でしょう? フフ」
生きている血の繋がった家族が父親のみ、しかも服役中というダッドにとってこの時間は安らげるものだった。
警官になる前。
倉庫関係での仕事で出会った彼女。
主に請求書等の整理、作成担当だったが人員削減のせいで仕事が増え重い荷物の仕分けをさせられていた。
そんな中手伝ってくれた彼と知り合い、紆余曲折を経て結婚した。
ただ、資金に余裕がなかったため、式は挙げていない。
それでも二人は愛し合っていた。
「ねえダッド」
「ん?」
そろそろ料理を食べ終えようとした時に彼女から話し掛ける。
「その、子供の件なんだけど……」
「ん、ああ」
ダッドは思わず喉を詰まらせ掛ける。
「私は、そろそろ欲しいと思うんだけど」
「それなんだが、その……厄介な事件を担当しててな、あまり余裕がないんだ」
目を逸らして誤魔化してしまった。
「そう……」
「すまない」
「ううん、いいの、貴方が大変な時に無理言ってごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ、すまない」
口にした料理の最後をあまり味わうことなく水で流し込んでしまう。
その後、彼は軽くシャワーで身体を洗い、ベッドに向かった。
横に妻も一緒に横になる。
「ねえ」
「なんだ?」
「仕事の話を聞かせて、貴方の相方の……」
「ディアナか?」
「ええ、上手くやってる」
「まあ、やってるといえばやってるな」
思い出すのは狼男を信じ、その言動で自身共々周囲から白い目で見られていることだった。
「その人ってどんな人?」
「ん? まあそうだな、子供の時に両親を殺されたそうだ」
「え……犯人は捕まったの?」
「犯人というか、相手はオオカミだったらしい、だけどその時のストレスが原因で混乱して狼男の仕業だって信じてるんだ」
「え? 狼男?」
「そう、君は信じる?」
「いえ、まさかその人、オカルトマニアとか?」
「あ~、もしかしたらそうかもな、だけど真っ直ぐな奴で、上司とも時々喧嘩してる」
「正義感の強い人なのね」
「ああ、ただ、止めるのに苦労するけどな」
「貴方はブレーキ役ってことね」
「そうだな」
二人は眠気が来るまで会話をした。
お金に余裕があるというわけではないが、苦労した過去に比べれば今が人生の中で一番安定していた。
仕事先での周囲の反応や子供の件等、様々な問題もあるが今はこの時間が続いてほしいと願いながら眠りについた。
同時刻、東南部某所。
黒衣の女吸血鬼であるレイナは人知れず建物の屋上から屋上へと飛び移りながらとある場所を目指していた。
しばらく移動すると、夜を照らすネオン街へとたどり着く。
体力を持て余し、夜が明けるまで遊び呆ける若者達が集う場所。
赤や青等、様々な色が交錯する中を人混みに紛れながら歩いていく。
サラリーマンが歩いている時間帯で有れば浮いてしまうレイナの服装も、奇抜な格好をした者が多くいるここではある意味目立たない。
歩きながら酒を飲んだり奇声を上げる変人も何人か見かけるが無視して通りすぎていく。
やがて、とある路地裏へと入る。
普通なら一般女性が一人では来ないような雰囲気が漂う通路。
その先には、ある店の裏口があり二人の男が見張りとして立っていた。
片方は一目見て体重が三桁を越えている肥満。
もう片方はプロレスラーを彷彿させる肉体を持つ大男。
黒いTシャツとジーンズを着用し、その店の門番のような存在に近づいていく。
先に肥満の男が気がついた。
「ん? おい待て、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「ここの店長に用がある、ブラッドリングのレイナが来たと伝えて」
「はあ? 何言ってんだ?」
「あ、バカ!!」
筋肉質の男が肥満の男を止める。
「なんだよ?」
「ボスから話聞いてなかったのかよ!? 政府の吸血鬼だ!!」
「え……あ、あ~、そういえば言ってたか?」
「ったく、下がってろ!! すまない、レイナと言ったか? こいつ新入りであまり分かってないんだ、許してくれ」
端から見ると明らかに腕っぷしの強そうな男が、モデルのような女性相手に謝っている不思議な光景だった。
「中に入ってくれ、ボスのところまで案内する」
「あ、おい、俺は……」
「てめえはそこで見張ってろデブ!! いざとなったらその脂肪でここ塞いどけ!!」
「あ、ああ、わかったよ……」
今にも殴りそうな剣幕で肥満を黙らせる筋肉質。
だが、レイナ相手には頭を低くして店内へ一緒に入っていった。
店はナイトクラブであり、会話が聞こえないほどの音楽が響いている。
中にいる若者達は酒を飲みながら踊り狂っていた。
その裏方、従業員専用の通路を筋肉質の男とレイナが一緒に歩いていく。
途中店員と何人かすれ違う。
皆レイナの姿を見た瞬間に一瞬だけ固まる。
それはなぜか?
