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第四章
塞翁が馬19
しおりを挟む『ある時、一人の人間の男が、森の泉に迷いこんだ。
その男は妻と息子、いっぺんに亡くしたばかりで、死に場所を探し途方にくれていた。
そんな時、声が聞こえたのだ。赤ん坊が泣く声を。
導かれるようにその赤ん坊に近付き抱き上げる。
すると赤ん坊はピタリと泣き止み、すやすやと寝息をたてだした。
その姿をみて男は思ったのだ。
これはきっと、神が授けてくださったに違いないと。哀れな男に与えられた慈悲なのだと。
生きる気力を取り戻した男は、さっそくその赤ん坊を連れ帰ったんだ』
『それでどうなったの?』
『それはそれは苦労して育てたさ、男一人でなんて、女でも苦労するのに、いつもその子を背負ってな、歩き回ったもんだよ』
『なんで?』
『働かなきゃ喰ってけないだろう? たまに知り合いのご婦人に預かって貰ったりもしてなぁ。まぁ色んな人に世話になったのさ』
『それって大変じゃないの?』
『そうさとても大変だったんだ。けれどな。けれど、それでも男は幸せだった。生きるのが楽しかったんだ』
『全然わかんないや。この話しつまんないよ』
『はは、そうだろうな。でもいつかきっとお前にも分かる時が来るさ。どんなに苦労しても、確かにそこに幸せがあるってな』
昔よく父が話してくれたことが頭に響く。
あの頃はいつもつまらない作り話だと思っていた。
けれどあの日。
逃げ出して直ぐにこれは己の話しだったのだと、父と自分の事であったのだと気付いた。
きっと父も初めは知らなかった筈だ。俺が魔族の子であるなど、気付いていたならきっと拾わなかった筈だ。きっと。きっとそうだ。
そうしていたなら――。
(どうしたら良かったんだ……)
父は亡くなっていた。
あの墓を見るまでは、心の何処かでまだ父は生きていると、もしくは自分が逃げ出してからも、少しは長生きしていたかも知れないと。
その僅かな望みさえも全て消え失せた。
「俺が殺したのか? 俺が?」
(そんなつもりはなかった。そんなつもりは)
「何処から間違った?」
自分がそうかも知れないと気付いた時に、あの家から出なかったからか?
「何が正しかった?」
父が俺を拾わなければ良かったのか?
(違う。俺が悪かった。俺が自分は人間ではないと認めるのが怖くて、気付かない振りをしたから、自分を認めなかったから、何かがおかしいと感じていたあの時に家を出ていれば良かったんだ)
『お前は生きる希望だ』
(違う)
『だから《ユミト》と名付けたんだ』
(やめろ!)
いつか父が教えてくれたそれは、あの頃は誇らしかった。
けれど今は自分を追い詰めるただの《呪い》だ。
「俺は希望なんかじゃない、俺には生きる資格なんかっ!」
その時、何処から現れたのか、ざっと周りを魔族に囲まれた。
追っ手だ。
今の今まで忘れていたその存在に、もはや苦笑がもれる。
「なんだ。丁度良かった」
もう疲れた。
もう疲れたんだ。
ここで、全てを終わりにしよう。
そもそも逃げる必要なんか初めからなかったんだ。
覚悟を決めたその時。
目の前の魔族が一斉に膝まずいた。
「今までのご無礼、どうかお許し下さい」
一番前にいる、隊を率いているらしい男がよく通る声でそう言った。
この男は良く知っている、いつもしっかりと隊をまとめ率いて俺を追い詰めた。
何度捕らえられそうになった事か。
俺をその鋭い瞳で、憎き仇とでもいわんばかりに見ていたそれが、今は別の光を宿し、しっかりと俺を見ている。
けれどそれは、何処か疲れてもいた。
「今まで我が隊は、陛下に命じられるまま貴方を追っていた。それが正しいと信じて、それが国の為に、我々魔族の為になると信じて、だからこそ、次の魔王である貴方を消そうと……けれどご覧下さい我々を」
言われ見れば、初め見た時とは違うすっかり薄汚れたその姿、一人一人が疲れた顔で、もうその眼に、自分を捕らえようとしてきた恐ろしい光はない。
「我々は何も知らずここまでずっと追い続けて来ました。しかし、その間に我が国はすっかり変わってしまった。……我々にも家族がいます。子はいなくとも、嫁や愛する人がいます。本当の子でなくとも我が子のように面倒をみている家族だって。大切な友人だっております。愛する大切な人が沢山。……陛下は確かに素晴らしいお方でした。我々を、国を愛していた。あの方はいつも素晴らしい政策で人々を導いてきた」
「けれど」と、男は悔しそうに顔をしかめる。
「陛下は、今の我らの王は、すっかり変わられてしまった。貴方を捕らえる為だけに躍起になって、貴方を殺す事だけを考えて、他の事には見向きもしなくなった。貴方がいつ自分に牙を向けるかとそれだけしか考えていない」
男は語る。
この隊の他にも各地に俺を殺す為だけに派遣された魔族が沢山いると
「貴方は本当に上手に逃げおおせる。奇跡のように難を逃れる方だ。あと少しの所でいつも掴めない」
まるでそれは水のようだと、いくら掴もうとしても、隙間からするりと逃げて行ってしまう。
そうして時間がかかるにつれ、当然陛下の苛立ちは強くなっていった。
どうしてたかが魔族の小僧一人にこんなに手こずっているのかと。
「次第に陛下は、我々の大切な者を手にかけるようになりました。一人、一人。順にです。毎日誰かの愛する者が一人、殺されていくのです。女子供も構わず、そして早く貴方を連れてこいと言うのです。余がこの手で殺す。さすればこの地獄も終わると」
すると、一人の男が声を殺しながら泣き始めた。
「彼はつい最近、我が隊に入ったばかりの若造です。彼は私達と合流する前に、四日で貴方を連れて来れなければ、お腹の子供共々嫁を始末すると言われ、もう五日が立ちました」
ただ黙って下を向いている男達の肩が震えている。僅かに溢れてしまった涙が、地面を濡らし、色を変える。
「全ての事は彼から聞きました。それまで我が隊は、何も、何も知らなかった。自分が守りたかった愛する者が、もう既に国に残っていないなど……!」
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