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始まり

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「…話が、見えません。…馴れ初めから、順に、お願い出来ますか?」
「そんなに驚くほどのことじゃありませんわ」
「…貴族令嬢が、婚姻前に出産など、前代未聞かと」
ゆっくりそう答えると眉を下げて苦笑いを見せる。
「まあ、そうよねぇ。…ジェラルドのきっかけはこれかしら」
顔の布を剥ぐと顎から頬への傷を露にする。
「ここの団に勤めて、半年ほどで副団長に上がりましたわ。当時の私はベアード団長と多少張り合えるほどの強さでしたから。騎士教育も受けていたので、戦法や討伐にも詳しかった」
傷を指でなぞって顎を軽く前に背けた。
首にまで伸びたそれはどうやら胸にまで届いているようだった。
「私が敵わないのはジェラルドと団長だけでした。お二人とも前衛で突撃するタイプでお互いに張り合うように魔獣を撃破して、回りも囃し立てて二人頼りの戦法ばかり。いつまでも続くものではないと進言していましたが聞き入れて貰えず、ある日ジェラルドのお供で近隣の視察に回っていたら大型の群れに遭遇しましたの」
何頭いたかしら、両手が足らないほどいたわねと静かに話す。
「一度、建て直してからと忠告したけどジェラルドが舜巡してるほんの少しの間で気づかれて襲われました。本音は私も負けるつもりなかったので構いませんでしたけどね。でもジェラルドは突撃ばかりで共闘する気がないからやりづらくて。自分を守り主を気遣いながら剣を振るうのは気が散って仕方ありませんでした」
嫌そうに目を細めて宙を睨む。
そのしぐさもエヴそっくりだと思った。
「ジェラルドは戦いやすい場所に移動したかったんでしょうね。大きめの剣を好んでいたから、木の茂るその場を離れ奥へと移動するから追いかけましたわ。たどり着くと少し広めの河原に出て、運の悪いことにその場には釣りをしに来たらしい家族連れがいたんです。ジェラルドと二人で彼らを守って逃がしました。力任せな討伐が得意なジェラルドは守りながら戦うことは不慣れで、足の遅い子供が分断されてしまってジェラルドが急いでその子を両親の方へ放って逃がしました」
どちらももっと小さな他の子達を抱えて受け取れないのに、と思い出して呆れた顔を見せる。
「その子は地面に叩きつける結果となって動けなくなるし、動揺して動けなくなった家族を見て同じくらいジェラルドも動揺してました。その場は引き受けるから子供を抱えて逃げろと言うのに負けん気を起こしてこっちに荷担しようとして、案の定慌てたジェラルドが魔獣の爪に殺られそうになったから庇いました。それがこの傷です」
少し息を整えてお茶を口にする。
「まあ、別に傷くらいどうでも良かったんですけど。私は」
困った風に首をかしげて顎に手を添える。
「私も手負いになりましたし、もうだめかと思いながら、もう一頭を二人でなんとか倒すと他の魔獣は逃げていきました。幸運でしたね。子供は目を覚まして歩けたことも幸いで、背中を強く打って気を失っていただけみたいでした。恐怖もあったかもしれません。私はジェラルドに背負われて帰りました。傷がひどくて、ここからここまであったわ」
指で頬から心臓近くまでをなぞった。
「かなり大きな怪我でしたね」
「そうね。半年ほど寝たきりだったわ」
化膿もするし、と嫌そうに眉を寄せた。
「でも問題はそれからでしたね。ジェラルドが責任を感じて結婚を迫ってきたんです。こちらは勤めとして主を守っただけですのに。断るとその場は分かったと言うのに、毎日言いに来るんです。なぜと聞くと今日は気が変わるかもしれないからと真顔で答えてました」
呆れつつも頬に笑みを浮かべる。
