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チャプター2:「Dual Itinerary」
2-2:「死の集落 後編」
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集落から脱出した指揮通信車は、集落から1㎞程の地点まで退避。東方面偵察隊は、その場で態勢の再構築と、状況の整理を行っていた。
各銃座にはそれぞれ矢万と策頼が付き、警戒を行っている。
そして指揮通信車の隊員収容用スペースでは、出蔵が新好地の手当てを行っていた。
「――うん、骨も内臓も異常無いですね」
「そうか、良かった……痛てッ!」
「ただし体を強く打ってることに変わりはありませんから、回復には少しかかりますよ」
「ッー……了解……」
出蔵の言葉に、新好地は顔を顰めながら返した。
「あの、ごめんなさい……」
そこへ指揮通信車の外から声が掛かる。開け放たれた後部ハッチの側に、ニニマの姿があった。彼女は新好地の手当ての様子を、ずっと見守っていたのだ。
「嬢ちゃんが謝ることはねぇさ」
「でも、私のせいで……えっと……」
そこで少し戸惑った様子を見せるニニマ。
「ん?あぁ――おれは新好地だ」
新好地はその意図を察し、自分の名前を告げる。
「に、ニーコーチさん……?」
「呼びにくかったら、楽人でいい」
「えっと……私のせいでラクトさんが……」
「俺が勝手にやった事だ、嬢ちゃんが気にする必要はねぇさ」
「でも――いえ、ありがとうございました……」
ニニマはそれ以上は返って失礼だと判断したのだろう、少し割り切れないといった表情だが、新好地に向けて礼を言った。
「えっと、いいですか?」
そこへニニマの背後から声が掛かり、河義が姿を現した。背後には制刻や剱、ハシア等の姿も見える。
「は、はい!」
「あぁ、すみません。私はこの偵察隊の指揮を任されています、河義と申します」
驚き振りむいたニニマに、河義は謝罪と自己紹介をする。
「あなたはあの集落に住んでいる方ですか?」
「は、はい……」
「では申し訳ないのですが、教えていただけませんか。あの集落で何があったのか?」
河義のその質問に、ニニマは困惑した表情を作る。
「……ごめんなさい、私にも分からないんです……。私は一週間の間、月橋の町への使いでこの村を離れていたんです。そして今日の夕方にやっと帰ってきたら……」
「あの事態か」
ニニマの言葉の最後を、制刻が引き継ぎ答えた。
「ハシア、オメェさんは何か分からないのか?」
制刻はハシアに尋ねる。
「すまないが何も……正直、集落での光景だって、未だに信じ切れていないんだ……」
「それに関しちゃ、俺達も同じだけどな……」
ハシアの返答に、新好地が同意の言葉を発した。
「何が起こったのかも気がかりだけど、今一番心配なのは、アインプだ……」
ハシアは囮となってはぐれたアインプの身を案ずる。
「アインプさん――たしか女性の方でしたね?そう言えば、他のお二方の姿も見えませんが……?」
「あぁ、ガティシアとイクラディは、別ルートを取ってるんだ」
河義の疑問の言葉に、ハシアは答える。
ハシアによれば、他の二人は別方向にある町への使いに行っているとの事だった。そしてハシアとアインプは最短ルートである連峰を越える道を通って月橋の町を目指し、そこで情報を収集。後に町で後の二人と落ち合う事になっていたらしい。
「目的地は私達と同じなんですね」
「その道中で、あの集落を見つけたわけか」
河義と制刻が順に言う。
「あぁ。そして集落を訪ねてみたら、村人に追いかけられてるニニマさんと出くわして、そのまま逃げ回る羽目になったんだ。その途中でアインプは、僕らを逃がすために……」
「ごめんなさい……私のせいで戦士様が……」
言葉尻を暗くしたハシアに、ニニマが謝罪の言葉を述べる。
「よしてくれニニマさん。あの判断を下したのはアインプ自身だし、それを受け入れてニニマさんを連れ出したのは僕だ。ニニマさん、君のせいじゃない」
謝罪を述べたニニマに、ハシアはそう返す。
「でだ。あの集落がどうしてああなっちまったかは、誰にも分かんねぇわけか」
「情報が少なすぎるな……」
制刻がハシア達の会話に割って入り、河義がそれに続いて呟いた。
「何が起こっているのかは皆目不明だけど……僕はもう一度集落に行ってみるよ」
