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チャプター17:「終結と発動準備」
17-6:「警備隊長ポプラノステク・逃走者、追跡者」
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凪美の町。警備隊本部。
凪美の町の警備隊隊長ポプラノステクは、自身の執務室のソファで目を覚ました。
「少しは眠れたか……」
窓から差し込む光のまぶしさに、他人からは一見陰湿そうと評される造形の顔を顰め、いささか寝不足気味な眼を拭いながら、呟くポプラノステク。
そこへ、彼が目を覚ますのを待っていたかのようなタイミングで、扉がノックされた。
「入ってくれ」
扉に向けて声を飛ばすと、扉が開かれて一人の女が入って来る。自分の直接の部下であり副官である、女警備兵のヒュリリだった。
「失礼します」
「また何かあったか?」
「いえ、昨晩の詰め所の襲撃以降。異変は報告されていません。ただ……町長が隊長をお呼びです」
「まさか、お叱りかな――了解、行くよ」
警備隊の制服のまま仮眠を取っていたポプラノステクは、立ち上がってソファに掛けておいた上着を羽織ると、扉へと向かった。
部屋を出ると、さらに外で待機していた二名の護衛の警備兵が敬礼をし、扉をくぐったポプラノステクとヒュリリの後に付く。
普段であれば護衛など付けないポプラノステクだが、彼の部下達は、侵入者がいつどこから現れるかもしれない現状を鑑み、ポプラノステクが護衛を付けることを強く要望した。
自分を気遣った案を無碍にすることもできず、ポプラノステクはこうして護衛されるという慣れない状況に甘んじていた。
「鬱陶しいでしょうが、我慢してください」
心情を察したのか、護衛の警備兵の一人がそんな言葉を発する。
「心を読むのを止めてくれ」
護衛の言葉に、苦々しい表情で返すポプラノステク。
「勇者を追ってる各員も、ちゃんと眠ってるんだろうな?」
ポプラノステクは横に居るヒュリリに尋ねる。
「各区域隊には交代、休眠を疎かにしないように伝達してあります。皆、少なくとも隊長よりは眠っているはずです」
「ならいいんだが」
呟きながら、ポプラノステク等はやや早い歩調で、目的の場所を目指した。
凪美の町警備隊の本部は、町の東側の一帯に存在する古城を再利用したものだ。
元は中規模だった古城は増改築を繰り返され、ゴテゴテと建物施設が取りつき隣接している。その内の一角には町役場として利用されている建物もあり、その中には町の町長の執務室も存在した。
その町長の執務室では現在、机を挟んで二人の人物が対峙していた。
片方は商議会より派遣されて来た中央府の警備兵。もう一人はこの町の町長で、名をルデラと言った。
「傭兵どもめ……!失敗しておめおめ返って来るなど」
忌々し気に呟くのは、中央府の警備兵。
二人の間で交わされている今の議題は、昨晩草風の村に差し向けた傭兵隊が、撤退して来た件について。そしてその傭兵隊が相手取ったという、正体不明の敵組織についてだ。
「傭兵達の手に負えない相手が出て来たと言うんだから、しょうがないだろう」
対してこの町の町長ルデラは、威厳漂う中年男性といった外観に反した、軽い口調で言う。
「だからといって、なぜ契約を中止し奴らを帰したのです!?生き残り共に尻拭いをさせるべきだったんだ!」
執務机をバンと叩き、中央府の警備兵は訴える。
「そんな事はしたくなかったんでね。その現れた敵の事を考えれば、犠牲が増えるだけで無意味だろう。それより、情報を持ち帰って来てくれただけでも感謝すべきだ」
「何を呑気な――ルデラ殿、事の重要性を分かっているのですか!商会員殿の安否が知れぬ今、あなたにしっかりしていただかないと!」
「分かってるさ。だがそもそも、あの村にそこまで躍起になる必要があるのか?」
憤慨する中央府の警備兵に対して、町長は尋ねる。
「草風の村の村長は、未だ指示する人間も多い……計画の邪魔になりえる存在は、消しておくべきなのです……!」
「物騒な事だ。ま、俺達も人の事を言えた義理ではないが」
その時、町長室の扉をノックする音が室内に響いた。
「ッ――私は捉えた騎士を連行する馬車に同伴し、中央府へ戻ります。この事態を伝えないと」
中央府の警備兵は、憤慨冷め止まぬ様子のまま、身を翻して町長室の出入り口へと向かった。
「おっと」
目的地である町長室の前まで到着したポプラノステク。
町長室の扉をノックしてほんの数秒立った所で、扉が勢いよく開かれ、ポプラノステクは思わず声を零した。
「ッ――失礼」
出て来た中央府の警備兵は、ポプラノステクに対して鬱陶しそうな表情を隠そうともせず、言葉面だけでの謝罪を述べると、彼とすれ違って足早に廊下の角へと消えて行った。
「入っていいぞ」
開きっ放しの出入り口から、ルデラの入室を許可する声が聞こえてくる。
「二人はここで待ってくれ――失礼します」
護衛の警備隊二人に外で待機するように命じ、ポプラノステクとヒュリリは、中央府の警備兵と入れ替わりに足を踏み入れた。
「ポプラノステク、出頭いたしました」
入室したポプラノステクは、執務机の前に立って発した。
「聞いたよ。昨晩から勇者に振り回され、大分被害が出ているそうじゃないか」
机越しに目の前に立ったポプラノステクに向けて、ルデラはおもむろに発した。ルデラの言う事は確かであり、警備隊は昨晩から多くの被害を出していた。
それはポプラノステクも当然掌握している事であった。
昨日夕方には、勇者の仲間である騎士を捕縛する際に、ポプラノステクの配下の警備兵二名が犠牲となった事はむろんの事。
昨晩は、勇者の宿泊する宿の調査に赴いた警備兵長たちが死体となって発見された。
勇者を追っていた中央府の警備兵と、拘束した者の移送準備に当たっていた警備兵が、勇者の犠牲になった。
警備隊の詰め所が襲撃を受けた。
