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予備
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銃保管庫。
壁には無数の銃が立て掛けられており、さながら店のような雰囲気を醸し出している。
その奥にある作業台の上に多くの部品を広げ、一人の男が鼻唄混じりに作業していた。
ここで銃の管理、点検、整備を担当している男、サイラスである。
分解した銃のパーツを一つ一つ丁寧に拭き、銃口の中を覗いて汚れが残っていないか確認。
その他にも歪みや破損がないか入念に見てから組み立て、スライド部分を何度も前後に動かす。
異常がないことを確認すると、銃を静かに作業台に置いた。
まるで新品のように綺麗な状態になったのを見て満足そうに頷く。
そこへ、誰かがやってくる足音が聞こえた。
振り返ると、見慣れた人物がそこにいた。
「お、来たなレイナ」
「私の銃は?」
「丁度今整備が終わったところだ、まるで新品みたいだぜ」
そう言ってたった今組み立てたマグナム銃をカウンターの上に置いた。
レイナは受けとると、サイラスと同様にスライドを前後に何度も動かして動作確認を行い、壁に向かって構えて照準がずれていないか自分の目で確認する。
「完璧ね」
「だろう、で、どうだ?」
「ん?」
「その銃の性能だよ、前にオートマチックは嫌がってただろう?」
レイナは以前まではリボルバーのマグナム銃を使用しており、オートマチックタイプのマグナム銃は嫌っていた。
「確かに嫌がってたけど、それはもう前の話よ」
「最初俺の銃を見た時嫌そうな顔してたのにか?」
サイラスは意地悪そうな表情を見せる。
「昔オートマチックの銃が数発撃っただけで故障したからそれを思い出しただけ、貴方の銃は確かに信頼できるわ」
もう降参と言わんばかりの顔になるレイナ。
それを見れたことに、サイラスは満足する。
「ま、要望があったらいつでも言ってくれ、お前には最高の銃を使ってほしいからな」
「ありがとう」
「ああ、そういえば、副局長から聞いたか?」
「なにを?」
「しばらく局長室に入るなって、なんでも忙しいからって言ってたな」
「前に聞いた、あの馬鹿がデュランさんに叱られたみたい」
どうやら副局長のグリエルは自らの足で局内の部下全員に伝えて回ったようだ。
「なんでも良いが、無茶な要求はもうこりごりだぜ」
「なにか言われたの?」
「ああ、『弾が当たらないのは銃が悪い』だの『もっと多くの弾丸を込められるようにしろ』だの、本当に酷かったぜ」
「アイツの頭を撃ちたくなってくるわね」
「ハハ、確かにな、まあそれでも俺らの上司だし、撃つわけにはいかんな」
「ええ、そうね……」
ここでレイナは一人深刻な顔になる。
以前あった局長になるという話。
やはりあれは受けるべきだったのではないかと。
自身の目的としては無法者の化物達の排除ではあるが、それには武器の調達や拠点を管理できる、またはしてもらう環境が必要である。
仕事に追われ、現場に出る機会が減っても他の仲間や部下に任せ、自分は最大限バックアップするという選択肢もあったのではないかという考えが今更ながら浮かんでくる。
しかし、家族や親友を殺した無法者と同類の者に関してはやはり自分の手で始末したいという復讐心もあった。
「レイナ?」
突如無言になった彼女の顔をサイラスが心配そうに見ていた。
「え、ああ、ごめんなさい、ちょっと考え事をしてたの」
「疲れてるのか? ちゃんと休めてるか?」
「昼間は寝てるから大丈夫」
「いや、何日か休暇は必要じゃないか?」
「必要ない、吸血鬼だから体力はすぐ回復する」
「そうか、まあ、お前がそう言うなら……」
サイラスは心配しながらも、マグナム銃の弾丸が入った箱を渡した。
「ありがとう、それじゃあまた今度」
部屋を出ていくレイナを、サイラスは無言のまま見送った。
彼女はどこか無理をしているのではないかと考えるが、聞いても先程のように『吸血鬼だから平気』と返ってくるだけじゃないかと想像する。
肉体面ではなく精神面での負荷を無理矢理誤魔化しているようにも見えた。
それこそ心が壊れる寸前まで、下手をすれば壊れても戦い続けるのではないか。
もしそうなる道をレイナ自身が望んで歩んでいるのだとしたら、今の自分には止められる自信がなかった。
実際のところレイナは戦闘等で心身共にストレス過多の状態になっていたが、常人以上の耐久力を持って耐えていた。
しかし、サイラスの読み通りどこかしら無理をしている様子を隠しきれていない。
なんとか力になってやりたいと、銃の整備や改造等自分が出来る精一杯の支援をしているものの、それ以上の援助が出来ない。
願わくば誰かが彼女の心の支えになってくれるような人でも現れてくれないか、と一人銃に囲まれながら考えるサイラスだった。
「レイナ」
廊下を歩いていると、背後からアイヴィーに呼び止められた。
(また気が付かなかった)
周囲の気配には敏感な筈なのにアイヴィーの存在だけは感知しにくい。
感覚が鈍ったかと思ったが、他の人の気配はいつも通り感じ取れている。
なら、どうして?
