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チャプター2:「Dual Itinerary」
2-5:「旅路のそれぞれ、そして別れと帰還」
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月橋の町。
東方面偵察隊が町のフレーベル邸に到着してからおよそ二時間後。
制刻や河義等は借り受けられる事になった一室の掃除をようやく終えた所であった。
「でぇぇ……!」
新好地がヘトヘトだといった様子で、近くにあった椅子に座り込む。
「これで、寝泊りが出来る空間は確保できたか……」
「カオスな空間だったな」
河義は新好地同様に疲れた様子で呟いたが、制刻だけは特に変化を感じさせない淡々とした口調で発した。
「嬢ちゃんの前で悪いが……片づけられない人間の家だぞこれ」
「たぶん、それで合ってます……」
失礼を承知での新好地の発言に、しかし皆と同様に疲れた様子のニニマは、同意の言葉を返した。
「戻りましたー」
そこへ、玄関扉が開かれると共に声が響いた。そして矢万や鬼奈落等と、ハシア達が室内へと姿を現す。剣鱗蛇の体の換金のために町へと赴いていた組が帰って来たのだ。
「矢万三曹、ご苦労だった。資金調達は、うまく行ったか?」
「えぇ――まぁ」
河義の言葉に、矢万は少し困惑した様子で返す。
「どうした、ひょっとしてダメだったのか?」
「いえ、その逆です」
心配の表情を作った河義に、矢万はそれを否定しながら、その手に持っていた袋を、近くにあったテーブルへと置き、封を開けた。その袋の中には、大量の硬貨が詰まっていた。
「わっ……!」
それを見たニニマが、驚きの声を上げる。しかしそれ以外の各員は、それが大金と言うことはなんとなく察せたが、具体的な価値がピンと来ずに、訝し気な視線を向けていた。
「これは、どれくらいの価値になるんだ?」
「ハシアさんにお聞きした所、30万〝ヘイゼル〟という額になるそうです」
河義の尋ねる声に、鬼奈落が答える。
「さ、30万……!」
その額を聞き、ニニマは驚きの声を上げるが、他の各員は訝し気な表情のままだ。
「そんな聞いたことの無い単価で言われてもな……」
「姉ちゃん、この辺の一般的な年収はいくらぐらいだ?」
新好地は困惑した声で呟き、ニニマに向けて制刻が尋ねる。
「えっと、だいたい10万ヘイゼルくらいです……」
「……では、私達の世界感で換算すれば、低く見積もっても300万円程の価値があるという事か……」
「うへぇ……でかいマグロ釣っちまったみたいな値段だな……」
河義が計算して出した言葉に、新好地が溜息混じりの驚きの言葉を発する。そこでようやく各員に若干の驚きの表情が現れた。
「だが、俺等は100名以上いる。それを全部食わすとなると、決して多い金額じゃねぇな」
しかしそこへ、制刻が淡々と意見を発する。
「そうだな――それを考えれば、この資金で確保できるのは、数日から良くて数週間分の食糧といった所だろう。だが、こういった狩猟で資金が調達できると分かったのは大きいな」
制刻の言葉に河義も同調する。しかし同時に河義は、この世界における資金調達の有効な手段が見つかった事に、関心を寄せる言葉を零した。
「さて、この大金の分配はどうします?」
そして矢万が河義に尋ねる。
「そうだな――人数で割って、一人頭の割り当てを基準に計算するのが単純で分かりやすいか……」
「そうすると、私達7名にハシアさん達やニニマさん達を含めて、11人か」
「面倒ですね。俺等は6人分で計算して、一人頭30万にしちまいますか」
「そうだな――皆、異論は無いか?」
河義は隊員の各員に尋ねる。各員から異論の声は上がらなかったが、しかしハシアとニニマが戸惑った声で言葉を発した。
「いや、あの――ちょっと待ってくれないか……?」
「あ、あの……私達もですか……?」
「ん、ああ、お二人ともこの配当では意義がおありですか?」
二人の言葉に河義はそう言葉を返す。しかしハシアは河義の言葉を否定した。
「いや、違うんだ――剣鱗蛇でできた資金は全て君達の物だろう?僕達は受け取れないよ」
「そうです……私なんて何にもしてないですよ……?」
少々困惑しながらハシアとニニマは言う。
「いや、そういう訳にはいかないだろう?あの大蛇を仕留めたのはアンタ達だろ。それに姉ちゃん達にはこの家に一拍世話になるんだ」
「私達も、皆さんの強力の元でここまで辿り着きました。そして今日もお世話になることになる。そのお礼として、受け取っていただけませんか?」
新好地が発し、続けて河義がハシア達を説くように発する。
「……そうだね、君達の行為を無碍にするのも、逆に失礼かな……ニニマさん、ここは彼等の好意を受け取ろう」
河義等の言葉にハシアは折れ、そしてニニマに向けて言う。
「えっと……分かりました」
ニニマはまだどこか申し訳なさそうな様子だが、ハシアの言葉に同意の返事を返した。
「ありがとうございます、ハシアさん、ニニマさん」
「お、お礼まで言われるなんて、なんだかおかしな感じだよ……」
河義の礼の言葉に、ニニマはその整った顔に困惑の表情を作って見せた。
捻出できた資金の分配を無事に終え、偵察隊は取り分となった資金を持って、物資調達のために再び町へと繰り出した。
時刻はすでに夕刻に近づきつつあり、訪れた商店の並ぶ区画は、人で溢れていた。流石にその中を指揮通信車で割って突き進むわけには行かず、偵察隊は指揮通信車を商店区画付近の人通りの少ない場所に留め(それでもかなり悪目立ちしていたが)、各員は徒歩により、分担して商店区画内での調達作業に当たっていた。
一軒の野菜を取り扱ういわゆる八百屋に値する商店の前に、ニニマの姿がある。彼女は偵察隊の案内兼、自身の買い出しのために共に町に繰り出て来ていた。そして今は、商店の店番の娘から、商品である野菜を受け取っている。
「えーっと、セイベッジとケイティで17ヘイゼルだよ」
「はい。ありがとう、レーンちゃん」
ニニマは店番の娘に言われた額の硬貨を渡す。
「にしても驚いたよ。ニニマちゃん、二日前に帰ったはずだったのに、勇者様や噂の人達と一緒に現れるんだもん」
「い、色々あってね……」
町からの通達が行き渡ったのか、それとも噂が広まるのが早かったのか、偵察達の存在は、多くの町人が知る所となっていた。そして二人は揃って視線を横に向ける、彼女達の数歩分横では、商店に並ぶ商品を物色する新好地の姿があった。
「ん?嬢ちゃんの方は買い物終わったのか?」
視線に気づいた新好地は、商品の物色を止めて二人の傍へと歩み寄って来る。
「はい、必要なのはセイベッジとケイティだけでしたから」
「セイ?って、キャベツと人参か」
聞きなれぬ名に新好地は疑問の声を発しかけたが、ニニマが見せた買い物袋の中に入っている野菜類を見て、納得の言葉を零す。
「キャべ……?」
対して今度は、ニニマが不思議そうな言葉を零す。
「あぁ、俺達の国ではそう呼ぶんだ」
そんなニニマに、新好地は説明する。
「ふーん、聞いた事ない呼び方。格好も変わってるし、ホントに遠くの国の人なんだねー」
新好地の説明に、それを脇で聞いていた店番の娘が、間延びした言葉を零した。
「所で、おにーさんは何か買ってくの?」
「あぁ、日持ちする野菜や果物類を探してるんだ。それを、これ等に詰められるだけ詰めて欲しい」
言うと新好地は、両肩から下げていた四つの空の大型クーラーボックスを降ろして指し示す。そして支払い能力がある事を示すため、配られた資金の入った小袋の、その中身を空けて見せた。
「――え?」
唐突な大量買い占めの要求に、店番の娘は目を丸くした。
商店区画の外れに停められた指揮通信車では、制刻等が買い集めた物資食材の積み込み作業に当たっていた。
「あぁ、重てぇ」
制刻は塩漬け肉の詰まった大きな樽を、言葉に反し、片手でしかも軽々とした様子で指揮通信車に乗せている。
「片手で中身詰まった樽を持ち上げる人の台詞じゃないですよね」
そんな様子の制刻に、出蔵が感心4割、呆れ6割といった表情と口調で言う。
「よぉ、そっちも色々買い揃ったみたいだな」
そこへ声が掛かる。制刻等がそちらへ振り向くと、戻って来た新好地とニニマの姿が見えた。
「そっちもか?」
「あぁ」
制刻の言葉に、新好地は肩から下げたクーラーボックスの一つをパシパシと叩きながら返す。中身に大量の野菜類の詰まった大型クーラーボックスはそれなりの重量になっていたが、レンジャー資格を保有する新好地からすれば、それを四つ同時に下げる事も大きな問題ではないようであった。
「後は河義三曹と策頼待ちだな」
「そっか。しかし、やっぱりすごい量になったな」
新好地は、指揮通信車に視線を向けながら言う。指揮通信車の車上には、小麦などの入った袋類が大量に積まれ、指揮車内のスペースにも、許される限りの物資が詰め込まれていた。
「これでも十分とは言えねぇが、これ以上積むと、走行に支障が出るからな」
「トラックを連れて来るべきでしたね」
「今回は、偵察行動が主軸だったからな」
制刻と出蔵も積まれた物資を眺めながら、言葉を紡ぐ。
「そういや、出蔵は医薬品も見に行ったんだろ?そっちはどうなったんだ?」
「あぁ、それなんですけど……」
出蔵によれば、この世界は病気や怪我の直接の治療や、または薬の作成等も魔法に頼る部分が多く、元の世界や部隊で使用されているような医薬品などは、あまり手に入らなかったとの事だった。
「最低限の基礎的な物はあったんですけど、効果の強い医薬品は何か魔法の関わった得体の知れない物ばっかりで……」
「マジか……」
「医薬品は備蓄が結構あるから、しばらくは大丈夫なんですが……この辺りの件は、持ち帰って重田一曹や皆さんに相談したいと思います」
普段のお気楽な調子と違い、少し考え込むような様子で言う出蔵。
やがてそこへ河義等も戻り、偵察隊はフレーベル邸へ戻る事となった。
同時刻。
「なんだそりゃ?つまり、この国の面倒事を俺等が片づけなきゃなんねぇって事かよ?」
木漏れ日の町の城門前で待機していた高機動車の前で、竹泉は不服さを隠そうともしない声を上げた。竹泉の視線のすぐ先には、鷹幅達の姿があり、さらにその背後には物資が満載された馬車が停まっている。
鷹幅達は謝礼にと約束された物資と共に戻り、この国の姫と接触した事、そして彼女達から協力を求められた事を、竹泉等に説明した所であった。
「そうじゃない、彼女達は私達に助けを求めて来たんだ」
「どぉーですかねぇ?口ではか弱い事言っときながら、本心では物資援助をチラつかせて俺等を釣って、ノコノコ現場に現れたら体よく肉盾として利用しようとか、考えてるかもしれませんよぉ?」
鷹幅の言葉に、しかし竹泉は皮肉気な口調で、もしもの展開を予測した言葉を並べる。
「竹泉二士、口を慎め!それは彼等の好意を無碍にし、侮辱する発言だぞ」
「俺ぁ、あくまで最悪の事態をシュミレートして進言しただけでごぜぇますがね?」
竹泉の発言に鷹幅は彼を叱りつける言葉を上げるが、対する竹泉は五森の公国側を疑ってかかる態度を崩さない。
「はぁ、もういい。どうするかは私達ではなく井神一曹達が判断する事だ。私は無線で一方を送る、その間に提供いただいた物資を高機動車に移しておくんだ」
鷹幅は竹泉に命ずると、彼の脇を抜けて高機動車に積まれた無線機へと向かった。
「竹泉ー、いくらなんでも疑い過ぎじゃないか?ここの人達、そんな悪い人達には見えなかったぜ?」
「あぁ。鷹幅二曹の言った通り、必要以上の勘繰りは、ここの人達に対する侮辱となるぞ」
二人の会話を後ろで聞いていた樫端と剱が、竹泉にそんな言葉を投げかける。
「よぉお二人さん。竹しゃんは、どんなケースも最悪の事態を想定しないと気が済まねー性質なのさ。それに加えて、竹しゃんはこのファンタジーな世界とちこーと愛称が悪ぃみてぇでな、若干ご機嫌斜めなのさ」
言葉を投げかけて来た剱と樫端に、多気投は竹泉を一瞥して茶化すように発した。
