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第2章 紡がれる希望

第96話 Glacies Sculptura

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 私に残されていた、断片的な記憶。

 いつもと少し雰囲気が違うお母さんに呼ばれたと思ったら、私の顔をジッとお母さんに見つめられた。

「エリー、お母さん……これからお仕事に行ってくるから、少しの間デェニがいる医療部隊の人達と一緒にいてね」

 雰囲気の違うお母さんの顔を見つめていた私の背中に手を回したお母さんは、優しい力で私を抱き締めてくれた。

「エリー……私の娘」

 その時のお母さんの声は、少し震えていたように感じた。

「貴女の事を、愛してる。心の底から……愛してる」

 その言葉を何度もお母さんが繰り返している間、私はお母さんの暖かさを感じながら、背中に雨が当たった時と同じ冷たさを感じていた。

「お母さん……私も、頑張るから。お母さんも……お仕事、頑張ってね」

 お仕事の事はよく分からなかったけど、みんなの為に頑張ってくれてる事は、先生から聞いていたから知っていた。

 頑張れと伝えた後に、お母さんの背中を両手でスリスリと撫でていたら、背中に感じていた冷たさが次第に無くなっていく感じがした。

「そうね。エリーが頑張っているんだもの……私も、頑張らなきゃね」

 私から離れたお母さんは、いつもと同じように優しい顔をして私を見ていた。

「お母さん……頑張ってくるからね」

 そう言ってお母さんは、私の頭に手を置いて数度頭を撫でてくれた。

「頑張れっ!世界一大好きな、私の自慢のお母さんっ!」

「アハハッ!……ありがとうね、エリー」

 その時のお母さんの笑顔は、太陽さんと同じぐらい暖かな笑顔だった。

 それが、お母さんとの最後の記憶。

「安全な場所まで、逃げるんだっ!アナスタシアさんが、闇の人間達を食い止めている間にっ!」

 大声で周りにいる人達に指示を出していた先生は、あんまり走れない私を抱えながら緑色の雨の中を走っていた。

「デェニ!アナスタシア様が前衛部隊と共に戦っているのに、医療部隊の俺達が逃げてどうするっ!」

「お前達こそ、アナスタシア様からの言葉を忘れたのかっ!」

 先生と同じ白衣を着た人達は、先生の言葉を聞いた途端に静かになった。

 ペチェールシクから離れた場所まで来た時に、私は先生の袖を掴んで声を掛けた。

「ねぇ、先生?お母さん……まだ、ペチェールシクで戦ってるの?」

「ん?ああ、そうだよ?」

「でも、あっちで雷が鳴ってるよ?お母さん……雷が苦手だって言ってたから、心配だよ」

「……大丈夫だ、エリー。俺の敬愛するアナスタシアさんは、愛する国民の為なら苦手な雷だって跳ね返す程、強いお方だから」

 私の質問を聞いた先生は、合わせていた目を前に向けてから答えていた。

 いつもなら、私の目を見て応えてくれる先生が。

 その時、逃げている先生の後ろから、今まで以上に大きな雷の音が鳴った。

 その場で立ち止まった先生は、私を下ろすように腕の力を抜いた。

「……わぁ……虹だ」

 先生から離れた私は、さっきまで空一杯に浮かんでいた黒い雲が全部消えて、青空が広がったウクライナに一本だけ出来ていた虹を見つけた。

「先生!雨も止んでるよ!」

 私の言葉を聞いても、先生は後ろを見る事は無かった。

「アナスタシアさん……貴女って人は」

 身体を小さく震わせていた先生は、さっきまで降っていた雨?が顔を流れて、足元の地面を濡らしていた。

「雨が……デェニ。ペチェールシクに戻るぞ」

 周りにいた白衣の人達は、私に顔を見られたく無いのか、顔を腕や手で隠していた。

「駄目だ。ペチェールシクは、もう安全じゃない」

「そうなの?でも、お母さんはお仕事が終わったらペチェールシクに帰ってくるよ?」

「エリー……」

 目の部分を右手で撫でた先生は、ようやく私の顔を見るように後ろを向いた。

「伝え忘れていたが、アナスタシアさんとは別の場所で集合する予定なんだ」

「え?でも、お母さん……私にそんな事言わなかったよ?」

「突然仕事が入ってバタバタしてたからな。アナスタシアさんも、うっかり伝え忘れていたんだろう」

 私にそう言った先生は、少しの間だけ虹を見つめた後、私の前でしゃがみ込んで、私の両肩を優しく掴んだ。

「さあ、行こう。アナスタシアさんの待つ、ロシアの光拠点……アプラリュート・ヌイへ」

 断片的だけど、元気だった頃の私に残された数少ない記憶。

 先生の言葉を信じて、私と医療部隊の人達は、ペチェールシクを離れてロシアという国へと向かった。

 でも、お母さんが待っているロシアの光拠点に到着する前に、私の身体はおかしくなっちゃった。

―*―*―*―*―

 ラザレット島

「!?」

 ユキの質問に答えた直後に唇を奪われたシュウは、状況が理解出来ず硬直していた。

「今、君に生きる為の魔法を掛けたよ」

