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第2章 紡がれる希望

第42話 残されし希望

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 ロシア 東部 刻絕こくぜつの大穴

 ミールを黒い渦へ呑み込んだロキは、ソーンによって作り出された小さな国であれば軽々と呑み込む程の刻絕こくぜつの大穴に飛び降り、数十秒の経過を経て底へと辿り着いた。

 属性を持たない人間であれば確実に死んでしまう程の深さに到達したロキは、身に纏っていた水属性によって着地時の衝撃を全て吸収した。

 (目的地まで歩いていたら日を跨いでしまうな。時間も限られている……導き手が動いているとアメリカから連絡もあったしな)

 そう考えたロキは、ミールがいるであろう場所へと駆け出した。

―*―*―*―*―

 ロシア 東部 刻絕こくぜつの大穴中央

「……姉さん」

 大穴の中央付近まで到達したロキは、一人で座り込んでいるミールを視認すると同時に走る事を止め、ゆっくりとミールに向けて歩み始めた。

 互いの距離が三十メートル程まで近付いた所で歩みを止めたロキは、視線の先で座り込んでいるミールを見つめた。

『何故お前らは、そんな理由で一人の少女を見殺しに出来る!……命に大小を付けられるんだっ!』

 最愛の姉を失い、失意の念を感じさせるミールの背中を見ていたロキは、過去に自身が叫んだ負の記憶を思い出していた。

「この世は、本当に残酷だ」

 ミールはロキの発した声に反応する事なく、俯いたまま座り込んでいた。

「ソーンは俺が信頼出来る程に善良な人間だった。だが、そんな人間が死のうとも……お前と俺以外は、ソーンが死んだ事に気付く事も無く生きている。この世には、ソーンよりも価値のない人間なんて腐る程いると言うのに」

「……人の命に、大きいも小さいも無い」

 ミールは視線を下に向けたまま、背後に立っているロキに対して掠れた声で反論した。

「その言葉が、国に貢献して来たお前の姉に対する侮辱だと分からないのか?」

 ロキはそう言うと、足元に落ちていた黒い端末を拾い上げると同時に黒い渦を発生させた。

「ミール……全てにおいて存在してるのは、存在の大小ではなく多数派の価値観だけだ」

 ロキは絶望の淵に落とされた過去の自分を諭す様に、自身の思考を言葉にし続けた。

「一人の一般人と一人の主力、どちらの方が大切か……犠牲の対象として二択を迫られた時、大多数の人間が選ぶのは多くの人間に得のある主力だろう。だが、犠牲となる一般人の家族は誰よりも必死に得のない人間を救おうとするだろう」

 命の大きさは、関係性によって異なっている。

 家族、恋人、夫婦、親密な関係を持つ人間にとっては、国にとって大切な指導者や権力者のような目に見えない関係の人間以上に、他の人間の命は価値を持つ。

 それは人間に限らず、深い関係性を持ったどんな有機物、無機物に於いても生物の命に到底及ばない程の価値を持つ可能性を秘めている事でもある。

 過去に自身が経験した命の選抜を憎んでいたロキは、憎悪を込めながら背を向けているミールに対して持論の言葉を連ねた。

「だが今は、この場に俺とお前だけだ……選抜に必要な多数派は存在せず、ソーンを殺した俺と、生かそうとしたお前しか存在していない」

 そう告げたロキは、黒い渦の中に端末が投げ入れられると、先程まで存在していた黒い渦は跡形もなく消滅した。

 ロキの言葉を聞いたミールは、身体をピクリと動かすと、ゆっくりと立ち上がり潤んだエメラルドの様な瞳をロキに向けた。

「姉に手を掛けた俺の言葉は、お前にとって聞くに堪えない物だろうがな……」

 そう言うと白い隊服に身を包んだロキは、右手に携えていた黒いガバメントの銃口をミールに向けた。

「ロキ……さん」

 ロキの実力を知っているミールは、恐怖によって身体が硬直していた。

 (姉さん……やっぱり僕には)

『忘れないで。本当に強い人は、自分がどんなに非力でも人の為に努力と向き合える人……自分よりも 他人ひとを想い、涙を流せる人なの』

 ソーンから伝えられた最後の言葉を思い起こしたミールは、恐怖で身体を震わせながらも鋭い眼差しをロキに向けた。

「恐怖に挫けんとする強い瞳だな」

 ミールの眼差しを見たロキは、小さく言葉を漏らした後、黒いガバメントに雷属性を込め始めた。

「もし今のお前が、仇討ちや粛清を正しき事だと考えているのなら、それは間違いだ」

「……」

「正義という言葉ほど、この世に存在する価値を持たない言葉は存在しない。平和の為に生物の命を奪う事を正当化する事が正義ならば、闇の人間達の命を奪い、個々の自由さえも奪う様な正義は、俺達にとっては悪でしかないんだよ」

 その瞬間、銃口から微かな赤い雷光を放ちながら視認が困難な程に透明な無音の弾丸が放たれた。

「…………馬鹿な」

 ロキは目の前で起きた出来事に驚愕し、目を見開いた状態で硬直していた。

 本来であれば、放たれた時点で頭部に風穴が開いている筈のミールが、弾道から逃れるように移動していた。

 (そんな馬鹿な……ミールは、俺の弾丸について知らない筈だ)

 ロキは、反射的に避ける要素が存在しない弾丸をミールが避けた事が理解出来なかった。

 銃声も無く弾丸すら見えない、唯一視認可能な雷光によって人間が反射的に取る行動があるとすれば、光から目を庇う事である。

 (たとえ危険だと認識したとしても、ミールは属性が開花していない……属性の開花していない人間に銃弾を避ける事など、まして雷の属性で弾速が上がった俺の弾丸を避ける事は不可能な筈)

「……今のは」

 弾丸を避けたミールは、自身の身体を触りながら〝先程自身が見た事〟が現実に起きていない事を理解した。

 ロキが引き金を引く数秒前にミールが見たのは、自身が何かに撃ち抜かれる姿だった。

 第三者の視点でその光景を認識したミールは、咄嗟に身体を動かす事でロキの放った弾丸を避けていた。

 自身の行動によってロキが動揺している様子を目にしたミールは、心の中でこう感じていた。

 まるで、数秒先に起こる出来事を予知して見えない弾丸でも避けたようだと。

「どういう事だミール……今の行動は一体——」

 バチッ

 ロキが疑問を口にしようとした瞬間、ミールの身体から迸る黄金の雷を目にした。



「なん……だと」

 (属性が、開花したと言うのか……姉の死によって)

 ロキは驚愕の事実を知り、黒いガバメントを強く握り締めた。

 (だとすれば先程の回避はソーンの超加速か……それとも、時越の雷帝じえつのらいていの有していた〝いかづち先見せんけい〟か)

「ふっ……流石は世界最強の息子だ」

 ロキは不敵な笑みを浮かべると、ミールに向けて再び黒いガバメントを構えた。

「だが、未発達の力は無力と同義だ」

 そう告げて目を細めたロキは、黒いガバメントの引き金を引こうと右手に力を込めた。

 その直後、ロキとミールの間に眩い光が放たれた。

「うっ!眩しい」

 ミールは、咄嗟に両腕を前に出して目を庇った。

 光の中から姿を現したのは、白を基調きちょうとした隊服を身に付け、海の様にきらめくあおい瞳をした、腰まで流れた夜空の様な黒髪の少女だった。

「来たか……導き手」

 そう告げたロキの正面に立っていたのは、アメリカでの戦闘を終えて急行したユカリの姿だった。

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