「うっせぇ、ほれ二曹殿のご命令だ。この頂いちまったブツをとっとと運んじまうぞ」
「――以上が、道中で起った事の大まかな所です」
フレーベル邸前へと戻って来た指揮通信車の内部で、河義は無線通信により野営地との交信を行っている。無線の向こうの相手は井神であり、今しがたここまでの行程中に起こった出来事を、説明し終えた所であった。
《ふむ、成程。聞く限りは信じがたい事ばかりだな》
「そいつぁ、俺等もです。だが今、河義三曹がいったトンデモ出来事は、全部まぎれもねぇ事実です」
井神の寄越したその言葉に、河義の背後に立っていた制刻が割り込み、無線に向けて声を発する。
《あぁ、何も君達を疑っている訳ではない。この世界では、我々の想定を超えた事態が、平気で起るのだろう。その中で、無事目的地に辿り着けた事は、よくやってくれたと思っている》
「ありがとうございます。――所で、鷹幅二曹達の方からは、何か報告がありましたか?」
井神の評する言葉に礼を返した河義は、続いて北西方面偵察隊の同行について尋ねる。
《あぁ、向こうからも先程報告があった。なんでも、物資の確保には成功したが、一緒に案件を持ち帰って来るそうだ》
「案件、ですか?」
《詳しい事は直接、帰還したら話そう。そちらは、今は無事に帰って来る事に専念してくれ》
「分かりました。では、これにて報告を終わります」
通信を終え、河義は後部ハッチを潜って指揮通信車を降りる。
「剱達は、厄介ごとを見つけて来たよぉですね」
「みたいだな」
制刻と河義は言葉を交わしながら、視線を横へと移す。
視線の先では、矢万や鬼奈落が、指揮通信車への燃料補給作業を行っている姿があった。今は鬼奈落がジェリカンを持ち上げて傾け、指揮車のタンクに燃料を注いでいる。
「矢万三曹、燃料はどうだった?」
「あぁ、河義さん。メーターを見たら、半分以上減っていました。それなりに長い行程でしたし、山越えまでしましたからね……」
尋ねて来た河義に、矢万が答える。
「燃料にはいくらか備蓄はあると聞いていますが、今回のような行程が今後も続くと考えると、あまり楽観視はできませんね」
そして燃料を全て注ぎ終えた鬼奈落が、ジェリカンを地面に置きながらそんな言葉を発する。
「燃料か――こっちの世界で、調達できりゃぁいいんだがな」
発した制刻、河義等の視線が集中する。
「流石に、そんな都合よくはいかないんじゃないか?食い物とは違うんだ」
「失礼ですが、この世界の文明レベルを見るに、難しいでしょうね」
そして制刻に向けて、矢万と鬼奈落が発する。
「いや、この世界の環境は地球に類似してる。完成されたガソリンや軽油類は無くとも、原料となる原油はきっとあるはずだ。それと加工する手段を見つけられりゃ、望みはある」
「簡単に言うがな……」
制刻の説明に、しかし矢万は難しい顔で返す。言葉にするのは簡単だが、実際にそれを実現するにあたっては、多くの問題がある事は明白だった。
「だが、今の状況がいつまで続くとも分からない……錡壽の言う通り、近いうちに何か対策を取らなければならないだろう」
難しい顔を作る矢万や鬼奈落を前に、しかし河義は制刻の意見を推す言葉を発する。
隊が燃料に関する問題を抱えている事は、皆分かっていた事ではあった。しかし、いざ実際にそれを解決する策を考えてみれば、そのハードルは高く、各員の顔は渋い物となった。
「あの、みなさ――」
そんな所へ、フレーベル邸の玄関からニニマが姿を現す。各員へ声を掛けようとしたニニマは、しかし各員が険しい顔をしている事に気付き、その言葉を詰まらせた。
「ど、どうしたんですか?皆さん怖い顔になってますけど……」
そしてニニマはおっかなびっくりと言った様子で発する。
「だってよ、制刻」
そんなニニマの言葉に、矢万は特に歪な顔立ちをしている制刻に向けて、茶化す言葉を発する。しかし制刻はそれを特段相手にせずに、ニニマに向けて口を開いた。
「どうした、姉ちゃん?」
「あ、あの――夕食の用意ができたので、皆さんを呼びに来たんですけど……」
遠慮がちに言ったニニマに、河義が少し驚いた声を上げる。
「私達の分まで、用意していただいたんですか?」
「も、もちろんです。皆さんはお客さんですし、なにより恩人ですから。私にはこれくらいしかできないのが、申し訳ないんですけど……」
申し訳なさそうに言うニニマだが、大して矢万達は険しかったその顔を、明るい物へと変える。
「とんでもないぜ。河義さん、ここは呼ばれるとしましょう。せっかく用意してもらった物を、無碍にするのは失礼でしょう?」
「今日も糧食かと思っていましたから、ありがたいですね」
そして矢万と鬼奈落はそれぞれ発する。
「――そうだな。ではニニマさん、本日はそちらのご厚意に甘えさせていただきたく思います」
「は、はい。えっと、こちらこそ……?」
河義の発した改まった言葉に、ニニマはぎこちない返事を返す。
そして矢万や鬼奈落、ニニマ達は、フレーベル邸へと歩み入って行く。
それに河義も続こうとしたが、そこで制刻が河義に声を掛けた。
「河義三曹。帰還したら、燃料の件の相談、忘れねぇよう願います」
「あぁ――承知しているさ」
ニニマの好意により振る舞われた夕食を終え、その片づけなどを終えた各員は、各々に割り振られたスケジュールの元に動き出した。
寝床こそフレーベル邸の一室という安全な場所が提供されたが、偵察隊は指揮通信車や各装備を安全のため夜を通して見張る必要があった。その夜哨の任にこれらか当たる者は、指揮通信車へと向かい、それ以外の隊員は体と装備を整え、そして休眠に入った。
それから2時間ほどの時間が経過した所で、最初の立哨の役割を終えた新好地と河義が、次の組と交代して、フレーベル邸のリビングへと戻って来る。
「やれやれ、終わったぜ――お?」
「やぁ、お疲れ様」
そんな河義と新好地に、労いの言葉が掛けられる、二人が視線向ければ、リビングのテーブルに付くハシアとアインプ、さらにニニマの姿がそこにあった。
「兄ちゃん達、それに嬢ちゃんも、まだ起きてたのか?」
そんなハシア達に新好地は尋ねる。時刻は、少なくとも隊員等の所有する時計で確認するか限りは、間もなく日付を跨ごうとしていた。
「うん、武器の手入れをしておかなくちゃならなくてね」
言いながら視線を手元に落とすハシア。ハシアやアインプの手には、それぞれが愛用する大剣や大斧があった。
「これが結構手間なんだー。でも、テキトーにするわけにはいかないんだよね」
「手入れの手間を怠れば、それが次の戦いで命取りになるかもしれない」
言いながらも、二人は武器の手入れを念入りに行っている。
「成程。そういった点は、私達もハシアさん達も同じですね」
ハシアのその言葉を聞いた河義は、自身が肩から下げる小銃を一瞥しながら呟いた。
「で、嬢ちゃんは?」
「私はお姉ちゃんを見てないといけなくて……」
ニニマ曰く、姉のフレーベルは一度火が付くと、何日も睡眠も食事も取らずに作業に没頭する事がザラにあるとのことであった。それを防ぐには誰かが割って入り、無理にでも休みを取らせる必要があり、ニニマはそのためにこの時間まで起きているそうだ。
「何か悪い事をしてしまいましたね……私達が例の薬を持ち込んだせいで、お二人に負担をかけてしまっている」
「あ、いえ、気にしないでください。こういうのは今回に関わらず、いつもの事なので」
謝罪の言葉を述べた河義に対して、ニニマは首を振ってそう発する。
「それに、あれはそもそもイロニスお姉ちゃんが生み出した物ですから……」
そしてニニマは声のトーンを落として、そう呟いた。
「しかし、お二人とも無理はなさらないでくださいね」
「なんかあれば、遠慮なく俺等を呼んでくれ」
そんなニニマに河義と新好地はそれぞれ言い、ニニマは「ありがとうございます」と静かに声を返すと、姉の夜食の準備があると言い、台所へと立った。
「――よし、終わったぁ」
少し暗くなりかけた空気を、次の瞬間そんな一言が破る。声の主はアインプだった。どうやら自身の大斧の手入れを丁度終えたようであった。
「こっちもだ」
続けてハシアも発し、手にしていたその大剣を鞘に納める。
「くぁ……ほんじゃ、悪いけど先に寝かせてもらおかな……?」
「アインプ、その前にインナーだけでも変えておいた方がいいよ。ここ数日で大分動き回ったし、替え時だろう」
小さな欠伸をしながら言ったアインプに、しかしハシアはそう促す。
「あ。そういや、俺も着替えたいと思ってたんだ」
そして二人の会話を聞いて、新好地も思い出したように発する。
「ああ、いいや。ここで脱いじまえ」
そして新好地はその場で上衣を脱ぐ。そして彼の、男としては若干華奢ながらも、バランスよく鍛え上げられた、インナーに包まれた上半身が露わになった。
「おい新好地。アインプさんもいるんだぞ……」
「あー、大丈夫。あたし気にしないよー」
河義が咎める声を上げるが、しかしアインプは平然とした様子で発する。
「旅の最中では、そういった事を気にしていられない場面も多いからね」
言いながらハシアも新好地同様に上衣を脱ぎ出していた。そして彼のインナーを纏った上半身が露わになる。そのインナー越しに浮かぶハシアの体躯は、一見新好地のそれ以上に華奢に見えたが、しかし鍛えるべき部分は鍛えられており、絶妙なバランスを保っていた。
「あの、皆さ――え?」
その時、台所側から声がする。見れば、台所に立っていたニニマが戻って来ていた。
「ら、ラクトさん、勇者様……!?」
そんな彼女は、リビングでの光景に顔を目の当たりにして、その顔を赤く染る。
「あ、すまん嬢ちゃん」
「ご、ごめんニニマさん。迂闊だった、見苦しい物をみせたね……!」
そんなニニマの心情を推察し、新好地とニニマは慌てて謝罪の言葉を述べる。しかし、当にニニマが次に見せた反応は、何か新好地達の想像とは違った物だった。
「だ、ダメですよお二人とも!か、カワギさんも、男の人もいるのにその前で着替えなんて――」
「……ん?嬢ちゃん何言ってんだ?」
ニニマの予測に反した不可解な反応に、新好地は疑問の声を浮かべる。
「何って――え、あれ……?」
それに対して発しかけたニニマは、しかしそこで何かに気付いたように表情を変える。そして次の瞬間、彼女は驚くべき一言を発した。
「ら……ラクトさんと勇者様って、男の人だったんですか!?」
「……は?」
「え?」
ニニマの一言に、新好地とハシアは何を言われたのか分からないという、呆けた顔を作る。そして少しの間、リビングに沈黙が訪れる。
「――ぶっ、あははははッ!」
その沈黙の破ったのは、アインプの笑い声だった。
「え、まさか俺達の事……」
「は、はい……ラクトさんも勇者様も、ずっと女の人なんだと思ってました……」
そして新好地の言葉に、ニニマは未だ驚き冷め止まぬといった様子で発した。
「俺、ずっと自分の事〝俺〟って言ってたよな……?」
「ぼ、僕も……」
「そ、そういう女の人なのかな、って……。その、二人とも綺麗なお顔なので……」
言葉の最後に苦し紛れのフォローを入れるニニマ。確かに二人はどちらも、女と見紛わんばかりの整った顔立ちをしている。しかし、一応の誉め言葉ではあるものの、言われた当人達は大変複雑な気分であった。
「あは、あははは!――やっぱりハシアって女の子にしか見えないよね、ニニマちゃん?あたしも初めて会った時は正直、世間知らずのお嬢様が、ガティシアやイクラディ達美青年を侍らせて旅をしてるんだと思ったもん」
アインプは腹を抱えて笑いを堪えながら、彼女が初めてハシアと出会った時の事を話して見せる。
「アインプ――」
そんなアインプを、ハシアはすごみを利かせて睨みつける。
「ゴ、ゴメンゴメン――くくく……!」
しかしアインプは謝りながらも、ハシアの肩に顔を埋めて未だに笑いを堪えていた。
「そ、その――ごめんなさい……」
「まぁ、あまり気にするな新好地……」
一方でニニマは戸惑いながら二人に謝罪し、河義は新好地にそんな言葉を掛ける。
「いや、まぁ……俺は別にいいんですけどね?」
