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旅行編
73. ティア
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自分が生まれたとき、不思議な感覚だった。何故か、『また生を受けた』と感じたのだ。
幼い体は不自由だ。以前は木々の間を疾風のごとく駆け抜けていたはずなのに、今では木の根を越えることさえ困難だ。
···以前は?
たまに、生まれたときに感じたような不思議な感覚になる。まるで、生まれる前に自分が生きていたような、そんな感じがするのだ。
他の兄弟にそんな様子は無かった。ただ無邪気に両親に甘え、兄弟同士でじゃれ合っていた。
ワレはそんな兄弟をただ見ているだけだった。
ワレはどうやら他の兄弟とは違うようだ。親や兄弟は皆、灰色の毛を纏っている。だが、視界に入るワレの足は、真っ白だ。
一匹だけ毛色の違うワレを、皆どこか不気味に思っているようだった。
ある日、狩りから戻って来た父がワレを咥えて走り出した。どんどん遠くなる母や兄弟達からは、何の声も聞こえなかった。
しばらく走っていた父が立ち止まり、ワレを口から離す。父はそのまま一歩、ニ歩とワレから遠ざかった。
ここまで来たら、どういうことなのか嫌でも分かる。
ワレは、捨てられるのだ。
諦めきれず父に一歩近づこうとすると、「グルルルル」と歯をむき出しにして威嚇された。
ワレが立ちすくむと、父はくるりと後ろを向いて来た道を走って戻って行った。
ワレは、捨てられたのだ。
何故だ。毛色が違うからか?両親に甘えなかったからか?他の兄弟とじゃれ合わなかったからか?
疑問がいくつも浮かぶが、今さらどうにもならない。
ワレは、父とは反対の方向に進むことにした。
小川の水を飲み、落ちている木の実を食べながら命をつないだ。
あらゆる音に怯え、匂いで他の生き物を避け、視界に入る全てのものに神経を尖らせた。
そうやってなんとか生きてきたのだが、疲労は確実に蓄積していた。
以前はなんてことのなかった距離が、非常に長く感じられる。
···まただ。この不思議な感覚は何なのだろうか。
ワレはそのとき集中を欠いていたのだと思う。あろうことか、ゴブリン共に見つかってしまったのだ。
「グギャギャ、グギャ」と汚い声を上げてゴブリン共が追いかけて来る。
ワレは必死で逃げた。情けないことに、魔物の最下層にいるゴブリンにすら、今のワレは勝てないのだ。
無我夢中で逃げていると、いつの間にか森の外に出てしまっていた。隠れる場所が少なくなり、ついに見つかってしまう。
一匹のゴブリンがニタニタと汚い笑みを浮かべてワレを足蹴にする。蹴り飛ばされた先には、もう二匹のゴブリンがいた。木の棒をワレに向かって振り下ろす。
ドスッドスッと攻撃を受け、腹に血が滲む。
満足に食事も睡眠もとれていなかった日が続き、さらにはゴブリン共に追われ、いよいよ体力が限界を迎える。
ここまでか。今回の生は短かった。もし次があるのなら、···ワレは今、誰に会いたいと考えた?
誰かが頭をよぎった気がするのだが、誰だか分からない。
またあの不思議な感覚だ。
だが、これももう最後だろう。何か意味があったのかもしれないし、全くないのかもしれない。最後までよく分からなかった。
目をギュッと閉じて最後の瞬間を待つ。
だが、次の攻撃が来ない。何かよく分からない音は聞こえたが、ワレへの攻撃はまだない。
どうせ動けないのだ。逃げることを諦めてそのままじっとしていると、近くにゴブリンではない者の気配を感じた。
ああ、いよいよか。情けないことに、体が震える。
するとその何者かがワレの体に液体をかけた。驚くべきことに、先ほど受けた傷が塞がっていく。
他にもいつくか気配があり、何やら会話をしているようだ。不思議なことに、彼等の言葉が分かる。
ワレの傷を治した者を見たくて、勇気を出して視線を上げる。
ニンゲンの赤子だ。
···やっと会えた。
不思議なことに、そんな思いが込み上げる。
ワレは、この赤子を知っているのか?いや、生まれて初めてニンゲンに会ったはずだ。なのに何故だか懐かしい。
人の良さそうな雰囲気を纏っていて、黒い瞳からは優しい温かさを感じる。
「うぃる」
赤子がそう言って手を伸ばしてきた。その柔らかそうな指に、衝動的にカプリと食いついてしまう。
すると次の瞬間、激しい息苦しさに襲われた。心が凍りついたような錯覚に陥るほどの恐怖がワレを襲う。
情けない叫び声を出して赤子から離れ、またブルブルと震えてしまった。
あ、あの威圧感も、知っている···!
