―異質― 邂逅の編/日本国の〝隊〟、その異世界を巡る叙事詩――《第一部完結》

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チャプター14:「衝撃と畏怖」

14-6:「剱単騎」

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 戦いの場から引いたクラレティエとレンリ。二人は夜闇の中空を、人間離れした跳躍力で跳び駆けている。

「レンリ、一度あそこに身を隠そう」
「は、はい!」

 二人はその道中で小さな崖になっている箇所を見つけると、そこに着地して身を隠した。

「隊長……クラレティエ様、大丈夫ですか……?」
「あぁ……すまない、大丈夫だ」

 クラレティエは借りていたレンリの肩から腕を離すと、地面に膝を付く。そして背負っていた予備の剣を杖の代わりにして体を預けると、呼吸と精神を整える。

「ッ……私としたことが、侮っていた……ッ!」

 ある程度呼吸が落ち着くと、クラレティエ険しく悔し気な表情で言葉を吐き出した。そして彼女の頬から首筋にかけて、一筋の汗が垂れ落ちる。若い傭兵達の姿に、気力を分け与えられたとはいえ、叩き付けられた際に受けたダメージは軽くは無く、何より渾身の一撃を受け止められた事は、彼女の精神に少なからず影響を与えていた。

「ヤツは……私のグラウラスピアの猛攻を物ともせず、さらには私の機械剣を素手で止め、そして破壊して見せた……。あの醜悪な存在見掛け倒しではない、想像以上に危険なようだ……!」
「隊長の剣を……止める相手……」

 クラレティエの形容した敵の姿に、レンリも思わず言葉を漏らす。

「悔しいが、力任せのぶつかり合いや半端な追い込みでは、奴に致命打は与えられそうにない。ここは……プリゾレイブ・ガーデ――ロイミから手ほどきを受けた支配系魔法を試してみるしかない」

 策を言葉にしたクラレティエは、しかし言った直後に、目を伏せて悲し気な表情を作る。

「だが……ふ、選り好みで習得を後回しにしたツケだな。私のプリゾレイブ・ガーデの習得状況は芳しくない。消耗した今の状態で慣れない術を使っても、効力はたかが知れている。このまま再び挑んでも、敵を術中に絡め取る事は無理だろう……」
「そんな……隊長……」

 己の主の言葉とその姿に、レンリの顔にも悲壮感が浮かぶ。それは強大な敵が現れた事に対する不安からでもあったが、なにより、敬愛する隊長が始めて見せる、己の力不足にうなだれる姿と悲し気な顔に、心が痛んだからでもあった。

「だが――レンリ、ここにはお前が居る」
「え?」

 しかし直後、クラレティエは顔を起こし、レンリをまっすぐ見つめて凛とした声で発した。対するレンリは、クラレティエの言葉の意図を理解できずに、キョトンとした表情を浮かべる。

「ヤツを倒すために、お前の力を貸して欲しい。お前のマーヴェハイト系の増幅魔法を習得しているだろう?お前の魔法を基盤として、それに乗せて私のプリゾレイブ・ガーデを発動する。影響力と範囲を増大した術ならば、敵を絡め取り、無力化する事ができるはずだ」
「僕の魔法、ですか……?」
「まず、すぐに詠唱発動できる初級の直接増幅魔法でいい、それを私に掛けてくれ。それでも消耗をいくらかは補える。そうしたら私はクリス達の元へと戻り、少しの間、皆と共に敵を食い止める。お前はその間に、範囲型の上位増強魔法を準備して欲しいんだ」
「でも……僕なんかに、そんなことできるんでしょうか……」

 クラレティエから一連の流れの説明を受けたレンリは、しかし不安な様子で言葉を漏らした。

「大丈夫だ。お前はこの案を成し遂げるにたる、大きな魔力を体に宿している」
「で、でも……!僕はまだ魔法もあんまりうまく使えなくて、戦いで一度も隊長のお役に立てた事がありません……!僕なんかが、そんな大事な役割を……」

 戸惑いながら捲し立てるレンリ。しかしクラレティエはそんな彼に、優し気な笑みを浮かべて発する。

「自分を過小評価するなレンリ。それにお前はいつも、暇さえあれば魔法の鍛錬をかかさず行っていたじゃないか」
「えっ!?た、隊長……見ていらしたんですか!?」
「ふふ、すまない。趣味の良い事ではないとは分かっていたんだが……ただ、主として見守りたかったんだ、己を研磨する猟犬の姿を」

 クラレティエはレンリと目線の位置を合わせると、紅潮したレンリの顔に手を伸ばし、頬をそっと指先で撫でる。

「こんな猶予の無い状況で、いきなりお前の事をアテにするなど、虫のいい話だと言いう事は分かっている……頼りない隊長ですまない」
「ッ!いえ、そんな事ないです!隊長は立派な人です!」
「フフ、優しいなお前は。そして、いつも私を信じてくれている。それと同様に、私も信じているんだ、お前の強さを。魔力や技術だけじゃない、お前の……心の強さをな。だから、お前も自分を信じろ、レンリ」

 クラレティエは凛とした顔立ちに笑顔を浮かべる。しかしレンリはその瞳の奥には、未だにはっきりと宿る闘志の色を見た。クラレティエその言葉は、年下の少年をその場しのぎでおだてるための物ではなく、レンリに一人の戦士としての力を期待して発せられた物だ。

(隊長……あんな目にあったのに、闘志が全然衰えていない……やっぱりすごい人だ……そんな人が今、僕を信じて頼りにしてくれてる……!)

 クラレティエの本心からの期待を感じ取り、レンリは己の体の昂りを覚えた。

「隊長……分かりました!僕にできる事であれば、お手伝いいたします!」
「よく言ってくれた、レンリ。主として、いや仲間として、とても誇りに思うぞ!」

 言い放つと、クラレティエは立ち上がり、来た方向へと視線を向ける。

「さぁ、かかろうッ!他の猟犬達も皆、私たちを待ち、戦ってくれている!皆で、奴を仕留めよう!」
「はいッ!」

 高らかな声を上げ、二人は戦いの場へ舞い戻るべく、その場より再び飛び立った。



 足止めに現れた傭兵達を撃退した制刻と鳳藤は、脅威存在を追いかけさらに北上する。

「ハァ――おい、だいぶ谷から離れてしまったぞ。火点の展開エリアから遠ざかり過ぎてる……!」

 夜闇と雨で見通しの悪い周辺を見渡しながら、鳳藤が上がった息をこらえつつ発する。
 味方の展開地点から脅威存在を遠ざける事が二人の当面の目的ではあったが、最終目的は本隊が設けた火力集中地点に脅威存在をおびき寄せ、集中砲火により無力化する事にある。その想定を考えれば、谷からあまりにも距離が離れる事もまた都合が悪かった。

「どころか、これ以上行くと迫撃砲の有効射程からも外れるな。あのイキり女、どこまで行きやがった」

 微妙な状況にある現状に悪態を吐きながらも、制刻の表情は鳳藤とは対照的に涼し気だ。

「ガチで壕の方に零れたか?」

 脅威存在が観測壕の方へ逃れた可能性を懸念して呟く制刻。インカムに通信が入ったのはその時だった。

《エピック、エピック。こちらはジャンカー1ヘッド、峨奈三曹。応答可能か?そちらの状況知らせ》
「丁度いい――ジャンカー1ヘッド、エピックだ。さっきまで脅威存在とやりあってたが、取り巻き共の妨害を食らって対象をロスト。現在、引き続き索敵中だ。経過時間的に遠くにゃ行ってないとは思うが、そっちに逃げた可能性もある、警戒されたし」
《了解、警戒する。それで、お前達は無事なんだな?》
「今の所は。そちらの状況は?」
《負傷者及び遺体の回収は先ほど完了、ジャンカー1-1を護衛につけて後方へ搬送させた。分隊主力、1-2と1-3は各所へ配置し偽装を完了。対応可能な状態で待機中》
「迫撃砲の再照準の進行状況は?」
《すでに完了したとの連絡があった。第21観測壕跡より、北東へ200m地点を照準している。前進観測チーム、スナップ31も間もなく観測位置につく。後はエピック、そちらの行動次第だ》
「了解。何にせよ、奴をもっぺん見つけてから――」