そんな河義とニニマに、新好地は気にしてはいない旨の言葉を発する。しかしその後に彼は、「そんなに女顔か……?」と呟きながら、自身の顔に手を当てた。
新好地達に関わる一問答が終わり、それから4時間ほどの時間が経過。
偵察隊が借り受けたフレーベル邸の一室で、控えめなアラーム音が鳴り渡る。
「時間か」
そのアラームに目を覚まされ、横になっていた制刻がその体を起こした。
制刻は音の発生源である携帯端末を手に取り、端末を操作してアラームを止める。そして敷布団代わりにしていた寝袋から立ち上がり、部屋を出る。
「ふぎ~……自由さん、お早うございます……?」
そこで丁度隣室から出て来た出蔵と鉢合わせる。彼女は眠気が覚めないのか、緩慢な口調で制刻に、時間帯的に正しいのか怪しい挨拶を発する。二人はこれから前の組と交代し、指揮通信車と装備の立哨に付く事となっていた。
「大丈夫か、お前ぇ」
「夜中に起きるのはキツイです~……」
会話を交わしながら二人はリビングに出る。
「おろ?どしたの」
二人がリビングに出た所で、声が掛けられる。リビングには、この家の主であるフレーベルがいた。彼女は椅子に座り、カップに注がれた夜食であるスープを口にしている。
「立哨の交代の時間だ。あんたは、今までずっと作業をしてたのか?」
「うん。本当はもう少し進めたい所だったんだけど――ニニマちゃんに今日はもう止めろって、怒られちゃってさ」
フレーベルは困り笑いを浮かべながら言う。
「それがいいですよ。夜は本来、しっかり寝るべき時間です――」
そんなフレーベルに出蔵は欠伸を噛み殺しながら発する。
「あはは、そうだね。ただ、今回は事が事だし……」
フレーベルは言いながら、カップの中身に視線を落とす。どうやら今解析している薬の元凶たる、姉の事を思い浮かべたらしい。
「――まぁ、思う所はあるだろう。だが、あんたがぶっ倒れちゃぁ、それこそそっから足踏み状態になる」
「ふぁ~……自分の体も大事にして下さいね?」
そんなフレーベルに、制刻と出蔵はそれぞれ言葉を掛ける。
「ん――だね。ありがと」
その言葉にフレーベルは礼を返した。
「おっと、灯りが……」
その直後、フレーベルはテーブルの上に置かれたランプの灯が、弱まりかけている事に気付いた。彼女は立ち上がって近くの棚へと向かう。
「あちゃー、植物油切らしちゃってる。じゃあ、こっちを使うか」
棚の前で呟いた彼女は、そこから何かを取ると、テーブルへと戻って来る。彼女の手に持たれていたのは、何か黒い液体の入った瓶だった。
「――ん?」
それに気づいた制刻は、訝しむ声を上げる。
フレーベルはランプの火屋と瓶の栓をそれぞれ開けると、瓶の中身の黒い液体を、小さく火の灯るランプの油皿へと移す。するとその直後、消えかかっていた火は、再びその勢いを取り戻した。
「よしっと」
フレーベルは一連の作業を終えると、ランプを元に戻して、瓶を片づけようとする。
「ちょい待った」
しかし、制刻がその行動を差し止めた。
「え?何?」
「姉ちゃん。悪いが、ちょっとその黒い液体を見せてくれるか?」
「え?〝地下油〟を?」
フレーベルは不思議そうに発しながらも、地下油という名らしきその液体が入った瓶を、制刻に差し出す。制刻は瓶を受け取ると、まず瓶口付近を手で扇いで臭いを確かめる。次に瓶を傾ける、軽く揺らす等して、液体の状態を確かめた。
「黒くて粘り気がある。それに微かな硫黄の臭い――こいつぁ原油だぞ」
「え!?」
そして制刻の言葉に、横で寝ぼけ眼に様子を眺めていた出蔵も、そこで初めて目を見開いた。
「姉ちゃん、こいつをどこで手に入れたんだ?」
「んん?その地下油なら、知り合いの商店でもらったものだよ。今みたいに、普段ランプで使ってる植物油を切らしちゃってて、そういう時に代わりにその地下油を使ったりしてるの」
フレーベルはそんな説明をしてみせる。
「その商店――いや、この地下油ってのは、どこで採掘されてるんだ?」
「さ、採掘?」
制刻のさらなる質問に、さすがにそんな事を聞かれるとは思っても見なかったのか、フレーベルは少し戸惑う声を上げる。
「うーん、流石にそこまでは分かんないけど……その知り合いの商店の人は、〝荒道の町〟で商品の取引をしてるって聞いたから、その辺りじゃないかな?」
「荒道の町?」
フレーベルの説明中に出て来た新たな町の名に、出蔵が首を傾げて疑問の声を上げる。
「この辺――〝月流州〟の東側、隣国の〝紅の国〟との国境付近にある町だよ」
「月流州……紅の国……」
フレーベルはさらに説明して見せるが、当然のことながら出蔵等はこの近辺の地理に明るくは無い。出蔵はさらに登場した地名の数々に、余計に首の傾きを増す事となった。
「地理に関しちゃ、後ほど調べるとしよう。とりあえずは、明日朝一で河義三曹に相談だ。それと、その商店に詳細の確認に行ったほうがいいな」
「……そうですね」
制刻の発案に、出蔵は寝起きでうまく働かない頭で物を考えることをやめて、同意の言葉を発した。
「姉ちゃん、明日んなったらでいい。その店を紹介してもらえるか?」
「ん、いいよ」
「ありがとよ。悪かったな、休憩中に色々と尋ねちまって」
フレーベルに礼を言うと、制刻と出蔵は今からの役割である、立哨のためにリビングを後にした。
翌朝。
東方面偵察隊は帰路につくための準備を始めていた。フレーベル邸の外に停められた指揮通信車では矢万や鬼奈落が、調達した物資類がきちんと車体に固定されているかの確認作業を行っている。
その一方で、フレーベル邸のリビングでは、河義とフレーベルがテーブルの上に置かれたこの世界の地図に目を落としている。この地図は、昨日物資調達に合わせて購入された物だ。偵察隊はこの地図の他にも、有用と思われるいくつかの書物を購入していた。
「ここが荒道の町ですね?」
「うん、そう」
河義が地図の一地点を指先で指し示しながら尋ね、フレーベルはそれに肯定の言葉を返す。河義は今朝がた、制刻等から原油関わるに一連の報告を受け、今はフレーベルにその原油が調達されたと思しき、〝荒道の町〟の具体的な所在地について、確認を取っている所だった。
「馬を使っても、だいたい3~4日くらいはかかるよ」
「結構な距離があるな……」
フレーベルの言葉に、河義は呟く。その荒道の町は、偵察隊の現在地である月橋の町から見ても、近いと言える距離には無かった。
「戻りました」
そこへフレーベル邸の玄関が開かれ、制刻が姿を現した。
制刻は、昨晩フレーベルの話にあった、原油を譲ってもらったという商店に詳細を訪ねに行っていた。その制刻が戻った事に、河義は顔を上げる。
「どうだった?」
「当たりです。話によると、原油はその荒道の町の近くで採掘された物のようです」
河義の問いかけに、制刻はそう答えた。
「そうか。まさか、こんな形で石油が見つかるとはな……」
河義はテーブルの上に置かれた、原油の詰められた瓶に視線を落としながら言う。
「話を挟んで悪いけど、地下油がそんなに重要なの?」
「えぇ――私達にとっては、重要な物資と成りえる物なのです」
疑問の声を向けて来たフレーベルに、河義が答える。
「というか、こっちじゃ重要視されてねぇのか」
そこへ制刻が尋ねる。
「うーん、私が知る限りではね。私も薬学以外の分野はからっきしだから、はっきりした事は言えないけど――」
フレーベルの話によれば、少なくともこの近辺地域.において原油は、あまり重要視されている資源ではないらしい。火を灯す際の油の一種として補助的に使われたり、加工された物が詰め物として使われている程度、とのことだった。
「そいつぁ、俺等にとっては、好都合かもしれねぇな」
フレーベルの話を聞いた制刻は発する。
「だが、制刻――どうやら、その町まで結構な距離があるようだ。そこへ向かう許可が下りるかどうかは、分からんぞ」
「でしょうね。まぁ、ブツの在り処が分かっただけでも収穫です。後の事は、戻ってから相談しましょう」
東方面偵察隊は準備を整え終え、いよいよフレーベル邸を、そしてこの月橋の町を発つ事となった。指揮通信車の車長である矢万や、操縦手である鬼奈落等の一部の隊員は、すでに搭乗を終えており、指揮通信車はエンジンを始動させて低い唸り声を上げていた。
その指揮通信車の横には、見送りのためにその場に立つフレーベルやハシア達の姿があった。そして河義や制刻、新好地等がそんな彼等と相対していた。
「フレーベルさん、私達を宿泊させていただき、ありがとうございました。それと薬の件に関しましては、どうかよろしくお願いします」
「任せといて。えっと、君達は五森の公国の芽吹きの村の近くに陣を張ってるんだったよね?薬の解析が終わって、対抗策が発見出来たら、君達の所へも便りを出すよ」
河義の言葉に、フレーベルは自らの胸を叩いて答えて見せる。
「ハシアさん達も、色々とありがとうございました」
続けて河義はハシア達に顔を合わせて言う。
「とんでもない。しつこいかもしれないけど、僕らの方こそ本当に君達には助けられた。僕らはガティシアとイクラディとの合流のために、まだこの町に滞在するから、ここでお別れになるけど――」
「たぶん、またどっかで会いそうな気がするな」
ハシアの言葉の続きを制刻が発し、ハシアは「だね」と笑顔を作ってそれに返した。
「……そういや、嬢ちゃんはどうした」
一方で、新好地はニニマの姿がその場に見えない事に、周囲を見渡しながら疑問の声を発する。
「んー?ニニマちゃんなら、なんか朝から台所に籠ってるみたいだったけど……?」
新好地の言葉に同じく疑問の声で答えながら、フレーベルは背後にあるフレーベル邸の玄関へ振り向く。玄関扉が開かれ、ニニマがそこから姿を現したのは、その瞬間だった。
「皆さん!良かった間に合っ――きゃっ!」
慌てた様子でパタパタと足音を立てて出て来たニニマは、そのせいか足をもつれさせて転倒しかける。
「おっと」
しかし彼女は幸いにして、その先にいた新好地の体へと倒れ込み、彼に体を支えられた。
「ご、ごめんなさい……!」
新好地の助けを受けて体勢を立て直したニニマは、顔を赤らめながら彼に向けて礼を言う。
「別に構わんさ。それより、そんなに慌てて何を持って来たんだ?」
新好地はニニマの手元に視線を落としながら問う。ニニマの手には、大きなバスケットが提げられていた。
「お弁当です。良かったら皆さんで食べてください」
「マジかよ、ありがたい。サンキュー嬢ちゃん」
礼の言葉を発しながら、新好地はニニマが差し出したバスケットを受け取った。
「いえ、皆さんには色々助けていただきましたから。もっと他に何かできればよかったんですけど……」
「そんな事――いや、それなら今度また、飯を作ってくれないか?」
申し訳なさそうに言葉を言葉を零したニニマに、新好地はそう発した。
「え?」
「嬢ちゃんの飯はうまかった。またなんかの用でこの町に来る事もあるかもしれない。その時に、な?」
新好地はその中性的で整った顔に、温かな笑みを浮かべてそれをニニマに向ける。
「――はい!」
それに対して、ニニマも笑みを作って返す。彼女のそれは、集落で出会って以来初めて見せた満面の笑みで会った。
「よし、各員乗車だ」
二人のやり取りを見守っていた河義が、指示の言葉を発する。そして指示の言葉を受けて各員は指揮通信車へと搭乗してゆく。
《発進します》
各員が搭乗を終えたことを確認した、操縦手の鬼奈落が発し、そして指揮通信車のアクセルを静かに踏む。指揮通信車はエンジンの唸り声をより大きくし、ゆっくりと走り出す。
「それじゃあ元気で!」
「またどっかでなー!」
ハシアが別れの言葉と共に片腕を掲げ、アインプは溌溂とした動作で両手を振るう。
「お気を付けて!」
「嬢ちゃん達も、元気でな!」
ニニマも別れの声を上げ、新好地が車上からそれに返す。他の各員も別れの挨拶を送るハシア達やニニマ達に手を振り返す。そして彼等の見送りを受けながら、偵察隊を乗せた指揮通信車はフレーベル邸を、そして月橋の町を後にした。
「……さてと、出来る限り早く、薬の対抗策をみつけなきゃね」
「僕等は、ガティシア達が来るまでに、次の旅の準備を整えなくちゃ」