そう疑問に思っていると、彼女は隣に立った。
「貴方を探していたの」
「どうして?」
「一緒に局長室に来るようにって連絡が来て」
「あの馬鹿が? 局長室に来るなって言ってたのに?」
「いえ、それが……新しい局長からですって」
「え? 新しい?」
レイナは副局長であるグリエルが新局長になったのかと思ったが、アイヴィーの顔を見るに違うようだった。
二人は局長室の前まで来ると、互いに目を合わせた。
この中に誰がいるのか?
新しい局長とは誰なのか?
それを確かめるため、レイナはノックした。
「どうぞ」
中から若い男の声。
あの甘ったれのお坊っちゃんの声ではない。
「……失礼します」
ドアを開け中へ入ると、執務机の前に一人の男が書類を見ながら立っていた。
金髪に端正な顔つき、背が高くモデルのように細い身体。
黒のスーツを着用しているその姿はさながら映画の主演を勤める若手俳優のようだった。
「初めまして、僕の名前はランハート、どうぞよろしく」
「ええ、私はレイナ、こっちはアイヴィーです……」
レイナは少々警戒しながら自己紹介をする。
物腰が柔らかそうな男。
第一印象は悪くなかったが、局長というより新入りという雰囲気に疑問が浮かぶ。
本当にここの局長なのか?
レイナは思い出したくもないあのお坊っちゃんがいないことを問う。
「……ライアンはどこに?」
「ああ、彼なら施設に戻されたよ」
「施設?」
「そう、訓練施設、僕はそこから来たんだ」
「ここ以外の訓練施設が?」
「そう、万が一ここが襲撃された場合に備えての予備戦力を保持、育成している所、局長クラス以外には知らされていないんだ」
この前ここへ配属されたばかりのアイヴィーが居た、一時的に吸血鬼となった元人間を保護する場所とは違う施設の存在。
アイヴィーはそういった所があるのか、という疑問を目と表情で表現するようにレイナを見た。
しかし、レイナも同様知らなかったようで、二人ともアイコンタクトで意志疎通する。
「デュランさんからは何と?」
「これらの決定はデュランさんからの指示なんだ、ライアンではもうダメだと言ってね」
「そう……ですか」
突然の決定と配置にレイナはアイヴィーと共に同様を隠せない。
そんな二人を他所にランハートは再び書類に目を通す。
「まあ、僕はまだここへ来たばかりだけど、この役職と仕事はベストを尽くすよ、とりあえず……ん~、そうだな、レイナ、まず君は休むべきじゃないかな」
「……え、は?」
実力はないのにプライドだけは一人前のライアンであれば『休むな! さっさと動け!』とでも言いそうな場面。
新たな局長となった彼は逆のことを言ってきたので、レイナは一瞬だけ思考が停止して生返事をしてしまった。
「これまでの報告書や活動記録を見たんだが、君はほぼ休みなく偵察や戦闘をしているようだね、疲れは感じてないかい?」
「ええ、まあ、血を飲んで数時間でも横になれば回復するので大丈夫です」
「いや、肉体面ではなく精神面の事だ」
「……」
彼からの言葉に当てはまることがいくつかあった。
常に隠密性を問われる仕事だが、日々蓄積されたストレスから、日頃気に掛けている花屋の店員に近づいてしまうという突発的な行動をしてしまった。
本来であれば特別な理由がない限り、一般人への接触は禁止されているのにも関わらず、レイナはその店で花を購入している。
その行動を知っているアイヴィーは報告書に記載していない。
無論、自身も同罪なのでここでは黙っていた。
さらに休日をほぼ取らずに街中へ偵察任務に行っているのも、その花屋の店員を見ることに加え、一人で多くの無法者の異形を見つけ出すため。
なので普通の人間のように丸一日休むということは、怪我を除いてほぼない。
吸血鬼ならではの体力と回復速度があればこそのルーティーンだが、それでもランハートは心配している様子だった。
「とりあえず……アイヴィー、君は機械の調整等出来るようだね」
「はい」
「レイナの部屋にパソコンを設置してもらえないだろうか?」
「ええ、いいですけど、どうしてですか?」
「最近の人間の娯楽は素晴らしくてね、息抜きにそれで楽しむのも有りかと思ったんだが、レイナ、どうかな?」
