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チャプター12:「Battle of Wind Route」

12-3:「悲劇と憎しみの始まり」

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「ッ!二曹、これは……ッ!」
「分かってる、魔法攻撃だ」

 塹壕陣地内で身を屈め、言葉を交わす長沼と峨奈。
 塹壕周辺には鉱石の雨がツララ状の鉱石による攻撃は、以前にも幾度か目撃していたが、今回のそれは規模が違った。塹壕を中心とした広範囲に、ツララ状の鉱石が途切れることなく、無数に降り注ぎ続けている。

「舐めた真似を――痛ッ……野郎」
「ひッ!銃撃、いやこれじゃまるで砲撃だよ!」

 塹壕内に飛び込んできた鉱石が、香故の手の甲を傷つけ、補佐の女陸曹の鉄帽をガツンと叩く。斜め上空から降り注いで来る鉱石の群れは、塹壕内にもいくつも飛び込んで来て、隊員等を傷つけた。

「二曹、このままでは塹壕内も危険です!」
「焦るな。オペレーターに類する者が崖の下にいるはずだ。手榴弾を投げ込んでそれを処理しろ」
「了解!香故、易之(やすゆき)、手榴弾用意!」
「チィッ――」

 峨奈が重機関銃要員の二人に指示を飛ばす。香故と、易之とよばれた女陸曹、そして峨奈はそれぞれ手榴弾を手に取りピンを引き抜く。

「投擲!」

 合図と共に、三人は塹壕の中から手榴弾を放った。
 手榴弾は弧を描いて崖下へと落下して行き、数秒後に複数の爆発音が聞こえた。

「……どうだ?」

 祈るように発する峨奈。しかし炸裂音の後も、鉱石の雨は止む気配すら見せなかった。

「ダメか……!もう一度やりますか?」
「……いや、これは闇雲に攻撃しても無理なようだ。樫端、無線を貸せ」
「あ、はい」

 長沼は峨奈の進言を取り下げ、そして樫端から無線機のマイクを受け取る。

「スナップ11、ジャンカーL1だ。こちらは現在魔法と思わしき攻撃により、釘付けになっている。崖下に攻撃を行っているオペレーターがいると思われる、そちらから確認できないか?」
《L1、少しお待ちを。目標を捜索します》
「急いでくれ」

 やり取りの間も、鉱石の雨は容赦なく塹壕を襲い続ける。

「ッヅ!」

 飛び込んできた鉱石の一つが、版婆の右肩を掠め、肉を削いだ。

(………舐めた世界だ)

 版婆は傷口を押さえながら、忌々しげに呟いた。



 鋼の雨は、敵の潜む崖の上に降り注ぎ続けている。崖下では傭兵団の術師が詠唱を続けていた。

「鋼の切先は愚者の心臓を貫く裁きの刃!愚か者の行いに終止符を、我等の道は鋼の力で切り開かれる――!ッ、ハァ……」
「レイト、変わる!」
「あぁ、ヘシチ……頼む」

 今まで詠唱していた術師に変わり、別の術師が魔術所の前に座り、詠唱を始める。少し離れた所でも、同じく二人組の術者が詠唱を交代する様子が見られた。

「鋼よ、心をも貫く鋼よ!愚かなる者達の頭上に、冷徹な裁きを降らせたまえ!」

 今、降り注いでいる鋼の雨は、術師一人の力で発動出来る物ではない。術師一人が一度の詠唱で振らせられる鋼のツララは、限られた範囲に十数本が限度。さらに詠唱は、術者の魔力と体力を消費するため、連続で発動できる回数にも限りがあった。
 そこで、最初に魔法の効果を増加させる支援魔法を発動、これにより鉱石のツララは数倍に増加される。
 そして複数人による同時詠唱、術師の交代による詠唱の長時間の詠唱継続。これらの組み合わせにより、この強力な鋼鉄の雨の魔法"スティアレイナ"を実現させていた。

「親狼隊長、スティアレイナによる攻撃は有効のようです!敵は行動できない模様!」

 術師、ラミが報告を上げる。
 上空には再び赤い発光体が浮かび、崖の上の様子を伝えてきた。スティアレイナの攻撃により敵は釘付けになっているらしい。
 異質な鏃は吐き出されなくなり、崖の上からの攻撃は鳴りを潜めていた。一度だけ、爆炎攻撃があったものの、爆炎はすべて見当違いの場所で上がり、傭兵団側に致命傷はなかった。

「見ろ、攻撃が止んだぞ!」
「やったぜ、見たかこの野郎!」

 敵が沈黙した事により、傭兵達が湧く。

「間に合ってれば……」

 しかし、その脇でトイチナは苦々しく呟いた。
 スティアレイナは本来、前進する前衛の兵を支援するための物だ。しかし、支援するべき本隊は最初の爆炎攻撃で壊滅、生き残りも先ほどの突撃でほとんどが死亡。
 発動があまりにも遅すぎた。
 すでに戦術的な意味は無く、ただ一矢報いるために鋼の雨は降り続けていた。