偵察隊を見送った各々は、それぞれの次の行動へと移ってゆく。
フレーベルは、ヨシと気合を入れながらフレーベル邸へと戻って行き、ハシアとアインプは次の旅の準備のために、町へと繰り出してゆく。
「……」
しばらく指揮通信車の去った方向を見つめていたニニマも、やがてフレーベルを追って身を翻す。
「……~~」
そして彼女は歌を口ずさみだす。それは、この町までの道中で、新好地と共に歌った歌であった。
東方面偵察隊は月橋の町を発ってから丸一日を掛けて帰路の行程を消化し、日が暮れる直前に野営地への帰還を果たした。
野営地は偵察隊が離れている間に、強固な陣地へと姿を変えていた。高地の頭頂部周辺には塹壕が張り巡らされ、現在も施設作業車と施設科隊員が、木材と土を用いた簡易トーチカを構築している様子が見て取れた。
「剱達は、もう帰って来てるようだな」
そんな強固な陣地と化した野営地内を進む指揮通信車の車上で、制刻が呟く。制刻の視線の先には、高地の頭頂部に立ち並ぶ天幕の群れと、その脇に停められた高機動車の姿があった。北西方面偵察隊は、東方面偵察隊よりも一足早く、昨日の夕方には野営地への帰還を果たしていた。
指揮通信車はその天幕群へと接近し、高機動車の隣に車体を着けて停車する。天幕群の前には、偵察隊を出迎える井神一曹と帆櫛三曹の姿がある。河義は指揮通信車から降車すると、井神の前へと立ち、彼に向けて敬礼をした。
「報告します。東方面偵察隊、帰還しました」
敬礼の動作と同時に発した河義に、井神も敬礼を返す。
「長旅ご苦労。道中色々とあったようだが、無事に帰って来てくれて何よりだ。できれば休んでくれと言いたい所だが――」
井神の言葉の先を察し、河義がその言葉の先を口にする。
「えぇ、装備の返納や調達した物資の積み下ろし――そして何より、報告しておきたい事があります」
「すまんな。帆櫛三曹、主要隊員を集めてくれ」
井神の言葉に帆櫛は「は」と返事を返して駆け出してゆく。
「じゃあ、各作業はこっちでやっておきます」
「すまない、頼む」
指揮通信車の車上からの矢万の言葉に河義は返す。
「制刻と新好地は一緒に来てくれ」
「いいでしょう」
「了解です」
そして報告に必要な人員をピックアップし、河義等は指揮所用の業務用天幕へと向かった。
指揮所用の業務用天幕に基幹隊員が集まった。ただ、現在は各種作業に当たっている隊員も多く、その数は以前のミーティング時よりも少なめだ。そんな中で、河義により偵察行動中に遭遇した出来事に関する報告が行われた。
「――と、私達の偵察行動での報告は以上になります」
「また、信じがたい体験をしてきたな」
井神は長机の上に置かれたタブレット端末に目を落としながら呟く。タブレット端末の画面には、集落で遭遇したゾンビ達の様子を収めた動画映像が流されていた。
「ゲームとかの映像ならともかく、これが現実の光景だっていうんだから、背筋の寒くなる話だな……」
井神の横から、タブレット端末を覗き込んでいた小千谷が呟く。
「その研究者の方には、なんとしても解決策を見つけてもらいたい所だな」
そう発した井神は、タブレット端末の画面をタップして動画を止めると、顔を起こして河義等の方を向く。
「こんな異常な事態に遭遇しながら、よく物資の調達してきてくれた。さらに、こちらで使える資金を確保できた事も大きい。皆、よくやってくれたな」
「それに関しては、ハシアさん達のおかげです。彼等にも色々と助けられました」
「そうだな、彼等にも感謝しなければ」
そう発した井神は、そこで「さて」と言葉を区切り、その場に集った皆を見渡して次の言葉を口にし始める。
「では報告も聞き終えた所で、次の案件に移ろう」
井神は言うと同時に、テーブルの端に立つ鷹幅に視線を移す。視線を受けた鷹幅は、小さく頷き口を開いた。
「はい、昨日の報告でもお伝えした通りですが、私達は木漏れ日の町で、この五森の公国の姫君と接触しました」
「姫?」
「ほぅ」
鷹幅の言葉に、その事を始めて聞かされた河義や制刻は言葉を零す。
「彼女等からは、昇林町での件についての謝礼と、物資の提供を受けました。そしてもう一つ――現在国は解決に急を要する事態を抱えており、私達は彼女から、それを解決するための協力要請を受けました」
「国境の砦に立て籠もる、反政府一派の鎮圧――だったよな?」
小千谷の言葉に、鷹幅は「はい」と行程してから言葉を続ける。
「先にお話しした魔王とその軍勢による各地への侵攻。それに応戦するため、この世界の各国は多くの戦力を派兵しているようですが、この国も例外ではないようです。その影響で、今回の事態を解決するための兵力の招集が、思うように進んでいないとのことでした」
「そこで、我々の存在と、町での山賊への対応での実績を知り、協力を要請して来たというわけか」
鷹幅の説明を聞き、井神は呟く。
「何か……この国に居座るなら、それ相応の態度を見せろ、と言われているようだな……」
そこで河義が発した言葉を、しかし鷹幅は否定する。
「いや、その姫様は、すでに私達がこの地に留まる事を認めてくれている。彼女達は、純粋に私達の助けを必要としているんだ」
「そいつぁどーですかねぇ?」
鷹幅が発した直後、別の声が割り言った。その声の主は竹泉だ。
「竹泉二士」
「ッ……またお前か……」
響いた竹泉の声に、井神が顔を上げ、鷹幅は顔を顰めて彼の方を向く。
「この国の奴等は、異邦人の俺等を体のいい使い捨ての戦力として利用しようとか、考えてるかもしれませんよぉ?例えそーじゃなくても、一度引き受けたら最後、それ以降もいいよーに利用されるかもしんねぇ」
「竹泉二士!根拠のない勘繰りで、不安を煽る真似は止めろ!」
竹泉に対して叱責の言葉を飛ばす鷹幅。
「だが、考えとくに越したこたぁねぇ話だな」
「制刻陸士長!」
しかしそこで制刻が、竹泉の意見を推す一言を零し、鷹幅は今度はそちらへ咎める声を発する。
「まぁそう怒るな、鷹幅二曹」
「しかし……」
「確かに竹泉二士の考えも、分からないではない。だが残念な事に、我々は流浪の民も同然の状態だ、取れる選択肢はあまり多くは無い。その上で、今回持ち掛けられた支援の話は、悪くない物だと思っている。例え、いくらか行動で対価を払わなければならないとしてもな」
井神は、皆に向けて説くように発する。
「しかし……良いのでしょうか……?今回の件を引き受ければ、他国の軍事行動に参加する事になってしまうのでは……?」
そこへ懸念の声を発したのは、井神の横に控えていた帆櫛だ。
「今回の案件は、民間人が人質になっていると聞いている。前に、復興支援に赴いていた部隊が、テログループの大使館立て籠り事件で、人質となった他国の国民を助けた事例があっただろう?」
「あぁ、中東で〝中央緊急展開連隊〟が対応した事例ですね」
彼等の元居た世界での日本国隊は、邦人ではない外国の国民を、立て籠り事件から救出した事例が過去に存在していた。井神はその事例に当てはめ、今回持ち掛けられた件も、隊の行動の範疇内である事を各員に説いて見せた。
「それを踏まえて、私は今回の要請を受け入れたいと考えているが――どうだろう、意義のある者は?」
「えぇ、上官の言う事に意義なんぞごぜぇませんよ。あぁこれで今後、ズルズル面倒に引き込まれて行くのが目に見える」
井神の言葉に、竹泉だけはそんな皮肉気な台詞を発したが、それ以外の各員から意義の上がる様子は無い。先に井神が言った通り、自分等の取れる手段は限られているのだ。
そして一部の隊員が皮肉気に発した竹泉に険しい視線を向けたが、当の竹泉はどこ吹く風といった様子で、それを流していた。
「よし。では我々日本国隊は、この五森の王国からの支援要請を受け入れ、部隊を編成して派遣する事とする。編成は後ほど行い、該当隊員に通達する」
井神はそう発して一度言葉を区切り、一息置くと、次の案件について話し合うべく再び口を開いた。
「で、もう一つの案件だ。河義三曹、東方面偵察隊は、偵察行動の際に石油の存在を確認したそうだな?」
井神の問いかけに、河義はコクリと頷き、そして言葉を発し始める。
河義は偵察行動の途中で世話になったフレーベル邸で、原油が資源として用いられていた光景を見た事。そして隣国、月詠湖の国で原油の採掘が行われている地がある事を説明した。
「んで、端的に言います。その原油を抑えに行く許可を貰いたい」
そこで制刻が河義の言葉に割り込み、やや不躾な口調で井神に訴えた。
「抑えにって……制圧でもしに行く気か……」
制刻の物騒な物言いに、隣にいた鳳藤が呆れた口調で呟く。
「まぁ、言わんとすることは分かる。その原油の採掘を行っている所と接触し、資源の提供をいただけないか、交渉を試みたいと言うのだろう?」
「まぁ、そういう事です」
井神の解釈を肯定した制刻に、しかし鳳藤は「本当にそう思ってるか?」とでも言いたげな懐疑的な顔を向ける。
「ですが問題があります」
そこへ河義が言葉を発した。
フレーベル邸で使用されていた物は、精製のされていない原油状態の物であった。例え原油が確保できたとしても、精製の手段が見つからなければ、隊はそれを物資として使用する事はできないのだ。
「精製か――それは大きな壁だな……」
「この世界に、そのような技術があればいいのですが……」
井神と河義はそれぞれ呟き声を零す。
「一応、原理だけなら分からねぇでもねぇですがねぇ?」
そんな元へ声が割り込む。それは竹泉の物であった。
「竹泉?」
「俺と多気投はハワイの大学にいた時に、石油精製の簡易実験をした事がありましてねぇ。簡単な精製装置の仕組みなら理解してます。ま、最もその装置そのものがそっちで作れっかどーかは、甚だ疑問ですがね?」
「それは――本当か?」
「こんな状況でホラ吐く程、アホじゃあありゃあせん」
井神の問いかけに、竹泉は相も変わらずの不躾な態度で答える。
「その装置作成に必要な物は?」
「基本的にはガラス器具になりますねぇ。フラスコにビーカー、蒸留塔の代わりんなる蒸留管エトセトラ」
竹泉の言葉を聞いていた河義は、顎に手を当てて思い出すように発する。
「確かフレーベルさんのお宅で、そういったフラスコ等のガラス製の実験器具が使われているのを見ました。ガラス器具等の加工技術は、この世界にもあるようです」
「では精製法をこちらで再現し、燃料類を確保することも、不可能ではないかもしれないな」
「あるいは、そういった器具が出回っているのなら、それらを用いた精製技術も、存在しているかもしれません」
井神と河義は推察の言葉を交わし合う。
「しかし、待ってください――」
だがそこで言葉を割り入れる存在があった。鳳藤だ。
「失礼ですが……ここまでの話はあくまで仮定に過ぎず、確証はありません。その低い可能性のために、部隊を動かそうと言うのは、いささか早計なのでは……?」
燃料確保に関する一連の話に、懐疑的な声を上げる鳳藤。
「いや、むしろ早ぇ方がいい」
しかしそこへ制刻が言葉を発した。
制刻は、この世界は現在動乱の中にあり、自分等は今後確実に面倒事に巻き込まれて行くだろうと話す。そしてそんな中での現在の自分等の強みの一つは、自動車化、機械化されてる事だと発する。だが、その優位性には燃料という制限が付き纏う。そして燃料が底を付き、その優位性を失えば、100名強の温室育ちのも同然の自分達は、塵も同然だろうと言って見せた。
「温室育ちねぇ」
そのワードを耳に留めた竹泉は、制刻の常人離れした外観をしげしげと見ながら呟く。
「俺等が塵とならねぇためには、力を維持し続ける必要がある」
そしてそのためには、まず十分に動ける今の内に、力の根源の一角である燃料の確保に乗り出すべきだと制刻は鳳藤に、そして周囲に言って見せた。
「俺は、制刻の意見を推そう。燃料問題は、遠くない将来にぶち当たる問題だ。解決の可能性があるのならば、それに乗り出すのに早くあるに越した事は無い――燃料に関する調査部隊を、先の派遣部隊とは別に編制しよう」
井神はそこで一度言葉を切り、そして締めの言葉を発する。
