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チャプター20:「激突」
20-2:「Monster VS Monster」
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警備隊本部である古城の中心部に隣接する一棟。
その内部を通る廊下を、少し急いた様子で駆ける一人の女――いや少女警備兵の姿がある。
ポプラノステクの副官で、町長の娘でもあるヒュリリであった。
彼女はポプラノステクより指示された、各隊各所への伝令を終え、今は急ぎ指揮所に戻る所であった。
「――そうよ。協力的では無いわ――」
しかしそんな彼女の耳が、ふと、自分以外の何者かの声を聞き留めた。
「――ん?」
聞こえたそれに、彼女は足を止め振り返る。
声の聞こえた元は、今しがた通り過ぎかけた、廊下に設けられた扉の一つ。
そこは資材庫であり、普段出入りの無いその一室から声が聞こえた事を、ヒュリリは気がかりに思った。
彼女は引き返して扉の前に立ち、ノブに手をかけて扉をそっと開き、内部を覗く。
そこ彼女の瞳は、その向こうに広がる薄暗い資材庫の内部の窓際に、佇む一人分の人影を見止めた。
「あれって――」
薄暗い資材庫の中でも分かる、露出の多い扇情的な格好。後頭部で結った長い金髪に、尖った耳。
人影は、エルフの女――マイリセリアであった。
「やっぱりエルフの……困るな。ここも一応、無闇に立ち入って欲しい所じゃないんだけど……」
彼女を野放しにしていた自分達にも非が無いではないが、一応自分達が警備隊である以上、その関係施設に部外者が許可なく立ち入っている事は、あまり好ましい事では無かった。
正直あまり関わり合いになりたくない相手ではあったが、その事を注意しようと、ヒュリリは扉の向こうの彼女に声を掛けようとする。
「この町は、魔王様の――魔王軍の友人たる存在には、値しないわ」
しかし、扉の向こうから聞こえたマイリセリアの一言が、彼女の行動を止めた。
(――え?)
とっさに自身の行動を止め、そして反射的に身を引き隠すヒュリリ。
(い、今の――)
聞こえ来たその言葉が、すぐには噛み砕けなくとも、しかし不穏な内容である事を直感で感じたからだ。
ヒュリリは息を潜め、扉の隙間から、先に見えるエルフの女の観察を続ける。
「この町の町長も、警備隊も、町の存続のために国の方針に従っているようだけれど――内心では、魔王軍への参加に肯定的ではないようね」
資材庫である一室の窓際で、エルフの女――マイリセリアは言葉を並べている。他には誰もおらず、一見彼女の独り言のようにも見えるが、そうではなかった。
彼女の片手には、何か結晶の埋め込まれたペンダントが持たれている。これは魔法道具の一つだ。
そしてこの魔法道具により今行われているのは、〝遠方伝音魔法〟という魔法術であった。
言葉から察せるだろうか。これは遠方に位置する者との伝音、伝声によるやり取りを可能とする術だ。発動使用にはこの魔法道具があれば良いという物ではなく、使用者に少なくない魔力の所有及び消費を要求し、そして事前に複雑な発動詠唱を要する、高位の魔法であった。
この魔法により、マイリセリアは遠方の相手と、会話を行っていたのだ。
《――成程。それは後の火種となりそうですね》
ペンダントの結晶がぼんやりと光、そこを発生源として、微かに効果の掛かったような音声が響き聞こえる。これが、遠方の相手の声だ。
《それに、その正体不明の侵入者というのも、気がかりですね》
そして続け聞こえた声。それに、マイリセリアは顔を微かに険しくする。
「えぇ――どうにも勇者の娘達を拾いに来たようだし、敵である事には間違いない。そうでなくても――あの子達を手に掛けたんだもの、生かして置く気はないわ」
そして冷たく言うマイリセリア。
「そういうわけよ。ヤツ等と、そしてこの町も、〝掃除〟しちゃっていいのよね?」
そして次に、彼女はそんな言葉をペンダントに向けて放った。その顔は、微かに笑っていた。
《構いません。これ以降は、動きが大々的な物となって行きます。それに伴い、中央府の動きに賛同しない者達も、少なからず出て来るでしょう。その際の、〝みせしめ〟も必要となります》
ペンダントからは、冷静な声色でそんな言葉が返される。
《それを実行するのに、あなた方で戦力は足りるのですか?》
「見くびらないで。こんな町、〝私達〟だけでも過大過ぎるくらいだわ」
《では良いのですが――くれぐれも、失態など無きよう願います》
「言うわね、分かってるわよ。じゃあね――獣耳のレディシオちゃん」
マイリセリアは交わされた会話の締めくくりに、何か揶揄うような一言を発する。
そしてそれを最後に会話は終わり、マイリセリアの持っていたペンダントの結晶は、その明かりを消失させる。魔法の発動が終了した証であった。
「――さて」
遠方伝音魔法によるやり取りを終えたマイリセリアは、持っていたペンダントを放して首から下げ、一言呟く。
「どうするのかしら?お嬢ちゃん?」
そして身を翻し、その先に居る人物に、妖しい声色で問いかけた。
「――!?」
それは他でも無いヒュリリだ。
マイリセリアは、扉の向こうより自身の様子を伺うヒュリリの存在に、最初から気付いていたのだ。
「ぁ――ッ!」
一瞬の動揺をその顔に見せたヒュリリは、しかし直後に、飛ぶように身を翻してその場より駆け出した。
「ふふふ」
そんなヒュリリの姿に、マイリセリアは微笑を零す。そしてまるで、これから狩りでも楽しまんとする優雅な様子で、歩み出した。
「侵入者の隊列、間もなく本部に到達します」
「本部守備隊、1隊、4隊。及び西南西区域隊、6隊、7隊。配置に着いています」
警備隊本部の指揮所。
ポプラノステクに代わって指揮を引き継いだ町長ルデラの元に、各警備兵より報告が上がっている。
「了解――いよいよ、おいでなすったか」
いよいよ自分達の拠点に迫った、侵入者の本隊と思しき隊列。
おそらくこの本部古城での攻防は、これまでで最も苛烈な戦いになるであろう。それを予感し、覚悟と緊迫の様子でルデラは声を零す。
ダン――と、指揮所内に何かぶつかるような音が木霊したのは、その時であった。
音の発生源は、指揮所の出入り口。
ルデラと、警備兵達がそちらへ視線を向ければ、そこにある開け放たれた扉に身をぶつけたと思しき、一人の警備兵の姿があった。
「ヒュリリ?どうした」
それが自分の娘であるヒュリリである事にすぐに気づき、ルデラは声を零す。
「と、父さま――」
一方のヒュリリは、何か焦った様子で声を零しながら、指揮所内の警備兵達を掻き分け抜け、ルデラの元へと駆け寄って来る。
「た、大変――エルフは……魔王は……この町を……!」
そしてヒュリリは、父ルデラの身にすり寄りその服を掴み、荒い呼吸で何かを訴え始めた。
「落ち着け、呼吸しろ」
そんな娘ヒュリリに、ルデラは努めて冷静な口調で投げかけ促す。
「はっ……はっ……父さま……エルフのあの人は……この町を始末するつもりです――!」
ヒュリリは父の促し通りに呼吸し、その息を整える。そして申し訳程度にだが落ち着いたその身体で、父の顔を見上げて訴え上げた。
――ヒュリリは早口で、今しがた見聞きした一連の物事を、ルデラや周りの警備兵達に説明した。
エルフのマイリセリアが、自分達を不穏分子と判断した事。
そして方法は不明だが、この町をみせしめとして始末しようとしている事を。
「ッ――お見通しってわけか」
娘からのそれ等の説明を聞いたルデラは、しかし驚きの色は薄く、苦い顔色を作ってそんな言葉を発した。
