宿命のマリア

泉 沙羅

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第4章 片想いのジュリエット

第23話

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可憐はばあやに教えられた下町を訪れていた。身バレを防ぐために大きなフードつきのサマーコートと、サングラスを身につけて。
周りを見渡すと、風俗店やらスナックやらナイトクラブが立ち並んでいた。街ゆく人々も明らかに街娼や水商売関係者、麻薬の売人、ヤクザと思われる者たちばかりだった。
育ちのいい可憐はこんなところに来るのは初めてだった。恐怖で足が震えるが、怖がっている場合ではない。
とあるビルの中に足を踏み入れ、階段を昇る。そしてある一室のドアの呼び出しボタンを押す。
中から出てきたのは怪しげな身なりの背の高い男だった。
「んだ、この辺じゃ見かけねー顔だな。まあ、入れよ」
中にはいかにも育ちの悪そうな、みすぼらしい身なりをした者たちが麻薬らしいものを吸っていた。
部屋中に異様な臭いが充満している。マリファナだろうか? コカインだろうか? 可憐にはわからない。
「随分といい身なりのお嬢ちゃんだなあ。ここはガキの遊びの来るところじゃねーよ。冷やかしなら帰ってくんな」
部屋の隅で何かを吹かしていた、いかにもアバズレといった風の女が可憐に向かって足先で「シッシッ」とやった。
「冷やかしではありませんわ」
可憐はそう言って、フードを外し、サングラスを外した。
その瞬間、その部屋にいた者たち一同、凍りついた。椅子から転げ落ちる者までいた。
「………っ!! あんた、アルファか!! 」
アルファはそのオーラ、眼力だけでベータの本能に訴える。「この者には逆らえない」と。可憐はそういう武力行使のようなものを嫌っていたが、もう背に腹は代えられない。
「……お金はいくらでも出すわ。だから私のお願いをきいてくれるかしら」
可憐が静かにそう言うと、彼らはあやつり人形のようにうなづいた。


可憐は高校の卒業式を迎えた日、新しく家長となった姉の薫子に呼び出された。啓一朗はオメガの宏美に犯されたショックで気が狂ってしまい、精神病院に入院してしまった。彼はもう社交界に復帰することはできなさそうだった。「自分はオメガやベータを虫けらみたいに扱ってきたくせに、随分と軟弱なヤツだ。ちょっと可愛がってやっただけなのに」と宏美は鼻で笑っていた。
「もうペニスも生えたんだし、アルファとしては充分でしょ。お父様が生きてたらまだ認めないかもしれないけど、私はもういいと思う。だいたい性奴隷と二人暮らしなんて不健康よ。海外のバレエ団にでも入ったらいいんじゃないの。あいつはもう用なしだからそろそろ廃棄処分するわ。あなたも大分あいつに情が入ってきたんでしょ。私も恥ずかしいのよ。妹のあなたがいつまでもそんなだと。お兄様が精神病院行きになっただけでも恥ずかしいのに、ダブルで泉宮に泥を塗らないでちょうだい」
「…………」
啓一朗が精神病院行きになったおかげで家長になれたと喜んだくせに。この姉は何を言うのか。



「可憐!! なんで家の中を整理するんだ!! 」
可憐が小物をダンボールに詰めていると、宏美が半狂乱で駆け寄ってきた。あの親を亡くした子供のような痛々しい表情で。
「宏美……」
「可憐………君も僕を捨てるつもりなんだろう!? いくら頭がいかれてたって君はアルファだもんな!! 帰る場所もあるもんな!! 僕は帰る場所なんかないんだよ!! Fなんだから!! 僕みたいな気の狂ったオメガにはもう帰る場所なんかないんだよ!! 」
「………」
ヒステリックに怒鳴り散らす宏美を悲しげな目で見つめる可憐。
「どうせ僕はもう廃棄処分なんだろう!? もう用済みだって君の姉貴が言ってたもんな!! わけの分からん役人に殺されるなら、ここで君が殺してくれよ!! さっさと殺してくれよ!! 殺して!! 殺せって言ってるんだ!! ずっと一緒にいるなんてやっぱり無理だったんだ!! 嘘つき!! 」
宏美はそう叫びながら、蓋を開けたままだったダンボールの中に入っていたものを可憐に投げつけた。
ハンガーやら、バッグやらが可憐にぶつけられていく。それでも可憐は悲しげな表情を浮かべたまま、微動だにしなかった。
箱の中のものを全て可憐にぶつけた宏美は肩で息をしながら、彼女を睨みつけていた。その表情は痛々しくて、壊れそうで、全く妖気など感じられない。
「……………宏美、どうして私を信じてくれないの? 私、アルファだからあなたに愛されないんだと、ずっと思っていたわ。けど、たとえベータでもオメガでもきっと私、あなたに愛されなかったと思う。私を嘘つきと言うけれど、あなた、最初から私を信じてないでしょ?  私が歩み寄ろうとすると、宏美はいつも逃げるもの」
宏美はギクリとして、固まった。そして荒い息を整えつつ、可憐から目を反らせてこう言った。
「…………だって……君が本気で僕なんか好きになるわけがないと思ってたから。どうせ、いつかは現実に目覚めて、まともなオメガと一緒になるんだと思ってたから」
「……私だってまともなアルファになんてなれないわ。なりたくもないもの。あなたみたいな傷ついたオメガをおもちゃみたいに扱うのがまともなアルファって言うならね」
「…………」
可憐は宏美にあるものを差し出した。
「お父様のパスポートを元に作った偽造パスポートよ。もうこれ以上あなたが傷つくのを見てられない。この国から逃げて。そして人間らしい人生を手に入れて」
可憐は宏美を逃がそうとしていたのだ。そして宏美への想いに決着をつけるために家の中を片付けていたのだった。
宏美は呆然と可憐を見つめる。
「………そんなことしたら、君はきっと死刑だよ? いくら優秀なアルファでもFを助けることは重罪になるんだよ? 逃げるなら一緒に」
「ダメよ」
可憐は宏美の言葉を遮った。
「え? 」
「私が逃げたら、ばあやが責任追及されちゃうもの。彼女は私の母親代わりみたいな人よ。そんなことさせられない」
「………」
しばらく沈黙が続いた。
そして5分後、宏美が口を開く。
「……じゃあ一緒に死のう」
可憐はまた儚く微笑んだ。
「私はクリスチャンよ。自殺することは許されないわ」
「大丈夫、僕が殺してあげるよ。その後すぐ、僕もいくから」
可憐は少し考え込んだ後、覚悟を決めたような表情を浮かべた。
「……いいわ。一緒に死にましょう」


