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チャプター16:「最凶の陸士」

16-2:「クラッシャー」

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「な……!」
「こ、こいつ……ッ!」

 策頼を囲い、取り巻く傭兵達に動揺が見える。
 瞬く間に幾人もの仲間を倒され、怯みが生じたようだ。

「まったく、何やってんだい」

 しかしそんな折、傭兵達の背後より、何か重々しい女の声が聞こえ来る。
 振り向く傭兵達。その先に、一つの巨大な人影があった。

「ラ、ライレン姐さん!」

 どよめく傭兵達。そこに居たのは、一人の女だ。
 しかし驚くべき事に、その身長は優に2mに達すると見られる程あった。さらにその体躯は、身長の高さに見劣りしない、筋肉のついた鍛え上げられた物だ。他の剣狼隊の傭兵達と同様の、体のラインの出る黒い皮服も助けてか、それがありありと見て取れる。
 だが特徴的なのは、それだけではない。
 靡く金髪の生える女の頭部。そこに見えたのは、二つの獅子の耳だ。
 さらに、腰の部分からは動揺に獅子の尻尾が生え伸びて揺れている。首元には優雅である程の体毛が、生え揃い首周りを覆っている。
 女は、獅子の獣人であった。

「たかだか男一人に、一体何をてこずってんだよ」

 現れた、並外れた巨体体躯を誇るライレンと呼ばれた獅子獣人の女傭兵。彼女は呆れた様子で言いながら、傭兵達を掻き分けて、ノシノシと歩み出て来る。
 その圧は凄まじいものであり、傭兵達はそれだけでたじろぐ様子を見せている。

「ふぅん。多少タッパはあって、すばしっこいみたいだけど――」

 ライレンは、先に立ち構える策頼の姿を観察。そして言葉と共に、体躯に反した端麗さを持つその顔に、不敵な笑みを浮かべる。

「ふふん。すぐに捻り潰して、ボコボコにしてやるよぉ」

 彼女はこれまで、屈強な体を誇り天狗となる人間の男達を、それをさらに凌駕する彼女の身体と力で、ことごとく倒し屈して来た。
 彼女の加虐的な発言に、身を振るわせたのは周りの傭兵達。傭兵達の中にも、彼女に屈され、プライドを折られた者達が何人もいた。
 そんな周りの反応に気を良くしてか、ライレンはペロリと軽く舌なめずりをする。

「さぁて……行くよ!」

 瞬間、ドッ――という音が響き渡り、砂埃が上がった。
 ライレンが地面を踏み、飛び出したのだ。
 彼女のその巨大な体は、しかしそれを支える脚の力により、打ち出され速度に乗る。
 その先には、標的である策頼の姿。
 打ち出されたライレンの体は、一瞬後には策頼との間合いに達し踏み込む。
 そして彼女は、拳をその手に作り、振り上げる。彼女の腰には、得物の大剣が提げられていたが、彼女はそれを抜いてはいない。自分よりも体躯に引けを取る人間の男など、拳で十分だとの判断からだ。
 実際彼女の腕力から放たれる拳は、凄まじい威力を誇り、並大抵の人間であれば、ひとたまりもなく潰されてしまうであろう。

(半端なタッパの人間なんて、この一発で崩れるもんさ)

 内心でそんな言葉を浮かべるライレン。

「ほぅら!泣き声を聞かせなぁッ!!」

 そして高らかな声を発し上げた。ライレンのその拳が、策頼に振り下ろされる。
 体躯、質量ともに圧倒的なライレンからの拳撃が、策頼を襲う――
 ――パシ、と。そんな接触音が上がったのは、その瞬間であった。

「――は?」

 呆けた声を上げたのは、獅子女のライレン。
 獲物に拳が入り、獲物の肉がひしゃげる事が響くことを想像して疑わなかった彼女は、しかし聞こえ来たそれに、思わずそんな声を零した。
 しかしさらに違和感が彼女を襲う。
 見れば、彼女の振り降ろした拳は、獲物に達していない。彼女の拳は、何かに阻まれ、振り下ろす軌道の途中で止まっていた。

