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【 過 去 】

必然と偶然 ―予兆―

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 ――その人はとても美しかった。

 少なくともわたしにとっては誰よりも美しく見えた。
 あの頃、一度だけ見た事のあった、何処までも何処までも続く青い、青い海。
 あの真っ青な深みのある海のように美しい瞳。
 そして珍しい灰色の長髪。
 柔和な面立ちと芯のある強い心。優しい声。
 ふとした時の所作。
 幼いわたしにとっては全てがこの世でもっとも美しくみえた。

 ――だが、気付けばは、この場所から去っていた。

 他の者と同じように……。



 ***************


 報せを受け、着替えもそこそこにの場所を目指した。
 早足に歩き、後ろから付いてくる男に何度か落ち着けと言われたがその一切を無視して。

 自分や一部の者しか知らない隠し通路を使って、直接の場所の裏手に出る。
 目指していたのは私達が、いや我々が〝えん〟と呼ぶ孤児院のような屋敷だ。それも王族が密かに支援している特別な場所。
 ある同じ境遇の子達だけが集まり暮らしている場所。

 色とりどりの野菜が青々とる庭の畑へと入り突き進めば、一部で放し飼いにされた鶏達が驚いて逃げて行き、時折こちらに気付いた者が「あっ」と声をあげたが、構わず進んだ。

 庭の一際日当たりが良い場所で真っ白なシーツや服を何枚も何枚も干している女性がいる。
 その女性がこちらに気付くと小さく声を上げて驚くその瞬間、一瞬吹いた強風が彼女が手にしていた手拭いをスルリと奪う。その飛んできた手拭いを片手に捕まえて、彼女へ手渡すと尋ねた。

「ソフラさん、マールは?」

 すると恰幅の良い年配の女性は、その柔和な面立ちを困ったような寂しいような複雑そうな顔に曇らせた。

「皆で探したのですが……何処にも」

「……そんな、まさか」

 彼女はなんとも言えない顔でただ黙って眼だけでそうなのだと伝えてくる。

「そうか……」

 踵を返して、今度は屋敷の中へ入った。
 後ろを付いてくる図体だけはでかい男がまた何か煩く言っていたが今は至極どうでも良い。

 屋敷の部屋を一つづつ開けては確認した。
 いきなり扉を開けられて中にいた者は当然だが驚く、その中に探している人物がいないとわかると直ぐに次の部屋へと向かった。渡り廊下、大広間、調理場、風呂場、手洗い場、休憩室、庭、少なくともこの屋敷のどこにも居ないと分かると、休憩室へと戻る。
 素朴な木造の椅子に腰を掛け、片腕だけをテーブルの上に載せ、もう片方の腕を椅子の背もたれへ預けた。

 ため息をついて俯くと、コンコンと扉を控えめにノックする音。
 傍にいた男が扉を開けるとソフラが盆に茶と茶菓子を持って入って来た。
 男が断りもなくと小言を言おうとしたがソフラは「まぁいいじゃないの、これぐらいで怒る方ではないわ」と軽くあしらう。テーブルの上に盆の物を丁寧に並べて彼女は傍に佇んだ。

 その彼女を見上げ、苦笑してみせる。

「言伝や書き置きもなしか?」
「残念ながら、そういったものは何も……」
「あのマールが?」
「私もそう思ったのですが」

 それならと後ろに控えている男に視線を投げると尋ねる前に「勿論捜索しましたが、見付かりませんでした」と返事が返ってきた。

 なんとも言えない顔でいると、2人がそれぞれ口を開く。

「マールが来てからもう14年ですから……おそらく」
「しっかり探していないんだ、人攫いにあった訳ではないだろう」

 2人にそうだなと返して、先程ソフラが持って来た紅茶を口へ運ぶ。

「それにしてもよっぽど慌ててらしたんですね。酷い格好ですよ」

 ソフラがふふっと笑う。
 ふと自身を改めて見ると確かに酷いものだった。上半身は脱ごうとして結局ボタンだけを外した白のブラウスに、それに似合わない農夫の下穿き。なのに下履きは決して農夫が持っていない上等な黒のビロード生地のブーツときている。こまかい毛をたて、なめらかで艶がある。更に金の留め具をあしらえた物を民が履いて仕事をする訳がない。

