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第一章 未知との遭遇
⑩村の異変
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「いらっしゃいませー!」
開店から15分後、まず一番乗りは、浅川小学校の校長をしている三島先生だ。
麓にある浅川小学校に隣町から通う三島先生は、通勤途中に寄ることが多い。
私とはまだ父が健在だった時、よく店で顔を合わせていた。
「おはよう。サユリさん」
「はい、おはようございます。先生」
ロマンスグレーの髪、どこかエキゾチックな瞳の色。
年齢を感じさせない若々しい雰囲気は、最初に会った頃と全く変わらない。
三島先生は上品なシャツに紺の薄手のカーディガン、といういつものスタイルで入り口近くの席に座る。
そして、モーニングを食べてから出勤するのだ。
「モーニングでいいですね?」
「ああ。頼むよ」
爽やかな笑顔で頷く三島先生を見ていると、何故か心がとても落ち着く。
癒される、というのが一番当てはまるだろうか。
彼の周りはとても空気が綺麗に感じるのだ。
教育者の人徳?かどうかは知らないけど、小学校の生徒にも保護者にも絶大な人気がある、というのを噂でも聞いていた。
おっと、和んでいる場合ではない。
気を取り直して、厨房へと戻る私の耳に、また入り口の開く音が聞こえた。
「あ、いらっしゃいませー!」
「おう!」
と、軽く片手を上げて入ってきたのは役場に勤める加藤さん。
浅川村の広報課にいて、村起こし事業の責任者でもある。
でも残念ながら村起こしの成果はなく、浅川村の人口は未だ右肩下がりだ。
彼はまだ眠そうな目を擦り、カウンターのど真ん中に座った。
「モーニングね」
「はーい」
一人分のモーニングから、二人分へ。
私は厚切りパンをもう一枚、トースターに放り込んだ。
白いプレートにフリルレタスとサニーレタスを混ぜて盛り、プチトマトを一つ飾る。
脇に一之丞が茹でた卵を乗せたら、次はコーヒーの準備だ。
既に温まっているフラスコを火にかけ、その間に20グラム豆を挽く。
濾過器を取り付けたロートに挽いた豆を入れ、フラスコに差し込むと、程なくお湯がロートへと移動し、生き物のように盛り上がった。
お湯が全てロートに上がりきるのを見て、木ベラでゆっくり撹拌し砂時計で時間を計る。
手慣れているように見えるけど、これは何回も失敗を繰り返しての結果だ。
最初は、順番を忘れたり時間を計り間違えたりと失敗ばかりだった。
そんな私を、父はただの一度も怒らず、笑って見ていたのを鮮明に覚えている。
ここでコーヒーを淹れていると、すぐ後ろに父がいるようで、私はとても暖かい気持ちになるのだ。
「お待たせしました。先生、どうぞ」
白いトレイにコーヒーとモーニングセットを載せ、三島先生に運んだ。
読んでいた本から視線を外し、先生はありがとうと微笑む。
そして私は、急いで踵を返した。
時間差で放り込んだ厚切りパンが焦げてしまうからだ。
慌ててトースターから取り出し、たっぷりめにマーガリンを塗ると、同じく白いプレートに載せて、カウンターの加藤さんに出した。
「はい。加藤さん」
「あ、さんきゅ!」
短く言うと、加藤さんはすぐパンにかぶりついた。
「そういや、知ってる?」
パンにかぶりついたまま、加藤さんが言った。
「え?何をですか?」
「村でね?最近地上げ業者がうろついてるらしいんだ」
「地上げ業者??なんでまた?」
「それがねぇ……ここだけの話なんだけど……」
ここだけの話を一体どれだけの場所で言ってるのかな?なんて揶揄りながら私は声を潜める加藤さんの話に耳を傾けた。
「松岡市に東神化学工業って会社あるだろ?」
「ええ。有名な会社ですよね?この辺りじゃ一番大きい企業じゃないですか?あまりいい噂は聞きませんけどね」
工場が垂れ流す有害物質が基準値を超えるとかで、地元の環境団体から訴えられたりしていると、新聞で見た気がする。
「そうなんだよ……その東神がさ、浅川村に工場を作る計画を進めてるんだよ」
「は?……え、なんでそんなことに?」
「さぁ、適当な過疎地を探してたんじゃないかな……田舎だからって酷いよな?」
加藤さんはそう言いながら悔しそうにゆで卵を割っている。
「役場の方に、東神が何か言ってきたんですか?」
「いや、つい最近まで俺たちも知らなかったんだよ。水ノ上の……ほら、キウィ育ててる成岡さん?そこが文句を言ってきてわかったんだ」
成岡さんの所と民さんの所は近所だ。
もしかしたら、民さんの所にも地上げ業者が来たんじゃないのかな?
私は心配になって聞いてみた。
「成岡さんの所に来たと言うことは、他の家にも来てるんじゃないですか?」
「うん。そうらしい。かなり強引なようだ。だから皆に注意を促してるんだよ。ここは少し離れてるけど、サユリちゃんも気をつけて」
あー、ほら、やっぱり!
民さん、昨日言ってくれたら良かったのに!
心配かけないように黙っていたんだろうけど、私だって村の人間なんだから!