「――な」

 そしてライレンは、起こった事態を把握し目を剥く。
 ――彼女の振り降ろした拳、腕は、策頼の翳し上げた片手の、その指先に止められていた。

「…………」

 策頼は、まるで踏ん張るといった様子も無く、ただ佇む姿勢でライレンの腕を止め、そして相対した彼女をつまらなそうな冷たい視線で見ている。

「――う、嘘――こ、このッ!」

 対するライレンは、信じられぬといった狼狽の声を零し、そして腕に、全身に力を込める。しかしそれでも、策頼の体どころか、止められた彼女の腕はビクともしない。
 体躯も質量も自らに及ばない相手を前に、あり得るはずの無い出来事。しかし現実にそれは起きていた。そして――

「――え」

 次の瞬間、ふわりという感覚がライレンに走る。
 見れば、彼女のその巨大な体は、中空にあった。

「ぇ――ギャブゥッ!?」

 かと思った直後、彼女の身を、鈍く、しかし大きい鈍痛が襲った。
 そして上がる悲鳴。
 気付けば、彼女の身は策頼の後方にあり、そして地面に思い切り叩き付けられていた。

「が……ぁ……!?」

 突然の事態と痛みに、困惑の声を零すライレン。しかし、その視線を上げ、そこに佇む策頼を目にした瞬間。彼女は起こった出来事を理解する。
 ライレンは、策頼に持ち上げられ、そしてそのまま投げ飛ばされ叩き付けられたのだ。
 補足しておこう。
 190㎝越えという、並大抵以上の身長と体躯を持つ策頼であるが、彼はそれに頼り驕った事など、ただの一度も無い。
 身長体躯といった要素を最早些細な物とする程の、それを越える戦闘の術を、策頼は体得していた。

「ッ……ッ!」

 短い間痛みに悶えたライレン。
 しかし獣人であり、そして屈強な体を持つライレンはすぐに回復を見せ、彼女は起き上がる。

「ッ……こいつゥッ!」

 そして先までの様子から一片。猛獣のそれを思わせる険しい表情を作るライレン。策頼を明確な脅威と見ての変貌だ。
 そして彼女は、それまで収めていた腰のその大剣を抜剣。直後、その脚力で踏み切り、彼女は爆発的に飛んだ。
 その踏み切り跳躍は、先よりも遥かに早い速度へ、彼女の身体を乗せる。そして剣を突き出すライレン。速度に乗せられた大剣は、凶悪な威力を持つそれとなる。
 獅子の特性を持つ獣人である彼女だからこそ、できる芸当。
 そして彼女の身と大剣の切っ先が、策頼の間近まで迫り、そして貫く――

「――ッ!?」

 しかし、剣先は空を切った。
 一瞬前までそこにいたはずの、策頼の姿が無い。
 事態に、またも目を剥くライレン。直後だった、そんな彼女の尻尾が、次の瞬間に妙な感触を覚えたのは。

「ぇ――ぎぇッ!?」

 その次の瞬間には、ライレンは再び地面に叩き付けられていた。
 見れば、先の位置から少しずれた位置に、策頼の姿がある。そして策頼のその片手は、ライレンの尻尾を掴んでいた。
 ――先の瞬間をもう一度見る。
 策頼は、ライレンの刺突吶喊を、一歩後退する端的な動作で回避。
 そして目標を失い空を切り、横を飛び抜けようとしたライレンの尻尾を掴み捕まえ、それを利用して彼女の身体を思い切りぶん回し、叩き付けたのだ。

「な――ッ、あぎゃッ!?」

 ライレンを襲った衝撃は、その一撃に留まらなかった。
 策頼はライレンの尻尾を掴み引っ張り宙に浮かべ、そしてまたも彼女の身体を地面に叩き付けたのだ。

「ぎゃぅッ!?やべッ……ッ!?」

 二度、三度と。
 策頼は、100㎏を優に超えるライレンの体を、しかし悠々とそして淡々とぶん回し、繰り容赦なく返し叩き付ける。

「あぎゅッ……!」

 そして何度目かのタイミングで、策頼はまるで飽きたかのように、ライレンの尻尾を放した。ライレンは、悲鳴と共にべちゃりと地面に叩き付けられる。

「ふぎぁ……あんはぁ……」

 しかし、どこまで強靭な体をしているのか、並ではないダメージを受けているであろう事にも関わらず、ライレンはそこから間もなくして起き上がった。
 その顔は、鼻血を垂らしながらも凄まじい形相を浮かべている。