といった報告が続々とポプラノステクの元に上がって来ていた。
「ちょ、町長!決して隊長に非は……!」
そこへヒュリリがポプラノステクを庇おうと、一歩前に出る。
「ヒュリリ。お前は外に出ていなさい」
しかし、ルデラは前に出て来たヒュリリに、静かに退室を促した。
「え……!し、しかし……!」
その言葉に、異を唱えようとするヒュリリ。
「出ていなさい」
「……はい、父様……」
しかし、再び退室を促され、ヒュリリはシュンとした様子でそれを承諾した。
ルデラの言葉は決して強い物ではなかったが、しかし、実の父のその内に込められた有無を言わせぬ気迫に、ヒュリリは従うほかなかった。
「やれやれ、あいつはお前のためとなると早とちりしがちだな」
ヒュリリの退室を見届けたルデラは、少し呆れた調子で呟く。
「――申し訳ありません。全て私の落ち度です」
そんなルデラに対して、ポプラノステクは、自分の責を受け入れるべく言葉を発する。
「あぁ、お前まで早とちりしてくれるな。警備隊から犠牲が出たのは痛ましいことだが、何もその件でお前さんをどうこうしようと、呼び出したわけじゃない」
しかし対するルデラは、どこか軽い調子でポプラノステクの落ち度を否定した。
「ではなぜ私を?」
「まぁ待て――よっと」
ルデラは自分の椅子から立ち上がると、部屋の端からそこに置いてあった細長い木箱を持ってきて、執務机の上にドカリと置いた。
「……これは」
「お前から預かっていた物だ。返すから持って行け」
言いながらルデラは、箱の蓋を開けてその中身を目線で指し示して見せる。
細長い木箱に収まっていたのは、一本の剣だ。
剣先から柄までが一貫して漆黒で彩られた、いささか禍々しさを感じさせる大剣。それは、ポプラノステクがかつて愛用していた剣だった。
「しかし――これはもう使うまいとお預けしたものです……」
ポプラノステクは受け取りを拒絶する。
「はぁ、こういう言い方はしたくなかったんだが――こいつは命令だ」
あまり気の進まないといった様子で言い放ちながら、ルデラは再び椅子にドカリと腰を降ろす。
「昨晩の傭兵隊の件は聞いてるよな?草風の村は、どうにも半端じゃないやつ等を雇い入れたらしい」
草風の村に差し向けられた傭兵隊が、その過程で襲撃に遭い、酷い被害を追って撤退して来た事は、ポプラノステクも報告で聞いていた。
「そいつらが一体何者で、何が目的かは分からない。だが一つ言えるのは、勇者との追いかけっこ以上の荒事が、高い確率でこの町にやってくるって事だ」
そう言った後にルデラは、「いや、もう来てるのかもな……」と言葉を付け加える。
「……昨晩、襲撃された詰め所の警備兵は、二人組の男に襲われたことを覚えていたと報告で聞いています。さらに、宿の調査に向かった隊が死体で見された時の状況も、どこか妙だったと――。もしや、それが――」
「かもしれないな」
ポプラノステクの予想に、ルデラは曖昧な返事を寄越す。
「まぁ、相手が勇者だろうと得体のしれない組織だろうと、俺達のやる事は変わらない。この町を脅かす要素を排除する、これが役割だ。――だから、そのための可能な限りの装備をし、事態に備えろ。すでに広間で対応した陣も描かせている。いいか、これは中央のやつ等のためでの、ましてや魔王軍とやらのためでもない。俺達と皆のこの町を守るためだ」
ルデラはそう言うと、椅子に預けていた背を起こし、机の上に置かれた箱の中の剣を指し示した。
「………了解です」
そう返事を返し、ポプラノステクはその禍々しい剣を受け取った。
町の庁舎の上階にあるバルコニー。
そこにエルフのリーダー、マイリセリアの姿があった。
「ふふ」
彼女は手に小鳥を止まらせている。
バルコニーの柵の手すりにも数羽の小鳥がとまり、皆、彼女の顔を見上げている。。
「やだ、つつかないで。くすぐったいわ」
小鳥たちと戯れ、楽しそうに笑うマイリセリア。その姿はまるで年端もいかぬ少女のようだった。
しかし、次の瞬間。小鳥たちは何かに気付き、そして一斉に飛び去っていってしまった。まるで、何か恐ろしいものの気配を感じ取ったかのように。
「見てくれだけは麗しいな」
そして彼女の背後から、皮肉気な言葉が聞こえてくる。
マイリセリアが振り向くと、そこに居たのは他でもないポプラノステクだった。
陰湿で狡猾そうな風貌のポプラノステクと、可憐な容姿のマイリセリア。両名の対峙する光景は、知らぬ人間が見れば、見ればまるで、捕らわれのエルフのお姫様と、悪役のようであった。
「無粋な事をするわね。せっかくかわいい小鳥達とお話していたのに。みんな、あなたの嫌な気配に怯えて逃げていってしまったわ」
「何が小鳥とお話だ、穢れを知らないお姫様のつもりか?本性はドス黒く穢れている癖をして」
不服げに言ったマイリセリアに向けて、ポプラノステクは嫌悪感に染めた顔で返す。
「エルフは高潔な存在だと聞いていたが、とてもあんたはそうは見えん。ひょっとしてあんたのその耳は、付け耳なんじゃないのか?」
「あら、正真正銘のエルフを捕まえておいて、付け耳だなんて。失礼しちゃうわね、まったく」
ポプラノステクの痛烈な嫌味に、マイリセリアは言葉でこそ不服さを示して見せるが、その顔は微笑を浮かべていた。
「それにしても――最初から微かには感じていたけど、ずいぶん禍々しい気配が強くなったわね、あなた?」
ポプラノステクの様子の変化を感じ取ったマイリセリアは、しげしげとを彼を眺める。
「あんたには関係ない」
対して、ポプラノステクはぶっきらぼうに一言だけ返した。
「それより、準備をしておけ。あんたらにもまた、動いてもらうことになりそうだ」
「あらあら、楽しい事になりそうね」
準備とはすなわち戦い、荒事に対する準備を示したが、マイリセリアはそれを分かっていながら、まるで遊びにでも出かけるように楽しそうに笑って見せる。
ポプラノステクはそんなマイリセリアを不快そうに一瞥し、その場を立ち去った。
