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第二章
躓く石も縁の端23
しおりを挟む万雷の歓呼が響く中、バルドたちはトリストヴィーの一大商業都市マルベリーへと入港した。
十数年ぶりに掲げられた王国旗に、過去の栄光の時代を思い出した民衆は、互いに抱き合いむせび泣いた。
十数年前、トリストヴィー王国は人口、経済力、海軍力において大陸一のアンサラー王国に並び、追い抜こうとしていたのである。
だからこそ貴族は平民の力の増大に恐怖した。
当時のアンサラー王国も、トリストヴィー王国の成長を危険視し、工作を進めていた。
遅かれ早かれ、トリストヴィーの分裂は避けられないものだったのかもしれない。
しかしもしかしたら、再びあの栄光の日々を取り戻せるかもしれない。
バルドの登場は彼らにそんな希望を抱かせた。
公国海軍による海上封鎖が続き、疲弊しきったマルベリーの市民にとって、バルドが獣人の血を引いていることなど些細な問題でしかなかった。
「王国万歳!」
「アントリム辺境伯万歳!」
「海運ギルド万歳!」
マルベリーはかつてない喜びの空気に包まれていた。
七元老の一人で、親公国派の筆頭ガストーネの乗った旗艦が沈められると、私有艦隊の残りは、たちまち白旗を揚げて降伏した。
中にはガストーネと行動をともにせず難を逃れた者もいるが、ことここに至ってはバルドに反抗することなど思いもよらないだろう。
そんなことをすれば次の瞬間袋叩きにされるのは確実である。
「――それにしてもバカでかいな」
全長三百メートル、全幅七十メートルの巨艦『巨人』を見上げて、呆れたように七元老の長ピアージョは笑う。
情報には聞いていたが、まさかこれほど巨大であるとは思わなかった。
果たしてバルドがいかようにこの化け物を拿捕したのか、想像もつかない。
方法がどのようなものにせよ(ギガンテを超える化け物がいただけなのだが)、ギガンテがこちらの手に落ちたという事実は大きい。
まだ南方に、公国海軍の第一艦隊司令官フェデリーゴの座乗するギガンテ一番艦が残っているが、ギガンテにギガンテをぶつければ、海上封鎖を解くなど造作もないことであった。
単純な海上戦力を比較した場合、海運ギルドは決して公国海軍に劣らない。封鎖がなくなれば、マルベリーはすぐにも活気を取り戻すだろう。
ギガンテがあまりに大きすぎるため、バルドたちは短艇に移乗して上陸することとなった。
「お待たせをしてしまいましたかな? 議長」
人を食ったようなアウグストの言葉に、さすがにピアージョは眉をひそめた。
「首を長くして待っておったとも。もう少しで帰る家が無くなるところであったわ」
「それは御心配をおかけしました」
ぬけぬけとアウグストは嗤う。
ピアージョは確かに海運ギルドの重鎮であり長老だが、マゴットやジーナ、ウラカという女傑を間近に見てきたアウグストにすれば、まだ常識人もいいところであった。
「そんなことよりも早く紹介してくれぬか。我らが主君となるべきお方を」
そう言ってピアージョは跪く。
コホン、ともっともらしく咳払いをして、アウグストもまた恭しく膝をついた。
内心はともかくとして、こうした形式が必要であることはアウグストにもわかっていた。
「マルベリー存亡の危機にご心痛を賜り、危険を顧みずお出ましをいただきました。トリストヴィー王国王位継承者、アントリム辺境伯バルド様でございます」
短艇を降りたバルドは機嫌よく観衆に手を振りながら、にこやかにピアージョへ声をかける。
「長き公国の暴虐によくぞ耐えた。もはやマルベリーに憂いなきものと安堵せよ」