 制刻の返事の台詞を遮るように、足裏に微弱な振動が走ったのはその時だった。

「チィッ」
「ッ!き、来たか!?」

 二人が足裏に感じたその振動は、すなわち襲撃の合図に他ならず、制刻は不快な表情を作り、鳳藤は動揺の声を上げる。微弱な振動は瞬く間に大きな揺れへと変わり、二人の足元の安定を奪いに来た。

《エピック、どうした?》
「やれやれ――1ヘッド、警告は杞憂に終わった。こちらは脅威存在と再接敵した、また派手な殴り合いになる。追って連絡する」

 制刻は状況を伝えると、返答も聞かずに一方的に通信を切り、そして周囲に視線を送る。振動に合わせて地表からは鉱石柱が次々と出現。土砂や岩を盛大に巻き上げながら、あらゆる方向へその切っ先を突き伸ばし、そびえ立っていく。さらに地響きや揺れは輪をかけて激しさを増し、あちこちで地割れが発生する。

「この揺れ……!今までの比じゃないぞッ!?これもさっきの彼女の――!?」
「おちょくり過ぎて発狂でもしたか、あのイキり女」
「悠長な事言ってる場合じゃ――ッ!?」

 制刻に向けて発しかけた鳳藤だが、彼女の足元の地面にヒビが走る。それに気づいた鳳藤が咄嗟に後ろへ飛び退いた瞬間、ヒビは大きな地割れへと姿を変えた。鳳藤はかろうじて落下を間逃れたものの、覗き見えた暗い地割れの底に背筋を凍らせた。

「うぁッ……!ッ……じ、地面がッ!」
「焦るな、待ってろ。俺がそっちに――っとぉ」

 制刻は動揺する鳳藤を落ち着かせ、地割れを飛び越えて合流を試みようとする。しかしそれを妨害するかのように、さらに大きな揺れが周囲を襲った。同時に制刻の周りで連鎖的に地割れが起き、制刻の立つ地面の一角が孤立。そして孤立した地面は、地響きを唸らせながら、せり上がりだした。

「ったく、にぎやかだな。今度は隆起現象ときた」
「自由!おい――って、わッ!?」

 地面と共にせり上がってゆく制刻の姿を、目で追いかけ叫ぶ鳳藤だったが、今度は彼女の足元にもヒビが走り、新たな地割れが発生した。

「ぁうッ――とっ、うぁぁ!?」

 ふらつく鳳藤をよそに、振動はさらに激しさを増し、地割れがそこかしこで巻き起こる。割れた地面が隆起、もしくは沈下してゆき、周辺の地形をみるみる変えてゆく。隆起した地面は崩落を起こして土砂が降り注ぎ、止めに、地割れの断面等、あちらこちらから鉱石柱が突き出し現れ、安全な場所を奪ってゆく。

「メチャクチャだッ――!分断された――ッ!これッ、まずいぞッ!」
「チィッ、こりゃ無理だな。いったん各個に退避だ!」

 指示を飛ばすとともに、制刻は鳳藤の視界の向こうへと姿を消す。

「ッ!」

 それに一瞬遅れて、鳳藤も弾け飛ぶようにその場から退避した。比較的隆起や沈下の浅い部分を必死に飛び越え、進行方向に地面が比較的原型を留めている箇所を見つけると、そこへ転がるような勢いで走り込んだ。

「ッ!――うぁ……!こ、こんな!?」

 退避先で、鳳藤は獣のような四つん這いの姿勢で地面にしがみ付き、巻き起こる現象が収まる事を祈るように待った。彼女の祈りが届いた結果かどうかは甚だ不明だが、振動はやがて収まり、地割れの発声や、鉱石柱の突き出しも鳴りを潜めた。

「ハァ――なんだこれ、周りの様子が……本当に普通じゃないぞ……!」

 恐る恐る顔を、そして体を起こした鳳藤は、まるで変ってしまった周辺の地形を見渡しながら、動揺と困惑で染まった声色で言葉を漏らす。平坦だった地形は隆起と沈下により激しい高低差を成し、縦横に突き出した鉱石柱が各所で障害を形成している。まるで入り組んだ城塞か迷宮のようだった。

「まずい、孤立してしまった……!」

 鳳藤は状況に気圧されそうになりながらも何とかそれを堪え、耳に着けたインカムに手を伸ばそうとする。

(ッ!)

 しかしその刹那、彼女は上空に気配を感じ取り、その手を止めた。そしてごくりと唾を飲み、暗視眼鏡を構えながら、気配の方向へ恐る恐る視線を上げる。
 彼女の目は、乱立した鉱石柱の一つ、その頭頂部に気配の主の姿を見つけた。

「これは――すごい。初級の増幅魔法だけでここまでの効力とは。私の魔力だけではここまで行くまい」

 鉱石柱の頭頂部に立つクラレティエは、眼下の光景を見渡しながら、上擦った声色で言葉を漏らしていた。平坦であった地形を凄まじい光景へと変貌させたのは、クラレティエが発動させた魔法によるものだったが、ここまでの効果は彼女にとっても想定外であった。側近の少年レンリがその身に宿す強大な魔力を持って、クラレティエに施した増強魔法。それがクラレティエにここまでの強大な力を与えていたのだ。

「大地があの醜き者をいともたやすく飲み込んでしまった。これなら初級の増加魔法だけでも、十分プリゾレイブ・ガーデの効力を広げられたかもしれないな。レンリの器、私が思っていた以上のようだ!」

 眼下の光景に見とれながら、発するクラレティエ。彼女のその声は、若干の興奮の色を帯びていた。寵愛する側近の秘めたる力を、自らの術を通して目の当りにした彼女は、喜びを覚え、心を高ぶらせていたのだ。

「彼女だ……!」

 一方の剣は、脅威存在の姿を再びその目に映し、表情を強張らせた。常識を超えた脅威存在との、最悪の状況下での再遭遇に、心音のうるさいまでの鼓動を打ち、焦燥が彼女を襲う。

(落ち着け……一人でもやるべきことは変わらない。弾着予定地点までなんとかして彼女を誘い出すんだ……!)

 しかし鳳藤は恐怖に飲まれそんな所を踏みとどまり、自分に言い聞かせるように、現状と成すべき事を心の中で反芻する。

(……よし!)

 そして鳳藤は覚悟を決めた。彼女はまず暗視眼鏡を下げ、弾帯に下がるホルスターから信号けん銃を引き抜き構える。そして、頭上の敵に向けて引き金を引いた。撃ち出された照明弾は、鉱石柱の上に立つ女のさらに上空で炸裂し、激しく瞬いた。

(……よし!こっちに注意が向いた!)

 閃光に照らされた女の首が、こちらを向くのが見え、鳳藤はそれを確認すると同時に、身を翻して反対方向に駆け出した。要領は観測壕の時と同じだ。脅威存在の注意を自分に引き付け、その場から引き離して目標地点まで引っ張っていく。まずは魔法により変貌した一帯からの脱出を図る。一角には、わずかに通り抜け可能な空間が残されており、鳳藤はそこに向かって一直線に走る。

「ッ!」

 しかしその時、またも地面に振動が走る。そして次の瞬間、鳳藤の進路をふさぐように、前方に鉱石の柱が姿を現した。

「うわッ!?」

 鳳藤は直前で踏みとどまり、その切っ先に串刺しにされる事態はどうにか間逃れる。しかし立ちはだかった巨大な鉱石柱に続いて、足元からは鳳藤を狙うように中小サイズの鉱石柱が無数に突き出してきた。

「ッ!――これは!――クソッ!」

 鳳藤はステップを踏みながら来た道を後退する。そんな彼女を追いかけるように、鉱石柱は次々と地面から出現する。鳳藤は何度かステップを踏んだ後に、鉱石柱の追撃を逃れるべく、地面を踏み切って後ろへ大きく飛んだ。そして大幅の跳躍を数回繰り返して、鉱石柱の追撃から大きく距離を離す。やがて鉱石柱の出現は、追撃を諦めるように途中で鳴りを潜めたが、鳳藤は安心する暇も無く、脱出進路をふさいだ鉱石柱を険しい顔で見上げる。

「ッ!進路が……!他にどこか――」

 別の脱出口を探そうと視線を動かしかけた鳳藤。しかしその瞬間、自身の直上に感じた気配、そして突き刺さるような殺気がそれを阻害した。恐怖で固まりそうな体に鞭を打ち、強引に視線を上げれば、そこには宙空から今まさに剣を振り降ろさんとする、クラレティエの姿があった。
「悪いが、お前も逃がしはしないぞ」
 冷たい目で鳳藤を見下ろしながら、クラレティエは一方的に言い放つ。そして鳳藤が何らかの反応を示す暇すら与えず、その剣は振るわれた。