凪美の町。ある一角の路地裏。
「ん……」
水戸美は、路地裏に雑多に積み上げられた木箱の影で目を覚ました。
「あれ……うわ!嘘……やだ、寝ちゃってた……!」
そして自分が置かれた状況を思い出し、そんな言葉を発する水戸美。
昨晩、窮地に陥り宿を逃げ出した水戸美。
その逃走の最中で逃げ疲れた水戸美は、見つけた隠れられそうな場所で少しの休息を取ろうとした。
しかし、見知らぬ町の中での逃走は予想以上に水戸美の体力を奪っており、彼女はそのまま寝入ってしまったのだった。
「こんな状況で……!我ながら抜けてるにも程があるよ……」
己の失態を恥ずかしく思いながらも、周辺に人の気配が無い事にほっとする彼女。
しかし、それも束の間。
次の瞬間には急激な不安が彼女を襲った。
「どうしよう……やっぱり当ても無く逃げ回るよりも、宿に戻ってみたほうがいいのかな……」
水戸美は考えを巡らせながら立ち上がり、木箱の影から路地の先を覗き見ようとした。
「ちょっと、君?」
しかしその時、突然声が掛けられ、水戸美は飛び上がりそうになった。
おそるおそる背後を振り向くと、そこには二人組の男達がいた。
「こんな所で何をしてるんだい?」
二人組は、どちらもここの警備隊の制服を纏っている。
その片割れが一歩踏み出しながら、彼女に尋ねて来た。
「あ……」
水戸美の顔が恐怖で硬直する。
「どうしたんだい、何かあったのか?」
一方の警備兵は、水戸美の事を捕縛対象とは気づいていないらしく、様子のおかしい水戸美の顔を、心配そうにのぞき込んでくる。
「ちょっと待て、黒い髪の女……君、まさか――」
しかしその時、横に居たもう一人の警備兵が、水戸美の特徴に気が付き、声を上げた。
「ッ!」
警備兵のその言葉を聞いた瞬間、水戸美は身を翻して逃げ出した。
「あッ!君、待ちなさい!――待て!」
「やはり彼女が通達にあった対象だ!応援を呼ぶぞ!」
路地内の障害物をかき分けて逃げる水戸美の背後で、そんな声が聞こえる。
そして警笛の音が、まだ目覚め切っていない町中で響き渡った。
「今のは?」
「警笛みたいですね」
町の教会の鐘楼。
交代での短い仮眠を終え、二人体制での邦人捜索を再開した鷹幅と不知窪の耳に、甲高い笛の音が届いたのはその時だった。
「ここの警備隊が何か見つけたのか?」
「はたして勇者か、邦人か」
呟きながら不知窪は、そして鷹幅も、笛の音の聞こえた方向に視線を向ける。
教会から、区画を一つ挟んだ先に走る通り。その道に面する路地から、一人の人間が掛け出てくるのが見えた。
それぞれ双眼鏡を構えた鷹幅と不知窪の目に、その人物の詳細な容姿が映る。この世界では自分達以外ではまず見る事の無かった、黒髪の女だった。
「発見した!おそらく彼女だッ!」
走る彼女の後ろからは、同じく路地から飛び出してきた二人組の警備兵が見える。
「追われてるようです」
邦人らしき女は必死に走っているが、その速度から追いつかれるのは時間の問題見えた。さらに彼女の進行方向からは、応援に駆け付けたらしい別の二人組の警備兵が迫っていた。
「まずい――彼女、挟み撃ちにあったぞ……!」
「あのままだと捕まります。警備兵を排除しましょう」
言いながら不知窪は、自分の装備である99式7.7㎜小銃を繰り出す。
「待つんだ!本隊に発砲許可を……!」
不知窪のその言葉と行動に、鷹幅は制止の声を掛けようとする。
「すでに、こっちの判断で撃っていいと言われてるでしょう」
しかし不知窪は、すでに発砲の許可が下りている旨を、何を今更といった風に鷹幅に告げる。
「ッ――間違っても邦人に当てるなよ!」
「もちろん」
鷹幅の釘を刺す言葉に端的に答えると、不知窪は99式7.7㎜小銃を構え、装着された狙撃用スコープを除く。
照準の先に警備兵の一人の背中を捉えた不知窪は、短い照準付けの時間の後に、小銃の引き金を引いた。
進路も退路も塞がれ、いよいよ最後かと表情を強張らせた水戸美。
――そんな彼女の耳が、パン、という乾いた破裂音を聞いたのは、その時だった。
「え?」
「――ぐぁ……」
そして、目の前に立ちはだかった警備兵が、苦し気な声を零して崩れ落ちる姿が、水戸美のその目に映った。
まず、立ちはだかった警備兵の内の一人に7.7㎜弾を撃ち込んだ不知窪は、小銃のボルトを操作して、空薬莢を輩出。折り返しのボルト操作で薬室に次弾を送り込むと、次の標的に照準を合わせる。
そして引き金を引き、再び発砲音が響いた。
再び乾いた破裂音が響いた瞬間、前から迫っていたもう一人の警備兵が倒れた。
突然の現象に、水戸美はただ硬直している。
そして今度は、そんな彼女の背後でその現象が起きる。
破裂音と共にした、背後での物音に誘われ振り向けば、彼女を最初に発見した警備兵が地面に倒れている姿が見えた。
「ローグル!?ッ、一体何が――」
最後に残った、水戸美を捕縛対象だと気付いた警備兵が声を上げかける。
しかし彼は言葉を発し切る事無く、またも破裂音が響いた瞬間に、何かに殴打されるようにのけぞり、そして地面に打ち倒された。
「……え……?」
少しの間、水戸美は何が起こったのか分からず呆気に取られていた。
しかし直後に彼女の目が、倒れた警備兵から地面に流れ出る、赤い液体を見る。
人の死。
この世界に初めて降り立ち、ファニール達に救われた時にも、一度見てはいた。
しかしあの時は混乱しており、目の前で人が死んでいく様子をまじまじと見るのは、これが初めてであった。
「あ……ひ……っ!」
改めて直面した人の死に、水戸美は小さな悲鳴を上げて狼狽えかけた。
「……え?」
しかしその時、彼女の目は視線の先に、教会の鐘楼で光を見た。
彼女の狼狽を阻害するように瞬き出した光は、自然現象では起こりえない、意図的な点滅を繰り返している。
そして水戸美の目は、鐘楼に人影を捉えた。
その正体は皆目不明であり、彼女を別種の不安と恐怖が襲う。
しかし、今の彼女にはそこを目指す以外の選択肢は無く、水戸美は恐る恐るといった動きで、教会を目指して駆け出した。