「……撤退するぞ。敵が釘付けになっている今のうちにここから引き、衛狼隊に合流する」

 トイチナは撤退の命令を出した。
 今現在、親狼隊は魔法隊を含む少数の傭兵が残るのみ。撤退以外に選択肢はなかった。

「アイネ隊は魔法攻撃を継続。手空きのものは負傷者を……」

 バシュッ、と――トイチナの言葉を遮り、奇妙な音が一瞬聞こえた。
 そしてトイチナをはじめとする数名が、何かが通り過ぎたような感覚を覚えた。各々はその〝何か〟を感じた方向へ目を向ける。

「……え?」

 各々が目を向けた先は、詠唱を行っている術者の一人がいる場所。
 ――そこで詠唱を行っていた術師の、鼻より上が無くなっていた。


 長沼等のいる第1攻撃壕から、谷を挟んで対岸の丘の上。
 そこから望める崖下には、傭兵団の先鋒である瞬狼隊の傭兵達の亡骸が、散らばる光景が広がっている。
 さらに崖の上、少し離れた場所にも数名分の亡骸が横たわっている。これは先ほど自由等がやり過ごした斥候達のものだ。
 闇に包まれ、周囲を死体に囲まれた空間の一箇所で、一瞬だけ光が瞬いた。
 擬装を施したシートによって隠された小さな塹壕、第11観測壕。そこから銃身だけを突き出した12.7mm重機関銃が、火を吹いたのだ。

「最初の一人を無力化」

 塹壕内で、双眼鏡を覗いている隊員、威末が声を上げる。

「………」

 隣では、威末と同じく野砲科の所属である、田話(たばなし)と言う名の三曹の姿がある。田話は、重機関銃のグリップを握り、グリップの真上に取り付けられた長距離用照準機を覗いていた。

「三曹、次へ」
「ッ、あぁ……」



「……え?」

 詠唱を行っていた術師は、頭の半分を失っていた。

「ヘ、ヘシチッ!?」

 隣にいた相方の術師が彼の名を叫ぶ。それと同時に、ヘシチという名の術師の体はぐらりと傾き、地面へと倒れた。

「ヘシチが!ヘシチの頭がッ!?」
「なんだこれは……新手の魔法攻撃か!?」

 突然仲間の身に起こった事態に、若干の落ち着きを取り戻していた傭兵隊に、再び動揺が広がってゆく。

「違う、落ち着け!これも恐らく敵の鏃だ!」

 動揺し出した傭兵達をトイチナは怒鳴り飛ばした。

「この上からじゃない。別の方角から……対岸か」

 トイチナは谷の対岸の崖を睨んだ。

「アイネ隊は詠唱を続けろ!手空きの者、弓と盾をかき集めろ!」

 トイチナの命令を受け、傭兵達は再び対処のために動き出す。

「嘘………」

 そんな中で、未だに呆然としたままの少女がいた。彼女は術師の一人だったが、突然の惨劇に目を奪われ、詠唱も止めてしまっていた。

「ゼト、何してるの!」
「ひ!?……あ、アイネ隊長」

 呆然としていた少女へ、魔法隊の隊長から怒号が飛ぶ。

「聞かなかったの、詠唱を継続!上にもまだ敵はいるのよ!」
「は、はい!えっと……鋼は誇りと力の証。見よ、愚者共!我等の鋼鉄の――」

 魔法隊長に叱り飛ばされ、ようやく少女術師は詠唱を再開する。

「よし、ここは任せるわ。私はヘシチさんの代わりを――ビッ」

 魔法隊長の言葉が奇妙な途切れ方をした。

「?」

 そして少女術師は体になにかが降りかかる感覚を覚えた。少女は妙に思い顔を起こすと――魔法隊長の頭部が爆ぜていた。

「へ」

 素っ頓狂な声を上げる少女術師。そんな彼女の上半身は、血と肉片で塗れていた。少女の体に降りかかった物は、爆ぜた魔法隊長の頭部の血肉だった。

「あ?……あ……ひ、いやあああああああッ!?」

 数秒の間を置いた後に、少女術師は状況を理解。そして彼女は絶叫を上げた。

「ぜ、ゼトッ!?」
「い、嫌ぁッ!嫌ッ!やだぁぁぁッ!」

 目と鼻の先で魔法隊長の惨劇を目の当たりにした彼女は半狂乱に陥り、魔道書を捨ててあらぬ方向に駆け出した。

「ゼトッ!」

 付近にいた傭兵が、駆け出した彼女をあわてて押さえ込む。

「ゼトッ、落ち着いて!」
「嫌ぁッ!ま、ママッ!たすけてママぁッ!!」

 少女を押さえ込まれた傭兵達は彼女を落ち着かせようとしたが、彼女は地面を両手でガリガリと引っかきながら、絶叫を上げ続けた。



 長距離用照準期の先に、傭兵の姿が写っていた。
 おそらく女。軽装で目立った武器を所有していない所から見るに、魔法に関係する人物と思われる。
 その女の頭が、割られたスイカのように弾け飛んだ。
 彼が照準の中心にその女の頭を捉え、親指に少し力を込めた直後に。

「………」

 その直後、女の隣にいた少女が明後日の方向に駆け出した。半狂乱に陥ったらしい、すぐに周りの仲間に押さえつけられたが、それでもなお、逃げようともがいている様子が見えた。