「ッゥ!」

 考えるよりも先に、鳳藤は身を屈め、そのまま体を地面に転がす。直後、薙がれた剣の刃が、伏せた鳳藤の身体に接触するギリギリを通り抜けて行った。間一髪のところで剣撃を回避した鳳藤。しかし対するクラレティエは、地面に脚をつけると同時に振るった剣を引き戻すと、再び鳳藤を狙って剣を振り降ろした。
 ガキンと、金属のぶつかり合う音が響く。
 柄越しに伝わる予期していなかった感触に、クラレティエの表情にわずかだが驚きの色が浮かぶ。見れば、クラレティエの振り下ろした剣は、その軌道を遮った細身の刃によって受け止められていた。

「ヅッ……!」

 その細身の刃を持つシャムシール似の剣は、立膝を着いた姿勢の鳳藤の両腕に支えられている。鳳藤は薙がれた剣が自身の体に達する直前に、腰から下げてた細身の剣を反射的に抜刀、クラレティエの剣を受け止めたのだ。クラレティエの得物が先の大剣とは二回り程も小柄の、この世界では一般的な剣だった事もまた幸いした。なんとかこらえる鳳藤。しかしその威力は半端なものではなく、全身に凄まじい衝撃が襲う。

「ほぅ……!」

 必死に相手の得物を受け止める鳳藤に対して、クラレティエは片手間に剣を支えつつ、感心したような声を漏らした。

「意外だな、美しい太刀筋を見せてくれるじゃないか」

 わずか一瞬の間に繰り出して見せた鳳藤の抜刀に、関心を持ったらしい。

「反応速度もさる事ながら、抜刀から構えまでの無駄の無い流れるような動き……見事だ。半端ではない修練を重ねて来たと見える」

 鳳藤の姿を眺めながら、先の彼女の動きを評するクラレティエ。その顔には、微かな笑みすら浮かんでいた。

「――そんな良き腕の者を、ここで屠らねばならぬとはな」

 しかし次に発したその言葉と共に、クラレティエは顔からスッと笑みを消した。そして剣を握る腕に力を込め、交わる相手の剣に圧を掛けた。

「貴様の手にあるその剣、それは我が猟犬の一人、クリスの物だな。貴様がなぜそれを使っている、我が猟犬達を一体どうした?」
「りょ……猟、犬……ッ?」

 最初、クラレティエの言葉が何を示すのかを理解できず、困惑の表情を浮かべる鳳藤。

(!、さっきの――)

 しかしすぐさま、それが先ほど交戦した子供たちの事であると気づく。そして同時に彼等の迎えた凄惨な最期を思い返した鳳藤は、クラレティエの問いに対する返しが思い浮かばずに、目を泳がせる。だが、クラレティエが答えを察するには、それだけで十分だったようだ。

「そうか――いや、我ながら愚かな事を聞いた。戦場では約束された勝利など無い……私が猟犬達にいつも説いていた事ではないか」

 表情に陰りを見せ、一人呟くクラレティエ。
 対する鳳藤は、腕にかかる圧と、子供たちに対する罪悪感に苛まれながらも、目の前の脅威を退ける方法を模索している。
 その次の瞬間、彼女の背筋に悪寒が走り、思考が凍り付いた。

「ならば、私の盾となり散って行った、猟犬達への手向けに、私が勝利を勝ち取ろう。そして猟犬達のために、貴様らへの断罪をこの手で成し遂げよう」

 クラレティエは今まで以上の殺意が込められた、冷たい目で鳳藤を見下ろし、冷たい口調で発する。明確に向けられた加害の意思が、鳳藤の心身は震えあがった。

「……ッ――おぁぁぁッ!」

 だが、鳳藤は恐怖に飲まれるすんでの所で踏みとどまる。そして恐怖心を振り払うように声を上げ、剣を握る腕により一層の力を込めて、クラレティエを押し退けにかかった。
 対するクラレティエはそれに逆らわず、地を蹴って後方へ飛んだ。そして宙でくるりと一回転して着地する。

「そこッ!」

 鳳藤は脇に下げてた小銃のグリップを片手で掴むと、そのまま腰だめで、クラレティエに向けて弾をばら撒く。しかし弾が届く前に、クラレティエは今度は上空へ大きく飛び上がり、夜闇へと姿を消した。

「ッ、はぁッ……畜生……ッ!」

 鳳藤はクラレティエの逃げた方向を視線で追いかけつつ悪態を吐いたが、脅威存在が目の前から立ち去った事を内心では歓迎した。先の背筋が凍り付くような恐怖感は未だに体に纏わりついていたが、わずかにできた猶予を無駄にはできず、インカムに手を伸ばして通信を開く。

「自由!聞こえるか、応答しれくれ!」

 通信を開き、制刻に向けて安否を問う声を張り上げる鳳藤。

「聞こえてないのか!生きてるなら返事をしろ、おいッ!?」

 何度か必死に呼びかけると、少し間を置いた後に、インカムに雑音が入る。

《喚くな、生きてる。そっちもまだ死んじゃいねぇようだな》

 そして制刻の声が聞こえて来た。

「あぁ、だが良くない状況なんだ!こっちは脅威存在の彼女と再接敵。着弾地点への誘導を試みたが、退路を塞がれて失敗。今も襲われてる!」
《踏ん張れ。お前の上げた照明弾が見えた。今そっちに向かってる、それまで持ちこたえろ》

 障害物を除去しながら進んでいるのか、制刻の声に交じって、無線の向こうからは何やら破壊音が聞こえてくる。

「簡単に言って……ッ!」

 いつもの調子で言う制刻に文句を返そうとした鳳藤だが、その時、自分の真上に気配と殺気を感じ取る。鳳藤はそちらを見るよりも先に、反射的に後ろへ飛び退く。その瞬間、直前まで彼女が立っていた場所に斬撃が振り下ろされた。かろうじて斬撃を回避した鳳藤の目に、クラレティエの姿が映る。クラレティエの初撃は空を切ったが、しかし彼女はすぐさま剣を振り上げ、再び鳳藤へと斬撃を放った。

「――ヅッ!」

 鳳藤は体の前で己の剣を構え、クラレティエの斬撃を受け止める。受け止めた斬撃の衝撃は大きく、柄を通して鳳藤の腕をビリビリとした感覚が襲い、鳳藤は歯を食いしばる。しかしそんな鳳藤をよそに、クラレティエはさらに続けて、三度、四度、五度と幾度も剣を振るった。

「ッ!くぅッ!おぁぁッ!」

 矢継ぎ早に繰り出される剣撃を、鳳藤はその衝撃に耐えつつ、時に受け止め、時に受け流してやり過ごし続ける。しかし鳳藤の体にかかる負担は大きく、次第に彼女の息は上がり、腕は痺れはじめる。

「フッ、やはり良い筋だ。先のはまぐれではないな。妙な武器に頼るしかない輩共かと思っていたが、貴様のような良い剣の使い手に出会えるとは――うれしく思うぞ」

 必死に攻撃を受け続ける鳳藤をよそに、クラレティエは剣撃を繰り出しながら、嬉しそうに口を動かす。

「できれば、別の形で相まみえたかったものだ!」

 剣撃が十回に達しようとしたところで、クラレティエはいっそうの力を強めた剣撃を、鳳藤の得物へと叩き付けた。

「うぁッ!」

 痺れだしていた鳳藤の腕はその衝撃を受け止めきれず、握る剣は押しのけられ、明後日の方向へと反らされる。クラレティエは振るった剣をすぐさま引き戻すと、守りを失いがら空きになった鳳藤の身体に向けて剣を振り降ろす。

「ッ――!」

 鳳藤はほとんど崩れ落ちるような形で身を屈め、かろうじて振り下ろされた剣を回避。身体を転がしてクラレティエの正面から逃れ、逃れた先で手足を地面に着く。そして両ひざと片手はついたまま、剣を握ったもう片方の腕を持ち上げ、クラレティエの足を狙って剣を振るった。

「おっと」

 しかしクラレティエは足元を襲った刃を跳躍で回避。そのまま大きく飛びあがり、またも夜空へと逃れて行った。

「けほッ……ハァッ、ハァッ……」

 鳳藤は立膝を着いて疲弊した体を支え、クラレティエの去った方向を警戒しながら、上がった息を落ち着ける。

(ッ……このままじゃ、こっちが疲弊していくばかりだ。何か手を打たないと……)

 超人的な動きを持ってヒットアンドアウェイを繰り返すクラレティエを相手に、防戦一方の今の状態では、長くは持たないのは明らかだった。打開策を探し、鳳藤は考えを巡らす。

(賭けだが……やるしかないか……!)