実はここの従業員は全員吸血鬼であり、政府専属の狩人であるレイナは云わば道で合う警官のような存在であるからだ。
もしなにかあれば消される。
そんな恐怖心が店員の身体を強張らせてしまう。
だが、レイナはそんな彼らに対しなんのリアクションもとらない。
目的はここのボスだ。
しばらく中へ進み、階段を上がった先の部屋の前にたどり着く。
筋肉質の男はドアをノックする。
「ボス、政府の吸血鬼が来てます、レイナという女です」
「おう、入れ」
中から男の声が聞こえたことでドアを開け、レイナと一緒に中へ入る。
そこは社長室兼事務室となっていて、左手側には数人が座って酒が飲めるバーカウンターがあり、正面には金色の横長のソファーがあった。
中央には白い服に赤いシャツ、夜なのにサングラスを掛け盛り上がったオールバックの髪型の男が座っていた。
「ようレイナ、久しぶりだな」
「ええ、久しぶりねベック」
彼の名はベック。
部下からはボスと呼ばれている社長だった。
そんな彼の護衛のためか数人の若者も一緒にいた。
皆闘争心を剥き出しにしてレイナを睨んでいるが、当の本人は気にも止めていない。
「で、今日はどんな用だ?」
「今この街で違法薬物が流行っていると聞いたの、何か知ってる?」
「薬物っていってもなぁ、若い奴らは色々手を着けてて把握仕切れねえよ、あ、そうだ、念のため言っておくがここじゃあそんなモンは扱ってねえからな」
「昨日もその薬を使って一人死んでる、人狼が絡んでいる可能性があるの」
レイナからの言葉に、ベックよりも周囲の若者が反応する。
「なんだテメエ? 俺らを疑ってんのか? なめてんじゃねえぞ!!」
ポケットから折り畳みナイフを取りだし、その切っ先をレイナに向ける。
「あ、バカ!!」
ベックが注意する。
だが、それより早くレイナは動いていた。
腰のブレードを鞘から抜き、振り向きながら右斜め後方にいた若者の右腕を切り落とした。
その攻撃に左手側にいた別の若者が逆上して腰のホルスターに納められていた銃に手を掛ける。
レイナは即座に反応し、ブレードを投げた。
若者が銃を引き抜く前に肩にブレードが突き刺さり、壁に張り付けにされる。
近くにいた三人目の若者が銃をズボンから取り出そうとするが引っ掛かり、代わりにレイナのマグナム銃がその額に突き付けられる。
今まさにマグナム弾が発射されようとしたその時、ベックが叫ぶ。
「お前ら止めろ!! 銃に触るな!!」
「で、でも、ボス……」
「こいつは政府の吸血鬼だ!! 絶対に手を出すなと言っただろうが!!!」
ボスからの叱責に若者達が銃から手を離す。
しかし、レイナは以前として銃口を相手に向けたままだった。
「レイナ、すまなかった、こいつら新入りなもんであんたのことを理解してなかったんだ、俺らは政府に逆らう気なんかさらさらねえ」
「……」
レイナは不機嫌そうに眉間にシワを寄せてベックを睨む。
勿論銃は構えたままだった。
「なあ、頼む、銃を下ろしてくれ、このバカ共は俺の方からキツく言っておく」
「……分かった」
ゆっくりと、マグナムの銃口を若者から離す。
僅か数秒で二人に致命傷を与えた彼女に周囲の者達は息を飲んだ。
もし、ベックが止めていなかったら……。
護衛のために武装していたとはいえ、一発撃つ前にこれ程動ける敵との戦いは経験したことがない者ばかりだった。
「違法薬物の話だったな、実はそれらしい情報を手に入れててな」
「なんで勿体ぶったの?」
「確証がなかったんだ、あくまで噂レベルの情報だったし、何より実物を手にしたことも目にしたこともない、ああ、勿論証拠集めのためで使ったり売ったりするためじゃあねえからな」
