My destiny

泉 沙羅

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第2話

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「明日果、大学入ったら離れて暮らそう」
真琴は夜、並んで寝ている明日果にそう切り出した。
夕方宏美に言われたことが気になっていたのだ。
明日果は目を丸くし、ぬっと体を起こした。
「何それ、ママは私がいない方がほっとするの? 」
明日果はそう言って琥珀色の大きな瞳からポロポロ涙をこぼし始めた。
いくら知能が高くても、明日果はまだまだ甘えたい盛りの子どもである。事実、未だに母に添い寝して貰わないと寝れない甘えん坊なのだ。いきなりそんなことを言われたら、親から嫌われていると思うだろう。それに明日果には自分の特異な性質のせいで母を悩ませているという自覚がある。
真琴は泣き始めた明日果をなだめようと慌てて説得しようとする。
「違う、違う、そうじゃないんだよ。大学入る頃には君は11歳くらいになるでしょ? そしたら……生えてくるし、来るじゃん、精通ってのが……。それだけじゃなくて、ブラジャーなんてのいるでしょ、アルファ女性は複雑なんだから……」
さすがに言いづらいのか、真琴は明日果から目をそらし、声を低くして言った。
「ママ!! 」
8歳とは言え高校生だ。知識としてはあったが、まさか母親の口から聞くことになるとは思ってなかった言葉に明日果は声を荒らげる。
真琴は明日果の反応を見て、こんなときに千歳がいれば、と心から思った。
「ね、そういう話はママにはしづらいでしょ? 大学の寮に入れば相談できる人は沢山いるだろうし……」
「もういい!! 」
明日果はそう叫ぶと、勢いよく立ち上がり、机からカッターナイフを取り出した。
「明日果!! 」
「ママも私のこと嫌ってるんだ!! 邪魔だと思ってるのね!! 死んでやる!! 」
明日果はそう叫ぶと自分の手首をカッターで切りつけた。血が壁や床に飛び散る。
また始まった。何かと孤立しがちで、宇宙人のように扱われがちな彼女はすぐ情緒不安定になり、自傷行為することがしばしばだ。
「やめなさい!! 」
真琴はカッターを取り上げようと明日果の両手を掴む。いつもの揉み合いが始まる。
「ほっといてよ!! 」
明日果が真琴を振り払う。アルファである明日果の腕力は、とうに母親など追い越した。
真琴は床に叩きつけられてしまう。
「……っ……!! 」
そんな母を見て、明日果は一瞬戸惑うような顔をした。
「ママなんて大嫌い!!」
カッターを首に突き立てる小さな手は震えていた。
明日果の瞳がチカチカと光っている。彼女の香りでもあるジャスミンの匂いも濃くなってふわりと漂う。
アルファが興奮したときの反応だ。
真琴は一瞬の隙をついて娘からカッターを取り上げると、その涙に濡れた頬をピシャリと叩いた。
「いた……」
明日果が叩かれた頬を抑えて呻いてる間に、真琴は自分の袖をまくりあげると、娘と同じように自分の手首をガッと切りつけた。よっぽど深く切りつけたのか、白い手首に真っ赤な血が滝のように流れる。
「きゃぁぁぁあぁああ!! 」
明日果は予想外の母の行動に悲鳴をあげる。
「きゃあじゃないよ。何驚いてるの、君がやったから真似したんだよ」
真琴も興奮からか、目が充血して潤み、肩で息をしていた。
「ま、ママ……」
明日果もショックでますます激しく泣き出してしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ママ……」
「……ママも昔、同じことやって、パパから殴られたんだよ」
真琴の目からも涙が流れ落ちる。


そのとき部屋のドアが開いた。現れたのはシェアハウスのオーナーのリタだ。彼女も寝るところだったらしく、ネグリジェを着てきた。栗色の髪も乱れている。
「あのさあ、毎度毎度親子喧嘩は結構だけど、隣の家から苦情きてんの。あのアルファの頑固ジジイが『聞いてると血圧上がっちまうからどうにかしてくれ』って。私たちは事情知ってるからいいけど……ひぃ!! 」
リタはよほど眠かったのか、途中まで目を閉じたまま話してたのだが、血まみれの2人を見て絶句してしまった。


「げっ……何で真琴くんまで手首切ってんの? 」
リビングでリタが2人の手当てをしていると、リタのパートナーのケイがやってきた。彼も寝てるところを起こされたようで、くしゃくしゃの銀色の髪を搔きながら現れた。
「……ショック療法のつもりで真似したらしいわよ」
リタが真琴の腕に包帯を巻きながら淡々と答えた。
「うわー……」
ケイは小動物のような可愛い顔を引き攣らせる。まるでホラー映画でも見ているような反応だ。当たり前だが。2人の眠気はすっかり飛んでしまったに違いない。
リタとケイは夫婦だが、リタはベータ女性でケイはオメガ男性だ。2人は真琴や宏美のような亡命者ではなく、この国で生まれ育った者だが、世間的には風当たりの強いカップルではある。
ゆえに真琴たちと同じコミュニティに入り、こうしてシェアハウスも経営している。

「ごめん……ごめんね、二人とも。本当にごめん」
真琴が俯いたまま、か細い声で詫びる。泣いているのか、肩が震えている。明日果はまだ真琴の傍らで泣き続けている。
「いいのよ、困ったときはお互いさまで。ね。」
リタはそういうと母親のような優しい微笑みを浮かべて、ケイの方を見た。
ケイもリタと同じように微笑むとうなづいた。