「仕方無いだろう。あのマールが、まさか他の者と同じように書き置きも無しにいきなり行ってしまうとは思わなかった」

 ブラウスのボタンを止めていると、隣にいた男が自身の眉間をおさえて「だから何度も待てと言ったんだ」と呆れている。
 悪戯心がわき、手を止めて「なら君がやってくれ」と頼むと心底嫌そうな顔で「私の仕事ではない!」と怒った。予想通りの反応に満足していると、見ていたソフラが笑いながら残りのボタンを止めてくれた。

「有り難うソフラさん」
「いえいえこれくらいなんてことないですよ」

 その時、外が何やら騒がしくなったのを感じて、ソフラがあっと声を上げる。

「そうだったわ今日はの人が来る日で」
「なんだそうなのか?」
「実は近所の人の知り合いがやや子を保護したそうでして、ただ保護したはいいけど生活に苦しくて困っているそうなんです。それで一度その子と共にこちらに来て貰う事に」
「ここに来るって事は」
「えぇ、おそらく」

「なら、一目みてから帰ろう」

 後ろにいる男が眉間をおさえているのが分かった。



 ――帰り際、来た時と同じように隠し通路を歩きながら、後ろを歩く男が心底嫌そうな声で「なんて滑稽な」と呟く。
 それもその筈、何故なら自分は今、あのソフラと同じ使用人の服を着て通路を歩いているからだ。裾の長いスカートに白のエプロン、頭には髪の毛を纏めて入れた真っ白な室内帽も被っている。
 男で尚且つわたしともあろう者がエプロンドレスを着ているのだ誰が見ても呆れるだろう。

「似合ってるだろ」

 後ろの男にさも当然というように言えば「何処がだ、全くよくもまぁ恥ずかしげもなく」と返ってきた。

「そんな事を言うのは君だけさ、大概の者はわたしの変装には気付かないもんだよ。間違いなく女だと思うだろうね」
「それが本当ならこの世の殆どの奴の眼は腐っているに違いない」
「いいね。やはり君のそういうところがいい、率直で実に好ましい。わたしにそんな事を言えるのは君くらいだ。が、他者の前ではやめておけよ」

 思った通り「言われなくとも」と返って来て、こっそりとほくそ笑む。

 薄暗い隠し通路には時折明かりが灯っている。冷たい壁のせいで夏の日でもここだけはヒヤリと冷たい風が通るのだ。
 その中を更に進みながら先程、使用人の振りをして見た赤ん坊を思い出す。おくるみに包まれていたが白髪はくはつの男の子だった。

「あんなみっともない格好で外部の者の前に出るわけにいかないだろう。そう怒るなよ騎士様、精悍な顔つきが台無しだ」
「その格好はみっともなくないのか」
「あまり他者にはわたしがあそこに通っていると知られたくない、一応表向きはただの孤児院だからね」
「だからと言って」
「女中の休憩室を借りて目の前にいたのがソフラさんなんだ仕方ないだろう。ちなみにあそこでわたしがこの姿でいる時はテアと呼ぶように、男の使用人の時はテトだ。この服は元々テア用に用意されている物で」
「やはり滑稽だ」

 半ば諦めた声が聞こえ、ふふっとほくそ笑みながら、マールの事を思い出し、少なからず声が暗くなった。

「どうしてだろうか」

 暗がりに声が響く。

「どうして、あの子達はいつも何も言わずに行ってしまうのだろう……」

 書き置きだけでも残してくれといつも約束しているのに。

 マールに似た青い瞳に灰色の髪の彼女を思い出す。
 決して何も言わずに出て行くような人ではなかった。
 マールも他の子も。
 いつも何も言わずに去ってしまう。
 その度に何かあったのではと探すが決してその姿を見付ける事は出来ない。

 唯一共通している事は、目撃者が必ず「あの森へ入って行った」と証言する事だ。
 あの森とはネーベル森林の事で、それは人間なら入ると死んでしまうとされており、決して誰も近付かない。行くとしたら死にたい者か変わり者か、或いはあの道を知っている者か……。

