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第3章
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数日後。
夜、午後9時半頃だった。テストも近いから、大河は机に向かってノートと格闘していた。
そんなとき、呼び鈴が鳴った。こんな時間に誰? せまい平屋建てには、防音なんてない。
(こんばんはぁー)
香葉来?
大河は反射的にしゃきっと背を伸ばした。
(おそくにごめんなさい。あの、少しだけ大河くんとお話したくって)
(ううん。ちょっと待ってね。たいがぁー、香葉来ちゃんよぉー)
いったいどうしたんだ。
大河は、実歩に呼ばれることが少しうっとうしく感じたが、こんな時間に香葉来が家に訪ねてくることがとてもふしぎで、呼ばれるまでもなく玄関に飛びでた。
香葉来。
チェック柄の緑とピンクのかわいらしいパジャマを着ていた。
普段、見ることのない香葉来のパジャマ姿。
首元から鎖骨が見えるし、制服よりも胸の大きさが強調されている。
ドクンドクン。
心拍はうるさかった。大河は無意味に首を手でおさえた。
変に高ぶる気持ちを落ち着かせた。
お風呂上がりなんだろうか。香葉来の髪はしっとりつややかで、頬はいつも以上に桃。
「どうしたんだよ」
「あっ、うん。少しだけね、大河くんと、お話したいなぁって思って。お勉強中?」
「いや。大丈夫。外、行くぞ」
「え? えっとぉ」
だまってはいるが、ニヤニヤとする実歩の視線が目障りだった。
「遠くに行っちゃダメよ」
「わかってる」
大河はそそくさとスリッパを履く。
香葉来の左手首をつかんだ。強引に外に連れ出した。
やわらかくてあったかい、香葉来の手。ちょっとだけ、じわっと汗ばんでる。
橋を越え、小川沿い。
もういいだろう。
大河は香葉来の手を離した。
びゅんとぬるい風がかかる。
日中は7月上旬並みの気温だった。夜だって涼しくならない。
大河は腰を下げ、小川の歩道にある手すりの上、手を交差させ両肘を乗せる。
猫背の香葉来は、なぜか珍しくピンと背筋を伸ばしてる。
だから、身長差はいつもよりない。
「ごめんな、手、引っぱって。痛くなかった?」
「え……? ううん。てか、あたしが急にきたから」
「いいよ。でも急にどうしたの? 明日会うし、連絡、ラインもできんのに」
「えっと……大河くんには直接言いたかったの。ずっと応援してくれてたから」
香葉来の口ぶり、なんていうか、てれくささ、うれしさが混ざっている。
マジで?
大河は予想がついた。
「もしかしてコンテスト、特賞取ったの?」
「あ、うん! びっくりしちゃって! まだ信じられなくって!」
どかーん! と香葉来は笑顔を大爆発させる。
大河も、彼女から火が移り、大爆発。
大河は手すりから離れ、香葉来の方を向く。
「マジかよ! すごいじゃん!」
「えへへっ! どうしよーやばあい!」
香葉来、顔をくしゃくしゃにして興奮してる。
それから、スマホをいじり出して。大河の目の前にスマホの画面を向ける。
『中学生イラストコンテスト 受賞のお知らせ』と書かれたメールだった。
嘘じゃない。本物だ。
「マジすげー!」
「あははっ!」
興奮していると、うまく言葉が出てこない。
でもなんだっていいさ! うれしいんだから!
笑う門には福来たる。
幼い頃からの大河と香葉来の合言葉。
つらいこと、悲しいことがあっても、笑って頑張ってきた。
今、福が来たんだよ。
ああ、星がきれい。
空の星々も香葉来を祝福してくれた。
「大河くん」
ちょっと落ちついた香葉来。やわらかで、しんみりとした声。
ん? どした?