「よし、いい子だ。そのままこっちに来るんだ」
不知窪はこちらに向けて駆け出した邦人の姿を追いながら呟く。
同時にその片手で持ったライトを彼女に向けて、点灯と消灯のスイッチ操作を繰り返している。このまま彼女が教会までたどり着けば、後はヘリコプターを呼んで到着まで耐え凌ぎ、この町から脱出するだけだ。
「ッ!通りの反対側から別の警備兵、分隊規模!」
しかし、別方向を監視していた鷹幅が声を上げる。
不知窪が視線を移せば、邦人の進行方向から、今度は8~9人の警備兵の部隊が近づいて来る姿が見えた。
「対応します」
「頼む――って、わっ!?」
発しかけた鷹幅の身体に重圧がかかる。
位置を変えた不知窪が、鷹幅の体に覆いかぶさったのだ。
二十代後半でありながら少年のような容姿体躯の高幅は、不知窪の長身に押しつぶされる。
「お、おい!」
「我慢してください、ここが最良の位置なんです」
身を捩る孝幅に、子供に言い聞かせるように言った不知窪は、そのまま小銃を構え直してスコープを覗く。
そして、隊列の先頭を走る警備兵に照準を着け、発砲した。
撃ち出された弾は戦闘に位置していた警備兵に命中し、警備兵はその場に崩れ落ちる。
突然の事態に、後続の警備兵達の足が止まる。
それをチャンスと、不知窪は足を止めた警備兵の一人を照準に捉える。そしてボルト操作の後に再び引き金を引き、二人目の警備兵に7.7㎜弾を撃ち込んだ。
ボルト操作、再照準、発砲の手順を素早く繰り返し、不知窪は小銃から立て続けに発砲音を響かせる。
狼狽していた警備兵達はそこを狙われ、三人、四人と銃弾を撃ち込まれて倒れていった。警備兵達は、そこまで来てようやく事態に察しをつけたのか、道の両脇へと散会してゆく。
不知窪は逃げ隠れてゆく内の一人を追いかけ、その背中に弾倉内に残った最後の一発を撃ち込んだ。
「計五人、排除もしくは負傷させました。残りは警戒して前進をためらってるようです」
鷹幅に報告を上げながら、不知窪は弾切れを起こした小銃に、7.7mm弾のまとめられたクリップを押し込み、再装填を完了させる。
「それは良かったが……早くどいてくれ!」
不知窪に乗っかられたままの鷹幅は、再び身を捩りながら声を荒げる。
「まったく……邦人は――良し、こっちに来てる」
不知窪の重圧から解放された鷹幅は、双眼鏡で邦人の姿を確認。障害の無くなった通りを、邦人が順調に教会へと向かっている姿を見て、安堵の声を上げる。
しかし、教会へと向かう途中の彼女前に、路地から別の警備兵が姿を現したのはその時だった。
「まずいッ!」
その光景に、思わず声を上げる鷹幅。
立ちはだかった警備兵を前に、邦人は身を翻して反対方向に逃げようとする。しかし、警備兵の動きの方が早く、彼女は警備兵に羽交い絞めにされてしまう。
「しまった!彼女が捕まったッ!」
「ッ」
鷹幅の声に反応した不知窪は、即座に小銃をそちらへ向けて、引き金に指を掛ける。
「よせ!あの子に当たる!」
しかし、不知窪の小銃を鷹幅がその腕で跳ね上げて、発砲を阻んだ。
邦人と警備兵の姿は完全に重なっており、撃つことは危険だと判断したのだ。
「しかし」
その間に現れた警備兵は、邦人のを羽交い絞めにしたまま、路地の影へと消えて行ってしまった。
「あーあ」
その様子に、どこか他人事のように声を零す不知窪。
「ッ、路地に入られた……」
「――いや、待った。まだ隙間から見えるかも」
失意の声を零す鷹幅に、しかし不知窪はまだ可能性を捨てていない言葉を発する。
そして小銃のスコープを覗き、路地の延長線を予測して、視線でそれを辿る。
「見えた、見えました。あの川沿いの建物に連れ込まれた」
そして不知窪は、建物同士のわずかな隙間から、邦人が一つの建物に連れ込まれる姿を見た。
「絶妙な角度でした。もう少しズレてたら死角になってたな」
邦人の連れ込まれた建物を確認した不知窪は、小銃を降ろしながらそんな言葉を零す。
「しかし、もう少しで掠め取れたんですがね。ちょっと面白くないな」
「彼女に当たったら元も子もないだろう……!」
続けて不服気にいった不知窪に、鷹幅は語調をきつくして返す。
「まあ、そうですけど。で、どうします?我々で踏み込みますか?」
「いや――」
不知窪の提案を否定し、鐘楼から眼下へ視線を向ける鷹幅。
見れば、さらに一個分隊程の警備兵が。彼らの陣取る教会へと迫って来るのが見えた。
「警備隊に本格的に動き出された、これ以上は我々だけでは火力不足だ……」
「じゃあ、本隊に応援要請ですね」
苦々しく言う鷹幅に対して、この状況にも関わらず、緊張感の無い声で言う不知窪。
「あぁ……私が要請する。お前は外の警備兵に対応してくれ」
「了」
再び射撃体勢に移った不知窪を横目に見ながら、鷹幅は通信回線を開き、インカムに向けて発し始めた。
「アルマジロ1-2、こちらロングショット1!ペンデュラムへ要請、〝レーベンホルムには行かない〟。繰り返す、〝レーベンホルムには行かない〟ッ!呼応展開部隊の出動願う!」
捕えられた水戸美は、路地を引きずられ、その奥にある建物に引きずり込まれた。
「放してッ!」
「糞、この!暴れるな!」
「あぅッ――!」
必死に抵抗を試みた水戸美は、しかし鬱陶しがった警備兵に後ろ首を殴打され、気絶してしまった。
「おい、なんでここに連れて来た!」
そこへ、建物内にいた別の警備兵が駆け付ける。
警備兵は、水戸美の姿を見て声を荒げた。
「しょうがないだろ……!外は今、こいつの仲間らしき奴の攻撃に晒されてるんだ。中央区域隊のヤツ等がバタバタとやられてた……!」
他の警備兵がやられていく様子を目撃していた彼は、その様子を思い返して顔を青く染める。
「だからって、ここが他の区域隊のやつ等にばれたらまずいのは分かってるだろう!?」
「分かってる!とにかくこの娘は水路で運んで、とっとと本部に引き渡しちまおう……!」
