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血まみれの赤ずきん
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深夜の森の中。
街灯一つない道路を、黒のワゴン車五台が一列になり走行していた。
中に乗っているのは護衛の吸血鬼達。
後ろから二番目の車には、西部局の局長である巨漢の吸血鬼グレゴリーと、その護衛役として付き添っている白い頭巾の少女メイジーが乗っていた。
運転手や他の車に乗車している護衛の者達は皆、襲撃を警戒しながら通りすぎていく木々の景色を見ていた。
そんな張り詰めた空気の中で、メイジーは一人退屈そうにしている。
睡魔のせいで目蓋が徐々に降り、今にも眠りにつきそうだった。
本来護衛役はそのような気の抜けた態度は許されない。
しかし、グレゴリーにとって彼女は例外だった。
名目上は護衛でも実際は彼自身が見張っている。
なぜ見張らなければならないのか。
それは、メイジーの過去と性格に原因があった。
十数年前。
メイジーは監禁されていた。
人里離れた森の中、ボロボロの家に作られた粗末で狭い地下空間。
ここにメイジーは鎖を足に付けられ、ボロ布一枚だけを纏って横になっていた。
なぜこんな環境下での生活を余儀なくされたのか。
それは、母親が原因だった。
メイジーの母は売春婦だったが、避妊に失敗し妊娠。
金遣いが荒い性格のせいで堕胎させる資金がなく、すでに若さも失っていたため店から追い出されてしまった。
なんとか金を借りようと奔走して回ったが、元々怠惰な性格のせいで時間がかかり、そうしている間にもお腹は大きくなっていく。
ついに出産間近となった彼女は病院へ行き、メイジーを産んだ。
当時の国の制度では産後一ヶ月は面倒を見てもらえるが、それ以降は自身で育てていかなくてはならない。
母親はメイジーを利用して国からの補助金等に頼ろうとしたが、知識不足なことが災いしそれらの資金は貰えず、手元の金がさらになくなっていった。
そうして逃げた先の家で暮らすことになるが、母親はこうなった状況をすべて娘のせいにして八つ当たりをしていく。
メイジーは物心ついたときから母親からの暴力と粗末な食事が記憶の大半を占めた。
ほとんど明かりがない地下室。
飢えと母親からの暴力で生きる気力がほぼない彼女の身体は、同年代の子供の平均体重を下回っていた。
そんなある日、母親は一筋の望みを賭けて夜の街へと向かう。
あわよくば欲を満たした見返りに金が貰えることを想像しながら。
母親が出ていったその日の夜は、メイジーにとって安堵できる時間だった。
暴力と暴言を浴びせてくる恐怖の対象がいない。
十分に嬉しい出来事だったが、空腹感だけは解消されない。
せめてパンだけでも一口ほしいと思っていると、暗闇の中で何か小さい生き物の鳴き声が聞こえた。
どこから入ったか分からなかったが、それはネズミだった。
痩せ細った少女の身体の匂いを嗅ぎ分けながら近づいてくる。
小動物の存在を察知したメイジーは、今までの無気力が嘘であるかのようにすばやく捕まえた。
飢餓状態の中、食べ物を求めた本能だったかもしれない。
捕まえられたネズミはすぐ少女の手に噛みつく。
その噛まれた痛みが刺激となり、メイジーは獲物を逃がさないと言わんばかりにネズミの頭を噛った。
ネズミは激しく暴れるが、その度に少女も何度も噛んでいく。
やがて息絶えたネズミの頭を食い千切ると、その血肉を食べていく。
毛だらけだったが、そんなことは気にしていられなかった。
口の回りが血だらけになりながら野生児のように飲み込んでいく。
しかし、体力が低下していたメイジーの胃はそれらを受け付けなかった。
不潔なネズミを食べたことで、少女は嘔吐した。
最後の気力を振り絞ったが、まともな食事にありつけることは叶わず、吐瀉物にまみれながら倒れた。
最早死ぬのも時間の問題だった。
しばらくの間横になっていると、母親が帰ってくる音が聞こえた。
もしかしたら助けてもらえるかもしれない。
恐怖の象徴となった母親だが他に頼れる者はいない。
藁にもすがる想いで助けを求めようとしたその時、ドア代わりにしていた床下の板が開いた。
開けたのは母親。
まさか助けに来てくれた?