「それで、何を知っているの?」
「ああ、今巷で使われているそれはな……」
ベックは知っていることを全て話した。
その違法薬物というのはここ最近出回り始めたアップ系、つまり高揚感が得られる薬で使うと疲労感が消えて全速力で走っても疲れないという。
加えて痛覚の鈍化、筋力の上昇ともう一つある変化が身体に起こる。
「変化?」
「ああ、昨日も警察に追われたマヌケが使っていたみたいなんだが、なぜか体毛が濃くなるんだと」
「……毛が生える薬?」
「それだけだと嬉しがる連中が多いだろうがそうじゃねえみたいだ、まるで狼男みたいな外見になったってよ」
「まさか、人狼化したの?」
「さあな、その薬が手元にない以上調べようがないからな、で、そのヤクの名前は『ドックランナー』っていうらしい」
「らしい?」
「噂でしか聞いたことがないからな、まあ、正式名称ではないだろう」
違法薬物を取り扱う場合、主に警察関係者にバレないように隠語等を使って情報交換する。
この『ドックランナー』という名称もそれに該当すると思われるが、未だ詳細は不明だった。
「とりあえず今知ってることはそれだけだ、なにか分かったらすぐ報告する、だから今回こいつらのしたことは大目に見てくれ」
懇願されたレイナは周囲の若者に目を向ける。
皆最初の時とはうって変わって弱気な態度だった。
左肩にブレードを突き刺され、壁に張り付け状態となっている若者に無言のまま近づく。
痛がり怯えているが、無視してブレードの柄を掴むと強引に引き抜いた。
「がぁっ!?!」
ようやく解放されたが左肩から血が吹き出し、それを右手で必死に止める。
そんな若者を見下しながら、ブレードを振って血を飛ばした。
「部下の教育くらいちゃんとしておいたら?」
「あ、ああ、そうするよ」
鞘に納め、颯爽と部屋を後にする。
残された部下達とベックは散らかった部屋の中で意気消沈した。
まるで教師に怒られた生徒達のような雰囲気だった。
その中でも、最初に右腕を斬られた若者がベックに救いを求めるような表情を見せる。
「ボ、ボス……」
「この……バカ野郎!!!!」
ベックは若者の顔を渾身の力を込めて殴った。
殴り倒された若者は『なぜ?』という顔をするが、さらに腹を蹴られる。
「テメエ!! 俺の話を覚えてなかったのかよ!? 政府の吸血鬼に喧嘩売りやがって!!」
何度も何度も蹴るベックに、別の若者が止めにはいる。
それによってようやく蹴られなくなったが、ベックの怒りは収まらない。
「いいかテメエら!! 俺達は政府からお目こぼしを貰ってるんだぞ!! あいつらがその気になれば今来た女みたいに強い奴がもっと来て俺らなんか一日でミンチにされんだぞ!! なんのために毎回毎回牙削ってるのか理解してねえのか!!!!」
政府所属の機関であるブラッドリングは、街中にある防犯カメラの映像を見ることが出来るものの、路地裏等の細かい場所まではカバーできていない。
それに加え、今回話題となった違法薬物の件や噂等の情報も入手しにくい。
そこで、ベックのように政府に協力する吸血鬼から情報を得る代わりに、国のために戦わなくても反乱分子として処分しないよう敢えて見逃している。
さらには、客として訪れる人間に正体がバレないように伸びてくる犬歯を毎回削っていた。
だが、もし今回の喧嘩の一件で敵対する意思ありと見なされたり、正体がバレるようなことがあれば容赦なく掃討部隊がやってくる。
そのことをベックは新入りに対して説明していたはずだったが、政府所属の吸血鬼の強さに関することは話半分で聞いていたようだ。
