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賄賂

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触れないが顔の横に手を置いて上からうつ向くエヴを覗く。
「私はエヴが馬鹿じゃないから困ってる。もっと馬鹿ならいい」
「…何?」
怪訝に視線を上を向けて私の顔を見つめる。
涙に濡れた瞳がゆらゆらと揺れていた。
「頭が悪くてもっと自己中心的で、欲深い質なら楽だった。簡単に手に入ったろう。用心深いとまではいかないが、回りと相談して物事に当たるし、周囲へ献身的だ。今も人のために動いた。しかし、こちらがやり方を諌めれば踏みとどまる。その上、周囲の考えにも気を巡らせて理解しようとしている。賢いと言わずに何と言うか分からん」
エヴを包んだまま私も木に寄りかかってヒムドを撫でればぐるぐると喉を鳴らして目を細めた。
「エヴは傷つきやすくて聡い。先に話せば気にして落ち込んだろう」
「あとで知っても同じでしょう」
「そこは反省だな。お父上に抗議するがいい。しかしエヴは何故なのか、誰のためか分かってる。外せと言えるか?」
「…せめて苦しまないようにしてほしいです」
「そう頼むといい。しかし出来るかもしれないし、無理かもしれない」
「…多分、無理だからあれなんですね」
聞くだけしてみます、と小さく答えた。
「なんでそんなに分かるんですか?私はすぐに分からないのに」
「立場上、必要だからだ」
団長として公爵家の次男として。
「…悔しい。私、もっとがんばります」
私の半分しか生きていないのに同じ土俵へのぼる気かと苦笑する。
「予想されている小規模なスタンビートならエヴ一人がいなくても対応出来る。ヤン達の助力は外せないが、せめてこの砦で普通の令嬢として過ごせる。だが、それを選ぶ気はないのだろう」
「力があるなら使うべきだと思います」
腕の中で真っ直ぐ見つめる目の強さに笑みがこぼれた。
あれだけ泣いていたのに頬が濡れているだけでもう涙は出ていない。
瞳はじっと私の顔色を伺っていた。
なぜ私が普通の令嬢になれると提案したのか分からず、意図を探ろうとしている。
意図などなく、私はそういう道があると提案しただけだ。
団を束ねる武官を辞めて奥に隠された高位貴族の令嬢として穏やかに暮らせると言いたかった。
日がなのんびり刺繍やお茶会、たまにダンスパーティーと女性らしく着飾って美しいものにだけ囲まれていれば、血と泥に汚れることもなく政治や男共の喧騒に巻き込まれることもなく楽だろうに。
争いを好まない穏やかな気性だけを考えればそちらが合う。
ご家族もそう思って剣を握らせることはなかったのだろう。
普段の気質はともかく、守護の紋による頑強な身体と圧倒的な強化の剛力だけは本当に武人向けだ。
ヒムドを挟んだまま怒らない程度に身体をのし掛からせた。
探りながらゆっくりと額に息がかかるほど顔を近づける。
「好きなだけ振るえ。頼りにしてる」
「たくさん使ってください。お父様とお兄様はなかなか呼んでくれませんから」
「奥の手だからだろう。最後に取っておく切り札。私は先に使う方が好きだ。とっとと勝負をつけたい」
「私もです」
「気が合う」
ヒムドの首根っこを掴んで隙間から取り出して私の肩に乗せた。
不満そうに鳴くが抵抗はなく肩の上を自由に歩いている。
「交代を許してくれるのか」
「みゃー」
ふんぞり返って、そうだと答えるように鳴くのがおかしくて頬が緩む。
その様子が感謝しろと言っているようだった。
「交代?」
「ああ、交代」
察しの悪いエヴはまだ首を捻っている。
木に挟まれてのし掛かられて、しかも額に顔を寄せてるというのに。
私との近い距離に慣れて何も危険はないつもりでいる。