「待ってください、ハシアさん一人で行くつもりですか?」
ハシアを河義が差し止める。
「アインプが集落に残されてる。彼女は大切な仲間なんだ、放っておく事はできない」
しかしハシアは、確固たる意思の籠った言葉でそう返した。
「河義三曹。俺等は、どうします」
制刻が河義に尋ねる。
「あれを見てしまった以上、素通りするわけには行くまい」
「んじゃ。もいっぺん、乗り込むしかねぇようですな」
「だな……異論のある者は?」
河義が尋ねるが、各員から異論が上がる事は無かった。
「――よし決まりだ、各自装備を整えろ。じき暗くなるから暗視眼鏡を忘れるな。10分後に、集落へ再度突入する」
河義の指示で、各員は準備に取り掛かる。
「すまない、本来君達には関係の無い事なのに」
「村では、あなた方に協力していただきました。お互い様です」
申し訳なさそうにするハシアに、河義はそう返した。
準備の傍ら、指揮車の近くでは制刻と出蔵が、偶然持ち出すことのできた獣のようなゾンビの死体の検分を行っていた。
「これが動いてただなんて、信じられませんよ」
「あぁ。だが、奴等は実際、俺等に襲い掛かって来た。オメェも見たろ?」
ゾンビの死体を眺めながら言葉を交わす二人。
「あの、何を……う……!」
そこへニニマが歩み寄って来た。彼女は制刻等の足元に転がるゾンビの死体に気付き、顔色を変える。
「あぁごめん、嫌な物見せちゃったね。ちょっと検死をしてただけなんだ」
「検死……あなた、お医者様なんですか?」
ニニマは小柄な女子である出蔵の姿を見ながら、意外そうに発する。
「そんな大層な物じゃないよ。ちょっと心得があるだけ」
対する出蔵はそう発する。
「……あの、村の人達は……本当に死んじゃったんですか?」
ニニマは出蔵に恐る恐る尋ねる。
「うーん、そうだね……この体に限って言えば、大分腐敗が進んでるし、少なく見積もっても二日前にはもう……」
「……」
「これは推測だけど、村の人達が動いているのは、個々の意思によるものじゃないと思う。何かは分からないけれど、別の要因によって、一度死んだ体を無理やり動かされてるんだと思うんだ」
「そんな……いえ、ありがとうございます」
出蔵の推察を聞いたニニマは、悲し気な表情のまま礼を言った。
村の中心部にある、ある家屋の一室。
「ん……ここ、どこ……――はっ!」
そこでアインプは目を覚ました。
「気が付いた?」
そして地面に横たわる彼女の前には、一人のローブ姿の女が立っていた。
「だ、誰!?――あ、あれ……?し、縛られてる!?」
床に横たわったアインプの両手両足は、縄で拘束されていた。
「残念だったわねぇ、頑張ったのに。でもおかげで、アンデッドちゃん達のいい情報が撮れたわぁ」
ローブ姿の女はその整った顔に薄気味悪い笑みを浮かべて言う。
「だ、誰だよお前!ハシアは!?」
「うふふ。勇者様ともう一人がどうなったのかは、残念だけど私にも分からないの。ただ、勇者様の魔力が感知できなくなった所を見るとぉ、逃げ出したか、それとも――アンデッドちゃん達に殺されちゃったかなぁ?」
その言葉にアインプの顔は青くなる。
「そ……そんな事あるかぁ……ッ!ハシアはなぁ、無敵なんだぞぉッ!」
しかし慌てて首を振り、ローブの女に言葉を返すアインプ。
「うふふ、元気で健気ねぇ。それに強い力を感じるわぁ。良質な研究材料になりそう」
言うとローブの女は、妖艶な動きで小さく舌なめずりをする。
「うぅ~、何をわけわかんない事言ってんだぁ……!」
「そのうち分かるわ。ま、今は大人しくしててねぇ」
言うと、ローブの女はその一室から出ていく。
「あ、待て!ちょ……くっそぉ、ハシア~!」
集落の入り口付近。
そこに何かに集る数体のゾンビの姿がある。ゾンビ達は揃って地面にある何かを貪っている。それは村人の死体だ。元は同じ村人であった彼等は、今や食人鬼となり下がり、人の亡骸を食い漁っていたのだ。
そんな彼等の内の一体は、何か近づく物音に気付き、死体から顔を上げて振り向く。
「――オ゛ッ」
そのゾンビの頭部が、次の瞬間割れたスイカのように弾け飛んで消えた。
そして重い破裂音が遠方から響き、それに合わせて死体に集っていたゾンビ達が次々と弾け飛んで行く。
やがて動くゾンビ達が一人もいなくなった所で、その傍を指揮通信車が重いエンジン音を唸らせて通り過ぎた。