「はい、構いませんが」
「じゃあ決まりだ、レイナは取り合えず今日と明日は休暇扱いにしよう、街への偵察任務や他の部隊員には僕の方から連絡して調整するよ」
互いの自己紹介に加えて予定も決まっていく。
ライアンとは違い、その手際の良さに困惑しながらレイナとアイヴィーは局長室を後にした。
その後、ランハートは内線を通じて他の部下への指示を出しながら構成員を確認していく。
最初は、言うなれば若造という印象の新しい局長だった。
だが、誰でも出来るようなありきたりな指示ではなく、しっかりと部下達の能力や仕事内容を把握した上での指示に第一印象は少なくとも悪くはなかった。
一連の仕事や指示を終え、執務机の上の書類を整理していく。
時刻は日が昇る少し前。
部下達は一部の警護担当以外は眠りにつく時間帯だった。
ランハートは局長室を出ると、周囲に誰も居ないことを確認しながら研究室へと向かっていく。
まるで仕事終わりのオフィスのように静けさの中、目的の部屋の前に到着した。
嗅覚を刺激するような薬品の匂いに目を細めながらドアを開け、中へ入る。
「ドクター」
「ん? ああ、これはこれは、どういったご用件で」
部屋の主、ドクターと呼ばれている人物、アルドリックが顕微鏡から局長へ視線を移した。
「アイツに会いに来た」
「分かりました」
アルドリックはパソコンのキーを幾つか押す。
恐らく何かのパスワードだろうか。
入力を終えると、壁に偽装した扉がゆっくりと自動で開く。
部屋の中は円柱状の水槽が幾つも壁沿いに並んでおり、中身は何かの液体に満たされ、手や足、胴体等が入れられていた。
それらを無視するように二人は奥へ進んでいくと、バケツ程の大きさの水槽があり、中には何者かの頭部があった。
「まったく、無様だな」
水槽の中の頭部は首から何本ものチューブが接続されている。
驚くことにまだ生きているようで、その人物はランハートと目を合わせた。
「最も自由に育てられた奴が、今は最も不自由になるとは……笑えないな、ライアン」
なんと、水槽の中に入れられていたのは、首を斬られて頭部のみとなった元局長のライアンだった。
それも、死なないようにチューブから生存に必要な液体を注入されている状態だ。
ライアンは身体を失ったにも関わらず、何かを喋ろうとしたが発声出来ない。
無論、ランハートは彼が何を言おうとしたのか興味はなかった。
「まあ、アンタからすれば初対面だが……俺はアンタを知ってたよ」
ランハートは近くの椅子に座り、足を組んでライアンを正面から見つめる。
「俺達は施設で育てられたんだ、来る日も来る日も訓練と勉学ばかり、成績や身体能力の悪い奴は連れていかれて二度と戻ってこなかった、目的はアンタの予備、言わば代わりだ」
辛い過去を思い出し、ため息混じりに視線を落とす。
「本来ならあと数年はあの施設にいる予定だったんだが、お前がヘマをしてくれたお陰で早まったんだ、それに関しては礼を言うよ」
手も足も出ないライアンを侮蔑するような表情を見せた。
「ハッキリ言ってアンタが憎かった、何も知らず何も耐えず、ただただ楽に毎日を生きていたんだからな、だがそれももう終わりだ」
ランハートは笑みを浮かべながら立ち上がった。
後ろにある水槽。
その中にある首なしの身体を指差す。
「見えるか、あれはアンタの身体だ、まあ、いろいろ実験に使わせてもらうよ」
自分の身体を見たライアンは眉間に皺を寄せ、怒りや悔しさを滲ませた。
しかし、今や何も出来なくなった彼は無力だった。
ランハートは、そんなライアンを可哀想だとは思わない。
アルドリック共々ゴミを見るような目で見つめた。
「じゃあそろそろ行くよ、せいぜい実験に耐えてくれよ、兄さん」
「!?」
ランハートの言葉にライアンは驚く。
自分に兄弟がいることなど、父親であるデュランからは一切教えられなかったからだ。
だが、今更知ったところでどうにもならない。
遠ざかっていく弟の背中と、何か実験を開始しようとするアルドリックの姿を、延命のための液体で満たされた水槽の中で見ることしか出来なかった。
壁には無数の銃が立て掛けられており、さながら店のような雰囲気を醸し出している。
