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泥棒

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「馬鹿なことを。この芸術的な緑の紋様と艶やかな黒髪の美しさが分からないか?」
抱き締めたエヴ嬢の黒髪をひと房手のひらに乗せて口付けをした。
「この黒髪は昼も夜も艶に美しく輝き、その光はいつも星か月を見ているような心地にさせる」
「は?」
エヴ嬢は目を白黒させながら私を見ていた。
「この緑の紋様も。蔦をはせた肌は古代の円柱に彫られたアカンサスの唐草模様か芸術の都より産まれたアラベスクだ。二つの素晴らしさが理解できないとは無粋な感性だ」
額に浮かぶ紋様に口付けをしようと顔を近づけると首を捻って逃げる。
「逃げるな」
「逃げますってば。これはただの守護持ちの模様ですよ。芸術品とは関係ないです」
「私は美しいものを讃えただけだ」
居心地悪そうにしかめる顔に甘く微笑む。
「きょ、教養もない、野蛮な女に」
「それは認めますね。勉強嫌いですし毎日、鍛練か討伐ですから」
けろっとエヴ嬢は答えた。
学んだ年月を思えばかなり優秀だ。
野蛮など所作が身に付いてないだけで態度と考え方は礼儀正しい。
「それだけではなくってよ!あなたは高貴な私を拐った上に魔獣を狩れだなんて無理やり押し付けて!許されないことよ!」
「残念だが、法に置いて許される。あなた方が皆の前で暴行の証言したおかげで証人には困らない。昨夜の暴行と手紙の件もだ」
私の立場から私信とは言え、手紙を盗むとかなり重い罰則がある。
「私の身分なら陛下の預かりになるはずですわ!」
「高い身分と役職ならそういう忖度もある。だが、あなたはパティ公爵家のご令嬢というだけで役職はない。対する彼女は公爵より上の辺境伯。クレイン辺境伯家ご令嬢であり、私と同等の上級士官だ。クレイン領団とはまた別に独立した団の最上位の上官だ。王宮の承認も得た身分だ」
「わ、私は叔父様のお話し相手というお仕事を、」
「それは陛下より役目として任命されているが、優先が低い。陛下の直属に当たる私やジェラルド伯らの地位が上だ。」
最初の報告と共に送った書類。
クレイン領団に集中する武力を散らしたように見せるためだ。
妙な勘繰りが来る前に直属のクレイン領私兵団とは別に分けた。
ジェラルド伯の直属から外し、両団と対等の団として扱っている。
傭兵団に近い扱いと期間限定を条件にした承認だが、戦況が落ち着くまでの無期限。
厳密に、この戦場には3つの団が存在する。
「私とクレイン辺境伯と彼女の三人から訴えられるのだ。宰相殿と前の陛下である大公は太刀打ちできまい。たとえ陛下の命令でも難しかろう。これを覆せば議会が黙っていない。この法は貴族を守る盾でもあるのだから」
「たかだか平民を叩いたくらいで、大袈裟な。二人とも平民なのですのよ?ご存じありませんの?」
「あの二人は大型をひとりで討伐出来る逸材だ。一人は海上で、もう一人は陸上。専門の舞台なら私より強い。団のみならず国への損害と陛下に報告しよう」
「カリッド様より強いなんて大げさですわ。王都兵団に所属の貴族なら大型の討伐くらい当たり前のことではありませんの?それともそうやって私の気を惹きたいのかしら?そんなことなさらなくてもこんなにも愛してますのに」
「何も知らないのだな」
呆れて力が抜けた。
そんな力量は当たり前ではない。
我が団ならエドと私だけだ。
海上ではリーグだけ。
他の者は無理をすれば戦える程度の力量なので3人から5人の班で討伐に当たる。
「団長、もう離してください、もう、なんで抜け出せない」
細い腰に腕を回して囲いこんでいる。
