ブラッドリング

サノサトマ

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記憶

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 北部局研究室。
 相変わらず鼻孔を刺激する薬品の匂いの中、ドクターと呼ばれている男、アルドリックは顕微鏡を覗いていた。
 そこへ、何者かの足音が聞こえてくる。
 その人物はノックもせず歩いてきた勢いのままドアを開けて入ってきた。
「ドクター」
「レイナか、どうかしたのか?」
「聞きたいことがある」




「記憶?」
 レイナはこの前の戦闘時にビアンカの血を吸った際、見たこともない記憶が脳内で再生されたことを話した。
 一人で考えても分からないため、ここへ聞きに来たという。
「ふむ、他者の記憶ね……」
「何か知っているの?」
「臓器移植の場合だが……」
 アルドリック曰く、臓器提供された者は元の臓器の持ち主の記憶や性格が引き継がれるケースがあるという。
 例としては、とある女性が男性のドナーから臓器を移植された後、菜食主義だったのが肉をよく食べるようになり、クラシック音楽が好みだったのがメタル系の音楽を好むようになったとのこと。
 これは男性側が肉を好み、メタル系の音楽の好みだった性格が臓器移植を切っ掛けに女性側の人格や性格に影響を与えたというものだ。
 人の記憶というのは脳だけにあると言われていたが、他の臓器にもある可能性があるという話である。
「ただ、君の場合は血を吸った、ということだから今の話には当てはまらないのだが……考えられるとすれば……」
「何?」
「記憶の混濁、ではないか?」
「混濁って、どうして?」
「君は戦闘中という極限の状況下で吸血行為をしたのだろう? 極度の緊張で君の脳は過去の記憶や事柄をデタラメに組み合わせて見せたかもしれんな、夢を見ている時のようにね」
 夢というのは脳内の記憶をなんの規則性もないまま繋げたり、過去のトラウマ等を掘り起こしたりする。
「私は幻覚でも見たの?」
「まあ、可能性の話だが……私は元々人狼の研究をしていてね、吸血鬼に関する情報は全て知らされていないから何とも言えんな、それで血を飲んで何か映像が見えたのは今回が初めてかね?」
「ええ、今までこんなことなんてなかった、輸血パックの血を飲んでも……」
「今現在で身体や気分に異常は?」
「特に、ない」
「なら大丈夫だろう、もし不安なら局長に言ってしばらく休みでもとったらどうだ?」
「いえ、そこまでしなくてもいい」
 実はここに搬入される予定だったプラチナを、無理を言って東南局のビアンカ用のナイフにして送ったことで局長を始め、デュラン等多くの上司に迷惑を掛けたことを申し訳なく思っていた。
 だから休みを取得するのは余程体調が悪くない限りしたくなかった。
「とりあえず何かあったらまたここに来る、相談にのってくれてありがとう」
 レイナは返事を聞く前に足早に部屋を後にした。
 ドクターは彼女の足音が聞こえなくなる程遠くなるのを確認すると、受話器を手に何者かに連絡をする。
「……御仕事中申し訳ありません、帰還したレイナに関することですが」
『何かあったか』
 相手はデュランだった。
「吸血した相手の記憶を読み取りました、相手は東南局のビアンカです」
『レイナはそれ以外の記憶は見たか?』
「いえ、今回が初めてだということで戸惑っていました、ただそのことに関しては適当に誤魔化しましたが」
『そうか、それでいい、それにしてもようやく覚醒し始めたか』
「ええ、他の吸血鬼に比べ少々遅いようですが」
『それでも確実に成長している、今はそれでいい』
「レイナは貴方の血で吸血鬼になったと聞きましたが、いずれ貴方の記憶も読み取るのでは?」
『……もしそうなったらすぐ私に報告しろ』
「分かりました」
 電話はデュラン側から切られた。
 もう繋がっていない受話器を静かに置くと、一人思考を巡らせる。
(過去に関して何も言わなかったな、何か不味いことでもあったのか? まあいい)
 デュランに関する過去の情報は全ては教えられていない。
 今のやり取りからして何か隠しているようだが、あまり首を突っ込むと命が危険に晒されるかもしれない。
 ここで吸血鬼に従う理由はあくまで知識欲を満たせる研究が出来るから。
 十分な資金と施設が使える今の状況が気に入っているため、藪をつついて蛇を出すような真似はしないことにした。
 例えレイナが実験台になったり使い捨ての駒になろうが、知ったことではなかった。



