宿命のマリア

泉 沙羅

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第4章 片想いのジュリエット

第20話

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「素晴らしいメゾソプラノだったわ。本当に音域広いわね」
可憐は大きな瞳を潤ませた。
「まあ、一応バスからソプラノまで出るよ。……って、僕は君の伴奏の練習に付き合って歌っただけじゃないか。僕の歌声のことなんてどうでもいいでしょ」

可憐は声楽科の同級生に頼まれ、発表会の伴奏をすることになっていた。曲は「レ・ミゼラブル」の"I dreamed a dream"だが、歌が入ってないと伴奏のイメージも付きづらい。そこで宏美に協力を要請したのだった。


「でも、心に染み入ってきて、泣きそうになったわ。表現力と説得力がすごいわ。私の同級生よりずっと上手いわよ」
「まさか。でも、この主人公、僕に似てるよね」
「………」

"I dreamed a dream"、邦題「夢やぶれて」は男に捨てられ、娼婦になるしかなかった女が希望に溢れていた昔を振り返り、今に絶望している歌だ。
想い人に酷い裏切り方をされ、性奴隷として売られた宏美は彼女に共感したのかもしれない。

「まあ、『夢やぶれて』も何も、僕は最初から夢なんてなかったけどさ」
「宏美……」
「オメガに生まれた時点でアルファの番になって子供産むか、性奴隷になるかしかなかったもの。夢見ることも許されないよ」
「この国含めてだいたいの国ではね。でもオメガでもアルファやベータと同じように暮らしていける国があるわ。私はずっとそんな国に移住したいと思ってたの」
宏美も以前はそんな先進的な国に亡命したいと思っていた。だが、もうそんな気力もない。
「できるよ、君なら」
「宏美と一緒じゃなくちゃ嫌よ」
「Fは出国できないよ。ただでさえオメガは番同伴じゃないとビザが下りないのに」
「…………」



「ずっと傍にいて欲しい」とは言った。思った。
しかし、このまま性奴隷として人生を終えさせるようではあまりに宏美が気の毒過ぎないかと、可憐は思った。
夢も自由も愛も知らず、生涯を終える者なんてこの国には山ほどいる。特にアルファに踏まれて生きているベータやオメガは。だからたった一人のオメガにここまで感情移入してはいけないのではないか、とは思う。
けれど、そんなこと考えたって何にもならない。今目の前にいる愛する人ひとり救えなくてどうするのか。



「可憐、そろそろお見合いしてみなさい」
17歳の誕生日、可憐は菫子からそう言われた。
「…………」
とうとうこのときがきたかと可憐は思った。

(可憐………)
扉の外では宏美が立ち聞きをしていた。また可憐が自分のせいで叱られるのではないかと思って心配だったからだ。なぜか「見合い」という言葉を聞いて胸がチクリとしたが、それは単なる寂しさだろうと自分に言い聞かせた。

「もうすぐ学校も卒業するでしょ? ペニスだって生えてきたみたいじゃない。あんた、優秀なアルファとは言えないけど、アルファとしての最低要件は満たしてるわ。出来が悪いならせめて早く身を固めるべきよ」
「………」
「…………あんた、まさか、宏美に惚れてるんじゃないだろうね?  最近やけに親密になってるみたいだけど。性奴隷の用途なんて主人の勝手だから黙ってたけど、本気なんじゃないだろうね? 」
「………」
「……返事がないってことは……そういうことなのね? あんな家畜野郎にのぼせ上がるほどバカバカしくてみっともないことないわよ。ただでさえ出来が悪いのに、さらにこの家の名前に泥を塗る気? 『ロミオとジュリエット』気分でも味わっているの? それにね、あいつはオメガのくせにオメガが好きな腐穴野郎なのよ。あいつはアンタのことなんとも思ってないの。独りよがりもいい加減になさい 」
菫子は腕を組んで、金色に光る瞳で娘を威圧するように言った。
「彼は私のロミオよ。でも私は彼にとってのジュリエットでなくていい。彼を救えないならせめて同じ痛みを与えられたいわ」
可憐は毅然としていた。