その奥にある作業台の上に多くの部品を広げ、一人の男が鼻唄混じりに作業していた。
ここで銃の管理、点検、整備を担当している男、サイラスである。
分解した銃のパーツを一つ一つ丁寧に拭き、銃口の中を覗いて汚れが残っていないか確認。
その他にも歪みや破損がないか入念に見てから組み立て、スライド部分を何度も前後に動かす。
異常がないことを確認すると、銃を静かに作業台に置いた。
まるで新品のように綺麗な状態になったのを見て満足そうに頷く。
そこへ、誰かがやってくる足音が聞こえた。
振り返ると、見慣れた人物がそこにいた。
「お、来たなレイナ」
「私の銃は?」
「丁度今整備が終わったところだ、まるで新品みたいだぜ」
そう言ってたった今組み立てたマグナム銃をカウンターの上に置いた。
レイナは受けとると、サイラスと同様にスライドを前後に何度も動かして動作確認を行い、壁に向かって構えて照準がずれていないか自分の目で確認する。
「完璧ね」
「だろう、で、どうだ?」
「ん?」
「その銃の性能だよ、前にオートマチックは嫌がってただろう?」
レイナは以前まではリボルバーのマグナム銃を使用しており、オートマチックタイプのマグナム銃は嫌っていた。
「確かに嫌がってたけど、それはもう前の話よ」
「最初俺の銃を見た時嫌そうな顔してたのにか?」
サイラスは意地悪そうな表情を見せる。
「昔オートマチックの銃が数発撃っただけで故障したからそれを思い出しただけ、貴方の銃は確かに信頼できるわ」
もう降参と言わんばかりの顔になるレイナ。
それを見れたことに、サイラスは満足する。
「ま、要望があったらいつでも言ってくれ、お前には最高の銃を使ってほしいからな」
「ありがとう」
「ああ、そういえば、副局長から聞いたか?」
「なにを?」
「しばらく局長室に入るなって、なんでも忙しいからって言ってたな」
「前に聞いた、あの馬鹿がデュランさんに叱られたみたい」
どうやら副局長のグリエルは自らの足で局内の部下全員に伝えて回ったようだ。
「なんでも良いが、無茶な要求はもうこりごりだぜ」
「なにか言われたの?」
「ああ、『弾が当たらないのは銃が悪い』だの『もっと多くの弾丸を込められるようにしろ』だの、本当に酷かったぜ」
「アイツの頭を撃ちたくなってくるわね」
「ハハ、確かにな、まあそれでも俺らの上司だし、撃つわけにはいかんな」
「ええ、そうね……」
ここでレイナは一人深刻な顔になる。
以前あった局長になるという話。
やはりあれは受けるべきだったのではないかと。
自身の目的としては無法者の化物達の排除ではあるが、それには武器の調達や拠点を管理できる、またはしてもらう環境が必要である。
仕事に追われ、現場に出る機会が減っても他の仲間や部下に任せ、自分は最大限バックアップするという選択肢もあったのではないかという考えが今更ながら浮かんでくる。
しかし、家族や親友を殺した無法者と同類の者に関してはやはり自分の手で始末したいという復讐心もあった。
「レイナ?」
突如無言になった彼女の顔をサイラスが心配そうに見ていた。
「え、ああ、ごめんなさい、ちょっと考え事をしてたの」
「疲れてるのか? ちゃんと休めてるか?」
「昼間は寝てるから大丈夫」
「いや、何日か休暇は必要じゃないか?」
「必要ない、吸血鬼だから体力はすぐ回復する」
「そうか、まあ、お前がそう言うなら……」
サイラスは心配しながらも、マグナム銃の弾丸が入った箱を渡した。
「ありがとう、それじゃあまた今度」
部屋を出ていくレイナを、サイラスは無言のまま見送った。
彼女はどこか無理をしているのではないかと考えるが、聞いても先程のように『吸血鬼だから平気』と返ってくるだけじゃないかと想像する。
肉体面ではなく精神面での負荷を無理矢理誤魔化しているようにも見えた。
それこそ心が壊れる寸前まで、下手をすれば壊れても戦い続けるのではないか。
もしそうなる道をレイナ自身が望んで歩んでいるのだとしたら、今の自分には止められる自信がなかった。
実際のところレイナは戦闘等で心身共にストレス過多の状態になっていたが、常人以上の耐久力を持って耐えていた。