「す、すいません、ボス……でも、俺、右腕が……」
「テメェも吸血鬼だから一ヶ月もありゃあ生えてくるんだ、それまで片手で働け、首斬られなかっただけでもありがたく思え糞が」
ここで言う首とは、解雇のことではなく物理的に斬られることである。
「全員よく聞け!! 今度レイナみたいな政府の吸血鬼が来たらすぐ俺のところへ連れてこい!! 仕事中でも!! 休憩中でも!! クソしてる時でも!! 女と寝てる時でもだ!! わかったか!!」
吸血鬼となったことで強くなったと錯覚していた若者達は社長からの怒号で現実を知ることとなった。
その代償として二人が大怪我を負ったが、ベックからすれば殺されることよりも軽いものだった。
従業員専用の裏口から何事もなかったかのようにレイナは出ていく。
一人見張っていた肥満の男が気がつくが、声を掛ける前に去っていってしまった。
数秒遅れて筋肉質の先輩が浮かない表情をして出てきた。
「よう、どうしたんだ?」
「新入りのバカ共があの女に喧嘩売りやがった」
「は? でもあの女無傷だったぞ?」
「そうだ、あいつ、すげえ早い動きで相手の腕切り落としちまったんだ」
「あぁ!? おいおい、このままあの女行かせていいのか?」
「バカ!! 手ぇ出すな!! 殺されちまうぞ!!」
レイナの動きを間近で見た筋肉質の男は勝てないことを十分分かっていた。
だが、肥満の男は中にいた新入り同様戦力差を分かっていない。
世間知らず特有の強気な自分が強いとまだ勘違いしている。
そんな彼に、殴るように拳を振り上げて威嚇する。
さすがに肥満の男は殴られたくなかったのか、両手で宥める動作をした。
「ま、待てって、分かった分かった、あいつと喧嘩なんかしねえよ」
「ふぅ、分かればいいんだ」
「はぁ、でも、あいつ良い女だったな、こう、冷たそうな目がグッとくるな、泣く時どんな顔するのか想像すると……」
「……お前、ボスに殺されるぞ」
ベック同様、新入りの教育が今後の課題だと彼は確信した。
「お帰り」
ドアを開けるとセミロングのウェーブが掛かった金髪の女性、フランシスが出迎える。
「ただいま」
「今日も大変だった?」
「ああ、色々とね」
ダッドはくたびれた様子で居間へ足を運ぶ。
妻が作ってくれた夕食の匂いが食欲をそそり、疲労した精神を癒してくれた。
椅子に座り、二人で一緒に食べ始める。
「うん、旨いな、これ」
「でしょう? フフ」
生きている血の繋がった家族が父親のみ、しかも服役中というダッドにとってこの時間は安らげるものだった。
警官になる前。
倉庫関係での仕事で出会った彼女。
主に請求書等の整理、作成担当だったが人員削減のせいで仕事が増え重い荷物の仕分けをさせられていた。
そんな中手伝ってくれた彼と知り合い、紆余曲折を経て結婚した。
ただ、資金に余裕がなかったため、式は挙げていない。
それでも二人は愛し合っていた。
「ねえダッド」
「ん?」
そろそろ料理を食べ終えようとした時に彼女から話し掛ける。
「その、子供の件なんだけど……」
「ん、ああ」
ダッドは思わず喉を詰まらせ掛ける。
「私は、そろそろ欲しいと思うんだけど」
「それなんだが、その……厄介な事件を担当しててな、あまり余裕がないんだ」
目を逸らして誤魔化してしまった。
「そう……」
「すまない」
「ううん、いいの、貴方が大変な時に無理言ってごめんなさい」
「いや、俺のほうこそ、すまない」
口にした料理の最後をあまり味わうことなく水で流し込んでしまう。
その後、彼は軽くシャワーで身体を洗い、ベッドに向かった。