そう思って手を伸ばすメイジーに母親が近づいていく。
だが、様子がおかしい。
まるで獲物を前にした狼のように息が荒い。
不審に思っていると、母親はメイジーの手を掴み強引に引くと、その首に噛みついた。
「ヒ……ギャアアアアアア!!」
噛まれた首に鋭い痛みが走り、思わず叫ぶメイジー。
いつもは殴ってくるのに、今は明らかに違う。
母親はすでに吸血鬼となっていたからだ。
だが、憔悴しきった少女は抵抗できない。
すると、母親は口を離し、乱暴にメイジーを投げ捨てた。
「まずい血だね、ドブ水を飲んでるみたいだよ」
「あ……ぁ……」
少女は体内の僅かな水分を絞り出すように涙を流した。
もう終わりだ。
このままここで死ぬんだ。
誰も助けてくれない。
絶望感だけが心の中を満たしていく。
母親はそんなメイジーをゴミを見るような目で見つめていると、玄関から何者かが入ってくる気配は察知した。
すぐに地下室から出ていく。
離れていく母親の背中を、死に瀕して見つめるメイジー。
体力も気力もほぼ尽き掛けた少女は、すでに母親を親としては見てなかった。
そんな視線を向けられていることも知らない母親は、地下室の出入り口で辺りを見回すと侵入者を見つけた。
「なんだいアンタは? 勝手に人の家に入って……いや、それよりアンタ、沢山血が有りそうじゃない」
獲物を前に舌を舐めずる。
しかし、次の瞬間、侵入者は素早く接近し母親の顔を殴った。
メイジーからは母親の姿が一瞬で消えたように見えた。
まるで乱暴に投げられた人形のように吹っ飛ばされた母親は一撃で絶命し、物言わぬ死体となっていた。
その侵入者は白いコートを着た巨漢の男だった。
男はメイジーを見つけると、ゆっくりと地下室へ入っていく。
少女は自分も殺されると思った。
だが、もうどうでもいいと諦めていた。
いっそのことここで殺して楽にしてほしい。
そう思いながら近づいてくる男を見つめていると、その目に殺意はなかった。
むしろ哀れむような目をしていた。
「先ほどの女性は君の母親か?」
「……ん」
メイジーは力なく頷いた。
母親から向けられたことのない慈悲に満ちた男の表情を見ながら、ゆっくりと意識を失った。
メイジーは目を開けると、見たことのない白く綺麗な天井が視界に広がっていた。
加えて柔らかいベッドと綺麗なシーツ。
今までの小汚ない床とは違う快適な場所。
ここはどこかと疑問に思っていると、右腕に痛みを感じた。
何か赤い液体が入ったチューブの先端、その針が刺さっていた。
さらに上を見ると銀色の棒に吊り下げられた、赤い液体が入ったパックがあった。
ガードル棒と輸血パックだが、メイジーはそれらを初めて見たので何か分からなかった。
腕に刺さったこれを取り外すべきか?