警備兵達は、焦り慌てた様子で動き始めた。
凪美の町の警備隊隊長ポプラノステクは、自身の執務室のソファで目を覚ました。
「少しは眠れたか……」
窓から差し込む光のまぶしさに、他人からは一見陰湿そうと評される造形の顔を顰め、いささか寝不足気味な眼を拭いながら、呟くポプラノステク。
そこへ、彼が目を覚ますのを待っていたかのようなタイミングで、扉がノックされた。
「入ってくれ」
扉に向けて声を飛ばすと、扉が開かれて一人の女が入って来る。自分の直接の部下であり副官である、女警備兵のヒュリリだった。
「失礼します」
「また何かあったか?」
「いえ、昨晩の詰め所の襲撃以降。異変は報告されていません。ただ……町長が隊長をお呼びです」
「まさか、お叱りかな――了解、行くよ」
警備隊の制服のまま仮眠を取っていたポプラノステクは、立ち上がってソファに掛けておいた上着を羽織ると、扉へと向かった。
部屋を出ると、さらに外で待機していた二名の護衛の警備兵が敬礼をし、扉をくぐったポプラノステクとヒュリリの後に付く。
普段であれば護衛など付けないポプラノステクだが、彼の部下達は、侵入者がいつどこから現れるかもしれない現状を鑑み、ポプラノステクが護衛を付けることを強く要望した。
自分を気遣った案を無碍にすることもできず、ポプラノステクはこうして護衛されるという慣れない状況に甘んじていた。
「鬱陶しいでしょうが、我慢してください」
心情を察したのか、護衛の警備兵の一人がそんな言葉を発する。
「心を読むのを止めてくれ」
護衛の言葉に、苦々しい表情で返すポプラノステク。
「勇者を追ってる各員も、ちゃんと眠ってるんだろうな?」
ポプラノステクは横に居るヒュリリに尋ねる。
「各区域隊には交代、休眠を疎かにしないように伝達してあります。皆、少なくとも隊長よりは眠っているはずです」
「ならいいんだが」
呟きながら、ポプラノステク等はやや早い歩調で、目的の場所を目指した。
凪美の町警備隊の本部は、町の東側の一帯に存在する古城を再利用したものだ。
元は中規模だった古城は増改築を繰り返され、ゴテゴテと建物施設が取りつき隣接している。その内の一角には町役場として利用されている建物もあり、その中には町の町長の執務室も存在した。
その町長の執務室では現在、机を挟んで二人の人物が対峙していた。
片方は商議会より派遣されて来た中央府の警備兵。もう一人はこの町の町長で、名をルデラと言った。
「傭兵どもめ……!失敗しておめおめ返って来るなど」
忌々し気に呟くのは、中央府の警備兵。
二人の間で交わされている今の議題は、昨晩草風の村に差し向けた傭兵隊が、撤退して来た件について。そしてその傭兵隊が相手取ったという、正体不明の敵組織についてだ。
「傭兵達の手に負えない相手が出て来たと言うんだから、しょうがないだろう」
対してこの町の町長ルデラは、威厳漂う中年男性といった外観に反した、軽い口調で言う。
「だからといって、なぜ契約を中止し奴らを帰したのです!?生き残り共に尻拭いをさせるべきだったんだ!」
執務机をバンと叩き、中央府の警備兵は訴える。
「そんな事はしたくなかったんでね。その現れた敵の事を考えれば、犠牲が増えるだけで無意味だろう。それより、情報を持ち帰って来てくれただけでも感謝すべきだ」
「何を呑気な――ルデラ殿、事の重要性を分かっているのですか!商会員殿の安否が知れぬ今、あなたにしっかりしていただかないと!」
「分かってるさ。だがそもそも、あの村にそこまで躍起になる必要があるのか?」
憤慨する中央府の警備兵に対して、町長は尋ねる。
「草風の村の村長は、未だ指示する人間も多い……計画の邪魔になりえる存在は、消しておくべきなのです……!」
「物騒な事だ。ま、俺達も人の事を言えた義理ではないが」
その時、町長室の扉をノックする音が室内に響いた。
「ッ――私は捉えた騎士を連行する馬車に同伴し、中央府へ戻ります。この事態を伝えないと」
中央府の警備兵は、憤慨冷め止まぬ様子のまま、身を翻して町長室の出入り口へと向かった。
「おっと」
目的地である町長室の前まで到着したポプラノステク。
町長室の扉をノックしてほんの数秒立った所で、扉が勢いよく開かれ、ポプラノステクは思わず声を零した。
「ッ――失礼」
出て来た中央府の警備兵は、ポプラノステクに対して鬱陶しそうな表情を隠そうともせず、言葉面だけでの謝罪を述べると、彼とすれ違って足早に廊下の角へと消えて行った。
「入っていいぞ」
開きっ放しの出入り口から、ルデラの入室を許可する声が聞こえてくる。
「二人はここで待ってくれ――失礼します」
護衛の警備隊二人に外で待機するように命じ、ポプラノステクとヒュリリは、中央府の警備兵と入れ替わりに足を踏み入れた。
「ポプラノステク、出頭いたしました」
入室したポプラノステクは、執務机の前に立って発した。
「聞いたよ。昨晩から勇者に振り回され、大分被害が出ているそうじゃないか」
机越しに目の前に立ったポプラノステクに向けて、ルデラはおもむろに発した。ルデラの言う事は確かであり、警備隊は昨晩から多くの被害を出していた。
それはポプラノステクも当然掌握している事であった。
昨日夕方には、勇者の仲間である騎士を捕縛する際に、ポプラノステクの配下の警備兵二名が犠牲となった事はむろんの事。
昨晩は、勇者の宿泊する宿の調査に赴いた警備兵長たちが死体となって発見された。
勇者を追っていた中央府の警備兵と、拘束した者の移送準備に当たっていた警備兵が、勇者の犠牲になった。
警備隊の詰め所が襲撃を受けた。
といった報告が続々とポプラノステクの元に上がって来ていた。
「ちょ、町長!決して隊長に非は……!」
そこへヒュリリがポプラノステクを庇おうと、一歩前に出る。
「ヒュリリ。お前は外に出ていなさい」
しかし、ルデラは前に出て来たヒュリリに、静かに退室を促した。
「え……!し、しかし……!」
