上 下
46 / 76
第3章

しおりを挟む
 数日後。
 夜、午後9時半頃だった。テストも近いから、大河は机に向かってノートと格闘していた。
 そんなとき、呼び鈴が鳴った。こんな時間に誰? せまい平屋建てには、防音なんてない。
 
(こんばんはぁー)

 香葉来?
 大河は反射的にしゃきっと背を伸ばした。

(おそくにごめんなさい。あの、少しだけ大河くんとお話したくって)
(ううん。ちょっと待ってね。たいがぁー、香葉来ちゃんよぉー)

 いったいどうしたんだ。
 大河は、実歩に呼ばれることが少しうっとうしく感じたが、こんな時間に香葉来が家に訪ねてくることがとてもふしぎで、呼ばれるまでもなく玄関に飛びでた。

 香葉来。
 チェック柄の緑とピンクのかわいらしいパジャマを着ていた。
 普段、見ることのない香葉来のパジャマ姿。
 首元から鎖骨が見えるし、制服よりも胸の大きさが強調されている。
 
 ドクンドクン。
 心拍はうるさかった。大河は無意味に首を手でおさえた。
 変に高ぶる気持ちを落ち着かせた。

 お風呂上がりなんだろうか。香葉来の髪はしっとりつややかで、頬はいつも以上に桃。

「どうしたんだよ」
「あっ、うん。少しだけね、大河くんと、お話したいなぁって思って。お勉強中?」
「いや。大丈夫。外、行くぞ」
「え? えっとぉ」

 だまってはいるが、ニヤニヤとする実歩の視線が目障りだった。
 
「遠くに行っちゃダメよ」
「わかってる」

 大河はそそくさとスリッパを履く。
 香葉来の左手首をつかんだ。強引に外に連れ出した。
 やわらかくてあったかい、香葉来の手。ちょっとだけ、じわっと汗ばんでる。

 橋を越え、小川沿い。 
 もういいだろう。
 大河は香葉来の手を離した。

 びゅんとぬるい風がかかる。
 日中は7月上旬並みの気温だった。夜だって涼しくならない。
 大河は腰を下げ、小川の歩道にある手すりの上、手を交差させ両肘を乗せる。
 猫背の香葉来は、なぜか珍しくピンと背筋を伸ばしてる。
 だから、身長差はいつもよりない。

「ごめんな、手、引っぱって。痛くなかった?」
「え……? ううん。てか、あたしが急にきたから」
「いいよ。でも急にどうしたの? 明日会うし、連絡、ラインもできんのに」
「えっと……大河くんには直接言いたかったの。ずっと応援してくれてたから」

 香葉来の口ぶり、なんていうか、てれくささ、うれしさが混ざっている。
 マジで? 
 大河は予想がついた。

「もしかしてコンテスト、特賞取ったの?」
「あ、うん! びっくりしちゃって! まだ信じられなくって!」

 どかーん! と香葉来は笑顔を大爆発させる。
 大河も、彼女から火が移り、大爆発。
 大河は手すりから離れ、香葉来の方を向く。

「マジかよ! すごいじゃん!」
「えへへっ! どうしよーやばあい!」

 香葉来、顔をくしゃくしゃにして興奮してる。
 それから、スマホをいじり出して。大河の目の前にスマホの画面を向ける。
『中学生イラストコンテスト 受賞のお知らせ』と書かれたメールだった。
 嘘じゃない。本物だ。

「マジすげー!」
「あははっ!」

 興奮していると、うまく言葉が出てこない。
 でもなんだっていいさ! うれしいんだから!

