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チャプター13:「脅威襲来」

13-2:「第21観測壕、抵抗戦」

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「………!」

 眼下の、自身を庇い代わりに痛ましい姿と成り果てた麻掬の姿に、美斗知は目を剥き言葉を失っている。

「ぁぁぁ……嫌……!こんな……!」

 一方の祝詞は、惨劇を目の前に、悲鳴と狼狽の声を上げ零している。

「祝詞ッ!」

 しかし祝詞のその身体は、次の瞬間には崖胃により塹壕内へと押し込まれた。

「塹壕の外に身を出すな!誉士長、奴の姿を確認できるか!?」
「後ろです、後ろにいます!」

 崖胃の尋ねる声に、塹壕の後方を示して誉が答える。
 塹壕の後方少し先に、ちょうど着地した傭兵の姿が見える。それこそ、今、麻掬の身を裂き命を奪った、下手人の姿であった。

「野郎ッ!」

 崖胃は着地した直後のその無防備な姿を狙い、すかさず小銃を構えて向け、発砲。しかし傭兵は振り向きもせずに大剣だけを振るう動きを見せる。
 そして聞こえ来る微かな金属音。それは、大剣により銃弾が弾かれた音であり、その傭兵は負傷した様子も見せず、健在であった。

「銃弾が通用していない――誉士長、てき弾だ!炸裂火器を使え!」
「了!」
「鈴暮一士ッ!無線で応援を要請しろ!」
「はい!」

 それぞれへ指示を飛ばす崖胃。
 それを受け、誉は小銃てき弾の容易に掛かり、鈴暮は無線機に飛びつく。

「すべてのユニットへ、こちらスナップ21!応援を要請する!現在当ユニットは強力な敵の襲撃を受けている!攻撃により麻掬三曹が死亡!敵は人間離れした動きでこちらを撹乱し、さらに銃弾を剣で弾いて無力化して来る!送れッ!」

 無線に飛びついた鈴暮は、通信回線を開き、そして一気にまくし立てた。

《スナップ21、もう一度言え。麻掬三曹が死亡したといったか?》
「そうです!戦死ですッ!未だに脅威は健在、至急応援をッ!」

 返される、長沼の声での確認の通信。それに対して鈴暮は、叫び繰り返す。
 一方その傍らで、崖胃は小銃てき弾の準備ができるまでの時間稼ぎとして、傭兵に向けて牽制射撃を行っていた。

「美斗知士長、祝詞士長!大丈夫か、動けるか!?」

 弾を視線の向こうの脅威へとばら撒きながら、崖胃は武器科の両名に呼びかける。

「麻掬三曹……!こんな、こんな……ッ!」

 祝詞は、切断された麻掬の上半身を膝の上で抱え、嗚咽を漏らしている。

「しっかりしろ!嘆くのは後だ、今すべき事をするんだぁッ!」
「ッ――了……ッ!」

 その彼女に飛ぶ、崖胃の叫ぶような訴え。それを受け、祝詞はなんとか返事の声を絞り出す。

「よし、武器を取れ!前方からも敵は迫ってる、奴らに向けてばら撒き続けろ!」

 自身も射撃を続ける傍らで、指示を出してゆく崖胃。

「美斗知士長!お前も大丈夫なら武器を取れ、あの大剣持ちの傭兵に向けて牽制射撃だ!」

 続けて美斗知へ指示を出す中崖胃。しかし、美斗知からの返答は返ってこない。

「美斗知どうした!負傷したか?なら――」

 返答の無い事に美斗知の負傷を疑い、その上での呼びかけを発し上げようとした崖胃。

「――あいつ……あいつァァッ!」

 その崖胃の言葉を遮り、濁りドスの利いた言葉が上がったのは、その瞬間であった。

「美斗知!?」

 声の主は美斗知。
 それまで塹壕の底に座り込み呆然としていた美斗知は、しかし驚きそちらを向いた崖胃等の前で、跳ね上がるような動きを見せた。
 血走った眼で、落ちた小銃を掴み拾う彼。そして直後、美斗知は塹壕を飛び出す。そしてあろうことか、大剣を持つ敵傭兵の真正面に向かって吶喊を仕掛けてた。

「美斗知ッ!?何を――!」

 美斗知の突然の狂行に、誉が声を上げる。

「俺が行く!」

 しかし直後には、横から崖胃の声が飛ぶ。誉が視線を移せば、美斗知を追いかけ、崖胃が塹壕から飛び出す崖胃の姿が移った。

「崖胃三曹!?」
「美斗知をなんとかあの敵から引き離す、隙があったら撃て!」

 誉等に向けて指示を発し上げながら、崖胃は先に向けて駆けた。



 大剣を手にする女傭兵、すなわち剣狼隊長クラレティエは、己の大剣を操り迫りくる銃弾をいとも容易く跳ねのけている。

「ふむ、どうするか」

 突破口を開くべく、部下の傭兵に先んじて塹壕の後ろへ回り込んだ彼女は、敵の目を引き付けながら、次の手を考えていた。

「敵の風変りな投射器は排除した、いずれ猟犬達が追いつくだろう。それまでここで敵の注意を引き続けてもよいが……」

 しかしその時、クラレティエの目が、塹壕から飛び出て来る人影を捉えた。

「敵はあまり、のんびりさせてはくれないようだ」

 その人影の正体は、他でもない美斗知だ。

「ォオオオオオオッ!」

 彼は引き金に指をかけ、小銃を撃ちっ放しにしながらクラレティエへ向けて突撃する。

「っと」

 襲い来る銃弾を、クラレティエは大剣を盾の代わりにして防ぐ。

「ふむ――む?」

 銃弾を防ぎ切り、構えを解いたクラレティエ。
 ――その目の前に、美斗知の姿があった。クラレティエの僅かな動作の隙に、彼は小銃に着剣された銃剣の、刺突攻撃の有効範囲まで接近していた。