「おい……今のゾンビ達、人を食ってたんじゃないか……?」
指揮通信車の上で12.7㎜重機関銃の発砲を終えた矢万が、背後に視線を送り、先に弾き飛ばしたゾンビ達の亡骸を見ながら発する。
《人を食べるのなら、ゾンビではなくグールでは?》
矢万の言葉に、無線越しに鬼奈落が疑問の言葉を寄越す。
「細かい区分なんぞ知るかよ」
それに対しては、車上で警戒に付いている制刻が返した。
「各員、よく警戒しろ。まずはハシアさんがアインプさんとはぐれた地点まで向かう。ゾンビが出たら、指揮車に近づけるな」
指揮官ようキューポラから半身を出す河義は各員へ指示を出しつつ、指揮車の前方、斜め上へと視線を向ける。
視線の先の家屋の屋根の上には、指揮車に先行して屋根の上を飛ぶように駆けるハシアの姿があった。
「すげぇな、あいつ……」
同様に上に視線を向けていた矢万が呟く。
《――えっと、聞こえるかい?》
そこへ、各員のインカムにハシアの声が響く。ハシアには、相互連絡を容易にするため、隊の装備品であるインターカムが渡されていた。
「えぇ、ハシアさん。聞こえます」
ハシアからの通信には河義が返す。
《何か、側にいないのに声がするって変な感じだね……あぁそれより、道の少し先に集団が見える。おそらく、アンデッドだ……》
「待ってください――確認しました」
河義は暗視眼鏡を覗いて道の先を確認する。そこにはハシアの言う通り、10体以上のアンデッドが蠢いていた。
《どうする、僕が切り込むかい?》
「いえ、こちらでやります。ハシアさんは、上から周辺の警戒を願います」
《分かったよ》
そこで一度ハシアからの通信が終わる。
「策頼、彼等を攻撃しろ」
「了」
河義の指示を受けて、策頼は車体前部に据え付られたMINIMI軽機を旋回させ、前方に向けて発砲を開始。撃ちだされた5.56㎜弾の群れは、蠢いたゾンビ達に襲い掛かり、彼等をなぎ倒した。
「おおよそ倒しましたが、数体まだ動いています」
策頼の報告通り、地面には銃弾を受けて尚、這いまわっている何体かのゾンビの姿があった。
「構わん。鬼奈落士長、そのまま前進しろ」
《了解です》
河義の指示を受け、鬼奈落は指揮通信車のアクセルを踏み続ける。そして指揮通信車はゾンビ達の群れに突っ込み、コンバットタイヤが這いまわるゾンビ達を引き潰して息の根を止めた。
「うわぁ、嫌な感じ……!」
車内では、出蔵がコンバットタイヤ越しの人を引き潰す感触に、嫌な声を上げた。
《見えた、前方の交差路だ》
指揮通信車がしばらく進んだ所で、ハシアから再び無線越しの声が届く。どうやら指揮通信車の進路上にある交差路が、ハシアとアインプが分かれた場所のようだった。
「鬼奈落士長、交差路の中央で停車してくれ」
《了解》
指揮車は交差路へと踏み入り、その中央で停車する。
「アインプ、居たら返事してくれ!」
ハシアは屋根の上から交差路に響く声で発する。しかし彼の呼びかけに対する返答は無かった。
「河義三曹、周りの建物も、調べといた方がいいかと」
制刻は河義に進言する。
「だな。ハシアさん、私達で周辺の建物を調べます。その間、上から監視支援を願います」
《あぁ……分かったよ》
「よし。制刻来てくれ、他の各員は周辺警戒を」
制刻と河義は指揮通信車から降り、周辺を警戒しながら交差路の角にある建物の近くへと歩み寄る。そして玄関口の両脇へと張り付いた。
「準備はいいか?」
「いつでも」
「よし――突入!」
河義が合図を発すると同時に、制刻が家屋の玄関を蹴破る。そして制刻が一度引き、入れ替わりに河義が小銃を構えて、屋内へと突入した。
「――クリア!」
「クリア」
河義と、続いて踏み込んだ制刻が、屋内を瞬時に見渡して声を上げる。家屋内は無人であり、アインプの姿も、はたまた他の生存者も、ゾンビの姿すら無かった。
「ここは無人か……次だ」
「了解」
家屋内が無人である事を確認した二人は、家屋を出て、道を横断して次の建物に向かおうとする。
「オオオーー……」
「ッ!」
河義が視線を横断していた道の先に向ければ、10体以上のゾンビ達が、緩慢な動きでこちらへと向かってくる姿が見えた。
《河義さん、奴らだ!》
そしてインカムに、矢万から通信が飛び込む。
「矢万三曹、彼等に対応してくれ!私達は周辺家屋のクリアリングを続ける!」
《了解!》