「言い伝え通り、あるべき場所へ帰っているんだろう」

 先程の呟きに後ろの男が素っ気ない言葉を返す。

 言い伝えとは、一部の者だけに伝承されているあのえんに由来するものだ。
 あそこに集められ面倒を見ている子供達はその殆どが人間ではない可能性のある子達だ。そして14の歳を迎えると、その身に邪気が宿り、それは人間に害を及ぼす。それに気付いてかみなここを去ってしまう。
 なんでも自ら本来あるべき場所へ帰るのだと、そうあの森の奥にある魔族の領土へ。
 知っている者は王か、もしくは王が信頼出来る者、そして園で働く者だけだ。
 例え外部に漏れたとしても誰も信じはしないだろう。何故なら私達人間は魔族を畏怖しているのだから。
 だからこそ公にはしていない。
 民が知っているのはずっと昔の王妃様が建てた施設と言う事だけだ。

「あるべき場所か……だといいけど」
「おい」
「だって、マールは可愛いだろう? 誘拐された可能性だって捨てきれないじゃないか、もしそうなら」
「黙れ」
「例えあちらに行ったとしても無事だと言い切れるか? 森で何かあるといけないし、あっちへ行ってから生活とかどうするんだ? 虐められてたりしたら」
「お前の悪い癖だやめろ、考えたところで俺達に何が出来る。あちらに行ける訳でもないんだぞ」
「けど、マールはわたしにとって」
「やめろテト、あぁいやテアか紛らわしい、今度から男の方をノエルにしとけ」

 苛立つ男へ振り返りそれは今更無理だわとテアの振りをして笑って見せる。すると気持ち悪そうに顔を青ざめ、吐きそうだとばかりに口を押さえる。

「全く本当に君は君だな、アルデラミン。本当にお前だけだよそんな反応をするのは」

 言いながら室内帽を取り、階段を上がって目の前の扉を横へ引く。
 それは殆どの者に忘れられた部屋。
 埃っぽいその部屋を歩いて、テアの姿を捨てる。

 あの子達はどうして、自分を捨てた者がいる所へ帰らなければならないのか。
 どうしてあの子達の親はあの子達を捨てるのか、魔族とはやはり私達が思うように冷酷で非道な存在なのか、あの子達を見ているとなんら人間と変わらないと言うのに、あちらへ行ってしまうと人が変わってしまうのか。

 魔族に関しては分からない事だらけだ。だからと言って知る術も殆どない。
 ただあちらの王が存在するかどうかの情報だけは入ってくる。時折あちらから使者が現れるのだ。
 あちらの王が代替わりした際に、そしてあちらは此方の王が存在するかしないか不思議と把握している。
 それはこの国が国であるための最も重要な条件ではあるが……。
 そこまで考えてハタと気付く。
 どうして今までそこから何も進まなかったのか。動かさなければならないのではないのか。

 けれど此方からコンタクトを取る方法など……。
 いや全く無い訳でもない。
 ただ此れをあの子達に託すのは余りに。

 ふと、部屋の隅に乱雑に置かれた絵画が眼に入った。金の髪に空と同じ色の大きな瞳、茶目っ気があるのに何処か落ち着いた物腰で、此方を見詰めている。

(彼女なら何か知っていたのだろうか)

 歴代の王妃の中で最もであったと言われている。だが今も尚、彼女が作ったあの屋敷は残っており、隠し通路もこの部屋もこうして密かに引き継がれている。

「ホントとんでもない王妃様だったんだろうなぁ」

 思わず呟く。

「あぁきっと、中身も貴方に良く似ているに違いない」

 振り返ると、先程まで使用人の格好をしていた男が、今はいつもの藍色の近衛隊長の服に袖を通していた。

「それよりこれから優先してやるべき事があるだろう。どうにもならん事に気持ちを割くより、目下もっかの問題を先に片付けるべきだ」

 その言葉に深く頷いた。

「マールの件は……まだ、捜索を打ち切る気はない」

 部屋を出る間際にその言葉を聞いて、やはりこの男は信頼出来ると改めて実感する。


「では、目先の問題から片付けに行こうか」


 そして、それが片付けば彼らに会いに行こう。わたしが愛する者達が向かったであろう

 あの森の向こうへ。



 ――けれどその後、まさか先にそちらが叶ってしまうとは、この時は全く思っても見なかったのである。




  必然と偶然 ―予兆―  end .

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