My destiny

泉 沙羅

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第6話

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「……千歳さんは…すごく、綺麗ですよね」
バーカウンターで、ウォッカを口に運ぶ千歳に宏美が言った。めったにこんなことを言わない宏美だが、あまりに千歳が眩しいのでつい思っていたことが口に出てしまった。
「やだあ、何を言うんですか、いきなり」
千歳はそう言って笑ったが、本当に彼女の美貌はこの世のものとは思えないほどなのだ。こんな薄暗いナイトクラブの中でも一際目立ち、ただ佇んでいるだけで、その場が華やかになる。
(……こんな神々しいオメガ、いるんだろうか……同じくらい美形のオメガならいるけど……)
宏美は真琴を思い浮かべる。
(でも、こんな強いオーラをもつオメガがいるか?
でもアルファの匂いはしないし……)
ベータの同僚に千歳からオメガの匂いがするかどうかこっそり尋ねたことがあるが、しなかったと言う。
(と、なると番がいるのか? ベータなわけはないよな。ベータが首輪することはないし、こんなに目立つベータはいない)
宏美は千歳を見つめながらあれやこれやと思いをめぐらせた。
「…………」
「もう、どうしたんたんですか、そんなに見て」
千歳がますます綺麗に笑う。
「……それに、あなただってすごく綺麗じゃないですか」
美しい千歳からうっとりした眼差しを向けられ、宏美の頬も紅潮する。
「……っ……」
「ふふふ」
照れる宏美に対して千歳はひどく余裕だった。

「見て見て、宏美が絶世の美女と話してるわ」
「すごいツーショだね」

本人たちは意識してない。
しかし、2人がカウンター越しに向かい合って話す様は絵になるというより、独特な雰囲気だった。
花に例えるなら、千歳が大輪の薔薇で、宏美は黒百合。
正反対の魅力を持つ2人のコントラストが人目を引く。