制刻と河義が道を横断し切ると同時に、指揮通信車の12.7㎜重機関銃が発砲を開始する。重々しい射撃音と共に撃ち出された12.7㎜弾は、接近していたゾンビの群れを一瞬の内に粉砕した。
その光景を横目に見ながら、制刻と河義は二件目の家屋のドアに張り付き、そして突入した。
《クリア!》
矢万の耳に、河義の家屋無力化の報告が届く。それを聞きながら、矢万は12.7㎜重機関銃の押し鉄に指で力を込め、迫るゾンビに向けて12.7㎜弾を注ぎ込む。
「矢万三曹、北側も来ます」
そこへ策頼が報告の声を上げる。見れば、言葉通り交差路の北側に、迫る別のゾンビの群れが見えた。
《皆、屋根の上にも表れた!》
今度はハシアから通信が来る。矢万が上へ目を向ければ、周辺家屋の屋根の上に、獣のようなゾンビが次々と姿を現していた。
「クソ、各員対応しろッ!」
「了」
矢万の言葉を受けた策頼は、すでにゾンビ達に狙いを付けていたMINIMI軽機の引き金を引いた。
「勇者の兄ちゃん、上はアンタに任せていいか!」
《あぁ、任せてくれ!》
インカムに向けて発した矢万が見れば、返答をしたハシアは、すでの屋根の上でゾンビ達に向けて大剣を振るっていた。
「奴らを交差路に近づけるな!」
指揮通信車から各方向へ向けて、重機、軽機による弾幕が形成される。
《クリア!次だ――》
河義と制刻は形成される火線を掻い潜って交差路内を周り、周辺家屋を一つ一つ無力化して行く。
《ッ――すまない、取りこぼした!》
家屋上に現れる獣のようなゾンビは数を増し、その内の2~3体がハシアを無視して交差路へ降り、指揮通信車へと肉薄して来た。
「構わん、こっちでやる!」
矢万は12.7㎜重機関銃の俯角を取り、独特の俊敏さで迫る獣のようなゾンビに向けて発砲。迫っていた一体のゾンビを弾き飛ばし、四散させる。しかし、迫るゾンビはその一体に留まらなかった。
「ッ――捌ききれん!鬼奈落、お前も車上に上がってくれ!」
「了解です」
矢万からの要請で、操縦手の鬼奈落が操縦席からハッチを潜って車上に上がって来る。その手には、〝65式9mm短機関銃〟が持たれている。これはニューナンブM66短機関銃が正式採用されたものであった。
鬼奈落は65式9mm短機関銃を構えて、獣のようなゾンビに向けて発砲。ゾンビは数発の9mm弾を身体に受けて、べしゃりと転倒して動かなくなった。
「こりゃえらい事だな……!」
さらにそこへ、新好地がハッチを潜って車上に上がって来た。
「新好地!?お前はいい、中にいろ!」
負傷者である新好地が出てきたことに、矢万は驚き彼に向けて発する。
「この状況じゃ、そうも言ってられませんよ!」
しかし新好地は矢万に返すと、ショットガンを構えて別方向から迫っていた獣のようなゾンビに向けて発砲した。散弾を諸に受け、ゾンビは吹き飛ばされて地面に投げ出される。
「ほら、後ろからも来てます!」
そして新好地は指揮通信車の後方を視線で示す。指揮通信車が来た道からも、多数のゾンビが迫っていた。
「ッ――河義さん急いでください!俺等は囲まれてます!」
「待ってくれ、次で最後だ!」
矢万の通信越しの急かす声に、声を張り上げて返す河義。
制刻と河義の二人は、交差路の周辺に立つ家屋群の最後の一軒の扉の前に居た。
「行くぞ――突入!」
これまで繰り返して来たのと同じ手順で、二人は家屋内に突入。
「――クリアー!」
「クリアです」
二人は最後の家屋の内部が、無人である事を確認した。
「糞……やはりもう、ここにはいないのか……」
河義は苦い表情で呟く。
「――あん?」
一方、家屋内を見回していた制刻は、その途中で足元に落ちている物体に気付き、それを拾い上げた。
「それは……?」
河義もそれに気づき、制刻が手にした物に目を落とす。それは巨大な戦斧だった。
「斧か?」
「ほう。――河義三曹、こいつぁハシアの仲間の姉ちゃんが使ってたモンです」
「何?」
制刻の言葉に、河義は若干の驚きを顔に示す。
「本当か?」
「えぇ、コイツでぶった切られかけましたから、間違いねぇかと」
「……武器だけ落ちていたという事は、ここで彼女の身に何かあったのか……?」
河義は状況を推察する。
《河義三曹、まだですか!?こっちはあまり余裕がありません!》
しかしそこへ、再び矢万からの通信が飛び込んで来た。
「ッ、仕方がない、これだけ持って戻るぞ!」