2人は手を繋いで、近くの海辺までやってきた。
「…………もうバース性に振り回されなくていいし、したくもないセックスしなくていいし、手首切らなくていいんだね」
「………そうね」
2人は水平線の向こうを見つめてそう呟く。
「後悔しない? 」
宏美が可憐の方に向き直る。
「ええ」
宏美はその細い首にそっと手をかける。可憐は彼を名残惜しげに見つめると、そっと目を閉じた。宏美の手は震えている。

次の瞬間、可憐はポケットから小さなスプレー缶を取り出すと、宏美に向かって噴射した。
「えっ……」
驚く暇もなく、宏美はその場でがくりと崩れた。
眠ってしまった宏美の体を支える可憐。そして彼の唇に触れるだけのキスをする。
(これがあなたに触れる最後……)


そこに例の業者たちが現れた。待機していたのだ。
「いい? 絶対彼を安全に亡命させるのよ。手荒にしてはダメよ。意識が戻ったら取り乱して死のうとするかもしれないけど、そのときは平手打ちくらい食らわしてもいいわ。無事、彼をあちらの移民局まで送り届けられたら、お金を振り込むわ。必ずね」
可憐の瞳は鮮やかな光を放っていた。
業者たちは可憐の言葉に操られるかのように宏美の体を預かると何処かへ消えていった。
(さよなら、宏美)


洋館に戻った可憐は、姉、母、ばあやに向けて遺書を書いた。
「お姉様
宏美は私が逃がしました。彼のことは追わないでやって下さい。私の命をかけたお願いです。今までご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

お母様
私の出来が悪いせいでお母様にまで辛い思いをさせ続けましたね。でもお母様が私を産んでくれたおかげで私は宏美に出会うことができました。感謝いたします。最後まで親不孝な娘で申し訳ありません。先立つ不孝をお許しください。


ばあや
長年私の影となり日向となって支えてくれてありがとう。ばあやは私のもうひとりのお母様よ。長生きしてね。あと、ここに私の通帳を同封するので、以下の口座に私の口座に入っている全額、振り込んでおいて。



遺書を書き終えると、それぞれ封筒に入れた。そして宏美が使っていた寝いすに腰掛けた。まあ、最近は可憐と同じベッドに寝ることが多かったのだが。夕方、可憐が学校から帰ると宏美は家事疲れからここで眠っていることが多かった。そして可憐はそんな彼に毛布をかけてやったのだ。
(まだ彼の香りが残ってるわ……。私は幸せ者だわ。愛する人の香りに包まれて死んでいける)

可憐は最後の祈りを捧げた。そして台所から取ってきた果物ナイフで自分の首を切りつけた。



その30分後、ばあやが慌てた様子で洋館の玄関から飛び込んできた。
「お嬢様!! もうすぐ役人が来ます!! 宏美さんを処分するそうです!! お二人でお逃げください!! 」
しかし、返事はない。
ばあやは寝いすの上に誰かが寝ているのに気がついた。毛布がその人物を覆い隠すように広がっている。
「宏美さん?」
ばあやがその毛布をめくった。
「きゃああああああああぁぁぁ!! 」

ばあやの目に飛び込んできたのは、首から血を流している可憐だった。

「お嬢様………、どうして、どうして…………」

ばあやは動揺して何をどうしたらいいかわからない。
そのときテーブルの上に置いた遺書に気がついた。がくがくと震える手でそれを掴む。
「あ………あ………あ………」
それに目を通したばあやは再び可憐に駆け寄った。
「お嬢様!! 」
可憐の肩を掴んで揺さぶる。
「ばあや………」
可憐はまだ息があった。
「お嬢様………」
「お願い、このまま死なせて……」
「なりません!! なりません!! 」
ばあやは着物の帯から携帯を取り出すと救急車を呼んだ。




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