「今日はもう遅い。具体的な編成、行程の考案等は明日以降とする。各員、特に東方面偵察隊の人員は、十分に休養を取ってくれ。――解散」
東方面偵察隊が町のフレーベル邸に到着してからおよそ二時間後。
制刻や河義等は借り受けられる事になった一室の掃除をようやく終えた所であった。
「でぇぇ……!」
新好地がヘトヘトだといった様子で、近くにあった椅子に座り込む。
「これで、寝泊りが出来る空間は確保できたか……」
「カオスな空間だったな」
河義は新好地同様に疲れた様子で呟いたが、制刻だけは特に変化を感じさせない淡々とした口調で発した。
「嬢ちゃんの前で悪いが……片づけられない人間の家だぞこれ」
「たぶん、それで合ってます……」
失礼を承知での新好地の発言に、しかし皆と同様に疲れた様子のニニマは、同意の言葉を返した。
「戻りましたー」
そこへ、玄関扉が開かれると共に声が響いた。そして矢万や鬼奈落等と、ハシア達が室内へと姿を現す。剣鱗蛇の体の換金のために町へと赴いていた組が帰って来たのだ。
「矢万三曹、ご苦労だった。資金調達は、うまく行ったか?」
「えぇ――まぁ」
河義の言葉に、矢万は少し困惑した様子で返す。
「どうした、ひょっとしてダメだったのか?」
「いえ、その逆です」
心配の表情を作った河義に、矢万はそれを否定しながら、その手に持っていた袋を、近くにあったテーブルへと置き、封を開けた。その袋の中には、大量の硬貨が詰まっていた。
「わっ……!」
それを見たニニマが、驚きの声を上げる。しかしそれ以外の各員は、それが大金と言うことはなんとなく察せたが、具体的な価値がピンと来ずに、訝し気な視線を向けていた。
「これは、どれくらいの価値になるんだ?」
「ハシアさんにお聞きした所、30万〝ヘイゼル〟という額になるそうです」
河義の尋ねる声に、鬼奈落が答える。
「さ、30万……!」
その額を聞き、ニニマは驚きの声を上げるが、他の各員は訝し気な表情のままだ。
「そんな聞いたことの無い単価で言われてもな……」
「姉ちゃん、この辺の一般的な年収はいくらぐらいだ?」
新好地は困惑した声で呟き、ニニマに向けて制刻が尋ねる。
「えっと、だいたい10万ヘイゼルくらいです……」
「……では、私達の世界感で換算すれば、低く見積もっても300万円程の価値があるという事か……」
「うへぇ……でかいマグロ釣っちまったみたいな値段だな……」
河義が計算して出した言葉に、新好地が溜息混じりの驚きの言葉を発する。そこでようやく各員に若干の驚きの表情が現れた。
「だが、俺等は100名以上いる。それを全部食わすとなると、決して多い金額じゃねぇな」
しかしそこへ、制刻が淡々と意見を発する。
「そうだな――それを考えれば、この資金で確保できるのは、数日から良くて数週間分の食糧といった所だろう。だが、こういった狩猟で資金が調達できると分かったのは大きいな」
制刻の言葉に河義も同調する。しかし同時に河義は、この世界における資金調達の有効な手段が見つかった事に、関心を寄せる言葉を零した。
「さて、この大金の分配はどうします?」
そして矢万が河義に尋ねる。
「そうだな――人数で割って、一人頭の割り当てを基準に計算するのが単純で分かりやすいか……」
「そうすると、私達7名にハシアさん達やニニマさん達を含めて、11人か」
「面倒ですね。俺等は6人分で計算して、一人頭30万にしちまいますか」
「そうだな――皆、異論は無いか?」
河義は隊員の各員に尋ねる。各員から異論の声は上がらなかったが、しかしハシアとニニマが戸惑った声で言葉を発した。
「いや、あの――ちょっと待ってくれないか……?」
「あ、あの……私達もですか……?」
「ん、ああ、お二人ともこの配当では意義がおありですか?」
二人の言葉に河義はそう言葉を返す。しかしハシアは河義の言葉を否定した。
「いや、違うんだ――剣鱗蛇でできた資金は全て君達の物だろう?僕達は受け取れないよ」
「そうです……私なんて何にもしてないですよ……?」
少々困惑しながらハシアとニニマは言う。
「いや、そういう訳にはいかないだろう?あの大蛇を仕留めたのはアンタ達だろ。それに姉ちゃん達にはこの家に一拍世話になるんだ」
「私達も、皆さんの強力の元でここまで辿り着きました。そして今日もお世話になることになる。そのお礼として、受け取っていただけませんか?」
新好地が発し、続けて河義がハシア達を説くように発する。
「……そうだね、君達の行為を無碍にするのも、逆に失礼かな……ニニマさん、ここは彼等の好意を受け取ろう」
河義等の言葉にハシアは折れ、そしてニニマに向けて言う。
「えっと……分かりました」
ニニマはまだどこか申し訳なさそうな様子だが、ハシアの言葉に同意の返事を返した。
「ありがとうございます、ハシアさん、ニニマさん」
「お、お礼まで言われるなんて、なんだかおかしな感じだよ……」
河義の礼の言葉に、ニニマはその整った顔に困惑の表情を作って見せた。
捻出できた資金の分配を無事に終え、偵察隊は取り分となった資金を持って、物資調達のために再び町へと繰り出した。
時刻はすでに夕刻に近づきつつあり、訪れた商店の並ぶ区画は、人で溢れていた。流石にその中を指揮通信車で割って突き進むわけには行かず、偵察隊は指揮通信車を商店区画付近の人通りの少ない場所に留め(それでもかなり悪目立ちしていたが)、各員は徒歩により、分担して商店区画内での調達作業に当たっていた。
一軒の野菜を取り扱ういわゆる八百屋に値する商店の前に、ニニマの姿がある。彼女は偵察隊の案内兼、自身の買い出しのために共に町に繰り出て来ていた。そして今は、商店の店番の娘から、商品である野菜を受け取っている。
「えーっと、セイベッジとケイティで17ヘイゼルだよ」
「はい。ありがとう、レーンちゃん」
ニニマは店番の娘に言われた額の硬貨を渡す。
「にしても驚いたよ。ニニマちゃん、二日前に帰ったはずだったのに、勇者様や噂の人達と一緒に現れるんだもん」
「い、色々あってね……」
町からの通達が行き渡ったのか、それとも噂が広まるのが早かったのか、偵察達の存在は、多くの町人が知る所となっていた。そして二人は揃って視線を横に向ける、彼女達の数歩分横では、商店に並ぶ商品を物色する新好地の姿があった。
「ん?嬢ちゃんの方は買い物終わったのか?」
視線に気づいた新好地は、商品の物色を止めて二人の傍へと歩み寄って来る。
「はい、必要なのはセイベッジとケイティだけでしたから」
「セイ?って、キャベツと人参か」
聞きなれぬ名に新好地は疑問の声を発しかけたが、ニニマが見せた買い物袋の中に入っている野菜類を見て、納得の言葉を零す。
「キャべ……?」
対して今度は、ニニマが不思議そうな言葉を零す。
「あぁ、俺達の国ではそう呼ぶんだ」
そんなニニマに、新好地は説明する。
「ふーん、聞いた事ない呼び方。格好も変わってるし、ホントに遠くの国の人なんだねー」
新好地の説明に、それを脇で聞いていた店番の娘が、間延びした言葉を零した。
「所で、おにーさんは何か買ってくの?」
「あぁ、日持ちする野菜や果物類を探してるんだ。それを、これ等に詰められるだけ詰めて欲しい」
言うと新好地は、両肩から下げていた四つの空の大型クーラーボックスを降ろして指し示す。そして支払い能力がある事を示すため、配られた資金の入った小袋の、その中身を空けて見せた。
「――え?」
唐突な大量買い占めの要求に、店番の娘は目を丸くした。
商店区画の外れに停められた指揮通信車では、制刻等が買い集めた物資食材の積み込み作業に当たっていた。
「あぁ、重てぇ」
制刻は塩漬け肉の詰まった大きな樽を、言葉に反し、片手でしかも軽々とした様子で指揮通信車に乗せている。
「片手で中身詰まった樽を持ち上げる人の台詞じゃないですよね」
そんな様子の制刻に、出蔵が感心4割、呆れ6割といった表情と口調で言う。
「よぉ、そっちも色々買い揃ったみたいだな」
そこへ声が掛かる。制刻等がそちらへ振り向くと、戻って来た新好地とニニマの姿が見えた。
「そっちもか?」
「あぁ」
制刻の言葉に、新好地は肩から下げたクーラーボックスの一つをパシパシと叩きながら返す。中身に大量の野菜類の詰まった大型クーラーボックスはそれなりの重量になっていたが、レンジャー資格を保有する新好地からすれば、それを四つ同時に下げる事も大きな問題ではないようであった。
「後は河義三曹と策頼待ちだな」
「そっか。しかし、やっぱりすごい量になったな」
新好地は、指揮通信車に視線を向けながら言う。指揮通信車の車上には、小麦などの入った袋類が大量に積まれ、指揮車内のスペースにも、許される限りの物資が詰め込まれていた。
「これでも十分とは言えねぇが、これ以上積むと、走行に支障が出るからな」
「トラックを連れて来るべきでしたね」
「今回は、偵察行動が主軸だったからな」
制刻と出蔵も積まれた物資を眺めながら、言葉を紡ぐ。
「そういや、出蔵は医薬品も見に行ったんだろ?そっちはどうなったんだ?」
「あぁ、それなんですけど……」
出蔵によれば、この世界は病気や怪我の直接の治療や、または薬の作成等も魔法に頼る部分が多く、元の世界や部隊で使用されているような医薬品などは、あまり手に入らなかったとの事だった。
「最低限の基礎的な物はあったんですけど、効果の強い医薬品は何か魔法の関わった得体の知れない物ばっかりで……」
「マジか……」
「医薬品は備蓄が結構あるから、しばらくは大丈夫なんですが……この辺りの件は、持ち帰って重田一曹や皆さんに相談したいと思います」
普段のお気楽な調子と違い、少し考え込むような様子で言う出蔵。
やがてそこへ河義等も戻り、偵察隊はフレーベル邸へ戻る事となった。
同時刻。
「なんだそりゃ?つまり、この国の面倒事を俺等が片づけなきゃなんねぇって事かよ?」
木漏れ日の町の城門前で待機していた高機動車の前で、竹泉は不服さを隠そうともしない声を上げた。竹泉の視線のすぐ先には、鷹幅達の姿があり、さらにその背後には物資が満載された馬車が停まっている。
鷹幅達は謝礼にと約束された物資と共に戻り、この国の姫と接触した事、そして彼女達から協力を求められた事を、竹泉等に説明した所であった。
「そうじゃない、彼女達は私達に助けを求めて来たんだ」
「どぉーですかねぇ?口ではか弱い事言っときながら、本心では物資援助をチラつかせて俺等を釣って、ノコノコ現場に現れたら体よく肉盾として利用しようとか、考えてるかもしれませんよぉ?」
鷹幅の言葉に、しかし竹泉は皮肉気な口調で、もしもの展開を予測した言葉を並べる。
「竹泉二士、口を慎め!それは彼等の好意を無碍にし、侮辱する発言だぞ」
「俺ぁ、あくまで最悪の事態をシュミレートして進言しただけでごぜぇますがね?」
竹泉の発言に鷹幅は彼を叱りつける言葉を上げるが、対する竹泉は五森の公国側を疑ってかかる態度を崩さない。
「はぁ、もういい。どうするかは私達ではなく井神一曹達が判断する事だ。私は無線で一方を送る、その間に提供いただいた物資を高機動車に移しておくんだ」
鷹幅は竹泉に命ずると、彼の脇を抜けて高機動車に積まれた無線機へと向かった。
「竹泉ー、いくらなんでも疑い過ぎじゃないか?ここの人達、そんな悪い人達には見えなかったぜ?」
「あぁ。鷹幅二曹の言った通り、必要以上の勘繰りは、ここの人達に対する侮辱となるぞ」
二人の会話を後ろで聞いていた樫端と剱が、竹泉にそんな言葉を投げかける。
「よぉお二人さん。竹しゃんは、どんなケースも最悪の事態を想定しないと気が済まねー性質なのさ。それに加えて、竹しゃんはこのファンタジーな世界とちこーと愛称が悪ぃみてぇでな、若干ご機嫌斜めなのさ」
言葉を投げかけて来た剱と樫端に、多気投は竹泉を一瞥して茶化すように発した。
「うっせぇ、ほれ二曹殿のご命令だ。この頂いちまったブツをとっとと運んじまうぞ」
「――以上が、道中で起った事の大まかな所です」
フレーベル邸前へと戻って来た指揮通信車の内部で、河義は無線通信により野営地との交信を行っている。無線の向こうの相手は井神であり、今しがたここまでの行程中に起こった出来事を、説明し終えた所であった。