しかし、サイラスの読み通りどこかしら無理をしている様子を隠しきれていない。
なんとか力になってやりたいと、銃の整備や改造等自分が出来る精一杯の支援をしているものの、それ以上の援助が出来ない。
願わくば誰かが彼女の心の支えになってくれるような人でも現れてくれないか、と一人銃に囲まれながら考えるサイラスだった。
「レイナ」
廊下を歩いていると、背後からアイヴィーに呼び止められた。
(また気が付かなかった)
周囲の気配には敏感な筈なのにアイヴィーの存在だけは感知しにくい。
感覚が鈍ったかと思ったが、他の人の気配はいつも通り感じ取れている。
なら、どうして?
そう疑問に思っていると、彼女は隣に立った。
「貴方を探していたの」
「どうして?」
「一緒に局長室に来るようにって連絡が来て」
「あの馬鹿が? 局長室に来るなって言ってたのに?」
「いえ、それが……新しい局長からですって」
「え? 新しい?」
レイナは副局長であるグリエルが新局長になったのかと思ったが、アイヴィーの顔を見るに違うようだった。
二人は局長室の前まで来ると、互いに目を合わせた。
この中に誰がいるのか?
新しい局長とは誰なのか?
それを確かめるため、レイナはノックした。
「どうぞ」
中から若い男の声。
あの甘ったれのお坊っちゃんの声ではない。
「……失礼します」
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黒のスーツを着用しているその姿はさながら映画の主演を勤める若手俳優のようだった。
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物腰が柔らかそうな男。
第一印象は悪くなかったが、局長というより新入りという雰囲気に疑問が浮かぶ。
本当にここの局長なのか?
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「……ライアンはどこに?」
「ああ、彼なら施設に戻されたよ」
「施設?」
「そう、訓練施設、僕はそこから来たんだ」
「ここ以外の訓練施設が?」
「そう、万が一ここが襲撃された場合に備えての予備戦力を保持、育成している所、局長クラス以外には知らされていないんだ」
この前ここへ配属されたばかりのアイヴィーが居た、一時的に吸血鬼となった元人間を保護する場所とは違う施設の存在。
アイヴィーはそういった所があるのか、という疑問を目と表情で表現するようにレイナを見た。
しかし、レイナも同様知らなかったようで、二人ともアイコンタクトで意志疎通する。
「デュランさんからは何と?」
「これらの決定はデュランさんからの指示なんだ、ライアンではもうダメだと言ってね」
「そう……ですか」
突然の決定と配置にレイナはアイヴィーと共に同様を隠せない。
そんな二人を他所にランハートは再び書類に目を通す。
「まあ、僕はまだここへ来たばかりだけど、この役職と仕事はベストを尽くすよ、とりあえず……ん~、そうだな、レイナ、まず君は休むべきじゃないかな」
「……え、は?」
実力はないのにプライドだけは一人前のライアンであれば『休むな! さっさと動け!』とでも言いそうな場面。
新たな局長となった彼は逆のことを言ってきたので、レイナは一瞬だけ思考が停止して生返事をしてしまった。
「これまでの報告書や活動記録を見たんだが、君はほぼ休みなく偵察や戦闘をしているようだね、疲れは感じてないかい?」
「ええ、まあ、血を飲んで数時間でも横になれば回復するので大丈夫です」
「いや、肉体面ではなく精神面の事だ」
「……」
彼からの言葉に当てはまることがいくつかあった。
常に隠密性を問われる仕事だが、日々蓄積されたストレスから、日頃気に掛けている花屋の店員に近づいてしまうという突発的な行動をしてしまった。
本来であれば特別な理由がない限り、一般人への接触は禁止されているのにも関わらず、レイナはその店で花を購入している。
その行動を知っているアイヴィーは報告書に記載していない。
無論、自身も同罪なのでここでは黙っていた。