憎からずと思っているのは分かった。
「それで、ほだされたのですか?」
「いえ、襲われましたの。怪我の治りかけた頃。書類仕事なら出来るし、そろそろ復帰しますと寝台に腰かけたまま報告したら、じゃあ、その前にと世間話のような顔をしながら、こう、」
テーブルに手をついて上に被さる姿勢を見せた。
「は?」
「驚くわよね?私もよ?しばらく固まって抵抗どころじゃなかったのよ」
その時の驚きを思い出すのか目を見開いて手をテーブルについて前のめりに訴えた。
「…はい」
段々、下がっていた耳がぺたりと完全に垂れて尻尾も足に絡んで椅子と私の足に巻き付いている。
あのジェラルド伯がという驚きと知ってしまっていいのだろうかと今更ながら夫人の話す内容が恐ろしい気がしてきた。
「…抵抗したら治りかけの傷を捕まれるし、叫ぼうにも口を塞がれるし。…あれを知らなかった訳じゃないけど、この世の終わりかと思ったわ。次の日には傷が悪化して熱が出るし。それさえも大人しくなってちょうど良かったと笑うのよ。熱が下がればまた戻ってくるし、鬼畜よねぇ」
「…一族に似た者がおりました」
いくらでもいる。
クレイン家に人狼の気配はないのにこの鬼畜さはグリーブスの栄誉が産まれる以前の古いやり方だ。
「ああ、やっぱりそうなのね。人狼の囲い込みは噂には聞いていますわ。ジェラルドもそれを参考にしたのね」
「そうなんですか?」
「本人は言わないけど。私の勝手な憶測よ?このあとも手慣れすぎてて何か参考にしたんだと思ったのよ。まあ、それでジェラルドのせいで治療が長引いて、後半はお医者さんは来なくてジェラルドが私の手当てをしていたわ。ひと月ほどそんな生活だったわねえ。ジェラルドに襲われてから二ヶ月目の半ばで完治したし、そういうのも飽きたし、夜逃げ覚悟でジェラルドと話し合いしたの。このままどうするのって」
「飽きた?飽きたで済ますんですか?」
「ええ、そうよ?部屋にいてジェラルドを待つ生活に飽きたの。つまらないわ」
あんぐりと口が開く。
「ワルキューレだからなのか、そういう命がけなのが楽しくて。最初は隠してた尖った棒で刺そうとしたりシーツを裂いて作った紐を首に巻いて殺そうとしたりしたのよ。でもことごとく失敗。ジェラルドは強いわ。打つ手がなくなって毎日ただぼんやりジェラルドを待つしかなくなると、そしたら今度は甘いだけ。だから飽きたの」
「気質の問題なのでしょうか?」
「さあ?分からないわ。人と違うのはそれくらいですもの」
「それでその後は?話し合いはどんな風になったのですか?」
「ああ、話し合いね。相変わらず結婚を迫ってたわ。傷のことも、初めてだということも理由にして責任取りたいって。馬鹿じゃないのって答えたけど。またそこで取っ組み合いの喧嘩したわ。ベッドに押さえ込まれて、」
「そこは飛ばしてもらえると助かります」
「それもそうね。その取っ組み合いのおかげでやっと探していた強化封じを見つけたのよ。分からなくて大変だったわ。背中とか頭髪の中とか。鏡のない全裸生活だったし、あるとしたら見えないところなんだけど」
「…ジェラルド伯も、かなり、強硬なやり方をされていたんですね」
「そうよねぇ、今思うととんでもない人よね」
「そして、強化封じはどこにあったんですか?」
「両耳の後ろと背中。三ヶ所も打ってたの。紙に乗せて張り付けると転写する術式。どこで手に入れたのかしら。あんな高価なもの。当時ラウルはいないし、簡単には手に入らないものなのよ?ジェラルドのうっかりがなければ場所は分からなかった。それをタオルで擦りまくって皮膚を剥いだら使えるようになったの。すぐに壁を壊して逃げたわよ。服は適当に貰っていったわ」
淡々と語るがうちの一族の話にしか聞こえない。
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