「ははっ!」
もちろんこれを苦々しい思いで見守る者もいる。
マルベリーは長く自治を守り通してきた都市。今さらぽっと出のバルドに膝を屈するなど、冗談ではないというのが本音である。
「王国復興の暁には元老会を公爵待遇で迎える。そなたらの忠誠に報い、決して粗略には扱わぬ」
「ありがたき幸せ」
すでにアウグストを仲介にして落とし所を打ち合わせていたとはいえ、この会話に観衆の熱気は最高潮となった。
完全な自治ではないが、公爵待遇の領地ということは、ほぼ自治を認められたも同然である。
処刑された最後の国王ウンベルト一世は、平民を保護しすぎたために、貴族に反逆されたのだ。
平民の権利が保護され、経済が右肩上がりで成長していた当時を記憶している者は、バルドの言葉にマルベリーの復興を確信した。
「うおおおおおおおっ!」
彼らのなかにはバルドの存在を胡散臭く思っていた者もいる。他の貴族と同様、ただ搾取されるだけに終わるのではないかと懸念する者もいた。
だが、ウンベルトのようにともに繁栄の道を歩める主君がいるなら、それに越したことはないのである。
「王国万歳!」
「バルド陛下万歳!」
「アントリム辺境伯に栄光あれ!」
止まることを知らない歓呼の波は、マルベリーを興奮のるつぼへと叩きこんだ。
もはやバルドがトリストヴィーを統べることに疑問を抱く者はいないかに思われた。
「いささかあざといですが、効果はあったようですな」
「……正直ここまで歓迎されるとは思わなかったよ」
元老院の広間に通されたバルドとピアージョは、顔を見合わせて苦笑した。
二人の会話の半ば以上は演技だったが、バルドをトリストヴィー国王として推戴することは事実。
そしてバルドは自らにその価値があることを、これ以上ない形で証明してみせたのである。
海運ギルドとバルドは互いをチップとした賭けに勝った。
「改めて名乗りましょう。其、ピアージョ・デルベッキオと申す者。海運ギルドで元老院議長を務めさせていただいております」
「海運ギルド艦隊司令官、バルバリーノ・ザナリデッリでございます。お見知りおきを」
「海運ギルド法務官、ピエトロ・ミラーノでございます。非才の身ながらこの身命を賭して殿下に忠誠を」
「殿下?」
「トリストヴィー王国の王室典範に則るならば、アントリム辺境伯は立太子こそされておりませんが第一位の王位継承者。バルド王子殿下とお呼びするべきかと」
法務官らしくピエトロが胸を張るが、バルドは曖昧に微笑むにとどめた。
気の早いことだとも思うし、それが当たり前の感覚なのかもしれないとも思う。
いずれにしろ気恥ずかしいのに変わりはなかった。
「海運ギルド財務官、マリオ・アンデレオッティでございます。いずれお時間をいただき今後の戦費についてご相談を」
「――お手柔らかに」
「いま一人の元老、ランベルド・コロンボーは艦隊を率いて外洋におりましてな。最後はご存じのとおり――」
「ベネート・ガリバルディが一子、アウグスト・ガリバルディでございます。父に成り代わりバルド殿下の御為に汗を――あいたっ!」
気取った態度で、大仰に両手を広げたアウグストの後頭部にジーナの拳が炸裂した。
「何するんですか!」
「悪いね。ちょいと嫌な奴を思い出しただけさ。文句があるなら親父に言うんだね」
若いころのベネート――つまりヴァレリーは、ちょうど今のアウグストのようなお調子者だった。
まだトリストヴィーが未来への活力に満ちていたころ、ヴィクトールとともに夢を語り合っていたヴァレリーは、まさにアウグストのような青年であったのだ。
その事実がジーナにはつらい。
(よく考えたら女癖が悪いのも父親にそっくりだよ!)
