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第5話
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あれから真琴は1歩も動くことができず、ずっとベッドに体を横たえていた。宏美に精力を全て持ってかれてしまったのだ。
当の宏美は、あれから真琴の体を清めてくれ、散々汚しまくったシーツや毛布も洗濯してくれた。体は真琴よりも貧弱であるのによくそんな体力があるものだ。あれだけ過激なことをしたのに。やはり若いからだろうか。
「……ありがとう」
ベッドに腰をかけ、ガウン姿でタバコを吸っている宏美にお礼を言う真琴。
「いやいや。こっちこそごめんね。やりすぎちゃった」
宏美は随分とあっさりした口調でそう言った。まるで喧嘩の後「言い過ぎちゃった、ごめんね」と言うように。
「……ううん、おかげで疼きは収まったよ」
「それはよかった」
宏美はそう言うと、また紅い唇から白い煙を吐いた。
その独特な色気に、真琴は宏美から目を離せなくなる。
「……!」
そのとき宏美のガウンの隙間から左胸の刺青が見えた。
「……? ああ、これ、君にもあるよね」
宏美は真琴の視線に気がついたのか、ガウンをめくって左胸を露わにした。
少し骨が浮いた白い胸の上に赤く
"F"
とあった。
行為中はそれどころではなかったので気が付かなかった。
「君も……なの ? 」
目を丸くしている真琴に、宏美はコケティッシュな微笑みを見せる。
「なんでか知りたい? ……僕もオメガを好きになったからだよ」
「…………」
以前真琴は自分がどういう過程で亡命することになったのかを、宏美含めた同居人たちに伝えていた。その際、同じオメガの奈都と愛し合ったことが原因で、"F"に落とされてしまったことも話していたのだ。
宏美は話してくれた。かつて幼なじみだったオメガ女性が好きだったこと。思い切って想いを打ち明けたら、「そんな目で私を見ていたのか、汚らわしい」と気持ち悪がられたうえに警察に通報され、Fに落とされてしまったこと。それで親からも「お前は人殺しよりおぞましい」と勘当され、性奴隷として売られたこと。
「……別にもう昔のことだから、どうでもいいけどさ。この国ではオメガ同士でも結婚は許されてるけど、まだまだ子供が作れないカップルには偏見がすごいよね」
「僕は人を人を好きになっただけなのに、犯罪や病気みたいに扱う意味が分からないよ。自然の摂理に反しているって言うなら子作り目的以外の性行為全般に言えることだし。愛があればバース性なんて関係ないよ。僕だって殺されたオメガの恋人のこと未だに愛してるよ。それにアルファに散々な目に合わされてずっとアルファが大嫌いだったけど、番に出会って変わったんだ……」
真琴が熱くなって語っていると、宏美が意味深な視線を向けてきた。
「『バース性なんて関係ない』? 本当にそう思う? 」
宏美はか細い腕を伸ばし、真琴の頬に手を添えた。
「………? 」
真琴は宏美の言っていることの意味がわからず、キョトンとする。
宏美は真琴が理解出来てないのを察して、少し寂しげな表情をした。
「僕はオメガしか好きになれないんだよ。オメガにしか発情できないオメガなんだ」
「!?」
衝撃の告白に真琴は言葉を失う。
だが、同時に自分に対してもショックを受けていた。
自分は偏見や差別が大嫌いなはずなのに、そんな自分にも偏見や思い込みがあったのだと。宏美のような人間なんかいないと思い込んでいたからこんなに衝撃を受けてしまうのだ。
絶句している真琴を前に宏美は続けた。
「だからといって、別に僕はアルファが嫌いなわけではないし、アルファになりたいわけでもない。ただオメガとしてオメガが好きなんだ」
「……宏美くん……」
「僕のこと、気持ち悪いと思ったでしょ? 」
「そんなっ……まさか……そんなこと思うわけないじゃん…」
「……ありがとう」