周囲の警備兵達も、多少の違いはあれどそれは同様であった。
国の中央府の、魔王軍側に加担しようとする動きに、町は表面上追従していたが、その奥底では肯定的でない事。それを国や魔王軍側がそれを不穏の火種と判断する事。
それ等は思い当たり、そして起こり得る可能性であったから。
「やはり……今回の選択は、間違いだったのでしょうか」
ルデラの傍らにいた警備兵長が、ぽつりと発する。
「今までこの町は、ずっとこのやり方で生き残って来たが……俺の番で、とうとうしくじっちまったか……」
そして、ルデラは何か自嘲的に発する。
この凪美の町という町は、その歴史上、幾度も属する国家、勢力を変えて来た。
それは時に国同士の駆け引きにより領土が変わる事により、時には戦争により領土か変わる事によった。
その都度、この凪美の町は新勢力新体制に取り入り、勝利を勝ち取るであろう側に加担して来た。
――例え他所から冷たい目で見られ、罵倒されようとも。
――全ては町が存続するために。この町しか、居る場所の無い者達のために。
今回、魔王軍側に着く事を選択した中央府に追従し、その上での企みに手を貸したのも、町を生き残らせるためであった。
だが、今回ついにそれは破綻した。
不服を、不満を、取り入ろうとする先に気取られ、そして不穏分子との判断をなされた。
「もう止めにしていいんじゃないか」
そんな時、警備兵の中の誰かから声が上がった。
「……そうだな」
他の誰かから声が上がる。
それは、国の中央への追従を、魔王軍へ取り入る行為を、ここで止めようという言葉だった。
ここに居る者達は、いや町の住民達は皆、内心で思っていた。
決して綺麗な成り立ちの町では無いが、自分達の居場所であったこの町を、これ以上汚したくないと。
「――だが、ここまで多くの者が犠牲になった!それを……」
だがそこで、また別の誰かが声を上げる。これまでの犠牲の意味を、問い悔やむ声だ。
「けど、これ以上その犠牲を増やしたくはない」
しかし、別の誰かがそう答えた。
そして少しの間、指揮所内を沈黙が包む。
「――決まりのようだな」
それを破ったのは、ルデラだった。
ルデラは自分に寄り添っていたヒュリリをやんわりと退かせると、長机へ両腕をドンと着く。
「これより凪美の町は、中央府の方針より離脱――来ると思われる町への攻撃に、防衛行動を取る。まずは各隊の再集結、再編成だ」
そして発し上げられたルデラの言葉。
その言葉に、指揮所内の警備兵達は沸き立ち、そして一斉に動き始めた。
「ラフタ警備兵長。確か侵入したお客さん達は、勇者のお姉ちゃん達の引き渡しを要求して来たと言ったな?」
ルデラの尋ねる言葉に、傍らに立つ警備兵長は、コクリと頷き肯定する。
「まずお客さん達に、伝音魔法で戦いの停止の要求を呼びかけろ。その勇者のお姉ちゃん達を引き渡せば、引き上げてくれるかもしれない」
「うまくいくでしょうか?」
ルデラの案に、警備兵長は期待半分、疑念半分といった様子で返す。
「向こうさんは、住民に被害が出ないよう動いているって報告があったろう?どうにも、見た目や持つ力に反して、そこまで乱暴なヤツ等じゃないようだ。話を聞いてくれる可能性は、低くない」
「了解――ククエ、伝令を!」
警備兵長はルデラの考えを受け入れ、警備兵を伝令に向かわせる。
「ヒュリリ、お前にも向かってもらう。お前は、隊長のトコまで行け。勇者のお姉ちゃんや、侵入したっていうお客さんと、すでに事を構えてる頃だろう。それを止めるんだ」
そしてルデラの方は、傍らにいた娘ヒュリリに、伝令を命じる言葉を発した。
「は、はい!」
それにヒュリリも返答。
彼女は跳ねるようにその場で身を翻し、先に発った他の伝令同様、指揮所の扉より飛び出して行った。
「――よし。それと――」
娘が飛び出て行った姿を見送り、ルデラは他の者に続け指示の言葉を発そうとする。
「――あらあら、何か賑やかねぇ」
しかしルデラの声を遮るように、そんな声が指揮所内に響き渡った。
何か嘲笑うような色の含まれた一言。だがルデラは驚く色は見せず、変わらぬ表情で声の発生源へ視線を起こす。
先にヒュリリ達伝令が出て行った方向とは、また別方にある出入り口。
そこに佇む、マイリセリアの姿があった。
「てっきり、お通夜みたいな空気になってるものと思ったけど」
マイリセリアは指揮所内を見渡しながら、そんな一言を呟く。
対する警備兵達は、マイリセリアに向けて一斉に警戒の目を向ける。何名かは剣を抜いてその切っ先を向け、また何名かはルデラの周囲に集まり、彼の身を守る布陣を取る。
「エルフのお姉ちゃん。俺達この町は、国の企みから降りさせてもらう」
そしてルデラは毅然とした顔を作り、マイリセリアに向けて言い放った。
「――と、わざわざ言うまでもないか。すでにそっちから、切られちまったようだしな」
しかしすぐにその表情を皮肉気な笑みに変え、そう言葉を続ける。
「あらあら。ヤケになっちゃったのかしら?」
ルデラの言葉に、マイリセリアは微笑を浮かべてそんな言葉を発する。
「いや。むしろ、憑き物が落ちたような気分さ」
それに対して、ルデラはそんな言葉で返した。
「ふふ、そう。なら――」
ルデラの言葉を聞き、再び微笑を零すマイリセリア。
「――思い残す事はないわね――?」
直後、彼女はその口角を吊り上げ、氷の様な冷たい笑いで、一言を発した。
そしてその片腕を翳し振り上げ、自らの体の前に、風の刃を発現させる。
対する警備兵達は、各々の得物を一斉にマイリセリアへ向け構えを取る。
直後――指揮所内で戦いの音が響き上がった――
警備隊本部古城の南棟。
その内部を通る通路を、竹泉や多気投、そして水戸美等は駆けていた。竹泉が先頭を行き、ファニールとクラライナの身をそれぞれ小脇に抱える多気投が続き、一番後ろを子供達の手を引く水戸美が行く。
竹泉等は先程自由より受けた指示に従い、別ルートを取ってのこの警備隊本部からの脱出を試みている真っ最中であった。
「そこ、左に曲がるぞ!」
今進む通路の先に左右への分岐を見止め、後続の多気投等に向けて発し上げる竹泉。そして竹泉は分岐地点に踏み込み、今しがた自身が発した、左方向進路へ視線を向けた。
「ッ!」
しかしそこで、竹泉は一瞬目を見開き、そしてその顔を顰めた。視線の先――分岐を曲がった先に、〝障害〟を見たからだ。
先にあったのは、通路を塞ぐように立ち構える、オークのヴェイノの姿であった。地の利、施設の構造配置に長けるヴェイノは、先回りをして竹泉等の前に立ちはだかったのだ。
「止まりなさい!止まるんだ!」
ヴェイノは、竹泉等の姿を認識すると、オーク独特の声色で言葉を発し寄越して来た。
そして、盾を装着した左腕を突き出して構え、迎え撃つ態勢を取る様子を見せる。
「チッ!」
しかし竹泉はその言葉に従う事は無く、逆に、舌打ちを打つと同時に駆ける速度を上げた。
「ねーちゃんは隠れてろ!多気投――!」
そして同時に、後続の二人にそれぞれ声を飛ばす。
「ヘイヨォ!ねーちゃんズ、ちょいと悪いずぇ!」
竹泉の言葉に呼応した多気投は、それから小脇に抱えるファニール達に向けて言葉を発する。
「ぇ?――うぁ……!?」
「わ……!?」
二人が多気投の言葉の意図を理解する前に、二人は多気投の腕中より放り出された。放り出された二人は床を滑り転がり、それぞれ通路の両脇にぶつかって止まる。そして身軽になった多気投もまた、竹泉に続き床を踏み切り、その駆ける速度を上げた。
「ッ――止まれ!」
一方、ヴェイノは速度を上げた相手の姿に、顔を険しくしながらも再び警告の言葉を張り上げる。
しかし竹泉等が止まり速度を落す様子は無く、先陣を切る竹泉はヴェイノへと迫る。
(肉薄か――!)