「……ひどい、瘤になりましたよ! まあ、そんなわけでよろしくお願いいたします」
悪びれないアウグストに呆れた視線を送り、ピアージョは挨拶を締めくくる。
「我ら元老一同、バルド殿下の即位のため全力を尽くすことをお誓い申し上げます。なにとぞこの海運ギルドの忠勤をお忘れなく」
「誓って魂に刻むとも」
互いに一定の信頼と合意が成立したことを確認して、ピアージョは莞爾と笑い、パンパンと手のひらを打ち鳴らした。
「では、大陸貿易の要たるマルベリーの贅を尽くして歓迎の宴と参りましょうぞ! 殿下もお目にしたことのない珍味を取りそろえさせていただきました」
「――珍味はありがたいが、このまま話を続けさせてもらうぞ? 酒はあとのお楽しみだ」
「はあ、ですがいったい何を?」
ピアージョは優れた男だが、本質的には文官であった。
提督でもあるバルバリーノだけが、かろうじてバルドが何を言わんとしているのかを察した。
「――無論、軍議を」
「我が海軍は何をしておったのだっ!」
突如マルベリーから湧きあがった大歓声を不審に思った公国の大将軍チェーザレ。調べさせた結果は最悪に近かった。
海軍の切り札であったギガンテがギルド側に拿捕され、さらに有力な内通者であったガストーネが処刑されてしまったという。しかもそれを実行したのは、トリストヴィーの王位を狙う、あの獣くさいアントリム辺境伯だった。
つまりマルベリーは内通者をあぶり出して結束を固めたばかりか、援軍まで迎え入れてしまったのだ。
チェーザレが描いていた戦略はそのほとんどが崩壊したと言ってよい。
「こんな馬鹿な話があるか! つい先刻まですべては順調であったではないか!」
ギガンテさえ援軍を阻止してくれれば、マルベリーの商人たちを糾合してガストーネが元老院の主導権を握るはずであった。
そうなればマルベリーが無血開城するのはそう遠い話ではなかった。
何かとうるさい老将オルテンにぐうの音も言わさぬ功績を挙げ、公国軍からオルテンの影響を取り除く予定であったのに。
もちろん、何もかもが想定どおりにいく策などない。
だからこそ優れた策士は、ひとつの策が破れた場合に対応する策を四つ以上用意しているという。
だがチェーザレはすべてをたったひとつの策に委ねきっていた。
ゆえにリカバーするための方策を何も思いつけず、ただ鬱憤と失望を垂れ流すことしかできなかった。
ことここに及んでは、正面からマルベリーに総力戦を仕掛けるしかない。
果たしてバルドの援軍を得たことで、どこまでマルベリーの士気と防御力が上がっているか、チェーザレには想像もつかなかった。
「援軍はたかが四百……たかが四百だ。今は少しばかり調子に乗っているにすぎん」
大軍でもって損害を顧みず攻めれば、いかに難攻不落のマルベリーでも落ちるはず。
ただの願望であることも気づかず、チェーザレは頑なにそう信じた。
否、信じるよりほかに道がなかった。
「考えていた中でも最悪の展開です」
「今さら言っても詮無いことだが、せめて内通者と協力し合えるうちに攻撃したかったな」
本陣からは遠く離れた後衛で、オルテンは一人の男と話していた。
「あの馬鹿はどうしている?」
「我らが司令官殿は絶賛現実逃避中ですよ。いつ脳内がお花畑になってもおかしくありません」
「何の工夫もなく総力戦をやらかすほどに?」
「それ以外の選択肢を考えられたら少しは見直しますがね」
三十代ほどの若白髪の男はシルヴァ・ベルルスコーニ。チェーザレの参謀を務める男である。
もっともその意見具申は一度たりとも聞き入れられることはなかったのだが。
「閣下を囮に、ということはありませんか?」
チェーザレの得意な戦術は、被害担当の生け贄を差し出して自分が漁夫の利を得ることだ。
だが同時に彼は小心な男でもある。
「まかり間違っても、私が功績を挙げるかもしれない、という状況にはすまいな」
一軍をオルテンが率いるなら今からでも戦いようはあるが、チェーザレがそれを決断するとは思えなかった。
「この遠征軍が潰滅したら公国はもう終わりですよ。負けるにせよ、アンサラー王国から支援を受けるにせよ」
自衛する能力を失った国が自立を保つことはできない。
バルドのトリストヴィー王国か、あるいはアンサラー王国か、いずれにしろ公国は食い物にされこの地上から姿を消すだろう。
たとえどんな手段を使っても、この遠征軍の半ば以上を無事に連れ帰らなくてはならなかった。
そのためになら、オルテンはどんな汚名を被ることになろうとも悔いはない。
