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身分

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「こんばんは、お姫様」
ペンとインク、便箋を乗せた盆を片手に持ち、反対の手に明かりを持ったエヴ立っていて驚いている。
「…あなた、どうして来てくれたの?」
「他にいないからですよ」
「いない?」
「ここは戦地ですから砦に女の使用人はいません。お姫様の世話をお願いした女性は街から来てもらってたんです」
見張りが鍵を開けてエヴが先に中へ入る。
扉を広く開けて、私は入り口を塞ぐ形でそこに立った。
明かりを置いたらエヴがしゃがみこんでいたペリエ嬢の手を引いて立たせて、テーブルに促している。
「いないなら、着替えは?湯あみも、」
「自分でやります。お姫様にも貸しましょうか?一人で着られる服。それじゃぁ、不便でしょう?」
あの時の乱れたままの格好に自分で着付け直しが出来ないのだろうと察したようだ。
同情してそう言うとペリエ嬢は首を振った。
「いやよ!そんなの着られないわよ!」
「…そうですか、はいどうぞっ。便箋ですっ」
むっとしたエヴが乱暴に盆をテーブルに置いた。
砦の中に夜間は女性がいない。
泊まり込んでいるラウル達の世話人に同行を頼むかと思ったが、エヴがやると言い出したので任せた。
ペリエ嬢の真意を知りたいのもあったからだ。
今のこのツンケンした様子に何の意図があったのか分からない。
また別の感情から会いたがっていたのかと観察を続けた。
「お、怒らないでよっ。だって、一人で着たことないんだから、出来ないわよ!」
「教えましょうか?」
「…先に手紙を書いた方がいい。明日には伝達が出発する」
嘘だ。
明日伝わるのは魔獣の件とクレイン家とパティ家のいさかいが起こると宣言しただけのものだ。
パティ家の反応を見るまで保留にしてある。
「か、書きますわ!あなた、邪魔しないでよねっ」
「むぅ…」
エヴがますます不機嫌に唇を突き出す。
「お父上に宛てて、あなたの行いを書き出し全ての非を認める旨をお願いします」
「分かりましたわっ」
せっせと書いて、書きあがった1枚をエヴが扉に立つ私に手渡す。
読んだらすぐに突き返した。
「正直に、行いを全て書いてください。これじゃ足らない。それに言い訳は必要ありません」
不足を指摘し、四度目に書き直した便箋を見つめてまたエヴに渡す。
「また書き直しですの?恥ずかしいことも何もかも書きましたのに!」
「いえ、これで構いません」
これでいい。
これでやっとこちらが報告した内容と合致した。
「最後にあなたが罪を償う気があるのかお尋ねしたい。そこを間違えれば、ジェラルド伯は、」
「ありますわ!」
「では、そう書きなさい。お父上にもご協力をお願いするといい。非は自身にあるから償いにクレインの要望に添ってほしいと。署名もお忘れなく」
署名の済んだ手紙を受け取って、これでいいと頷く。
あと二枚。
ジェラルド伯と陛下に宛てた同様の手紙を書かせた。
私兵の誰に何を指示したのか、騎士や侍女に何をさせたか。
エヴの贅を尽くした小物を勝手に持ち出し、私からは手紙を盗み、勝手に破り捨てたことの他に天幕に裸で忍び込んで書類を荒らしたことから二度も天幕に押し掛けて居座ったこと、牢では私の眼前で服を脱ごうとしたことまで赤裸々に。
恥ずかしさに泣いてはいたが、そんなことは気にせず三人宛にクレインの怒りが正当であることと贖罪に尽力を願う内容を書くように促した。
受け取った三枚の手紙を念入りに注視していると泣いているペリエ嬢の隣に立ち、エヴが肩を抱いて慰めていた。
「私からもお父様にお許しをお願いしてみます」
椅子に座ったままエヴの腹にすがって泣くペリエ嬢を引き剥がしたいが、扉の位置より先にずかずか入るのは憚られる。
「もうこんなことしないでくださいね?反省したあとは迷惑をかけた皆に謝りましょう?許してもらえるように、ね?」
ラウルとリーグにも、と囁くと、ペリエ嬢はそれは誰だと問う。
「…あなたの私兵が乱暴をした相手です」
名を知らなかったことにエヴのまとった気配がびりびりとざわついた。
そんなことにも気づかず、不貞腐れてなぜ私が、嫌だとごねた。
「汚らわしい平民に、高貴な私が頭を下げるなど出来ないわよ」
「…そうですか」
腰にしがみついていた手を剥がして肩を押し退けた。
「退いてください」
「待って、あなた、」
離れていくエヴにペリエ嬢が椅子から立ち上がり慌てて離れる手を取って引き留める。
勢いでエヴが前屈みに軽くつんのめる。
どうして怒るのと尋ねるペリエ嬢に前屈みに頭を下げたまま肩を震わせた。
「…ラウルは私の命を何度も救った人です。リーグもこの国の命を守る素晴らしい兵士なのに。あなたが、あなたのせいで、二人とももう。なのに、ひどい…」
「な、何よ。間違ってないわよ。あの人達は汚いし、臭いのよ。怠け者だし、裕福な者からすぐ盗むわ。粗野で乱暴で貴族を妬んでて恐ろしいのよ。へ、平民なんて、皆そうでしょう?」
「…私は、そんなこと思ったことない。ずっと守ってくれたラウルが好きだし優しいリーグも好き。会えば笑ってくれる領民も好き。逆にいつも私達に花や食べ物をくれる。そっちを知らないけどクレインではそう、です」
離して、と少しだけ手を引くが突き飛ばす真似はしない。
「剣なんか握ったことないのに、皆を守りたくて黒獅子と戦ったんです。スタンビートも、何もかも皆のためにしました」
強化がじわじわかかって、小さくパキパキと音を立てて身体が光る。
顔にも紋様が浮いてきた。
少し身動ぎをしただけで非力なペリエ嬢に怪我をさせてしまうから動かないように気を付けている。
「…でもお姫様は勝手にそう思ってればいいですよ。私も勝手にあなたを嫌うんです。考えるのは自由だしお互い様でしょう。もういいから、手を離して」
「い、いやよ、逃げるなんて許さないから」
「今、強化が制御出来てないんです。怪我するから離れてください」
テーブルによろけて手を着くとバキッとひびが入る。
私の背にいる側の見張りが何事かと慌てて声をかけた。
「何もない。机に手を置いて軋んだだけだ」
見張りは引いたが、この二人をどう止めるか悩む。
割り込もうにもこの不利な供述を書かせた段階で部屋に押し入り触れた事実を作りたくない。
「怪我させるから、本当に離れてください。番の私のことも、貴族らしくない黒髪も、この醜い紋様も嫌いでしょう。もう行くから、」
「勝手に決めないでよ!そんなこと思ってないわ!」
「自分で言ったくせ」
「あの時は、そうだけど、」
早い言い返しに口ごもる。
「エヴ、ゆっくり動けば怪我をさせることはない。こちらへ来い」
「カリッド様!」
咎める声音に意味がわからない。
「ひどいわ!10年の私の想いを袖にした上、こんな辱しめを」
エヴが怪訝そうに首を捻る。
「お姫様?団長はもういいんですか?大好きなんでしょ?あんなに、好きって、」
「ええ、愛してたのよ?こんなに愛していたのに、あんな冷たく私を、ひどいっ」
「わ、な、なんで、私に抱きつくんですか?」
「だって、あなたが優しいから!」
背の変わらないエヴの首にしがみついた。
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