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第六章

馬には乗ってみよ人には添うてみよ13

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 背中に回された右腕が青年の肩を強く抱き寄せ、青年の膝裏へと回された左腕は、その膝を掬い上げるように持ち上げる。

「このっ馬鹿もの! 何故なぜ部屋を出た!!」

 目の前の魔王はいつもとは違う悲痛な面持ちで、あきらかに動揺し怒っている。

「どうしてここに……っ」

 ふと青年が下を見るとあの濁流は遥か下に、思わず悲鳴が漏れそうになったがかろうじて呑み込んだ。
 ハッとし「リーベは!?」と腕を確認すると青年の胸の上にうつ伏せになる赤ん坊の姿が。
 だが視界に入ったそれに一瞬にして体に緊張が走る。リーベの服に確かに縫い付けたそこが、すっかりほつれて……。

(無い!)

 イェンから貰った魔晶石が無くなっている。おまけに目を瞑り微動だにしない。

(まさか、まさか……!)

 あれだけの事があったのだ、そうなったとしても何もおかしくはない。
 どうなんだと青年は魔王を見上げた。

「既に結界の中だ。落ち着いてよく見てみろ」

 再度腕の中にいるリーベに視線を落とす。内心で何度も落ち着け落ち着けと自身へ言い聞かせ、胸の上でうつ伏せになるその小さな体、祈るような気持ちでじっと見つめた。するとその体がゆっくりと、確かに上下しているのだ。
 息をしている。呼吸をしている。
 それにさっきからリーベの体温を肌で感じている。
 更に見た限りでは怪我もしていない。
 ただ心配なのは目に見えない傷だ。それでなくとも乳幼児は揺さぶっただけで脳に損傷が生じる事があると言うし、寝ているように見えて実は朦朧としているのでは……。
 青年は遠慮がちにその名を呼んだ。
 するとリーベの腕が僅かにぴくりと動く、ゆっくりと手足を動かし、青年の服をぎゅっと握りしめる。かと思うと動きが止まり、かと思うと今度は青年の胸の辺りに顔を擦り付けた。

「……リーベ?」

 おそるおそる声をかけるとその顔がゆっくりと持ち上がる。
 そして――

「ぱ……ぱ」

 目が合うとにこっと笑った。
 眠そうに、けれど赤ん坊特有のキラキラした瞳で。

「……は、ハハ、丈夫だなお前は」

 ほっと安堵する気持ちと絶対に落とすまいと、リーベの後ろ頭と体をしっかりと抱き直す。

(あぁそうだこの子はエルの時だって大丈夫だったじゃないか。大丈夫だこの子は、大丈夫)

 ふと斜め下を見ると、崖の上でイェンが此方を見上げていた。
 その背後には悪魔の子供達が一ヵ所に集まり、更にその背後に広がっていた筈の樹海がいつの間にか燃え尽き灰と化している。

 更に良く見ると。

「ハクイ様……?」

 見覚えのある後ろ姿が子供達の前に立っていた。

「そうだ魔王さまなんでここに」
「それを訊きたいのは私の方だ」

 青年の質問にピシャリと感発入れずに答えた声はとても冷たい。こんなのはここに来て初めて聞くぞと青年は次の言葉を引っ込めた。
 魔王は二人をしっかりと抱き上げたまま、ゆっくり崖の上へと降下する。
 そこへイェンが駆け寄ったのだが魔王は一瞥もくれず二人を抱えたまま素通りしたので、ほんの一瞬イェンの表情が曇った。だが直ぐに後を追い、青年にこそりと声をかける。

「大丈夫か?」
「なんとか。そっちは?」
「問題ない。ハクイ様があっという間に全て片付けてくれた。あっという間にさ」

 子供達、そしてハクイの声が近付く度、だんだんと大きくなる。

「あなた達いったい自分が何をしたか分かっていますか?」

 ハクイの感情のこもった、けれど何処か冷淡な声が響く。

「だってリィが!」
「何よルゥが!」

 先ほど倒れていた少年がいつの間にかすっかり復活している。これもおそらくハクイのお陰なのだろう。

「ロォ、どうしてさっきあたしを助けたの? あたしだって飛べるのに、あんたが余計なことしなければ落とさなかったのに!」
「そうは言うけど、セルゥ気付いてないのか? 翼怪我してんだぞ」