「田話三曹、中央右端で別の敵に動きが」

 彼――田話の目には惨劇が写っていたが、反して彼の耳は、冷静で淡々とした報告を聞く。隣で観測手を務める威末の声だ。

「さっきの敵に変わって、魔法を使うつもりのようです。ヤツを狙って下さい」

 威末は田話に次の標的を示す。

「………」

 しかし重機関銃は次の標的を捉えようとしなかった。

「田話三曹?どうしました、次の標的は中央右端です」

 威末がもう一度標的の位置を伝える。しかし重機関銃が動く気配はなかった。

「――無理、だ……」

 代わりに一言だけ言葉を発した田話。
 彼の呼吸はひどく不安定だった。
 さらに指先は振るえており、グリップをしっかりと握れていない。そして暗闇のせいで威末には分からなかったが、田話の顔は真っ青に染まっていた。

「撃てない、無理だ……俺にはこれ以上撃てない!」

 声を震わせながらも、今度ははっきりと言葉を発した田話。彼は敵に向けて発砲することを拒絶した。

《どうしたスナップ11?こちらへの敵の攻撃は未だに継続中!敵、オペレーターの排除を急いでくれ!》

 田話が叫んだ直後、脇に置かれた無線機から長沼の声が響いた。

「長沼二曹、それが……田話三曹が目標への発砲を拒否しています」
《何?田話三曹、どうした?敵の脅威は未だに健在、早急に排除して欲しい》
「私には――撃てません……ッ!若い子を二人も殺した!今も子供が怯えて逃げ惑っている!私にはこれ以上彼等を撃てないッ!」

 田話は震えた声で、無線の向こうの長沼に向けて叫んだ。

《田話三曹、気持ちは分かるが今は――》
《寝言をほざくなッ!こちらも一人死んだんだぞッ!》

 田話を説こうとした長沼の言葉は、しかし途中で途絶える。そして一瞬無線に雑音が入り、長沼の声に変わって怒声が飛び込んできた。声の主は香故だ。

《これ以上味方殺させる気かお前はッ!四の五の言わずに、全て残らず始末しろォッ!》
「………無理だ……無理だ、無理だッ!」

 捲し立てられ、聞こえ来る怒号。
 しかし田話は震える手でグリップを握り、血走った目で照準機を覗き続けていたが、押し鉄に置かれた指に力を込める事はできなかった。

《いい加減に――》

 そこで香故の言葉は途切れる。再び無線に雑音が入り、無線からの声は長沼の物に戻った。

《仕方がない、田話三曹を射手から外せ。威末陸士長、代わりに50口径について目標を排除しろ》
「了解……三曹、代わります」

 田話に代わって、威末が12.7mm重機関銃の射手に着く。

「ッ……ハァ……ァ、ツァ……」

 12.7mm重機関銃を離れた田話は、塹壕の端に座り込み、額を押さえて荒い呼吸を続ける。

「殺した……この手で、二人も……ッ」
「……無理もねぇや」

 横で塹壕の外を警戒していた門試が、田話の様子を横目で見ながら一言呟いた。



「ママぁッ!死にたくないよぉッ!」
「ゼト、落ち着くんだッ!クソッ!」
「そっちを抑えて!」

 半狂乱になって暴れる少女術師が、傭兵達に押さえつけられている。

「………」

 トイチナはその様子を目を見開き、見つめていた。

(……悪夢か、クソ!)

 心の中で悪態をつくトイチナ。

「親狼隊長……!」

 眼の前に様子に気を奪われていたトイチナに、声が掛けられた。

「プエシア!?」

 振り返ると、一人の傭兵の姿があった。

「お前!そんな状態で……!」

 彼の姿を見るなり、トイチナは声を上げる。
 それも無理はない。プエシアと呼ばれた傭兵は、右腕を根元から失っていた。彼は最初の爆煙攻撃で腕を吹き飛ばされ、先ほどようやく応急処置が終わったばかりで、無闇に動いていい状態ではなかった。

「俺は大丈夫です……!それよりさっき、対岸に一瞬ですが光が見えました……」

 プエシアは対岸の一箇所を、残った左腕で指差して見せる。

「おそらくあそこに……アイネ達を殺った奴がいます」
「分かった。分かったから、とにかくお前は安静に……」
「いえ」

 トイチナの台詞を遮り、プエシアは続ける。

「あの距離では闇雲に矢を放っても当たりません……俺の長射補助魔法を使ってください!」
「だが、お前のその傷では……」

 プエシアという傭兵は魔法補助を使い、強力な弓撃を放つ事のできる特殊な弓兵だった。しかし今の彼の体は、右腕を根元から失い、失血と激痛のせいで顔は見ていられない程に青ざめている。とてもではないが弓を引けるような状態ではなかった。

「ええ……ですから親狼隊長に弓をお願いしたいんです。俺が術式を隊長にかけて、補佐します」
「その体で詠唱に耐えられるのか……?」
「奴を潰さないと引く事もままなりません、やるしかないんです!」

 プエシアは訴えながら、左手に持った自身の弓と矢筒を差し出す。

「……分かった」

 プエシアの言葉を受け、トイチナはそれを諸諾した。
 トイチナは弓を受け取ると、対岸を見据えながらその場に屈む。その横にプエシアが同様に屈む。彼はトイチナの肩に左腕を乗せ、詠唱を開始した。