宏美はまたコケティッシュな笑みを真琴に向けた。だが、どこかに諦めを感じる笑みだった。
「……ママ、私たちの部屋、宏美くんの匂いがすごい………なんで? 」
一週間後、家に帰ってきた明日果が顔を顰め、鼻と口を抑えながら言った。琥珀色の瞳もチカチカと光っていた。精通前の子供とはいえ、アルファにとってオメガの発情期フェロモンはたまらないのだろう。
「……あ、ごめんね。ママが発情期で具合悪かったとき、宏美くんが大分面倒みてくれたから」
……満更嘘ではない。
だが、明日果は母が何か隠そうとしているのを見抜いているのか、意味深な眼差しを向けてきた。以前は彼女も、思ったことをすぐ口に出してそれがトラブルの元になっていた。だが、知能が高いだけあってさすがに学んだのか、怪訝な顔をしただけで何も言わなかった。
真琴は部屋にフェロモン除去剤を巻いた。宏美の発情期ももう終わっている。発生源のない、フェロモンの名残りはこうして始末することができる。
「宏美くん……」
真琴は宏美に対して、千歳や奈都のときとはまた違う感情を抱き始めていた。今までは「不思議な人」「変な人」くらいにしか思ってなかったのに。その気持ちは友愛とも性愛とも言いきれない微妙なものだった。千歳のときのように激しく胸を突き動かされるような運命的なものでもなく、奈都のときのような、憧憬に近い純粋なものでもなく、色んな感情が複雑に入り混じっていた。何より、そこに明日果への気持ちと近いものがあるということが1番大きな違いだった。
その日、宏美はバーテンダーとしても勤めているナイトクラブのステージで、その魅惑的な歌声を披露していた。彼の歌声は、貧弱そうな体からは想像もつかないほどパワフルだった。
そこまで有名ではない彼が歌うのは主にカバーだったが、オメガ男性特有の音域の広さで男性曲も女性曲も歌いこなしていた。
「彼のシーアのカバー、やばいね」
「聞いた? あのホイッスル。音域7オクターブくらいあるんじゃないの? 」
「宏美、本当に凄い。歌も上手いし、かっこいいし、綺麗だし、男でも女でもないような色気があって」
「私、宏美のこと、最初女だと思ってたから男だって知ってちょっとびっくりしちゃった。......間違いなくオメガだよね、彼。チョーカーしてるし、こないだちょっと話したときアップリコットみたいな甘い匂いがしたの」
「やめなさいよ、こんなところでバース性のこと持ち出すのは。下品よ」
この国では、公の場でバース性について話すのは、セックスや自慰について話すのと同じくらい下品なこととされている。
宏美のファンは半数以上ベータ女性だが、ベータ男やアルファやオメガもちらほらいる。
ウルフカットの黒髪に凍るような白い肌、薄くはあるが、均整の取れた顔にマッチングしたゴスメイク、黒を基調としたゴスパンファッション、か細い体に不釣り合いなゴツゴツしたアクセサリー...。退廃的で中毒性のある美貌を持つ彼が中性的かつハスキーな声で歌う姿はまさにテロ並に魅力的だった。
「そういえば、彼さ、LiLyだって噂だよ」
Lilyとはオメガが好きなオメガの通称だ。昔ベータしか存在しなかった時代、女性同士の同性愛を描いたエンターテインメントを「百合」と呼んでいたことに由来している。
「まじぃ? あれで? 男なのに化粧してあんな格好して......アルファ惹きつけようとしてるとしか思えないのにね」
「アルファにトラウマでもあるんじゃないの。でもオメガってだいたいアルファに酷いことされた経験あるし、そんなんでLilyになるとかメンタル弱くない? 」
「だからやめなって。下品だって」
差別への規制が厳しく、法整備が整った国でもデリカシーのない輩は多い。
歌の間奏中や、酒を作っているとき、こういう偏見に満ちた下卑た話が聞こえてくることもあったが、宏美は気にしないふりをしていた。
一度出番を終え、宏美がバーカウンターに戻ると、中年の男が声をかけてきた。彼からは花の匂いがしたのでおそらくアルファだ。