悩んでいると、部屋のドアを開けて誰かが入ってくる。
その人物は意識を失う前に最後に見たあの男だった。
巨体ではあるが威圧感を感じさせない静かな動きに少女は黙って見つめている。
「ここ、どこ?」
「病院だ」
「びょういん?」
「ああ、君は酷い栄養失調で死にかけていた、しかも母親に噛まれたせいで……」
男は眉間に皺を寄せ、悲しそうに顔を背ける。
だが、意を決したように続ける。
「君の母親は吸血鬼になって君に噛みついた、そのせいで君も吸血鬼になってしまったんだ」
「……え?」
メイジーはよく分からなかった。
だが、それでも何となく理解しようとした。
多分、自分は人間以外の何か。
化け物になってしまったのではないかと。
「本来であれば人間に危害を加える吸血鬼は処分するのが私達の仕事だ、君に関してはどうするか悩んだ」
「……私、殺されるの?」
「……道は二つ、ここで……安楽死、つまり死ぬことを選ぶか、それとも、私とともに吸血鬼を狩るために生きるか、だ……」
「……」
まだ子供のメイジーには難しかった。
だが、一つだけ気になることを思い出した。
「お母さんは……どうなったの?」
「……すまない、私が、殺した……」
男は頭を下げた。
そんな彼の姿にメイジーは憎しみを抱かなかった。
それどころか、少女は口端を上げていた。
「ざまあみろ……」
「え?」
とても小さい声だったため、男は聞き取れなかった。
しかし、悲しむどころか喜んでいる少女の顔に戦慄した。
過酷な環境で生きていたから感情がおかしくなってしまったのか?
そう思い、男は少女を保護する形で引き取ることにした。
そして、気が進まないながらも詳しい仕事内容と武器の使い方を教えた。
政府に属する吸血鬼には戦う以外に道はない。
年端もいかない者に武器を持たせることに、男は心苦しかったが、少女は逆だった。
スポンジが水を吸うかのように、子供特有の覚えの速さで瞬く間に狩人として成長していく。
特にナイフを持っての高速での狩りは目を見張るものだった。
周囲が関心する中、男は自問自答していく。
たしかにあの少女は狩人として才能を開花させつつある。
だが、親に虐待されまともに育てられていない子供を戦力として育成し、戦わせていいのか?
しかし、ここまで来て安楽死させるなど酷なことではないか?
なによりメイジー自身が望んでいない。
むしろ、練習とはいえ狩りを楽しんでいる様子だ。
私があの娘のためにしてやれること。
それは、生き残れるように見守っていくだけ。
あの娘にこんなことをさせている私はきっと地獄に行くだろう。
だが、せめてあの娘には正常な感性を持ってほしい。
殺しや戦いを楽しむような人格ではなく、他者を慈しむような心を持ってほしい。
そんな想いも虚しく、メイジーは初の実戦を単独で成功させた。
田舎で人が少ない場所での戦闘。
そこで二人組の敵の吸血鬼を無傷で倒したのだ。
記録上では華々しい初戦を飾ったが、その細かい手口までは載っていなかった。
なぜなら、あまりにも残虐だったからだ。
まず素早い動きで敵の首をナイフで切り、太股、二の腕と続けざまに切ると、後は相手が絶命するまでメッタ刺しにしたからだ。
帰還した際には、白い服が返り血で赤く染まっていた。
それからというもの、戦闘する度に白い服を染めていく。
なぜ、そのような残虐な行為をするのか。
それは、吸血鬼になる前、空腹のあまりネズミを噛み殺した時のこと。
暗闇の中、辛うじて見えた赤い血の色。
それを見ることがメイジーにとって生を感じる最高の瞬間だった。
服を白で統一しているのも返り血を分かりやすくするため。
これらの出来事から、少女は『血まみれの赤ずきん』と呼ばれることとなった。
同時に、メイジーを救った男は局長に就任すると、その権限を用いて自らの側近として置くことにした。
表向きは局長である自身の護衛のため。