河義は考察を中断。二人は家屋内から外へと出る。そして視界に飛び込んで来たのは、多数の獣のようなゾンビに囲われている指揮通信車の姿だった。さらに獣のようなゾンビの対応に苦戦しているためか、交差路から各方へ伸びる道からは、ゾンビ達がすぐそこまで接近しつつあった。
各員はそれぞれ担当する火器でゾンビを相手取り、ハシアも屋根の上での戦いを止めて降りて来たのだろう、指揮通信車の側で群がるゾンビを蹴散らしている。
「ッ!なんて数だ!」
「急ぎましょう」
制刻と河義は指揮通信車へと駆け出す。
指揮通信車に気取られている獣のようなゾンビ達を背後から撃ち、進路を切り開く。
そして指揮通信車の元へたどり着いた二人は、その側面に取りつき、小銃を構えてゾンビ達を蹴散らす各員に加わる。
「すまん、待たせた!」
「大人気のようだな」
そして矢万に向けて河義が謝罪の言葉を発し、制刻が軽口を叩く。
「冗談はよせ!これ以上は限界です、早く乗って下さい!」
制刻に言い、そして河義に促す矢万。
「ハシアさん、乗って下さい!」
「あ、あぁ!」
制刻と河義、そしてハシアは最寄りのゾンビを蹴散らし、指揮通信車の車上に飛び乗る。
「鬼奈落、発進させろ!」
「了解」
指示を受けた鬼奈落は、65式9mm短機関銃での射撃を止め、操縦席へと引き込む。
《で、どちらに向かいます?》
「どこでもいい、とにかくここから離脱しろッ!」
鬼奈落の状況にも関わらない冷静な質問に、対する矢万は声を張り上げる。
《了解》
返事と共に鬼奈落はアクセルを踏み込んだのだろう、エンジンがより大きな唸り声を上げ、指揮通信車は急速後進。車体後方にいたゾンビを数体、跳ね飛ばし、引き潰す。そのまま後進を続ける指揮通信車の先には、道の先から迫っていたゾンビの集団の姿があった。
《このままですと、ゾンビの大群に突っ込みますよ?》
鬼奈落はバックミラーでゾンビの群れの姿を確認しながら言う。
「構うな、突っ込めッ!」
矢万は指示の声を張り上げる。
指揮通信車は後進状態のままゾンビの群れに突入。先程以上の数のゾンビを跳ね飛ばし、あるいは引き潰し、その巨体でゾンビの群れをかき分けて進路を切り開く。
そして指揮通信車はゾンビの群れを抜けた。
「ここから離れろ、全速力だ!」
河義の指示で鬼奈落は速度を上げ、指揮通信車は交差路を後にした。
指揮通信車は交差路を離れてしばらく走り、周辺にゾンビの姿が見られなくなった所で一度停車した。
「はぁッ――全員異常無いか?」
河義は車上から一度周辺を見渡して、安全を確認した後に各員に問う。
「ナシ」
「えぇ、問題ありません」
「僕も、大丈夫だ……」
策頼や制刻、ハシアがそれに答える。
「出蔵、ニニマさんは?」
「大丈夫でーす」
河義が車内に問いかけると、空いていた指揮官用キューポラから出蔵がひょこりと顔を出した。
「それで、収穫はありましたか?」
矢万は若干疲れた様子で、河義に尋ねる。
「いや、残念だが収穫と言える程の物は無かった。アインプさんが使っていた武器は見つかったが……」
河義は言いながら、制刻が手にしている戦斧に視線を落とす。
「これは……確かにアインプの物だ」
ハシアも戦斧を確認して呟く。
「こいつがあったって事は、いったんはあそこにいたんだろうな」
「でも、それだけじゃぁ……」
制刻が言い、それに続いて出蔵が呟く。
「……あれ?」
その時、ニニマが何かに気付いた。
「どうした姉ちゃん」
「あの、その斧の柄掛かってるペンダント……」
「ん?」
制刻はニニマの視線を追い、戦斧の柄に視線を落とす。見れば、そこにはニニマの言う通り、ペンダントの紐が絡まっていた。
「あぁ、こんなモンがくっ付いてたのか」
「これは……アインプの物じゃないな」
制刻が絡まっていたペンダントを取り、横からそれを確認したハシアが発する。
「姉ちゃん、これに覚えがあるのか?」
言いながら制刻は、ペンダントをニニマに渡す。
「……やっぱり、これは私の家にあった物です」
ニニマは少しの間ペンダントを観察した後に、確信を持った様子で言った。
「ニニマさんの?」
「はい、母が作ってくれた物なんです。私も同じものを持っています」
ハシアの言葉に、ニニマは自身の首元に下がるペンダントを示して見せながら言う。
「それがなぜアインプの斧に?」
「それは、分かりません……」
ハシアは疑問の言葉に、ニニマも少し困惑した様子で答える。