「消えてもらうしかあるまい。奴さえ死んでしまえば、軍内序列では私が最上位なのは間違いないのだから」
問題はいかに確実に、真実を隠蔽するかということであった。
「拙速ではございませんか?」
いきなり打って出ると主張したバルドに対し、ピアージョが開口一番そう答えたのも無理はない。
確かにバルドの到着とギガンテの鹵獲で、マルベリーが勢いづいていることは間違いないだろう。
しかし公国軍との兵力差は、いまだ圧倒的不利なままであった。
万が一、出撃して敗北するようなことがあれば、せっかく盛り上がった空気はたちまち雲散霧消する。そうなれば、再び海運ギルドに内紛を呼び込むことにもなりかねなかった。
まずは確実に守りを固める。そして海上交通路を奪還し、新たな物資と援軍を得てから反撃すればよい。
そうピアージョが考えたのは、兵学上の当然であった。
バルバリーノ提督もピアージョと同じ思いである。
「我がギルド艦隊といたしましては、奪ったギガンテのお力をお借りして、早急にフェデリーゴの公国艦隊を撃破したいのですが」
「無論、ギガンテは引き渡す。好きに使ってもらって構わない。運用の人員は海運ギルドにお任せする」
「――よろしいので?」
「僕が持っていたところで宝の持ち腐れさ」
バルドが引き連れてきた四百の兵力は、そのすべてが陸兵である。
ここまでギガンテを操縦していたのはウラカ率いるマジョルカ王国海軍だが、彼らには自分たちの船があり、ギガンテをいつまでも担うことはできないのだ。
どちらにせよ、海運ギルドがバルドに臣下の礼を取るのならば、彼らに任せるのが現実的な判断だった。
「こちらのギガンテで敵のギガンテを抑え込めば、あとは単純に船員の腕が物を言う。これからは私がいる分、こっちのほうが上だ!」
ウラカが力強く言いきった。
「ありがたい。『漆黒の暴風』の協力を得られるなら、これほど心強いことはない」
かつてライバル関係にあっただけに、バルバリーノはマジョルカ王国海軍を高く評価していた。そして、優勢な公国艦隊を壊滅させたウラカの手腕も。
ウラカが公国艦隊を叩いてくれたおかげで、海運ギルドは労せずして南洋の制海権を手に入れることができたのである。
そうした意味で、ウラカはギルドの恩人ですらあった。
「海上交通路が健在である限り、このマルベリーは落ちませぬ。ましてアントリムよりさらなる援軍が控えているとなればなおのこと」
ここで無謀な賭けにでるべきではない。
ピアージョの言葉に頷きながら、バルドは薄く嗤った。
「マルベリーの防衛だけを考えるならそうだろう。だが、僕はマルベリーの防衛のためだけに来たわけではない」
「それは……」
そのときになって、元老たちは自らの都合でしか戦況を考えていなかったことにようやく気づいた。
バルドの臣下としてあるまじき失態である。だが、それでもなお今バルドが攻勢に出るのはリスクが高すぎた。
「殿下のおっしゃるとおり、守るだけでは王国再興は叶いますまい。ですが時は我らの味方でございますぞ!」
長期戦になれば、公国にとって大軍が逆に仇となる。
大軍を維持しようとすれば兵站に負担がかかり、大軍であればあるほど、補給の不足による士気の低下は早い。
それを待ってから反撃しても遅くないと、ピアージョは言っているのだ。
「ピアージョの意見はもっともだ。だが僕には、今戦わねばならない理由が三つある」
そういってバルドは指を三本立てて見せた。
「まずひとつめ、公国軍はこちらから攻めてくるとは考えてもいない。いつの世も精神的な準備ができていない軍は脆い」
とはいえ、その理由だけで五倍近い戦力差を覆すには無理がある。
頷きながらも、ピアージョたちは納得がいかない様子を隠さなかった。
「そしてもうひとつ、残念なことに僕をトリストヴィーの王位継承者として支持する勢力は小さい。これは僕が獣人の血を引いているせいでもあるんだが……」
海運ギルドがバルドに臣従したのは、トリストヴィー国内でも特殊な事情による。
彼らは多国間貿易をするうえで人種的偏見の少ない気風があり、さらにバルドが発明した数々の画期的な商品を高く評価していた。
それにサバラン商会やダウディング商会との関係を調査したかぎり、バルドは商人にとって理想的な君主である。
信頼を裏切らず、一方的に搾取しようとしないウィンウィンの関係を築ける君主は、それだけで十分稀少なのだ。
また、かつてウンベルト一世に保護されたマルベリーには、公国より王国を懐かしむ人間が多かった。