相手の行動を攻撃と推察し、ヴェイノは構え迎える姿勢を取る。
駆ける竹泉の身体は、ヴェイノの目前まで迫る。しかし――
「――!?」
フッ――と、竹泉の姿がヴェイノの視界より消えたのは、その瞬間であった。
突然姿を消した相手に、目を見開くヴェイノ。しかしすぐに彼は、起こった事態に気付き、背後を振り返る。
――ヴェイノの背後に、スライディングの姿勢で床を滑る、竹泉の姿があった。
竹泉はヴェイノの直前まで迫った瞬間、その身を落すようにスライディングに入った。そしてヴェイノの足元脇を滑り抜け、立ちふさがるヴェイノの背後へと突破してみせたのだ。
自身の背後に抜けられた事に、その顔に苦い様子を浮かべるヴェイノ。しかし直後に彼は、前方から別の気配を、そして殺気を感じ取った。
「――ッ!」
そしてヴェイノが視線を戻せば、彼の目の前に、巨体であるはずの彼をしかしさらに超える、巨大な存在の姿があった。
多気投だ。
多気投は、ヴェイノの注意が背後に抜けた竹泉に向いた隙に、ヴェイノの目の前に肉薄したのだ。そしてあまりにも太く巨大なその両腕の手は、合わせ握られ塊を形作っている。
「ヴォオオオゥッ!!」
瞬間、上がった暴声と共に、合わせられた両手はまるで巨大なハンマーのように、ヴェイノ目がけて振り下ろされた。
「ッ!?」
しかしヴェイノは寸での所で、オーク特有のその巨体を、しかし見た目に反した軽やかさで捻り、その襲い来た攻撃を回避。
標的を失った多気投の腕はそのまま空を切り、そしてその先にあった通路側面の壁へと激突した。
ドゴォ、と。凄まじい衝撃音が上がった。
壁を打った多気投の腕は、壁を損壊させ大穴を開け、そしてそこを中心にいくつもの亀裂を走らせた。
「ウォゥチッ!?」
攻撃の失敗に、多気投からそんな声が上がる。
一方、攻撃の回避に成功したヴェイノは、そこから反抗に転じた。
回避のために捻った身を、そのままくるりと回転させるヴェイノ。そして右の拳を握り、攻撃直後で隙のできた多気投目がけて、回転の勢いを利用して拳をおもいきり繰り出し振るった。
「ひょーーーーッ!?」
しかし、多気投もまたその攻撃を回避して見せた。
多気投もまた、その巨体に似合わぬ軽やかさで、攻撃直後の身を跳ねるように引いた。そして目と鼻の先を掠めて行ったヴェイノの拳に、驚きの、しかしどこか緊張感の無い声を上げる。
空を切ったヴェイノの拳もまた、壁に激突。そこに大きく凹ませ、いくつもの亀裂を走らせた。
「くッ――ッ!?」
攻撃が空振りに終わった事に、苦渋の声を零すヴェイノ。しかし瞬間、彼は背後より殺気を感じた。
「――ヅッ!?」
即座にヴェイノは、その背後に向けて、盾を装着した左腕を翳し構える。瞬間――破裂音のような物が響き聞こえると共に、盾越しのヴェイノの腕に、連続的な打つような衝撃が走り襲った。
殺気と音のした方向には、スライディングより反転し身を起こした低い姿勢で、小銃を構えた竹泉の姿があった。今しがたヴェイノを襲った衝撃は、竹泉の撃ち放った三点制限点射による物であった。
「チッ!」
ヴェイノの隙を狙った射撃が、しかし防がれたことに、竹泉は舌打ちを打つ。
そして直後に竹泉は、床を蹴って身を飛ばすように駆け出した。
その身体を勢いに乗せながら、小銃を降ろして、身体に下げていた84㎜無反動砲を両手で取る。撃つのではない。無反動砲を鈍器代わりに、ヴェイノの身を殴打する腹積もりだ。
そして竹泉は、小銃弾の盾への被弾で怯んだ、ヴェイノの目の前に肉薄。瞬間、84㎜無反動砲を、横殴りに繰り出した。
「ッ!」
しかしヴェイノは直前でそれに気づき、またも巨体に似合わぬ軽やかさを見せ、横へ滑るように身を反らし、竹泉の攻撃を回避した。
標的を失い鈍器代わりの無反動砲は空を切り、竹泉の身体は勢いの乗ったまま、ヴェイノの横をすり抜け背後へ飛んで行く。
「――多気投ェ!」
だが、竹泉の手はそれで終わりではなかった。
竹泉は多気投を呼び発し上げ、その勢いのまま駆ける。
「ヘイヨォッ!」
その先には、両手を合わせレシーブのような構えを取る多気投がいた。
竹泉は多気投の懐に踏み込むと、合わせられたその手に脚を掛ける。瞬間、多気投は思い切り両手を振り上げ、その上に乗っていた竹泉は、宙へ打ち上げられた。
宙へ、天井ギリギリの高さへと飛び出した竹泉は、その両足を畳んで猫のように宙空で、くるりと一回転。そして鈍器代わりの無反動砲を再び繰り出し、構える。狙うは、先の攻撃回避行動により隙のできた、ヴェイノの身体。
重力に引かれ降下を始める身体に乗せ、無反動砲を突き出し、そして相手の身体にその重量を叩き込む――
「ッ――ぬんッ!」
しかし一瞬早く、ヴェイノの体勢回復が間に合った。そしてヴェイノは片腕を突き出し、頭上より振り下ろされ襲い来た無反動砲の砲口を、掴み受け止めた。
「チッ!」
「ぬぉぉッ!」
竹泉から上がる舌打ち。
対するヴェイノは、無反動砲を掴んだ片腕を次に思い切り振るう。そして無反動砲ごと竹泉の身体を、振るって側面に流し、投げ放った。
自身の隙を狙い来た竹泉の強襲を、寸での所で受け止め流したヴェイノ。
「――ヅゥッ!?」
しかし――そのヴェイノの片足に、衝撃と鈍痛が走ったのはその時であった。
「――なぁッ……!?」
「よっしゃ、入ったァッ!」
振り向き見れば、ヴェイノの目の前には多気投の巨体があった。そしてヴェイノの脚には、繰り出された多気投の脚が激突している。多気投は、ヴェイノの注意が竹泉に向いている隙に肉薄。ヴェイノの脚に蹴りを繰り出し放ったのだ。
その一撃は、人の放った物とは思えない程、重く大きい物であった。
受けた一撃に、ヴェイノはオークの物であるその巨体を、しかしぐらりと崩し倒す。そして回復は叶わず、その巨体を音を立てて床に沈めた。
その倒れたヴェイノに、さらに襲う姿があった。
竹泉だ。
ヴェイノに放り投げられた竹泉は、しかしその先で通路の壁面に脚を着き、反転跳躍。
その間に多気投により崩されたヴェイノの巨体へ、追い打ちを掛けるように飛び込み着地。
「ぐぁッ……!?」
ヴェイノの巨体へ両足を叩き込み、彼に苦し気な声を零させた。
「うっそでしょ……?」
「オークを、真正面から崩したというのか……?」
ぶつかり合いの決着が着いた所で、通路の後ろから声が零れ聞こえ来る。そこに、ダウン状態からいくらか回復し、半身を起こしたファニールとクラライナの姿があった。
二人は、オークという巨体を誇り脅威である存在を、しかしそれと真正面がらぶつかり、そして崩し無力化してみせた竹泉や多気投に、驚き半ば呆けていたのだ。さらにその後ろにいる水戸美に関しては、子供達を庇いながらも、ただポカンとしていた。
「チェックメイトだ、緑のおっさん!」
そんな彼女達の視線を背後に受けながら、竹泉は発する。
そして倒れたヴェイノの胸部を踏みつけながら、ホルスターより9mm拳銃を抜き、その銃口をヴェイノの眼前へと突き付ける。
「――ッ」
ヴェイノの眼が、突き付けられた拳銃の銃口を見る。
突き付けられた物体が何であるかは分からなかったが、それが自身に止めを刺す武器であろう事は、ヴェイノも嫌でも察することが出来た。
ヴェイノはそれでも抵抗すべく、鈍い痛みで緩慢になった我が巨体に鞭を打つ。しかし、それよりも速く向けられた武器が、己が命を狩り取るであろう事をどこかで察し、ヴェイノは同時に心の隅で覚悟を決める――
「――やめてぇぇぇぇッ!!」
だが瞬間、声が響き聞こえた。
「あ――?」
それが聞こえ来たのは通路の先。
それに、引き金を引こうとしていたその指を止める。そして怪訝な声を零し、視線だけをそちらへと向ける。
通路の先。そこにある分岐路の真ん中に、一人の警備兵の姿があった。遠目にも少女であろう事が判別できたその警備兵は、肩を上下に揺らして息を切らせた様子を見せながら、こちらに視線を送っている。先の声の主で、彼女で間違いない。
「ヒュリリか……?」
竹泉に遅れ、倒れた姿勢から顔を上げ、通路の先に視線を向けたヴェイノが、先に立つ存在が誰であるかに気付き、声を零す。
「――お願い、話を聞いて!」
ヒュリリは、抵抗の意思が無い事を示すように両腕を上げながら、そんな訴えの言葉を竹泉等に寄越した――
ほぼ同時刻。警備隊本部古城の西側。
そこにある、堀に掛かり古城内外へのアクセス口のなっている一つの橋。
