上 下
229 / 315

老齢

しおりを挟む
「ククノチ殿、これは手土産です。クレイン産の肥料になります」
丁寧に声かけをし、背中を向けていたククノチはわさわさと葉を繁らせながら振り返ると、ジェラルド伯の手の中にあるごろんとした丸薬をしばらく眺めて受け取った。
「気に入ったのでしたら、これも。一つで一年、それが10個入ってます」
差し出された小袋を受けとると口のうろへと放り込む。
「今後お世話になります」
「オッオ、オオ、オオ」
うろの風がいつもより高く響く。
音は頼みごとなんだと問う。
「私にとってあなたの主は少々困り者です。我が家に介入して欲しくありません。機嫌の良いお早いお帰りと今後は近すぎないように取りなしをお願いしたい」
ゆさゆさと細かく揺れ、続けて流れる短い風は笑いだった。
分かったと鳴らしゆっくり背を向け、ジェラルド伯はそれを確認すると席に戻られた。
「会話が分かるのですか?」
「いいえ、全く。風が鳴るだけでした。ラウルの助言の通りにしただけです。贈り物を受け取ったあと世話になると言って頼みごとを話す、返さなかったら諾だとか」
用は済みましたと一言述べるとテーブルに置かれた書類を手元に集め、パラパラと中身の確認をする。
そして軽く頷き、書き物に夢中な魔導師長を振り返る。
「魔導師長、まとめるのは難しいようですね。無理な頼みごとを失礼しました。私はこれでお暇いたします」
「伯よ!待ちな、さ、いえ!お待ち下さいっ。もう少しで、」
「もう少し。そこまで出来上がったのならそれをいただきます。失礼、」
机の目の前に立ち塞がり愛想のいい顔は消して、ぱっと手元の紙を魔導師長の手から引き剥がした。
「まっ、伯よ、」
紙を追って向かいから立ち上がる魔導師長を無視してさっさと扉へと進む。
しかしドアノブを回しても開かない。
閉じ込められたことに、むっと小さく唸ると魔導師長へ目線を向けて冷たく一瞥した。
「せめて、今夜はそちらの調査書に眼を通したいので、お借り、」
「出来かねます。この場でクレイン家の命に関わる機密をお見せしただけで充分に思えます。なのにまだ望まれるなら、取引相手として不満です。残念ながら全ての話はなかったことに」
すぱんと言葉を遮って断言された。
「いや、それは、」
「我が家の秘密を聞いた、それだけを収穫と思って諦めてください。何があろうと娘への投薬は拒否致しますし、息子を貴公のもとへ遣るつもりもありません」
強硬な姿勢を崩すことなく圧を込めて言い放つ。
魔導師長はそれを聞くと諦めに項垂れて呪文を唱えた。
すぐさま扉が勝手に開き魔導師長は、外へどうぞ、と手を指して頭を下げた。
その様子を不機嫌そうに見つめている。
うんざりだと瞳には内心の不満を隠しもせずに、どうもと一言だけ告げてあっさり外へ出ていかれた。
ジェラルド伯のやりように唖然とした。
調査書の真偽を確かめる暇もなく取り上げて自分は魅了についての新しい情報と調べる手法を奪った上に当初、餌に見せびらかしていたロバート殿の治験を覆す。
「あー、相変わらず気位が高いなぁ」
はあ、と天を見上げて後ろの椅子にどさっと座り込んだ。
魔導師長は落ち込んだ様子だが、怒りは見えない。
むしろ含み笑いをこぼして声に張りがある。
「あの最後の冷えた睨み付け、あの素っ気なさ、堪らないねえ!うわお、ほんっとうに私の好みだっ」
「はあ?!」
前のめりにテーブルに突っ伏して悶える魔導師長に思わず立ち上がって後ずさった。
かなり興奮しているようでテーブルをどんどんと叩いて喜んでいる。
それを眺めているとぴたっと動きが止まる。
「しまった。変身が解けた」
顔を上げるとずれた丸眼鏡をかけたままの、かなり若くなった魔導師長の顔が現れて驚きにまた一歩後退り、背後の椅子を倒してしまった。
「…そのお顔は?」
「元来この顔だ。今はサバトの祭壇用にしている。高ぶるとこんな風に解けるし、上から普段は老けとけって言われているから。私は魅力的だから仕方がない」
眼鏡を外して机に置いた。
垂れていた瞼がふっくらと張りのある肌となり、眼の隙間から濃い緑の瞳が見える。
白髪は変わらず、スッと延びた細い眼と薄い唇。
シンプルな顔立ちなのに妙に色気のある顔立ちとシワに隠れていた泣きぼくろが眼尻に現れた。
「あー、その他大勢の貴族然とした態度に詰まらなくなったと思ったのに。やはり中身は変わらないか。出会った頃のようだ。怒った一瞬、身体にまとった精神波が一気に溢れて昔より美しかった。老けて渋味が出たのも悪くない。久々にこんなにムラッと来た。短命種は醜く年を取るだけなのにまだあんなに魅力がある。いまだに処女の匂いさせてプライドの高い彼を組み敷いて堕落させたい。気が高ぶって顔が戻らない。困った」
目頭を揉みながら矢継ぎ早の言葉が止まらない。
若い頃ほど他人の趣味嗜好で盛り上がれないし、エヴの父上への恋慕は聞きたくない。
エドの羨望とは違い、こいつは肉欲だ。
本当は壮年の見かけだとしても、普段は年寄りの魔導師長。
瞼のシワで眼の色さえ見えない年寄りの発情は許容範囲ではない。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

F級テイマーは数の暴力で世界を裏から支配する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:9,609pt お気に入り:190

ジゼルの錬金飴

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:624

肉食獣人は肉食だった

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:65

旦那様に離縁をつきつけたら

恋愛 / 完結 24h.ポイント:433pt お気に入り:3,607

庶民的な転生公爵令嬢はふわふわ生きる

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:333

シャッターを切るときは

BL / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:100

もう我慢しなくて良いですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:475pt お気に入り:102

異世界で四神と結婚しろと言われました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:766pt お気に入り:3,970

処理中です...