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泉 沙羅

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第一章 雪の街に散る血飛沫

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「あんた、歳だけど中々いい味出してるなあ」
 間接照明に照らされた薄暗い部屋の中、ベッドの上で中年の男女が裸で並んで横になっている。男性の方は歳相応という感じだったが、女性の方は歳の割に小綺麗だった。
「三〇〇ドルだっけ? ほらよ」
 男性が女性に金を渡す。この女性は売春婦らしい。自分の部屋に客を呼んで事に及んでいるのだ。女性がMerciと言ってそれを受け取る。
「最後にもう一発やろうぜ」
 男性が下衆な笑みを浮かべながらそう言ったとき、部屋のドアがカチャリと開いた。ほとんど足音を立てることなく誰かが入ってきた。部屋が暗くてよく見えはしない。どうやら一〇代半ばくらいの少年のようだ。暗がりでも、金髪なのはわかった。背は高いが線の細い少年だ。
「あん? 誰だよ、そいつ。ギャラリー付きでやる気か?」
 男性が面白くなさそうにその少年に目をやる。
「……誰だっていいでしょ」
 感情のない低い声で答える女性。
「おい、まさか息子じゃねーだろうな。子供にこんなところ見せるなんてあんたも人でなしだなあ」
 どこか面白がるような口調でそう言いながら、男性はベッドから起き上がると、少年ににじり寄った。
「……!」
 その少年の顔を近くで見た瞬間、男性は時が止まるような感覚を覚え、息を呑んだ。
「こ、こりゃあ、め、めちゃくちゃ綺麗なぼっちゃんじゃねーか! これなら男でもいいわ。こいつも頂いちゃっていいだろ? お前、子供がいるような部屋で体売る人でなしだし、構わねえだろ?」
 男性は少年を顔から足先まで舐めるように観察すると、女性の方に向き直り、嘲笑うようにそう言った。しかし、女性は虚ろな目で男性を見つめるだけだった。
 その態度を気味悪く感じたのか、男性はうろたえた様子で怒鳴り始めた。
「なんだよ!  何見てやがる!! うわぁっ……」
 男性が声を上げたのは、少年が彼に襲いかかったからだ。少年が男性の首筋に歯を立てる。いや、この感触は歯ではなく牙だろうと男性は直感で分かった。おそらくこの少年は普通の人間ではない。
「やめろ!! やめろぉ!! うわぁぁぁっ」
 男性が少年の下で、もがきながら断末魔の叫びを上げる。男性はしばらくもがいていたが、やがてパタリと動かなくなった。
 女性はこんな状況を冷めた目で見ているだけだった。まるでつまらないテレビ番組でも見るかのように。
 少年は息絶えた男性から口を離すと彼の頭を両手で持ち、ぐいっと一八〇度回転させ頸の骨をボキリと折った。
「……森に埋めに行きましょ」
 女性がそう言うと少年は血まみれの口元を拭ってうなづいた。
「悪いわね、こんなオヤジじゃ不味いし、大して栄養にならないでしょ? 次はもっと若いのを連れて来れるようにするわ」
「……」
 少年は黙ったまま、何とも複雑そうな顔をした。