 笑う門には福来たる。
 幼い頃からの大河と香葉来の合言葉。
 つらいこと、悲しいことがあっても、笑って頑張ってきた。
 今、福が来たんだよ。

 ああ、星がきれい。
 空の星々も香葉来を祝福してくれた。

「大河くん」

 ちょっと落ちついた香葉来。やわらかで、しんみりとした声。
 ん? どした?
 と思った瞬間。

 香葉来が。
 腰に手を回し――抱きついてきた。

「え? か、かはら、ど、どうしたんだよっ」

 大河の胸には、香葉来の顔。ぐりぐり、顔を少しこすりつけてきてる。
 さらには、腰に手を回される。
 ぎゅっぎゅっ。

 香葉来の体は、ふわっふわっで、やわらかくて。くらくらしそうなほどに甘い匂いがして。
 蒸し暑いのに、そういう不快感とは別の、気持ちいいあったかさで。
 彼女の一番気にしているコンプレックスは、それはもう……。ふわっふわっなんてとおり越してる。綿みたい……。
 腹部にぷるんと引っつくものだから。
 こんなのダメ。やばい……。
 大河は全身の血液がごぽごぽ泡立ったみたいな、未体験の感覚にさいなまれた。

「……ありがと」
「……別に……。てか、マジおめでと……」

 大河の声は余裕がなかった。
 付き合っているけど、香葉来はフリと思ってる。
 大河だって、香葉来がそう思うなら、それでいいって……。
 おれは、外敵から女王蜂を守るミツバチだって。
 
 でもどうして。
 大河は香葉来の気持ち。今の行動が、わからない。
 それでも。
 抱きしめたい。
 
 大河の両腕は自然と伸び、香葉来の背中を優しく包んだ。
 ぎゅっぎゅっ。
 理由なんか、どうでもいいや。
 香葉来が、おれを求めてくれてる。おれは応じるだけ。それでいい。

 大河は顔を下に向ける。香葉来の頭はじんわりと汗。
 そういうものが、全部、いとおしい。変態かもしれない。いや、いいじゃん。
 シャンプーの香りか、香葉来の匂い。どっちだろう。
 ああ……。
 
 しあわせだ。
 そんなとき。ごもごも、胸の中で香葉来はしゃべる。

「……頑張ったんだ。絵はね、ホームページで公開されるんだ」
「そう……早く見たい」
「……うん。大河くんとね……真鈴ちゃんのこと、思って描いたんだ」
「そう……」
「……うん。私はね、あかりちゃんや、恭ちゃんとか、いっぱい友達ができた。いじめられることもなくって、学校は楽しい。それも、大河くんが守ってくれて……今は、お話できないけど、昔、真鈴ちゃんがやさしくしてくれたから。私の今があるんだ……。だから、大河くんと真鈴ちゃんのこと思って描いたんだ……」
「そう……」
「……うん」

 震えてる。
 それに。

 香葉来、しくしく泣いてる。
 おれの胸で、しくしく泣いてる。
 大河の胸部は、じんわりじとじと、湿っていく。

 香葉来は、泣いている。
 遠く遠く、離れてしまった真鈴のことを考えているんだ。

 どうしても関係が修復できない現状が、つらいんだ。
 だから、香葉来はおれに、唯一、真鈴との思い出を共有できるおれに……さらけ出したかったんだ。悲しみと涙を受け入れてほしくて、抱きついてきたんだ。

 大河はもう、興奮やよこしまな感情は二の次だった。
 香葉来の悲しみを少しでも、少しでも、受け入れてあげたい。
 おれは、真鈴との絆を修復させることはできないから。
 だから、大河は。そっと。そっと、香葉来を抱きしめ続けた。

 しん。静かだった。虫の声すらない。
 そのとき。
 小川沿いの道は誰も人は通っていなかった。
 もう、ふたりだけの世界。

 けれど、突如。
 ビューン。車の走行音がした。
 大河は、香葉来の頭につけていた顔を離した。
 通り過ぎた車。一台のタクシーだった。

 大河はハッとして、我に返った。
 やわらかな香葉来の体を離した。
 理性を取り戻したかのように。

「あのさ、もう遅いから帰ろう」
「……うん」
「大山さんにもちゃんと報告するんだぞ?」
「もちろん、する」

 大河は、「真鈴に報告しよう」と香葉来の背中を押す言葉が、出てこなかった。
 あかりに逃げた。
 香葉来にとって、あかりも大切な友達。
 あかりの名前を出せば、ノーとは言わない。

 大河は天の星々に、願った。 
 香葉来の思いを叶えてあげてください、と。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