もちろん、アンサラー王国の支援を受けた公国からマルベリーを防衛するためには、もはや海運ギルドだけの力では困難であるという現実的な事情もある。
海運ギルド以外のトリストヴィー人民の間では、バルドという存在はまだ無名であり、または冷ややかな目で見られていた。
「大軍を揃え、補給を整え、敵の失策を待つ戦い方もあるだろう。しかし時間の経過は決してこちらだけを利するものではない。アンサラー王国の出方が未知数だからね」
バルドが海運ギルドに加担するように、アンサラー王国が本格的に公国に肩入れすれば、戦力差はさらに広がることになる。
こちらが劣勢に追い込まれることは明らかだった。
「だからこそ誰の目にも明確な形で、僕自身が寡兵で勝つ必要がある。アンサラー王国が介入を躊躇するほどに。そして国民が内戦の終結に希望を持てるように。公国に不満を持つ貴族に楔を打ち込むために」
海での戦いはともかく、陸において海運ギルドは常に守勢に立ち続けていた。
だから一般国民は海運ギルドがトリストヴィーを統一するなどとは考えてもいない。所詮マルベリーを中心とした自治を維持するのがせいぜいだろうと思っている。
その考えは決して間違いというわけではなかった。
事実ピアージョをはじめとする元老たちは、現状維持が優先であると考えていた。
そんな状況では援軍を得て互角に近い戦力を整えたとしても、国民が内戦の終了を期待するのは不可能であろう。
客観的に見て、わずか四百ほどの兵力しかないバルドは、どう見ても海運ギルドが担ぎ上げた神輿にすぎない。
海運ギルドが諸外国の支援を得るための、大義名分の手段というのが一般的な世間の評価であった。
そうではなく、バルドが海運ギルドを支配下においた。
その事実を知らしめるうえで、バルドが直接軍を指揮して勝利するほど効果的なものはない。
「そして最後の理由だけど、ごくごく簡単な話なんだよね」
バルドはピアージョたちを眺め回して不敵に笑った。
「――戦えば簡単に勝てる。初見で『王門』持ちを防げる軍なんて、この地上にはいないよ」
王門の説明にはさすがに時間を要した。
獣王以来、伝説として獣神殿にのみ伝えられてきた能力である。
実際にはエウロパ教団もその能力を把握していたが、海運ギルドの元老といえども知らぬのはむしろ当然のことであった。
「承服いたしかねますぞ! ご自重ください」
それでも真っ向から否定の言葉を発したのはバルバリーノ提督である。
七元老のなかでもっとも軍人気質である彼は、バルドが少数で出撃することのリスクを極めて重く見ていた。
万が一バルドにもしものことがあれば、海運ギルドの命運も窮まる。
そんな無謀な賭けを看過することは断じてできなかった。
「口で言っても納得はできないか。少し腕の立つ人間を揃えられるかな?」
苦笑しながら言うバルドに、バルバリーノが訝しげに答える。
「すぐさま公国の攻撃が始まるとも思えませんし、多少の時間ならば。それでいかがなさるおつもりですか?」
「言葉で納得できないなら、その目で確かめてもらおうと思ってね」
海軍ギルドからの使い番が、マルベリーの陸戦指揮官であるジュスティニアーニのもとへやって来たのはそれからすぐのことであった。
「――手合わせだと? せっかく盛り上がったところを盛り下げる真似は避けたいんだがな」
そう言ってジュスティニアーニは不愉快そうに顔を歪めた。
彼は自分の戦歴と能力に自信を持っており、引き立て役に甘んじる気はさらさらなかったからだ。
「手加減の必要はありません。できることなら叩き潰して欲しいと」
「ああっ? できるに決まってんだろが!」
アントリム辺境伯がどれほどの腕か知らないが、ジュスティニアーニにはこのマルベリーを守ってきたという自負がある。
俗に攻者三倍というが、自分あるかぎり、たとえ十倍の相手に攻められても守りきれる。
決して安くはないサラリーをもらっているのは、それに劣らぬ実力を有する自信があればこそなのだ。
「おい副官、しばらく指揮を任せる。俺はお坊っちゃんのお守にいかなきゃならんらしい」
王国の再興も結構だが、戦争が餓鬼の思うとおりになると思ったら大間違いだ。
若い君主の冒険的な作戦で命を失ってきた傭兵の数は計り知れない。
せっかく自分が守備しているマルベリーをバルドにひっかき回されてなるものか、とジュスティニアーニは静かに決意していた。
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