と思った瞬間。
香葉来が。
腰に手を回し――抱きついてきた。
「え? か、かはら、ど、どうしたんだよっ」
大河の胸には、香葉来の顔。ぐりぐり、顔を少しこすりつけてきてる。
さらには、腰に手を回される。
ぎゅっぎゅっ。
香葉来の体は、ふわっふわっで、やわらかくて。くらくらしそうなほどに甘い匂いがして。
蒸し暑いのに、そういう不快感とは別の、気持ちいいあったかさで。
彼女の一番気にしているコンプレックスは、それはもう……。ふわっふわっなんてとおり越してる。綿みたい……。
腹部にぷるんと引っつくものだから。
こんなのダメ。やばい……。
大河は全身の血液がごぽごぽ泡立ったみたいな、未体験の感覚にさいなまれた。
「……ありがと」
「……別に……。てか、マジおめでと……」
大河の声は余裕がなかった。
付き合っているけど、香葉来はフリと思ってる。
大河だって、香葉来がそう思うなら、それでいいって……。
おれは、外敵から女王蜂を守るミツバチだって。
でもどうして。
大河は香葉来の気持ち。今の行動が、わからない。
それでも。
抱きしめたい。
大河の両腕は自然と伸び、香葉来の背中を優しく包んだ。
ぎゅっぎゅっ。
理由なんか、どうでもいいや。
香葉来が、おれを求めてくれてる。おれは応じるだけ。それでいい。
大河は顔を下に向ける。香葉来の頭はじんわりと汗。
そういうものが、全部、いとおしい。変態かもしれない。いや、いいじゃん。
シャンプーの香りか、香葉来の匂い。どっちだろう。
ああ……。
しあわせだ。
そんなとき。ごもごも、胸の中で香葉来はしゃべる。
「……頑張ったんだ。絵はね、ホームページで公開されるんだ」
「そう……早く見たい」
「……うん。大河くんとね……真鈴ちゃんのこと、思って描いたんだ」
「そう……」
「……うん。私はね、あかりちゃんや、恭ちゃんとか、いっぱい友達ができた。いじめられることもなくって、学校は楽しい。それも、大河くんが守ってくれて……今は、お話できないけど、昔、真鈴ちゃんがやさしくしてくれたから。私の今があるんだ……。だから、大河くんと真鈴ちゃんのこと思って描いたんだ……」
「そう……」
「……うん」
震えてる。
それに。
香葉来、しくしく泣いてる。
おれの胸で、しくしく泣いてる。
大河の胸部は、じんわりじとじと、湿っていく。
香葉来は、泣いている。
遠く遠く、離れてしまった真鈴のことを考えているんだ。
どうしても関係が修復できない現状が、つらいんだ。
だから、香葉来はおれに、唯一、真鈴との思い出を共有できるおれに……さらけ出したかったんだ。悲しみと涙を受け入れてほしくて、抱きついてきたんだ。
大河はもう、興奮やよこしまな感情は二の次だった。
香葉来の悲しみを少しでも、少しでも、受け入れてあげたい。
おれは、真鈴との絆を修復させることはできないから。
だから、大河は。そっと。そっと、香葉来を抱きしめ続けた。
しん。静かだった。虫の声すらない。
そのとき。
小川沿いの道は誰も人は通っていなかった。
もう、ふたりだけの世界。
けれど、突如。
ビューン。車の走行音がした。
大河は、香葉来の頭につけていた顔を離した。
通り過ぎた車。一台のタクシーだった。
大河はハッとして、我に返った。
やわらかな香葉来の体を離した。
理性を取り戻したかのように。
「あのさ、もう遅いから帰ろう」
「……うん」
「大山さんにもちゃんと報告するんだぞ?」
「もちろん、する」
大河は、「真鈴に報告しよう」と香葉来の背中を押す言葉が、出てこなかった。
あかりに逃げた。
香葉来にとって、あかりも大切な友達。
あかりの名前を出せば、ノーとは言わない。
大河は天の星々に、願った。
香葉来の思いを叶えてあげてください、と。
夜、午後9時半頃だった。テストも近いから、大河は机に向かってノートと格闘していた。
そんなとき、呼び鈴が鳴った。こんな時間に誰? せまい平屋建てには、防音なんてない。
(こんばんはぁー)
香葉来?