「ゆるはん……――殺ふッ!!」

 そして踏み切り、右手で拳を、左手で相手を捕まえようとする形を作り、策頼向けて襲い掛かった。
 ――しかし、彼女の両腕は空しくも空を切った。
 彼女のリーチを外れた先には、最低限の動作、後退回避行動を取った策頼の姿。

「――あ!?」

 そして直後、彼女の視界は突如何かに覆われ奪われた。ライレンは同時に、自身の顔に違和感を覚える。

「――!?――ぁ、があぁぁぁぁぁッ!?」

 そしてライレンの口から絶叫が上がった。

「……」

 見れば、策頼が掲げた片手でライレンの顔面を鷲掴みにしている。そしてその五指には力が込められ、ライレンの顔面を思いっきり圧してる。
 これがライレンの顔面に凄まじい痛みを与え、彼女に絶叫を上げさせたのだ。

「あ――がぁぁ……ッ!?」

 ライレンは絶叫を上げながらも、自身の顔を圧する策頼の片腕を、彼女の筋肉のふんだんに備わった両腕で掴む。そして策頼の腕を引き剥がそうと抵抗を試みる。
 しかし、彼女の並外れた腕力を持ってしても、策頼の腕はビクともしなかった。

「ぎぁぁぁ……!?あぁぁ……!」

 その間にも策頼の五指を圧を強め、ライレンの顔面からは、ゴキュリ、ブチ、と鳴ってはならない音が上がる。
 そしてライレンは体を支える力を失し、その両膝をガクリと折り地面に着く。
 策頼の片腕を掴み、抵抗を試みていたライレンの両腕も同様に力を失い、策頼の腕を離れてダラリと落ちる。

「ぁ……がばば……」

 彼女の肉食獣特有の牙の覗く口からは、泡が溢れ零れ出す。そして同時に零れた声を最後に、彼女の口から音の類が聞こえなくなる。
 策頼から与えられる圧と激痛に耐えかね、ライレンが気を失った証であった。

「……」

 特段言葉を発する事も無く、策頼は失神したライレンの頭部を解放する。支えを失ったライレンの体は崩れ、音を立ててその巨体を地面に埋める。
 その強靭さからしつこい食らいつきを見せたライレンを、策頼はただ「面倒だった」とでも思っているような顔で、見降ろしていた。
 そして視線を起こす策頼。視線の先に、策頼に向けて殺到するさらなる犠牲者たちの姿が見えた。



(敵――いや、周り動きが遅い)

 策頼は不思議な感覚を覚えていた。
 傭兵達の動きが、いや、周囲の全てのものの動きが、時折酷く緩慢になる時があった。まるで世界がスローモーションをかけられたようになり、その中で自身だけが普通に動いているような感覚。
 しかし、策頼がそれを気に留めたのはほんの数秒だった。策頼にとって今気にすべきこと、成すべきことはただ敵の排除のみ。それに寄与するならば、今の事態、現象がなんであれ構わなかった。



 不気味な空間で戦闘の様子を見ていた作業服と白衣の人物は、高らかな声を上げる。

「――素敵だ、あなたのような人は大好きだ――!その身を機動させ、あらゆる力を展開し、仇敵を翻弄し、全てを撃滅するんだ。そうさ――!あなたにはその権利があるッ!!」



「なんなのよ――一体何なのよ……!」

 上空に身を置き、眼下を眺めるロイミの姿がある。しかし彼女に、これまでのような優美な姿勢は無く、その顔には焦りと苛立ちが浮かび上がっていた。
 ロイミは何も、配下の傭兵達が策頼に挑み蹴散らされていく様子を、ただ眺めているわけではない。彼女は先程から眼下の敵に対して、自分が習得している限りのあらゆる魔法の詠唱発現を試みていた。
 しかし、いかなる術の詠唱を試みようとも、眼下の敵に有効打を与える事は叶わず、それどころか不可解な事に、術その物の発現すらままならない事すらあった。