 心の中で覚悟を決めた鳳藤は、立ち上がり、行動に移る。



「ん?何だ?」

 一度距離を取り、鉱石柱を足場に反転、再び鳳藤目がけて飛び出したクラレティエは、しかし接近するにつれて露わになった妙な光景に、思わず言葉を漏らした。
 先程対峙した時と変わらぬ位置に立つ鳳藤は、使用していたシャムシール似の剣を、弾帯に挟んだ鞘へと納めている。そしてあろうことか、収めた剣の柄を握ったまま、目を瞑っていた。

「戦う意思を失ったか?」

 命を懸けた戦いの場で、あるまじき相手の姿に、クラレティエはそう考える。

(いや――違うッ!)

 だが直後、直感的に感じ取った危機感が、彼女の頭からその考えを吹き飛ばした。あと少しで相手の懐へ飛び込もうとしていた所を、クラレティエは剣先を地面に接触させ、自身の軌道を強引に変更する。

「―――ぃイァァァッ!!」

 次の瞬間、鳳藤は奇声にも近い掛け声とともに、シャムシール似の剣を引き抜いた。
 居合切りだ。
 鳳藤はクラレティエが懐に飛び込もうとする瞬間、居合い切りを繰り出したのだ。

「ッぅ!?」

 軌道変更は間に合い、クラレティエは居合切りの間合いにギリギリ入らずに、鳳藤の横を抜ける。あのまま鳳藤の目の前に飛び込んでいれば、クラレティエは胴を切り裂かれていただろう。クラレティエは宙で身を翻して姿勢を立て直す。地面に足を着いてその身を滑らせ、地面と摩擦で勢いを殺して停止。
 着地と同時にクラレティエは鳳藤を警戒。しかし意識は鳳藤へと注意を払いつつも、彼女はその視線を自身の身体へと落とす。

「ッ!……これは……」

 そして見えた物に、クラレティエは微かにだが目を見開く。彼女の纏う服の胸元は横一文字に裂け、その下のクラレティエの肌が、微かにだが露わになっていた。
 鳳藤の繰り出した刃は、クラレティエの身体と接触してはいなかった。にもかかわらず、鳳藤の抜刀により剣先が生み出した風圧は、それだけでクラレティエの衣服を切り裂いたのだ。



 鳳藤は、居合を放った直後の姿勢のまま、首だけを後ろへと向ける。背後に抜けて行ったクラレティエは、少し先の地面に着地している。自身の体を掠めた居合切りに、若干の驚きの様子は見てとれたが、その体は依然健在であり、有効打が入った様子は見えなかった。

「――驚いた。刃先は触れなかったはず、それに魔法が使われた気配もなかった……剣先から生み出された圧だけで切ったというのか?」

 クラレティエは、驚きを顔に浮かべながらも、切り裂かれた自身の服の胸元に目を落とし、興味深げな様子で鳳藤の起こした行動を分析している。

(しくじった……!服を切っただけ……やはり、日本刀とはクセが違い過ぎる……!)

 対する当の鳳藤本人は、決死の一撃が不発に終わり、顔には焦りと悲観の色が滲み出る。尋常ならざる剣技を繰り出そうとも、それが芸まがいの物と終わっては、何の意味も無かった。そんな当人の気持ちをよそに、クラレティエは裂かれた服の切り口を指先でなぞると、フフッ、という笑い声と共に口角を上げる。

「面白い……良いぞ。私の好みの、面白いものを見せてくれるじゃないか!」

 クラレティエは心底嬉しそうな笑顔で、鳳藤へ向けて興奮混じりの言葉を発する。瞬間、周囲に鉱石柱が勢いよく突出した。

「わッ!?」

 昂るクラレティエが詠唱も無しに呼び起こした鉱石は、規則性など無く無作為にその切っ先を突き出し、いくつかは鳳藤を襲う。
 一方、クラレティエは足元から突き出した一つの鉱石に脚を乗せ、突出の勢いを利用いて己の体を打ち出した。飛び出したクラレティエの先に居るのは、もちろん鳳藤だ。

「ッ、また来るか!」

 迫るクラレティエを前に、鳳藤は自分の得物を構え直す。刃の交わし合いが再開され、何度発せられたかも分からぬ金属音がまたも夜闇の中で響き出した。



「くッ!」
「ハハハ!さぁ、次は何を見せてくれる?」

 互いの得物をぶつけ合い、舞うような打ち合いを続ける鳳藤とクラレティエ。そこから離れた立ち並ぶ鉱石柱の一つに、そんな二人の様子を見つめ続ける少年の姿があった。

「すごい……隊長も……それにあの人も……!」

 鉱石柱の側面に危なっかしい姿勢で取りつきながら、言葉を漏らすレンリ。詠唱を完了させ、つい先程この場に駆け付けたレンリは、地上で戦う二人の姿を見つけてから、その様子をずっと目で追い続けていた。
 麗しい容姿を持つ両者が、互いの一瞬の隙を探り合い刃を交わし合う姿は、荒々しくもどこか優美で、微かな艶さえ醸し出している。本来ならばすぐにでもクラレティエの元へ駆け付けるべきだったが、戦う二人の女の姿に、少年は見惚れてしまっていた。

「……はっ!い、いけない!」

 しかし少年は、己に託された役割を思い出す。そして止まり木としていた鉱石柱を飛び立ち、己の主の元へと向かった。



 幾度も剣をぶつけ合う鳳藤とクラレティエ。しかし鳳藤は、クラレティエの猛攻に耐えつつも、違和感を感じていた。

(妙な感じがする……彼女、凄まじいが本気じゃない。何か遊ばれてる気がする……!)

 そんな考えを遮るように、クラレティエが力を込めた一振りを、鳳藤に向けて放つ。

「来たッ!」

 しかし、少しずつではあるがクラレティエの取る挙動に慣れてきた鳳藤は、クラレティエが微かに見せた予備動作から、攻撃を予測し、回避して見せる。

「何ッ!?」

 鳳藤の予期せぬ回避行動に、クラレティエの対応はわずかにだが遅れる。

「!――行ける!」

 その隙に体勢を立て直した鳳藤は、防御を失ったクラレティエの脇に目を止め、剣を薙ぎ払った。

「隊長ッ!」

 しかし突如として、両者の間に一人の少年が割って入った。鳳藤の振るった刃は、少年の持つ剣に阻まれ、鈍い金属音を上げる。

「レンリ!?」
「な!?そんな――」

 クラレティエは少年の名を呼び、鳳藤は自分の攻撃が阻まれた事実に困惑の声を上げる。剣技にはあまり慣れていないのか、少年はぎこちない姿勢で構えた剣で、両腕を振るわせながら必死に鳳藤の刃を抑えていた。先に事態を把握したクラレティエは、必死に耐えるレンリに助け船を出すように、彼の脇から鳳藤目がけて剣を突き出す。

「うぁッ!?」

 突き出された剣先は、かろうじて命中はせずに、鳳藤のわき腹ギリギリを掠める。しかし両手がふさがった状態で襲い来た攻撃に、鳳藤は顔を青くし、慌てて後ろへ飛び退いた。飛び退いた先で、鳳藤はすぐさま姿勢を取り直し、下げていた小銃を目の前の二人へと向ける。しかし二人の姿はすでにそこにはなく、見上げれば、退避して行く二つの人影が、曇天の夜空の中に微かに見えた。

「ッ、またかよ……ッ!」

 雨水で湿り、額に張り付く前髪を掻き上げ、二人が逃げた方向を睨み上げる鳳藤。一太刀与えるチャンスを阻害された挙句、またも離脱されたことにイラ立ちを覚えた彼女は、思わず口調を荒げて吐き出した。

《剱、聞こえるか?っつかまだ生きてるか?》
「ッ!自由!」

 その時、インカムに制刻からの通信が飛び込み、鳳藤はインカムに手を伸ばす。

「おい……!まだかかるのか?こっちは2対1になって、正直芳しくない状況だ……!」
《こっちゃさっき5対1だったがな》
「ッ!今そういうのいいから早く来いッ!お前来る気があるのか!?」