「……はい。わかりました。気を付けますね」
殊勝に頷いておくと、加藤さんは満足してコーヒーを飲み干した。
でも、東神なんて大企業がゴリ押ししてくれば、浅川村なんてちいさな村、丸め込まれてしまいそうで怖い。
中にはお金を貰って立ち退いた方がいいと思う人だっているだろう。
お年寄りが多いから、騙されてしまう人だっているかもしれないし。
何にせよ、さっさと諦めて立ち去ってくれればいいのに、と私は心の中で思っていた。
開店から15分後、まず一番乗りは、浅川小学校の校長をしている三島先生だ。
麓にある浅川小学校に隣町から通う三島先生は、通勤途中に寄ることが多い。
私とはまだ父が健在だった時、よく店で顔を合わせていた。
「おはよう。サユリさん」
「はい、おはようございます。先生」
ロマンスグレーの髪、どこかエキゾチックな瞳の色。
年齢を感じさせない若々しい雰囲気は、最初に会った頃と全く変わらない。
三島先生は上品なシャツに紺の薄手のカーディガン、といういつものスタイルで入り口近くの席に座る。
そして、モーニングを食べてから出勤するのだ。
「モーニングでいいですね?」
「ああ。頼むよ」
爽やかな笑顔で頷く三島先生を見ていると、何故か心がとても落ち着く。
癒される、というのが一番当てはまるだろうか。
彼の周りはとても空気が綺麗に感じるのだ。
教育者の人徳?かどうかは知らないけど、小学校の生徒にも保護者にも絶大な人気がある、というのを噂でも聞いていた。
おっと、和んでいる場合ではない。
気を取り直して、厨房へと戻る私の耳に、また入り口の開く音が聞こえた。
「あ、いらっしゃいませー!」
「おう!」
と、軽く片手を上げて入ってきたのは役場に勤める加藤さん。
浅川村の広報課にいて、村起こし事業の責任者でもある。
でも残念ながら村起こしの成果はなく、浅川村の人口は未だ右肩下がりだ。
彼はまだ眠そうな目を擦り、カウンターのど真ん中に座った。
「モーニングね」
「はーい」
一人分のモーニングから、二人分へ。
私は厚切りパンをもう一枚、トースターに放り込んだ。
白いプレートにフリルレタスとサニーレタスを混ぜて盛り、プチトマトを一つ飾る。
脇に一之丞が茹でた卵を乗せたら、次はコーヒーの準備だ。
既に温まっているフラスコを火にかけ、その間に20グラム豆を挽く。
濾過器を取り付けたロートに挽いた豆を入れ、フラスコに差し込むと、程なくお湯がロートへと移動し、生き物のように盛り上がった。
お湯が全てロートに上がりきるのを見て、木ベラでゆっくり撹拌し砂時計で時間を計る。
手慣れているように見えるけど、これは何回も失敗を繰り返しての結果だ。
最初は、順番を忘れたり時間を計り間違えたりと失敗ばかりだった。
そんな私を、父はただの一度も怒らず、笑って見ていたのを鮮明に覚えている。
ここでコーヒーを淹れていると、すぐ後ろに父がいるようで、私はとても暖かい気持ちになるのだ。
「お待たせしました。先生、どうぞ」
白いトレイにコーヒーとモーニングセットを載せ、三島先生に運んだ。
読んでいた本から視線を外し、先生はありがとうと微笑む。
そして私は、急いで踵を返した。
時間差で放り込んだ厚切りパンが焦げてしまうからだ。
慌ててトースターから取り出し、たっぷりめにマーガリンを塗ると、同じく白いプレートに載せて、カウンターの加藤さんに出した。
「はい。加藤さん」
「あ、さんきゅ!」
短く言うと、加藤さんはすぐパンにかぶりついた。
「そういや、知ってる?」
パンにかぶりついたまま、加藤さんが言った。
「え?何をですか?」
「村でね?最近地上げ業者がうろついてるらしいんだ」
「地上げ業者??なんでまた?」
「それがねぇ……ここだけの話なんだけど……」
ここだけの話を一体どれだけの場所で言ってるのかな?なんて揶揄りながら私は声を潜める加藤さんの話に耳を傾けた。
「松岡市に東神化学工業って会社あるだろ?」
「ええ。有名な会社ですよね?この辺りじゃ一番大きい企業じゃないですか?あまりいい噂は聞きませんけどね」
工場が垂れ流す有害物質が基準値を超えるとかで、地元の環境団体から訴えられたりしていると、新聞で見た気がする。
「そうなんだよ……その東神がさ、浅川村に工場を作る計画を進めてるんだよ」
「は?……え、なんでそんなことに?」
「さぁ、適当な過疎地を探してたんじゃないかな……田舎だからって酷いよな?」
加藤さんはそう言いながら悔しそうにゆで卵を割っている。
「役場の方に、東神が何か言ってきたんですか?」
「いや、つい最近まで俺たちも知らなかったんだよ。水ノ上の……ほら、キウィ育ててる成岡さん?そこが文句を言ってきてわかったんだ」
成岡さんの所と民さんの所は近所だ。
もしかしたら、民さんの所にも地上げ業者が来たんじゃないのかな?
私は心配になって聞いてみた。
「成岡さんの所に来たと言うことは、他の家にも来てるんじゃないですか?」
「うん。そうらしい。かなり強引なようだ。だから皆に注意を促してるんだよ。ここは少し離れてるけど、サユリちゃんも気をつけて」
あー、ほら、やっぱり!
民さん、昨日言ってくれたら良かったのに!
心配かけないように黙っていたんだろうけど、私だって村の人間なんだから!
「……はい。わかりました。気を付けますね」
殊勝に頷いておくと、加藤さんは満足してコーヒーを飲み干した。
でも、東神なんて大企業がゴリ押ししてくれば、浅川村なんてちいさな村、丸め込まれてしまいそうで怖い。
中にはお金を貰って立ち退いた方がいいと思う人だっているだろう。
お年寄りが多いから、騙されてしまう人だっているかもしれないし。
何にせよ、さっさと諦めて立ち去ってくれればいいのに、と私は心の中で思っていた。
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