アレは絶対強者だ。バケモノだ。
ワレが震えていると、赤子がワレの体を擦ってきた。いつの間にか息苦しさは無くなり、安心感を覚える。
赤子の手が気持ち良くて、ゴロリと転がって腹も撫でるよう催促してしまった。
その後も彼等の会話が聞こえてくる。どうやらワレを飼うつもりのようだ。
この孤高の強者であるワレを飼うだと?ふん、何を言っておるのだ。···いや、今のワレはゴブリンにすら劣るのか。ここは力をつけるまで世話になるほうが賢明か?
彼等の話題が、ワレの毛色に移った。ワレが一匹でゴブリンに追われていた理由を、髪の長い白いバケモノは察しているようだ。
···お前達も、ワレを見捨てるのか?
再び捨てられるかもしれない。そう思うと、父から威嚇されたときよりも深い悲しみを感じる。
すると、赤子が口を開いた。
「···ぼくと、かじょく」
赤子がそう言って手を伸ばしてきた。
かじょく···かぞく?
このワレに、家族になれと言っているのか?
ワレは、この赤子の家族になれるのか?
言いようのない喜びが体中を駆け抜け、思わず赤子の手にじゃれつく。こんなこと、実の両親や兄弟にすらしたことが無かったのに。
「てぃあ」
赤子が再び言葉を発する。それがワレの名だと、自然と分かった。名をもらうというのは、こんなにも嬉しいことなのか!
ワレの名は、ティアだ!
そうだ、名をくれたこの赤子を、ワレのご主人としよう。ご主人は柔らかくて弱そうだからな、ワレが守ってあげるのだ。
ご主人の柔らかな手にグイグイと頭を押し付けて、力をアピールする。
ま、まだ幼体だからな。これから強くなるのだ。そう思っていると、いい匂いが鼻孔をくすぐる。
あの黒いバケモノの仕業だ。
な、何だ?ワレを惑わせるための罠か?
「ただのミルクだ」
そ、そうなのか?そう言われてみると、確かに変な匂いはない。
一口、一口だけ、試しに舐めてみよう。
···うっまー!なにこれ、うっまー!
気づいたときには皿は綺麗になっていた。
ふむ、黒いバケモノは意外といい奴だったのか。ご主人の仲間として認めてやろう。
でも、ご主人を守るのはこのワレだからな。
ご主人の近くに戻って護衛をする···つもりだったのだ。
腹を満たしたワレに、強烈な眠気が襲いかかる。日頃の睡眠不足と限界まで蓄積した疲労のせいか、ワレは抗うことができなかった。
深い眠りに落ちていく中で、ご主人の柔らかな優しさに触れたような気がした。
夢を、見ていた。
木々の間を駆け抜け、強い魔物をものともせず跳ね除ける。
昔の自分だ。不思議なことだが、自然とそう感じた。
ワレはある者にずっと注意を払っていた。いや、執着していたというのが正しいだろう。
あの黒いバケモノだ。魔物の中でも上位に位置するワレでも勝てない絶対強者。
黒いバケモノをずっと観察していた。
そしてある日、赤子が現れた。
ワレの執着する相手が変わった。
あの柔らかな肉を、···ワレは自分の糧にしようとしていた。あの頃は、赤子の肉が本当に美味そうに見えていたのだ。
だが、それは叶わなかった。
あの日、赤子が魔法の練習をするのを観察していた。赤子の手がこちらを向いているのに気づき、魔法を華麗に避けようとして···。
そうか、ワレはご主人に倒されたのか。
ご主人は強かったのだ。
何の因果か、ご主人に倒されたワレは、ご主人に救われた。
昔のワレを倒すほど強いご主人に、そして捨てられたワレを受け入れてくれた優しいご主人に、ワレは敬意を抱く。
これからも、叶うのならばご主人の近くにいたい。
だが、ご主人より弱いワレが護衛など、笑止。ならば、ワレはどうすればいい?