その近辺各所に、分散展開、それぞれ遮蔽物に身を隠す、第1分隊各員の姿があった。
峨奈率いる第1分隊の10名は、水路に沿って進行を続けた末に、つい先程この場へと到達。そして周辺に分散展開し、状況を伺いつつ、今は車輛隊本隊の到着を待っている状況であった。
「峨奈三曹、車輛隊です」
カバー態勢を取っていた峨奈の元へ、別所で身を隠す波原からの呼び掛ける声が届いた。峨奈はまず波原の方向を向き、そこで一方向を指し示す波原の腕を追い、その先を見る。峨奈の視線の先――堀に沿って通る町路の向こうに、建物の影より曲がり現れた車輛隊の姿が見えた。
車輌隊は堀沿いに町路を進み来て、第1分隊の元まで走り込んでくると、それぞれ各所に停車。そして各車より搭乗していた各分隊隊員が降車してきて、展開を始めた。
加えてそんな中、車列編成中の、指揮車兼任のガントラックの助手席からは、長沼の降りて来る姿が見えた。降り立った長沼は、展開して行く各隊員へ指示の声を飛ばしながら、自身も堀に沿って駆ける。そしてその途中で峨奈の姿を見つけ、駆け寄って来た。
「長沼二曹」
「峨奈三曹」
合流した両者は互いに敬礼を交わし、そして長沼は峨奈に習い、身を屈めて遮蔽物に身を隠す。
「待たせてすまない。状況は?」
そして長沼は、峨奈に尋ねる言葉を発する。
「第1分隊は配置を完了しています。ただ――相手側の様子が、何か妙です」
それに対して峨奈から返されたのは、配置完了している旨と、そして何か怪訝な色の含まれた言葉であった。
「向こうさんも布陣はしているようなんですが……これまでと違い、まったく攻撃をして来る様子が無いんです」
峨奈は続け説明しながら、遮蔽物から視線を出して、堀に掛かる橋の向こうを促す。
長沼がそれを追って先を見れば、確かに橋の向こうの城門、城壁上には、布陣した警備兵と思しき人影が、いくつも覗き見えた。そして峨奈の言葉通り、布陣した彼等からは、しかし攻撃が来る様子がまるで見られなかった。
「……確かに妙だな。何か企みがあるのか……」
先の様子に、訝しみ呟く長沼。
「上空、発光体!」
そんな所へ、配置した隊員の一人から、声が上がる。言葉に習い上空を見れば、展開した部隊の真上に、一つの赤く瞬く発光体が飛来する様子が見えた。
これまでにも散々見て来た、警備隊側の監視行動や広報を行うための物である発光体。
《――そちらの方々にお伝えします!こちらは、凪美の町警備隊です!》
その発光体から、これまでにもあったように音声が響き出す。しかしその呼びかけ先が、長沼始め隊員等の注意をより引いた。
《こちらは、戦いに停止を要求します!また、そちらの要求する人物の引き渡しに、応じる姿勢があります!こちらは、そちらとの交渉を望みます!》
続き聞こえたそんな呼び掛け。それに、長沼は怪訝の様子を浮かべていた顔に、より疑問の色を浮かべる事となった。
「どういう吹き回しだ?」
長沼の隣で、同様にそれを聞いた峨奈が、表情を顰めて零す。
「さぁな。何かあったのか、はたまた罠か――拡声器を貸してくれ」
長沼は推察し呟くと、峨奈に向けて彼の持つスピーカーメガホンを要求する。峨奈からそれを借り受けると、長沼はそれを口元に当てて言葉を発し始めた。
《警備隊各位へ。こちらは、日本国陸隊です。当方には、そちらの要請に応じる意思があります。当方は、そちらの代表者の方との対話、調整を望みます》
スピーカーメガホン越しの、効果のかかった長沼の声が、周辺一帯に響く。
その一文を発し終え、スピーカーメガホンを下げて視線を一度横に向ける長沼。その横には、それまで以上に怪訝な顔を浮かべた、峨奈の姿があった。
「――本気ですか?」
峨奈は、失礼を承知でそんな一言を、長沼に向けて投げかける。今しがたあった警備隊からの言葉を、そのまま受け取り応じるには、彼は抵抗を感じていたからだ。
「妖しさ満点なのは分かってる。だが、ああ言って来た以上、突っぱねてドンパチを始めるわけにはいくまい」
そんな峨奈に対して、長沼はそう返し、そして再び視線を起こして橋の向こうに向ける。
「向こうも、出て来たみたいだしな」
見れば、橋の向こう。開かれた城門の真ん中に、代表らしき一人の警備兵の立つ姿があった。
「さて、行って来るよ。ここは頼む、念のため警戒は維持」
長沼は峨奈に向けて言うと、自身の装備火器である9mm機関けん銃を一度確認。それを下げ直すと、遮蔽物を飛び出して橋へと向かって行った。
「長沼二曹ッ……――ッ、ロングショット1、願います。こちらジャンカー1ヘッド」
そんな長沼に対して、少し戸惑った様子を見せた峨奈。しかし長沼は行ってしまい、峨奈は仕方ないと言った様子で、インカムで通信を開く。
呼びかける先は、別所高所で狙撃監視に着く、潜入狙撃班の鷹幅だ。
「今の警備隊からの呼びかけは聞こえましたか?長沼二曹が、それに応じ向かって行った。万が一に備え、狙撃支援を要請します」
峨奈は先の警備隊からの呼びかけに、長沼が応じた旨を伝える。そして続け本題である、万が一の際の狙撃支援を要請した。
《ロングショット1、了解。何かあったらただちに対応する》
対して、潜入狙撃班から鷹幅の声で、了承の返事が来る。
「頼みます。――各員、備えろ、警戒しろ!」
それを聞き、そして返す峨奈、それから峨奈は、周囲に展開配置した各隊各員に向けて促す。
「頼むぞ――」
そして祈るように呟きながら、丁度橋を渡り始めた長沼の、その背中を見つめた。
橋上を踏み、そして歩き渡り始めた長沼。
その一方、城門に姿を見せた警備隊の代表者らしい人物も、こちらへと歩み出す姿を見せた。
両者は歩み近づき、程なくして橋の中程で相対した。
「日本国陸隊。呼応展開隊、指揮官の長沼二曹です」
まず先んじて、長沼が自らの所属身分を名乗り、そして敬礼をする。
「凪美の町警備隊。西南西区域長の、ディーケッツです」
対して代表者である警備兵も、自らの所属身分を名乗って返し、そして警備隊式と思われる敬礼を返して見せた。
「呼びかけに応じていただいた事、感謝します」
そしてディーケッツと名乗った警備兵は、長沼に向けてまず礼の言葉を述べる。
「いえ――今しがた返答した通り、私達にはそちらの要請に応じる意思があります。ですが――」
それに対して長沼は返し、しかし続けてその顔に少しの疑問の色を作り、続ける。
「なぜ突然、停戦の申し出を?よければ、事情をお教えていただけませんか?」
長沼はディーケッツに向けて、問いかける言葉を投げかけた。
「えぇ、もちろん。疑問に思い、怪しまれるのも当然の事でしょう。全て、説明します――」
長沼の問いかけの言葉に、ディーケッツはそう返す。そして、説明の言葉を紡ぎ始めた――
その内部を通る廊下を、少し急いた様子で駆ける一人の女――いや少女警備兵の姿がある。
ポプラノステクの副官で、町長の娘でもあるヒュリリであった。
彼女はポプラノステクより指示された、各隊各所への伝令を終え、今は急ぎ指揮所に戻る所であった。
「――そうよ。協力的では無いわ――」
しかしそんな彼女の耳が、ふと、自分以外の何者かの声を聞き留めた。
「――ん?」
聞こえたそれに、彼女は足を止め振り返る。
声の聞こえた元は、今しがた通り過ぎかけた、廊下に設けられた扉の一つ。
そこは資材庫であり、普段出入りの無いその一室から声が聞こえた事を、ヒュリリは気がかりに思った。
彼女は引き返して扉の前に立ち、ノブに手をかけて扉をそっと開き、内部を覗く。
そこ彼女の瞳は、その向こうに広がる薄暗い資材庫の内部の窓際に、佇む一人分の人影を見止めた。
「あれって――」
薄暗い資材庫の中でも分かる、露出の多い扇情的な格好。後頭部で結った長い金髪に、尖った耳。
人影は、エルフの女――マイリセリアであった。
「やっぱりエルフの……困るな。ここも一応、無闇に立ち入って欲しい所じゃないんだけど……」
彼女を野放しにしていた自分達にも非が無いではないが、一応自分達が警備隊である以上、その関係施設に部外者が許可なく立ち入っている事は、あまり好ましい事では無かった。
正直あまり関わり合いになりたくない相手ではあったが、その事を注意しようと、ヒュリリは扉の向こうの彼女に声を掛けようとする。
「この町は、魔王様の――魔王軍の友人たる存在には、値しないわ」
しかし、扉の向こうから聞こえたマイリセリアの一言が、彼女の行動を止めた。
(――え?)