「宏美くんさあ、Lilyなの? 」
彼は下品にニヤニヤ笑いながらそう尋ねてきた。
「だったらなんだと言うんです? 」
宏美は「またいつものだ」と半笑いで返した。
「なんでオメガなのにオメガ好きなの? 」
「じゃあなんであなたはオメガ好きなんですか? 」
「んー? 変なこと聞くねぇ。アルファだったらオメガ好きなの普通じゃん? オメガ同士ってさあ、どうやってやるの? 俺、ちょっと興味あるんだよねー」
男はニタニタしながら、宏美の体を舐めるようにみた。
「そういうあなたはセックスのとき、どれくらい勃起もつんですか? 」
呆れ笑いでそう返す宏美に、男は少しむっとしたような顔をした。
「な、なんでそんなこと聞いてくるんだよ! それにさっきから質問に質問で返すなよ! 失礼だろ! 」
男の態度に宏美は鼻で笑った。
「人にそういったことを聞くんだから、まず自分から話すのが筋ってもんでしょう? 僕はあなたのオカズになるつもりなんてないし」
「生意気だな、お前!! オメガのくせに!! 誰がてめーみたいなブス、オカズにするかよ!! だいたいオメガなのにオメガが好きなんてどうかしてるんだよ!! 普通オメガはアルファのちんこを求めるもんだ!! お前性格悪くてアルファにモテないから、30にもなって番いないし、オメガ同士でちちくりあってんだろ!! 不潔だな!! だいたいその歳でその格好も痛々しいんだよ!! 年増の負け犬は負け犬らしく地味にしろ!! 」
男は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。周りもざわつき始める。
(面倒くさい......何回こういう奴の相手しなくちゃいけないんだよ......)
宏美はもう反論する気力さえなくなった。
「おやめなさい。あなた、セクシャルハラスメントですよ、それ」
そのとき、凛とした女性の声が聞こえてきた。
現れたのはスーツ姿のキャリアウーマン風の美女だった。
つややかな黒髪を肩の辺りで揃え、輝く黒い瞳は光を放たんばかりだった。
完璧なルックス、強い眼光、自信に溢れた出で立ちは明らかにアルファと思われるが、細い首には無骨な首輪が嵌められていた。
「んだよ、テメー。俺はちょっとこいつにおふざけで質問しただけなんだよ。そしたらこいつが妙な態度とりやがったんだ!! 」
「妙な態度とってるのはどう見てもあなたですけど? 」
「ああ!? んだよ、最近のオメガは生意気でわがままだな!! 昔のオメガはもっと従順でアルファを立てたもんだ!! オメガ同士で抱き合うような変態やら、アルファに逆らう生意気なオメガがいるから、少子化になるんだよ!! 」
この男はどうやらこの美女をオメガと見なしたらしい。
するとその美女は毅然とした態度でこう言った。
「アルファがオメガを人間として尊重したら少子化になってしまうんですか? オメガの人権を踏みにじってまで解決すべき問題ですか?少子化って。なぜオメガ同士で愛し合う者が現れたら自分たちアルファの取り分が減る、財産がなくなる、みたいな言い方をするんですか? 『オメガは全員、俺のモノ』とでも思ってるんですか? 」
「偉そうだな、このアマ!! 」
男が美女の胸ぐらを掴んだ。
すると美女は全く物怖じせず、スマホを手に取った。
「これ以上騒ぐと、『ナイトクラブで店員さんに暴言吐きまくって営業妨害してる男がいる』と通報しますよ」
すると男は悔しそうに手を離した。
「死ねやくそブス!!」
そんな捨て台詞を残して男は去った。
「やれやれ」
美女は呆れ返ったようにそう言うと宏美の方に向き直った。
「災難でしたね。大丈夫ですか? 」
呆然とやりとりを見ていた宏美も、美女の微笑みにドキリとしてしまった。
「あ、はい......すみません、助けていただいて......」
(首輪してるけど......全くオメガっぽくない。でもアルファの匂いしないしな......)