···答えは一つ。強くなる、ただそれだけだ。
そのためならば、あの黒いバケモノに教えを乞うのもやぶさかではない。
いつの日にか、ワレを救ってくれたご主人を救えるほど強くなるのだ。そう心に誓った。
幼い体は不自由だ。以前は木々の間を疾風のごとく駆け抜けていたはずなのに、今では木の根を越えることさえ困難だ。
···以前は?
たまに、生まれたときに感じたような不思議な感覚になる。まるで、生まれる前に自分が生きていたような、そんな感じがするのだ。
他の兄弟にそんな様子は無かった。ただ無邪気に両親に甘え、兄弟同士でじゃれ合っていた。
ワレはそんな兄弟をただ見ているだけだった。
ワレはどうやら他の兄弟とは違うようだ。親や兄弟は皆、灰色の毛を纏っている。だが、視界に入るワレの足は、真っ白だ。
一匹だけ毛色の違うワレを、皆どこか不気味に思っているようだった。
ある日、狩りから戻って来た父がワレを咥えて走り出した。どんどん遠くなる母や兄弟達からは、何の声も聞こえなかった。
しばらく走っていた父が立ち止まり、ワレを口から離す。父はそのまま一歩、ニ歩とワレから遠ざかった。
ここまで来たら、どういうことなのか嫌でも分かる。
ワレは、捨てられるのだ。
諦めきれず父に一歩近づこうとすると、「グルルルル」と歯をむき出しにして威嚇された。
ワレが立ちすくむと、父はくるりと後ろを向いて来た道を走って戻って行った。
ワレは、捨てられたのだ。
何故だ。毛色が違うからか?両親に甘えなかったからか?他の兄弟とじゃれ合わなかったからか?
疑問がいくつも浮かぶが、今さらどうにもならない。
ワレは、父とは反対の方向に進むことにした。
小川の水を飲み、落ちている木の実を食べながら命をつないだ。
あらゆる音に怯え、匂いで他の生き物を避け、視界に入る全てのものに神経を尖らせた。
そうやってなんとか生きてきたのだが、疲労は確実に蓄積していた。
以前はなんてことのなかった距離が、非常に長く感じられる。
···まただ。この不思議な感覚は何なのだろうか。
ワレはそのとき集中を欠いていたのだと思う。あろうことか、ゴブリン共に見つかってしまったのだ。
「グギャギャ、グギャ」と汚い声を上げてゴブリン共が追いかけて来る。
ワレは必死で逃げた。情けないことに、魔物の最下層にいるゴブリンにすら、今のワレは勝てないのだ。
無我夢中で逃げていると、いつの間にか森の外に出てしまっていた。隠れる場所が少なくなり、ついに見つかってしまう。
一匹のゴブリンがニタニタと汚い笑みを浮かべてワレを足蹴にする。蹴り飛ばされた先には、もう二匹のゴブリンがいた。木の棒をワレに向かって振り下ろす。
ドスッドスッと攻撃を受け、腹に血が滲む。
満足に食事も睡眠もとれていなかった日が続き、さらにはゴブリン共に追われ、いよいよ体力が限界を迎える。
ここまでか。今回の生は短かった。もし次があるのなら、···ワレは今、誰に会いたいと考えた?
誰かが頭をよぎった気がするのだが、誰だか分からない。
またあの不思議な感覚だ。
だが、これももう最後だろう。何か意味があったのかもしれないし、全くないのかもしれない。最後までよく分からなかった。
目をギュッと閉じて最後の瞬間を待つ。
だが、次の攻撃が来ない。何かよく分からない音は聞こえたが、ワレへの攻撃はまだない。
どうせ動けないのだ。逃げることを諦めてそのままじっとしていると、近くにゴブリンではない者の気配を感じた。
ああ、いよいよか。情けないことに、体が震える。
するとその何者かがワレの体に液体をかけた。驚くべきことに、先ほど受けた傷が塞がっていく。
他にもいつくか気配があり、何やら会話をしているようだ。不思議なことに、彼等の言葉が分かる。
ワレの傷を治した者を見たくて、勇気を出して視線を上げる。
ニンゲンの赤子だ。
···やっと会えた。
不思議なことに、そんな思いが込み上げる。
ワレは、この赤子を知っているのか?いや、生まれて初めてニンゲンに会ったはずだ。なのに何故だか懐かしい。
人の良さそうな雰囲気を纏っていて、黒い瞳からは優しい温かさを感じる。
「うぃる」
赤子がそう言って手を伸ばしてきた。その柔らかそうな指に、衝動的にカプリと食いついてしまう。
すると次の瞬間、激しい息苦しさに襲われた。心が凍りついたような錯覚に陥るほどの恐怖がワレを襲う。
情けない叫び声を出して赤子から離れ、またブルブルと震えてしまった。
あ、あの威圧感も、知っている···!