「――死ねェァ!」

 間合いに踏み込み、吐き上げる美斗知。同時に彼は、小銃を握り潰さんがばかりの力で握り、銃剣の切っ先を突き出した。

「――ッ!」

 しかし――銃剣は空を切る。正面にいたはずのクラレティエの姿が、突如消えた。

「勇敢だが――愚かだな」

 否、クラレティエは頭上にいた。風に舞うような後方転回(バック転)で上空へ逃げ、水美斗知の放った刺突を回避したのだ。

「考えのない行動は、隙を産むぞ」
「あ――」

 そして空中に浮いたまま、美斗知目がけて大剣が振り下ろされる。迫る大剣の刃を前に、しかし美斗知は反応が取れずに、声だけが零れる。

「――美斗知ッ!」

 だが、大剣が振り下ろされる直前、声と共に別の人影が割り入った。

「何?」

 現れた人影は美斗知の体を掻っ攫い、その場から消える。そしてクラレティエの斬撃もまた、空を切る事となった。

「ヅ――!」

 突然のタックルに、再び地面へ倒れ込む事となった美斗知。

「無茶をッ!あいつのヤバさが見えてないのか!?」

 彼の危機を救ったのは、他でもない崖胃だ。崖胃は美斗知に発しながらも、片手で構えた小銃をクラレティエへ向け、牽制のために弾をばら撒く。そして美斗知の服を掴み、彼を引きずりながらその場から退避を始めた。

「ふむ、今の動きは悪くなかったぞ」

 一方のクラレティエは襲い来た銃弾を大剣で凌ぎ、そしてまるで生徒に指導をする教師のような口調で呟きながら、地面へと着地する。

「だがその後の動きも、もう少し考えるべきだな」

 自分から距離を取る崖胃等へ視線を向け、剣を動かそうとするクラレティエ。
 ――しかしその瞬間、彼女を包むように爆炎が上がった。



「どう!?」

 崖胃等が敵傭兵から離れたタイミングを見計らい、鈴暮が傭兵に向けて小銃てき弾を撃ち込んだ。爆炎に包まれる敵影。だが数秒後に爆炎が晴れるとそこからは、大剣を盾とし、攻撃を物ともしていない敵の姿が現れた。

「嘘でしょ……」
「ふざけてやがる――鈴暮、二発目急げ!」
「ッ、はい!」

 鈴暮を次弾装填のために塹壕に引き込ませ、誉はMINIMI軽機を用いて足止めのための射撃を再開する。

「ありえない、ふざけてる!なんなのよこいつ等は!」

 塹壕の反対方向へは、祝詞が小銃をフルオート射撃で撃ち、前方から迫る傭兵達を食い止めている。

「こっちが知りてぇよッ!」

 祝詞の泣き叫ぶような声に、荒げ返す誉。

「ッ!弾切れ、再装填!」
「再装填、了!急げよ、余裕は――」

 そこで祝詞の小銃の弾倉が底を付きる。
 再装填作業に入る事を告げる祝詞の言葉に、誉は返答。そして急かす言葉と共に、一瞬だけ彼女の様子を確認しようと振り返る。
 ――その彼の目に、異様な光景が映った。

「――祝詞?お前……首のそれ、なんだ……?」
「え?」

 突然かけられた、誉の要領の得ない言葉。祝詞は言葉の意味を理解できないまま、示された自身の首元に視線を落とす。

「――は?」

 そして彼女、自身の体に起こる異様な光景に気付いた。
 彼女の首周りを、濃灰色のモヤのような物体が、まるで土星の環のような形を作り、回っていた。

「――嘘……え!な……何これッ!?」

 自身の首元を渦巻く、謎の物体を目にして。祝詞は声を上げる。正体不明のモヤを掴もうとしたが、モヤは彼女の手をすり抜けた。
 そして、回転するモヤは次第にその速度を速め始めた。

「やだ……!なにこれ、嫌だよ!」

 モヤは体積を減らしながら動き、次第に彼女の首元へと収束してゆく。正体不明の物体に恐怖を感じ、祝詞は叫ぶ。

「落ち着け祝詞!」

 誉が叫ぶも、彼にも未知の現象へ対応手段は浮かばず、狼狽だけが塹壕内に広がる。
 必死にモヤを掴もうともがくも、祝詞の手は空を切り続ける。雲状だったそれは、まるで鉄製の首輪のように変質してゆく。回転速度もさらに加速し、ついに内径がチリチリと、祝詞の首に切り傷をつけ出す。

「ひッ!嫌、やだッ!」

 顔面蒼白になり、悲鳴を上げる祝詞。

「首を守れ!何かで遮――」

 そこへ誉が咄嗟の対応策を浮かべ、発し上げる――

「――ぁ――」

 ――しかし、誉の言葉が紡がれ切る前に、零れたのは掠れ声。
 異質なリングは瞬間に、祝詞の首へと一気に収束。そして無慈悲にも、彼女の首を音も無く切断した――

「――小夜濃――」

 口の中で、声にならない声で、彼女にとって近しい者の名を紡いだ祝詞。
 その彼女の頭部が切断面を滑り、塹壕の底にごとりと落下する。次いで、頭部を失った体が音を立てて倒れ、首部の切断面から大量の血を噴き出す。最後に、首と共に切断された彼女の髪が、はらりと塹壕内に舞い落ちた。

「な――」
「あ、あ……」

 目の前の光景に、驚愕し動きを止める誉と鈴暮。

「とりあえず一匹ね」

 その二人の頭上を、塹壕の上を、声と共に何者かが通過した。

「ッ!」

 その動きと気配を追い、両名は塹壕の背後へ視線を向ける。先の大剣を持つ傭兵の横に、別の人影が降り立った。

「ロイミか」
「遊びすぎよ、クラレティエ」

 新たに現れた人影は、子供だった。十代半ばにも満たないと思われる背格好と、夜闇でもひどく目立つおさげの金髪。

「はぁ、躾の行き届いてない野良は見れたものではないわね」
「では、お前に躾を手伝ってもらうとしよう」

 だが、大剣を持つ傭兵と同じ真っ黒な恰好。そして吐き出され聞こえ来る言葉と、今しがた祝詞を襲った現象。敵である事は明らかだった。

「あいつ等ァッ!」

 目の前の存在に全身が警告を発していたが、それ以上の煮えたぎる怒りが、誉を動かした。

「わ!せ、先輩!?」

 鈴暮の持っていた、小銃てき弾が装着された小銃を奪い取り、発砲。撃ち放たれた小銃てき弾が爆煙を上げる。しかし爆煙が晴れると、その場に敵の姿はなかった。視線を上空へ移せば、二人の敵は上空へ跳躍し、爆炎を優々と回避していた。