大河は反射的にしゃきっと背を伸ばした。
(おそくにごめんなさい。あの、少しだけ大河くんとお話したくって)
(ううん。ちょっと待ってね。たいがぁー、香葉来ちゃんよぉー)
いったいどうしたんだ。
大河は、実歩に呼ばれることが少しうっとうしく感じたが、こんな時間に香葉来が家に訪ねてくることがとてもふしぎで、呼ばれるまでもなく玄関に飛びでた。
香葉来。
チェック柄の緑とピンクのかわいらしいパジャマを着ていた。
普段、見ることのない香葉来のパジャマ姿。
首元から鎖骨が見えるし、制服よりも胸の大きさが強調されている。
ドクンドクン。
心拍はうるさかった。大河は無意味に首を手でおさえた。
変に高ぶる気持ちを落ち着かせた。
お風呂上がりなんだろうか。香葉来の髪はしっとりつややかで、頬はいつも以上に桃。
「どうしたんだよ」
「あっ、うん。少しだけね、大河くんと、お話したいなぁって思って。お勉強中?」
「いや。大丈夫。外、行くぞ」
「え? えっとぉ」
だまってはいるが、ニヤニヤとする実歩の視線が目障りだった。
「遠くに行っちゃダメよ」
「わかってる」
大河はそそくさとスリッパを履く。
香葉来の左手首をつかんだ。強引に外に連れ出した。
やわらかくてあったかい、香葉来の手。ちょっとだけ、じわっと汗ばんでる。
橋を越え、小川沿い。
もういいだろう。
大河は香葉来の手を離した。
びゅんとぬるい風がかかる。
日中は7月上旬並みの気温だった。夜だって涼しくならない。
大河は腰を下げ、小川の歩道にある手すりの上、手を交差させ両肘を乗せる。
猫背の香葉来は、なぜか珍しくピンと背筋を伸ばしてる。
だから、身長差はいつもよりない。
「ごめんな、手、引っぱって。痛くなかった?」
「え……? ううん。てか、あたしが急にきたから」
「いいよ。でも急にどうしたの? 明日会うし、連絡、ラインもできんのに」
「えっと……大河くんには直接言いたかったの。ずっと応援してくれてたから」
香葉来の口ぶり、なんていうか、てれくささ、うれしさが混ざっている。
マジで?
大河は予想がついた。
「もしかしてコンテスト、特賞取ったの?」
「あ、うん! びっくりしちゃって! まだ信じられなくって!」
どかーん! と香葉来は笑顔を大爆発させる。
大河も、彼女から火が移り、大爆発。
大河は手すりから離れ、香葉来の方を向く。
「マジかよ! すごいじゃん!」
「えへへっ! どうしよーやばあい!」
香葉来、顔をくしゃくしゃにして興奮してる。
それから、スマホをいじり出して。大河の目の前にスマホの画面を向ける。
『中学生イラストコンテスト 受賞のお知らせ』と書かれたメールだった。
嘘じゃない。本物だ。
「マジすげー!」
「あははっ!」
興奮していると、うまく言葉が出てこない。
でもなんだっていいさ! うれしいんだから!
笑う門には福来たる。
幼い頃からの大河と香葉来の合言葉。
つらいこと、悲しいことがあっても、笑って頑張ってきた。
今、福が来たんだよ。
ああ、星がきれい。
空の星々も香葉来を祝福してくれた。
「大河くん」
ちょっと落ちついた香葉来。やわらかで、しんみりとした声。
ん? どした?