「ママ、昨日はごめんなさい……。嫌いとか全部嘘だから。もうあんなことしないから……」
翌朝、明日果はそう真琴に詫びた。その様子は何とも気まずそうだった。
「もういいよ」
真琴は庭で観賞用の薔薇を摘んでいるところだった。
娘の方を向くことなく、淡々と薔薇を摘みながらそう言ったので、明日果にはまだ怒ってるように見えた。本当は真琴もどういう顔したらいいか分からなかっただけなのだが。娘自身がしてることの意味を彼女にわからせたくて自分が腕を切ってみせたが、正しいやり方だったのかどうかはわからなかった。


そのとき庭のフェンス越しに2人の男の声が聞こえてきた。

「おーおー、例の親子じゃん。相変わらずお美しいことで」
「この家に住んでる奴らって本当に揃いも揃ってキモイ奴ばかりだよな」

......近所に住んでるベータたちだ。この国ではオメガにも教育や就労の権利が他の性と同じように与えられ、差別を禁止する法整備もしっかりしている。しかし、それをよく思わないアルファやベータもいるのだ。


「あいつ、元々"F"だったらしいぜ。しかも性奴隷。よくそんなきたねー体で子どもとか産めるよな」
「全くな。よその国からああいうのが来るから俺たちの就職が厳しくなるんだよな。全く子ども産むこととセックスしか能がないくせにいい身分だ。あんな奴ら出ていってくれたらいいのに。うちにもFの制度、ほしいくらいだよ。オメガなんてアルファの子作りマシーンか肉便器にでもなってりゃいいんだよ。それが自然の摂理ってもんだ」

彼らは真琴たちにわざと聞こえるように言っているのだろう。多分真琴がオメガだから、明日果がまだ子どもだからと思って舐めているのだ。
(その「子作りマシーン」にも負けてるからちゃんと就職できないのよ、あんたたちは!! アルファに逆らえない鬱憤をオメガにぶつけないでよね!! )
明日果はアルファ特有の攻撃性の強さを剥き出しにして思いっきり彼らを睨みつけた。中指も立てて挑発する。
「くははっ! ガキがこっち睨んでるぞ。ひゃははっ」
「睨めっこちまちょ、あっぷっぷ~。ひゃははははっ」
アルファは眼力の強さを使って相手を威嚇したり、従わせたりする。アルファに睨みつけられたら、大抵のベータはしっぽを巻いて逃げる。だが、まだ8歳の明日果には相手を蹴散らすほどの眼力はなかったようである。
「......明日果、やめなさい。ガン飛ばさない。無視しなさい」
真琴が小声で明日果に注意をする。

「ちっ......シカトしやがって」
「そういえばうちの母ちゃんが言ってたんだけど、あのガキの父ちゃん、あいつら助けたせいで殺されたかもしれないんだってよ。優秀なアルファだったのにあいつらのせいでもったいないな」
「いやー、でも優秀なアルファっつっても元々はベータ腹の欠陥アルファだったらしいよ。あいつとヤって優秀なアルファになったんだってさ」
「うわー、なんじゃそりゃ気持ちわりぃ」
「あのガキも中々問題児で今まで何回も転校したんだと」
「さすが、欠陥アルファときたねー淫売から生まれた娘だね。思春期になったら、かあちゃんとヤるようになるんじゃね? ひゃははっ」


明日果は最初は凄んでいたが、だんだん涙目になってきてしまった。なんだかんだ言ってもまだ8歳だ。こんな、両親への罵詈雑言には耐えられない。下手に知能が高いゆえに大人の汚い言葉の意味も理解できてしまう。明日果は泣くのをやっと堪えて拳を握りしめた。
「.........」
真琴はそんな娘の顔を一瞥すると手に薔薇を持ったまま立ち上がった。そして薔薇の茎を手の甲に巻き付けながら男たちににじり寄る。
「んだよ、文句あんのかよ」
想定外の真琴の行動に彼らは少したじろぐ。
次の瞬間、真琴は薔薇を巻き付けた手を振り上げると、勢いよく彼らの頬をガッ!! ガッ!! と薔薇の棘で傷つけた。
男たちの頬にツー......と血が滴る。驚きすぎて悲鳴も上げられないようである。彼らは真っ青になってただ震えているだけだった。さっきまで泣きべそをかいていた明日果も唖然としていた。

「......僕の悪口なら好きなだけどうぞ? けれど、今度番と娘を侮辱したらこんなもんじゃないですからね? あまりオメガを舐めないで下さいよ? 」
今まで1度も出したことがないであろう、凄みのある低い声だった。
こんな母を見たのは初めてだったようで、明日果はその場でへなへなと座り込んでしまった。
男たちも間の抜けた顔で固まっていたが、まるで幽霊でも見たかのようにそさくさと逃げていった。
「なっ......なんだよあれ、地雷みたいな奴だな」
「俺あんなこええオメガ初めて見た」


奴らが去っていくと、真琴は震えている明日果を抱き起こした。
「ごめん、ごめん、怖がらせちゃったね」
そう言って娘の背中をさする。

その様子を家の中から伺う宏美は涼しい顔でタバコを吹かしていた。

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