「おああああッ!」

 誉はそれを追うように塹壕から身を乗り出し、雄叫びを上げながら引き金を引き絞った。フルオートで弾がばら撒かれ、弾倉はものの数秒で空になる。撃ち出された弾頭群は空中に逃れた傭兵達へ突き進むも、大剣を持つ傭兵の手で、儚くも退けられてゆく。そして大剣を持つ傭兵は、そのまま流れるように大剣を振りかぶった。それは先ほど、12.7mm重機関銃を破壊し、麻掬の体を切り裂いた斬撃を放つための動き。

「ッ!」
「きゃッ!」

 しかし斬撃が振り下ろされる直前、敵の正面で爆発が起こった。

「ッ!」

 誉の目に、突然巻き起こった爆発で大勢を崩すのが傭兵達の姿が映る。

《誉ッ!何してる、死ぬ気か!》

 そして同時に、誉の耳にインカム越しの怒号が飛び込んで来た。

《美斗知と言い、お前らイカれかッ!冷静になれ!》

 今の爆発は、崖胃が時間調節を行い投擲した手榴弾の炸裂だった。致命弾にこそならなかったが、炸裂により敵の体勢を崩すことに成功。同時に、崖胃等のいる方向から銃火が上がり出した。

《下手に一撃を狙おうとするな!継続攻撃で動きを封じろ!》
「ッ――了!」

 崖胃等にならい、誉等も銃撃を開始した。



 手榴弾の炸裂により体勢を崩したクラレティエとロイミは、攻撃を中断し守りの体勢を取った。撃ち上げる砲火をそれぞれの得物で振り払いながら、体勢を立て直す。

「ッ……鬱陶しいわね」
「あぁ、少々周囲が騒がし過ぎるな」

 自分等に向けて行われる十字砲火に、二人は不快そうな表情を作った。

「静かにさせましょう」
「そうだな」

 重力に引かれ、空中へ舞っていた二人は一度地面へと足を着く。そして着地と同時に足に力を込め、再び跳躍。

「大地に眠りし時と命の現れよ。猛々しい姿を愚者の前へと見せよ――」

 クラレティエは再び空中へ舞うと同時に、詠唱を始めた。



 崖胃と美斗知は退避した先で、敵に向けて銃撃を続ける。敵は人間離れした跳躍を続けながら、こちらが撃ち込む弾をことごとく弾き返していた。

「どうすんだ、あんなんッ!」
「火力投射を続けろ!防御の姿勢を取らせ続けて、隙を与えるな!増援が来るまでこらえるんだ!」

 声を荒げる美斗知に、同様の荒げた声で返す崖胃。交わしながらも、敵の動きを封じるべく、銃撃を続ける両名。しかしその時、突然の振動が二人を襲った。

「――ッ!地震か!?」
「こんな時に……いや――」

 突然の地面の振動に、地震を疑う二人。しかし直後に崖胃は、地震としては揺れが異質である事に気付く。

「何か妙――ッ!?」

 瞬間、発しかけた崖胃のそれを遮るように、地面がまるで爆発でもするかのように隆起した。

「おぁ――痛ッ!」

 その衝撃で崖胃は吹き飛ばされ、視界が大きく揺れ、そして地面に投げだされた。

「……ッ、畜生ッ!何だって……美斗知、無事かぁ!?」

 幸い、大事には至らなかった崖胃。
 体に走る鈍い痛みをこらえ、飛ばされた先で起き上がる。そして視界から消えた美斗知の名を叫びながら、背後へ振り返る。

「美斗――」

 瞬間に、崖胃は絶句した。
 見れば、周囲の光景が一変していた。
 彼の眼前、それまで平坦な地であったその場には、しかし巨大な鉱石の柱が群をなしていた。先の振動と衝撃は、この鉱石群が地中から突き出してきたために起こったものであった。
 だが、今の崖胃に、そんな事実はどうでもよかった。見上げる彼の視線の先、一つの鉱石の柱の鋭利な頭頂部。

「が――ぁ……!?」

 ――そこに、背中から腹部を貫かれた美斗知の姿があった。

「ふむ?取りこぼしか」

 言葉を失っていた崖胃のすぐ側で、声が聞こえた。崖胃が背後に目を向けると、そこに降り立つ一人の人影。他でもないクラレティエだ。この鉱石群は、彼女の魔法詠唱によるものだった。

「やはりグラウラスピアは精度にかける、少数相手には向かないな」

 呟きながら、鉱石の頭頂部に貫かれた美斗知の体を見上げるクラレティエ。まるで狩の成果の感想でも述べるかのように。

「――ッ、てめェッ!」

 崖胃は即座にクラレティエへ向け小銃を構え、引き金を絞った。だが放たれた弾が到達する直前、クラレティエはすかさず頂上へ跳躍。後方転回で銃撃を交わす。そして先で着地すると、そこより反転。驚くべく速さで崖胃との間合いを詰め迫って来た。

「ッ!」

 敵影を追いかけ崖胃は発砲するが、それはことごとく大剣に弾かれ、あるいは身の動きで回避される。そして目前まで迫ると同時に、クラレティエの姿が消えた。

(違う、上――!)

 崖胃は察し、銃口を真上に向けようとする。だが、瞬間に銃の先端に生じた違和感が、それを阻害した。

「――な!?」

 またも驚愕の声を上げる崖胃。
 構えた小銃の、照門の先に見えるはずの照星が見えず、代わりにそこに人の脚部が見える。

「ふむ、悪くない動きだ」

 視線を上げると、崖胃の構えた小銃の、銃身部の上に立つクラレティエの姿があった。

「おもしろい武器を使う。そして、武器に合わせたであろうその動作も、また興味深い」
「――ッ!」

 評するようなクラレティエ。崖胃はそのクラレティエを振り下ろすべく、銃を振るい上げた。

「だが個人的な好みを言わせてもらえば……無粋だな」

 だがそれよりも先に、クラレティエは飛び空中へと逃れる。そして体をくるりと半回転させ、地面へ着地。

(背中を――!?)