その言葉に、異を唱えようとするヒュリリ。
「出ていなさい」
「……はい、父様……」
しかし、再び退室を促され、ヒュリリはシュンとした様子でそれを承諾した。
ルデラの言葉は決して強い物ではなかったが、しかし、実の父のその内に込められた有無を言わせぬ気迫に、ヒュリリは従うほかなかった。
「やれやれ、あいつはお前のためとなると早とちりしがちだな」
ヒュリリの退室を見届けたルデラは、少し呆れた調子で呟く。
「――申し訳ありません。全て私の落ち度です」
そんなルデラに対して、ポプラノステクは、自分の責を受け入れるべく言葉を発する。
「あぁ、お前まで早とちりしてくれるな。警備隊から犠牲が出たのは痛ましいことだが、何もその件でお前さんをどうこうしようと、呼び出したわけじゃない」
しかし対するルデラは、どこか軽い調子でポプラノステクの落ち度を否定した。
「ではなぜ私を?」
「まぁ待て――よっと」
ルデラは自分の椅子から立ち上がると、部屋の端からそこに置いてあった細長い木箱を持ってきて、執務机の上にドカリと置いた。
「……これは」
「お前から預かっていた物だ。返すから持って行け」
言いながらルデラは、箱の蓋を開けてその中身を目線で指し示して見せる。
細長い木箱に収まっていたのは、一本の剣だ。
剣先から柄までが一貫して漆黒で彩られた、いささか禍々しさを感じさせる大剣。それは、ポプラノステクがかつて愛用していた剣だった。
「しかし――これはもう使うまいとお預けしたものです……」
ポプラノステクは受け取りを拒絶する。
「はぁ、こういう言い方はしたくなかったんだが――こいつは命令だ」
あまり気の進まないといった様子で言い放ちながら、ルデラは再び椅子にドカリと腰を降ろす。
「昨晩の傭兵隊の件は聞いてるよな?草風の村は、どうにも半端じゃないやつ等を雇い入れたらしい」
草風の村に差し向けられた傭兵隊が、その過程で襲撃に遭い、酷い被害を追って撤退して来た事は、ポプラノステクも報告で聞いていた。
「そいつらが一体何者で、何が目的かは分からない。だが一つ言えるのは、勇者との追いかけっこ以上の荒事が、高い確率でこの町にやってくるって事だ」
そう言った後にルデラは、「いや、もう来てるのかもな……」と言葉を付け加える。
「……昨晩、襲撃された詰め所の警備兵は、二人組の男に襲われたことを覚えていたと報告で聞いています。さらに、宿の調査に向かった隊が死体で見された時の状況も、どこか妙だったと――。もしや、それが――」
「かもしれないな」
ポプラノステクの予想に、ルデラは曖昧な返事を寄越す。
「まぁ、相手が勇者だろうと得体のしれない組織だろうと、俺達のやる事は変わらない。この町を脅かす要素を排除する、これが役割だ。――だから、そのための可能な限りの装備をし、事態に備えろ。すでに広間で対応した陣も描かせている。いいか、これは中央のやつ等のためでの、ましてや魔王軍とやらのためでもない。俺達と皆のこの町を守るためだ」
ルデラはそう言うと、椅子に預けていた背を起こし、机の上に置かれた箱の中の剣を指し示した。
「………了解です」
そう返事を返し、ポプラノステクはその禍々しい剣を受け取った。
町の庁舎の上階にあるバルコニー。
そこにエルフのリーダー、マイリセリアの姿があった。
「ふふ」
彼女は手に小鳥を止まらせている。
バルコニーの柵の手すりにも数羽の小鳥がとまり、皆、彼女の顔を見上げている。。
「やだ、つつかないで。くすぐったいわ」
小鳥たちと戯れ、楽しそうに笑うマイリセリア。その姿はまるで年端もいかぬ少女のようだった。
しかし、次の瞬間。小鳥たちは何かに気付き、そして一斉に飛び去っていってしまった。まるで、何か恐ろしいものの気配を感じ取ったかのように。
「見てくれだけは麗しいな」
そして彼女の背後から、皮肉気な言葉が聞こえてくる。
マイリセリアが振り向くと、そこに居たのは他でもないポプラノステクだった。
陰湿で狡猾そうな風貌のポプラノステクと、可憐な容姿のマイリセリア。両名の対峙する光景は、知らぬ人間が見れば、見ればまるで、捕らわれのエルフのお姫様と、悪役のようであった。
「無粋な事をするわね。せっかくかわいい小鳥達とお話していたのに。みんな、あなたの嫌な気配に怯えて逃げていってしまったわ」
「何が小鳥とお話だ、穢れを知らないお姫様のつもりか?本性はドス黒く穢れている癖をして」
不服げに言ったマイリセリアに向けて、ポプラノステクは嫌悪感に染めた顔で返す。
「エルフは高潔な存在だと聞いていたが、とてもあんたはそうは見えん。ひょっとしてあんたのその耳は、付け耳なんじゃないのか?」
「あら、正真正銘のエルフを捕まえておいて、付け耳だなんて。失礼しちゃうわね、まったく」
ポプラノステクの痛烈な嫌味に、マイリセリアは言葉でこそ不服さを示して見せるが、その顔は微笑を浮かべていた。
「それにしても――最初から微かには感じていたけど、ずいぶん禍々しい気配が強くなったわね、あなた?」
ポプラノステクの様子の変化を感じ取ったマイリセリアは、しげしげとを彼を眺める。
「あんたには関係ない」
対して、ポプラノステクはぶっきらぼうに一言だけ返した。
「それより、準備をしておけ。あんたらにもまた、動いてもらうことになりそうだ」
「あらあら、楽しい事になりそうね」
準備とはすなわち戦い、荒事に対する準備を示したが、マイリセリアはそれを分かっていながら、まるで遊びにでも出かけるように楽しそうに笑って見せる。
ポプラノステクはそんなマイリセリアを不快そうに一瞥し、その場を立ち去った。
凪美の町。ある一角の路地裏。
「ん……」
水戸美は、路地裏に雑多に積み上げられた木箱の影で目を覚ました。
「あれ……うわ!嘘……やだ、寝ちゃってた……!」
そして自分が置かれた状況を思い出し、そんな言葉を発する水戸美。
昨晩、窮地に陥り宿を逃げ出した水戸美。