《ふむ、成程。聞く限りは信じがたい事ばかりだな》
「そいつぁ、俺等もです。だが今、河義三曹がいったトンデモ出来事は、全部まぎれもねぇ事実です」
井神の寄越したその言葉に、河義の背後に立っていた制刻が割り込み、無線に向けて声を発する。
《あぁ、何も君達を疑っている訳ではない。この世界では、我々の想定を超えた事態が、平気で起るのだろう。その中で、無事目的地に辿り着けた事は、よくやってくれたと思っている》
「ありがとうございます。――所で、鷹幅二曹達の方からは、何か報告がありましたか?」
井神の評する言葉に礼を返した河義は、続いて北西方面偵察隊の同行について尋ねる。
《あぁ、向こうからも先程報告があった。なんでも、物資の確保には成功したが、一緒に案件を持ち帰って来るそうだ》
「案件、ですか?」
《詳しい事は直接、帰還したら話そう。そちらは、今は無事に帰って来る事に専念してくれ》
「分かりました。では、これにて報告を終わります」
通信を終え、河義は後部ハッチを潜って指揮通信車を降りる。
「剱達は、厄介ごとを見つけて来たよぉですね」
「みたいだな」
制刻と河義は言葉を交わしながら、視線を横へと移す。
視線の先では、矢万や鬼奈落が、指揮通信車への燃料補給作業を行っている姿があった。今は鬼奈落がジェリカンを持ち上げて傾け、指揮車のタンクに燃料を注いでいる。
「矢万三曹、燃料はどうだった?」
「あぁ、河義さん。メーターを見たら、半分以上減っていました。それなりに長い行程でしたし、山越えまでしましたからね……」
尋ねて来た河義に、矢万が答える。
「燃料にはいくらか備蓄はあると聞いていますが、今回のような行程が今後も続くと考えると、あまり楽観視はできませんね」
そして燃料を全て注ぎ終えた鬼奈落が、ジェリカンを地面に置きながらそんな言葉を発する。
「燃料か――こっちの世界で、調達できりゃぁいいんだがな」
発した制刻、河義等の視線が集中する。
「流石に、そんな都合よくはいかないんじゃないか?食い物とは違うんだ」
「失礼ですが、この世界の文明レベルを見るに、難しいでしょうね」
そして制刻に向けて、矢万と鬼奈落が発する。
「いや、この世界の環境は地球に類似してる。完成されたガソリンや軽油類は無くとも、原料となる原油はきっとあるはずだ。それと加工する手段を見つけられりゃ、望みはある」
「簡単に言うがな……」
制刻の説明に、しかし矢万は難しい顔で返す。言葉にするのは簡単だが、実際にそれを実現するにあたっては、多くの問題がある事は明白だった。
「だが、今の状況がいつまで続くとも分からない……錡壽の言う通り、近いうちに何か対策を取らなければならないだろう」
難しい顔を作る矢万や鬼奈落を前に、しかし河義は制刻の意見を推す言葉を発する。
隊が燃料に関する問題を抱えている事は、皆分かっていた事ではあった。しかし、いざ実際にそれを解決する策を考えてみれば、そのハードルは高く、各員の顔は渋い物となった。
「あの、みなさ――」
そんな所へ、フレーベル邸の玄関からニニマが姿を現す。各員へ声を掛けようとしたニニマは、しかし各員が険しい顔をしている事に気付き、その言葉を詰まらせた。
「ど、どうしたんですか?皆さん怖い顔になってますけど……」
そしてニニマはおっかなびっくりと言った様子で発する。
「だってよ、制刻」
そんなニニマの言葉に、矢万は特に歪な顔立ちをしている制刻に向けて、茶化す言葉を発する。しかし制刻はそれを特段相手にせずに、ニニマに向けて口を開いた。
「どうした、姉ちゃん?」
「あ、あの――夕食の用意ができたので、皆さんを呼びに来たんですけど……」
遠慮がちに言ったニニマに、河義が少し驚いた声を上げる。
「私達の分まで、用意していただいたんですか?」
「も、もちろんです。皆さんはお客さんですし、なにより恩人ですから。私にはこれくらいしかできないのが、申し訳ないんですけど……」
申し訳なさそうに言うニニマだが、大して矢万達は険しかったその顔を、明るい物へと変える。
「とんでもないぜ。河義さん、ここは呼ばれるとしましょう。せっかく用意してもらった物を、無碍にするのは失礼でしょう?」
「今日も糧食かと思っていましたから、ありがたいですね」
そして矢万と鬼奈落はそれぞれ発する。
「――そうだな。ではニニマさん、本日はそちらのご厚意に甘えさせていただきたく思います」
「は、はい。えっと、こちらこそ……?」
河義の発した改まった言葉に、ニニマはぎこちない返事を返す。
そして矢万や鬼奈落、ニニマ達は、フレーベル邸へと歩み入って行く。
それに河義も続こうとしたが、そこで制刻が河義に声を掛けた。
「河義三曹。帰還したら、燃料の件の相談、忘れねぇよう願います」
「あぁ――承知しているさ」
ニニマの好意により振る舞われた夕食を終え、その片づけなどを終えた各員は、各々に割り振られたスケジュールの元に動き出した。
寝床こそフレーベル邸の一室という安全な場所が提供されたが、偵察隊は指揮通信車や各装備を安全のため夜を通して見張る必要があった。その夜哨の任にこれらか当たる者は、指揮通信車へと向かい、それ以外の隊員は体と装備を整え、そして休眠に入った。
それから2時間ほどの時間が経過した所で、最初の立哨の役割を終えた新好地と河義が、次の組と交代して、フレーベル邸のリビングへと戻って来る。
「やれやれ、終わったぜ――お?」
「やぁ、お疲れ様」
そんな河義と新好地に、労いの言葉が掛けられる、二人が視線向ければ、リビングのテーブルに付くハシアとアインプ、さらにニニマの姿がそこにあった。
「兄ちゃん達、それに嬢ちゃんも、まだ起きてたのか?」
そんなハシア達に新好地は尋ねる。時刻は、少なくとも隊員等の所有する時計で確認するか限りは、間もなく日付を跨ごうとしていた。
「うん、武器の手入れをしておかなくちゃならなくてね」
言いながら視線を手元に落とすハシア。ハシアやアインプの手には、それぞれが愛用する大剣や大斧があった。
「これが結構手間なんだー。でも、テキトーにするわけにはいかないんだよね」
「手入れの手間を怠れば、それが次の戦いで命取りになるかもしれない」
言いながらも、二人は武器の手入れを念入りに行っている。
「成程。そういった点は、私達もハシアさん達も同じですね」
ハシアのその言葉を聞いた河義は、自身が肩から下げる小銃を一瞥しながら呟いた。
「で、嬢ちゃんは?」
「私はお姉ちゃんを見てないといけなくて……」
ニニマ曰く、姉のフレーベルは一度火が付くと、何日も睡眠も食事も取らずに作業に没頭する事がザラにあるとのことであった。それを防ぐには誰かが割って入り、無理にでも休みを取らせる必要があり、ニニマはそのためにこの時間まで起きているそうだ。
「何か悪い事をしてしまいましたね……私達が例の薬を持ち込んだせいで、お二人に負担をかけてしまっている」
「あ、いえ、気にしないでください。こういうのは今回に関わらず、いつもの事なので」
謝罪の言葉を述べた河義に対して、ニニマは首を振ってそう発する。
「それに、あれはそもそもイロニスお姉ちゃんが生み出した物ですから……」
そしてニニマは声のトーンを落として、そう呟いた。
「しかし、お二人とも無理はなさらないでくださいね」
「なんかあれば、遠慮なく俺等を呼んでくれ」
そんなニニマに河義と新好地はそれぞれ言い、ニニマは「ありがとうございます」と静かに声を返すと、姉の夜食の準備があると言い、台所へと立った。
「――よし、終わったぁ」
少し暗くなりかけた空気を、次の瞬間そんな一言が破る。声の主はアインプだった。どうやら自身の大斧の手入れを丁度終えたようであった。
「こっちもだ」
続けてハシアも発し、手にしていたその大剣を鞘に納める。
「くぁ……ほんじゃ、悪いけど先に寝かせてもらおかな……?」
「アインプ、その前にインナーだけでも変えておいた方がいいよ。ここ数日で大分動き回ったし、替え時だろう」
小さな欠伸をしながら言ったアインプに、しかしハシアはそう促す。
「あ。そういや、俺も着替えたいと思ってたんだ」
そして二人の会話を聞いて、新好地も思い出したように発する。
「ああ、いいや。ここで脱いじまえ」
そして新好地はその場で上衣を脱ぐ。そして彼の、男としては若干華奢ながらも、バランスよく鍛え上げられた、インナーに包まれた上半身が露わになった。
「おい新好地。アインプさんもいるんだぞ……」
「あー、大丈夫。あたし気にしないよー」
河義が咎める声を上げるが、しかしアインプは平然とした様子で発する。
「旅の最中では、そういった事を気にしていられない場面も多いからね」
言いながらハシアも新好地同様に上衣を脱ぎ出していた。そして彼のインナーを纏った上半身が露わになる。そのインナー越しに浮かぶハシアの体躯は、一見新好地のそれ以上に華奢に見えたが、しかし鍛えるべき部分は鍛えられており、絶妙なバランスを保っていた。
「あの、皆さ――え?」
その時、台所側から声がする。見れば、台所に立っていたニニマが戻って来ていた。
「ら、ラクトさん、勇者様……!?」
そんな彼女は、リビングでの光景に顔を目の当たりにして、その顔を赤く染る。
「あ、すまん嬢ちゃん」
「ご、ごめんニニマさん。迂闊だった、見苦しい物をみせたね……!」
そんなニニマの心情を推察し、新好地とニニマは慌てて謝罪の言葉を述べる。しかし、当にニニマが次に見せた反応は、何か新好地達の想像とは違った物だった。
「だ、ダメですよお二人とも!か、カワギさんも、男の人もいるのにその前で着替えなんて――」
「……ん?嬢ちゃん何言ってんだ?」
ニニマの予測に反した不可解な反応に、新好地は疑問の声を浮かべる。
「何って――え、あれ……?」
それに対して発しかけたニニマは、しかしそこで何かに気付いたように表情を変える。そして次の瞬間、彼女は驚くべき一言を発した。
「ら……ラクトさんと勇者様って、男の人だったんですか!?」
「……は?」
「え?」
ニニマの一言に、新好地とハシアは何を言われたのか分からないという、呆けた顔を作る。そして少しの間、リビングに沈黙が訪れる。
「――ぶっ、あははははッ!」
その沈黙の破ったのは、アインプの笑い声だった。
「え、まさか俺達の事……」
「は、はい……ラクトさんも勇者様も、ずっと女の人なんだと思ってました……」
そして新好地の言葉に、ニニマは未だ驚き冷め止まぬといった様子で発した。
「俺、ずっと自分の事〝俺〟って言ってたよな……?」
「ぼ、僕も……」
「そ、そういう女の人なのかな、って……。その、二人とも綺麗なお顔なので……」
言葉の最後に苦し紛れのフォローを入れるニニマ。確かに二人はどちらも、女と見紛わんばかりの整った顔立ちをしている。しかし、一応の誉め言葉ではあるものの、言われた当人達は大変複雑な気分であった。
「あは、あははは!――やっぱりハシアって女の子にしか見えないよね、ニニマちゃん?あたしも初めて会った時は正直、世間知らずのお嬢様が、ガティシアやイクラディ達美青年を侍らせて旅をしてるんだと思ったもん」
アインプは腹を抱えて笑いを堪えながら、彼女が初めてハシアと出会った時の事を話して見せる。
「アインプ――」
そんなアインプを、ハシアはすごみを利かせて睨みつける。
「ゴ、ゴメンゴメン――くくく……!」
しかしアインプは謝りながらも、ハシアの肩に顔を埋めて未だに笑いを堪えていた。
「そ、その――ごめんなさい……」
「まぁ、あまり気にするな新好地……」
一方でニニマは戸惑いながら二人に謝罪し、河義は新好地にそんな言葉を掛ける。
「いや、まぁ……俺は別にいいんですけどね?」
そんな河義とニニマに、新好地は気にしてはいない旨の言葉を発する。しかしその後に彼は、「そんなに女顔か……?」と呟きながら、自身の顔に手を当てた。
新好地達に関わる一問答が終わり、それから4時間ほどの時間が経過。
偵察隊が借り受けたフレーベル邸の一室で、控えめなアラーム音が鳴り渡る。