横に妻も一緒に横になる。
「ねえ」
「なんだ?」
「仕事の話を聞かせて、貴方の相方の……」
「ディアナか?」
「ええ、上手くやってる」
「まあ、やってるといえばやってるな」
思い出すのは狼男を信じ、その言動で自身共々周囲から白い目で見られていることだった。
「その人ってどんな人?」
「ん? まあそうだな、子供の時に両親を殺されたそうだ」
「え……犯人は捕まったの?」
「犯人というか、相手はオオカミだったらしい、だけどその時のストレスが原因で混乱して狼男の仕業だって信じてるんだ」
「え? 狼男?」
「そう、君は信じる?」
「いえ、まさかその人、オカルトマニアとか?」
「あ~、もしかしたらそうかもな、だけど真っ直ぐな奴で、上司とも時々喧嘩してる」
「正義感の強い人なのね」
「ああ、ただ、止めるのに苦労するけどな」
「貴方はブレーキ役ってことね」
「そうだな」
二人は眠気が来るまで会話をした。
お金に余裕があるというわけではないが、苦労した過去に比べれば今が人生の中で一番安定していた。
仕事先での周囲の反応や子供の件等、様々な問題もあるが今はこの時間が続いてほしいと願いながら眠りについた。
同時刻、東南部某所。
黒衣の女吸血鬼であるレイナは人知れず建物の屋上から屋上へと飛び移りながらとある場所を目指していた。
しばらく移動すると、夜を照らすネオン街へとたどり着く。
体力を持て余し、夜が明けるまで遊び呆ける若者達が集う場所。
赤や青等、様々な色が交錯する中を人混みに紛れながら歩いていく。
サラリーマンが歩いている時間帯で有れば浮いてしまうレイナの服装も、奇抜な格好をした者が多くいるここではある意味目立たない。
歩きながら酒を飲んだり奇声を上げる変人も何人か見かけるが無視して通りすぎていく。
やがて、とある路地裏へと入る。
普通なら一般女性が一人では来ないような雰囲気が漂う通路。
その先には、ある店の裏口があり二人の男が見張りとして立っていた。
片方は一目見て体重が三桁を越えている肥満。
もう片方はプロレスラーを彷彿させる肉体を持つ大男。
黒いTシャツとジーンズを着用し、その店の門番のような存在に近づいていく。
先に肥満の男が気がついた。
「ん? おい待て、ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
「ここの店長に用がある、ブラッドリングのレイナが来たと伝えて」
「はあ? 何言ってんだ?」
「あ、バカ!!」
筋肉質の男が肥満の男を止める。
「なんだよ?」
「ボスから話聞いてなかったのかよ!? 政府の吸血鬼だ!!」
「え……あ、あ~、そういえば言ってたか?」
「ったく、下がってろ!! すまない、レイナと言ったか? こいつ新入りであまり分かってないんだ、許してくれ」
端から見ると明らかに腕っぷしの強そうな男が、モデルのような女性相手に謝っている不思議な光景だった。
「中に入ってくれ、ボスのところまで案内する」
「あ、おい、俺は……」
「てめえはそこで見張ってろデブ!! いざとなったらその脂肪でここ塞いどけ!!」
「あ、ああ、わかったよ……」
今にも殴りそうな剣幕で肥満を黙らせる筋肉質。
だが、レイナ相手には頭を低くして店内へ一緒に入っていった。
店はナイトクラブであり、会話が聞こえないほどの音楽が響いている。
中にいる若者達は酒を飲みながら踊り狂っていた。
その裏方、従業員専用の通路を筋肉質の男とレイナが一緒に歩いていく。
途中店員と何人かすれ違う。
皆レイナの姿を見た瞬間に一瞬だけ固まる。
それはなぜか?