 しかしそこで、崖胃は別の驚愕を覚える。
 着地直後のクラレティエが、あろうことか崖胃に背後を見せていたからだ。

「――ッ!」

 格好の的だ。崖胃は着地したクラレティエ向けて小銃を構え、そして引き金に掛ける指に力を込める。

「――がッ!?」

 そして叫び声が上がった。
 クラレティエ――ではなく、崖胃の口から。

「か……ぁ……?」

 崖胃の体には、正面より巨大な戦斧が振り下ろされていた。崖胃の右肩から、腹筋部分までが両断されている。

「フッ、良い太刀筋だぞクリス」

 クラレティエは、崖胃と彼女の間に立つ戦斧の主の少女、クリスに向けて言った。

「もう隊長ー!わざとらしく隙見せてェ」

 クリスはクラレティエに振り向いて言いながら、得物の戦斧を引き抜く。支えを失った中崖胃の体が音を立てて倒れ、地面を血で染める。

「たまにはお前に背中を守られるのも、悪くないと思ってな」
「!、えっへへ。そう言われると、悪くないですね!」

 クラレティエが隙を見せたのは、クリスの接近に感づいていたからだった。いや、崖胃も冷静であったならば、新手の接近に気付いていたであろう。だが目の当たりにした美斗知の凄惨な死が、彼を煮えたぎらせ、神経を鈍らせた。

「クラレティエ隊長!」

 そこへ別の方向から、クラレティエの名を呼ぶ声がする。振り向けば、こちらへ向かってくるクラレティエ配下の傭兵他が見えた。塹壕からの銃撃が止んだことにより、釘付け状態から解放された剣狼隊の傭兵達が追いついたのだ。クラレティエの周辺に、傭兵達が次々と集まってゆく。

「遅いのよ、あんた達」

 一番乗りを決めたクリスが、追いついた傭兵達に向けて言う。

「偉そうに言うなよ!お前だって、隊長が敵を仕留めるまで動けなかったくせに」
「い!う、うるさいーいッ!」
「うぎゃ!」

 ランスの言葉に図星を着かれたクリスは、腕を振り上げランスに拳骨を食らわせた。

「皆無事なようだし、元気も有り余っているようだな。何よりだ」
「あはは……」

 クラレティエがさわやかな表情で発した言葉に、ヨウヤは困り笑いで返した。



「冗談だろ……」

 誉が声を漏らす。鉱石群の隆起現象は、塹壕陣地にも牙を向いた。塹壕直下から突き出した鉱石柱によって塹壕は潰され、塹壕に残っていた誉と鈴暮は分断された。誉はかろうじて脅威を巻逃れていたが、直後に彼の目に飛び込んだのは、向こうで鉱石の先端に貫かれた美斗知の姿であった。

《――先輩!誉先輩、無事ですか!?》

 驚愕し言葉を失っていた彼を、インカムから響いた鈴暮の声が現実に引き戻す。

「鈴暮か!?お前生きてるか!?」
《俺はなんとか……そっちは大丈夫なんですか!?」
「俺は無事だが、美斗知がやられた……崖胃三曹の姿は岩に阻まれて、確認できん」
「そんな……」

 突然の超常現象、そして度重なる隊員の死。いよいよもって彼らの心は、危機感と焦燥に染まってゆく。

「あら、取り損ね?」
「!」

 そこへ声がした。誉が見上げると、目の前にできた鉱石柱の頭頂部に、ロイミの姿があった。

「鬱陶しいわね、おとなしく駆除されていればいいものを」

 言葉道理、彼女は害虫に対する愚痴でも言うかのような調子で発する。

「震える子犬を教え躾よ。従属の掟に歯向かいし罰を――」

 そして相手を冷めた目で見ながら、魔法詠唱を開始する。カラウ・ミリィと呼ばれる、対象の首に霧状の首輪を生成し、首を切断する魔法。先の祝詞を死に至らしめた現象は、この魔法によるものだった。

「鈴暮――お前は隙見て逃げろ」
《え?》

 誉はインカムの向こうの鈴暮に向けて言う。そしてサスペンダーから手榴弾を掴み取り、ピンとレバーを抜いた。

《ちょっと!?先ぱ――》

 鈴暮の言葉の続きを聞く前に、通信を切る。そして頭上の敵に向けて、手榴弾を投げ放った。先の崖胃を真似て、時間調節をして投げ放った手榴弾は、鉱石柱の頭頂部近くで炸裂。しかしロイミは炸裂よりも早く頭頂部から離れていた。

「しつこいわね」

 悠々と炸裂を回避し、軽い身のこなしで地上へ着地。そして詠唱を再開しようとするロイミ。
 その彼女の目前に、誉の姿と、彼が着き出した銃剣の切っ先が飛び込んだ。

「――ッ!?」

 誉はロイミの回避軌道を予測し、着地地点へ先回りしていた。炸裂と詠唱に注意の向いていたロイミは反応が遅れる。ほんの一瞬の差だったが、それが大きな隙となった。銃剣の切っ先がロイミに向けて突き進む。