実際は戦闘狂のメイジーを側で見張るため。
もう少し早く救っていれば少女は吸血鬼にならずに済んだのではないか。
そんな『もしも』という決して実現しない可能性を頭の中で考えながら、局長となった男グレゴリーは少女と共に生きていくこととなる。
ワゴン車の後部座席でグレゴリーは過去を思い出していた。
今にも眠りそうなメイジーを見る目はまるで保護者のようだった。
(今日は戦わせずに済みそうだ)
安心した彼は、少女同様目を閉じて目的地に着くまでの間、静かに眠ろうとした。
次の瞬間、一番前を走行していたワゴン車が突如爆発した。
「なんだ!?」
運転手が叫び、全車ほぼ同時に急ブレーキを掛ける。
しかし、車は急に止まれないため、それぞれ右へ左へと勢いのまま車体の向きを変えながら停車した。
直後、一番後ろのワゴン車も爆発する。
「敵襲!! 全員戦闘態勢!!」
攻撃を受けていることは明白だった。
運転手が無線で呼び掛け、残ったワゴン車から護衛の吸血鬼達がドアを開けて飛び出す。
夜目が効く彼らは遠くにいる武装した者達の姿を確認。
「これ以上やらせるな! 撃て!!」
左右へ展開した護衛達が、それぞれ持っていたライフルで森の中から攻撃してきた者達へ反撃を開始する。
おそらく車を爆発、破壊したのはロケットランチャーと思われる。
肩に担いで撃つタイプの兵器で、銃とは構え方が明らかに違う。
護衛の者達は皆その知識があるため、銃を撃ちながらそういった兵器を持っている敵がいないか警戒する。
一方、未だ車内にいたメイジーは眠気が吹っ飛んでいた。
「ねえ、あいつら皆殺せばいい?」
「……ああ」
まるで遠足に行く子供のように喜んでいるメイジー。
反対にグレゴリーは落胆した様子だった。
メイジーにはその理由が分からない。
(なんで落ち込んでいるの? ま、いっか)
ナイフを逆手に持ち、車から降りた。
周囲はすでに銃撃戦となっており、敵からの流れ弾も飛んで来て危険な状況だった。
しかし、メイジーは直立不動のまま撃ってくる敵の方向を確認している。
(沢山いる、あいつらを殺せば今度こそ称号貰えるかな)
これから始まる戦闘を前に、少女のその見た目とは裏腹に狂気を宿したようなおぞましい笑顔を敵に向ける。
心の中で徒競走の始まりの合図を自身に対して出すと、まるで豪腕の野球選手が投げたボールのように飛び出していった。
その顔には銃を向けられて撃たれ、弾が当たるかもしれないという恐怖心は微塵もなかった。
街灯一つない道路を、黒のワゴン車五台が一列になり走行していた。
中に乗っているのは護衛の吸血鬼達。
後ろから二番目の車には、西部局の局長である巨漢の吸血鬼グレゴリーと、その護衛役として付き添っている白い頭巾の少女メイジーが乗っていた。
運転手や他の車に乗車している護衛の者達は皆、襲撃を警戒しながら通りすぎていく木々の景色を見ていた。
そんな張り詰めた空気の中で、メイジーは一人退屈そうにしている。
睡魔のせいで目蓋が徐々に降り、今にも眠りにつきそうだった。
本来護衛役はそのような気の抜けた態度は許されない。
しかし、グレゴリーにとって彼女は例外だった。
名目上は護衛でも実際は彼自身が見張っている。
なぜ見張らなければならないのか。
それは、メイジーの過去と性格に原因があった。
十数年前。
メイジーは監禁されていた。
人里離れた森の中、ボロボロの家に作られた粗末で狭い地下空間。
ここにメイジーは鎖を足に付けられ、ボロ布一枚だけを纏って横になっていた。
なぜこんな環境下での生活を余儀なくされたのか。
それは、母親が原因だった。
メイジーの母は売春婦だったが、避妊に失敗し妊娠。
金遣いが荒い性格のせいで堕胎させる資金がなく、すでに若さも失っていたため店から追い出されてしまった。
なんとか金を借りようと奔走して回ったが、元々怠惰な性格のせいで時間がかかり、そうしている間にもお腹は大きくなっていく。