「時間か」
そのアラームに目を覚まされ、横になっていた制刻がその体を起こした。
制刻は音の発生源である携帯端末を手に取り、端末を操作してアラームを止める。そして敷布団代わりにしていた寝袋から立ち上がり、部屋を出る。
「ふぎ~……自由さん、お早うございます……?」
そこで丁度隣室から出て来た出蔵と鉢合わせる。彼女は眠気が覚めないのか、緩慢な口調で制刻に、時間帯的に正しいのか怪しい挨拶を発する。二人はこれから前の組と交代し、指揮通信車と装備の立哨に付く事となっていた。
「大丈夫か、お前ぇ」
「夜中に起きるのはキツイです~……」
会話を交わしながら二人はリビングに出る。
「おろ?どしたの」
二人がリビングに出た所で、声が掛けられる。リビングには、この家の主であるフレーベルがいた。彼女は椅子に座り、カップに注がれた夜食であるスープを口にしている。
「立哨の交代の時間だ。あんたは、今までずっと作業をしてたのか?」
「うん。本当はもう少し進めたい所だったんだけど――ニニマちゃんに今日はもう止めろって、怒られちゃってさ」
フレーベルは困り笑いを浮かべながら言う。
「それがいいですよ。夜は本来、しっかり寝るべき時間です――」
そんなフレーベルに出蔵は欠伸を噛み殺しながら発する。
「あはは、そうだね。ただ、今回は事が事だし……」
フレーベルは言いながら、カップの中身に視線を落とす。どうやら今解析している薬の元凶たる、姉の事を思い浮かべたらしい。
「――まぁ、思う所はあるだろう。だが、あんたがぶっ倒れちゃぁ、それこそそっから足踏み状態になる」
「ふぁ~……自分の体も大事にして下さいね?」
そんなフレーベルに、制刻と出蔵はそれぞれ言葉を掛ける。
「ん――だね。ありがと」
その言葉にフレーベルは礼を返した。
「おっと、灯りが……」
その直後、フレーベルはテーブルの上に置かれたランプの灯が、弱まりかけている事に気付いた。彼女は立ち上がって近くの棚へと向かう。
「あちゃー、植物油切らしちゃってる。じゃあ、こっちを使うか」
棚の前で呟いた彼女は、そこから何かを取ると、テーブルへと戻って来る。彼女の手に持たれていたのは、何か黒い液体の入った瓶だった。
「――ん?」
それに気づいた制刻は、訝しむ声を上げる。
フレーベルはランプの火屋と瓶の栓をそれぞれ開けると、瓶の中身の黒い液体を、小さく火の灯るランプの油皿へと移す。するとその直後、消えかかっていた火は、再びその勢いを取り戻した。
「よしっと」
フレーベルは一連の作業を終えると、ランプを元に戻して、瓶を片づけようとする。
「ちょい待った」
しかし、制刻がその行動を差し止めた。
「え?何?」
「姉ちゃん。悪いが、ちょっとその黒い液体を見せてくれるか?」
「え?〝地下油〟を?」
フレーベルは不思議そうに発しながらも、地下油という名らしきその液体が入った瓶を、制刻に差し出す。制刻は瓶を受け取ると、まず瓶口付近を手で扇いで臭いを確かめる。次に瓶を傾ける、軽く揺らす等して、液体の状態を確かめた。
「黒くて粘り気がある。それに微かな硫黄の臭い――こいつぁ原油だぞ」
「え!?」
そして制刻の言葉に、横で寝ぼけ眼に様子を眺めていた出蔵も、そこで初めて目を見開いた。
「姉ちゃん、こいつをどこで手に入れたんだ?」
「んん?その地下油なら、知り合いの商店でもらったものだよ。今みたいに、普段ランプで使ってる植物油を切らしちゃってて、そういう時に代わりにその地下油を使ったりしてるの」
フレーベルはそんな説明をしてみせる。
「その商店――いや、この地下油ってのは、どこで採掘されてるんだ?」
「さ、採掘?」
制刻のさらなる質問に、さすがにそんな事を聞かれるとは思っても見なかったのか、フレーベルは少し戸惑う声を上げる。
「うーん、流石にそこまでは分かんないけど……その知り合いの商店の人は、〝荒道の町〟で商品の取引をしてるって聞いたから、その辺りじゃないかな?」
「荒道の町?」
フレーベルの説明中に出て来た新たな町の名に、出蔵が首を傾げて疑問の声を上げる。
「この辺――〝月流州〟の東側、隣国の〝紅の国〟との国境付近にある町だよ」
「月流州……紅の国……」
フレーベルはさらに説明して見せるが、当然のことながら出蔵等はこの近辺の地理に明るくは無い。出蔵はさらに登場した地名の数々に、余計に首の傾きを増す事となった。
「地理に関しちゃ、後ほど調べるとしよう。とりあえずは、明日朝一で河義三曹に相談だ。それと、その商店に詳細の確認に行ったほうがいいな」
「……そうですね」
制刻の発案に、出蔵は寝起きでうまく働かない頭で物を考えることをやめて、同意の言葉を発した。
「姉ちゃん、明日んなったらでいい。その店を紹介してもらえるか?」
「ん、いいよ」
「ありがとよ。悪かったな、休憩中に色々と尋ねちまって」
フレーベルに礼を言うと、制刻と出蔵は今からの役割である、立哨のためにリビングを後にした。
翌朝。
東方面偵察隊は帰路につくための準備を始めていた。フレーベル邸の外に停められた指揮通信車では矢万や鬼奈落が、調達した物資類がきちんと車体に固定されているかの確認作業を行っている。
その一方で、フレーベル邸のリビングでは、河義とフレーベルがテーブルの上に置かれたこの世界の地図に目を落としている。この地図は、昨日物資調達に合わせて購入された物だ。偵察隊はこの地図の他にも、有用と思われるいくつかの書物を購入していた。
「ここが荒道の町ですね?」
「うん、そう」
河義が地図の一地点を指先で指し示しながら尋ね、フレーベルはそれに肯定の言葉を返す。河義は今朝がた、制刻等から原油関わるに一連の報告を受け、今はフレーベルにその原油が調達されたと思しき、〝荒道の町〟の具体的な所在地について、確認を取っている所だった。
「馬を使っても、だいたい3~4日くらいはかかるよ」
「結構な距離があるな……」
フレーベルの言葉に、河義は呟く。その荒道の町は、偵察隊の現在地である月橋の町から見ても、近いと言える距離には無かった。
「戻りました」
そこへフレーベル邸の玄関が開かれ、制刻が姿を現した。
制刻は、昨晩フレーベルの話にあった、原油を譲ってもらったという商店に詳細を訪ねに行っていた。その制刻が戻った事に、河義は顔を上げる。
「どうだった?」
「当たりです。話によると、原油はその荒道の町の近くで採掘された物のようです」
河義の問いかけに、制刻はそう答えた。
「そうか。まさか、こんな形で石油が見つかるとはな……」
河義はテーブルの上に置かれた、原油の詰められた瓶に視線を落としながら言う。
「話を挟んで悪いけど、地下油がそんなに重要なの?」
「えぇ――私達にとっては、重要な物資と成りえる物なのです」
疑問の声を向けて来たフレーベルに、河義が答える。
「というか、こっちじゃ重要視されてねぇのか」
そこへ制刻が尋ねる。
「うーん、私が知る限りではね。私も薬学以外の分野はからっきしだから、はっきりした事は言えないけど――」
フレーベルの話によれば、少なくともこの近辺地域.において原油は、あまり重要視されている資源ではないらしい。火を灯す際の油の一種として補助的に使われたり、加工された物が詰め物として使われている程度、とのことだった。
「そいつぁ、俺等にとっては、好都合かもしれねぇな」
フレーベルの話を聞いた制刻は発する。
「だが、制刻――どうやら、その町まで結構な距離があるようだ。そこへ向かう許可が下りるかどうかは、分からんぞ」
「でしょうね。まぁ、ブツの在り処が分かっただけでも収穫です。後の事は、戻ってから相談しましょう」
東方面偵察隊は準備を整え終え、いよいよフレーベル邸を、そしてこの月橋の町を発つ事となった。指揮通信車の車長である矢万や、操縦手である鬼奈落等の一部の隊員は、すでに搭乗を終えており、指揮通信車はエンジンを始動させて低い唸り声を上げていた。
その指揮通信車の横には、見送りのためにその場に立つフレーベルやハシア達の姿があった。そして河義や制刻、新好地等がそんな彼等と相対していた。
「フレーベルさん、私達を宿泊させていただき、ありがとうございました。それと薬の件に関しましては、どうかよろしくお願いします」
「任せといて。えっと、君達は五森の公国の芽吹きの村の近くに陣を張ってるんだったよね?薬の解析が終わって、対抗策が発見出来たら、君達の所へも便りを出すよ」
河義の言葉に、フレーベルは自らの胸を叩いて答えて見せる。
「ハシアさん達も、色々とありがとうございました」
続けて河義はハシア達に顔を合わせて言う。
「とんでもない。しつこいかもしれないけど、僕らの方こそ本当に君達には助けられた。僕らはガティシアとイクラディとの合流のために、まだこの町に滞在するから、ここでお別れになるけど――」
「たぶん、またどっかで会いそうな気がするな」
ハシアの言葉の続きを制刻が発し、ハシアは「だね」と笑顔を作ってそれに返した。
「……そういや、嬢ちゃんはどうした」
一方で、新好地はニニマの姿がその場に見えない事に、周囲を見渡しながら疑問の声を発する。
「んー?ニニマちゃんなら、なんか朝から台所に籠ってるみたいだったけど……?」
新好地の言葉に同じく疑問の声で答えながら、フレーベルは背後にあるフレーベル邸の玄関へ振り向く。玄関扉が開かれ、ニニマがそこから姿を現したのは、その瞬間だった。
「皆さん!良かった間に合っ――きゃっ!」
慌てた様子でパタパタと足音を立てて出て来たニニマは、そのせいか足をもつれさせて転倒しかける。
「おっと」
しかし彼女は幸いにして、その先にいた新好地の体へと倒れ込み、彼に体を支えられた。
「ご、ごめんなさい……!」
新好地の助けを受けて体勢を立て直したニニマは、顔を赤らめながら彼に向けて礼を言う。
「別に構わんさ。それより、そんなに慌てて何を持って来たんだ?」
新好地はニニマの手元に視線を落としながら問う。ニニマの手には、大きなバスケットが提げられていた。
「お弁当です。良かったら皆さんで食べてください」
「マジかよ、ありがたい。サンキュー嬢ちゃん」
礼の言葉を発しながら、新好地はニニマが差し出したバスケットを受け取った。
「いえ、皆さんには色々助けていただきましたから。もっと他に何かできればよかったんですけど……」
「そんな事――いや、それなら今度また、飯を作ってくれないか?」
申し訳なさそうに言葉を言葉を零したニニマに、新好地はそう発した。
「え?」
「嬢ちゃんの飯はうまかった。またなんかの用でこの町に来る事もあるかもしれない。その時に、な?」
新好地はその中性的で整った顔に、温かな笑みを浮かべてそれをニニマに向ける。
「――はい!」
それに対して、ニニマも笑みを作って返す。彼女のそれは、集落で出会って以来初めて見せた満面の笑みで会った。
「よし、各員乗車だ」
二人のやり取りを見守っていた河義が、指示の言葉を発する。そして指示の言葉を受けて各員は指揮通信車へと搭乗してゆく。
《発進します》
各員が搭乗を終えたことを確認した、操縦手の鬼奈落が発し、そして指揮通信車のアクセルを静かに踏む。指揮通信車はエンジンの唸り声をより大きくし、ゆっくりと走り出す。
「それじゃあ元気で!」
「またどっかでなー!」
ハシアが別れの言葉と共に片腕を掲げ、アインプは溌溂とした動作で両手を振るう。
「お気を付けて!」
「嬢ちゃん達も、元気でな!」
ニニマも別れの声を上げ、新好地が車上からそれに返す。他の各員も別れの挨拶を送るハシア達やニニマ達に手を振り返す。そして彼等の見送りを受けながら、偵察隊を乗せた指揮通信車はフレーベル邸を、そして月橋の町を後にした。
「……さてと、出来る限り早く、薬の対抗策をみつけなきゃね」
「僕等は、ガティシア達が来るまでに、次の旅の準備を整えなくちゃ」
偵察隊を見送った各々は、それぞれの次の行動へと移ってゆく。
フレーベルは、ヨシと気合を入れながらフレーベル邸へと戻って行き、ハシアとアインプは次の旅の準備のために、町へと繰り出してゆく。
「……」