「ッ、いいわ――術が通用しなくても、直接この手で仕留めてやる……!」

 やがて痺れを切らしたロイミは、自らの乗る触手を操り、憎き敵に向けて降下した。



「なんなんだコイツ!くそ……」
「ライレンの姐さんまで……!」

 策頼を取り巻き、包囲する傭兵達。しかし彼らは皆たじろぎ、浮足立っていた。周囲には傭兵達の死体が散乱している。
 突然現れた脅威的な存在に、攻めあぐねていた傭兵達だが、その時、彼らは背後からの別殺気を感じ取った。

「ロ、ロイミ様……!」

 傭兵達が振り向くと、触手に立つロイミの姿がそこにあった。ロイミは一度下がらせていた触手を呼び寄せて伴わせ、無数の触手を周囲に従わせている。

「邪魔よ」

 その殺気の含まれた一言で意図を察し、傭兵達は逃げるように引き、場を空ける。
 ロイミは腕を前方に掲げる。それを合図に、ロイミの周りにいた無数の触手達が、一斉に飛び出した
 先頭を切る触手が策頼へその身を飛び掛からせる。しかし、策頼は半歩体を捻るだけで、それを回避。触手は明後日の方向へ飛び、地面にその身を突っ込んだ。回避した所を狙い、次の触手が、さらに次の触手が策頼へと立て続けに襲い掛かる。しかし策頼はそのいずれもを、身を少し捻る、半歩動く等の最低限の、そしてどこか緩やかな動作で回避して見せた。

「ちょろちょろと……!」

 ロイミは苛立ちながらも命令を送り、さらに触手をけしかける。四方から何匹もの触手がその身で策頼へ突貫するが、しかし策頼は同様の動きでそれを避け、触手達はその攻撃をことごとく回避される。
 策頼の落ち着いたその動きは、まるで触手達を翻弄する舞の用ですらあった。

「ッ――小賢しい……いいわ、それなら――!」

 零しながら、ロイミは自身の乗る触手に命令を送る。命令を受けた触手は、ロイミを乗せたまま勢いよく飛び出した。
 彼女は敵の懐へ突貫し、その手で直接始末を付ける腹積もりだ。しかし――

「ッ!――キャァッ!?」

 次の瞬間、彼女の乗る触手は突如その頭を落とし、敵中に達する前に地面に激突した。
 予期せぬ事態と衝撃に、ロイミは触手から振り落とされ地面に投げ出された。

「痛……何をしてるのよ!敵は――」

 投げ出された土ぼこりに塗れたロイミは、苦し気に起き上がりながら、触手に対して叱責の声を上げかける。しかしそこで彼女は、目に映った光景から異常に気が付いた。
 触手達の様子がおかしい。
 策頼を襲っている触手達の動きは鈍く、周囲を包囲している触手達も何か苦し気だ。
 慌てて指先を動かし、触手達への命令を飛ばす。
 しかし対応はすでに遅かった。命令に対する触手達の反応は鈍く、そして異常は加速度的に進行を始めた。触手達はついにロイミの命令をまるで受け付けなくなり、それぞれが統率も連携も何もない、勝手な行動を始める。
 そしてついには、触手達は暴走を始めた。

「うわぁッ!」
「ぎゃぁッ!」

 触手達は見境をなくし、うち何体かは明後日のほうこうへ飛び出し、あろう事か味方であるはずの傭兵達を襲いだした。突然の触手達からの攻撃に傭兵達の反応は遅れ、彼らは暴走する触手に叩き飛ばされ、潰されてゆく。