(なんでそんな風に思えるんだ、可憐。僕は君にそこまで想ってもらえるような奴じゃないよ。僕はもう君みたいに真っ当に誰かを愛することなんてできやしないんだよ。最初、どれだけ君に酷いことしたと思ってるんだ。それに僕の性癖に散々付き合わせて、染めまくって君までキチガイにしたじゃないか。こんな残酷なことあるか? 番にもなれないのに、愛してもやれないのに………。)
宏美は可憐の言葉を聞いて酷くいたたまれない気持ちになった。

菫子は頭に血が昇ってしまったようで、顔を真っ赤にして怒鳴りはじめた。
「ふざけんじゃないわよ!! あんた、どんだけ頭が狂ってるの!? あんな肉便器のために、泉宮の名を汚すつもりなの!? いい!? あいつは人間じゃないのよ!! ただの人の形をしたオナホールなのよ!! ダッチワイフと一緒よ!! この家よりダッチワイフを選ぶようなキチガイはこの家にいらな……っうう………」
「お父様!? 」
菫子は突然胸を押さえて苦しみだした。
最近歳のせいもあってか心臓が悪くなってきていたようだった。



その1ヶ月後、菫子は亡くなった。その名にふさわしく、立派な葬儀が行われたが、悲しむ者はほぼいなかった。葬儀の最中も泣いているのは番の詩織だけであった。
「いくら財産を築いてもこんなお葬式では……」
「我が父親ながら、本当に気の毒な人だったわ。お金お金、事業事業、名誉名誉ってそればかり。あの世には何一つ持ってけやしないのに」
ばあやと可憐はそう語りあった。
啓一朗と薫子も実の父親が亡くなったというのに、悲しむ素振りもせず、相続のことで揉めていた。
「やかましいなぁ、お前は。どんだけ業突く張りな女なんだ」
「あらあ、業突く張りはお兄様の方でしょ? お兄様はお父様に車も別荘も買ってもらったじゃありませんか。私はまだ何も買ってもらってないですわ。なのに遺産はきっちり平等に……なんて納得できないですわよ」
「なんだと!! 跡継ぎは僕なんだから、僕が法律だ!! 兄の言うことを聞け!! 」
「んまあ、なんて横暴なの……。お父様も遺産のことくらいちゃんと遺言にして欲しかったわ。お金に汚かったくせに、こういうところ抜けてるんだから」
「まあ、それは言えてるな。全く、自分だけのうのうと墓に入りやがって」

「お兄様、お姉様」
ここで可憐が口を挟む。
「もうお父様の悪口はやめませんか? あんな人でも一応父親ですし…」
すると薫子は「フンッ」という態度をとり、啓一朗は口より早い手を可憐に上げた。
「きゃあっ!! 」
「お前のそういうところムカつくんだよ!! 僕にも父さんにも散々恥をかかせ続けた出来損ないのくせに、こういうときだけ、一人前にいい子ぶるな!! そもそも父さんが死んだのだってお前のせいみたいなもんだろ!! この人殺しが!!  お前なんて死ねばいいんだ!! そしたら遺産の分け前も増えるんだから!! お前が遺産相続したってどうせろくな使い方できないだろう!! 」
啓一朗は怒鳴り散らしながら可憐を殴り続けた。
薫子はただ、迷惑そうな顔をするだけで止めに入ることもしなかった。


「申し訳ありません、お嬢様。私、また何もできませんでした。私はお嬢様が正しいと思います。お葬式の最中に故人の悪口を言うなんてよくないですよ」
ばあやはまた涙ながらに言った。
「ありがとう、ばあや。私は大丈夫よ」

また痣だらけになった可憐を見て、宏美は怒りに震えた。
(またあのクソアルファかよ……)
形は違えど、自分も散々可憐を痛めつけ、汚したのだ。ゆえに、ある意味同族嫌悪だと宏美は分かっていた。
しかし、同族であるからこそ、憎しみが止まらなかった。
(あいつ、目に物見せてやる……)




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