さっきから無言で身を捻って脱出を試みるが、単純な動きに軽く手を添えればスルッとまた私の腕の中に引き戻される。
理解できないと首をかしげて唸っていた。
「大人しくしろ」
「最初から大人しいでしょうっ」
「ここにいろ。飛び出したと聞いて心配したんだ」
「別に強いし、平気です。この人達も無傷で帰すつもりだし、治せばいいし、」
「こいつらの心配なんかするか。あなただけだ。こうするくらい許せ」
ぎゅうぎゅう抱き締めて黒髪に顔を埋めた。
「あなたの匂いは好きだ」
「え~…」
身動ぎがなくなり大人しくなった。
困った声が可愛くて楽しくなる。
「騙されないで!カリッド様!私というものがおりますのに!」
どんと横から抱きつかれて機嫌が悪くなる。
「あなたのような手癖の悪い人間は嫌いだ。勝手に書類を漁って手紙を破るわ盗むわ。度重なる団員への暴行も。全てにうんざりだ」
「え?盗んだの?そんなこともしたんですか?綺麗な顔なのに」
「顔は関係ないだろう?」
「だって綺麗な顔です」
「面食いか」
もっと美しい顔立ちの者はいるのに。
「こんなお姫様になりたかったから。でも思ってたのと違ってて残念です。泥棒はだめですよ」
暴力もと付け足した。
「うるさいわね!好きなんだからしょうがないでしょう!」
「やめろ」
手を振り上げたのでそれを軽く弾いてはねのけた。
「好きだと手紙を盗みたくなるんですか?」
「盗んだんじゃないわ!借りただけ!   愛してるから何でも知りたいの!カリッド様!盗んだのではありませんわ!愛ゆえに必要なことでしたの!私達の間に秘密なんて、」
「そんなに親しいなら見せてって言えばいいのに」
「親しくない。誤解するな。ラウルがスミスに個人的な手紙を見せたがると思うか?」
「あ、はい。分かりました。え?でも二人は親しいんですよね?結婚するんでしょう?」
「はあ??」
「そうよ!この泥棒猫!私のカリッド様を返して!」
「一度たりともあなたと親しくしたことはない!結婚などふざけるな!」
いらんことを吹き込みやがったと頭に来た。
「うわっ」
抱き締めた至近距離での唐突な大声にエヴ嬢は耳を押さえて驚いた。
「いいえ、私と愛し合っております!人目お会いした時から私を見つめて微笑んでくださいました。あのパレード、凛々しいお姿、一度も忘れたことありませんっ。運命の出会いですもの!そのあとも私の護衛に駆けつけてくださった!私のことを愛してるから!」
「あれは仕事だ!グリーブスは番しか愛さん!」
「ゆっくり獣化する場合もありますわよ!きっとその獣化も私への想いが今、溢れてきたんです!そんな女に騙されないでくださいまし!」
「やかましいわ!離れろ!触るな!虫酸が走る!」
「カリッド様が私にこんなことを言うなんておかしいわ!きっと操られているのです!早く王宮の魔術師に見せなくては!」
「呪いをかけていたお前が言うな!」
「…私を挟んで怒鳴り合いしないでくださいよぉ」
腕の中で耳を押さえて縮こまるエヴ嬢が小さくぼやいた。
「すまなかった。怒らせたか?」
押さえた手を上から撫でて優しく謝ると、怒ってはいませんと小さく答えた。
「あなたに嫌われると辛い」
「嫌うなんてそんな。尊敬してますし、感謝してます」
「私もだ。あなたのためなら何でもする」
内情の温度差はあるものの睦まじい私達のやり取りに嫉妬して、きぃぃぃっと奇声を発する。
「退いて!あんたがそこにいるのはおかしいわ!」
「私もそう思います。人とお話しするのにこれって変ですよね」
エヴ嬢に飛びかかって私の腕から引っ張り出そうとする。
「エヴに触るなっ。本当にいい加減にしろっ」
先程より少し声を落として怒鳴るが効果はない。
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