「嘘でしょ……どうなってるの……!?」
「ロイミ嬢!」

 驚愕するロイミの元へ、壮年傭兵が駆け寄って来た。壮年傭兵は己の身を挺して、暴走する触手からロイミを庇おうとする。

「ぐぁッ!?」

 しかし壮年傭兵はあっけなく暴走触手の餌食となり、その身を触手の巨体で打ち飛ばされてしまった。

「ッ――やめなさい!止まれ……ッ!止まって――!」

 最早懇願にも近い叫び声で、触手に停止の命令を送るロイミ。しかしその必死の行動も空しく、触手達の暴走が収まる様子は無かった。

「ッ――」

 ロイミは先に居る敵を睨む。
 異常事態の原因が、憎き敵にあることは十中八九間違いない。
 その敵たる策頼は暴走に、時折飛んでくる触手を片手間に避けつつ、読めない表情で状況を眺めている。
 暴走していた触手達は、やがて勢いを失い、次々とその体を地面に横たえ出し、そして苦し気に悶え始める。先ほどまでの触手達は、何らかの未知の影響により、苦しみ、のたうち回っていたのだ。

「な―――」

 そして次に迎えた光景に、ロイミは絶句した。
 驚くべきことに触手達は、策頼の周囲に弱々しい動きで集まり出した。虫の息の触手達は策頼を中心に集まると、次々と策頼に向けて満身創痍の体でその頭をもたげ出す。まるで策頼に、許しと助けを乞わんとするように。
 触手達は本能で、自分達を苦しめている原因が策頼である事、そして何よりこの場を支配する強者が策頼となった事を本能で理解し、ロイミの支配下を離れて策頼も元へと下ろうとしているのだ。
 一方の当の策頼当人は、自分に集う触手達を大して興味も無さげに見下ろしている。

「―――!」

 そんな策頼の目と鼻の先に、人影が飛び込んで来たのはその瞬間だった。
 それは眼を血走らせ、怒りを剥き出しにしたロイミだ。
 ここまでコケにされた挙句、使役する触手達を奪われた彼女は、怒りと悔しさで激昂していた。
 そんな彼女の手には鞭が握られている。それは、普段リルを甚振る時に使う乗馬鞭とはまた違う、先端に硬く鋭利な金属を仕込んだ鞭。これで幾度も打たれれば、大の男ですら泣いて許しを乞う程の凶悪な代物。彼女が戦闘の際に用いる物であった。
 策頼の懐へと踏み込む事に成功したロイミ。

「――がぁぁッ!」

 さらに、策頼の背後から巨体が襲う。獅子の獣人、ライレンだ。
 恐るべき強靭さで気絶より短時間で復活した彼女は、策頼の背後を取り襲い掛かったのだ。
 策頼の身を押さえ、ロイミの攻撃を手助けする腹積もりだろう。

「フフ、いいわライレン――!」

 ライレンの行動を称し、鋭利な笑みを作るロイミ。
 次の瞬間には、目の前の仇敵は、彼女の屈強な体に羽交い絞めにされるであろう。
 そして彼女は、その手にある身の毛もよだつ得物を、怒りに任せて目の前の相手に向けて、思い切り振るった。

「――ぎゃぅッ!?」

 甲高い悲鳴が上がり、ロイミの耳に届く。そして同時にロイミの手に伝わる、人の身を打ち割いた感覚。
 それ等が、目の前の憎き相手からの物であると確信し。ロイミはその口角を上げる――

「――え?」

 しかし、直後にその眼の飛び込んで来た物に、ロイミは思わず声を漏らした。
 彼女の目の前にあったのは、憎き仇敵の身体ではなく、彼女と同種の黒い皮のスーツを纏った巨体。
 それはライレンであった。

「ぁ……ぃぎ……」

 眼をぐりんと剥き、苦し気な声を零すライレン。
 ライレンの頬には、鞭による一線の傷が、痛々しく出来上がってる。

「な――!?」

 目を剥くロイミ、そして彼女は状況を理解する。
 ライレンの巨体は宙に持ち上げられている。その向こうには、そのライレンの巨体を、後ろ首を締め上げ片手で持ち上げ掲げる、ロイミの仇敵――策頼の姿があった。
 策頼の背後を取ったはずのライレン。しかしどうやったのか、まるで策頼が瞬間移動でもしたかのように、両者の位置関係は変わっていた。
 そしてライレンは、策頼に捕まえられ、その巨体を肉の盾とされていた。