「死ねェェッ!」

 殺意と叫び声と共に、銃剣を突き出す誉。
 しかし直後。ガキッ――と、肉を突き刺す音ではなく、物体同士の接触音が響いた。

「な!?」

 突き出された銃剣は、何者かに堰き止められた。誉とロイミ、両者の間に何者かが割って入っている。ロイミの使役魔であるリルだった。

「やぁっ!」

 彼はおもいっきり剣を振り、誉の銃剣を退ける。

「ロイミ!大丈夫!?」

 敵を振り払うと、リルは振り返り、主の身を案ずる。

「それより前を見なさい」

 しかし、リルンの気遣いの言葉にロイミは端的な言葉で返し、前を指し示して見せる。

「え?――うぐッ!?」

 リルンの腹部に鈍痛が走った。
 すぐさま立て直した誉が、リル目がけて打撃を撃ち込んだのだ。

「――野郎ッ!」

 誉はそのままさらに踏み込み、怯んだリル共々、ロイミを突き崩しにかかる。

「ふん!」
「ヅッ!?」

 だが突如、真横からの衝撃が誉を襲った。誉の横に現れたのは壮年の傭兵。その屈強な体から放たれた拳骨が誉を襲ったのだ。崖縁の方向へ、大きく吹き飛ばされる誉。

「ッ――畜生――」

 どうにか踏みとどまり、持ち直そうとする誉。しかし追い打ちをかけるように、強烈な衝撃が襲った。

「ヅゥッ!?」

 落雷だ。崖縁にまるで狙いすましたかのように、落雷が落ちた。

「……ぁ」

 ふらついた誉は、足を崖縁から踏み外した。そして彼の体は、薄暗い谷間へと落下していった。

「よし……!ロイミさん!」

 小柄な少女、ミルラがその場に現れる。先の落雷は自然現象ではなく、彼女の魔法による攻撃。本当に誉を狙って落とされたものだった。

「ロイミ嬢、ご無事で!」

 ミルラや壮年の傭兵始め、ロイミ配下の傭兵達がロイミの周囲へ駆け付ける。

「小僧!甘いぞ!あやうくロイミ嬢の身に何かある所だったではないか!」
「けほっ……す、すみません……」

 リルンを叱責する壮年の傭兵。

「……別にいいわよ、無事だったし。次からは気をつけなさい、私の使役魔としてはまだまだ未熟よ」
「う、うん……ごめん」

 ロイミの言葉に、リルンは謝罪しながら引き下がった。

「ロイミ、そちらも落ち着いたようだな」

 タイミングを見計らったかのように、クラレティエが配下の傭兵達と共に歩いて来る。

「ざんね~ん。いいとこもってかれちゃったみたいね~」

 クラレティエの横には副隊長格の一人であるセフィアの姿もあり、緊張感の無い声色を上げる。

「周囲にはセフィアの猟犬達が回ってくれたそうだ。とりあえずこの場はなんとかなったと見ていいだろう」
「ちっぽけな場所に、思ったよりも手間を取られたわね」

 やや機嫌悪そうにロイミは呟く。

「準備運動にはちょうど良かったな。しかし、異質な武器や道具を使う者達だった。逃げ帰ってきた翔狼隊の者達の言葉……あながち妄言でもなさそうだ」

 考えを巡らせながら、クラレティエは戦闘によって乱れた服装を直す。

「んっ……やはり少しきついな」

 装具を直すために身をよじるクラレティエ。

「うわ……」

 皮服によってラインの強調された体が艶めかしく動く様子は、傭兵達の目を引き付けた。

「なんか……やばい気持ちになってくるな……」
「すごいよね。あれだけの強さを持つ人なのに、あんなに……その、艶やかな……」

 ランスやヨウヤを始め、傭兵達は顔を赤くしながら視線を奪われている。ある者はそのまま見惚れ、ある者は目のやり場に困り視線を泳がせる。

「こらぁ、男共!やらしい目で隊長を見るなッ!」

 クリスが声を上げ、傭兵達は赤らめた顔を慌ててそむけた。

「隊長」

 服装を整え終えたクラレティエの元へ、若い傭兵の一人のルカが駆け寄る。

「ルカか、我が方の被害状況は?」
「数名負傷がでましたが、治癒魔法で治療中です。我々の行動には影響ありません」
「そうか。では整い次第、次の行動に移るとしよう」



(嘘だろ、先輩……!)

 周囲を制圧し終えて集結し、余裕すら見せるやり取りをしている傭兵達を、鈴暮は影から観察していた。遠くには鉱石に貫かれた美斗知の体が見える、そして立った今、誉が落雷に打たれ、崖下へ落下してゆくのが見えた。

(ッ……俺だけじゃ無理だ)

 残された彼一人での事態の打開は困難を極める。鈴暮は苦渋の思いで撤退を決断した。

「せめて先輩を……」

 撤退に際し、崖下に落下した誉だけでも回収すべく、思考を巡らす。

(少し行けば、崖が比較的なだらかになってる所があった。そこから降りれるはず……よし!)

 鈴暮は意を決して、鉱石柱の影から飛び出す。

(大丈夫、すぐに着く――!)

 崖の縁を目指して全力で走る。

「あ!?――ッぅ!」

 しかし瞬間、鈴暮は何かに蹴躓き転倒した。濡れた地面へ体を打ち付け、痛みに体を声を上げる。

「くすくす」

 悶える鈴暮の背後から、人の気配と笑い声がする。そこに、ロイミ配下のセミショートの女の姿があった。鈴暮は蹴躓いたのではない。この女に足を引っかけられたのだ。

「何逃げようとしてんだよー?」
「ぐぅッ!?」

 セミショートの女は倒れた鈴暮へと近づくと、ふざけた口調で言いながら、彼の背中を踏みつけた。

「仲間を置いて逃げるなんて薄情な子ね」

 さらに脇から、長身で髪の長い女が近づいて来る。現れた二人の女は、どちらも嘲笑うような笑みを浮かべていた。

「おら、こいっ」

 鈴暮はセミショートの女に襟首を掴まれ、引きずられてゆく。

「ロイミ、クラレティエ隊長?何か怯えて逃げ出そうとしてた、子犬ちゃんを見つけたんだけど?」
「つぅッ!」

 鈴暮は体を引きずり出され、傭兵達の前へと地面へ投げ出された。

「あら、まだ生き残りがいたの?」

 傭兵達の視線が、一斉に鈴暮へと集中する。

「ほう」

 その傭兵達をかき分けて、クラレティエが鈴暮の前に立った。

(ッ!コイツ……大剣を振り回してたバケモノ……!)

 今し方自分等をほとんど壊滅に追いやった脅威的な存在を目の前にして、鈴暮の体は強張る。

「聞こう、お前たちは何者だ?」

 傭兵達の中央にいるクラレティエは、鈴暮に問いかける。

「お前らッ!先輩達を――痛ッ!?」
「今、隊長が質問してんの。勝手に吠えてんじゃないわよ」

 セミショートの女が、声を上げようとした鈴暮の髪を掴み上げる。

「少し待て」

 だが、クラレティエがセミショートの女を差し止めた。彼女は鈴暮の前へ近寄ると、身を屈ませ、彼の顔を覗き込む。

「ふむ……この状況下でなお、目には闘志が灯っている。よい精神だ、育てれば良い猟犬となるやもな」

 言いながらクラレティエは鈴暮の顎に指先を伸ばす。

「失うには惜しい素質だ……どうだ?もし望むのであれば、君を猟犬として迎え入れよう」

 クラレティエは端麗な表情に笑みを浮かべ、凛とした瞳で鈴暮の目を見つめて言った。

「……くくく」
「?」

 しばらくの沈黙の後に、鈴暮が漏らしたのは小さな笑い声。

「……お姉さん、見た目は綺麗だけど脳味噌はかなり小っちゃいみたいだね?そんなんで人の心が動くと思ったの?」

 そして鈴暮は口角を上げ、クラレティエに対しての煽り文句を紡ぎ出した。

「普通、他人を犬だの何だの好き放題言うような奴に靡くわけないでしょ?ちょっと考えれば分かんない?……あぁー!ひょっとして後ろのお仲間さん達のせい?その人達、その見てくれに欲情して、コロッと靡いちゃったのかな?「ふぁぁ、あなたこそボクちんのご主人様にふさわしい人ですぅ」とかなんとか言って。そんな下半身忠犬ばっかり相手にしてきたから、お姉さんのちっちゃい脳味噌は勘違いしちゃったんだねぇ?くく……かわいそぉ」