実はここの従業員は全員吸血鬼であり、政府専属の狩人であるレイナは云わば道で合う警官のような存在であるからだ。
もしなにかあれば消される。
そんな恐怖心が店員の身体を強張らせてしまう。
だが、レイナはそんな彼らに対しなんのリアクションもとらない。
目的はここのボスだ。
しばらく中へ進み、階段を上がった先の部屋の前にたどり着く。
筋肉質の男はドアをノックする。
「ボス、政府の吸血鬼が来てます、レイナという女です」
「おう、入れ」
中から男の声が聞こえたことでドアを開け、レイナと一緒に中へ入る。
そこは社長室兼事務室となっていて、左手側には数人が座って酒が飲めるバーカウンターがあり、正面には金色の横長のソファーがあった。
中央には白い服に赤いシャツ、夜なのにサングラスを掛け盛り上がったオールバックの髪型の男が座っていた。
「ようレイナ、久しぶりだな」
「ええ、久しぶりねベック」
彼の名はベック。
部下からはボスと呼ばれている社長だった。
そんな彼の護衛のためか数人の若者も一緒にいた。
皆闘争心を剥き出しにしてレイナを睨んでいるが、当の本人は気にも止めていない。
「で、今日はどんな用だ?」
「今この街で違法薬物が流行っていると聞いたの、何か知ってる?」
「薬物っていってもなぁ、若い奴らは色々手を着けてて把握仕切れねえよ、あ、そうだ、念のため言っておくがここじゃあそんなモンは扱ってねえからな」
「昨日もその薬を使って一人死んでる、人狼が絡んでいる可能性があるの」
レイナからの言葉に、ベックよりも周囲の若者が反応する。
「なんだテメエ? 俺らを疑ってんのか? なめてんじゃねえぞ!!」
ポケットから折り畳みナイフを取りだし、その切っ先をレイナに向ける。
「あ、バカ!!」
ベックが注意する。
だが、それより早くレイナは動いていた。
腰のブレードを鞘から抜き、振り向きながら右斜め後方にいた若者の右腕を切り落とした。
その攻撃に左手側にいた別の若者が逆上して腰のホルスターに納められていた銃に手を掛ける。
レイナは即座に反応し、ブレードを投げた。
若者が銃を引き抜く前に肩にブレードが突き刺さり、壁に張り付けにされる。
近くにいた三人目の若者が銃をズボンから取り出そうとするが引っ掛かり、代わりにレイナのマグナム銃がその額に突き付けられる。
今まさにマグナム弾が発射されようとしたその時、ベックが叫ぶ。
「お前ら止めろ!! 銃に触るな!!」
「で、でも、ボス……」
「こいつは政府の吸血鬼だ!! 絶対に手を出すなと言っただろうが!!!」
ボスからの叱責に若者達が銃から手を離す。
しかし、レイナは以前として銃口を相手に向けたままだった。
「レイナ、すまなかった、こいつら新入りなもんであんたのことを理解してなかったんだ、俺らは政府に逆らう気なんかさらさらねえ」
「……」
レイナは不機嫌そうに眉間にシワを寄せてベックを睨む。
勿論銃は構えたままだった。
「なあ、頼む、銃を下ろしてくれ、このバカ共は俺の方からキツく言っておく」
「……分かった」
ゆっくりと、マグナムの銃口を若者から離す。
僅か数秒で二人に致命傷を与えた彼女に周囲の者達は息を飲んだ。
もし、ベックが止めていなかったら……。
護衛のために武装していたとはいえ、一発撃つ前にこれ程動ける敵との戦いは経験したことがない者ばかりだった。
「違法薬物の話だったな、実はそれらしい情報を手に入れててな」
「なんで勿体ぶったの?」
「確証がなかったんだ、あくまで噂レベルの情報だったし、何より実物を手にしたことも目にしたこともない、ああ、勿論証拠集めのためで使ったり売ったりするためじゃあねえからな」
「それで、何を知っているの?」