とっさに自身の行動を止め、そして反射的に身を引き隠すヒュリリ。
(い、今の――)
聞こえ来たその言葉が、すぐには噛み砕けなくとも、しかし不穏な内容である事を直感で感じたからだ。
ヒュリリは息を潜め、扉の隙間から、先に見えるエルフの女の観察を続ける。
「この町の町長も、警備隊も、町の存続のために国の方針に従っているようだけれど――内心では、魔王軍への参加に肯定的ではないようね」
資材庫である一室の窓際で、エルフの女――マイリセリアは言葉を並べている。他には誰もおらず、一見彼女の独り言のようにも見えるが、そうではなかった。
彼女の片手には、何か結晶の埋め込まれたペンダントが持たれている。これは魔法道具の一つだ。
そしてこの魔法道具により今行われているのは、〝遠方伝音魔法〟という魔法術であった。
言葉から察せるだろうか。これは遠方に位置する者との伝音、伝声によるやり取りを可能とする術だ。発動使用にはこの魔法道具があれば良いという物ではなく、使用者に少なくない魔力の所有及び消費を要求し、そして事前に複雑な発動詠唱を要する、高位の魔法であった。
この魔法により、マイリセリアは遠方の相手と、会話を行っていたのだ。
《――成程。それは後の火種となりそうですね》
ペンダントの結晶がぼんやりと光、そこを発生源として、微かに効果の掛かったような音声が響き聞こえる。これが、遠方の相手の声だ。
《それに、その正体不明の侵入者というのも、気がかりですね》
そして続け聞こえた声。それに、マイリセリアは顔を微かに険しくする。
「えぇ――どうにも勇者の娘達を拾いに来たようだし、敵である事には間違いない。そうでなくても――あの子達を手に掛けたんだもの、生かして置く気はないわ」
そして冷たく言うマイリセリア。
「そういうわけよ。ヤツ等と、そしてこの町も、〝掃除〟しちゃっていいのよね?」
そして次に、彼女はそんな言葉をペンダントに向けて放った。その顔は、微かに笑っていた。
《構いません。これ以降は、動きが大々的な物となって行きます。それに伴い、中央府の動きに賛同しない者達も、少なからず出て来るでしょう。その際の、〝みせしめ〟も必要となります》
ペンダントからは、冷静な声色でそんな言葉が返される。
《それを実行するのに、あなた方で戦力は足りるのですか?》
「見くびらないで。こんな町、〝私達〟だけでも過大過ぎるくらいだわ」
《では良いのですが――くれぐれも、失態など無きよう願います》
「言うわね、分かってるわよ。じゃあね――獣耳のレディシオちゃん」
マイリセリアは交わされた会話の締めくくりに、何か揶揄うような一言を発する。
そしてそれを最後に会話は終わり、マイリセリアの持っていたペンダントの結晶は、その明かりを消失させる。魔法の発動が終了した証であった。
「――さて」
遠方伝音魔法によるやり取りを終えたマイリセリアは、持っていたペンダントを放して首から下げ、一言呟く。
「どうするのかしら?お嬢ちゃん?」
そして身を翻し、その先に居る人物に、妖しい声色で問いかけた。
「――!?」
それは他でも無いヒュリリだ。
マイリセリアは、扉の向こうより自身の様子を伺うヒュリリの存在に、最初から気付いていたのだ。
「ぁ――ッ!」
一瞬の動揺をその顔に見せたヒュリリは、しかし直後に、飛ぶように身を翻してその場より駆け出した。
「ふふふ」
そんなヒュリリの姿に、マイリセリアは微笑を零す。そしてまるで、これから狩りでも楽しまんとする優雅な様子で、歩み出した。
「侵入者の隊列、間もなく本部に到達します」
「本部守備隊、1隊、4隊。及び西南西区域隊、6隊、7隊。配置に着いています」
警備隊本部の指揮所。
ポプラノステクに代わって指揮を引き継いだ町長ルデラの元に、各警備兵より報告が上がっている。
「了解――いよいよ、おいでなすったか」
いよいよ自分達の拠点に迫った、侵入者の本隊と思しき隊列。
おそらくこの本部古城での攻防は、これまでで最も苛烈な戦いになるであろう。それを予感し、覚悟と緊迫の様子でルデラは声を零す。
ダン――と、指揮所内に何かぶつかるような音が木霊したのは、その時であった。
音の発生源は、指揮所の出入り口。
ルデラと、警備兵達がそちらへ視線を向ければ、そこにある開け放たれた扉に身をぶつけたと思しき、一人の警備兵の姿があった。
「ヒュリリ?どうした」
それが自分の娘であるヒュリリである事にすぐに気づき、ルデラは声を零す。
「と、父さま――」
一方のヒュリリは、何か焦った様子で声を零しながら、指揮所内の警備兵達を掻き分け抜け、ルデラの元へと駆け寄って来る。
「た、大変――エルフは……魔王は……この町を……!」
そしてヒュリリは、父ルデラの身にすり寄りその服を掴み、荒い呼吸で何かを訴え始めた。
「落ち着け、呼吸しろ」
そんな娘ヒュリリに、ルデラは努めて冷静な口調で投げかけ促す。
「はっ……はっ……父さま……エルフのあの人は……この町を始末するつもりです――!」
ヒュリリは父の促し通りに呼吸し、その息を整える。そして申し訳程度にだが落ち着いたその身体で、父の顔を見上げて訴え上げた。
――ヒュリリは早口で、今しがた見聞きした一連の物事を、ルデラや周りの警備兵達に説明した。
エルフのマイリセリアが、自分達を不穏分子と判断した事。
そして方法は不明だが、この町をみせしめとして始末しようとしている事を。
「ッ――お見通しってわけか」
娘からのそれ等の説明を聞いたルデラは、しかし驚きの色は薄く、苦い顔色を作ってそんな言葉を発した。
周囲の警備兵達も、多少の違いはあれどそれは同様であった。
国の中央府の、魔王軍側に加担しようとする動きに、町は表面上追従していたが、その奥底では肯定的でない事。それを国や魔王軍側がそれを不穏の火種と判断する事。
それ等は思い当たり、そして起こり得る可能性であったから。
「やはり……今回の選択は、間違いだったのでしょうか」
ルデラの傍らにいた警備兵長が、ぽつりと発する。
「今までこの町は、ずっとこのやり方で生き残って来たが……俺の番で、とうとうしくじっちまったか……」
そして、ルデラは何か自嘲的に発する。
この凪美の町という町は、その歴史上、幾度も属する国家、勢力を変えて来た。
それは時に国同士の駆け引きにより領土が変わる事により、時には戦争により領土か変わる事によった。
その都度、この凪美の町は新勢力新体制に取り入り、勝利を勝ち取るであろう側に加担して来た。
――例え他所から冷たい目で見られ、罵倒されようとも。
――全ては町が存続するために。この町しか、居る場所の無い者達のために。
