上 下
32 / 45
本編:ミアとアレス

27

しおりを挟む
「貴様ら、どけぇぇ!」

マードックの怒声と周囲の悲鳴。

「何?」

「剣を振ってる。やべぇ」

小麦を顔に被った見えない目で剣を振り回し始めたそうです。

「きゃぁぁぁ!いやぁ!来ないでよ!馬鹿マードック!くそったれ!この愚図!のろま!」

見境なく振り回すからセレスティアにも襲いかかってるようです。

思い付く限りの罵声を浴びせてマードックがセレスティアはそんなこと言わないと叫んでました。

「セレスティアは俺を愛してるんだ!」

自警団の皆が急いで市民の誘導にかかり、マードックから遠ざけてますが、回りがお互いを突き飛ばす勢いで逃げていきます。

「逃げるぞ」

「うん」

でも動けない私を支えて人混みに飛ばされてしまいなかなか進みません。

「とりあえず端に寄るわ」

二人で出店の隙間に隠れていると、ドドドドと地響きも聞こえてきました。

「何の音?」

「馬の音だな」

「テオ兄さん!あれ!」

物陰から見ていたら剣を振り回すマードックが近づく先に女性がいます。

動けずに尻餅をついて。

赤いスカート、型遅れのボンネット。

ヒスティアスお嬢様!

咄嗟に走って飛び出しました。

ふらふらしていたのが嘘みたいに素早く。

テオ兄さんがやめろと叫ぶのも聞かずに。

剣を振り上げたマードックの腕にしがみついて。

顔に爪を立てて。

頭の中はヒスティアスお嬢様。

逃げてください、と強く願い座り込んだヒスティアスお嬢様を見たら、少しお歳を召したふっくらした見知らぬ女性が目を丸くしていました。

似ているのは服装だけ。

よく見ればヒスティアスお嬢様の物より落ち着いた色合い。




あ、



違った。



ホッとしたのと驚いたので頭が真っ白になってしまいました。

「ああああっ!」

すぐさま、がっとマードックの大きな手に頭を捕まれてミシミシと骨がきしみます。

「見つけた!お前だ!お前のせいだ!セレスティアは理想だった!お前が俺の愛するセレスティアを壊した!」

声に気づかれて呪いのような叫び声。

マードックの手の隙間から見えるのは高く頭上に振り上げる剣。

首が切れるか肩から真っ二つ。

このままだと死ぬ。

それだけは分かりました。

四人の兄さん、お父さん、お母さん、おばあちゃん。

旦那様方、お屋敷の皆さん。

ヒスティアスお嬢様。

ぶちぶちと髪がちぎれるのも構わず暴れるけど逃げられない。

テオ兄さんが私がしたようにマードックの腕にしがみついて止めるけど殴られて飛ばされました。

私の頭を掴んで引きずりながら剣を振って雄叫びをあげて暴れ続けています。

こんな時になぜか団長とノーフォークさんも頭に浮かびます。

強引なくせに気遣いがあって、私を女性と扱う二人。

剣だこでざらざらの手。

掴んだら離さない力強さ。

でもマードックのようなこんなに恐ろしい手ではなかったと。

恐怖で涙が止まりません。

マードックも泣いてます。

咆哮みたいな雄叫びをあげて。

マードックの裂けるような悲鳴の悲しさにまた涙があふれます。

あなたは愛していたんですね。

あんな女性でも。

偽物だと疑うのに心に蓋をして見ぬふりをして。

小麦が目に染みるだけではないのでしょう?

その叫びと涙は。

すごい情熱。

私にはありません。

二人に愛し愛されてたのに、どちらの想いにも答えを見いだせず死を選んだ女性を思い出します。

男二人を愛して死んだ女性。

あなたは彼女に似てます。

情熱的な恋。

あなたは心に蓋をして偽物を愛して苦しみ、彼女はどちらが本物か分からなかったから苦しんだのですね。

信じたいのに信じられない心が死を選んだのですね。

やはり潔い。

そこは好き。

でもやっぱり彼女は分からない。

私は死にたくないから。

マードックのように心を殺して偽物だけを愛し続けて苦しむのも嫌。

彼女のように人を信じずに死ぬのも嫌。

私には恋ではないけど愛する人達がいますから。

家族、お屋敷の皆様。

厳しくお優しいルギスタ家の方々。

香り高く手触りのいい金の御髪、厚い信頼を映す赤と緑の瞳。

出会ってからずっと慈しみ続けた私のヒスティアスお嬢様。

「ああっ!」

頭と絡んだ髪を引きずられて声が出ました。

マードックの剣技を前にその辺に落ちてる警棒や木の棒で戦うテオ兄さんがいます。

他の自警団の方もさすまたや捕縛縄を武器に囲んでます。

誰も諦めていません。

私だって。

誰が死ぬか。

爪がバリバリ割れてもいい。

引っ掻いて脛を蹴って暴れて叫んでます。

涙で前が見えない。

こいつの手はどこ?

引っ掻いてやる。

噛みついてやる。

負けん気はあるのに私は非力の役立たず。

掴まれた頭が痛い。

振り回されて首も体も痛い。

引きずられて勢いよく硬い地面にぶつけた膝も痛い。

「ぎゃあああっ!」

「ぐっ!うう!」

急にマードックの叫びと共に重い体が倒れて地面と押し潰されました。

重い。

苦しい。

痛い。

「いたいぃ、いたい痛いぃ!ぐぁぁ!俺の足がぁ!」

目の前でごろんごろんと苦しみに転がるマードックの太ももに剣が刺さっていて兵団の方々が取り押さえると引きずって行きます。

それを見たあと、終わったと安心してその場に地面に顔を伏せ、ぐったりと倒れた私は誰かに声をかけられました。

「テオ、兄さん」

「違う、……だ」

誰?

聞こえない。

ぼわぁっと響いて誰の声かも分かりません。

耳鳴りと頭痛、体中の痛み。

痛みと流れる涙で目を開けられず、戸板に乗せられてどこか運ばれている気がしますが、ぼうっとして意識がはっきりしません。

家族とお屋敷のことばかり頭に浮かび、なぜかあの二人のことも。

でも強く心に浮かぶのヒスティアスお嬢様でした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

元妻からの手紙

きんのたまご
恋愛
家族との幸せな日常を過ごす私にある日別れた元妻から一通の手紙が届く。

夫の告白に衝撃「家を出て行け!」幼馴染と再婚するから子供も置いて出ていけと言われた。

window
恋愛
伯爵家の長男レオナルド・フォックスと公爵令嬢の長女イリス・ミシュランは結婚した。 三人の子供に恵まれて平穏な生活を送っていた。 だがその日、夫のレオナルドの言葉で幸せな家庭は崩れてしまった。 レオナルドは幼馴染のエレナと再婚すると言い妻のイリスに家を出て行くように言う。 イリスは驚くべき告白に動揺したような表情になる。 子供の親権も放棄しろと言われてイリスは戸惑うことばかりでどうすればいいのか分からなくて混乱した。

【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫

紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。 スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。 そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。 捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約をなかったことにしてみたら…

宵闇 月
恋愛
忘れ物を取りに音楽室に行くと婚約者とその義妹が睦み合ってました。 この婚約をなかったことにしてみましょう。 ※ 更新はかなりゆっくりです。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...