「ああ、今巷で使われているそれはな……」
ベックは知っていることを全て話した。
その違法薬物というのはここ最近出回り始めたアップ系、つまり高揚感が得られる薬で使うと疲労感が消えて全速力で走っても疲れないという。
加えて痛覚の鈍化、筋力の上昇ともう一つある変化が身体に起こる。
「変化?」
「ああ、昨日も警察に追われたマヌケが使っていたみたいなんだが、なぜか体毛が濃くなるんだと」
「……毛が生える薬?」
「それだけだと嬉しがる連中が多いだろうがそうじゃねえみたいだ、まるで狼男みたいな外見になったってよ」
「まさか、人狼化したの?」
「さあな、その薬が手元にない以上調べようがないからな、で、そのヤクの名前は『ドックランナー』っていうらしい」
「らしい?」
「噂でしか聞いたことがないからな、まあ、正式名称ではないだろう」
違法薬物を取り扱う場合、主に警察関係者にバレないように隠語等を使って情報交換する。
この『ドックランナー』という名称もそれに該当すると思われるが、未だ詳細は不明だった。
「とりあえず今知ってることはそれだけだ、なにか分かったらすぐ報告する、だから今回こいつらのしたことは大目に見てくれ」
懇願されたレイナは周囲の若者に目を向ける。
皆最初の時とはうって変わって弱気な態度だった。
左肩にブレードを突き刺され、壁に張り付け状態となっている若者に無言のまま近づく。
痛がり怯えているが、無視してブレードの柄を掴むと強引に引き抜いた。
「がぁっ!?!」
ようやく解放されたが左肩から血が吹き出し、それを右手で必死に止める。
そんな若者を見下しながら、ブレードを振って血を飛ばした。
「部下の教育くらいちゃんとしておいたら?」
「あ、ああ、そうするよ」
鞘に納め、颯爽と部屋を後にする。
残された部下達とベックは散らかった部屋の中で意気消沈した。
まるで教師に怒られた生徒達のような雰囲気だった。
その中でも、最初に右腕を斬られた若者がベックに救いを求めるような表情を見せる。
「ボ、ボス……」
「この……バカ野郎!!!!」
ベックは若者の顔を渾身の力を込めて殴った。
殴り倒された若者は『なぜ?』という顔をするが、さらに腹を蹴られる。
「テメエ!! 俺の話を覚えてなかったのかよ!? 政府の吸血鬼に喧嘩売りやがって!!」
何度も何度も蹴るベックに、別の若者が止めにはいる。
それによってようやく蹴られなくなったが、ベックの怒りは収まらない。
「いいかテメエら!! 俺達は政府からお目こぼしを貰ってるんだぞ!! あいつらがその気になれば今来た女みたいに強い奴がもっと来て俺らなんか一日でミンチにされんだぞ!! なんのために毎回毎回牙削ってるのか理解してねえのか!!!!」
政府所属の機関であるブラッドリングは、街中にある防犯カメラの映像を見ることが出来るものの、路地裏等の細かい場所まではカバーできていない。
それに加え、今回話題となった違法薬物の件や噂等の情報も入手しにくい。
そこで、ベックのように政府に協力する吸血鬼から情報を得る代わりに、国のために戦わなくても反乱分子として処分しないよう敢えて見逃している。
さらには、客として訪れる人間に正体がバレないように伸びてくる犬歯を毎回削っていた。
だが、もし今回の喧嘩の一件で敵対する意思ありと見なされたり、正体がバレるようなことがあれば容赦なく掃討部隊がやってくる。
そのことをベックは新入りに対して説明していたはずだったが、政府所属の吸血鬼の強さに関することは話半分で聞いていたようだ。
「す、すいません、ボス……でも、俺、右腕が……」
「テメェも吸血鬼だから一ヶ月もありゃあ生えてくるんだ、それまで片手で働け、首斬られなかっただけでもありがたく思え糞が」