今回、魔王軍側に着く事を選択した中央府に追従し、その上での企みに手を貸したのも、町を生き残らせるためであった。
だが、今回ついにそれは破綻した。
不服を、不満を、取り入ろうとする先に気取られ、そして不穏分子との判断をなされた。
「もう止めにしていいんじゃないか」
そんな時、警備兵の中の誰かから声が上がった。
「……そうだな」
他の誰かから声が上がる。
それは、国の中央への追従を、魔王軍へ取り入る行為を、ここで止めようという言葉だった。
ここに居る者達は、いや町の住民達は皆、内心で思っていた。
決して綺麗な成り立ちの町では無いが、自分達の居場所であったこの町を、これ以上汚したくないと。
「――だが、ここまで多くの者が犠牲になった!それを……」
だがそこで、また別の誰かが声を上げる。これまでの犠牲の意味を、問い悔やむ声だ。
「けど、これ以上その犠牲を増やしたくはない」
しかし、別の誰かがそう答えた。
そして少しの間、指揮所内を沈黙が包む。
「――決まりのようだな」
それを破ったのは、ルデラだった。
ルデラは自分に寄り添っていたヒュリリをやんわりと退かせると、長机へ両腕をドンと着く。
「これより凪美の町は、中央府の方針より離脱――来ると思われる町への攻撃に、防衛行動を取る。まずは各隊の再集結、再編成だ」
そして発し上げられたルデラの言葉。
その言葉に、指揮所内の警備兵達は沸き立ち、そして一斉に動き始めた。
「ラフタ警備兵長。確か侵入したお客さん達は、勇者のお姉ちゃん達の引き渡しを要求して来たと言ったな?」
ルデラの尋ねる言葉に、傍らに立つ警備兵長は、コクリと頷き肯定する。
「まずお客さん達に、伝音魔法で戦いの停止の要求を呼びかけろ。その勇者のお姉ちゃん達を引き渡せば、引き上げてくれるかもしれない」
「うまくいくでしょうか?」
ルデラの案に、警備兵長は期待半分、疑念半分といった様子で返す。
「向こうさんは、住民に被害が出ないよう動いているって報告があったろう?どうにも、見た目や持つ力に反して、そこまで乱暴なヤツ等じゃないようだ。話を聞いてくれる可能性は、低くない」
「了解――ククエ、伝令を!」
警備兵長はルデラの考えを受け入れ、警備兵を伝令に向かわせる。
「ヒュリリ、お前にも向かってもらう。お前は、隊長のトコまで行け。勇者のお姉ちゃんや、侵入したっていうお客さんと、すでに事を構えてる頃だろう。それを止めるんだ」
そしてルデラの方は、傍らにいた娘ヒュリリに、伝令を命じる言葉を発した。
「は、はい!」
それにヒュリリも返答。
彼女は跳ねるようにその場で身を翻し、先に発った他の伝令同様、指揮所の扉より飛び出して行った。
「――よし。それと――」
娘が飛び出て行った姿を見送り、ルデラは他の者に続け指示の言葉を発そうとする。
「――あらあら、何か賑やかねぇ」
しかしルデラの声を遮るように、そんな声が指揮所内に響き渡った。
何か嘲笑うような色の含まれた一言。だがルデラは驚く色は見せず、変わらぬ表情で声の発生源へ視線を起こす。
先にヒュリリ達伝令が出て行った方向とは、また別方にある出入り口。
そこに佇む、マイリセリアの姿があった。
「てっきり、お通夜みたいな空気になってるものと思ったけど」
マイリセリアは指揮所内を見渡しながら、そんな一言を呟く。
対する警備兵達は、マイリセリアに向けて一斉に警戒の目を向ける。何名かは剣を抜いてその切っ先を向け、また何名かはルデラの周囲に集まり、彼の身を守る布陣を取る。
「エルフのお姉ちゃん。俺達この町は、国の企みから降りさせてもらう」
そしてルデラは毅然とした顔を作り、マイリセリアに向けて言い放った。
「――と、わざわざ言うまでもないか。すでにそっちから、切られちまったようだしな」
しかしすぐにその表情を皮肉気な笑みに変え、そう言葉を続ける。
「あらあら。ヤケになっちゃったのかしら?」
ルデラの言葉に、マイリセリアは微笑を浮かべてそんな言葉を発する。
「いや。むしろ、憑き物が落ちたような気分さ」
それに対して、ルデラはそんな言葉で返した。
「ふふ、そう。なら――」
ルデラの言葉を聞き、再び微笑を零すマイリセリア。
「――思い残す事はないわね――?」
直後、彼女はその口角を吊り上げ、氷の様な冷たい笑いで、一言を発した。
そしてその片腕を翳し振り上げ、自らの体の前に、風の刃を発現させる。
対する警備兵達は、各々の得物を一斉にマイリセリアへ向け構えを取る。
直後――指揮所内で戦いの音が響き上がった――
警備隊本部古城の南棟。
その内部を通る通路を、竹泉や多気投、そして水戸美等は駆けていた。竹泉が先頭を行き、ファニールとクラライナの身をそれぞれ小脇に抱える多気投が続き、一番後ろを子供達の手を引く水戸美が行く。
竹泉等は先程自由より受けた指示に従い、別ルートを取ってのこの警備隊本部からの脱出を試みている真っ最中であった。
「そこ、左に曲がるぞ!」
今進む通路の先に左右への分岐を見止め、後続の多気投等に向けて発し上げる竹泉。そして竹泉は分岐地点に踏み込み、今しがた自身が発した、左方向進路へ視線を向けた。
「ッ!」
しかしそこで、竹泉は一瞬目を見開き、そしてその顔を顰めた。視線の先――分岐を曲がった先に、〝障害〟を見たからだ。
先にあったのは、通路を塞ぐように立ち構える、オークのヴェイノの姿であった。地の利、施設の構造配置に長けるヴェイノは、先回りをして竹泉等の前に立ちはだかったのだ。
「止まりなさい!止まるんだ!」
ヴェイノは、竹泉等の姿を認識すると、オーク独特の声色で言葉を発し寄越して来た。
そして、盾を装着した左腕を突き出して構え、迎え撃つ態勢を取る様子を見せる。
「チッ!」
しかし竹泉はその言葉に従う事は無く、逆に、舌打ちを打つと同時に駆ける速度を上げた。
「ねーちゃんは隠れてろ!多気投――!」
そして同時に、後続の二人にそれぞれ声を飛ばす。
「ヘイヨォ!ねーちゃんズ、ちょいと悪いずぇ!」
竹泉の言葉に呼応した多気投は、それから小脇に抱えるファニール達に向けて言葉を発する。
「ぇ?――うぁ……!?」
「わ……!?」
二人が多気投の言葉の意図を理解する前に、二人は多気投の腕中より放り出された。放り出された二人は床を滑り転がり、それぞれ通路の両脇にぶつかって止まる。そして身軽になった多気投もまた、竹泉に続き床を踏み切り、その駆ける速度を上げた。
「ッ――止まれ!」
一方、ヴェイノは速度を上げた相手の姿に、顔を険しくしながらも再び警告の言葉を張り上げる。
しかし竹泉等が止まり速度を落す様子は無く、先陣を切る竹泉はヴェイノへと迫る。
(肉薄か――!)