「やあ」
 サマンサがいつものようにショッピングモールの休憩所で課題をやっていると、見知らぬ少年に声をかけられた。
 アッシュブロンドの髪、赤色がかった藍色の瞳、そして凍るような白い肌。まるでこのモントリオールの厳しい冬の大地のようだ。サマンサは久しぶりに感覚が揺さぶられるような気がした。
(なんて綺麗な色の目と髪……マディソンよりずっとずっと綺麗……)
 だが、ほっそりとした体つきと相まって少し病的にも見える。一月だというのにシャツに長袖のセーター、ズボンとやや薄着だった。ショッピングモール内は暖房が効いているとはいえ、サマンサ含め他の人間は皆コートを着ているというのに。彼だけ春の空間の中にいるようだ。
 少年はサマンサに微笑みかける。サマンサは少年のその微笑みに既視感があるような気がした。
「いつもここに一人でいるよね……?」
 ややイギリス鈍りのフランス語だ。モントリオールでは三番目に多いイングランド系だろうか?
 この国では見知らぬもの同士が気軽に話すことなど別に珍しいことではない。しかし、こんな絶世の美少年に話しかけられたことは初めてだ。人間不信気味のサマンサは嬉しさより先に疑念が湧いてきた。
「何これ、何かの勧誘?」
 サマンサが突き刺すように言うと、美少年は吹き出し、笑いながら言った。
「勧誘って……そんなわけないでしょう」
「じゃあナンパ? ブスの私に随分物好きだね。やめておきなさい。私みたいなブスと話してたら笑われるよ。ブス専だって」
 サマンサが僻みっぽく言うと美少年はますます可笑しそうに笑った。
「面白い人だなあ。全く。そんなんじゃないよ。友達になろうとも思ってないけど。ただ少し気になっただけ」
 歳の割にはかなり落ち着いた口調で話す。育ちが良いのだろうか。だが、「友達になるつもりはない」なんてわざわざ言ってくるとは失礼なやつだ。関わらないでおこうとサマンサは思った。
「そう。さよなら」
 荷物をまとめるとその場を去るサマンサ。こんな美少年が自分に話しかけるなんて、絶対よからぬことを企んでいるに違いないと思ったからだ。
 サマンサが少し気になって振り返ると、美少年は苦悶に満ちた顔で喉を押さえていた。
(風邪でもひいてんのかな?)