ついに出産間近となった彼女は病院へ行き、メイジーを産んだ。
当時の国の制度では産後一ヶ月は面倒を見てもらえるが、それ以降は自身で育てていかなくてはならない。
母親はメイジーを利用して国からの補助金等に頼ろうとしたが、知識不足なことが災いしそれらの資金は貰えず、手元の金がさらになくなっていった。
そうして逃げた先の家で暮らすことになるが、母親はこうなった状況をすべて娘のせいにして八つ当たりをしていく。
メイジーは物心ついたときから母親からの暴力と粗末な食事が記憶の大半を占めた。
ほとんど明かりがない地下室。
飢えと母親からの暴力で生きる気力がほぼない彼女の身体は、同年代の子供の平均体重を下回っていた。
そんなある日、母親は一筋の望みを賭けて夜の街へと向かう。
あわよくば欲を満たした見返りに金が貰えることを想像しながら。
母親が出ていったその日の夜は、メイジーにとって安堵できる時間だった。
暴力と暴言を浴びせてくる恐怖の対象がいない。
十分に嬉しい出来事だったが、空腹感だけは解消されない。
せめてパンだけでも一口ほしいと思っていると、暗闇の中で何か小さい生き物の鳴き声が聞こえた。
どこから入ったか分からなかったが、それはネズミだった。
痩せ細った少女の身体の匂いを嗅ぎ分けながら近づいてくる。
小動物の存在を察知したメイジーは、今までの無気力が嘘であるかのようにすばやく捕まえた。
飢餓状態の中、食べ物を求めた本能だったかもしれない。
捕まえられたネズミはすぐ少女の手に噛みつく。
その噛まれた痛みが刺激となり、メイジーは獲物を逃がさないと言わんばかりにネズミの頭を噛った。
ネズミは激しく暴れるが、その度に少女も何度も噛んでいく。
やがて息絶えたネズミの頭を食い千切ると、その血肉を食べていく。
毛だらけだったが、そんなことは気にしていられなかった。
口の回りが血だらけになりながら野生児のように飲み込んでいく。
しかし、体力が低下していたメイジーの胃はそれらを受け付けなかった。
不潔なネズミを食べたことで、少女は嘔吐した。
最後の気力を振り絞ったが、まともな食事にありつけることは叶わず、吐瀉物にまみれながら倒れた。
最早死ぬのも時間の問題だった。
しばらくの間横になっていると、母親が帰ってくる音が聞こえた。
もしかしたら助けてもらえるかもしれない。
恐怖の象徴となった母親だが他に頼れる者はいない。
藁にもすがる想いで助けを求めようとしたその時、ドア代わりにしていた床下の板が開いた。
開けたのは母親。
まさか助けに来てくれた?
そう思って手を伸ばすメイジーに母親が近づいていく。
だが、様子がおかしい。
まるで獲物を前にした狼のように息が荒い。
不審に思っていると、母親はメイジーの手を掴み強引に引くと、その首に噛みついた。
「ヒ……ギャアアアアアア!!」
噛まれた首に鋭い痛みが走り、思わず叫ぶメイジー。
いつもは殴ってくるのに、今は明らかに違う。
母親はすでに吸血鬼となっていたからだ。
だが、憔悴しきった少女は抵抗できない。
すると、母親は口を離し、乱暴にメイジーを投げ捨てた。
「まずい血だね、ドブ水を飲んでるみたいだよ」
「あ……ぁ……」
少女は体内の僅かな水分を絞り出すように涙を流した。
もう終わりだ。
このままここで死ぬんだ。
誰も助けてくれない。
絶望感だけが心の中を満たしていく。
母親はそんなメイジーをゴミを見るような目で見つめていると、玄関から何者かが入ってくる気配は察知した。
すぐに地下室から出ていく。
離れていく母親の背中を、死に瀕して見つめるメイジー。
体力も気力もほぼ尽き掛けた少女は、すでに母親を親としては見てなかった。
そんな視線を向けられていることも知らない母親は、地下室の出入り口で辺りを見回すと侵入者を見つけた。
