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【 過 去 】

灰色の赤ん坊。

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 その赤ん坊は森の中にいた。

 森の泉の、そうあの泉だ。
 聖なる泉。
 生きとし生きる者全てにとって聖なる泉なのだ。
 ただその泉を知る者はあまりに少ない。

 ある者はその存在を知らずに生きている。
 ある者はお伽話しだと考える。
 ある者は本当だと唱える。

 そしてある者たちはその存在を知っている。

 そしていつか青年となる少年も

 そのある者の一人だった。


 ◇


 その日、確かにある目的を持ってあの森の中を歩いていた。
 話には聞いていた、以前一度行った事もある。
 ただあの時は父が隣にいた、だが今はいない。

 決して教えられた道以外は歩かぬよう言われた、何故なら死んでしまうから。
 本当かどうか試した事はないがおそらく死ぬのだろう。
 それを試そうなどとは思わない、仮に死んでしまったらその結果を誰が知るだろうか。そもそも死体は残るのだろうか。例え証明されたとして誰が得をするのだろうか。

 この道は殆どの者が知らぬのだ。
 殆どの者が。
 出来るなれば殆どの者が知らぬ方が良い道なのだ。

 歩き続けた道は意外に短い、誰もがきっと長い道のりなのだろうと思うかも知れないが実際のところそうではない。

 城の裏手の園の奥から実は途中まできちんと道が出来ている。
 なぜなら今までその道を先祖代々使って来たからだ。
 普段はその道を生い茂る草木が隠すようにしているがその先へ出れば小道が続く。
 その道から外れさえしなければ死なずに辿り着く事が出来る。

 そうあの泉へ。

 なんと言う事はない、その日そこへ向かった。
 辿り着いてみればやはりそこには泉があった。
 泉の周りはとても澄んだ空気で満たされ思わずその場で立ち止まり息を吸う、そしてゆっくりと吐き出した。

「やっぱりいた」

 見詰めた先、とても清く澄んだ泉のほとりに太い切り株がある。その上にはおくるみに包まれた赤ん坊らしき姿が。
 先程まで確かに聞こえていた赤ん坊の泣き声、けれど疲れてしまったのか今はその声もしない。

 近付いてそっと様子を窺った。
 すると静かな息遣いを感じ赤ん坊は健やかに寝入っているだけだと分かる。
 少年はホッと胸を撫で下ろし、おそるおそる抱き上げる。

 あまりに小さく脆い命に急に不安になってそのまま切り株に座った。

 立っていると腕から滑り落ちてしまいそうで怖かったからだ。
 赤ん坊を抱いた事がない訳ではない、腹違いの妹が産まれた時一度だけ抱かせて貰った事がある、大人に支えられながら一度だけ。
 赤ん坊の薄くやわく短い黄金の頭髪を軽く撫でた記憶はまだ新しいものだ。


 そして、赤ん坊の瞳が黄金だと分かった頃には母子ともに流行り病で亡くなってしまった。


「っ……」

 瞳に溢れたものを誤魔化すように赤ん坊を腕に抱きながらうずくまるが、直ぐに抱き締めている存在を思い出し我に返る。

「……君は灰色なんだね」

 おくるみからのぞく赤ん坊の髪。
 あの時触った赤ん坊の髪を思い出す。

 ここへ来たのはなんとなく予感があったからだ。
 昔から勘は当たる方だから、ただその予感のままに。


「来て正解だったよ。もう失いたくないから」


 本当に流行り病であったのだろうか疑問だ。
 だが調べようにもそんな力もなかった。今もないのだ。


「君は大丈夫だよ。わたしが必ず守る」


 赤ん坊を抱えてゆっくりと立ち上がる、落とさぬように慎重に。話しに聞いていた〝魔族の赤ん坊〟を。

「君にはどんなわたしを見せようか」

 これからきっと色んな顔を持つであろうわたしを。

 自分は今はなんの力もないただの子供でしかない。
 けれど、もう何もせず気付かぬ振りをするつもりもない。
 あの日慣れぬわたしに手を貸し妹を抱かせてくれた義母ははの温もりをわたしは忘れてはいけない。
 生まれて半年も立たずに亡くなった妹の存在を忘れやしない。


 どうしてたかが黄金と言うだけで。

 どうしてわたしが存在するだけで。


「この瞳が……であれば」


 何もおこらなかっただろう。

 誰も混乱しなかっただろう。

 誰も悩みやしなかっただろう。

 いや違うのか、そもそもがおかしいのか。

 だとしても、わたしは……


 赤ん坊を抱いて来た道を戻る。
 以前園にはこの赤ん坊と同じ灰色の人がいた。その人の瞳は海のように青く美しいものでもしかしたらこの赤ん坊もそうなのかも知れない。
 まだ瞳を見せぬ赤ん坊を見ながら語りかけた。

「もし海のように青く美しい瞳ならわたしは君を〝マール〟と名付けよう」


 どうか海のように広く深く慈しみ(愛くしみ)の心を持って育ってくれ。
 そしてこの子にはなんの曇りもない世界が広がりますよう。


 わたしとは違う世界が広がりますように。





 ――灰色の赤ん坊。end.――

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