さらに休日をほぼ取らずに街中へ偵察任務に行っているのも、その花屋の店員を見ることに加え、一人で多くの無法者の異形を見つけ出すため。
なので普通の人間のように丸一日休むということは、怪我を除いてほぼない。
吸血鬼ならではの体力と回復速度があればこそのルーティーンだが、それでもランハートは心配している様子だった。
「とりあえず……アイヴィー、君は機械の調整等出来るようだね」
「はい」
「レイナの部屋にパソコンを設置してもらえないだろうか?」
「ええ、いいですけど、どうしてですか?」
「最近の人間の娯楽は素晴らしくてね、息抜きにそれで楽しむのも有りかと思ったんだが、レイナ、どうかな?」
「はい、構いませんが」
「じゃあ決まりだ、レイナは取り合えず今日と明日は休暇扱いにしよう、街への偵察任務や他の部隊員には僕の方から連絡して調整するよ」
互いの自己紹介に加えて予定も決まっていく。
ライアンとは違い、その手際の良さに困惑しながらレイナとアイヴィーは局長室を後にした。
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だが、誰でも出来るようなありきたりな指示ではなく、しっかりと部下達の能力や仕事内容を把握した上での指示に第一印象は少なくとも悪くはなかった。
一連の仕事や指示を終え、執務机の上の書類を整理していく。
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それらを無視するように二人は奥へ進んでいくと、バケツ程の大きさの水槽があり、中には何者かの頭部があった。
「まったく、無様だな」
水槽の中の頭部は首から何本ものチューブが接続されている。
驚くことにまだ生きているようで、その人物はランハートと目を合わせた。
「最も自由に育てられた奴が、今は最も不自由になるとは……笑えないな、ライアン」
なんと、水槽の中に入れられていたのは、首を斬られて頭部のみとなった元局長のライアンだった。
それも、死なないようにチューブから生存に必要な液体を注入されている状態だ。
ライアンは身体を失ったにも関わらず、何かを喋ろうとしたが発声出来ない。
無論、ランハートは彼が何を言おうとしたのか興味はなかった。
「まあ、アンタからすれば初対面だが……俺はアンタを知ってたよ」
ランハートは近くの椅子に座り、足を組んでライアンを正面から見つめる。
「俺達は施設で育てられたんだ、来る日も来る日も訓練と勉学ばかり、成績や身体能力の悪い奴は連れていかれて二度と戻ってこなかった、目的はアンタの予備、言わば代わりだ」
辛い過去を思い出し、ため息混じりに視線を落とす。
「本来ならあと数年はあの施設にいる予定だったんだが、お前がヘマをしてくれたお陰で早まったんだ、それに関しては礼を言うよ」
手も足も出ないライアンを侮蔑するような表情を見せた。
「ハッキリ言ってアンタが憎かった、何も知らず何も耐えず、ただただ楽に毎日を生きていたんだからな、だがそれももう終わりだ」
ランハートは笑みを浮かべながら立ち上がった。
後ろにある水槽。
その中にある首なしの身体を指差す。
「見えるか、あれはアンタの身体だ、まあ、いろいろ実験に使わせてもらうよ」
自分の身体を見たライアンは眉間に皺を寄せ、怒りや悔しさを滲ませた。
しかし、今や何も出来なくなった彼は無力だった。
ランハートは、そんなライアンを可哀想だとは思わない。
アルドリック共々ゴミを見るような目で見つめた。
「じゃあそろそろ行くよ、せいぜい実験に耐えてくれよ、兄さん」
「!?」
ランハートの言葉にライアンは驚く。
自分に兄弟がいることなど、父親であるデュランからは一切教えられなかったからだ。
だが、今更知ったところでどうにもならない。
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後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
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