 制刻の悠長な発言にイラっと来た鳳藤は、声を荒げてインカムに向けて叫ぶ。

《ピーピー鳴くなハリボテ王子、少しは落ち着け》

 対する制刻はいつもの調子で、宥めているのか煽ってるのか区別のつかない一言返す。

《うぉッ。あぁ鬱陶しい、また引っかかった。こりゃ崩したほうが早かったかもな》

 そしてそんな悪態が続き、同時に混じった雑音が聞こえて来る。インカムが不調なのか、聞こえてくる制刻の声もいささか妙であった。

「お前、何をやってるんだ?」
《狭ぇ所を通過中だ。そこかしこシッチャカメッチャカで、なかなか難儀なアスレチックになってやがる》
「ッ、呑気に……!自由!何か嫌な予感がするんだ!脅威存在の彼女は、何か時間を稼いでる様子だった!今さっき合流した仲間と何かするつもりかもしれない!」
《そりゃ、面白くねぇな。それに奴らの摩訶不思議はそろそろ見飽きた》
「とにかく……迫撃砲の一部だけでもこっちに再照準してもらおう。このまま火点まで引っ張っていくのは現実的じゃないし、それに彼女らの注意は今、この場の私たちに向いている。ここに砲撃すれば、彼女らの策を挫き、うまくいけば無力化できるかもしれない!構わないよな?」
《まぁいいだろう。あぁ、やっと抜けた》

 狭所の突破に成功したのか、制刻は鳳藤の訴えに答えつつも、同時に呟き声が聞こえてくる。さらに声に混じって、無線の向こうからまたも崩壊音が聞こえて来た。

《だが、奴らがわざわざ再照準から着弾まで待ってくれるわけでもあるめぇ。最悪、俺等だけでケリをつける必要がありそうだな》
「ッ……」

 制刻のその可能性を示唆する言葉に、鳳藤は表情を険しくする。
《奴はどっちに逃げた?》
「東側だ……」
《おぉし剱、合流は後だ。俺はこっちから奴を探す。再照準の要請連絡はお前に任せる。その後、そっちからも索敵も始めるか、どっかに身を隠すかはお前次第だ。自分のコンディションと相談して決めろ。とにかく、生き残れ》

 制刻はそこまで言うと、向こうから通信を切った。

「……ったく、どこまでもどうかしてる……!」

 鳳藤はぼやきながらも、迫撃砲の再照準要請のため、インカムに手を伸ばし、無線を開く。

「ジャンカーL1へ!こちらエピック1、鳳藤。脅威存在との戦闘苛烈!迫撃砲を一部照準変更の上、支援砲撃願う――!」

 そして発し始めた。


 制刻と鳳藤が無線で会話を始め出した頃。クラレティエ達は立ち並ぶ鉱石柱の一つを選び、そこに足を着けた。

「ふっ」
「うわっ、わっ……」

 クラレティエは面積の狭い柱の頂点に器用に脚を置く。レンリは脚を乗せる位置を誤り、バランスを崩しかけたが、クラレテェエが彼の腰に腕を回し、自身の身体へと抱き寄せた。

「うぁっ……す、すみません……」
「構わないさ。それに私の方こそ、またもお前に助けられてしまったな」
「いえ……隊長が危ないと思ったから、夢中で……」
「………」

 クラレティエの腕の中で、少年は戸惑いながら頬を染める。

「そういえば……皆はまだ追いついて来ていな――うあっ!」

 レンリは仲間たちの姿が見えない事に疑問の声を上げかける。しかしそれを遮るように、クラレティエは彼を抱く腕により力を込めた。

「え……た、隊長?」

 困惑の表情を見せるレンリに、クラレティエは固くした表情で言う。

「レンリ、聞いてくれ。皆は、ヨウヤ達五人はおそらく……すでに奴らの餌食となった」
「え……?」
「敵との切り合いの最中で問い詰め、表情から垣間見えた。皆はもう、散ってしまったのだ」
「そんな……皆が……」

 クラレティエの言葉を意味を理解し、レンリは震えた声を漏らす。短くない時を共に過ごしてきた仲間の死を知った彼の瞳は曇りだし、少年はそのまま悲しみの波に飲み込まれそうになる。

「――お前達若い猟犬はいつも賑やかで、見ていてとても微笑ましかった」
「!」

 しかし、自身を抱くクラレティエの声が、それを踏みとどまらせた。

「いつも明るく過ごし戦う皆の姿に、私もいつも元気を分け与えてもらっていた。そんな彼らを……すまない、すべて私が不甲斐ないせいだ」

 レンリへ向けて謝罪の言葉を紡ぐクラレティエ。口調こそ冷静だが、その裏で感情を噛み殺している事が、レンリには伝わって来た。戦いの間は、自身を高揚させることで抑えていた感情が、愛弟子のあどけない表情を目にしたことで、溢れ出したのだろう。

(クラレティエ様も、苦しいんだ……皆の事を悲しんでいるんだ……)

 クラレティエの心情を察したレンリは、片腕でクラレティエの身を抱き返した。

「!……レンリ」
「ご、ごめんなさい。僕にこんな事されてもうれしくないかもですけど……」

 取り繕うように言うレンリ。そんな彼の様子に、クラレティエは固い表情をほぐして笑顔を見せる。

「いや、フフ……誰かに抱かれるというのは、気恥ずかしいものだな……でも、とてもうれしいぞ、レンリ」

 クラレティエは腕の中の少年を、もう一度強く抱き返すと、顔を起こした。

「……さぁ、皆のためにも、悲しむばかりではいられない。私たちで仇を討たなければ。レンリ、術式は完成しているか?」
「は、はい!あとは最後の一節を唱えれば、すぐに発動できます。あ、あと、魔法を隊長と同調させるために、隊長にも魔力を送らせてもらう事になりますけど……」
「あぁ、構わないぞ」
「あ、そ……それと……」
「?」
「た、隊長、服が切れてて……その、胸が……」

 クラレティエの服の胸元は、先程受けた一太刀により横一文字に割け、その下の柔肌と谷間が露わになっていた。そしてレンリの顔は、密着するクラレティエの乳房とほぼ同じ高さにある。

「ッ!」

 それに気づき、クラレティエは凛とした表情を微かに歪め、頬を赤く染めた。

「忘れていた……!さっきの一閃で……」
「た、隊長も……そういうの、気にされるんですね……」
「と、当然だ!私とて仮にも女のつもりだ……恥じらいくらい感じる!」
「ご、ごめんなさい!」

 叱責にレンリは慌てて顔を背け、愛する隊長の女の面を目の当りにし、抱いてしまった劣情をかき消そうとする。
 一方、思わぬ羞恥心に襲われ、クラレティエも困惑していた。
 これまでレンリに対して、言葉の上でのからかうような誘惑は幾度もしてきたクラレティエ。しかし予期せず見せてしまった痴態を、平気でいられない程には彼女も初心であり、今の彼女からはリードするべき年上の女としての余裕は失われていた。

「………!」

 気恥ずかしさにしばらく言葉を切りだせないでいた彼女だったが、しかしそこで何かを思いついた。彼女は少し躊躇するような様子を見せたが、やがて紅潮の収まり切らないその顔をレンリに向けて、口を開いた。

「そうだレンリ。私がプリゾレイブ・ガーデは発動する時は、お前が私に命令を下してくれないか」
「はい。……え?は、はい!?」

 クラレティエから投げかけられた言葉に、反射的に言葉を返すレンリ。しかしその言葉の意味を理解し、レンリは驚きの声を上げて、クラレティエの顔を見上げた。

「な、え?……ど、どういう事ですか……!?」
「そんなに驚くな。私はお前の持つ魔力を授けられ、その力を持って事を成すのだ。その間はお前が主で、私がレンリの猟犬。おかしい話でもあるまい?」

 しどろもどろになって尋ねるレンリに対して説明するクラレティエ。それらしく説明して見せたクラレティエだったが、実際の所それは、恥ずかしい所を見られた仕返しに、お返しに困らせてやろうという悪戯心。そしてなにより、内心に彼女が抱いている、愛おしい少年からの己への支配を求める心を、羞恥の昂ぶりに任せて告白する冒険でもあった。悪戯を思いついた少女のような笑みを浮かべているが、羞恥を別の羞恥で塗り消すようなその行為に、その顔には隠し切れない恥じらいが同時に見て取れた。