 シュウの首に腕を回し、唇に自身の唇を重ねていたユキは、ゆっくりと唇を離しながら回していた両腕を解いた。

「い、今……僕……キシュされた?」

 事態を少しずつ把握した事で顔が赤く染まり始めたシュウは、呂律の回っていない不明瞭な言葉を発していた。

「君の水属性に直接、僕に残された全ての属性を付与した」

「しゅべて……え!?」

 ユキの言葉を聞いたシュウは、事の重大さを理解すると赤面から蒼白へと顔色を変化させた。

「それって」

「君を生かす為に、僕の全てを形成している属性を……即ち、命を懸けたんだ」

「そんな……」

 軽々と命を懸けた事を口にしたユキに対して、唖然としていたシュウだったが、徐々に背負わされた責任を実感し、困惑し始めた。

「でも、どうして僕に?ユキが僕に命を懸ける理由なんて……」

「ある。だって君は、僕には無いものを持っているから」

「持っていないモノ?」

「生きる意志……それに、目標かな」

 身体から白い煙を発し始めたユキは、不安そうな瞳を向けるシュウと目を合わせた。

「心の中で生まれた僕には見える。君が今、どれだけの人の意志を背負っているか」

 そう告げたユキの瞳には、シュウの背後に立っているアーミヤやリエル達の姿が薄らと映っていた。

「さっきの君の言葉には、彼らの意志だけじゃ無く、誰にも覆す事の出来ない君自身の覚悟も込められている……そんな気がしたから、僕は君に未来を託す事を選んだんだ」

「でも、僕は……ユウト達みたいに、人の命を背負える程、強く無いよ」

 怯えた小動物のように涙目になっているシュウを見つめたユキは、シュウ本人とシュウの背後に視線を交互に向けると、優しげに目を細めた。

「さっき言ったよね。僕が持っていないモノは、意志と目標……君は、それを持っているって」

「目標……」

 ユキの周囲に舞い散った雪の結晶には、ユキが瞳で見ている景色が映し出されていた。

 そこには、シュウの背後に立つ白い隊服を身に付けたカイの姿が、アーミヤ達よりもハッキリと映っていた。

「この場にいると思わせる程に、君の意志から流れ込んでくる……君の目標としている人の姿が」

「え……お兄ちゃんが?」

 その時のシュウは、全身に流れている自身の属性に氷が混ざり、全身の属性に不可思議な変化が起きている事を実感し始めていた。

「前にルクスで戦った時は、君の中にも弱さがあった……武器に頼り切っている戦法から見える実力面。そして、目標であるお兄さんの背中を追う事で隠していた心の弱さが」

 転生前のシュウは、先を歩くカイの背中を追い続ける事で、自身の内に存在する喪失感や孤独感、恐怖心から目を背けていた。

「でも今の君は、必死にお兄さんの前に出て……成長した自分の姿を見せる事で、彼を安心させようと努力してる」

 自分の心中を一寸違わずに言い当てられたシュウは、涙目になっていた瞳を瞼で隠した。

「……もう、お兄ちゃんに守られてばかりの僕じゃ……いられないから」

 再び露わになった瞳には、決意の込められた鋭い光が灯っていた。

 結晶の属性によって全身が以前よりも冷却され始める状況下で、シュウの胸の中心部分だけが意志と呼応する様に熱くなっている事を、冷えた身体の中で強く感じ取っていた。

「絶望的な状況下で、恐怖心を振り払って叫んだ君の言葉には、僕の心を揺さ振る程の勇気と覚悟、決意が込められていた。だから僕は、君に命を懸けた事を後悔しない」

「……」

 ユキの言葉を聞いて、静かに俯いていたシュウの両手を握り締めたユキは、自身の額をシュウの額に当たるようにゆっくりと首を前に傾けた。

「大丈夫だよ。みんなに忘れられない限り、僕は死なないから。いつか溶けて消え行く、氷の彫像のように……君達の記憶の中で、僕は生き続ける」

「ユキ……」

 ユキの属性を通じて、氷の属性による創造の方法をある程度知る事が出来たシュウは、自身の中に流れ込んで来る記憶や感情を全て受け入れ、正面のユキに視線を合わせた。

 (君の勝利を……君達の描いた願いが、いつの日か必ず成就する事を……願っているよ)

「ありがとう……ユキ」

 優しく微笑むユキに感謝の言葉を口にしたシュウは、次の瞬間に舞い散った雪の結晶の中に一人、静かに立ち尽くしていた。

 握られた右手の中には、結晶の属性で創られた灰色の雪の結晶が残されていた。

「君の意志も、記憶も……僕が覚えてる」

 シュウの言葉に反応する様に、創造された雪の結晶は、シュウの右手の上で溶けて行った。

「僕は、みんながいたから……ここに立っている」

 シュウが瞳を閉じると、シュウを中心に室内全体に冷気が広がった。

「属性の変化は、終えた様だな」

「……これ以上、奪わせたりしない」

 チェルノボグの言葉に応える事なく、シュウは体内を流れる属性に意識を集中させながら、自身の決意を言葉にしていた。

「僕達が、終わらせるっ!」

 その叫びと同時に、足元に存在する床を凍結させる程の冷気を発したシュウの右眼は、先程まで緋色とは異なる青白磁せいはくじへと変化していた。

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