「なんだいアンタは? 勝手に人の家に入って……いや、それよりアンタ、沢山血が有りそうじゃない」
獲物を前に舌を舐めずる。
しかし、次の瞬間、侵入者は素早く接近し母親の顔を殴った。
メイジーからは母親の姿が一瞬で消えたように見えた。
まるで乱暴に投げられた人形のように吹っ飛ばされた母親は一撃で絶命し、物言わぬ死体となっていた。
その侵入者は白いコートを着た巨漢の男だった。
男はメイジーを見つけると、ゆっくりと地下室へ入っていく。
少女は自分も殺されると思った。
だが、もうどうでもいいと諦めていた。
いっそのことここで殺して楽にしてほしい。
そう思いながら近づいてくる男を見つめていると、その目に殺意はなかった。
むしろ哀れむような目をしていた。
「先ほどの女性は君の母親か?」
「……ん」
メイジーは力なく頷いた。
母親から向けられたことのない慈悲に満ちた男の表情を見ながら、ゆっくりと意識を失った。
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加えて柔らかいベッドと綺麗なシーツ。
今までの小汚ない床とは違う快適な場所。
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何か赤い液体が入ったチューブの先端、その針が刺さっていた。
さらに上を見ると銀色の棒に吊り下げられた、赤い液体が入ったパックがあった。
ガードル棒と輸血パックだが、メイジーはそれらを初めて見たので何か分からなかった。
腕に刺さったこれを取り外すべきか?
悩んでいると、部屋のドアを開けて誰かが入ってくる。
その人物は意識を失う前に最後に見たあの男だった。
巨体ではあるが威圧感を感じさせない静かな動きに少女は黙って見つめている。
「ここ、どこ?」
「病院だ」
「びょういん?」
「ああ、君は酷い栄養失調で死にかけていた、しかも母親に噛まれたせいで……」
男は眉間に皺を寄せ、悲しそうに顔を背ける。
だが、意を決したように続ける。
「君の母親は吸血鬼になって君に噛みついた、そのせいで君も吸血鬼になってしまったんだ」
「……え?」
メイジーはよく分からなかった。
だが、それでも何となく理解しようとした。
多分、自分は人間以外の何か。
化け物になってしまったのではないかと。
「本来であれば人間に危害を加える吸血鬼は処分するのが私達の仕事だ、君に関してはどうするか悩んだ」
「……私、殺されるの?」
「……道は二つ、ここで……安楽死、つまり死ぬことを選ぶか、それとも、私とともに吸血鬼を狩るために生きるか、だ……」
「……」
まだ子供のメイジーには難しかった。
だが、一つだけ気になることを思い出した。
「お母さんは……どうなったの?」
「……すまない、私が、殺した……」
男は頭を下げた。
そんな彼の姿にメイジーは憎しみを抱かなかった。
それどころか、少女は口端を上げていた。
「ざまあみろ……」
「え?」
とても小さい声だったため、男は聞き取れなかった。
しかし、悲しむどころか喜んでいる少女の顔に戦慄した。
過酷な環境で生きていたから感情がおかしくなってしまったのか?
そう思い、男は少女を保護する形で引き取ることにした。
そして、気が進まないながらも詳しい仕事内容と武器の使い方を教えた。
政府に属する吸血鬼には戦う以外に道はない。
年端もいかない者に武器を持たせることに、男は心苦しかったが、少女は逆だった。
スポンジが水を吸うかのように、子供特有の覚えの速さで瞬く間に狩人として成長していく。
特にナイフを持っての高速での狩りは目を見張るものだった。
周囲が関心する中、男は自問自答していく。
たしかにあの少女は狩人として才能を開花させつつある。
だが、親に虐待されまともに育てられていない子供を戦力として育成し、戦わせていいのか?
しかし、ここまで来て安楽死させるなど酷なことではないか?