「だが、姉ちゃんの家に何かありそうだな」
そこで制刻が言う。
「河義三曹、姉ちゃんの家に行ってみるのがいいかと」
「そうだな……他に当ても無い、行ってみるか」
制刻の進言を受け入れ、偵察隊はニニマの家へ向かう事となった。
偵察隊は集落を走り抜け、ニニマの家へと辿り着いた。
ニニマの家は他の家屋より少し離れた位置にあり、敷地、建物共に他の家屋よりもやや広くそして大きかった。
「ここです!」
指揮通信車は家の門を越え、敷地内へと入り込み停車する。
「何か他の家と違って広いな」
「一応、村長の家なので……」
「成程、嬢ちゃんは本当にお嬢だったわけだ」
「そ、そんなんじゃないです」
新好地の言葉に、ニニマは謙遜を見せる。
「ともかく、ここにアインプがいるかもしれない。僕は家の中を見てくる」
「あ、ハシアさん――!」
河義が制止の声を掛けるが、ハシアは建物の方へと駆けて行ってしまった。
「俺達も行こうぜ!」
「あ、あの!私も――」
新好地やニニマもそれに続こうとする。
「待った、門の方を見ろ!」
しかしそこで、12.7㎜重機関銃に付いていた矢万が、門の向こうを視線で示しながら声を上げた。
「オオオーー……」
不気味な呻き声を上げながら、多数のゾンビが接近する姿がそこに見えた。そしてその数は今までの比ではない物だ。
「糞、またゾンビか!」
「それも結構な数だ。こりゃ、探すどこじゃねぇな」
ゾンビ達の姿を見て新好地が悪態を吐き、制刻は呟く。
「あれを全部相手してたら、弾が空っけつになっちまうぞ!」
矢万が叫ぶ。
「河義三曹、直接相手をするのは避けるべきです。バリケードを築いて、奴らを足止めしましょう」
「あ、あぁ」
制刻は河義に進言すると、今度はニニマに振り返る。
「姉ちゃん。この家に、油の類はねぇか?」
「あ、油でしたら料理や食べ物の加工に使うための油の樽が、離れの倉庫にあります……」
ニニマは敷地の隅にある小さな倉庫を指し示しながら言う。
「火でも放とうっていうのか?」
「えぇ。策頼と俺でそれを取りに行きます。河義三曹達は、バリケードの設置を」
「わ、分かった……」
河義は制刻の進言を聞き入れ、各員は作業を開始した。
「アインプ!いるのかい!?」
村長邸に踏み込んだハシアは、アインプを探して家屋内を探し回っていた。
家屋内の各部屋を調べ尽くしたハシアは、最後に屋内の奥側にある物置らしき部屋の間へに立つ。
「ここが最後か……」
ハシアは剣を構え直し、警戒しながら扉を開ける。
「また来たな!この縄ほどけぇッ!」
部屋内から甲高い女の声が聞こえて来たのは、その次の瞬間だった。
「もっぺん言うぞ!この縄ほどけよぉ、性悪女ァ!」
「その声……――守護の力よ、我が身に集え――」
ハシアは自身の片腕を翳し、小さく呟く。
すると彼の手に、淡い炎のような発光体が発言し、纏わりついた。
本来は自身の攻撃力を高めるための魔法であったが、ハシアはそれを伴って発言する発光体を、明かりの代わりにしたのだ。
「うわッ!急に明かりを……って、あれ?」
「アインプ、やはり君かだったか!」
明かりに照らされた声の主の正体は、アインプであった。
「は、ハシア!なんでここに……?」
「何でって、君を助けに来たに決まってるじゃないか……」
「あ、そっか」
アインプの反応に、ハシアは若干か呆れた様子をその顔に浮かべる。
「とにかく、ここから逃げるよ」
ハシアは言うと、拘束からアインプを解放するべく、彼女に近寄ろうとする。
「あらぁ、感動的なご対面だことぉ」
しかしその時、ハシアの背後から不気味な声が響き聞こえた。
ハシアは驚き振り向く。そこには、ローブ姿の一人の女が立っていた。
「ぬぁッ!お前!」
「うふふ、ごめんなさい、お邪魔しちゃって」
アインプの敵意の視線を気にもせず、ローブ姿の女は微笑を作って発する。
「誰だ、君は……!」
ハシアは警戒の視線を、大剣の切っ先をローブ姿の女に向けて問う。
「あら、私としたことが――申し遅れました。私、魔術師をしているイロニスと申しますわ、勇者様」
イロニスと名乗った彼女は、ローブの端をスカートのように摘まみ、お辞儀をして見せる。
「……アインプを拘束したのは君か……?」
「えぇ、私のアンデッドちゃん達を相手に思いのほか奮闘してくれましたので、ぜひとも実験材料にと」
イロニスのその言葉に、ハシアは目を剥く。
