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【 過 去 】

藍色の少年(1)

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「あんのクソガキどこ行った!!」

 ちんけな店屋が並ぶその一角で何処かの店主が大声を上げて通りに飛び出した。
 あまりの事に通りを歩く人々もついでに買い物をしようとする客も他の店の者もなんだなんだと様子を伺う。

「おいおいどうしたんだいそんな声を荒げて、お客がビックリしてるだろう」

 隣のパン屋の店主があぁ面倒事でもおきたかと眉目をひそめて声をかけた。

「盗まれたんだよ! 売り物の林檎をだ! たまに売上が合わねぇ事があっておかしいと思ってたんだきっと今までのも全部アイツだろうよ!」
「アイツってどいつだい?」
「小僧だ! 俺は確かにみたんだ! 俺んとこの林檎を懐に入れてたのをな! 確かにこの眼でみたんだぜぇ!?」

 店主はまだ鼻息荒く怒りおさまらんといった様子でその盗っ人が近くにいないかと辺りを見回す。

「ほぉそりゃけしからん、大事な商品だ怒るのもわかる。それでどんな小僧だったんだい?」
「あぁ!? そりゃあ背はこのくれぇで髪がボサボサでみじけくてぇそうだ目付きの悪い淀んだ藍色の眼だ! 薄汚ねぇガキだった!」
「それだけかい?」
「だったらなんだ!」
「それだけじゃあ誰かわからんなぁ諦めな」

 パン屋の店主はあからさまに呆れた顔をして店の中に戻った。そもそもここは貧民窟からそう遠くない。しばしこのような事はおこるのだ、それを分かっていてきちんと警戒していなかった青果屋の店主の自業自得ともいえるもの。
 何よりパン屋の店主にはなんの痛手もないので他人事だ。だが店に戻ったパン屋の店主はある一点を見詰めて唸った。

「おい、おい母さんここにあったパンはどうしたかな? パンだよ私がさっき置いた。あとこっちに置いてた玉子の数がおかしくないか? 使ったかい?」

「えぇ? そんなの知らないよ。あたしはお客さんの相手をしていたんだよ? お前さんこそこの忙しいのに何処に言ってたんだい?」

 あぁしまったとパン屋の店主は片手で額を叩いた。



 **********



 一連の騒動を青果屋の裏手で伺っていた人物がいた。

「……と、もうこの店は使えねぇな」

 右手で林檎を上に投げて掴む動作を繰り返しながら、左手にはパンを抱えてそそくさとその場を離れる。

「にしても無用心なおっさん達だな。まぁそのお陰で玉子も手に入ったけど」

 そのうち土埃が舞う辺鄙な場所へ出た。少し行った先に見るからに裕福ではないと分かる家々が建ち並んでいる。彼は迷いもせずそちらへ歩みを進め

「随分林檎が好きなんだね」

 突然かけられた言葉と共に彼の首に何かが当たった。それは太い木の枝であると気付くとその持ち主を睨む。こんな物で行くてを阻む、この不愉快な声の主を。

「はじめまして」

 そこにいたのはこの辺りでは見掛けない小綺麗な格好をした五、六歳は年下の少年だった。それだけでも裕福な家の子だと分かるのに、何より眼を引いたのはその綺麗にとかされた金色の髪、そして空色の瞳で直ぐに相手がどんな人物であるかが彼の脳裏を過る。しかしそんな人物が流石にこんな所にいるとは信じられず直ぐにその可能性を考えるのをやめた。

「……誰だお前?」

 鋭い目付きで彼が問う。すると金髪の少年は特に気にする素振りは見せず微笑んだ。

「見ていたと言ったらどうする?」

 相手が何を言っているのか彼は直ぐに理解できた。

「だったらなんだ?」

 彼は首元にある枝を手の平で押し退けた。それはそれなりに太いので勢いよく殴られていたら痛かっただろう。彼はそのまま無視して歩きだしたが

「その林檎、わたしが買ってあげるよ」

 その言葉に内心黒い感情が渦巻いた。振り返らなくても分かるきっと金髪の少年は微笑んでいるだろう、可哀想な貧民を見て哀れんでいるのだ。そして情けをかけようとしている。それも自分より年下の子供がだ、こんな屈辱があるだろうか。

「……馬鹿にするのも大概にしな」

 そのまま踵を返すと彼はさっさとその場を立ち去った。暫く跡を着けてきはしないかと後ろの気配を気にしたが、金髪の少年はあのまま着いては来なかった。

(今日は厄日だな)