アレは絶対強者だ。バケモノだ。
ワレが震えていると、赤子がワレの体を擦ってきた。いつの間にか息苦しさは無くなり、安心感を覚える。
赤子の手が気持ち良くて、ゴロリと転がって腹も撫でるよう催促してしまった。
その後も彼等の会話が聞こえてくる。どうやらワレを飼うつもりのようだ。
この孤高の強者であるワレを飼うだと?ふん、何を言っておるのだ。···いや、今のワレはゴブリンにすら劣るのか。ここは力をつけるまで世話になるほうが賢明か?
彼等の話題が、ワレの毛色に移った。ワレが一匹でゴブリンに追われていた理由を、髪の長い白いバケモノは察しているようだ。
···お前達も、ワレを見捨てるのか?
再び捨てられるかもしれない。そう思うと、父から威嚇されたときよりも深い悲しみを感じる。
すると、赤子が口を開いた。
「···ぼくと、かじょく」
赤子がそう言って手を伸ばしてきた。
かじょく···かぞく?
このワレに、家族になれと言っているのか?
ワレは、この赤子の家族になれるのか?
言いようのない喜びが体中を駆け抜け、思わず赤子の手にじゃれつく。こんなこと、実の両親や兄弟にすらしたことが無かったのに。
「てぃあ」
赤子が再び言葉を発する。それがワレの名だと、自然と分かった。名をもらうというのは、こんなにも嬉しいことなのか!
ワレの名は、ティアだ!
そうだ、名をくれたこの赤子を、ワレのご主人としよう。ご主人は柔らかくて弱そうだからな、ワレが守ってあげるのだ。
ご主人の柔らかな手にグイグイと頭を押し付けて、力をアピールする。
ま、まだ幼体だからな。これから強くなるのだ。そう思っていると、いい匂いが鼻孔をくすぐる。
あの黒いバケモノの仕業だ。
な、何だ?ワレを惑わせるための罠か?
「ただのミルクだ」
そ、そうなのか?そう言われてみると、確かに変な匂いはない。
一口、一口だけ、試しに舐めてみよう。
···うっまー!なにこれ、うっまー!
気づいたときには皿は綺麗になっていた。
ふむ、黒いバケモノは意外といい奴だったのか。ご主人の仲間として認めてやろう。
でも、ご主人を守るのはこのワレだからな。
ご主人の近くに戻って護衛をする···つもりだったのだ。
腹を満たしたワレに、強烈な眠気が襲いかかる。日頃の睡眠不足と限界まで蓄積した疲労のせいか、ワレは抗うことができなかった。
深い眠りに落ちていく中で、ご主人の柔らかな優しさに触れたような気がした。
夢を、見ていた。
木々の間を駆け抜け、強い魔物をものともせず跳ね除ける。
昔の自分だ。不思議なことだが、自然とそう感じた。
ワレはある者にずっと注意を払っていた。いや、執着していたというのが正しいだろう。
あの黒いバケモノだ。魔物の中でも上位に位置するワレでも勝てない絶対強者。
黒いバケモノをずっと観察していた。
そしてある日、赤子が現れた。
ワレの執着する相手が変わった。
あの柔らかな肉を、···ワレは自分の糧にしようとしていた。あの頃は、赤子の肉が本当に美味そうに見えていたのだ。
だが、それは叶わなかった。
あの日、赤子が魔法の練習をするのを観察していた。赤子の手がこちらを向いているのに気づき、魔法を華麗に避けようとして···。
そうか、ワレはご主人に倒されたのか。
ご主人は強かったのだ。
何の因果か、ご主人に倒されたワレは、ご主人に救われた。
昔のワレを倒すほど強いご主人に、そして捨てられたワレを受け入れてくれた優しいご主人に、ワレは敬意を抱く。
これからも、叶うのならばご主人の近くにいたい。
だが、ご主人より弱いワレが護衛など、笑止。ならば、ワレはどうすればいい?
···答えは一つ。強くなる、ただそれだけだ。
そのためならば、あの黒いバケモノに教えを乞うのもやぶさかではない。
いつの日にか、ワレを救ってくれたご主人を救えるほど強くなるのだ。そう心に誓った。
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