桜の華 ― *艶やかに舞う* ―

設樂理沙
ライト文芸
水野俊と滝谷桃は社内恋愛で結婚。順風満帆なふたりの結婚生活が 桃の学生時代の友人、淡井恵子の出現で脅かされることになる。 学生時代に恋人に手酷く振られるという経験をした恵子は、友だちの 幸せが妬ましく許せないのだった。恵子は分かっていなかった。 お天道様はちゃんと見てらっしゃる、ということを。人を不幸にして 自分だけが幸せになれるとでも? そう、そのような痛いことを 仕出かしていても、恵子は幸せになれると思っていたのだった。 異動でやってきた新井賢一に好意を持つ恵子……の気持ちは はたして―――彼に届くのだろうか? そしてそんな恵子の様子を密かに、見ている2つの目があった。 夫の俊の裏切りで激しく心を傷付けられた妻の桃が、 夫を許せる日は来るのだろうか? ――――――――――――――――――――――― 2024.6.1~2024.6.5 ぽわんとどんなstoryにしようか、イメージ(30000字くらい)。 執筆開始 2024.6.7~2024.10.5 78400字 番外編2つ ❦イラストは、AI生成画像自作

いつまでもたぬき寝入りを

菅井群青
恋愛
……まただ。 長年の友人関係である俊とは気の置けない友のはずだった。共通の趣味である日本酒を飲むために俊の部屋で飲み、眠りこけてお泊まりすることが多い琴音だったが、ある晩俊が眠る自分にちょっかいをかけていることに気がついた。 私ができることはただ一つ。寝ているフリをすることだ。 「……寝たか」 「……」 (まだです、すみません!) タダ酒が飲みたい女と、イタズラがエスカレートしている男の話 ※マーク ややエロです 本編完結しました プチ番外編完結しました!

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

野良ドールのモーニング

森園ことり
ライト文芸
大学生の僕はある日、道で倒れている女の子を助けた。同じファミレスで働き、同じアパートで暮らしはじめた僕ら。彼女は閉店危機にあるファミレスを、特別なモーニングで活気づけようとする。謎めいた彼女の正体とは? (※この作品はエブリスタにも投稿しています)

人間とはなんだ?治療において『神の領域』は存在しない~遺伝子改造治療~究極の選択を迫られたとき人間であり続けますか?進化を選びますか?

常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
大衆娯楽
『神の領域』と言われた遺伝子操作技術を手に入れてしまった主人公は、難病に苦しむ愛する子供たちを救うべく、遺伝子治療を行った。 そして、成功したことで世界に公表をする。 すべての病に苦しむ人を助けたくて。 『神の領域』として禁じられた技術、『遺伝子書換』『遺伝子改造』その技術を使えば全ての病を克服することが出来る。 しかし、それを阻む勢力がいた・・・・・・。 近未来、必ずやってくるであろう遺伝子治療の世界。 助からなかった病が助かるようになる。 その時あなたは、その治療法を『神の領域』と言いますか? あなたの大切な家族が、恋人が、友人が助かる時に『倫理』と言う言葉を使って否定しますか? これは『神の領域』に踏み込んだ世界の近未来物語です。 きっとあなたも、選択の時が来る。少しだけ本気で考えてみませんか? 人間が今の人間であり続ける理由は、どこにあります? 科学が進めばもうすぐ、いや、現在進行形で目前まで来ている遺伝子改造技術、使わない理由はなんですか? ♦♦♦ 特定の病名は避けさせていただきます。 決して難しい話ではないと思います。 また、現在の時節を入れた物語ですが、フィクションです。 病名・国名・人名、すべて架空の物語です。 コンテスト中、完結します。 5月31日最終回公開予約設定済み。

働きたくないから心療内科へ行ったら、色々分からなくなった

阿波野治
ライト文芸
親に「働け」と口うるさく言われることに嫌気が差し、診療内科へ診察に赴いたニートの僕。医師から「不安を和らげるお薬」を処方されたり、祖父が入院する病院で幼女と会話をしたりするうちに、色々分からなくなっていく。

処理中です...