「可能な限り急げ、向こうもすぐに気づいて私達を狙……って、お前たち何してる!?」

 トイチナ達の周辺で、数名の傭兵が行動を始めていた。動き出した傭兵達は、皆術師ではない者達だ。
 しかし彼らは、どういうわけか一様に地面に本を広げ、魔法を発動するかのような体制を取り出していた。そして盾を持った傭兵達が、そんな彼らを庇うように布陣する。

「囮です!」
「親狼隊長、奴等は術師を優先的に狙ってます。我々が術師のふりをして、隊長や本物の術師から奴等の目を反らします!」

 言いながらも、傭兵達はトイチナ達の周りへ散らばってゆく。

「な……馬鹿な真似はやめろッ!みずから身を危険に晒す必要は無い!」
「おとなしくしていても脅威は去りません、今我々にできる事をやらせて下さい!」

 トイチナはみずから囮になろうとしている傭兵達に怒号を飛ばしたが、彼らは引き下がらなかった。

「親狼隊長は奴らを射る事に集中して下さい。これ以上奴らの好きにさせないで!」
「お前達……分かった。他に手が空いている者はここから引く準備をしろ!プエシア、一発で決めるぞ!」



 田話に代わって12.7mm重機関銃に着いた威末は、重機関銃を操り標的を探す。
 崖下では、かなり衰えたものの、未だに敵に動きが見られた。盾を持った傭兵の後ろに隠れ、その後ろで書物を開き、何かを行う者が複数見られる。

「あれも魔法のオペレーターか?」

 人数が減ったせいか、それぞれの魔法オペレーターにつく盾持ち傭兵は一人か多くて二人。必死に後ろの魔法オペレーターを庇っているようだったが、隙は大きかった。
 盾を持つ傭兵の、盾で覆いきれていない部位に照準を定め、押し鉄に力を込める。
 発砲音。
 撃ち出された12.7㎜弾は、盾を持っていた傭兵の左肩に直撃。彼の左腕を引き千切りながら貫通し、背後のオペレーターらしき者の胸部に直撃、オペレーターの体を真ん中から吹き飛ばした。

「一つ排除」

 目標の無力化を確認した冷徹な目で、威末は次の標的を探す。
 先の者達とほぼ同様の隊形を取る傭兵達を目に留め、照準を彼らに固定する。重機関銃の揺れが収まった所で、押し鉄に力を込め発砲。12.7㎜弾は手前の傭兵の持つ盾に直撃し、傭兵は衝撃に押し飛ばされて地面に倒れた。
 傭兵が倒れた瞬間、威末はすかさず押し鉄に再び力を込める。二発目の弾は、倒れた傭兵の背後に隠れていたオペレーターに命中。照準器の先で、人の頭部から血飛沫があがった。

「さらに一つ無力化」

 同様の動作を繰り返し、威末は確実に敵オペレーターの数を減らしていく。

(………)

 崖の下には大量の死体が横たわっている。そして自らの手で、その数はさらに増えてゆく。威末にとっては、過去の樺太事件において、樺太の地で何度も目にした光景だった。

《スナップ11まだか?こちらの攻撃は未だに収まる気配が無い!》

 しかしそんな威末の耳に、対岸の長沼からの叫び声が無線越しに届く。

「現在対応中、数は減らしている。あと少しだけ耐えていただきたい」

 叫び声に対して威末は早口で、しかし冷静に答えた。

「これだけ殺ってるのに変化無し……奴等、ダミーを演じてるのか」

 呟きながらも、威末は次の標的を探す。
 ――だが、その威末の目に妙なものが移った。



「飛翔せよ、その切っ先を哀れな獲物に向けて。彼奴等の肉は、お前の鏃に貫かれ、食い破られる――」

 プエシアが魔法詠唱を続けている。
 トイチナは弓を下げた状態で待機していたが、顔は起こし、対岸を真っ直ぐ見つめていた。

「!」

 対岸で一瞬だけ、小さな光が瞬くのが見える。

「ぎゃッ!」
「ッ!――ぐぶッ!」

 そして次の瞬間、近くで二人分の悲鳴が上がった。盾を手に女傭兵が、無防備な箇所を射抜かれて崩れたのだ。そして彼女が守っていた、術師の囮を演じていた傭兵も、続けてその体を射抜かれた。

「リユン、メルベナ!?……糞ッ」

 表情を険しくしながらも、対岸を見据えなおす。

「切っ先は風を切り、矢羽は獲物をも魅了する光の尾を引く。そして獲物は魅了されたまま死を迎える!」

 プエシアの詠唱が中盤まで達した時、トイチナの持つ矢が青白い光を帯び出した。それを確認したトイチナは、ゆっくりと、しかし力強く弓の弦と矢を引く。

「ぎぁッ!」
「アルナッ!?」

 さらに別の傭兵が撃ち抜かれ、命を落とす。幸か不幸か、彼らが囮となってくれているおかげで、トイチナも本物の術師も未だに無事だ。
 術師のスティアレイナによって、崖の上には鉱石のツララが降り続け、上に居座る敵の動きを封じてくれている。
 しかし、それは代償の大きすぎる安全だった。
 周辺には囮となり、倒れていった仲間の亡骸。

(……)