と思った瞬間。
香葉来が。
腰に手を回し――抱きついてきた。
「え? か、かはら、ど、どうしたんだよっ」
大河の胸には、香葉来の顔。ぐりぐり、顔を少しこすりつけてきてる。
さらには、腰に手を回される。
ぎゅっぎゅっ。
香葉来の体は、ふわっふわっで、やわらかくて。くらくらしそうなほどに甘い匂いがして。
蒸し暑いのに、そういう不快感とは別の、気持ちいいあったかさで。
彼女の一番気にしているコンプレックスは、それはもう……。ふわっふわっなんてとおり越してる。綿みたい……。
腹部にぷるんと引っつくものだから。
こんなのダメ。やばい……。
大河は全身の血液がごぽごぽ泡立ったみたいな、未体験の感覚にさいなまれた。
「……ありがと」
「……別に……。てか、マジおめでと……」
大河の声は余裕がなかった。
付き合っているけど、香葉来はフリと思ってる。
大河だって、香葉来がそう思うなら、それでいいって……。
おれは、外敵から女王蜂を守るミツバチだって。
でもどうして。
大河は香葉来の気持ち。今の行動が、わからない。
それでも。
抱きしめたい。
大河の両腕は自然と伸び、香葉来の背中を優しく包んだ。
ぎゅっぎゅっ。
理由なんか、どうでもいいや。
香葉来が、おれを求めてくれてる。おれは応じるだけ。それでいい。
大河は顔を下に向ける。香葉来の頭はじんわりと汗。
そういうものが、全部、いとおしい。変態かもしれない。いや、いいじゃん。
シャンプーの香りか、香葉来の匂い。どっちだろう。
ああ……。
しあわせだ。
そんなとき。ごもごも、胸の中で香葉来はしゃべる。
「……頑張ったんだ。絵はね、ホームページで公開されるんだ」
「そう……早く見たい」
「……うん。大河くんとね……真鈴ちゃんのこと、思って描いたんだ」
「そう……」
「……うん。私はね、あかりちゃんや、恭ちゃんとか、いっぱい友達ができた。いじめられることもなくって、学校は楽しい。それも、大河くんが守ってくれて……今は、お話できないけど、昔、真鈴ちゃんがやさしくしてくれたから。私の今があるんだ……。だから、大河くんと真鈴ちゃんのこと思って描いたんだ……」
「そう……」
「……うん」
震えてる。
それに。
香葉来、しくしく泣いてる。
おれの胸で、しくしく泣いてる。
大河の胸部は、じんわりじとじと、湿っていく。
香葉来は、泣いている。
遠く遠く、離れてしまった真鈴のことを考えているんだ。
どうしても関係が修復できない現状が、つらいんだ。
だから、香葉来はおれに、唯一、真鈴との思い出を共有できるおれに……さらけ出したかったんだ。悲しみと涙を受け入れてほしくて、抱きついてきたんだ。
大河はもう、興奮やよこしまな感情は二の次だった。
香葉来の悲しみを少しでも、少しでも、受け入れてあげたい。
おれは、真鈴との絆を修復させることはできないから。
だから、大河は。そっと。そっと、香葉来を抱きしめ続けた。
しん。静かだった。虫の声すらない。
そのとき。
小川沿いの道は誰も人は通っていなかった。
もう、ふたりだけの世界。
けれど、突如。
ビューン。車の走行音がした。
大河は、香葉来の頭につけていた顔を離した。
通り過ぎた車。一台のタクシーだった。
大河はハッとして、我に返った。
やわらかな香葉来の体を離した。
理性を取り戻したかのように。
「あのさ、もう遅いから帰ろう」
「……うん」
「大山さんにもちゃんと報告するんだぞ?」
「もちろん、する」
大河は、「真鈴に報告しよう」と香葉来の背中を押す言葉が、出てこなかった。
あかりに逃げた。
香葉来にとって、あかりも大切な友達。
あかりの名前を出せば、ノーとは言わない。
大河は天の星々に、願った。
香葉来の思いを叶えてあげてください、と。
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