 いつもなら万事上手くいっていたことだ、それが今日はどうだこの有り様だ。しかも最後の最後にあの生意気な子供に絡まれたんだ気分がいい訳がない。
 ボロい平屋に着くと懐にしまっていたパンを取り出して台所へ置いた。
 そして直ぐに盗ってきた林檎をすりおろすと取り皿に移してその器を持って居間へと入った。

  家の端に置かれた寝台には彼の母親が横になっている。彼が声をかけるとその母親はゆっくり振り向いて儚げに微笑む。彼は声をかけた。

「母さん林檎。すりおろしたから、食べれそう?」

 すると母親は掠れた声で「有り難う」と何処か申し訳なさそうに言う。手に力が入らない母の代わりにスプーンで林檎を掬って口元まで運んだ。
 母親は随分前から体調を崩している、最初はまだ良かったが次第に身体を動かす事が困難になってしまい、仕事に出る事も出来ない。
 けれど流行り病である事はわかっていた。母親は話しに聞く症状と殆ど同じなのだ。

 そんな母親と自分のために色々な仕事を掛け持ちしていたが、当然彼一人の収入でとてもやっていけるものではない。でなければこの林檎を盗んできやしないのだ。

 そして勿論医者に見て貰う金もなければ薬を買う金もない。

 彼は空になった器を持って台所へ戻るとポケットに入れていた卵を台の上に乱雑に置き舌打ちをした。



 ◇


 ――その日、彼はいつも通り適当にパンなど盗みそのまま帰るつもりだった。

「やぁ奇遇だね」

 それは子供の声で、何処か品があり、けれどからかっているような声だった。
 振り向く間際に手にしていたパンの重みが消える。

「君の母親が知ったら泣くんじゃないか?」

 再度別の方向から聞こえた声に瞬時に反応する。すると見覚えのある人物が袋の中のパンを確認しながらこちらに話しかけていた。
 そうもう1年前の事だ。一度しか会っていないが彼は良く覚えている。あの生意気な子供を。

「………返せガキ」

「返して欲しいならこれを取れ」

 少年が片手に持っていた何かを彼に投げて寄越した。咄嗟に片手で受け取ると、それは護身用の短剣だった。
 彼は手にして何故こんな物をと一瞬怯む。

 すると少年はそこらに乱雑に置かれていた木の棒を適当に選び片手に持つ。

「来ないなら此方から」

 状況を判断しかねている間に相手の方が先に動いた。大きく一歩を踏み出し此方へつきをくりだす。

「!?」

 咄嗟に避けて距離をとる。
 刃物を持っている相手に躊躇なく迫ってくるなど頭がおかしいとしか思えない。

(いや寧、バカにされているのか?)

 自分よりも年下の子供が

「ふざけるな!」

 怒りから短剣を振り上げ少年に襲いかかる。

「そうこなくちゃ」

 少年が嬉しそうにそう言った。かと思うとなんなく短剣をただの木の棒で薙ぎ払われると思ったすんでで身を翻しまた距離をとる。

「へーなるほど」

 なにがなるほどなのか、余裕そうなその態度に小賢しいと腹が立つ。使い慣れたナイフであればこうはならないと拳を握った。

 そして少年が見せた僅かな隙を狙って勢い良く切り込む。

 だがーー

「うん、悪くない!」

 手にしていた短剣はあっさりと薙ぎ払われて、彼の斜め後ろで地面に突き刺さるように落ちている。


「ってめぇは何がしたいんだ!?」

 彼は思わず少年の胸ぐらを持ち上げていた。

「お前、わたしの騎士にならないか?」

 真っ直ぐ向けられた空色の瞳、思わず「は?」と間抜けな声が漏れた。

「悪いことは言わないこんな生活辞めてしまえ、あんたは筋がいい、今国では兵士の志願者を募集しているんだ。お前はそれに志願しろ、そしてわたしの元まで登ってこい」

 彼が言葉を失っていると胸にパンが入った紙袋が押し当てられる。

「わたしはお前が気に入った。安心しろ今の王宮は実力主義だ。だから来い」
「は?」
「わたしには味方が必要だからな、お前にはわたしの右腕になって貰う。分かったねアルデラミン」
「はぁ?」
「お前の新しい名だよ」

 その言葉を聞いて馬鹿馬鹿しくなった。
 胸に押し当てられた袋を鷲掴み、少年の胸ぐらを掴んでいた手を乱暴に放す。

「頭おかしいだろ」
「よく言われる褒め言葉だね」

 彼は付き合ってられないと背を向けて歩きだす。


「待っているよ〝アルデラミン〟」


 少年はその背中へと囁いた。



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