ここで言う首とは、解雇のことではなく物理的に斬られることである。
「全員よく聞け!! 今度レイナみたいな政府の吸血鬼が来たらすぐ俺のところへ連れてこい!! 仕事中でも!! 休憩中でも!! クソしてる時でも!! 女と寝てる時でもだ!! わかったか!!」
吸血鬼となったことで強くなったと錯覚していた若者達は社長からの怒号で現実を知ることとなった。
その代償として二人が大怪我を負ったが、ベックからすれば殺されることよりも軽いものだった。
従業員専用の裏口から何事もなかったかのようにレイナは出ていく。
一人見張っていた肥満の男が気がつくが、声を掛ける前に去っていってしまった。
数秒遅れて筋肉質の先輩が浮かない表情をして出てきた。
「よう、どうしたんだ?」
「新入りのバカ共があの女に喧嘩売りやがった」
「は? でもあの女無傷だったぞ?」
「そうだ、あいつ、すげえ早い動きで相手の腕切り落としちまったんだ」
「あぁ!? おいおい、このままあの女行かせていいのか?」
「バカ!! 手ぇ出すな!! 殺されちまうぞ!!」
レイナの動きを間近で見た筋肉質の男は勝てないことを十分分かっていた。
だが、肥満の男は中にいた新入り同様戦力差を分かっていない。
世間知らず特有の強気な自分が強いとまだ勘違いしている。
そんな彼に、殴るように拳を振り上げて威嚇する。
さすがに肥満の男は殴られたくなかったのか、両手で宥める動作をした。
「ま、待てって、分かった分かった、あいつと喧嘩なんかしねえよ」
「ふぅ、分かればいいんだ」
「はぁ、でも、あいつ良い女だったな、こう、冷たそうな目がグッとくるな、泣く時どんな顔するのか想像すると……」
「……お前、ボスに殺されるぞ」
ベック同様、新入りの教育が今後の課題だと彼は確信した。
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『不幸の菫子様』と呼ばれるに至った過去の出来事の数々から、菫子は誰かと共に在る事、そして己の将来に対して諦観を以て生きていた。
心許せる者は、自分付の女中と、噂畏れぬただ一人の求婚者。
求婚者との縁組が正式に定まろうとしたその矢先、歯車は回り始める。
命の危機にさらされた菫子を救ったのは、どこか懐かしく美しい灰色の髪のあやかしで――。
そして、菫子を取り巻く運命は動き始める、真実へと至る悲哀の終焉へと。
■二:あやかしの花嫁は運命の愛に祈る
旧題:大正石華戀奇譚<二> 椿の章
――あたしは、平穏を愛している
大正の時代、華の帝都はある怪事件に揺れていた。
其の名も「血花事件」。
体中の血を抜き取られ、全身に血の様に紅い花を咲かせた遺体が相次いで見つかり大騒ぎとなっていた。
警察の捜査は後手に回り、人々は怯えながら日々を過ごしていた。
そんな帝都の一角にある見城診療所で働く看護婦の歌那(かな)は、優しい女医と先輩看護婦と、忙しくも充実した日々を送っていた。
目新しい事も、特別な事も必要ない。得る事が出来た穏やかで変わらぬ日常をこそ愛する日々。
けれど、歌那は思わぬ形で「血花事件」に関わる事になってしまう。
運命の夜、出会ったのは紅の髪と琥珀の瞳を持つ美しい青年。
それを契機に、歌那の日常は変わり始める。
美しいあやかし達との出会いを経て、帝都を揺るがす大事件へと繋がる運命の糸車は静かに回り始める――。
※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。

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