「それに、このような痴態まで晒してしまったのだ、もはやお前の従順なる猟犬となるしかあるまい?」
「え、え、でも、そんな……」
「だめかな?お願いだ、〝我が主〟」

 動揺し、承諾しかねている少年の耳元で、クラレティエは退路を塞ぐように言葉を紡ぎ、媚びるように囁く。

「ぁう……わ、分かりました……」

 クラレティエの願い出に折れたレンリは、顔を真っ赤にしながら承諾した。

「フフ、ありがとう」
「わっ!」

 そう言うとクラレティエは、レンリの身を自分の腕の中で回転させ、レンリの背中を自分の腹側に押し付けるように抱きかかえ直す。

「では、行くとしよう。皆の弔い戦だッ!」
「……っ!は、はいっ!」

 通る声で発すると、クラレティエはレンリを抱きかかえて、鉱石柱を踏み切り、中空へと思い切り飛び出した。曇天の下にある周囲は闇に包まれていたが、夜目の利くクラレティエには眼下の様子が朧気にだが見えている。そして自分達が、先の自身の魔法により変貌した地形の、ほぼ中心地であることを確認する。

「よし。レンリ、頼むぞ!」
「はい!」

 そしてクラレティエは腕の中のレンリに託す言葉を発し、答えたレンリは詠唱を開始した。

「気高き魔の祝福をここに成さん!恐れ多きその力を、導き、伝え、大地へ満ち広げたまえ!」

 レンリは増強魔法発動のための最期の一節を唱える。その瞬間、彼を中心に大きな魔力が発生した。発現した魔法は眩い光として可視化され、レンリとクラレティエを包み込み、次の瞬間には波紋のように周囲へと拡散。そしてクラレティエの身体にも、同調のための魔力が流れ込んでくる。

(これは……すごい……流れてくる魔力を通じて、レンリの持つ魔力の強大さが分かる……温かく、それでいて力強い膨大な魔力!レンリ……お前の秘めていた力はこんなにも……あぁ、今にも飲み込まれてしまいそうだ……)

 クラレティエが目の前の愛弟子の、その内に秘める力に心を奪われている間にも、発動された魔法は形を成してゆき、やがてクラレテェエの魔法を増幅させるための下地は完成した。

「隊長!増幅魔法が完成しました!」
「よし、いいぞ!さぁレンリ、私に命じてくれ!」
「は、はい!」

 ゴクリと唾を飲んでから、レンリは意を決するように口を開いた。

「わ、わが猟犬クラレティエよ、汝に授けし力を持って、敵を討て!」

 命ずるべき女猟犬の腕の中で、主となった少年は、まだ声変わりの終わっていないその声で、高らかに言い放った。

(ッ……!)

 レンリの声を受けたクラレティエに体に、ゾクッと、震えに似た感覚が走る。彼女の身に走ったそれは、快楽だった。少年の発した命令形の言葉が、クラレティエが今や少年の猟犬となった事実を彼女に再認識させる。そして普段、猟犬達の主たる彼女が心の内で抱いていた、被支配欲を打ち、満たし、彼女の心身を昂らせた。

(力強く、そして甘美な声……体が熱を帯びてゆく……!レンリ、君はやはり主としての器だ!)

 官能的な感覚が体に駆け巡るのに並行して、クラレティエは己の体に宿った魔力が、あふれ出んばかりに増大してゆくのを感じる。被支配欲が満たされる事による心の昂ぶりが、彼女自身の持つ魔力を増大させ、そして授けられたレンリの魔力と共鳴したのだ。

「我が主の命のままに――」

 少年の命ずる言葉を猟犬として授かり、そして答えるクラレティエ。
 そして眼下の闇の中に潜むであろう、憎き敵を討つべく、彼女は詠唱のための口を開く。

「魅惑に覆われし我が庭。これに踏み入るは皆、我の虜となる――ッ!」



 剱は暗闇を駆ける。
 常に周囲に意識を向けて索敵を行いながら、鉱石柱を始めとする遮蔽物を利用して身を隠しつつ、敵の逃げ去った東方向を目指す。

「ッ……どこにいったんだ……」

 一つの鉱石柱の影に駆け込んで背を預け、夜空を一度見渡す剱。その口から焦りの声が漏れる。
 敵を見失ってから少しの時間が経過していた。おかげで体力こそ申し訳程度には回復したが、反して敵の再襲撃がいつ来てもおかしくない状況に、彼女の不安と緊張は煽られ、募っていった。それを少しでも紛らわせようと、剱は目を落とし、先の戦いでの痺れがわずかに残る、シャムシール似の剣を握るその腕をさする。

「――ッ!」

 彼女が視界の端に何かを捉えたのは、その時だった。
 剱が顔をそちらに向けると、闇一色の夜空の中で、異様なまでの閃光を放つ発光体がその目に映る。発光体の中には人影らしき物が見え、それが先ほどの二人であることは考えずとも理解できた。敵の姿を包む発光体は、次の瞬間には波紋のように広がり、周辺をコーティングするように全方位に光が走る。光が走り抜けると同時に、何か妙なエネルギーが周囲に満ちるのを感じ取った。

「ッ……!今のは……?」

 発声した現象に一瞬戸惑った剱だが、すぐさま光の正体と敵の意図を探ろうとする。しかし考察する暇すらなく、剱の目は上空に別種の光が続けて瞬き、小さく広がるのを見る。

「―――ッ!?」

 彼女の全身を、先のとはまったく別物の名状し難い奇妙な不快感が駆け巡ったのは、その瞬間だった。
 背筋を悪寒が襲い、異様なまでの脱力感が全身を支配して行く。手足から力が抜けてゆき、握っていたシャムシール似の剣が力の抜けた指からすり抜け、地面に落ちる。立っている事すら叶わなくなり、剱はガクリと膝を、次いで両手を地面に着いてその場に伏した。

「うぁ……かッ、ぁ……」

 異常は体だけではない、意識は高熱を出した時のように霞みだし、これまで保っていた緊張と敵愾心が、倦怠感に塗りつぶされてゆく。
 戦う意思が掻き消えてゆく。

「な……これ……」

 まるで何かに己の精神をのっとられるような感覚。しかし剱はかろうじて踏みとどまり、意識を保つ。

「魔、法……?まずぃ……」

 自身の身に起こる現象の正体は想像するより無かったが、それが脅威存在が起こした物である事は、考えずとも理解できた。微かに残る意識が危機を訴える。気を失いそうな所を気力で踏みとどまり、剱は全身を蝕む倦怠感に抗う。ほとんど力の入らない腕を緩慢に動かし、その場から離脱しようと地面を這いずる。

「――!ぁッ!」

 しかしその時、そんな剱のすぐ側から一本の鉱石柱が突き出す貫かれる事こそなかったが、突出の勢いで剱の体は中空に放り投げられる。

「ヅッ!」

 数メートル程宙を舞った後に、地面に体を打ち、鈍い悲鳴を上げた。

「くっ、ぅぅ……!」

 鈍い痛みが全身に走り、苦悶の声を漏らす剱。痛みは朦朧とする意識を申し訳程度に覚醒させたが、しかし彼女を襲う倦怠感は晴れることなく、しつこく纏わり続ける。

「そこか」

 鈍い動きで悶える剱の近くに、人影が声と共に降り立った。



 敵の姿を見つけ、降り立ったクラレティエとレンリ。クラレティエは抱きかかえていたレンリを離して降ろすと、倒れた女の前まで歩み近寄る。

「づぅ……ッ」

 女は痛みと、言う事を聞かない体に苛まれながらも、顔を起こしてクラレティエの姿を睨む。剱のその姿に、クラレティエはわずかにだが目を見開いた。

「ほぅ……まだ我を保っているのか? 」

 今しがた周囲に発動されたプリゾレイブ・ガーデは、発動範囲内にいる発動者に、敵対心を持つ人間の意思を奪い、意志の無い人形のようにしてしまう効果を持つ術だ。しかしその発動下で、女は体の自由こそほとんど奪われながらも、自我を保ち、抵抗の意思をその目に宿していた。

「剣の腕だけではなく、半端ではない強い意志を持つようだな。……しかし、それでも最早虫の息か」

 クラレティエは剱の姿に目を落としながら、感心した様子で彼女を再度評し、そして最後につまらなそうに呟いた。

「これ、クリスの……」

 クラレティエの背後で、レンリが足元に落ちていたシャムシール似の剣を拾う。剱が投げ出された際に、彼女の手から落ちたものだ。レンリはそれが仲間の一人が持っていた物だと気が付き、声を漏らした。

「じゃあ、この人が……?」
「そうだレンリ。わが猟犬達を手にかけた、許されざる害虫だ」
「こんな強くてきれいな人が……」
(レンリ……?)