「ヒムド、出来れば首に戻ってほしい。だめか?あとで何か褒美を持ってくるから頼む」
猫が好きそうなものをひとつひとつ口ずさむ。
分かりやすいように目の前で指を折って唱えた。
興味があるらしく動きを止めて折った指に鼻を近づけて悩んでいる。
「では川魚は?…だめか?マタタビはどうだ?」
問うと、ふんっと強く鼻を鳴らした。
マタタビで曲げた指を柔らかい肉球にぺしぺしと叩かれて、近いうちに用意すると答えると肩伝いにエヴの首へ、のそりと潜り込む。
「ヒムド、マタタビ好きなの?いつから?ラウルがだめって言うからあげてないのに」
エヴの叱る声に最後はぴゅっと消えていく。
「もとは本物の猫だ。少量なら問題ないだろう。木片なら明日、森で取ってこよう。エヴが預かって管理すればいい」
「でも、」
「私が預かっても構わないが」
がっしり顔を両手に挟むと、はっと顔色が変わった。
「え"、ちょ、まって」
「何だ?」
にんまりと笑うとエヴが怯えて眉が下がった。
「ま、また、精力、ですか?」
減ってない、いらないと必死で口早く訴えた。
「いやあ、違うが?精力で乱れるエヴも好きだが、こうやって単純に引っ付くのも好きだ」
怯えた顔も可愛くてむにむにと頬を挟んで遊ぶ。
動きに合わせて唇が歪む。
鼻を寄せると爽やかな酸味のある果実の香りとロバート殿の匂いで腹に邪気が溜まる。
あまり食事を取らなかったので食べ物の匂いは薄い。
「ロバート殿の匂いが移ってる。それだけが不満だ」
悋気から睨むと緊張で固まったエヴの頬がひくりと上がる。
「に、匂いをつけ直しますか?」
機嫌を伺うように目を合わせてくる。
「ぜひそうしたい」
「うわっ、鼻を噛まないでくださいっ」
かぷっ、と小さな鼻に歯を当てた。
「我慢してる」
「全然してないぃ」
「匂いをつけ直す」
「うわ、わ」
涙目にいやいやと顔を振って逃げるから指を髪に絡ませて形のいい頭を撫でた。
「こ、こうするから!これでいいですよね?!んぶ、んっ」
乱暴に前屈みに引き寄せられてよろけた。
木に両手をついて寄りかかったら、エヴが首に腕を巻いてぶら下がって顔を頬に埋めてぎゅうぎゅうに押し付けてくる。
頬にグリグリと顔全体の柔らかさでこすられてぞわぞわする。
尻尾も逆立つほど膨らんでバタバタ揺れた。
「んっ、ぷはっ、ほら!これでいい!団長の匂いでしょう?!」
「お、おう」
勢いに圧倒されて思わず頷いた。
「尻尾!団長も喜んでますっ」
「ああ、そうだな」
「よし、戻りましょうっ」
そう言うと大股で茂みを乗り越えて抜けていく。
城内へ戻るのかと思ったら人の多い酒宴の方へと向かっている。
「酒宴に戻るのか?」
「や、ヤン達を迎えにいかなきゃ」
後ろから着いていくとびくびくしながら先を急ぐ。
「エヴ」
「は、はい」
「またしてくれるか?さっきの。あれで満足だ」
こちらの言葉に足が止まり恐る恐るこちらを振り向く。
「本当に?」
「ああ、思いの外満足だった」
ちらっとまだご機嫌に揺れる尻尾を見てエヴの顔が緩む。
「あれくらいならいいですよ」
にぱっと歯を見せて笑っていた。
してもらえるのも嬉しいし、エヴの安心した顔も可愛い。
「じゃあ、もう一度出来るか?」
「はぁい」
腰を屈めると首にぶら下がってまたグリグリと頬に顔を埋める。
今度は先程より優しく柔らかい頬をぷにぷにと当ててたまに鼻や唇が掠めてくすぐったさに首をすくめた。
それが止めの合図と思ったようですぐに離れてしまった。
「どうですか?いいでしょ?これで」
「ああ、これで満足だ」
どや顔の頭に手を置いてくしゃくしゃと髪を混ぜた。
嫌がる素振りはなくて乱れた髪を軽く手櫛で撫でるとこちらに軽く頭を寄せて、そんなちょっとした仕草さえも胸が詰まるほど可愛く思える。
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