 煽り言葉の締めくくりに、鈴暮はクラレティエを憐れむような目で見つめ、嘲笑ってみせた。

「ぐぅッ!?」

 直後、鈴暮の体に鈍痛が走る。

「貴様、隊長に向かってなんて事を!」
「調子に乗ってんじゃねーぞ!」

 周囲の傭兵達の敵意が、一斉に鈴暮へと向いた。傭兵達が寄ってたかり、鈴暮の体を蹴りつけ出す。

「お前達、品の無い真似はよせ」

 そこへ、傭兵達の手で、一度鈴暮から遠ざけられていたクラレティエが、傭兵達を制する言葉を発する。

「しかし、私の目もまだまだのようだな。猟犬となるには、少々気性が荒すぎる野犬のようだ」

 暴行を加えていた傭兵達を下がらせ、再度鈴暮の姿を見下ろすクラレティエ。
 そして次の瞬間、鈴暮の顔面すれすれに、彼女の手にしていた大剣が突き立てられた。

「ッ……!?」
「では、不本意ではあるがそれ相応の躾をせねばならんな」

 クラレティエは顔から笑みを消し、冷酷な声で言い放った。

「うわ、隊長怒ってるよ……」
「当然。隊長が温情を与えてくれたってのに、あんな態度を取ったんだもの」
「バカな奴だ」

 その様子を遠巻きに見ていた若い傭兵達が、ひそひそと会話を交わす。

「隊長」
「ルカか、どうした?」
「報告です。衛狼隊が向こうで苦戦しているようです」
「ふむ、予定ではこのまま崖に沿って進撃するつもりだったが……手を貸してやる必要がありそうだな。剣狼隊集合!」

 報告を受け、クラレティエが号令をかける。

「私とセフィアの隊で衛狼隊を助けに行くぞ。ロイミの隊はここで待機、別方向からの動きを警戒しろ。それと、この野犬の躾を任せよう。なにか聞き出せると良いな」
「分かったわ」

 クラレティエの指示にロイミはうなずく。

「私が猟犬達を率いて、衛狼隊を攻撃している敵を叩く。セフィア、お前は衛狼隊の援護に回ってくれ」
「うーん、クラレティエちゃん。私達だけで、衛狼隊をちょっときびしいかも~」

 セフィアは緊張感の無い声で、指示に難色を示す。

「それなら、私の猟犬を貸すわ」
「え~?うれしいけど、ロイミちゃんの所の人数が減っちゃうわよ、大丈夫~?」
「ふん。おかしな武器を使うけど、どうせこの程度の実力の敵よ。私と数人でなんとかなるわ」

 ロイミは地面に押さえつけられている鈴暮を一瞥し、ぶっきらぼうに言い放つ。

「ふむ、分かった。だが油断はするなよ」

 クラレティエは突き立てた大剣を引き抜き、背中に構える。

「よし!聞いていたな猟犬達よ、衛狼隊を援護に向かう。羊に突き立てる牙の準備はいいか!?」

 クラレティエの号令で傭兵達は再び沸き立つ。

「行くぞ!」

 そしてクラレティエを筆頭に、剣狼隊の傭兵達は跳躍。かろやかに崖を飛び降り、対岸を目指す。



「……」

 衛狼隊長、バンクスは地面に空いた穴に身を潜めている。そして彼は今、外の様子をうかがうために、穴の縁から顔を出そうとしていた。

「――ッ!」

 彼の目線が穴の外縁まで上がった瞬間、それを待ち伏せていたかのように、すぐ近くで爆炎が上がった。

「隊長、危険です!」

 バンクスは副官の傭兵パスズの手によって、穴に再び引きずり込まれた。

「糞!頭を上げることもままならねぇ!」

 地面にできた穴の中には、衛狼隊長バンクスを含む数名の傭兵が身を隠していた。
 ――親狼隊を救出すべく進撃した彼ら衛狼隊は、谷の半ばまで差し掛かった所で爆炎攻撃に襲われた。最初の一撃を皮切りに、爆炎や鏃が執拗に彼らの頭上に降り注ぎ、ごく短時間の間に彼らは大きな損害を被る事となった。かろうじてそれらの攻撃を逃れる事のできた者達は、爆炎攻撃によって各所にできた穴に、散会して身を隠した。皮肉にも彼らを襲った攻撃によりできた穴が、今の彼らの砦となっていた。

「魔法防御が効力を成してねぇ……親狼隊はこれにやられたのかッ!」

 彼らの頭上には、先の戦闘で親狼隊が用いた物と同様の、ドーム状の魔法結界が展開されている。だが敵の放つ爆炎魔攻撃はドームを悠々と素通りし、彼らに牙を剥き続けている。

「こっちからの攻撃はどうなってんだ!?スティアレイナは!?」

 バンクスは、穴の中央で魔導書を広げている術師達に問いかける。

「発動は続けています!しかしこの状況です……連携も取らず、補助魔法も無しに降らせるスティアレイナなど、効力はたかが知れています!」
「ああ、糞……ッ!」

 攻撃魔法スティアレイナは複数の術師の連携をもってすれば、強力な制圧魔法となる。しかし絶え間なく続く攻撃によって、再編成もままならず釘付けとなっている今の彼らに、連携しての攻撃など土台無理な話だった。

「剣狼隊への伝令は!?」
「さっき二度目を行かせました!しかし、この状況下で到達できたかどうか……!」
「糞ッ!どうする……どうすりゃここを突破できる!?」

 焦燥に駆られながらも、考えを巡らすバンクス。しかしその瞬間、穴の近くでまたしても爆炎が上がる。

「ヅッ!?」

 その爆風により飛散した破片の一つが、穴の中へと飛び込み、バンクスのこめかみ付近に直撃した。弱くはない打撃にバンクスは頭を揺さぶられる、血が流れる。

「……の野郎ォッ!舐めやがって糞がァッ!」

 焦燥に追われていた所に突如襲い掛かった痛みは、バンクスの頭に血を登らせた。その次の瞬間、彼は抜剣。己の剣を片手に、怒号を上げながら爆炎渦巻く穴の外へ飛び出そうとした。