 弓を構え、対岸を狙う姿勢は崩さぬままのトイチナ。しかし彼の眉間には深いしわが寄り、奥歯は血が流れるほど強く噛み締められていた。

「――誇れ!光が、風が、すべてがお前の力となる!」

 プエシアの詠唱が最終段階に入る。
 矢がより強い光を帯び出した。



 威末は照準器の端に、不気味に光る青白い発光体を捉える。
 よくよく観察すれば、その正体はこちらに向けて弓を構える弓兵。青白く光る物は、その弓兵の持つ弓矢だ。

(これは――まずいか)

 危機感を感じる威末。

「いや、オペレーターが先だ」

 一名死亡の報告に、威末も内心では焦っていた。
 先に弓兵を排除して安全を確保したとしても、時間ロスはせいぜい数秒程度だが、威末はオペレーターの排除を優先した。
 素早く重機関銃を操り、発砲。排除と同時に次の目標に移り、撃つ。焦りのせいか、その途中二発ほど撃ち損じを出した。

「最後だ」

 最後のオペレーターに照準を定め、発砲。オペレーターの体が弾け飛んだ。

(よし!)

 それを確認した威末は、即座に弓兵がいた場所へと重機関銃を旋回させ、押し鉄に力を込める――



「ぐぁ!」
「ぎッ!」

 崖の下で、もはや何度目かも分からない悲鳴が上がった。

「ビノ!ラニアンッ!そんなぁッ!」

 傭兵達の決死の覚悟もむなしく、ついに本物の術師が、彼を守っていた傭兵共々、その体を弾き飛ばされた。

「――それこそが汝の命!見せよ、その死の光の軌跡をッ!」

 プエシアが詠唱を終えたのは、それとほぼ同時だった。
 傭兵が倒されるたびに見えていた対岸の光。その場所に狙いを定め、トイチナは限界まで引かれた弦を解き放った――



 一瞬の差だった。
 威末の指が押し鉄を押し切る前に、トイチナの放った矢は青白い光の尾を引き、通常の矢の速度を遥かに凌ぐ速さで、第11観測壕へと到達。
 そして鏃の先端は、寸分たがわずに銃口の開口部へ接触――

「ッ!――」

 ――ありえないことが起きた。
 接触した時点で押し留められ、運動エネルギーを失うはずの矢は、あろうことか鏃で銃口にヒビを入れ、押し広げ、銃身へと侵入。重機関銃を内部から破壊しながら押し進み、重機関銃を完全に貫通。

「――ぎぇがぁッ!?」

 貫通した矢は、僅差で退避の遅れた威末の頬を突き破った。そして矢が突き抜けた直後に続いた衝撃で、威末は吹き飛ばされ、壕の端に叩き付けられた。

《スナップ11、こちらはジャンカーL1!鋼鉄の雨が止んだぞ!》

 無線に対岸の長沼からの通信が飛び込んできたのは、それとほぼ同時だった。

「威末士長!」

 しかし、そばにいた門試の注意は無線には向かず、彼はあわてて威末へと駆け寄った。

「まばだッ!!」

 駆け寄った門試は、度肝を抜いた。
 門試が手を貸す前に威末は起き上がり、血走った目と裂けて、血濡れになった頬で何かを訴えだしたからだ。

「ふほッ!」

 もどかしく思ったのか、威末は口の中に人差し指と中指を突っ込み、千切れた頬を内側と外側から握るようにして繋ぎ止め、再び叫んだ。

「まだ全部殺った保証が無いッ!奴等がオペレーターを温存している可能性がある!攻撃が途絶えたこの隙にあっちで確実に潰させるんだ!すぐ伝えろッ!」



「……攻撃が、止んだ」

 場所は再び長沼等の第1攻撃壕へ。
 塹壕内で身を潜めていた長沼が上空を見上げる。そして塹壕の周辺に視線を降ろせば、周辺には鉱石のツララが無数に突き刺さっていた。

「終わったのか?」

 香故が訝しむ声で零す。
 塹壕めがけて降り注いでいた鋼鉄の雨はつい先程弱まりを見せ、そして今、完全に止んだ。

「そのようだ――スナップ11、こちらはジャンカーL1!鋼鉄の雨が止んだぞ!」

 それを確認した長沼は、無線機のマイクを手に取って叫ぶ。しかしすぐに返答が返ってこない。数秒待った後に、長沼は再度無線に向けて声を発しかけたが、その直前で応答があった。

《ジャンカーL1、こちらスナップ11!不測事態が発生。敵の攻撃により威末士長が負傷!》

 飛び込んで来た隊員負傷の報告に長沼は顔をこわばらせるが、報告はさらに続く。

《こちらでは敵の無力化を確認できていない、敵オペレーターが残存している可能性は未だ否定できず。こちらは敵攻撃により重機関銃が大破し攻撃の継続は困難。至急、別手段での再攻撃及び制圧を願う!》
「了解スナップ11、こちらでただちに対応する」

 捲し立てられ聞こえ来た報告と要請。通信に対して、他にも聞きたい事のあった長沼だが、今は端的に了解の旨だけを返した。

「峨奈三曹、聞いたな。この隙に崖の死角にいる敵勢力を制圧する。制圧のための銃手を何名か選抜する、その指揮を取れ」
「了解!」
「版婆、四耶、香故、易之、柚稲!峨奈三曹の指揮下に入り、崖下の敵を攻撃しろ!」