しばらく指揮通信車の去った方向を見つめていたニニマも、やがてフレーベルを追って身を翻す。
「……~~」
そして彼女は歌を口ずさみだす。それは、この町までの道中で、新好地と共に歌った歌であった。
東方面偵察隊は月橋の町を発ってから丸一日を掛けて帰路の行程を消化し、日が暮れる直前に野営地への帰還を果たした。
野営地は偵察隊が離れている間に、強固な陣地へと姿を変えていた。高地の頭頂部周辺には塹壕が張り巡らされ、現在も施設作業車と施設科隊員が、木材と土を用いた簡易トーチカを構築している様子が見て取れた。
「剱達は、もう帰って来てるようだな」
そんな強固な陣地と化した野営地内を進む指揮通信車の車上で、制刻が呟く。制刻の視線の先には、高地の頭頂部に立ち並ぶ天幕の群れと、その脇に停められた高機動車の姿があった。北西方面偵察隊は、東方面偵察隊よりも一足早く、昨日の夕方には野営地への帰還を果たしていた。
指揮通信車はその天幕群へと接近し、高機動車の隣に車体を着けて停車する。天幕群の前には、偵察隊を出迎える井神一曹と帆櫛三曹の姿がある。河義は指揮通信車から降車すると、井神の前へと立ち、彼に向けて敬礼をした。
「報告します。東方面偵察隊、帰還しました」
敬礼の動作と同時に発した河義に、井神も敬礼を返す。
「長旅ご苦労。道中色々とあったようだが、無事に帰って来てくれて何よりだ。できれば休んでくれと言いたい所だが――」
井神の言葉の先を察し、河義がその言葉の先を口にする。
「えぇ、装備の返納や調達した物資の積み下ろし――そして何より、報告しておきたい事があります」
「すまんな。帆櫛三曹、主要隊員を集めてくれ」
井神の言葉に帆櫛は「は」と返事を返して駆け出してゆく。
「じゃあ、各作業はこっちでやっておきます」
「すまない、頼む」
指揮通信車の車上からの矢万の言葉に河義は返す。
「制刻と新好地は一緒に来てくれ」
「いいでしょう」
「了解です」
そして報告に必要な人員をピックアップし、河義等は指揮所用の業務用天幕へと向かった。
指揮所用の業務用天幕に基幹隊員が集まった。ただ、現在は各種作業に当たっている隊員も多く、その数は以前のミーティング時よりも少なめだ。そんな中で、河義により偵察行動中に遭遇した出来事に関する報告が行われた。
「――と、私達の偵察行動での報告は以上になります」
「また、信じがたい体験をしてきたな」
井神は長机の上に置かれたタブレット端末に目を落としながら呟く。タブレット端末の画面には、集落で遭遇したゾンビ達の様子を収めた動画映像が流されていた。
「ゲームとかの映像ならともかく、これが現実の光景だっていうんだから、背筋の寒くなる話だな……」
井神の横から、タブレット端末を覗き込んでいた小千谷が呟く。
「その研究者の方には、なんとしても解決策を見つけてもらいたい所だな」
そう発した井神は、タブレット端末の画面をタップして動画を止めると、顔を起こして河義等の方を向く。
「こんな異常な事態に遭遇しながら、よく物資の調達してきてくれた。さらに、こちらで使える資金を確保できた事も大きい。皆、よくやってくれたな」
「それに関しては、ハシアさん達のおかげです。彼等にも色々と助けられました」
「そうだな、彼等にも感謝しなければ」
そう発した井神は、そこで「さて」と言葉を区切り、その場に集った皆を見渡して次の言葉を口にし始める。
「では報告も聞き終えた所で、次の案件に移ろう」
井神は言うと同時に、テーブルの端に立つ鷹幅に視線を移す。視線を受けた鷹幅は、小さく頷き口を開いた。
「はい、昨日の報告でもお伝えした通りですが、私達は木漏れ日の町で、この五森の公国の姫君と接触しました」
「姫?」
「ほぅ」
鷹幅の言葉に、その事を始めて聞かされた河義や制刻は言葉を零す。
「彼女等からは、昇林町での件についての謝礼と、物資の提供を受けました。そしてもう一つ――現在国は解決に急を要する事態を抱えており、私達は彼女から、それを解決するための協力要請を受けました」
「国境の砦に立て籠もる、反政府一派の鎮圧――だったよな?」
小千谷の言葉に、鷹幅は「はい」と行程してから言葉を続ける。
「先にお話しした魔王とその軍勢による各地への侵攻。それに応戦するため、この世界の各国は多くの戦力を派兵しているようですが、この国も例外ではないようです。その影響で、今回の事態を解決するための兵力の招集が、思うように進んでいないとのことでした」
「そこで、我々の存在と、町での山賊への対応での実績を知り、協力を要請して来たというわけか」
鷹幅の説明を聞き、井神は呟く。
「何か……この国に居座るなら、それ相応の態度を見せろ、と言われているようだな……」
そこで河義が発した言葉を、しかし鷹幅は否定する。
「いや、その姫様は、すでに私達がこの地に留まる事を認めてくれている。彼女達は、純粋に私達の助けを必要としているんだ」
「そいつぁどーですかねぇ?」
鷹幅が発した直後、別の声が割り言った。その声の主は竹泉だ。
「竹泉二士」
「ッ……またお前か……」
響いた竹泉の声に、井神が顔を上げ、鷹幅は顔を顰めて彼の方を向く。
「この国の奴等は、異邦人の俺等を体のいい使い捨ての戦力として利用しようとか、考えてるかもしれませんよぉ?例えそーじゃなくても、一度引き受けたら最後、それ以降もいいよーに利用されるかもしんねぇ」
「竹泉二士!根拠のない勘繰りで、不安を煽る真似は止めろ!」
竹泉に対して叱責の言葉を飛ばす鷹幅。
「だが、考えとくに越したこたぁねぇ話だな」
「制刻陸士長!」
しかしそこで制刻が、竹泉の意見を推す一言を零し、鷹幅は今度はそちらへ咎める声を発する。
「まぁそう怒るな、鷹幅二曹」
「しかし……」
「確かに竹泉二士の考えも、分からないではない。だが残念な事に、我々は流浪の民も同然の状態だ、取れる選択肢はあまり多くは無い。その上で、今回持ち掛けられた支援の話は、悪くない物だと思っている。例え、いくらか行動で対価を払わなければならないとしてもな」
井神は、皆に向けて説くように発する。
「しかし……良いのでしょうか……?今回の件を引き受ければ、他国の軍事行動に参加する事になってしまうのでは……?」
そこへ懸念の声を発したのは、井神の横に控えていた帆櫛だ。
「今回の案件は、民間人が人質になっていると聞いている。前に、復興支援に赴いていた部隊が、テログループの大使館立て籠り事件で、人質となった他国の国民を助けた事例があっただろう?」
「あぁ、中東で〝中央緊急展開連隊〟が対応した事例ですね」
彼等の元居た世界での日本国隊は、邦人ではない外国の国民を、立て籠り事件から救出した事例が過去に存在していた。井神はその事例に当てはめ、今回持ち掛けられた件も、隊の行動の範疇内である事を各員に説いて見せた。
「それを踏まえて、私は今回の要請を受け入れたいと考えているが――どうだろう、意義のある者は?」
「えぇ、上官の言う事に意義なんぞごぜぇませんよ。あぁこれで今後、ズルズル面倒に引き込まれて行くのが目に見える」
井神の言葉に、竹泉だけはそんな皮肉気な台詞を発したが、それ以外の各員から意義の上がる様子は無い。先に井神が言った通り、自分等の取れる手段は限られているのだ。
そして一部の隊員が皮肉気に発した竹泉に険しい視線を向けたが、当の竹泉はどこ吹く風といった様子で、それを流していた。
「よし。では我々日本国隊は、この五森の王国からの支援要請を受け入れ、部隊を編成して派遣する事とする。編成は後ほど行い、該当隊員に通達する」
井神はそう発して一度言葉を区切り、一息置くと、次の案件について話し合うべく再び口を開いた。
「で、もう一つの案件だ。河義三曹、東方面偵察隊は、偵察行動の際に石油の存在を確認したそうだな?」
井神の問いかけに、河義はコクリと頷き、そして言葉を発し始める。
河義は偵察行動の途中で世話になったフレーベル邸で、原油が資源として用いられていた光景を見た事。そして隣国、月詠湖の国で原油の採掘が行われている地がある事を説明した。
「んで、端的に言います。その原油を抑えに行く許可を貰いたい」
そこで制刻が河義の言葉に割り込み、やや不躾な口調で井神に訴えた。
「抑えにって……制圧でもしに行く気か……」
制刻の物騒な物言いに、隣にいた鳳藤が呆れた口調で呟く。
「まぁ、言わんとすることは分かる。その原油の採掘を行っている所と接触し、資源の提供をいただけないか、交渉を試みたいと言うのだろう?」
「まぁ、そういう事です」
井神の解釈を肯定した制刻に、しかし鳳藤は「本当にそう思ってるか?」とでも言いたげな懐疑的な顔を向ける。
「ですが問題があります」
そこへ河義が言葉を発した。
フレーベル邸で使用されていた物は、精製のされていない原油状態の物であった。例え原油が確保できたとしても、精製の手段が見つからなければ、隊はそれを物資として使用する事はできないのだ。
「精製か――それは大きな壁だな……」
「この世界に、そのような技術があればいいのですが……」
井神と河義はそれぞれ呟き声を零す。
「一応、原理だけなら分からねぇでもねぇですがねぇ?」
そんな元へ声が割り込む。それは竹泉の物であった。
「竹泉?」
「俺と多気投はハワイの大学にいた時に、石油精製の簡易実験をした事がありましてねぇ。簡単な精製装置の仕組みなら理解してます。ま、最もその装置そのものがそっちで作れっかどーかは、甚だ疑問ですがね?」
「それは――本当か?」
「こんな状況でホラ吐く程、アホじゃあありゃあせん」
井神の問いかけに、竹泉は相も変わらずの不躾な態度で答える。
「その装置作成に必要な物は?」
「基本的にはガラス器具になりますねぇ。フラスコにビーカー、蒸留塔の代わりんなる蒸留管エトセトラ」
竹泉の言葉を聞いていた河義は、顎に手を当てて思い出すように発する。
「確かフレーベルさんのお宅で、そういったフラスコ等のガラス製の実験器具が使われているのを見ました。ガラス器具等の加工技術は、この世界にもあるようです」
「では精製法をこちらで再現し、燃料類を確保することも、不可能ではないかもしれないな」
「あるいは、そういった器具が出回っているのなら、それらを用いた精製技術も、存在しているかもしれません」
井神と河義は推察の言葉を交わし合う。
「しかし、待ってください――」
だがそこで言葉を割り入れる存在があった。鳳藤だ。
「失礼ですが……ここまでの話はあくまで仮定に過ぎず、確証はありません。その低い可能性のために、部隊を動かそうと言うのは、いささか早計なのでは……?」
燃料確保に関する一連の話に、懐疑的な声を上げる鳳藤。
「いや、むしろ早ぇ方がいい」
しかしそこへ制刻が言葉を発した。
制刻は、この世界は現在動乱の中にあり、自分等は今後確実に面倒事に巻き込まれて行くだろうと話す。そしてそんな中での現在の自分等の強みの一つは、自動車化、機械化されてる事だと発する。だが、その優位性には燃料という制限が付き纏う。そして燃料が底を付き、その優位性を失えば、100名強の温室育ちのも同然の自分達は、塵も同然だろうと言って見せた。
「温室育ちねぇ」
そのワードを耳に留めた竹泉は、制刻の常人離れした外観をしげしげと見ながら呟く。
「俺等が塵とならねぇためには、力を維持し続ける必要がある」
そしてそのためには、まず十分に動ける今の内に、力の根源の一角である燃料の確保に乗り出すべきだと制刻は鳳藤に、そして周囲に言って見せた。
「俺は、制刻の意見を推そう。燃料問題は、遠くない将来にぶち当たる問題だ。解決の可能性があるのならば、それに乗り出すのに早くあるに越した事は無い――燃料に関する調査部隊を、先の派遣部隊とは別に編制しよう」
井神はそこで一度言葉を切り、そして締めの言葉を発する。
「今日はもう遅い。具体的な編成、行程の考案等は明日以降とする。各員、特に東方面偵察隊の人員は、十分に休養を取ってくれ。――解散」
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