「……千歳さん、僕がLilyだって知ってるんでしょう? 気持ち悪いとか思わないんですか? 」
宏美が卑屈な口調でそう言うと、千歳はキョトンとした。
「どうして気持ち悪いと思わなくちゃならないの? あなたがLilyでもそうでなくても、何も私に不利益はないわ」
千歳がそう言っても宏美はまだ怪訝な顔をしていた。理解するようなフリをして、笑いものにしたり、無神経なことを言ってきた奴なんて沢山いたからだ。こないだのアルファの男だって、「俺はオメガ同士の性行為をオカズにできるから、Lilyに理解がある」と思っていたのかもしれない。だから宏美に拒絶されて激昴したのだ。
「アルファだからオメガを好きになるのが普通とか、オメガだからアルファが好きになるのが普通とか、人間の感情って『A=B』みたいなシンプルなものなのかしら」
千歳はそう言ってまたウォッカを一口飲む。
「.........」
宏美はまだ納得してないようだった。千歳の言っていることは実体験の伴わない一般論に過ぎないと思っているのだ。
千歳はそんな宏美にまた微笑みかける。
「......ねぇ、宏美さん、ピグマリオン・コンプレックスって知ってる? 」
「え? 」
「人形偏愛症のことよ。人形しか愛せない人達のこと」
千歳は真剣な眼差しで話し始めた。眼光の強い彼女に見つめられると、吸い込まれそうな感覚になる。
「こないだ、英文学の本を見てたらね、人形偏愛症の人達の物語が沢山出てきたのよ。ピグマリオン神話のピグマリオンは現実の女性が信じられなくて、自分の理想の女性の像を作ったのだけれど......。まあ、調べると色んな人達がいたわよ。亡くなった奥さんの姿を象った人形を作って、奥さんの代わりにしたり、婚約者の顔が事故でめちゃくちゃになっちゃったから綺麗だったころの姿を人形にして残したり......。彼らは人形に惚れ込んで、夢中になって、溺れて、『裸じゃ可哀想』なんて服着せたり、寂しくないようになんて人形のために楽団を呼んで演奏させたり。自分のパートナーのように扱って、片時も離れないで、あまりに思い詰めて病気になるケースもあったわ」
「.........」
宏美は黙って千歳の話を聞いていたが、彼女の意図がイマイチ分からなかった。どうして自分にこんな話をするのだと。
千歳は少し視線を逸らせて続ける。
「......申し訳ないけどね、私最初『えっ』って思っちゃったの。『人形なんて口もきけないし、心もないのにどう好きになれっていうの。虚しくないのかな』と思ったわよ」
それについては、正直宏美も同感だった。
すると、千歳はまた宏美に視線を合わせてきた。
「......でもね、読み進めてるうちに彼らに共感してたの」
意外な言葉に宏美は息を呑む。千歳は続ける。
「恋をすると、その人のことばかり考えて、その人のことを追い求めて......。自分でもおかしいと思うようなことしちゃったり、心にもないこと言ってみたり......自分が自分でなくなっていくのよね。本を読んで映画を見ても、『あぁ、こういうの、あの人も好きかしら。一緒にみたいな』なんて思ったりして、心が全部その人で埋め尽くされていく。それは物語の主人公たちも私も同じだったわ」
千歳はおそらく、10年前、真琴に片思いしていたときのことを語っているのだろうが、宏美はそんなこと知る由もない。
だが、宏美は徐々に千歳の話に納得しつつあった。昔、幼なじみのオメガ女性に恋してた頃、自分も同じだったから。一日中彼女のことばかり考えていた。彼女を目で追っていた。
だから想いを告げた際、「気持ち悪い、そんな目で私を見ないでよ。変態、死んで」と拒絶され、目の前が真っ暗になった。勿論拒絶されることは覚悟のうえだった。彼女はアルファが好きだったからアルファと結ばれるもんだとわかっていた。けど、思うことすら許されない、という現実を突きつけられ、心ががらんどうになってしまった。今まで心を埋めつくしていたものを一気に取り上げられたかのように。
「......彼らに共感してしまうのは、私たちが『アルファだからオメガが好き』とか『オメガだからアルファが好き』なんて理屈ではなくて、感情で恋をしているからだと思うのよ。」
「......千歳さん......」
「だから人間の恋愛の形に『普通』も『普通じゃない』もないと思う。方向は違えど、根本は皆一緒なのよ。恋は人を愚かにするし、自己満足ばかりよ」
宏美は何も言葉が出てこなかった。けど、千歳の吸い込まれそうな瞳に見つめられると、何もかも見透かされてるかのようだ。
何でも話してしまいそうになる。いつの間にか敬語もとれる。
「千歳さん、僕、ずっとわからないことがあるんだ。僕、昔は性奴隷として財閥を経営してる一家に飼われてた。その一家は夫婦から子どもから皆僕のことを家畜みたいに扱ったんだけど、末っ子の女の子だけは僕に優しくしてくれて......。『どうせ僕は性奴隷だから好きにしていい』って言ったのに彼女、一度も僕を抱かなかったんだ......」
宏美は思い出していた。まだ18そこそこだったときのことを。
宏美が飼われていた一家はアルファ女性とオメガ女性の番夫婦、アルファ男性の長男、アルファ女性の長女次女で構成されていた。
宏美に優しくしてくれた末っ子の令嬢は可憐かれんといい、宏美より3つ年下だった。名前通り、栗色の髪と瞳が印象的な可愛らしいアルファ少女だった。
だが、兄や姉より若干出来は悪かったようで、両親からやや冷たい待遇を受けていた。可憐は他の家族にめちゃくちゃに痛めつけられた宏美を手当てしてくれたり、音楽が好きな宏美に楽器を教えてくれたりした。
まだ10代でお嬢様育ちで世間知らずな可憐は宏美に「あなたが好きなの、番になって」と持ちかけたこともあった。しかし宏美は「僕はFだから番は作れない。それに僕はオメガしか愛せないオメガなんだ」と打ち明けた。そのとき可憐は酷く悲しそうな顔をしたが、その後も変わらず宏美に優しくしてくれた。
当時、宏美は手首や足首を切るなどの自傷行為をしていた。偶然その行為を見つけた可憐は無論「何やってんの」と止めに入った。完全に人間不信になっていた宏美は「ほっといてくれ」と突き放した。すると彼女は、なんと「じゃあ私も一緒にやる」と言い出した。それから、宏美とお互いをナイフで傷つけあい、その傷口を合わせるような遊びもするようになった。ある意味それもセックスのようなものだったかもしれない。
可憐の父親のアルファ女性が亡くなったときには、彼女は父親のパスポートを元に偽造パスポートを作り、宏美に渡した。
そして「これ以上、あなたが傷つくのを私は見てられない。この国から逃げて」と言った。
勿論、宏美は断った。Fとして登録されたオメガを助けることは重罪なのだから。恋愛感情こそないものの宏美は可憐を妹のように大切に思い始めていたので、彼女にそんなことはさせられなかった。
だが、可憐は業者まで雇って無理やり宏美を亡命させた。その後彼女がどうなったかはわからない。