相手の行動を攻撃と推察し、ヴェイノは構え迎える姿勢を取る。
駆ける竹泉の身体は、ヴェイノの目前まで迫る。しかし――
「――!?」
フッ――と、竹泉の姿がヴェイノの視界より消えたのは、その瞬間であった。
突然姿を消した相手に、目を見開くヴェイノ。しかしすぐに彼は、起こった事態に気付き、背後を振り返る。
――ヴェイノの背後に、スライディングの姿勢で床を滑る、竹泉の姿があった。
竹泉はヴェイノの直前まで迫った瞬間、その身を落すようにスライディングに入った。そしてヴェイノの足元脇を滑り抜け、立ちふさがるヴェイノの背後へと突破してみせたのだ。
自身の背後に抜けられた事に、その顔に苦い様子を浮かべるヴェイノ。しかし直後に彼は、前方から別の気配を、そして殺気を感じ取った。
「――ッ!」
そしてヴェイノが視線を戻せば、彼の目の前に、巨体であるはずの彼をしかしさらに超える、巨大な存在の姿があった。
多気投だ。
多気投は、ヴェイノの注意が背後に抜けた竹泉に向いた隙に、ヴェイノの目の前に肉薄したのだ。そしてあまりにも太く巨大なその両腕の手は、合わせ握られ塊を形作っている。
「ヴォオオオゥッ!!」
瞬間、上がった暴声と共に、合わせられた両手はまるで巨大なハンマーのように、ヴェイノ目がけて振り下ろされた。
「ッ!?」
しかしヴェイノは寸での所で、オーク特有のその巨体を、しかし見た目に反した軽やかさで捻り、その襲い来た攻撃を回避。
標的を失った多気投の腕はそのまま空を切り、そしてその先にあった通路側面の壁へと激突した。
ドゴォ、と。凄まじい衝撃音が上がった。
壁を打った多気投の腕は、壁を損壊させ大穴を開け、そしてそこを中心にいくつもの亀裂を走らせた。
「ウォゥチッ!?」
攻撃の失敗に、多気投からそんな声が上がる。
一方、攻撃の回避に成功したヴェイノは、そこから反抗に転じた。
回避のために捻った身を、そのままくるりと回転させるヴェイノ。そして右の拳を握り、攻撃直後で隙のできた多気投目がけて、回転の勢いを利用して拳をおもいきり繰り出し振るった。
「ひょーーーーッ!?」
しかし、多気投もまたその攻撃を回避して見せた。
多気投もまた、その巨体に似合わぬ軽やかさで、攻撃直後の身を跳ねるように引いた。そして目と鼻の先を掠めて行ったヴェイノの拳に、驚きの、しかしどこか緊張感の無い声を上げる。
空を切ったヴェイノの拳もまた、壁に激突。そこに大きく凹ませ、いくつもの亀裂を走らせた。
「くッ――ッ!?」
攻撃が空振りに終わった事に、苦渋の声を零すヴェイノ。しかし瞬間、彼は背後より殺気を感じた。
「――ヅッ!?」
即座にヴェイノは、その背後に向けて、盾を装着した左腕を翳し構える。瞬間――破裂音のような物が響き聞こえると共に、盾越しのヴェイノの腕に、連続的な打つような衝撃が走り襲った。
殺気と音のした方向には、スライディングより反転し身を起こした低い姿勢で、小銃を構えた竹泉の姿があった。今しがたヴェイノを襲った衝撃は、竹泉の撃ち放った三点制限点射による物であった。
「チッ!」
ヴェイノの隙を狙った射撃が、しかし防がれたことに、竹泉は舌打ちを打つ。
そして直後に竹泉は、床を蹴って身を飛ばすように駆け出した。
その身体を勢いに乗せながら、小銃を降ろして、身体に下げていた84㎜無反動砲を両手で取る。撃つのではない。無反動砲を鈍器代わりに、ヴェイノの身を殴打する腹積もりだ。
そして竹泉は、小銃弾の盾への被弾で怯んだ、ヴェイノの目の前に肉薄。瞬間、84㎜無反動砲を、横殴りに繰り出した。
「ッ!」
しかしヴェイノは直前でそれに気づき、またも巨体に似合わぬ軽やかさを見せ、横へ滑るように身を反らし、竹泉の攻撃を回避した。
標的を失い鈍器代わりの無反動砲は空を切り、竹泉の身体は勢いの乗ったまま、ヴェイノの横をすり抜け背後へ飛んで行く。
「――多気投ェ!」
だが、竹泉の手はそれで終わりではなかった。
竹泉は多気投を呼び発し上げ、その勢いのまま駆ける。
「ヘイヨォッ!」
その先には、両手を合わせレシーブのような構えを取る多気投がいた。
竹泉は多気投の懐に踏み込むと、合わせられたその手に脚を掛ける。瞬間、多気投は思い切り両手を振り上げ、その上に乗っていた竹泉は、宙へ打ち上げられた。
宙へ、天井ギリギリの高さへと飛び出した竹泉は、その両足を畳んで猫のように宙空で、くるりと一回転。そして鈍器代わりの無反動砲を再び繰り出し、構える。狙うは、先の攻撃回避行動により隙のできた、ヴェイノの身体。
重力に引かれ降下を始める身体に乗せ、無反動砲を突き出し、そして相手の身体にその重量を叩き込む――
「ッ――ぬんッ!」
しかし一瞬早く、ヴェイノの体勢回復が間に合った。そしてヴェイノは片腕を突き出し、頭上より振り下ろされ襲い来た無反動砲の砲口を、掴み受け止めた。
「チッ!」
「ぬぉぉッ!」
竹泉から上がる舌打ち。
対するヴェイノは、無反動砲を掴んだ片腕を次に思い切り振るう。そして無反動砲ごと竹泉の身体を、振るって側面に流し、投げ放った。
自身の隙を狙い来た竹泉の強襲を、寸での所で受け止め流したヴェイノ。
「――ヅゥッ!?」
しかし――そのヴェイノの片足に、衝撃と鈍痛が走ったのはその時であった。
「――なぁッ……!?」
「よっしゃ、入ったァッ!」
振り向き見れば、ヴェイノの目の前には多気投の巨体があった。そしてヴェイノの脚には、繰り出された多気投の脚が激突している。多気投は、ヴェイノの注意が竹泉に向いている隙に肉薄。ヴェイノの脚に蹴りを繰り出し放ったのだ。
その一撃は、人の放った物とは思えない程、重く大きい物であった。
受けた一撃に、ヴェイノはオークの物であるその巨体を、しかしぐらりと崩し倒す。そして回復は叶わず、その巨体を音を立てて床に沈めた。
その倒れたヴェイノに、さらに襲う姿があった。
竹泉だ。
ヴェイノに放り投げられた竹泉は、しかしその先で通路の壁面に脚を着き、反転跳躍。
その間に多気投により崩されたヴェイノの巨体へ、追い打ちを掛けるように飛び込み着地。
「ぐぁッ……!?」
ヴェイノの巨体へ両足を叩き込み、彼に苦し気な声を零させた。
「うっそでしょ……?」
「オークを、真正面から崩したというのか……?」
ぶつかり合いの決着が着いた所で、通路の後ろから声が零れ聞こえ来る。そこに、ダウン状態からいくらか回復し、半身を起こしたファニールとクラライナの姿があった。
二人は、オークという巨体を誇り脅威である存在を、しかしそれと真正面がらぶつかり、そして崩し無力化してみせた竹泉や多気投に、驚き半ば呆けていたのだ。さらにその後ろにいる水戸美に関しては、子供達を庇いながらも、ただポカンとしていた。
「チェックメイトだ、緑のおっさん!」
そんな彼女達の視線を背後に受けながら、竹泉は発する。
そして倒れたヴェイノの胸部を踏みつけながら、ホルスターより9mm拳銃を抜き、その銃口をヴェイノの眼前へと突き付ける。
「――ッ」
ヴェイノの眼が、突き付けられた拳銃の銃口を見る。
突き付けられた物体が何であるかは分からなかったが、それが自身に止めを刺す武器であろう事は、ヴェイノも嫌でも察することが出来た。
ヴェイノはそれでも抵抗すべく、鈍い痛みで緩慢になった我が巨体に鞭を打つ。しかし、それよりも速く向けられた武器が、己が命を狩り取るであろう事をどこかで察し、ヴェイノは同時に心の隅で覚悟を決める――
「――やめてぇぇぇぇッ!!」
だが瞬間、声が響き聞こえた。
「あ――?」
それが聞こえ来たのは通路の先。
