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第7話
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「宏美くん!! 宏美くん!! 助けて!! ママが!! ママが変なの!! 」
宏美がナイトクラブの勤務を終えて、部屋で寝ていると、明日果がドンドンとドアを叩き、助けを求めてきた。もう時間は午後5時である。おそらく学校から帰ってきたところなんだろう。それにしても、なんだかただならぬ様子だ。
低血圧の宏美はだるそうに起き上がり、ドアを開けた。
「宏美くん!! 」
明日果の顔は真っ青で、まるで殺人現場でも見た後のようだった。
宏美は一瞬たじろいだ。
しかし、常に情緒不安定になりやすい明日果のことである。あまり深刻に受け止めなかった。
「なんなの? いつもちょっと変でしょ、君のママは。なんせ君のママだし……」
宏美は自分のことを棚に上げ、不機嫌丸出しで言った。今まで明日果が金切り声を上げても、暴れても、真琴と揉み合っても、寝ていられた強者の彼。だが、自分の部屋のドアをドンドン叩かれて起こされるのはさすがに鬱陶しかったようだ。
「もう!! 変な冗談言ってる場合じゃないの!!
とにかく来て!! 」
宏美は明日果に手を引っ張られ、嫌々真琴たちの部屋を見に行った。
「………っ!? 」
衝撃の光景に宏美の眠気は一気に吹き飛んだ。
真琴は裸で仰向けにベッドに横たわっていた。
その顔は上気し、汗でじっとりしていた。目は閉じたまま、荒い息をしている。その白い肌は体液で汚れていた。何をしていたかなんて一目瞭然だ。だが、もう精力は尽き果てたようで、酷くぐったりしていた。
「呼びかけても答えないのっ!! さっき熱計ったら41度!! ママ、どうしちゃったのかなあ……」
絶句する宏美をよそに明日果が半泣きで言う。
(発情期!? でも彼の発情期ならつい2週間前に終わったはず……。それにただの発情期でこんなになるか!?)
「ママがおかしくなっちゃったあ……私のせいだ!! 私が散々苦しめたからだあ!! 」
明日果が火がついたように激しく泣き出した。
宏美は明日果の顔を自分の胸にぐっと押し付けるようにして抱き込んだ。
「あぁ……見るんじゃない。こんなん見ちゃいけないよ」
リタとケイにも協力してもらい、宏美は真琴を病院に連れていった。
だが、医者も顔を顰めた。
「……禁断症状ですよ。長年番と交わってないせいで。にしても9年も耐えられたのはすごいですね」
「……治るんですか? 」
リタは縋るように尋ねる。
「もう一度彼の番と、番成立させる行為をすればね。まあ、それは番解消されたケースと同様ですよ」
つまり千歳と交わって項を噛んでもらうか、千歳が死ぬかしないと真琴は助からない。
「……今行方不明なんですよ、彼の番。だからすぐには難しいです。何かいい薬はないですか? 」
ケイも苦しそうな表情で医者に懇願する。
「こうした事例はかなり稀なので、特効薬はないですね。通常の抑制剤はもう効かないし。こうなると発情期のフェロモンが垂れ流しになるのも時間の問題です。鎮静剤と点滴を打ってなるべく楽にしてあげるしかないですね」
リタ、ケイ、宏美の3人は医者の言葉に驚いて顔を見合わせた。
「楽にしてあげる 」って……まるで真琴が末期患者みたいな言い方ではないか。
「このまま番が見つからなかったらどうなるんですか? 」
宏美が恐る恐る尋ねる。
医者はますます苦々しい表情になった。
「発熱するのも発情するのもすごく体力消耗しますからね。……このまま衰弱していけば……長くないですね。……申し上げにくいのですが、もう病院ではどうすることも出来ません。ですので、このまま病院で最期を迎えるよりは、家で過ごした方がいいと思います」
「………………」
言葉を失う3人。明日果になんて言えばいいのだ。
病院の廊下で泣きながら待っていた明日果をリタがふわりと抱きしめた。
「大丈夫よ、あなたのパパが見つかって、ママに会わせてあげられれば、ママは助かるからね」
「パパを? 」
「私たちが何とか探し出すから、明日果ちゃんは何も心配しなくていいのよ」
その夜、3人はリビングで話し合った。
「探すって言ってもさあ、手がかりなんもないよ? 真琴くんから番の話を何回か聞いたことはあるけど、いつも僕らには『彼女』とか『番』とか言ってたから名前もわかんない」