その逃走の最中で逃げ疲れた水戸美は、見つけた隠れられそうな場所で少しの休息を取ろうとした。
しかし、見知らぬ町の中での逃走は予想以上に水戸美の体力を奪っており、彼女はそのまま寝入ってしまったのだった。
「こんな状況で……!我ながら抜けてるにも程があるよ……」
己の失態を恥ずかしく思いながらも、周辺に人の気配が無い事にほっとする彼女。
しかし、それも束の間。
次の瞬間には急激な不安が彼女を襲った。
「どうしよう……やっぱり当ても無く逃げ回るよりも、宿に戻ってみたほうがいいのかな……」
水戸美は考えを巡らせながら立ち上がり、木箱の影から路地の先を覗き見ようとした。
「ちょっと、君?」
しかしその時、突然声が掛けられ、水戸美は飛び上がりそうになった。
おそるおそる背後を振り向くと、そこには二人組の男達がいた。
「こんな所で何をしてるんだい?」
二人組は、どちらもここの警備隊の制服を纏っている。
その片割れが一歩踏み出しながら、彼女に尋ねて来た。
「あ……」
水戸美の顔が恐怖で硬直する。
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一方の警備兵は、水戸美の事を捕縛対象とは気づいていないらしく、様子のおかしい水戸美の顔を、心配そうにのぞき込んでくる。
「ちょっと待て、黒い髪の女……君、まさか――」
しかしその時、横に居たもう一人の警備兵が、水戸美の特徴に気が付き、声を上げた。
「ッ!」
警備兵のその言葉を聞いた瞬間、水戸美は身を翻して逃げ出した。
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「やはり彼女が通達にあった対象だ!応援を呼ぶぞ!」
路地内の障害物をかき分けて逃げる水戸美の背後で、そんな声が聞こえる。
そして警笛の音が、まだ目覚め切っていない町中で響き渡った。
「今のは?」
「警笛みたいですね」
町の教会の鐘楼。
交代での短い仮眠を終え、二人体制での邦人捜索を再開した鷹幅と不知窪の耳に、甲高い笛の音が届いたのはその時だった。
「ここの警備隊が何か見つけたのか?」
「はたして勇者か、邦人か」
呟きながら不知窪は、そして鷹幅も、笛の音の聞こえた方向に視線を向ける。
教会から、区画を一つ挟んだ先に走る通り。その道に面する路地から、一人の人間が掛け出てくるのが見えた。
それぞれ双眼鏡を構えた鷹幅と不知窪の目に、その人物の詳細な容姿が映る。この世界では自分達以外ではまず見る事の無かった、黒髪の女だった。
「発見した!おそらく彼女だッ!」
走る彼女の後ろからは、同じく路地から飛び出してきた二人組の警備兵が見える。
「追われてるようです」
邦人らしき女は必死に走っているが、その速度から追いつかれるのは時間の問題見えた。さらに彼女の進行方向からは、応援に駆け付けたらしい別の二人組の警備兵が迫っていた。
「まずい――彼女、挟み撃ちにあったぞ……!」
「あのままだと捕まります。警備兵を排除しましょう」
言いながら不知窪は、自分の装備である99式7.7㎜小銃を繰り出す。
「待つんだ!本隊に発砲許可を……!」
不知窪のその言葉と行動に、鷹幅は制止の声を掛けようとする。
「すでに、こっちの判断で撃っていいと言われてるでしょう」
しかし不知窪は、すでに発砲の許可が下りている旨を、何を今更といった風に鷹幅に告げる。
「ッ――間違っても邦人に当てるなよ!」
「もちろん」
鷹幅の釘を刺す言葉に端的に答えると、不知窪は99式7.7㎜小銃を構え、装着された狙撃用スコープを除く。
照準の先に警備兵の一人の背中を捉えた不知窪は、短い照準付けの時間の後に、小銃の引き金を引いた。
進路も退路も塞がれ、いよいよ最後かと表情を強張らせた水戸美。
――そんな彼女の耳が、パン、という乾いた破裂音を聞いたのは、その時だった。
「え?」
「――ぐぁ……」
そして、目の前に立ちはだかった警備兵が、苦し気な声を零して崩れ落ちる姿が、水戸美のその目に映った。
まず、立ちはだかった警備兵の内の一人に7.7㎜弾を撃ち込んだ不知窪は、小銃のボルトを操作して、空薬莢を輩出。折り返しのボルト操作で薬室に次弾を送り込むと、次の標的に照準を合わせる。
そして引き金を引き、再び発砲音が響いた。
再び乾いた破裂音が響いた瞬間、前から迫っていたもう一人の警備兵が倒れた。
突然の現象に、水戸美はただ硬直している。
そして今度は、そんな彼女の背後でその現象が起きる。
破裂音と共にした、背後での物音に誘われ振り向けば、彼女を最初に発見した警備兵が地面に倒れている姿が見えた。
「ローグル!?ッ、一体何が――」
最後に残った、水戸美を捕縛対象だと気付いた警備兵が声を上げかける。
しかし彼は言葉を発し切る事無く、またも破裂音が響いた瞬間に、何かに殴打されるようにのけぞり、そして地面に打ち倒された。
「……え……?」
少しの間、水戸美は何が起こったのか分からず呆気に取られていた。
しかし直後に彼女の目が、倒れた警備兵から地面に流れ出る、赤い液体を見る。
人の死。
この世界に初めて降り立ち、ファニール達に救われた時にも、一度見てはいた。
しかしあの時は混乱しており、目の前で人が死んでいく様子をまじまじと見るのは、これが初めてであった。
「あ……ひ……っ!」
改めて直面した人の死に、水戸美は小さな悲鳴を上げて狼狽えかけた。
「……え?」
しかしその時、彼女の目は視線の先に、教会の鐘楼で光を見た。
彼女の狼狽を阻害するように瞬き出した光は、自然現象では起こりえない、意図的な点滅を繰り返している。
そして水戸美の目は、鐘楼に人影を捉えた。
その正体は皆目不明であり、彼女を別種の不安と恐怖が襲う。
しかし、今の彼女にはそこを目指す以外の選択肢は無く、水戸美は恐る恐るといった動きで、教会を目指して駆け出した。
「よし、いい子だ。そのままこっちに来るんだ」
不知窪はこちらに向けて駆け出した邦人の姿を追いながら呟く。