それに、引き金を引こうとしていたその指を止める。そして怪訝な声を零し、視線だけをそちらへと向ける。
通路の先。そこにある分岐路の真ん中に、一人の警備兵の姿があった。遠目にも少女であろう事が判別できたその警備兵は、肩を上下に揺らして息を切らせた様子を見せながら、こちらに視線を送っている。先の声の主で、彼女で間違いない。
「ヒュリリか……?」
竹泉に遅れ、倒れた姿勢から顔を上げ、通路の先に視線を向けたヴェイノが、先に立つ存在が誰であるかに気付き、声を零す。
「――お願い、話を聞いて!」
ヒュリリは、抵抗の意思が無い事を示すように両腕を上げながら、そんな訴えの言葉を竹泉等に寄越した――
ほぼ同時刻。警備隊本部古城の西側。
そこにある、堀に掛かり古城内外へのアクセス口のなっている一つの橋。
その近辺各所に、分散展開、それぞれ遮蔽物に身を隠す、第1分隊各員の姿があった。
峨奈率いる第1分隊の10名は、水路に沿って進行を続けた末に、つい先程この場へと到達。そして周辺に分散展開し、状況を伺いつつ、今は車輛隊本隊の到着を待っている状況であった。
「峨奈三曹、車輛隊です」
カバー態勢を取っていた峨奈の元へ、別所で身を隠す波原からの呼び掛ける声が届いた。峨奈はまず波原の方向を向き、そこで一方向を指し示す波原の腕を追い、その先を見る。峨奈の視線の先――堀に沿って通る町路の向こうに、建物の影より曲がり現れた車輛隊の姿が見えた。
車輌隊は堀沿いに町路を進み来て、第1分隊の元まで走り込んでくると、それぞれ各所に停車。そして各車より搭乗していた各分隊隊員が降車してきて、展開を始めた。
加えてそんな中、車列編成中の、指揮車兼任のガントラックの助手席からは、長沼の降りて来る姿が見えた。降り立った長沼は、展開して行く各隊員へ指示の声を飛ばしながら、自身も堀に沿って駆ける。そしてその途中で峨奈の姿を見つけ、駆け寄って来た。
「長沼二曹」
「峨奈三曹」
合流した両者は互いに敬礼を交わし、そして長沼は峨奈に習い、身を屈めて遮蔽物に身を隠す。
「待たせてすまない。状況は?」
そして長沼は、峨奈に尋ねる言葉を発する。
「第1分隊は配置を完了しています。ただ――相手側の様子が、何か妙です」
それに対して峨奈から返されたのは、配置完了している旨と、そして何か怪訝な色の含まれた言葉であった。
「向こうさんも布陣はしているようなんですが……これまでと違い、まったく攻撃をして来る様子が無いんです」
峨奈は続け説明しながら、遮蔽物から視線を出して、堀に掛かる橋の向こうを促す。
長沼がそれを追って先を見れば、確かに橋の向こうの城門、城壁上には、布陣した警備兵と思しき人影が、いくつも覗き見えた。そして峨奈の言葉通り、布陣した彼等からは、しかし攻撃が来る様子がまるで見られなかった。
「……確かに妙だな。何か企みがあるのか……」
先の様子に、訝しみ呟く長沼。
「上空、発光体!」
そんな所へ、配置した隊員の一人から、声が上がる。言葉に習い上空を見れば、展開した部隊の真上に、一つの赤く瞬く発光体が飛来する様子が見えた。
これまでにも散々見て来た、警備隊側の監視行動や広報を行うための物である発光体。
《――そちらの方々にお伝えします!こちらは、凪美の町警備隊です!》
その発光体から、これまでにもあったように音声が響き出す。しかしその呼びかけ先が、長沼始め隊員等の注意をより引いた。
《こちらは、戦いに停止を要求します!また、そちらの要求する人物の引き渡しに、応じる姿勢があります!こちらは、そちらとの交渉を望みます!》
続き聞こえたそんな呼び掛け。それに、長沼は怪訝の様子を浮かべていた顔に、より疑問の色を浮かべる事となった。
「どういう吹き回しだ?」
長沼の隣で、同様にそれを聞いた峨奈が、表情を顰めて零す。
「さぁな。何かあったのか、はたまた罠か――拡声器を貸してくれ」
長沼は推察し呟くと、峨奈に向けて彼の持つスピーカーメガホンを要求する。峨奈からそれを借り受けると、長沼はそれを口元に当てて言葉を発し始めた。
《警備隊各位へ。こちらは、日本国陸隊です。当方には、そちらの要請に応じる意思があります。当方は、そちらの代表者の方との対話、調整を望みます》
スピーカーメガホン越しの、効果のかかった長沼の声が、周辺一帯に響く。
その一文を発し終え、スピーカーメガホンを下げて視線を一度横に向ける長沼。その横には、それまで以上に怪訝な顔を浮かべた、峨奈の姿があった。
「――本気ですか?」
峨奈は、失礼を承知でそんな一言を、長沼に向けて投げかける。今しがたあった警備隊からの言葉を、そのまま受け取り応じるには、彼は抵抗を感じていたからだ。
「妖しさ満点なのは分かってる。だが、ああ言って来た以上、突っぱねてドンパチを始めるわけにはいくまい」
そんな峨奈に対して、長沼はそう返し、そして再び視線を起こして橋の向こうに向ける。
「向こうも、出て来たみたいだしな」
見れば、橋の向こう。開かれた城門の真ん中に、代表らしき一人の警備兵の立つ姿があった。
「さて、行って来るよ。ここは頼む、念のため警戒は維持」
長沼は峨奈に向けて言うと、自身の装備火器である9mm機関けん銃を一度確認。それを下げ直すと、遮蔽物を飛び出して橋へと向かって行った。
「長沼二曹ッ……――ッ、ロングショット1、願います。こちらジャンカー1ヘッド」
そんな長沼に対して、少し戸惑った様子を見せた峨奈。しかし長沼は行ってしまい、峨奈は仕方ないと言った様子で、インカムで通信を開く。
呼びかける先は、別所高所で狙撃監視に着く、潜入狙撃班の鷹幅だ。
「今の警備隊からの呼びかけは聞こえましたか?長沼二曹が、それに応じ向かって行った。万が一に備え、狙撃支援を要請します」
峨奈は先の警備隊からの呼びかけに、長沼が応じた旨を伝える。そして続け本題である、万が一の際の狙撃支援を要請した。
《ロングショット1、了解。何かあったらただちに対応する》
対して、潜入狙撃班から鷹幅の声で、了承の返事が来る。
「頼みます。――各員、備えろ、警戒しろ!」
それを聞き、そして返す峨奈、それから峨奈は、周囲に展開配置した各隊各員に向けて促す。
「頼むぞ――」
そして祈るように呟きながら、丁度橋を渡り始めた長沼の、その背中を見つめた。
橋上を踏み、そして歩き渡り始めた長沼。
その一方、城門に姿を見せた警備隊の代表者らしい人物も、こちらへと歩み出す姿を見せた。
両者は歩み近づき、程なくして橋の中程で相対した。
「日本国陸隊。呼応展開隊、指揮官の長沼二曹です」
まず先んじて、長沼が自らの所属身分を名乗り、そして敬礼をする。
「凪美の町警備隊。西南西区域長の、ディーケッツです」
対して代表者である警備兵も、自らの所属身分を名乗って返し、そして警備隊式と思われる敬礼を返して見せた。
「呼びかけに応じていただいた事、感謝します」
そしてディーケッツと名乗った警備兵は、長沼に向けてまず礼の言葉を述べる。
「いえ――今しがた返答した通り、私達にはそちらの要請に応じる意思があります。ですが――」
それに対して長沼は返し、しかし続けてその顔に少しの疑問の色を作り、続ける。
「なぜ突然、停戦の申し出を?よければ、事情をお教えていただけませんか?」
長沼はディーケッツに向けて、問いかける言葉を投げかけた。
「えぇ、もちろん。疑問に思い、怪しまれるのも当然の事でしょう。全て、説明します――」
長沼の問いかけの言葉に、ディーケッツはそう返す。そして、説明の言葉を紡ぎ始めた――
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