ケイは銀髪の頭を両手で抱えて言った。
「そうね、分かるのはアルファ女性ってことと、ラベンダーの香りってことくらいよね。……でもこの世にアルファ女性が何人いることか」
リタも腕を組んでウロウロ歩き回りながら言った。
「写真ならあるよ? 10年前のものらしいけど。さっき明日果ちゃんが渡してくれたんだよ。これがパパだって」
宏美はそう言って1枚の写真をテーブルの上に置いた。写真を見てケイとリタは黙り込む。
「随分地味な女だよね。僕も最初見た時、本当にアルファかよって思ったよ。ベータの中にいても気がつかないだろうな」
「やめなさいよ、明日果ちゃんに聞こえるかもしれないでしょ」
リタが宏美に注意する。
だが、宏美がそう思ったのも無理はない。リタもケイも口に出さなかっただけでおそらく同じことを思っていただろう。
「そういえば明日果ちゃん、真琴くんと一緒に寝てるの? 」
ケイが少し不安げに尋ねた。
「まあねー、あんな状態だからリタと寝とけって言ったんだけど、『離れたくない』って聞かないんだよ。鎮静剤は打ったし、……まあ、大丈夫だと思うけど」
宏美は呆れ口調で言ったが、彼もどこか不安げでもあった。
「そう言えば、通常のフェロモンは近親者間では効かないけど、発情期フェロモンは例外なんでしょ? 大丈夫なの? 」
リタも顔を顰めながら言う。ベータの彼女はあまりフェロモンには詳しくないようだ。
「……まあ、彼女は精通前だし、ちんこもまだ生えてないし、間違い犯すことはないと思うけど」
宏美はそう言ったが、本当はよくわからなかった。身近なアルファ女性は明日果しかいなかった。こんなデリケートな問題、そう誰にでもきけない。
「それに真琴くんの発情期フェロモンが漏れだしても僕らにはわかんないしなぁ……」
宏美が腕を組みながら考え込むように言う。
「大丈夫だよ、その点は。ベータのリタがいる」
ケイがあっけらかんとした口調で、リタを顎で示した。
「ちょっと!! 勝手に探知機にしないでよ!! 匂いで漏れたかどうかが分かるだけなんだからね!! 」
リタが焦った口調で抗議した。
「ママ……ママ……ごめんね……ごめんね……」
その頃、眠れない明日果はまた母の傍らで泣いていた。
眠る母の顔は青白く、生気がなかった。鎮静剤を打てば、熱は下がり、嘘のように苦しまなくなるが、こんな風に死んだようになってしまう。勿論食事はとれず、水分すらまともにとれる状態ではないので、点滴しかなかった。
母はずっとこのままなのか?
このまま死んでしまうのか?
明日果は母がこんなになってしまったのを自分が苦労をかけたせいとしか思えず、ひたすら自分を責めていた。
こんなことになって初めて、どんなに自分が母に依存し、甘えていたか気がついたのだった。
宏美がナイトクラブの勤務を終えて、部屋で寝ていると、明日果がドンドンとドアを叩き、助けを求めてきた。もう時間は午後5時である。おそらく学校から帰ってきたところなんだろう。それにしても、なんだかただならぬ様子だ。
低血圧の宏美はだるそうに起き上がり、ドアを開けた。
「宏美くん!! 」
明日果の顔は真っ青で、まるで殺人現場でも見た後のようだった。
宏美は一瞬たじろいだ。
しかし、常に情緒不安定になりやすい明日果のことである。あまり深刻に受け止めなかった。
「なんなの? いつもちょっと変でしょ、君のママは。なんせ君のママだし……」
宏美は自分のことを棚に上げ、不機嫌丸出しで言った。今まで明日果が金切り声を上げても、暴れても、真琴と揉み合っても、寝ていられた強者の彼。だが、自分の部屋のドアをドンドン叩かれて起こされるのはさすがに鬱陶しかったようだ。
「もう!! 変な冗談言ってる場合じゃないの!!
とにかく来て!! 」
宏美は明日果に手を引っ張られ、嫌々真琴たちの部屋を見に行った。
「………っ!? 」
衝撃の光景に宏美の眠気は一気に吹き飛んだ。
真琴は裸で仰向けにベッドに横たわっていた。
その顔は上気し、汗でじっとりしていた。目は閉じたまま、荒い息をしている。その白い肌は体液で汚れていた。何をしていたかなんて一目瞭然だ。だが、もう精力は尽き果てたようで、酷くぐったりしていた。
「呼びかけても答えないのっ!! さっき熱計ったら41度!! ママ、どうしちゃったのかなあ……」
絶句する宏美をよそに明日果が半泣きで言う。
(発情期!? でも彼の発情期ならつい2週間前に終わったはず……。それにただの発情期でこんなになるか!?)