 サマンサは母とモントリオール中心街の高層マンションに住んでいる。それも一六階なので窓からはノートルダム大聖堂やチャイナタウンの門がよく見える。だが、こんなところで母と二人きりで暮らしているのも寂しいような窮屈なような何とも言えない感じがする。
「母さん、今日ケヴィンは?」
 ケヴィンというのは母の恋人の名前だ。アイルランド系の男だが、酒やドラッグに溺れてばかりで金遣いも荒く、さらに女癖も悪いろくでなしなのでサマンサはあまり好きでない。だが、母は彼の口の上手さに乗せられているのか、母性をそそられているのか何か知らないが離れ難いようだ。母は高学歴高収入の出来る女性であり、サマンサの勉強や素行についてはかなり喧しい。だが、男を見る目はない。その上男に依存するところがある。父はケヴィンと違って、教養もキャリアもある男性だったが、やはり女癖は悪かった。離婚の原因も父の浮気だ。再婚相手は韓国系なので、アジアンフェチの疑惑もある。
「またカジノか呑みにでも行ってるんじゃない」
 母は眉間に皺を寄せ、ため息をつくとうんざりしたようにそう言った。
 テレビを付けると、CBCの記者がLGBT当事者たちのインタビューをしていた。母が呆れたような顔で画面を見る。まるで躾ができてない悪ガキを見るように。
「この人たち、図々しいと思わない? もうこの国では同性婚もできるのにこれ以上何を要求しようっていうのよ。もう差別なんてなくなったじゃない。いつまで被害者面してんだか。そんなんだからLGBTは嫌われるんだわ」
 サマンサは胸やけがしてくるようだった。母はなんて想像力がないのだろうと。自分は日系人として散々差別を受けてきたはずなのに、なぜ「LGBT」にはそこまで冷酷になれるのかと。そう反論したところで、「私たちは国に貢献してるし、努力してるからLGBTとは違う。あんたは子供だから何もわかってない」などと取ってつけたようなことを言われるだけなので聞き流すだけだが。こんなに想像力がないから男を見る目もないのだとサマンサは思っていた。
 母は昔から努力の人だった。子供のころから努力して努力して勉強でもスポーツでも何でも一番になり、いい会社に入ることもできた。だから自分が「努力が足りない」と判断した人間にはとても厳しいのだ。それが自分の娘でも例外ではない。いや、身内だからこそ厳しいのだろうか。ケヴィンには何だかんだ文句を言いながらも別れようとしないから。だが、なにが母をそんな人間にしたのかサマンサはよくわかっていた。きっとアジア人女性だからといって馬鹿にされたくなかったのだろう。優秀な人間になって白人たちに認めてもらいたかったのだ。実際優秀でもなんでも差別的な人達は「出来のいい動物」程度にしか思ってくれないのに。
 母の母、つまりサマンサの祖母は中指を立てられてもジャップと罵られても黙って微笑んでいるような人だった。それは「差別主義者とまともにやりあわない」という祖母なりの強さだったのだろう。そんな祖母はサマンサがプライマリースクールを卒業する前に亡くなったのだが、母にきつく当たられているサマンサを庇うように可愛がってくれた。母はそんなおっとりした祖母に反発を覚えていたようだ。そんなだから誰からも舐められるのだ、と。
(母さんって笑ったことあるのかな……)
 舐められまいと常に完璧であろうとする母に対してサマンサはそう思っていた。「努力」や「苦労」は必ずしも人間を幸せにするものでも、優しくするものでもないと母で学んだ。
 最近母は仕事から帰ってくるとすぐフラフラ飲み歩いているケヴィンを探しに行ってそのまま彼の家で世話を焼き、サマンサの話は聞いてくれない。一方的に指図をするだけだ。たまに二人の時間になると説教をされるか、父の悪口か、下らない愚痴か、ケヴィンへの不満を聞かされる。その割にサマンサの話は「暗くてくだらない。私に話すなら前向きな話にだけにしろ」と聞いてくれないのだ。サマンサに前向きになれなど土台無理な話なのだが、前向きな話をしたらしたで「口ばっかじゃなくて私が納得いくような結果を残してからそんな話をしなさい」などと言ってくるのは目に見えていた。
「そう言えばね、隣に越してきた人いるみたいよ。静か過ぎて気づかなかったけど。なんかちょっと陰気な四〇くらいの女性なのよ。見た目は歳の割には綺麗なんだけど。あと、その息子かしら? あんたと同じくらいの歳みたいよ。私は見てないんだけど。管理人さんいわく、すごく綺麗な男の子なのに青白い顔してて、なんか病的らしいわ」
「へぇ」
 サマンサは気づいていた。息子の方は見ていないが、母親の方なら玄関の前で居合わせた彼女に何回か挨拶をした。確かに栗色の髪と緑色の瞳が印象的な美しい女性なのだが、ボソボソとした声でしか話さない人で、あまり愛想がいい印象は受けなかった。母が隣人に気づいてないのは単にあまり家にいないからだろう。
「しかもオーナーの言うことには、部屋の窓は一日中カーテンを閉めたままですって。変な人達! あまり関わらない方がいいのかしら」
 そのとき、殺人事件のニュースが流れた。二五歳の男性が仕事帰りに喉を何者かに裂かれ、血を抜き取られた上に首の骨を折られて死んでいたという。
「やだあ、今度はグリーンライン沿い!? 最近多くない? 若者が殺される事件!」
 母があからさまにうんざりしたような声をあげる。
「……そうね」
 そういえば、ついこないだも二三歳の売春婦がほぼ同じ要領で殺された。
「やあねー、物騒になってきたわね、モントリオールも。移民を受け入れすぎたせいなんじゃないかしら。だから感染症も持ってこられるのよ」
「自分も移民三世のくせに……」
 思っていたことがつい口に出てしまったサマンサ。
「え?」
「なんでもない」