「――コイツッ!」

 それに驚愕したのも一瞬、ロイミは頭に血を登らせる。
 そして常人離れしたステップで、策頼の側面へ周り、再び鞭を打ち放った。

「ぎぇぅッ!」

 しかし、上がったのはまたもライレンの悲鳴。
 策頼はロイミの動きを知っていたかのように、身を捻り方向を変え、ライレンの体を肉盾に、鞭を再度防いだ。

「ぉ嬢ぉ……やべ、て……」

 顔に鞭の後を増やし、そして白目を剥くライレン。後ろ首を絞められている影響か、涎を零し、弱々しい懇願の声を漏らしている。

「ッ――!」

 瞬間、ロイミの体が消える。いや、ロイミの体は策頼の頭上にあった。
 彼女は上空へ飛び、そして身をくるりと回転させながら策頼の頭上を通り、背後へ回る。
 そしてがら空きの策頼の背中へと、三度鞭を放つ。

「ひぎゅぃッ!」

 しかし響いたのは、またもライレンの鳴き声。
 策頼は、ロイミのそれを越える速度で身を回転させ、またも虎女を肉盾として攻撃を防いだ。

「ッゥ……!コイツ!どこまで――」

 怒りから目を剥き牙を剥き出しにし、ロイミはもはやがむしゃらに動き鞭を振るおうとした。

「――ギェゥッ!?」
「――ギャンッ!」

 しかし直後、二人分の女の悲鳴が響いた。
 見れば、策頼がライレンの体を投げて持ち直して尻尾を掴み、彼女の体をロイミめがけてぶん回していた。
 ロイミとライレンの、互いの頭部が見事に激突。
 凄まじい勢いで振り回されたライレンの巨体。その衝撃に、ロイミはまたも白目を剥いて、明後日の方向へ勢いよく吹っ飛んで行った。

「―――」

 何の感慨もなさそうに、ロイミの吹っ飛んで行った方向を一瞥する策頼。

「ひぎゅぅぅ……ゆるひて……たしゅけて……」

 その手の先では、地面に顔を擦るライレンが、最早先程までの勇猛さなど見る影もない体で、懇願の言葉を漏らしている。
 策頼は、そんなライレンの体を尻尾を引っ張り引きずり寄せ、そして蹴り跳ね上げてその頭を鷲掴みにする。

「ひ――ぎゅぃぃぃぃッ!?」

 そして、ライレンの口から絶叫が上がった。
 見れば、策頼が先程と同様に、その五指に力を込めて、ライレンの頭部を圧していた。

「やべ……いだ……いぎゃぁぁぁッ!?」

 しかし、その様子は先程の比ではなかった。
 ブチ、ボキリと鳴ってはならない音が鳴るばかりか、策頼の五指はライレンの頭部額各所に、骨を陥没させているであろう様子で食い込んでゆく。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 上がる、最早女のそれではない絶叫。そして――

「――あ゜ッ」

 瞬間。ライレンの頭部上半分が爆ぜた。
 まるで、果実を握り潰したかのように彼女の頭部は砕け、眼球、脳漿、頭骨の破片、特徴的な虎の耳。その他頭部を成していた諸々が、花火のように綺麗に爆ぜ飛ぶ。
 その一部は、策頼の手中にぐちゃりと握り圧される。
 そして、支えを失ったライレンの体が、バタンと倒れて再び地面に沈んだ。
 ピクピクと痙攣し、あらゆる体液を漏らし噴き出すライレンの体。
 それが、彼女が見せた最後の動きであった。

「………」

 それを淡々とした眼で見降ろしながら、血と臓物で塗れた片手を。ピッピッと払う策頼。
 最早脅威対象ではなくなったライレンの体より視線を外し、別の脅威、ロイミが吹っ飛んで行った方向へ視線を向ける。
 そして追撃をかけるべく歩み出そうとする策頼。しかし、そんな彼を狙う別の気配が背後に迫っていた。
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