 レンリのその言葉を気に留め、クラレティエは足元の敵に降ろしていた視線を、少年の方へと向ける。レンリは仲間を殺された悔しさや、それを成した敵に対する恐怖等を顔に表しながら、地面に倒れる女の姿に視線を向けている。しかしクラレティエは、少年の感情がそれだけでは無い事に気付く。倒れる女を見る少年の目には、強く可憐な女に対する敬愛の念が、わずかにだが含まれていた。

(レンリ……この女に魅了されているのか?)

 クラレティエはもう一度足元の女に目を落とし、その姿を観察。そして同時に女の体に流れる魔力を感じ取り、分析する。

(なるほど……この女、身体に有している魔力そのものは微量だが、それを通して、体に大きな魔力を宿す素質が携わっているのが分かる。未完の大器という訳か……。容姿や強さだけではない。レンリはこれを感じ取り、この女に無意識的に惹かれているのか……)

 クラレティエは愛弟子の感情の変化の原因がわかり、フンと小さく息を吐く。

(……面白いものではないな)

 そして脳裏にそんな一言を浮かべ、表情を少しだけ険しくした。



「づぅ……ッ」

 剱は朦朧と意識する中で、近づいてきた人影を見上げる。違う物が目に映る事を微かに願ったが、そこにいたのは紛れもなく。ここまで刃を交わしてきた脅威存在の姿だった。その脅威存在は、碌に動くこともままならない剱を最早警戒すべき対象と見ていないのか、時折言葉を発しながら、剱の事をただ見下ろしている。

(くぁッ……まずい……)

 だが、脅威存在の手にする得物が、いつ剱の身体に向けられてもおかしくはなかった。加速する焦燥の中で、考えを巡らせて打開策を探す剱。そこで彼女は、脅威存在の後ろに立つ少年の姿を目に留めた。

(何か……不思議な力が……この現象、原因は、後ろの彼か……?)

 剱は、自身を襲った異様な倦怠感の発生要因が、後ろの少年ではないかと当たりを付ける。
 先の脅威存在との一騎打ちの際には今の現象の兆候はなく、少年が脅威存在と合流した後に現象が発生した事から考えての推察だった。そして何より、先ほど周辺に充満したエネルギーが、少年から発せられている事を、彼女の第六感が微かに感じ取っていた。どちらも根拠としては漠然としていたが、今はとにかく何らかの行動を起こすべきだと、剱は倦怠感の纏わりつく体に気力を込める。
 少年の目線は手元の剣に落ち、脅威存在の女の目はその少年に向いている。剱は、両者の視線が反れている隙を突き、銃剣に手を伸ばした。右肩甲骨付近に、サスペンダーを利用して逆さに取りつけていた銃剣の柄を掴み、固定釦を押して下へ引き抜く。一度持ち直して視線の先の少年に狙いをつけると、残った力で手首にスナップを効かせ、投擲。銃剣は回転運動を行いながら少年目がけて飛ぶ。
 しかし――銃剣が目標の少年に届く前に、カキン、という金属同士がぶつかる音が響いた。

「!」

 銃剣の軌道上にはクラレティエの持つ剣が突き出されており、投擲された銃剣はあっさりと叩き落された。

「ひぁッ!」

 遅れて自分が狙われていたことに気付いたレンリが、小さな悲鳴を上げる。

「将来の我が主に刃を向けるとは、実に不快な事をする」

 クラレティエは不快感を静かに口にしながら、少年を己の身体で庇い、剣先を剱へと向ける。

「鋼よ、茨を成し、獲物を絡み捕らえよ」

 そしてクラレティエは短く詠唱。その直後、剱の周囲から複数の鉱石でできた茨が突き出し現れた。

「ッ!?うぁッ!?」

 鉱石の茨は瞬く間に剱の身体へ絡みつくと、そのまま彼女の体を持ち上げ、一番近くにあった鉱石柱に叩き付け、磔にした。

「ヅッ、ぐぅッ……!?」

 剱の身体に絡んだ茨は彼女の体を締め上げ、そして無数の棘が彼女の体を傷つける。苦悶の声を上げる剱を、その元凶であるクラレティエは冷たい目で眺めていた。

「ご、ごめんなさい隊長……」
「見たろうレンリ、これが彼奴等の戦い方だ。小賢しく、醜い……情を恵むには値しない存在だ」

 クラレティエは、自身の不覚を謝罪する少年の体を抱き寄せ、言い聞かせるように発する。

「愚かな存在には、罰が必要だ」
「!」

 そして少年の手を取ると、自身の剣の柄を握らせ、その上から自らの手を添えた。

「分かるな。仲間のためにも、こいつは断罪せねばならない」
「あ……う……」

 レンリは持たされた剣の切っ先を、そしてその先に居る貼り付けになった女の姿を見る。

「お前も猟犬であるならば、避けては通れぬ道だ」

 冷たい声色で、目の前の女への断罪を促すクラレティエ。レンリも、目の前の女が仲間を殺めた憎き敵なのは分かっていた。しかし生殺与奪をゆだねられた少年の手は震え、握っている剣を今にも落としそうだ。

「ぼ、僕……駄目です……!敵だって分かってても、女の人に酷い事なんてできない……!」

 そして少しの沈黙の後、少年は泣き叫ぶように訴えた。実際、その顔は今にも泣き出しそうだった。

「――ふふ、わかっていたさ、お前は優しい奴だ」

 クラレティエは一転して優しい笑みを浮かべると、レンリの手から剣を優しく取り上げる。

「た、隊長……ごめんなさい……皆の、仇なのに……」
「いや、いいさ。お前の視線を奪われたのが心苦しくて、少しいじわるをしてしまった」
「え――んむ!?」

 クラレティエの言葉の意図を理解しかね、言葉を発しようとしたが、その前に、少年の口は柔らかい感触の何かに塞がれる。レンリの顔から指一つ分も無い距離にクラレティエの顔があり、少年の唇にはクラレティエの唇が重ねられていた。困惑するレンリをよそに、クラレティエは唯一残った配下の少年に片手を這わせて抱き寄せ、より口づけを濃厚にする。まるで、そこで磔になっている女に見せつけるように。

「……な、な……」

 目の前で繰り広げられる異様な光景に、剱は危機的状況にあるにも関わらず、目を丸くし、その頬を赤く染めていた。クラレティエは口づけを続けながら、剱の方を一瞥。そして勝ち誇るように目で笑って見せる。彼女は寵愛する少年の目を一時でも奪われたことで、嫉妬心を抱いていたのだ。今まで誰からも敬愛されてきた彼女にとって、初めての感情であった。そして自分と少年との口づけを、目の前の女へ見せつけることで、心に湧き出たモヤをかき消し、独占欲を満たしていた。

「んぅ……」

 クラレティエは少年へと視線を戻すと、空いていたもう片方の手で彼の手を掴み、自身の身体へと導く。レンリは導かれるままに、クラレティエの体に手を回す。そして導いた片手で今度は、少年の空いた片手を取り、指を艶めかしく絡め合う。互いの体を強く抱き寄せ合い、レンリは、鍛え上げられながらも、しかし豊かな女の肢体を。クラレティエは、角の少なく抱き留めやすい少年の肢体を。体のラインが浮かび上がるレザーの服越しに、互いに感じ合った。

「ん……」
「ぷぁ……」

 長く続いた口づけが終わり、クラレティエはレンリの唇を解放する。

「ふぁ……隊長ぉ……?」

 濃厚な愛し合いの余韻に囚われたままのレンリは、まだ夢の中にいるような表情でクラレティエを見上げる。

「レンリ。私はお前のその、意固地なまでの優しさに何より惹かれたんだ」

 腕の中の愛しい少年に向けて、クラレティエは改めて告白の言葉を囁く。

「確かに、未来の我が主人となってもらうには、この先厳しい場を乗り越えてもらわねばならないが……。しかし、まだしばらくは、私の優しくて愛らしい忠犬でいてくれ」

 言いながらクラレティエは、本当の犬でも可愛がるようにレンリの頭を撫で、指先で喉元を弄ぶ。

「ぁぅぅ……くぅ……わ、わん……!」

 その甘美な快楽に、レンリは胸がキュンと締め付けられるような感覚に囚われ、その表情をだらしなく蕩けさせる。そして主の言葉に対する肯定の意思として、レンリはクラレティエに向けてそう鳴いた。

「ふふ、いい子だ。――さて」

 主従の愛情を再確認させると、クラレティエは少年の体を解放し、磔になった女の方へと向き直る。そして表情を艶の浮かぶ女のそれから、処刑人のものへと豹変させた。

「ッ!」
「私はレンリほど慈悲深くはない――さぁ、断罪の時だ」

 目の前で繰り広げられた異様な事態に、気を持っていかれていた剱だったが、刺さるようなクラレティエの視線と言葉が、彼女に危機的状況を再認識させる。

(何を見惚れて、アホか私は……!ッ……!)