「な!?隊長ッ!」

 真っ先にそれを見止めたパスズが、バンクスの腰に抱き着いてそれを止めにかかった。

「糞がァッ!ふざけやがってッ!俺の仲間どんだけ殺す気だぁッ!」

 降り注ぎ続ける一方的で理不尽な暴力を前に、バンクスは目を血走らせて凄まじい剣幕で叫ぶ。そのまま敵に向けて突貫せんとする勢いだったが、傭兵達が数人がかりで抑え込み、バンクスは再び穴へと引きずり込まれた。

「糞がァッ!降りてこい、ぶっ殺してやらァッ!」
「隊長……ッ!落ち着いて下さい!」
「押さえろ、傷が確認できない……!」

 興奮さめ止まぬバンクスは、怒号を吐き散らし続ける。傭兵達はそんな彼を抑え込みながら、彼への応急処置に取り掛かる。

(……ひどい)

 副官の傭兵パスズは、悲観に染まった顔で、横からその様子を眺めていた。

(こんな状態で突破なんて、ましてや親狼隊の救出なんて到底無理よ……そもそも、この状況じゃ親狼隊は恐らく既に……)

 立て続けに巻き起こる惨劇に、彼女の頭は悲観的な考えで埋め尽くされてゆく。

(撤退しようにも、味方が散らばり過ぎてそのための連携すら取れない……どうすれば――!)

 だがその時、その思考を断ち切るように、彼女の耳が音を捉える。風を切るような薄気味悪い音。この短い時間の間に、耳にこびりついた死の音色。この音の後に続くのは、人の体を容易に引き裂く炸裂の暴力だ。

「伏せて!また来るッ!」

 パスズは声を張り上げ、傭兵達は身を屈める。その直後、炸裂音が響き渡った。

「………?」

 パスズは妙な感覚を覚えた。耳に届いた炸裂音は控えめで、身を裂くような衝撃も無い。 そして顔を上げると、周囲に白い煙が立ち上がり出していた。



 数分前。
 制刻等の第2攻撃壕側では苛烈な戦闘が続いていた。塹壕の周辺には、ツララ状の鉱石がそこかしこに突き刺さっている。先の第1攻撃壕での戦闘で敵の傭兵隊が用いた物と同様の、魔法攻撃の跡だ。さらに、火炎弾による攻撃も加わり、周囲の芝生は焼け焦げている。
 しかし、こちら側の損害はまだ軽微な方だった。

「……酷い」

 眼下に視線を向けた鳳藤が、言葉を漏らす。
 崖の下では阿鼻叫喚の絵図が広がっていた。
 そこかしこが迫撃砲弾の着弾により掘り返され、砲弾や機関銃弾の餌食となった傭兵の亡骸が、無数に散らばっている。惨劇を目の当たりにした彼女の顔は、青く染まっていた。

「おぉい!奴さんズしつけぇぞ、いつまで続くんだよ!?」

 鳳藤の心情をよそに、脇で竹泉が声を荒げながら、12.7mm重機関銃の銃身を交換している。
 敵は砲撃と制圧射撃により、組織だった反抗こそして来てはいないが、弓撃や魔法による散発的な抵抗は依然として続いていた。

「ヘイヨォ、よろしくねぇ雲行きなんじゃねぇかぁ?こっちの敵ちゃんズもしつけぇし、何よりも向こうの施設大隊や武器の面子がピンチなんだろぉ?」
「嫌ぁな予感がプンプンしやがる」

 つい先ほど無線に飛び込んで来た、対岸の第21観測壕からの救援要請。第21観測壕の危機を耳にし、多気投等は焦燥に駆られていた。

《L2応答しろ、L1長沼だ。そちらの状況知らせ》

 そんな彼らの元へ、今度は長沼からの無線通信が飛び込んで来た。

「河義です、L2は未だ交戦中。先ほど迫撃砲支援の第7派が着弾、現在も壕からの攻撃は継続中、しかし敵の抵抗止まず――長沼二曹、第21観測壕の状況はどうなってるんです?」

 こちらの現状を報告した河義は、それに続けて第21観測壕の状況を尋ねる。

《落ち着け、順を追って説明する。まず、そちらの敵の状態を詳しく教えろ。戦闘継続能力は?まだ進行可能な程の余力を残しているのか?》
「いえ、砲撃により相当痛手を与えています。抵抗こそ続いていますが、少なくとも作戦継続能力は削いだはずです」

 河義は手鏡を塹壕と偽装シートの隙間から外に突き出し、崖下を観察しながら伝える。

《よし、L2よく聞け。今から迫撃砲隊が、そちらの周辺にスモークを混ぜた阻止砲撃を行う。L2はその間に第2攻撃壕を放棄、A1攻撃線まで後退しろ》
「は、後退!?今このタイミングでですか?」

 長沼の唐突な後退指示に、河義は表情を怪訝なものにし、疑問の声を上げる。

《河義三曹、落ち着いて聞け。第21観測壕のスナップ21だが、先の救援要請を最後に交信が途絶した》
「何ですって!?」
(!)

 疑問の声に対して返って来た長沼からの知らせに、河義は驚愕する。そして、無線でのやり取りを横で聞いていた、策頼の顔が強張る。

「通信が途絶?むこうで何が起こってるんです!?」
《皆目不明だ。だがこちらでは最悪の事態を想定している、第21観測壕はおそらくは壊滅に近い状態にあると思われる。ここまで言えば分かるな?第21観測壕の壊滅を前提とした場合、同攻撃線上にある君らの第2攻撃壕も危険だ。L2はただちに第2攻撃壕を放棄し、A1攻撃線まで後退。第11観測壕のスナップ11と合流し、体制を再構築しろ》
「……了解。第21観測壕への救援は?」

 長沼の説明を聞き、河義は了解の返事と、続け尋ねる言葉を返す。

《すでにこちらで進めている。現在、第21観測壕への増援分隊を編成中。ペンデュラムにもヘリコプターの支援を要請した。準備が整い次第、こちらから第21観測壕の救援――》
「そりゃ、よろしくねぇ」

 続け聞こえ来る長沼の言葉。しかしその途中で、それを遮るように別の声が割って入った。
 声の主は他でもない制刻だ。制刻は河義が持っていた無線のマイクを、横から引っ手繰る。