 こっちはこっちで全くハクイの話を聞いていない。

「そもそもハクイ様たちのせいだろ!」
「そうよそうよ!」
「私達なんにも悪くないから!」
「だいいち僕たちが何したってのさ! 別にちょっと悪戯して帰ろうとしただけでさ!」
「ホントホント、ちょっとした冗談なのに」
「ねぇなんで怒ってるの?」
「ハクイ様おおげさ」
「遊んでただけなのにな~」
「ムキになっちゃって変なの」
「カッコ悪」
「バカみたい」
「アハハ怒って変な顔になってる!」

 悪びれもせず人のせいにしふてくされ、あまつさえ小馬鹿にし面白がるその態度。
 ハクイが何をどう言っても何一つ子供達には響かない。
 イェンは顔をしかめ、頭が痛いとばかりにひたいを片手でおおう。
 青年は怒りと同時に呆気にとられ、その次には悲しくなった。
 何故こうもこの子達には言葉が通じないのか、自分たちが軽い気持ちでおこなったその〝悪戯〟のせいで、危険な眼に合い周囲を巻き込み迷惑をかけ、あと少しで人が二人も死ぬところだったと言うのに、いやもしかしたら全員死んでいたかも知れない。
 青年は自分の腕の中で、またむにゃむにゃと眠りだしたリーベをぎゅっと抱きしめ直す。
 どうしてその軽い気持ちでやった事が、まだ産まれてまもない命を奪うところであったと気付かない。それが問題だと分からない。
 どうして平気でいられる。どうして。

 ふつふつと怒りがわく。
 だが感情まかせに怒鳴ったところでこの子達は逆に面白がるだけだろうと、青年は落ち着くために一つ深呼吸した。
 このまま他の者に任せてはおけない。そう思い、魔王の腕からおりようとしたが、どうしてか離して貰えない。何故と青年は魔王を見上げる。
 すると子供達がわめき散らす中、その低音の声がずしりと辺りに響いた。

「何が面白い」

 たった一言だ。
 その迫るような威圧感に、その場にいた者全ての背筋が震え、凍る。
 辺り一面の動植物でさえ怯えたように、不穏な静けさが漂った。

「……な、なんだよ」

 嫌な沈黙の中、ルゥの絞り出す声にリィが「バカっ」と口の前に人差し指を立てシィとルゥを咎める。

「何故こんなことをした!」

 ビリビリと響く怒りの声。

「お前達は、冗談であれば、遊びであれば、自分達が面白いと思えばなんでも許されると思っているのか?」

 誰も何も言えず、ただ沈黙だけが広がる。

「今回ばかりは許さん」

 子供たちの肩がびくりと震えた。こんなに本気で怒っている魔王を見たことがないのだ。いつもならただ困ったように笑って咎めるくらいで。なのに今、聞いたこともない声色と見たこともない表情で目の前にいる。

「罰として暫く城で暮らせ、我が儘は許さん。エルディアブロにも会わせん。教養を身に付けろ。ハクイ」
「えぇ」
「お前達、城にいる間はハクイの指示に従え、必ずだ。いいな」

 子供たちの瞳が何か言いたげに揺れた。

「お前達の言い分は何一つ通らん。反省するまで城にいることだ。反省したと私が判断したら城から出してやる。ただし、何かやらかすごとに遠退くと思え」

 そう言うとあとはハクイに任せ、魔王は踵を返す。だが数歩進み背後がにわかにざわめき出すと足を止め振り返った。

「たまに様子を見に行くからな」

 そしてまた数歩進んで。

「わかったな!」

 念を押し、ようやくその場をあとにした。


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