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第六章

馬には乗ってみよ人には添うてみよ26 New

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 ふっと部屋が静かになった。
 風もないのに蝋燭の灯りがゆらりとゆれ、彼女の声はもう聞こえてこない。
 魔王は深い溜め息をついて「まったく彼女には困ったものだな」とぼやく。
 さて気を取り直してと顔を上げると、眼の前の青年の様子がおかしいと、いやまったくもっていつもと変わらぬ表情なのだが、喜怒哀楽の何も感じないと言うか違和感というか。

「……どうかしたか?」
「いやdadじゃなくてdaddyなんだと思って」
「ん?」
「BaBeでもなくdaddyなんだなぁと」
「んん?」

 確かにカミルラの発音はハッキリとしておりdaddyと言っていた。
 魔王はまるで木魚でもテンポ良く叩いたかのようにポンポンポーンと考えて閃き、そしてあらぬ誤解だと青ざめた。

「待て、違う。あれは彼女の戯言であってだな」
「いや別に驚きませんよ。そういった色っぽい関係があってもおかしくないでしょうし」

 簡単に説明するとdaddyと言う言葉は子供が父親を呼ぶ時にも使ったりするが夜を一度でも共にした恋人にも使ったりするからであって、逆に一度もそういったことがない場合はdaddyなどとは呼ばない。つまり率直に言うとヤった事があると――そういうことだ。

「本当に違う。誤解だ。彼女とはそういったことは一切ない。まったく、ただの一度も」
「はぁそうなんですか」

 魔王は自分は何故なんとか誤解を解こうと弁明しているのかと頭の隅っこで疑問に思いながら、青年は青年でなんでこんな弁解してるんだこの人はと頭の隅っこでモヤモヤした思いを抱きながら、それでもやっぱり。

「少なくとも魔族の間でその言葉をそんな使い方はしない」
「と言うことはそのままとらえてパパって事で? 部下にパパって呼ばれてるんですか? もしくは呼ばせてる? あまり好感は持てないご趣味ですね」
「な、なぜそうなる……潔白だ」

 どよーんと絶望の効果音が聴こえてきそうな程に魔王の気持ちは沈んだ。

「やだな冗談ですよ。カミルラ様はそういった冗談もお好きな方なんだってのは分かりましたから」
「……にしてはなにか、怒ってないか?」
「怒ってないですよ。ほら、俺いたって普通でしょ?」
「その普通ですって顔が怒っているように見えるのは気のせいか」
「そうです気のせいですってば!」

 バシンッと青年が思いっきり魔王の背中を叩いた。

「で? なにようで此方にいらしたので?」

 青年は微笑んでいる。微笑んでいるがどこか機嫌が悪い。果たして本当に気のせいと言えるのか。
 魔王は今度こそ気を取り直して、就寝前に青年とリーベに会いに来たのだと伝えると青年は意外そうな顔をした。

「もしかして、全然こっちに来ないって言ったこと、やっぱり気にしてます?」
「あぁ、我ながらほったらかしとは流石に無責任であったと思ってな」
「そうですか」
「言い訳にはなるがな、実はリーベを連れて来てからというもの其どころではなく、公務がほぼ手付かずのままだったのだ」
「え゛」
「殆どは下の者に任せていたが私にしか出来ない事も多くてな。特に眼を通しサインしなければならない書類がたまってしまってハクイに終わるまで此方に来るなと言われていた」
「魔王さまってハクイ様に弱いですよね」
「あれがそうまで言う理由も理解出来るからな。早々に終わらせてしまった方がいいのは確かだ」

 とは言え今はほぼ片付いているので、せめて朝と夜だけでも此方に来れればと思ったのだと魔王が伝えると青年はなるほどと頷いた。多少機嫌がよくなったような気もしなくもない。

「でも残念。リーベはもう寝ちゃいましたよ」
「そのようだな」
「寝顔だけでも見ていきます?」
「いいのか?」
「もちろん。でも起こさないでくださいね」

 魔王は物音を立てないようゆっくりと隣へと繋がる扉を開けて、そろりと中へ入る。
 起こさないように忍び足で赤ん坊が眠る小さな寝台へ近付き、そっと中を覗き込んだ。
 小柄な身体がすぴーすぴーと愛らしい寝息を立てて幸せそうに瞳を閉じている。
 あまりの可愛らしさにそのぷくっとした頬を撫でようかと手を伸ばしたが、起こしてしまったら可哀想かとその手を引っ込めた。
 そのままずっと眺めていたい気持ちにかられるがそうもいかない。名残惜しく感じながらもまた静かにその場から離れ部屋から出ると扉をそっと閉めた。
 待っていた青年が「どうでした?」と訊いてくる。

「よく寝ていた。起きている時に会いたかったが」
「もう少し早く来ると会えますよ」
「違いない。カミルラはどうだ。何か困ったことはないか?」
「いや困るってほどじゃあないけど、全部一から教えないといけないから大変かなって程度です」
「そうか、本当は私が参加出来ればいいのだが……」
「魔王さまだとしても大して変わりないですけどね」
「そう言うな覚える努力はする」

 ぼそりと青年が「してくれるんだ」と呟いた。その言葉に疑問を抱き「どうかしたか?」と魔王は尋ねたが青年はいつもの調子に戻って「なんでもないですよ魔王さま」と微笑む。
 ふと、魔王の眼に卓上にある数枚の紙とそれと共に並ぶ羽ペンが眼に止まった。

「……何か書き留めているのか?」
「あぁこれは」

 二人は机に移動する。青年は紙を一枚手に取ると書きかけの物を魔王に渡した。

「日記みたいなもんですよ」
「日記?」
「えぇ、リーベの様子を」

 確かに何時頃におしめを変えたや何時頃に昼寝をした事が逐一記録されている。それと共にその時の心情なども書かれていた。

「私の事も書いているのか」

 今朝のことが書かれていた。意外と上手に縦抱きしていたとかそんな取り留めもないことを。

「どうも照れるな」
「え、照れるようなこと書きましたっけ?」
「いや気にするな」

 すると青年はニッと悪戯っぽい笑みを浮かべて「魔王さまも書いてみます?」と言う。

「私がか?」
「せっかくですからこの空いているところに、ほらほら」

 羽ペンを持たされた魔王は、青年がそう言うならと手に持っていた紙を卓上に置く。そして途中まで書かれていた文章を邪魔せぬように、隅へと綴った。
 〝愛らしい寝息をたて幸せそうな寝顔であった〟と。
 それを読んで青年が満足そうにふふっと笑う。

「これでいいか?」
「えぇありがとうございます」
「それをどうするつもりなんだ?」
「もう少し数が増えたら紙に穴を空けて紐で縛ろうと思ってますよ。記録しておくと体調の変化に気付きやすくなるって知り合いの女性が言ってましたので」
「そうか」
「魔王さまもたまに何か書いてくださいね。あの娘が大きくなったら渡そうとちょっと考えてるんで、あとあの娘が結婚するってなったらこれを相手に突き付けてこんだけ愛されてる子を嫁に出すんだ大事にしろよって圧をかけてやります」

 それはおそらくリーベにとってはありがた迷惑でしかないだろうが、まぁそれだけじゃないんですけどねと楽しそうに将来のことを考え微笑む青年に「あぁそれもいいかも知れないな」と言って魔王も目尻を下げた。

 ――ちなみに、そのあとリーベの夜泣きが始まったので、せっかく寝ようとしていた青年は寝れず。もちろん魔王も自室に帰れず。
 その日は朝まで交代で面倒を見ながら、さっそく先程の続きを書くこととなったのだった。

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