「......彼女がなんで僕なんかのためにそこまでしたのか、僕は全く理解できない。番になれないのに。僕は彼女をそういった意味では愛せないのに。僕なんかに尽くしたって彼女には何のメリットもないのに」
宏美は辛そうに顔を歪めた。

あるとき、可憐が父親から叱責されているのを立ち聞きしたことがあった。「あんな家畜野郎にのぼせ上がるのもいい加減にして。ただでさえ出来が悪いのに、さらにこの家の名前に泥を塗る気? 『ロミオとジュリエット』気分でも味わっているの? あいつはアンタのことなんとも思ってないのに、独りよがりもいい加減になさい 」などと言われていた。
しかし、可憐は答えた。
「彼は私のロミオよ。でも彼にとって私はジュリエットでなくてもいい。彼が幸せのためなら私はなんでもしたい。彼の幸せに貢献できないときはせめて同じ痛みを与えられたい」と。


「……どうしてそんな風に思えるのかなって。自分のものにならないなら消えてしまえとか思わないのかな…。僕は幼なじみにふられたとき正直少しそう思ったから。それに、彼女に何もしてあげられなかったのに、愛してあげられなかったのに、そんなことさせてよかったのかなってずっと思ってる。彼女に申し訳なくて」
遠い目をする宏美に千歳はまた微笑みかける。
9年前、可憐と同じような行動をとった千歳には彼女の気持ちがよくわかったのかもしれない。
「彼女はきっとあなたが自分のものにならないことより、ずっと、あなたが傷つく姿を見るのが辛かったのよ。すごく愛されてたのね」
「………」
「それに、愛してあげられなかったって言ってるけど、立場が逆なら宏美さんは彼女と同じことをした? 」
「当然だよ! 」
宏美はきっぱりと答えた後、「あれ?」というような表情を浮かべた。
「……じゃああなたも彼女を愛してたのよ」
「でも……」
「性愛だけが愛じゃないわ。彼女にだってあなたの気持ちは伝わっていたはず。だから申し訳ないなんて思う必要はないと思う。自分が危険な目に合うのを覚悟してまで彼女はあなたを幸せにしたかったのよ。だからあなたが幸せになることが彼女への恩返しよ」
千歳が真剣な顔をして言う。
宏美は親にも愛されず、性愛以外の愛情には程遠かった。だから愛に対する感受性も弱かったのかもしれない。幼なじみへの思いは恋ではあっても、愛にはなりえなかったのかもしれない。
気がつけば、宏美の白い頬に涙が伝っていた。
泣くなんてかなり久しぶりだった。しかも人前で。
ずっと2人に注目していた周りはざわめき始める。

「ちょっと、宏美が泣いてるじゃん!! いつも涼しい顔してる宏美が!! 」
「げえっ!! 本当だ!! 一体何があったの!? 」

千歳はそんな雰囲気など全く物ともせず、聖母のような優しい眼差しで咽び泣く宏美を見つめていた。そしてそっとハンカチを差し出した。

千歳がクラブから出ると、一人の女性から声をかけられた。彼女は首にチョーカーをしており、匂いはしなかったのでおそらく番持ちのオメガだ。
「ちょっと、あなたオメガでしょ? あの人がLilyだって知ってるでしょ? あんまり親しくしない方がいいわよ」
「どうしてですか? 」
「だって、Lilyなんかに好かれたら嫌でしょ。私も彼の歌声は好きだけど、あんまり近寄らないようにしてるの。私番いるし、襲われたらたまったもんじゃないもの」
千歳は吹き出してしまった。千歳の反応に女性はぽかんとする。
「被害妄想しなくても大丈夫ですよ。彼はあなたみたいな偏った考えの人は愛さないわ」

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