 長沼は数名の隊員を選び出し、命令を伝える。

(チッ、マジか)
「やれやれだなッ」

 内心で悪態を吐く版婆や、遠慮せずに直接口に出す香故。ピックアップを受けた各員は、各々の心境の元に武器の確認を行う。

「よぉし、香故、易之、手榴弾ッ!」

 峨奈は香故、易之の両名に手榴弾の指示を出す。そして自身も手榴弾をサスペンダーから掴み取り、ピンを引き抜いた。

「投擲ッ!」

 合図と共に、塹壕から再びに三つの手榴弾が放り出された。放り出された手榴弾は崖下に消え、数秒後に炸裂音が聞こえる。炸裂音を聞いた瞬間に、峨奈は手にした信号銃を上空に向け、照明弾を打ち上げた。

「行くぞォッ!」

 そして峨奈以下、6名の隊員は塹壕を飛び出した。崖の縁に足を着き、峨奈等は崖下に視線を向ける。
 彼らの目に、死角に身を隠す傭兵達の姿が飛び込んで来た――



 トイチナの放った矢は対岸の光の発生源へと吸い込まれると、敵の鏃は鳴りを潜めた。

「止んだ……攻撃が止んだぞ、今だ行け!」

 トイチナの合図で、わずかに残った負傷者と生存者が脱出を開始。傭兵達は崖際を伝って後方へと走った。
 皮肉にも、生存者の数が少なかった事が脱出を円滑にし、僅かな時間で生存者の半数以上がその場から脱出することに成功していた。
 崖下に残るは殿を務める数名、そして動かすことのできない程の重傷者。重傷者の中で意識のあるものは、脱出を少しでも手助けするために、クロスボウを脇に抱えていた。

「間に合うか……メナ、お前も引け」
「嫌です!僕も最後まで残ります!」

 トイチナは隣でクロスボウを構えている側近の少年に命じる。
 十代半ばにもいっていない彼を優先して脱出させたいトイチナだったが、少年はそれを拒んだ。

「メナ、気持ち話わかるが言う事を聞け。敵はいつ立て直してまた攻撃してくるか分からないんだ」
「そんな事わかってます!それでも……!」
「聞かないことを言うな、メナ!脱出の機会は今しか――」

 その時、ドンっと背後に何かが落ちる鈍い音を聞いた。

「!」

 振り返ると、手の平サイズの不可解な塊が跳ね上がって地面に落ちるのが見えた。
 それには見覚えがあった。
 つい先ほど、まだこちらが崖の上の敵を釘付けにしている時に、見当違いの場所で上がった爆煙攻撃。それの仕掛けの元と思われる物体。
 だが、今その物体はトイチナ達のすぐ目の前にあった。

「ッ!」
「わッ!?」

 トイチナはとっさに、側近の少年に覆いかぶさる。
 ――その次の瞬間、爆発が彼らの背後で上がった。

「ぐッ!?」

 トイチナの背に激痛が走る。
 まるで焼いた刃物を無数に突き刺されたかのような激しい痛み。今すぐ叫びながら暴れまわりたい程の苦しさだったが、今それは許されなかった。

(来る……!)

 トイチナは、崖の上から迫りくる者の気配を感じた。
 激痛に耐えながら、側近の少年が落としたクロスボウを掴み、片手で構えて崖の上へと向ける。
 次の瞬間、頭上で再び閃光が瞬き、周囲が急激に明るくなる。そしてほぼ同時に、崖の縁から複数の人影が現れた。

「!」

 光を背に現れた彼ら。その中の一人とトイチナの目が合った。それを合図とするかのように、トイチナはクロスボウの矢を解き放った。

「ヅッ!?」

 矢が解き放たれた瞬間、入れ違うようにトイチナの全身にいくつもの衝撃と激痛が襲いかかった。先ほどの痛みとは別種の、杭でも打ち付けられるかのような激痛。それが雨粒のような注ぎ方でトイチナの全身を襲った。

「……ッ」

 側近少年を庇うために、トイチナは体を丸めて顔を下げる。

「あ……あ……隊長……」

 顔を下げると、ちょうど側近の少年の顔が見えた。
 少年の体は震え、恐怖と悲しみの入り混じった瞳に涙を浮かべて、トイチナの顔を見つめている。

「……ごめんな」

 腕の中で震えるメナという少年に、トイチナは静かにそう言った。
 そしてその言葉を最後に、トイチナと言う名の彼が動く事はなくなった。



 誰が最初に引き金を絞ったのかは不明だった。
 崖の下に潜んでいた多数の敵。彼らと相対した次の瞬間には最初の一発が撃ち出され、それを皮切りに殺人の雨が始まった。
 小銃を持つ各員は、単射もしくは三点制限点射に設定された小銃の引き金を、眼下に向けてひたすらに引き絞った。MINIMI軽機を持つ隊員は、崖下を端から縫い付けるように軽機を撃ち続ける。加えて、時折放り出される手榴弾が、傭兵達の体を傷つけ、引き裂く。それぞれの発する暴力は、まるで作業のように傭兵達の命を奪ってゆく。無数の発砲音と炸裂音は、崖下で動く者が居なくなるまで鳴り響き続けた。