「何を――まさか、この村の惨状は君の仕業だというのか……!?」
「あらあら、そんなにお怖い顔をなさらないで、カワイイお顔が台無しですわ。私は、魔術を扱う物としての好奇心を実践してみたまでですわ」
「な、なんてことを……!何が好奇心だ!こんなに多くの人達を犠牲にして……ッ!」
ハシアは怒りを込めて言い放つ。
「うふふ、さすが勇者様。素敵な正義感ですわ。そして、あなたの全身から溢れる怒気と魔力――」
イロニスは舌先で自らの下唇を軽く舐め、そして言う。
「あなたもいい研究材料になりそう」
「ふざけるなぁーーッ!」
イロニスのその言葉を聞いた瞬間、ハシアは脚を踏み切り、イロニスに向かって切りかかる。
「ッ!」
しかし大剣を振りかぶる直前、ハシアは自身の横から殺気を感じ取る。そしてその方向へ剣を翳した瞬間、何かが襲い掛かり、鈍い衝撃が彼を襲った。
「ぐッ!」
辛うじて襲い来た物を大剣で防いだものの、ハシアは横に軽く飛ばされる。
どうにか足を着いて体勢立て直したハシアの目に映ったのは、獣のようなゾンビの姿だった。
「うふふ、さすがですわ勇者様。この子達の素早さに反応なさるなんて」
楽しそうに言うイロニス。彼女の周辺には、どこから現れたのか、数体の獣のようなゾンビがいる。不思議な事に、ゾンビ達はイロニスに襲い掛かる事は無く、彼女を守るように周囲を取り巻いていた。
「な……!アンデッドを、操っているのというのか……!?」
「えぇ。少し施術を施せば、この子達もいい子になって、いう事を聞いてくださいますのよ?」
「人に……なんてことを……!」
イロニスの言葉を聞き、ハシアは歯を食いしばる。
「さぁ、みんな。少し勇者様と遊んであげて」
微笑を浮かべて発するイロニス。そして次の瞬間、彼女の命を受けた獣のようなゴブリン達が、一斉にハシア向かって飛び掛かって来た。
「……くッ!」
それに対して、ハシアは意を決し、大剣を薙いだ。狭い室内で、しかし障害物にぶつからないよう巧みに薙がれた大剣は、ハシアに襲い掛かろうとしたゾンビ達を、まとめて横一文字に切り裂いた。
「あらぁ、さすが勇者様。俊足型のアンデッドちゃん達じゃあ、手に余るみたいねぇ」
ゾンビ達が一瞬の内に倒されたにも関わらず、イロニスはどこか呑気に、そして嬉しそうに発する。
「ッ……いい加減に……!」
「じゃあ、この子ならどうかしらぁ?」
イロニスはハシアの言葉を遮り発し、そしてその指をパチンと鳴らした。
そして彼女の背後、部屋の影から、今までとは毛色の違う存在が姿を現す。
「な……」
現れた存在に、ハシアは言葉を失う。
〝それ〟は人の形をしてはいた。しかし、顔、体、手足の全てがぶっくりと腫れ上がり、そして肌はそれまでのゾンビ達同様、ボロボロになり酷く変色している。元から恰幅の良い人間だったのだろうそれは、醜い変化によりより重量感を増し、緩慢な動きでノシノシとイロニスの横へと歩いて来る。
「少し手を加えた特異体ですわぁ。この子なら、勇者様も少しはお楽しみいただけるかと。――さぁ、勇者様と遊んであげて」
イロニスが発すると同時に、その特異体ゾンビは、その巨体に見合わぬ瞬発力を見せ、ハシア向けて突貫した。
「な――がぁッ――!」
その外観に似合わぬ速さにハシアの反応は遅れ、彼は特異体ゾンビの体当たりを諸に受ける。
そしてハシアと特異体ゾンビは背後にあった家屋の壁を倒壊させ、外へと飛び出した。
偵察隊各員は村長邸の敷地内にあったガラクタなどをかき集め、どうにか門を塞ぐバリケードを完成させていた。そして今は小屋から拝借して来た油樽の中身を、周囲に散布している。
「これ、うまく行きますかね?」
「さぁな、やってみるしかねぇ」
作業を行いながら呟く出蔵に、制刻が答える。
ゴシャッ、っと何かが倒壊する音がその場にいる各員の耳に届いたのは、その時だった。
「何だ今の音?」
「家の裏からだな、家ん中でなんかあったか」
河義が疑問の声を上げ、制刻が推測の言葉を発する。
「ハシアさん、どうしました!?応答してください!」
河義はハシアに向けて無線通信を発報する。しかし、インターカムを付けているはずのハシアからの応答は無い。
「そんな、まさか――お、お父さん、お母さん!」
その直後、ニニマが家に向かって駆け出した。
「ちょ、ニニマさん!」
「俺が追います!」
河義の制止の声も聞かずに行ってしまったニニマを、新好地が追いかける。