バース性を聞くのは下着の色を聞くくらい失礼なことだ。宏美も彼女をオメガと見なすことにした。
「いえいえ。それより私......今日あなたの歌にすごく感動しました。今日は同僚に連れられてここにきただけなんだけど、私もあなたのファンになりそうです」
そう言って美女は少し背の高い宏美の肩に手を置いた。
「……あなたは?」
あまりに眩いオーラを放つ美女に、宏美は思わずそう尋ねてしまった。
すると美女は大胆な笑みを浮かべながら自分の名を名乗った。
「私、千歳といいます。来週からすぐそこのK大学で勤めることになってます。またここに来ますね」
当の宏美は、あれから真琴の体を清めてくれ、散々汚しまくったシーツや毛布も洗濯してくれた。体は真琴よりも貧弱であるのによくそんな体力があるものだ。あれだけ過激なことをしたのに。やはり若いからだろうか。
「……ありがとう」
ベッドに腰をかけ、ガウン姿でタバコを吸っている宏美にお礼を言う真琴。
「いやいや。こっちこそごめんね。やりすぎちゃった」
宏美は随分とあっさりした口調でそう言った。まるで喧嘩の後「言い過ぎちゃった、ごめんね」と言うように。
「……ううん、おかげで疼きは収まったよ」
「それはよかった」
宏美はそう言うと、また紅い唇から白い煙を吐いた。
その独特な色気に、真琴は宏美から目を離せなくなる。
「……!」
そのとき宏美のガウンの隙間から左胸の刺青が見えた。
「……? ああ、これ、君にもあるよね」
宏美は真琴の視線に気がついたのか、ガウンをめくって左胸を露わにした。
少し骨が浮いた白い胸の上に赤く
"F"
とあった。
行為中はそれどころではなかったので気が付かなかった。
「君も……なの ? 」
目を丸くしている真琴に、宏美はコケティッシュな微笑みを見せる。
「なんでか知りたい? ……僕もオメガを好きになったからだよ」
「…………」
以前真琴は自分がどういう過程で亡命することになったのかを、宏美含めた同居人たちに伝えていた。その際、同じオメガの奈都と愛し合ったことが原因で、"F"に落とされてしまったことも話していたのだ。
宏美は話してくれた。かつて幼なじみだったオメガ女性が好きだったこと。思い切って想いを打ち明けたら、「そんな目で私を見ていたのか、汚らわしい」と気持ち悪がられたうえに警察に通報され、Fに落とされてしまったこと。それで親からも「お前は人殺しよりおぞましい」と勘当され、性奴隷として売られたこと。
「……別にもう昔のことだから、どうでもいいけどさ。この国ではオメガ同士でも結婚は許されてるけど、まだまだ子供が作れないカップルには偏見がすごいよね」
「僕は人を人を好きになっただけなのに、犯罪や病気みたいに扱う意味が分からないよ。自然の摂理に反しているって言うなら子作り目的以外の性行為全般に言えることだし。愛があればバース性なんて関係ないよ。僕だって殺されたオメガの恋人のこと未だに愛してるよ。それにアルファに散々な目に合わされてずっとアルファが大嫌いだったけど、番に出会って変わったんだ……」
真琴が熱くなって語っていると、宏美が意味深な視線を向けてきた。
「『バース性なんて関係ない』? 本当にそう思う? 」
宏美はか細い腕を伸ばし、真琴の頬に手を添えた。
「………? 」
真琴は宏美の言っていることの意味がわからず、キョトンとする。
宏美は真琴が理解出来てないのを察して、少し寂しげな表情をした。
「僕はオメガしか好きになれないんだよ。オメガにしか発情できないオメガなんだ」
「!?」
衝撃の告白に真琴は言葉を失う。
だが、同時に自分に対してもショックを受けていた。
自分は偏見や差別が大嫌いなはずなのに、そんな自分にも偏見や思い込みがあったのだと。宏美のような人間なんかいないと思い込んでいたからこんなに衝撃を受けてしまうのだ。
絶句している真琴を前に宏美は続けた。
「だからといって、別に僕はアルファが嫌いなわけではないし、アルファになりたいわけでもない。ただオメガとしてオメガが好きなんだ」
「……宏美くん……」
「僕のこと、気持ち悪いと思ったでしょ? 」
「そんなっ……まさか……そんなこと思うわけないじゃん…」
「……ありがとう」