「ちょ、おい!」

 その行為を河義は咎めるが、制刻は構わず話し始めた。

「長沼二曹、ヘリは待機させてください」
《何?》

 突然の進言に、長沼の怪訝な声が聞こえてくる。

「さっきの救援要請で、敵は超人的な動きをしてると言ってた。そいつぁ、勇者の類かもしれません」
「!」

 勇者というワードに、隣にいた鳳藤が目を見開く。

《勇者……君達が何度か接触した、人間離れした能力を持つ存在だな?そんな存在がスナップ21を襲っているなら、なおさら強力な支援が必要じゃないのか?》
「強力な支援が必要なのは確かです、だがヘリは適切じゃない。奴等はふざけた跳躍力を持ってます。ヘリの飛行高度なら、ジャンプ一つで優に飛びあがるでしょう」
《何だと?》
「ふざけてるのは攻撃力もです。剣の一振りで、家屋や岩くらいなら悠々とぶっ潰します。おまけに他にも、得体の知れない気色悪い能力を持ってるかもしれません」
《………少なくとも今の環境で、ヘリコプターとの相性は最悪だという事か》
「そういう事です」

 制刻からの説明を受け、少し苦い色でしかし納得の言葉を返す長沼。制刻はそれに端的に答えた。

《了解、仕方がない。ヘリコプターの支援はキャンセルする。こちらは施設作業車を表に立てて、第21観測壕の救援に向かう。何にせよ、そちらはただちにその場から退避しろ》
「待った」

 そこで通信を終えようとした長沼だったが、制刻が再び待ったをかけた。

《何だ?》

 状況が状況なだけに、呼び止められた長沼からは若干イラついた声を返されるが、制刻は構わず続けた。

「いきなり奴らに、正面からぶつかるのはリスクがでかい。付け焼刃でよけりゃ、一クッション挟めるプランがあります」
《……言ってみろ》
「こっちから一組が第21観測壕に先行。居座ってる脅威存在を煽って釣り上げ、そのまま引きずり回します。主力増援分隊はその間に、スナップ21を回収して下さい」
「ちょ、をい!冗談だろッ!?」

 制刻の進言を端で聞いていた、竹泉が声を上げる。

《危険だ》
「えぇ、でしょう。だが、いきなり主力をぶち込むよりゃ、ソフトに行くはずです」
《誰が指揮する?》
「構わねぇようなら、自分が」
《……脅威存在を引き離し、引きずり回すと言ったがその後は?勝算はあるのか?》
「えぇ」

 長沼の問いかけに、制刻はなんの躊躇も無く端的に言って見せた。

《……いいだろう。制刻士長、任せる。先行班の無線識別は、〝エピック〟。いいな》
「了ぉ解――河義三曹、失礼しました」

 やり取りが終わると、制刻は無線のマイクを押し付けるように河義に返した。

「おぉし、聞いたな?剱、竹泉、投。俺と行くぞ、準備しろ」

 そして制刻は、三名を名指し。

「んな!?」
「おうぇッ。なこったろうと思ったぜ……!」
「ファーオ!マぁジかい!?」

 制刻からピックアップされた三名は、それぞれの反応を返す。鳳藤と竹泉に関しては、顔をおもいっきり歪めていた。

「オォイ、気は確かかぁ?その勇者だかなんだか知らねぇが、そいつはべらぼうに洒落にならねぇ存在なんだろ!?」

 危険な作戦に付き合わされることになった竹泉は、制刻に食って掛かる。

「全体像は未だ未知数だが、飛んだり跳ねたり弾けたりと、危険な存在なのは確かだ。今までは味方だったが、とうとう敵に現れやがった。まぁ、時間の問題だったようだがな」
「他人事のようにシレっと言ってんなよ!?そのやべぇ奴が暴れ腐ってる所に、足を踏み入れようってんだぞ!?どんだけの博打打とうとしてんのか、ちゃんとビジョンとして頭に浮かんでんだろうな!?」
「浮かんでるさ。どんなヤバさかは、ここまでで見て来たからな」

 捲し立てた竹泉に対して、制刻は端的にそう答えた。

「言ったろ、プランなら有る。第一、向こうの面子をみすみす見捨てるつもりか?」
「そうは言ってねぇけどよ……!」
「気は済んだか?グズグズしてる暇はねぇ、準備しろ」
「……最悪だッ!」

 選択肢が無い事を察した竹泉は、議論を止めて吐き捨てた。

(本当にな……)

 そして竹泉の吐き捨てた言葉に、鳳藤は内心で同意した。

「河義三曹、そういうわけです。俺が数人伴い第21観測壕に行きます。三曹はこっちの放棄撤退の指揮を」
「お前……本当に大丈夫なんだろうな!?」

 何食わぬ顔で言ってのけた制刻に対して、河義は険しい顔で問いかける。

「考えはあります。まぁ、こんな事態ですから、どうだろうと、やるしかねぇようです」
「……はぁ。策頼、超保、出蔵、我々は撤収準備だ」

 制刻の言葉に、河義は観念したかのように、ため息を吐いた。そして、残りの隊員に指示を出し始める。

「弾薬を最優先に持ち出せ。重機は本体のみで、三脚類は置いて――」
「待った。待ってください」

 だがそこで、河義の指示を遮り、策頼が声を上げた。

「自由さん、俺も同行します」
「オメェは残れ、撤収にもいくらか人手が要る」

 先行班への同行を名乗り出た策頼だったが、制刻はそれを拒否する。

「向こうには俺のダチや後輩がいるんですッ。強引にでも――」
「落ち着け」

 拒否されても険しい顔で食って掛かる策頼を、制刻は淡々とした口調で宥める。

「俺等がやるのは、敵の引きずり回しだ。第21観測壕の面子を実際に拾うのは、向こうの増援本隊がやる。ダチを救いたいってんなら、撤退作業を完了してから増援本体の方に合流しろ」
「…………」
「オメェの気持ちは理解できる、だが冷静になれ。俺等が、敵を引き剥がすまで様子を見ろ」
「……了」

 策頼は焦燥感を振り切れない様子だったが、制刻の言葉を承諾した。

「おぉし。オメェ等、準備いいか?」

 制刻は鳳藤等に聞きながら、塹壕陣地の隅に積載された工具類を漁りだす。
 そしてそこから、一つの機械工具を取り出した。

「……なんのために?」

 制刻が持ち出したそれに、鳳藤は顔を顰めながら聞く。

「コケ脅しさ」

 制刻は手にしたチェーンソーを一瞥し、そして一言答えた。
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