「はぁ……」
 部屋でベッドに一人横たわる女性エミリアは退屈そうにため息をつく。
 前局長であるライアンの愛人兼秘書だったが、新局長になってからは顔合わせしないまま怠惰な日々を送っていた。
 ライアンは身勝手だったが、そんな性格も含めて愛していた。
 まるでワガママな子供を愛でるような感覚もある。
 最後の思い出は乱暴に身体を求められたこと。
 さすがに精神的に傷ついたものの、しばらくしたらまた普段通りに接しようとした時に局長の交代。
 別れの挨拶もなしに消えたことで心に穴が開いたように無気力になってしまっていた。
 今では保管室から血液パックを取っては部屋に戻って飲んで時間を潰す毎日。
 しかし、さすがにこのままではいけないと思い新しい局長に会うことにした。
 黒いドレスを着用して身なりを整えると、部屋と出て局長室へ向かう。
 角を曲がると、向かい側からレイナの補佐であるアイヴィーの姿が見えた。
 両者ともに挨拶しないまま、不機嫌そうに近づいていく。
 すれ違いざまに肩がぶつかる。二人とも避けなかった。
「ちょっと!! あんた新入りだからって何様のつもり!?」
「……」
 アイヴィーはしばらく睨み付けると、無視するように歩きだした。
 そんな彼女の態度にエミリアは激怒し、掴み掛かる。
「待ちなさいよ!!」
 首を掴もうとした瞬間、アイヴィーは瞬時に振り返り、伸ばした右手を掴んでそのまま後ろに回り込み、壁に押し付けながら後ろ手に捻りあげた。
「あ……が……」
 元警察であるアイヴィーは暴漢や犯罪者を取り押さえる訓練を受けていたため出来た技である。
 右腕を捻りあげられ、壁に押し付けられたエミリアはなにをされたか分からなかった。
 アイヴィーは左手でエミリアの動きを抑えながら、もう片方の手をポケットに入れる。
 取り出したのは手の平サイズのスプレーボトルだった。
「これ、なにか分かる?」
「分かるわけ……ないでしょ……早く放しなさいよ!!」
「ニンニクスプレーだけど、吸血鬼に本当に効果があるのかしら?」
「ひっ」
 伝承によれば吸血鬼はニンニクに弱いというが、真相は分からなかった。
 なので、今この場で試そうとした。
「ま、待って!? お願い止めて!!」
「死んじゃうから?」
「死なないわよ!! ただ匂いがとれないのよ!! 私達吸血鬼は鼻が利くから嗅覚もダメになるのよ!!」
 エミリアの言うとおり、この世界の吸血鬼はニンニクでは死なないが、強化された嗅覚はニンニクに限らず匂いが強烈なものに対して人間以上に効果が出てしまう。
 しかも、嗅覚が回復するまで時間が掛かり頭痛等も続くため戦闘中だと支障をきたす。
「へぇ、確かにニンニク臭いと男に、局長に媚びれなくなるから困るわね」
「あんた……こんなことして……あぐっ!?」
 アイヴィーはより強く押さえつける。
 もう少し上へ捻り上げれば肩が脱臼してしまいそうだった。
「私はね、あんたみたいに歳をとっただけで自分が偉くなったと勘違いしている馬鹿は嫌いなのよ」
「な……」
「知識を生かすわけでもなく身体を動かすわけでもない、ただ文句ばかり言う奴は特にね、人間だった頃にも居たわ、そんな無能」
 かつて人間だった頃、生活が苦しくアルバイトをしていた時にそのように威張っている年配の人間のことを思い出す。
 出来れば忘れたかったが、思い出す度に『こんな人間にはなりたくない』と自分に言い聞かせていた。
「無駄なプライドのために動くんじゃなくてレイナみたいにもっと有意義に生きたら? この年増」
「っ……」
 年下であるアイヴィーに抑えられたあげく嫌っているレイナのことを引き合いに出され、頭に血が上るが動けば肩が壊れそうだったので動けない。
 アイヴィーは未だに抵抗しようとするエミリアの後頭部を押し、顔を壁に叩きつける。
 痛がった一瞬だけ力が抜けたその時、乱暴に投げ飛ばした。
 倒れたエミリアは鼻血を出しながら睨み付ける。
 しかし、アイヴィーはまったく物怖じしないまま見下す。
「まだやるの? 次は本当にニンニク液まみれにしてその顔潰してやるけどいいの?」
「くぅぅぅ……」
 威嚇する犬のように唸るが、技量的に勝てないエミリアのその姿はまさしく負け犬だった。
 何も言い返せなくなった彼女は、涙と鼻血を拭きながら逃げていった。
「クズが、あんたみたいな無能に下げる頭なんてないに決まってるでしょ」
 スプレーボトルをポケットに仕舞い、指示された仕事を思い出す。
 喧嘩になったことで心拍数が上昇しているが、ここで喚くのはみっともないと深呼吸して己を落ち着かせる。
 ちなみにボトルの中身はただの香水だった。
 目的は密かに想いを寄せているレイナに汗や体臭を嗅がせたくないから。
(まったく……確か、もうすぐ新人が来るはず)
 すぐに玄関へ向かう。
 途中、曲がり角を曲がった先でレイナに出会った。
「アイヴィー?」
「あ、レイナ、調子はどう?」
「ええ、大丈夫だけど、何かあったの?」
「え、何かって?」
「誰か叫んだような気がして」
「ああ、エミリアと喧嘩したの」
「!? 大丈夫?」
「大丈夫、あの女、口も腕っぷしもたいしたことなかったわ」
「あいつ……アイヴィー、また何かあったら私に言って、前の局長と一緒であいつも我が儘だから」
「ありがとう、じゃあ私はこれで」
 アイヴィーは何事もなかったかのように颯爽とその場を後にした。
 しかし、実際は喧嘩したせいで心拍数が上がったままの状態であり、好意を抱いているレイナに会ったことでさらに上がってしまった。
 自身の感情を悟られないように必死で冷静な態度を装ったが、背中が暑くなり汗が吹き出していた。
 自分を落ち着かせることには思ったほど時間が掛かるということが分かった瞬間でもあった。
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