宏美はまたコケティッシュな笑みを真琴に向けた。だが、どこかに諦めを感じる笑みだった。
「……ママ、私たちの部屋、宏美くんの匂いがすごい………なんで? 」
一週間後、家に帰ってきた明日果が顔を顰め、鼻と口を抑えながら言った。琥珀色の瞳もチカチカと光っていた。精通前の子供とはいえ、アルファにとってオメガの発情期フェロモンはたまらないのだろう。
「……あ、ごめんね。ママが発情期で具合悪かったとき、宏美くんが大分面倒みてくれたから」
……満更嘘ではない。
だが、明日果は母が何か隠そうとしているのを見抜いているのか、意味深な眼差しを向けてきた。以前は彼女も、思ったことをすぐ口に出してそれがトラブルの元になっていた。だが、知能が高いだけあってさすがに学んだのか、怪訝な顔をしただけで何も言わなかった。
真琴は部屋にフェロモン除去剤を巻いた。宏美の発情期ももう終わっている。発生源のない、フェロモンの名残りはこうして始末することができる。
「宏美くん……」
真琴は宏美に対して、千歳や奈都のときとはまた違う感情を抱き始めていた。今までは「不思議な人」「変な人」くらいにしか思ってなかったのに。その気持ちは友愛とも性愛とも言いきれない微妙なものだった。千歳のときのように激しく胸を突き動かされるような運命的なものでもなく、奈都のときのような、憧憬に近い純粋なものでもなく、色んな感情が複雑に入り混じっていた。何より、そこに明日果への気持ちと近いものがあるということが1番大きな違いだった。
その日、宏美はバーテンダーとしても勤めているナイトクラブのステージで、その魅惑的な歌声を披露していた。彼の歌声は、貧弱そうな体からは想像もつかないほどパワフルだった。
そこまで有名ではない彼が歌うのは主にカバーだったが、オメガ男性特有の音域の広さで男性曲も女性曲も歌いこなしていた。
「彼のシーアのカバー、やばいね」
「聞いた? あのホイッスル。音域7オクターブくらいあるんじゃないの? 」
「宏美、本当に凄い。歌も上手いし、かっこいいし、綺麗だし、男でも女でもないような色気があって」
「私、宏美のこと、最初女だと思ってたから男だって知ってちょっとびっくりしちゃった。......間違いなくオメガだよね、彼。チョーカーしてるし、こないだちょっと話したときアップリコットみたいな甘い匂いがしたの」
「やめなさいよ、こんなところでバース性のこと持ち出すのは。下品よ」
この国では、公の場でバース性について話すのは、セックスや自慰について話すのと同じくらい下品なこととされている。
宏美のファンは半数以上ベータ女性だが、ベータ男やアルファやオメガもちらほらいる。
ウルフカットの黒髪に凍るような白い肌、薄くはあるが、均整の取れた顔にマッチングしたゴスメイク、黒を基調としたゴスパンファッション、か細い体に不釣り合いなゴツゴツしたアクセサリー...。退廃的で中毒性のある美貌を持つ彼が中性的かつハスキーな声で歌う姿はまさにテロ並に魅力的だった。
「そういえば、彼さ、LiLyだって噂だよ」
Lilyとはオメガが好きなオメガの通称だ。昔ベータしか存在しなかった時代、女性同士の同性愛を描いたエンターテインメントを「百合」と呼んでいたことに由来している。
「まじぃ? あれで? 男なのに化粧してあんな格好して......アルファ惹きつけようとしてるとしか思えないのにね」
「アルファにトラウマでもあるんじゃないの。でもオメガってだいたいアルファに酷いことされた経験あるし、そんなんでLilyになるとかメンタル弱くない? 」
「だからやめなって。下品だって」
差別への規制が厳しく、法整備が整った国でもデリカシーのない輩は多い。
歌の間奏中や、酒を作っているとき、こういう偏見に満ちた下卑た話が聞こえてくることもあったが、宏美は気にしないふりをしていた。
一度出番を終え、宏美がバーカウンターに戻ると、中年の男が声をかけてきた。彼からは花の匂いがしたのでおそらくアルファだ。
「宏美くんさあ、Lilyなの? 」
彼は下品にニヤニヤ笑いながらそう尋ねてきた。
「だったらなんだと言うんです? 」
宏美は「またいつものだ」と半笑いで返した。
「なんでオメガなのにオメガ好きなの? 」