「撃ち方やめーッ!撃ち方やめだッ!それ以上撃つなーッ!」

 峨奈が怒号と手振りによって命令を下す。
 合図によって、十数秒間続いた殺人の雨は止んだ。発砲音にかき消されていた本物の雨音が、再び周囲に戻ってきた。

「ッ――まったく……」

 香故三曹が頬を銃床から放して、少し荒くなった呼吸を整えながら悪態を吐いた。ほんの十数秒間の出来事だったが、彼らは何時間も戦っていたような錯覚を覚えていた。
 その時、そんな彼らの耳に、鳴り止んだはずの発砲音が再び飛び込んだ。

「ッ!」
「なんだ?」

 各員が見れば、射撃中止の命令が出たにもかかわらず、躍起になって撃ちつづける隊員が一人いる。

「ハァッ……次は……!」

 武器科の柚稲であった。彼は不安定な呼吸をしながら、中性的で端麗な物であるその顔立ちを必死の形相に変え、照準を覗き続けていた。

「おい柚稲……」
「……次……次の敵……ッ!」
「柚稲!撃ち方やめだ、それ以上はいい」
「ッ!?……ハァ……ハァ」

 版婆がそんな柚稲に近づき、崖下に向けていた小銃を腕で強引に跳ね上げる。それにより柚稲は我に返り、ようやく射撃を止めた。

「やれやれ……」

 様子を見守っていた峨奈は、ため息を吐きながら自分の左腕に目を向ける。
 彼の腕には矢が突き刺さっていた。
 眼下の傭兵達と相対した瞬間に受けた物で、幸いにも鏃は骨で止まっており、刺さりも浅い。しかし、もう少し軌道がずれていれば、矢は彼の喉を貫いていたかもしれなかった。

「ぞっとしないな……各員警戒!動くものがいないかよく確認しろ」

 峨奈は矢を強引に引き抜き、止血をしながら指示を飛ばす。

「……動くものなんて……」

 峨奈の指示に、青ざめた顔の易之が歯切れの悪い口調で反応する。呼吸が落ち着き、冷静さを取り戻した各々の目に映る眼下の光景。

「ひどい……」

 50名は超えると思われる傭兵の亡骸の数々が、照明弾の光に照らされている。彼らが流した血によって、元々明るい砂色だった地面は、各所が赤黒く染まっていた。

「………」

 対戦車火器射手の四耶が、額に皺を寄せ、片手で顔面を覆っている。

「………これでは虐殺だ」

 彼はしばらくの沈黙ののち、静かにそう呟いた。

「余裕そうだな、ウラジア?」

 そんな彼に突如、何か皮肉の色のこもった台詞が投げかけられた。

「何?」

 ウラジアというのは、四耶のファーストネームである。四耶は、祖父にロシア人を持つ、ロシアの血の流れるクォーターなのであった。
 声に振り向いた四耶の視線の先には、香故の姿があった。嘲笑うような今の言葉に反して、彼は冷たく険しい表情を作っている。