「Salut.また会ったね。今日も一人でいるの?」
 いつものショッピングモールの休憩所で読書をしていると、昨日の美少年がやってきた。またこいつか、とサマンサは思った。今日もまた笑われたりろくでもないことを言われたりするのだろうか。だが、会ったら即逃げなければいけないほどの危険人物とは思えなかったので、暇つぶしに会話くらいしてやることにした。
「……そうね。友達いないもの」
 口を開けばネガティブな言葉しか飛び出さないサマンサが面白くてたまらないのだろうか。美少年がまた目尻を下げてクスリと笑う。
「奇遇だね、僕もなんだ」
「意外。あなたみたいな綺麗な人なら人が寄ってくるだろうに」
 そう。やはり人間は見た目なのだ。サマンサはたった一五年の人生で散々それを思い知らされてきた。同じ混血なのにまるで違う待遇を周りから受けていた日英ハーフの同級生、とんでもなく性格が悪いのに容姿がいいという理由で皆からチヤホヤされているマディソン。
「君も綺麗だよ」
 彼は少し口角を上げて微笑みながら言った。本当に美しい笑みだ。真顔なのに笑っている。
 ――そうだ、既視感があると思ったら、モナリザやマリア像のようなアルカイックスマイルだ。
 サマンサはそうピンと来た。少し口角を上げただけなのにこの引力はなんなのだろうか。
 絵か彫刻のように整った顔でこんな風に微笑まれたら老若男女誰もが虜になるはずだ。
「ありがとう」
 一応お礼は言ったが、彼にとっては他人を褒めることなんて挨拶みたいなものなのだろうとサマンサは思った。
「あなた、この辺りに住んでるの?」
「そうだよ。この噴水の中にね」
 彼はそう言って噴水を指さす。照明の効果でパープルになった水が柱のごとく高く天井に向かって吹き出されている。
「……冗談よね?」
 サマンサが真顔でそう言うと、ふふっと笑われた。
「ごめん、多分君の家の隣だよ」
「えっ」
「こないだマンションの前で君を見たから。それから母さんが隣に日系人の親子が住んでるって言ってたから多分君かなって」


『すごく綺麗な男の子なのに青白い顔しててなんか病的らしいわ』


 サマンサは母の言葉を思い出した。そう言われてみれば……。
 ここ、モントリオールには日系人は五〇〇〇人程度しかいない。だからますます差別的な連中に中華系の人々と一緒くたにされやすいのだ。差別意識を持ってない白人たちでさえ「東洋系なんて皆一緒」とどこかで思っている。国によっては勿論、個々人それぞれ違ったアイデンティティを持っているにも関わらず。
「なんで私が日系人だってわかったの?」
「…………なんとなく、雰囲気かな」
 そう言って何かを見抜くように見つめてきた。吸い込まれそうな藍色の瞳。その表情はまた彼を実際の歳よりかなり上に見せた。まるで達観した老人のように。サマンサは久しぶりに「自分がそこに存在している」ことを教えてもらえた気がした。同質の魂の持ち主にやっとめぐり逢えたような、そんな感覚だった。
 そしてなんだかんだ話し相手に飢えていたサマンサ。昨日はなんて失礼なやつだと思ったが、今は彼と会話をすることを嫌だとは思ってない。いや、むしろ……
「私サマンサ。サマンサ・アツコ・マキハラ。サミーって呼んで。あなたは?」
 珍しく自分から名乗った。「誰も私に関心なんてあるもんか」と他者に対してシャッターを降ろしていたサマンサだったが、彼には自分のことを知って欲しいと思った。
「僕はネル」
「歳は?」
「一五歳くらい」
 ……「くらい」? サマンサは少し引っかかったが、追求せずにいた。
「私も一五。驚いた。もっと上かと思った」
 白人はアジア系より歳が上に見られることがあるが、そういう問題ではない。ネルはもっと中からの雰囲気が老けているのだ。
「そう? でもよく言われるかな」
「どこの学校に通ってるの?」
「……学校には行ってないよ。病気でさ」
「……そうなの」
(あー、だからこんなに顔色悪くて痩せてるんだ。でも外出はできるのね)
「……また明日もここに来るの?」
 病気だと言っているのに「明日も会いたい」などと言ったら配慮がないと思ったのでこう切り出してみた。
「……多分ね」
「じゃあまた会える?」
「……会えるよ」
 アルカイックスマイルが一瞬崩れたのを、サマンサは見逃さなかった。
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