「じゃあなんであなたはオメガ好きなんですか? 」
「んー? 変なこと聞くねぇ。アルファだったらオメガ好きなの普通じゃん? オメガ同士ってさあ、どうやってやるの? 俺、ちょっと興味あるんだよねー」
男はニタニタしながら、宏美の体を舐めるようにみた。
「そういうあなたはセックスのとき、どれくらい勃起もつんですか? 」
呆れ笑いでそう返す宏美に、男は少しむっとしたような顔をした。
「な、なんでそんなこと聞いてくるんだよ! それにさっきから質問に質問で返すなよ! 失礼だろ! 」
男の態度に宏美は鼻で笑った。
「人にそういったことを聞くんだから、まず自分から話すのが筋ってもんでしょう? 僕はあなたのオカズになるつもりなんてないし」
「生意気だな、お前!! オメガのくせに!! 誰がてめーみたいなブス、オカズにするかよ!! だいたいオメガなのにオメガが好きなんてどうかしてるんだよ!! 普通オメガはアルファのちんこを求めるもんだ!! お前性格悪くてアルファにモテないから、30にもなって番いないし、オメガ同士でちちくりあってんだろ!! 不潔だな!! だいたいその歳でその格好も痛々しいんだよ!! 年増の負け犬は負け犬らしく地味にしろ!! 」
男は顔を真っ赤にして怒鳴り始めた。周りもざわつき始める。
(面倒くさい......何回こういう奴の相手しなくちゃいけないんだよ......)
宏美はもう反論する気力さえなくなった。
「おやめなさい。あなた、セクシャルハラスメントですよ、それ」
そのとき、凛とした女性の声が聞こえてきた。
現れたのはスーツ姿のキャリアウーマン風の美女だった。
つややかな黒髪を肩の辺りで揃え、輝く黒い瞳は光を放たんばかりだった。
完璧なルックス、強い眼光、自信に溢れた出で立ちは明らかにアルファと思われるが、細い首には無骨な首輪が嵌められていた。
「んだよ、テメー。俺はちょっとこいつにおふざけで質問しただけなんだよ。そしたらこいつが妙な態度とりやがったんだ!! 」
「妙な態度とってるのはどう見てもあなたですけど? 」
「ああ!? んだよ、最近のオメガは生意気でわがままだな!! 昔のオメガはもっと従順でアルファを立てたもんだ!! オメガ同士で抱き合うような変態やら、アルファに逆らう生意気なオメガがいるから、少子化になるんだよ!! 」
この男はどうやらこの美女をオメガと見なしたらしい。
するとその美女は毅然とした態度でこう言った。
「アルファがオメガを人間として尊重したら少子化になってしまうんですか? オメガの人権を踏みにじってまで解決すべき問題ですか?少子化って。なぜオメガ同士で愛し合う者が現れたら自分たちアルファの取り分が減る、財産がなくなる、みたいな言い方をするんですか? 『オメガは全員、俺のモノ』とでも思ってるんですか? 」
「偉そうだな、このアマ!! 」
男が美女の胸ぐらを掴んだ。
すると美女は全く物怖じせず、スマホを手に取った。
「これ以上騒ぐと、『ナイトクラブで店員さんに暴言吐きまくって営業妨害してる男がいる』と通報しますよ」
すると男は悔しそうに手を離した。
「死ねやくそブス!!」
そんな捨て台詞を残して男は去った。
「やれやれ」
美女は呆れ返ったようにそう言うと宏美の方に向き直った。
「災難でしたね。大丈夫ですか? 」
呆然とやりとりを見ていた宏美も、美女の微笑みにドキリとしてしまった。
「あ、はい......すみません、助けていただいて......」
(首輪してるけど......全くオメガっぽくない。でもアルファの匂いしないしな......)
バース性を聞くのは下着の色を聞くくらい失礼なことだ。宏美も彼女をオメガと見なすことにした。
「いえいえ。それより私......今日あなたの歌にすごく感動しました。今日は同僚に連れられてここにきただけなんだけど、私もあなたのファンになりそうです」
そう言って美女は少し背の高い宏美の肩に手を置いた。
「……あなたは?」
あまりに眩いオーラを放つ美女に、宏美は思わずそう尋ねてしまった。
すると美女は大胆な笑みを浮かべながら自分の名を名乗った。
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