「どういう意味だ?」
「こんな状況で、よく敵を憐れむ余裕などあるなと思ってな。味方よりも似た顔立ちの奴等のほうが心配か?なぁ、ロシア人さん」
「お前ッ」

 投げかけられたその言葉に。四耶は香故に詰め寄ろうとする。

「香故、私と一緒に来い!崖の下を調べるぞ。二名はここに残り警戒続行、二名は塹壕へ戻れ、いいな!」

 だがそこへ、峨奈の指示が周囲に響き、二人のやり取りは中断された。

「フン。だそうだ」

 あからさまな煽る口調で言い放ち、香故は峨奈を追い、崖縁より飛び降り崖下へと降りて行く。

「……視野の狭い差別主義者が……!」

 それを視線で追いながら、四耶は忌々し気に零した。



 濡れた地面に、トイチナの体が横たわっている。
 一切の活動を停止した彼の体。それが次の瞬間、もそりと持ち上がった。

「うぐ……」

 トイチナの体の下から、側近の少年が這い出て来た。少年は出て来るやいなや、トイチナの体へと向き直り、彼の体を仰向けに起こす。

「あ、隊長………」

 そして露わになったのは、口から血を流し、瞳は虚空を見つめるトイチナの顔。くしくも敵が空に上げた光源によって、メナはそれをまざまざと見せつけられる事となった。

「嘘だ……隊長ぉ」

 涙腺が緩み、少年は今にも泣きじゃくりそうになる。

「生き残りだ」
「!」

 しかし背後から近寄る気配と声が、彼の嘆きの邪魔をした。



「フン。厄介な奴等だった」

 悪態を吐きながら崖の下へ降り立った香故。彼は傭兵達に対する憎々しげな顔を隠そうともせず、周囲を見渡していた。

「ッ」

 そんな彼の視界の端に、動くものが映った。視線をそちらへ移すと、仲間の体へとすがりよっている、一人の傭兵の姿が飛び込んできた。

「まったく、しつこい――生き残りだ」

 香故はその存在を周囲に知らせるべく発し、同時に傭兵に銃を向ける。そして傭兵を拘束するため、接近しようとした。

「おいお前ッ。そこでじっとして――ッ!?」

 しかし突如、彼の肩に浅い痛みが走った。

「来るな!隊長に近づくなぁッ!」

 香故を襲ったのは投石だった。傭兵の少年が近くに落ちている石を掴み、必死に香故へと投げつけていた。

「ッ、こいつ――ヅッ!」

 うちの一つが香故のこめかみに命中、軽くない痛みが香故を襲い、彼のこめかみから血が流れる。

「……ッ、野郎がッ」

 それが彼の頭に血を登らせた。
 そして香故は構えた小銃の引き金を引き、立て続けに数発発砲した。

「ひぅッ!?」

 少年の足元に数発が着弾し、怯んだ彼は目をつむる。少年自身に被弾は一発も無かったが、それはまったくの偶然だった。
 怯んだ少年に香故はヅカヅカと歩み寄る。

「う……あッ!」

 香故の接近に気付き、少年はとっさに胸元の短剣を掴み、引き抜こうとした。

「――ぐぅッ!?」

 だが、間合へ入った香故が、蹴りを繰り出すほうが早かった。
 戦闘靴のつま先が少年の横腹に叩き込まれ、少年はわずかに宙を舞い、地面へと叩き付けられた。悶え苦しむ少年を尻目に、香故は目の前に横たわるトイチナへと銃を向けた。銃の先端をトイチナの体に突き付け、生死を確認する。

「……こいつは死んでる」

 その場の脅威を排除したことを確信し、香故は小さく息を吐く。
 しかしそんな彼を小さな衝撃が襲った。

「やめろぉッ!隊長から離れろ!」
「ッ」

 傭兵の少年が、香故に体当たりを仕掛けてきたのだ。
 少年は蹴とばされた痛みも治まらない体で、泣きじゃくりながら必死に香故にしがみついた。それはお世辞にも力強い攻撃とはいえず、まるでじゃれついているかのような強さだった。

「ッ、このガキ――」

 忌々し気な冷たい目で少年を見下ろし、零す香故。
 そして、果敢な突進も空しく、少年は香故に引きはがされ、逆に羽交い絞めにされてしまった。

「うぐッ……!チクショウ!放せ、放せよぉッ!」

 しかし、なお少年は腕の中でもがき、腕に噛みついたり爪を立てたりして抵抗を試みた。

「痛ッ!――いい加減にしろッ!」
「ぐぅッ!?」

 その行為に頭に来た香故は、少年の首を手で掴む。そして五指の力を込め、少年の首を締め上げだした。

「ぁ……ぁ……」
「今更お涙頂戴か?お前等など――」

 苦し気な掠れた音を、口から零す少年。そんな少年に、香故は腹にため込んだ罵声を吐き、浴びせようとする。

「――やめろ馬鹿野郎ッ!」

 しかし香故のそれが吐き出される前に、響いた声を共に香故は突き飛ばされ、地面に倒れた。見れば、その傍らには四耶の姿。
 崖を駆けずり降りて来た四耶が、彼を突き飛ばしたのだ。

「ごほ、けほっ……隊長!」

 解放された少年はトイチナの亡骸に駆け寄る。それを一瞬だけ見届けてから、四耶は香故を睨みつけた。

「お前、おかしいんじゃないのか!? 自分が何しているか分かっているのか!?」
「ぺッ、俺は正常だ――どうかしているのはお前だッ。さっきから奴等を庇い建てしやがって。このクズ共のせいで宇桐は死んだんだぞッ!」

 起き上がった香故は、周囲に散乱する死体を指し示しながら怒りの声を上げた。

「そんな事は……分かってる!だからって……見ろ!彼らだって仲間を失ってる!ましてや今の相手は子供だぞ!?」
「それがどうしたッ?敵のガキを憐れむのは、味方の仇を取るより優先する事かッ!?」

 香故は血走った眼を見開いて発し上げ、訴える四耶の胸倉を掴み上げた。

「そこまでだ、たわけ共ォッ!」

 殴り合いに発展しかねない二人の間に、別の怒号が割って入った。
 二人が崖の上に目を向けると、そこに長沼の姿があった。先の怒号は彼の発したものだったが、声色に反して長沼の表情は冷静そのものだった。

「――気持ちは分かる。だが、今感情をぶつけ合う時間は無いぞ。ここは収まったが、全域はまだ戦闘中だ」

 打って変わった落ち着いた声色で、四耶と香故を解く長沼。

「悲劇を広げたくなければ、それこそ冷静になるんだ。香故、君は上がって来てこちらを手伝え」
「……チッ、了解。そちらへ戻ります」

 若干落ち着きを取り戻した香故は、不服そうな声で命令を反復。四耶を一瞥してから、崖を登って行った。

「四耶、易之を下へおろす。二人でその少年を保護しろ」
「了解……」

 四耶も命令を受諾。複雑な心境だったが、ともかく少年を保護するべく、彼の元へ歩み寄ろうとした。

「ッ……!」

 しかし、四耶の足は一歩を踏み出す前に止まる。
 亡骸にすがりよる少年が、四耶の接近に気付き、彼を睨みつけて来たからだ。
 涙の浮かぶその目で、〝近寄るな〟と必死に威嚇していた。まるで親の亡骸を守る子獅子のように。

「………どうかしている」
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