同時にその片手で持ったライトを彼女に向けて、点灯と消灯のスイッチ操作を繰り返している。このまま彼女が教会までたどり着けば、後はヘリコプターを呼んで到着まで耐え凌ぎ、この町から脱出するだけだ。
「ッ!通りの反対側から別の警備兵、分隊規模!」
しかし、別方向を監視していた鷹幅が声を上げる。
不知窪が視線を移せば、邦人の進行方向から、今度は8~9人の警備兵の部隊が近づいて来る姿が見えた。
「対応します」
「頼む――って、わっ!?」
発しかけた鷹幅の身体に重圧がかかる。
位置を変えた不知窪が、鷹幅の体に覆いかぶさったのだ。
二十代後半でありながら少年のような容姿体躯の高幅は、不知窪の長身に押しつぶされる。
「お、おい!」
「我慢してください、ここが最良の位置なんです」
身を捩る孝幅に、子供に言い聞かせるように言った不知窪は、そのまま小銃を構え直してスコープを覗く。
そして、隊列の先頭を走る警備兵に照準を着け、発砲した。
撃ち出された弾は戦闘に位置していた警備兵に命中し、警備兵はその場に崩れ落ちる。
突然の事態に、後続の警備兵達の足が止まる。
それをチャンスと、不知窪は足を止めた警備兵の一人を照準に捉える。そしてボルト操作の後に再び引き金を引き、二人目の警備兵に7.7㎜弾を撃ち込んだ。
ボルト操作、再照準、発砲の手順を素早く繰り返し、不知窪は小銃から立て続けに発砲音を響かせる。
狼狽していた警備兵達はそこを狙われ、三人、四人と銃弾を撃ち込まれて倒れていった。警備兵達は、そこまで来てようやく事態に察しをつけたのか、道の両脇へと散会してゆく。
不知窪は逃げ隠れてゆく内の一人を追いかけ、その背中に弾倉内に残った最後の一発を撃ち込んだ。
「計五人、排除もしくは負傷させました。残りは警戒して前進をためらってるようです」
鷹幅に報告を上げながら、不知窪は弾切れを起こした小銃に、7.7mm弾のまとめられたクリップを押し込み、再装填を完了させる。
「それは良かったが……早くどいてくれ!」
不知窪に乗っかられたままの鷹幅は、再び身を捩りながら声を荒げる。
「まったく……邦人は――良し、こっちに来てる」
不知窪の重圧から解放された鷹幅は、双眼鏡で邦人の姿を確認。障害の無くなった通りを、邦人が順調に教会へと向かっている姿を見て、安堵の声を上げる。
しかし、教会へと向かう途中の彼女前に、路地から別の警備兵が姿を現したのはその時だった。
「まずいッ!」
その光景に、思わず声を上げる鷹幅。
立ちはだかった警備兵を前に、邦人は身を翻して反対方向に逃げようとする。しかし、警備兵の動きの方が早く、彼女は警備兵に羽交い絞めにされてしまう。
「しまった!彼女が捕まったッ!」
「ッ」
鷹幅の声に反応した不知窪は、即座に小銃をそちらへ向けて、引き金に指を掛ける。
「よせ!あの子に当たる!」
しかし、不知窪の小銃を鷹幅がその腕で跳ね上げて、発砲を阻んだ。
邦人と警備兵の姿は完全に重なっており、撃つことは危険だと判断したのだ。
「しかし」
その間に現れた警備兵は、邦人のを羽交い絞めにしたまま、路地の影へと消えて行ってしまった。
「あーあ」
その様子に、どこか他人事のように声を零す不知窪。
「ッ、路地に入られた……」
「――いや、待った。まだ隙間から見えるかも」
失意の声を零す鷹幅に、しかし不知窪はまだ可能性を捨てていない言葉を発する。
そして小銃のスコープを覗き、路地の延長線を予測して、視線でそれを辿る。
「見えた、見えました。あの川沿いの建物に連れ込まれた」
そして不知窪は、建物同士のわずかな隙間から、邦人が一つの建物に連れ込まれる姿を見た。
「絶妙な角度でした。もう少しズレてたら死角になってたな」
邦人の連れ込まれた建物を確認した不知窪は、小銃を降ろしながらそんな言葉を零す。
「しかし、もう少しで掠め取れたんですがね。ちょっと面白くないな」
「彼女に当たったら元も子もないだろう……!」
続けて不服気にいった不知窪に、鷹幅は語調をきつくして返す。
「まあ、そうですけど。で、どうします?我々で踏み込みますか?」
「いや――」
不知窪の提案を否定し、鐘楼から眼下へ視線を向ける鷹幅。
見れば、さらに一個分隊程の警備兵が。彼らの陣取る教会へと迫って来るのが見えた。
「警備隊に本格的に動き出された、これ以上は我々だけでは火力不足だ……」
「じゃあ、本隊に応援要請ですね」
苦々しく言う鷹幅に対して、この状況にも関わらず、緊張感の無い声で言う不知窪。
「あぁ……私が要請する。お前は外の警備兵に対応してくれ」
「了」
再び射撃体勢に移った不知窪を横目に見ながら、鷹幅は通信回線を開き、インカムに向けて発し始めた。
「アルマジロ1-2、こちらロングショット1!ペンデュラムへ要請、〝レーベンホルムには行かない〟。繰り返す、〝レーベンホルムには行かない〟ッ!呼応展開部隊の出動願う!」
捕えられた水戸美は、路地を引きずられ、その奥にある建物に引きずり込まれた。
「放してッ!」
「糞、この!暴れるな!」
「あぅッ――!」
必死に抵抗を試みた水戸美は、しかし鬱陶しがった警備兵に後ろ首を殴打され、気絶してしまった。
「おい、なんでここに連れて来た!」
そこへ、建物内にいた別の警備兵が駆け付ける。
警備兵は、水戸美の姿を見て声を荒げた。
「しょうがないだろ……!外は今、こいつの仲間らしき奴の攻撃に晒されてるんだ。中央区域隊のヤツ等がバタバタとやられてた……!」
他の警備兵がやられていく様子を目撃していた彼は、その様子を思い返して顔を青く染める。
「だからって、ここが他の区域隊のやつ等にばれたらまずいのは分かってるだろう!?」
「分かってる!とにかくこの娘は水路で運んで、とっとと本部に引き渡しちまおう……!」
警備兵達は、焦り慌てた様子で動き始めた。
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