「ママがおかしくなっちゃったあ……私のせいだ!! 私が散々苦しめたからだあ!! 」
明日果が火がついたように激しく泣き出した。
宏美は明日果の顔を自分の胸にぐっと押し付けるようにして抱き込んだ。
「あぁ……見るんじゃない。こんなん見ちゃいけないよ」
リタとケイにも協力してもらい、宏美は真琴を病院に連れていった。
だが、医者も顔を顰めた。
「……禁断症状ですよ。長年番と交わってないせいで。にしても9年も耐えられたのはすごいですね」
「……治るんですか? 」
リタは縋るように尋ねる。
「もう一度彼の番と、番成立させる行為をすればね。まあ、それは番解消されたケースと同様ですよ」
つまり千歳と交わって項を噛んでもらうか、千歳が死ぬかしないと真琴は助からない。
「……今行方不明なんですよ、彼の番。だからすぐには難しいです。何かいい薬はないですか? 」
ケイも苦しそうな表情で医者に懇願する。
「こうした事例はかなり稀なので、特効薬はないですね。通常の抑制剤はもう効かないし。こうなると発情期のフェロモンが垂れ流しになるのも時間の問題です。鎮静剤と点滴を打ってなるべく楽にしてあげるしかないですね」
リタ、ケイ、宏美の3人は医者の言葉に驚いて顔を見合わせた。
「楽にしてあげる 」って……まるで真琴が末期患者みたいな言い方ではないか。
「このまま番が見つからなかったらどうなるんですか? 」
宏美が恐る恐る尋ねる。
医者はますます苦々しい表情になった。
「発熱するのも発情するのもすごく体力消耗しますからね。……このまま衰弱していけば……長くないですね。……申し上げにくいのですが、もう病院ではどうすることも出来ません。ですので、このまま病院で最期を迎えるよりは、家で過ごした方がいいと思います」
「………………」
言葉を失う3人。明日果になんて言えばいいのだ。
病院の廊下で泣きながら待っていた明日果をリタがふわりと抱きしめた。
「大丈夫よ、あなたのパパが見つかって、ママに会わせてあげられれば、ママは助かるからね」
「パパを? 」
「私たちが何とか探し出すから、明日果ちゃんは何も心配しなくていいのよ」
その夜、3人はリビングで話し合った。
「探すって言ってもさあ、手がかりなんもないよ? 真琴くんから番の話を何回か聞いたことはあるけど、いつも僕らには『彼女』とか『番』とか言ってたから名前もわかんない」
ケイは銀髪の頭を両手で抱えて言った。
「そうね、分かるのはアルファ女性ってことと、ラベンダーの香りってことくらいよね。……でもこの世にアルファ女性が何人いることか」
リタも腕を組んでウロウロ歩き回りながら言った。
「写真ならあるよ? 10年前のものらしいけど。さっき明日果ちゃんが渡してくれたんだよ。これがパパだって」
宏美はそう言って1枚の写真をテーブルの上に置いた。写真を見てケイとリタは黙り込む。
「随分地味な女だよね。僕も最初見た時、本当にアルファかよって思ったよ。ベータの中にいても気がつかないだろうな」
「やめなさいよ、明日果ちゃんに聞こえるかもしれないでしょ」
リタが宏美に注意する。
だが、宏美がそう思ったのも無理はない。リタもケイも口に出さなかっただけでおそらく同じことを思っていただろう。
「そういえば明日果ちゃん、真琴くんと一緒に寝てるの? 」
ケイが少し不安げに尋ねた。
「まあねー、あんな状態だからリタと寝とけって言ったんだけど、『離れたくない』って聞かないんだよ。鎮静剤は打ったし、……まあ、大丈夫だと思うけど」
宏美は呆れ口調で言ったが、彼もどこか不安げでもあった。
「そう言えば、通常のフェロモンは近親者間では効かないけど、発情期フェロモンは例外なんでしょ? 大丈夫なの? 」
リタも顔を顰めながら言う。ベータの彼女はあまりフェロモンには詳しくないようだ。
「……まあ、彼女は精通前だし、ちんこもまだ生えてないし、間違い犯すことはないと思うけど」
宏美はそう言ったが、本当はよくわからなかった。身近なアルファ女性は明日果しかいなかった。こんなデリケートな問題、そう誰にでもきけない。
「それに真琴くんの発情期フェロモンが漏れだしても僕らにはわかんないしなぁ……」
宏美が腕を組みながら考え込むように言う。
「大丈夫だよ、その点は。ベータのリタがいる」
ケイがあっけらかんとした口調で、リタを顎で示した。
「ちょっと!! 勝手に探知機にしないでよ!! 匂いで漏れたかどうかが分かるだけなんだからね!! 」
リタが焦った口調で抗議した。
「ママ……ママ……ごめんね……ごめんね……」
その頃、眠れない明日果はまた母の傍らで泣いていた。
眠る母の顔は青白く、生気がなかった。鎮静剤を打てば、熱は下がり、嘘のように苦しまなくなるが、こんな風に死んだようになってしまう。勿論食事はとれず、水分すらまともにとれる状態ではないので、点滴しかなかった。
母はずっとこのままなのか?
このまま死んでしまうのか?
明日果は母がこんなになってしまったのを自分が苦労をかけたせいとしか思えず、ひたすら自分を責めていた。
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