 茨からの脱出を試みようと体を捩る剱。しかし戦闘服越しに棘が食い込んで体に傷を増やすだけで、彼女を拘束している茨はビクともしなかった。

「私はあまり血生臭いやり方は好まないのだが……散って言った猟犬達に報いるためにも、貴様らには惨たらしい最期を迎えてもらう」

 懸命にもがく剱に向けて、クラレティエ一方的に言い放つと、彼女は一節の詠唱呪文を唱えた。

「従属を覚えぬ哀れな犬に漆黒の枷を。恐怖、痛み、死、これらによる躾を与えん」

 対する剱は倦怠感や痛みの多重苦に苛まれながらも、脱出のためがむしゃらに足掻いていた。しかし、視界に入った妙な物に、剱はその動きを止める。

「……ッ!?」

 自分の体に視線を落とす。そこで目に映ったのは、剱の両腕や両足の付け根付近で輪を形作る、濃灰色のモヤ。

(こ、これ……まさか!?)

 そこで剱は、脅威存在と接触したばかりの時に入った無線連絡で、首を落とす能力者がいるという報があった事を思い出す。

(報告では別の脅威個体のはず……いや、彼女も使えてもおかしくはない……じゃあ……ッ!?)

 剱の推測は正しかった。今彼女の体に纏わりつくモヤは、観測壕での戦闘で祝詞士長を死に追いやったそれと同種の物だった。そして、それが自身の四肢に纏わりついているという状況。脳裏に浮かんだ未来予想図に、剱の顔はみるみる青ざめた。

「ミルペィル・ミリィ――ロイミから手ほどきを受けたカラウ・ミリィの応用だ。いささか趣味の悪い代物のため、使う事は無いと思っていた。しかし――貴様らのような害虫を罰するのに、これ程うってつけの手段もないだろう。まずは害虫に相応しい姿となり、己の犯した罪の重さを知るがいい」

 剱の心中を察し、それを肯定するかのようにクラレティエは発した。

「今、周囲一帯はレンリの広げた魔力の庭だ。その効果でこの術も、周囲にいる全ての敵意ある者に発言する。そう――あの醜い者も、貴様同様に無惨な最期を迎える事となるだろう。今や周囲の地形は迷宮の同然だ、抜け出すことは容易ではない。そしてプリゾレイブ・ガーデの餌食となり、今頃は地を這っている事だろう。もしくは、生き埋めとなっているやもしれんな」

 変貌した周囲を見渡しながら、言葉を続けるクラレティエ。自身をおちょくり倒した相手の最期の姿を脳裏に浮かべたのか、クラレティエは言葉の切れ目で少しだけ口角を上げ、小さく笑いを零した。

「あの醜く無礼な輩に直接手を下せないのは残念だが……地の底で息耐えてゆく、ヤツの姿を想い浮かべるのもまた一興だ。貴様の最期の姿を肴に、そのひと時を愉しむとしよう」

 クラレティエが言葉を終えるのを待っていたかのように、モヤはその回転速度を上げ、明確なリングを形作りだす。剱の四肢に枷のように出現したそれは、彼女の付け根を切り裂くべく、収束を始めた。

「うぁ……ぁ……!や、やめろ……ッ!」

 目前に迫る恐怖に、剱は顔を強張らせ、震える唇から声を漏らす。形作られたリングの内径は鋭利な刃となり、チリチリと剱の纏う衣服を切りつけ始める。

「や……やだッ!嫌だッ!やめてくれェッ!」

 剱は目尻に涙を浮かべて喚き出す。しかしいくら悲鳴を上げようとも、リングの収束と回転は止まることなく、ついには剱の地肌を傷つけ出す。

「……ふふっ」

 その姿がクラレティエの加虐心を擽ったのか、サディスティックな笑みを浮かべていた彼女は、その口から再び小さく笑いを零す。

「やめて、やだ……やだぁッ!!」

 ついに剱の口から、子供の駄々のような泣き声が上がる。死の枷はそれを最後の言葉と聞き届けた。そして剱の四肢を、無慈悲な刃が切断する――。


 突然の衝撃音が割り込んだのは、その直前だった。
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建設隊――陸上自衛隊にて編制運用される、鉄道運用部隊。 そしてその世界の陸上自衛隊 建設隊は、旧式ながらも装甲列車を保有運用していた。 そんな建設隊は、何の因果か巡り合わせか――異世界の地を新たな任務作戦先とすることになる―― 陸上自衛隊が装甲列車で異世界を旅する作戦記録――開始。 注意)「どんと来い超常現象」な方針で、自衛隊側も超技術の恩恵を受けてたり、めっちゃ強い隊員の人とか出てきます。まじめな現代軍隊inファンタジーを期待すると盛大に肩透かしを食らいます。ハジケる覚悟をしろ。 ・「異世界を――装甲列車で冒険したいですッ!」、そんな欲望のままに開始した作品です。 ・現実的な多々の問題点とかぶん投げて、勢いと雰囲気で乗り切ります。 ・作者は鉄道関係に関しては完全な素人です。 ・自衛隊の名称をお借りしていますが、装甲列車が出てくる時点で現実とは異なる組織です。

銀河英雄戦艦アトランテスノヴァ

マサノブ
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日本が地球の盟主となった世界に 宇宙から強力な侵略者が攻めてきた、 此は一隻の宇宙戦艦がやがて銀河の英雄戦艦と 呼ばれる迄の奇跡の物語である。

日本は異世界で平和に過ごしたいようです。

Koutan
ファンタジー
2020年、日本各地で震度5強の揺れを観測した。 これにより、日本は海外との一切の通信が取れなくなった。 その後、自衛隊機や、民間機の報告により、地球とは全く異なる世界に日本が転移したことが判明する。 そこで日本は資源の枯渇などを回避するために諸外国との交流を図ろうとするが... この作品では自衛隊が主に活躍します。流血要素を含むため、苦手な方は、ブラウザバックをして他の方々の良い作品を見に行くんだ! ちなみにご意見ご感想等でご指摘いただければ修正させていただく思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 "小説家になろう"にも掲載中。 "小説家になろう"に掲載している本文をそのまま掲載しております。

神々の間では異世界転移がブームらしいです。

はぐれメタボ
ファンタジー
第1部《漆黒の少女》 楠木 優香は神様によって異世界に送られる事になった。 理由は『最近流行ってるから』 数々のチートを手にした優香は、ユウと名を変えて、薬師兼冒険者として異世界で生きる事を決める。 優しくて単純な少女の異世界冒険譚。 第2部 《精霊の紋章》 ユウの冒険の裏で、田舎の少年エリオは多くの仲間と共に、世界の命運を掛けた戦いに身を投じて行く事になる。 それは、英雄に憧れた少年の英雄譚。 第3部 《交錯する戦場》 各国が手を結び結成された人類連合と邪神を奉じる魔王に率いられた魔族軍による戦争が始まった。 人間と魔族、様々な意思と策謀が交錯する群像劇。 第4部 《新たなる神話》 戦争が終結し、邪神の討伐を残すのみとなった。 連合からの依頼を受けたユウは、援軍を率いて勇者の後を追い邪神の神殿を目指す。 それは、この世界で最も新しい神話。

日本VS異世界国家! ー政府が、自衛隊が、奮闘する。

スライム小説家
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令和5年3月6日、日本国は唐突に異世界へ転移してしまった。 地球の常識がなにもかも通用しない魔法と戦争だらけの異世界で日本国は生き延びていけるのか!? 異世界国家サバイバル、ここに爆誕!

ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり

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20XX年、うだるような暑さの8月某日―― 東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。 中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。 彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。 無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。 政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。 「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」 ただ、一人を除いて―― これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、 たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。

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