なによりメイジー自身が望んでいない。
むしろ、練習とはいえ狩りを楽しんでいる様子だ。
私があの娘のためにしてやれること。
それは、生き残れるように見守っていくだけ。
あの娘にこんなことをさせている私はきっと地獄に行くだろう。
だが、せめてあの娘には正常な感性を持ってほしい。
殺しや戦いを楽しむような人格ではなく、他者を慈しむような心を持ってほしい。
そんな想いも虚しく、メイジーは初の実戦を単独で成功させた。
田舎で人が少ない場所での戦闘。
そこで二人組の敵の吸血鬼を無傷で倒したのだ。
記録上では華々しい初戦を飾ったが、その細かい手口までは載っていなかった。
なぜなら、あまりにも残虐だったからだ。
まず素早い動きで敵の首をナイフで切り、太股、二の腕と続けざまに切ると、後は相手が絶命するまでメッタ刺しにしたからだ。
帰還した際には、白い服が返り血で赤く染まっていた。
それからというもの、戦闘する度に白い服を染めていく。
なぜ、そのような残虐な行為をするのか。
それは、吸血鬼になる前、空腹のあまりネズミを噛み殺した時のこと。
暗闇の中、辛うじて見えた赤い血の色。
それを見ることがメイジーにとって生を感じる最高の瞬間だった。
服を白で統一しているのも返り血を分かりやすくするため。
これらの出来事から、少女は『血まみれの赤ずきん』と呼ばれることとなった。
同時に、メイジーを救った男は局長に就任すると、その権限を用いて自らの側近として置くことにした。
表向きは局長である自身の護衛のため。
実際は戦闘狂のメイジーを側で見張るため。
もう少し早く救っていれば少女は吸血鬼にならずに済んだのではないか。
そんな『もしも』という決して実現しない可能性を頭の中で考えながら、局長となった男グレゴリーは少女と共に生きていくこととなる。
ワゴン車の後部座席でグレゴリーは過去を思い出していた。
今にも眠りそうなメイジーを見る目はまるで保護者のようだった。
(今日は戦わせずに済みそうだ)
安心した彼は、少女同様目を閉じて目的地に着くまでの間、静かに眠ろうとした。
次の瞬間、一番前を走行していたワゴン車が突如爆発した。
「なんだ!?」
運転手が叫び、全車ほぼ同時に急ブレーキを掛ける。
しかし、車は急に止まれないため、それぞれ右へ左へと勢いのまま車体の向きを変えながら停車した。
直後、一番後ろのワゴン車も爆発する。
「敵襲!! 全員戦闘態勢!!」
攻撃を受けていることは明白だった。
運転手が無線で呼び掛け、残ったワゴン車から護衛の吸血鬼達がドアを開けて飛び出す。
夜目が効く彼らは遠くにいる武装した者達の姿を確認。
「これ以上やらせるな! 撃て!!」
左右へ展開した護衛達が、それぞれ持っていたライフルで森の中から攻撃してきた者達へ反撃を開始する。
おそらく車を爆発、破壊したのはロケットランチャーと思われる。
肩に担いで撃つタイプの兵器で、銃とは構え方が明らかに違う。
護衛の者達は皆その知識があるため、銃を撃ちながらそういった兵器を持っている敵がいないか警戒する。
一方、未だ車内にいたメイジーは眠気が吹っ飛んでいた。
「ねえ、あいつら皆殺せばいい?」
「……ああ」
まるで遠足に行く子供のように喜んでいるメイジー。
反対にグレゴリーは落胆した様子だった。
メイジーにはその理由が分からない。
(なんで落ち込んでいるの? ま、いっか)
ナイフを逆手に持ち、車から降りた。
周囲はすでに銃撃戦となっており、敵からの流れ弾も飛んで来て危険な状況だった。
しかし、メイジーは直立不動のまま撃ってくる敵の方向を確認している。
(沢山いる、あいつらを殺せば今度こそ称号貰えるかな)
これから始まる戦闘を前に、少女のその見た目とは裏腹に狂気を宿したようなおぞましい笑顔を敵に向ける。
心の中で徒競走の始まりの合図を自身に対して出すと、まるで豪腕の野球選手が投げたボールのように飛び出していった。
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