「俺は裏を見てきます。策頼、一緒に来てくれ」
「は」
「すまん、頼む!」
そして河義の言葉を受けながら、制刻と策頼は、村長邸の裏へと向かった。
「は、ハシアぁッ!」
特異体ゾンビの突貫を受けたハシアの姿が屋内から消え、アインプは彼の名を呼び、声を張り上げる。
「あらあら、勇者様も油断なさるのねぇ。特異体ちゃんの体当たりを、真正面から受けちゃったわ」
イロニスは呑気な、それでいて煽るような口調で発する。
「な、なんてことするんだこの変態女ぁッ!」
「あらあら、そんなに怒っちゃって。大切な勇者様を傷つけられるのが嫌だったかしら?」
「当り前だろぉッ!」
アインプは犬歯を剥き出しにして発する。
「ふふ――」
イロニスはそんなアインプを見下ろして怪しく微笑む。そして、懐から小さな小瓶を取り出した。
「これをあなたに試してみるのも、いいかもしれないわねぇ」
「え……な、なんだよぉ、何する気だ……!」
怪しい微笑みを浮かべたイロニスに、対するそれを見たアインプの表情は強張る。
「ふふ。これはねぇ、村の人達をアンデッドちゃんにしたお薬よぉ」
「な!?」
「ただし、これは服用者の元の身体能力をより反映するよう改良してあるの。あなたに使ったら、きっとつよーいアンデッドちゃんになると思うわぁ」
言うとイロニスは、小瓶を持つ手とは反対の手でナイフを取り出し、ゆっくりと戦士に近づく。
「勇者様を他の誰かに傷つけられたくないのならぁ、あなた自身が直接勇者様と戦えばいいんじゃなぁい?」
「な、ふざけるなッ!やめろ、来るなぁッ!」
青ざめた顔で叫び声を上げるアインプ。
「ふふ、怯えた顔も素敵よぉ」
イロニスはそんなアインプに囁き、そして彼女にナイフを握った手を伸ばす――
「そこの人、止まってッ!」
部屋内にまた別の声が響いたのは、その時だった。その声にイロニスは動きを止め、アインプは顔を上げる。
「戦士様から離れてください!」
そこに立っていたのはニニマだった。彼女の手には短剣が握られ、その切っ先はイロニスへと向けられている。
「あらあら、今日はお客さんが一杯ねぇ」
イロニスはため息交じりに発して振りかえる。
「う、動かな――え?」
警告の言葉を発しかけたニニマだったが、直後に動きを止めたのは彼女の方だった。
「う、うそ……」
「あら?」
「………おねぇ……ちゃん?」
そしてニニマの口からイロニスに向けて、そんな言葉が発せられた。
「あら、あらあら~。ひょっとしてニニマちゃん?あらぁ、勇者様と一緒に逃げていたのはニニマちゃんだったのねぇ~。大きくなってて、遠目には分からなかったわぁ」
イロニスは笑みを浮かべて、純粋に再開を喜ぶように話す。しかし、ニニマは違った。
「なんで……お姉ちゃんは旅に出て……旅先で病気になって死んだって……」
「あら~。パパたち、ニニマちゃんにはそう教えてたのねぇ~。まぁ当然かしら?姉が邪法に触れて勘当されたなんて言えないものね~」
「勘当……?じゃ、邪法って……?」
呆然とした表情で、絞り出すように言うニニマ。
「あぁ、邪法なんて言葉を使っちゃったけどぉ、本当は全然そんな事ないの、とっても素敵な物なのよぉ?ニニマちゃんも見たでしょう、村の人達の新しい姿を?」
「そんな……まさかお姉ちゃんが……?」
「そう。お姉ちゃんは村の井戸にぃ、毒とお姉ちゃんが作ったアンデッドちゃんになる薬を入れさせてもらいましたぁ。そ・し・て、み~んな新しい姿に大変身ッ!ってわけよぉ」
「嘘……じゃ、じゃあお父さんとお母さんは!?」
「あぁ、パパとママはちょっと寝室でお・や・す・み・中よ。でも心配しないで、すぐにまた会えるから。まぁ――お話するのはちょ~っと無理かもしれないけど?」
イロニスは頬に指をあて、悪びれもせずに言う。
「あ……あ……あああああーーッ!」
次の瞬間、ニニマは短剣を逆手に持ち替え、イロニスに向けて飛び掛かった。
「おっとぉ」
イロニスはそれを避けるが、ニニマは間髪入れずに反転し、再びイロニス目がけて切りかかる。
「あああぁぁッ!」
「あらあらぁ、パパの短剣術はニニマちゃんが受け継いだのね~。太刀筋がパパそっくりだわぁ――でもね」
「あッ!?」
ニニマは短剣を持つ右手をイロニスに掴んで止められ、そしてそのままイロニスに抱き寄せられた。
「そんなに興奮してちゃぁ、お姉ちゃんは倒せないわぁ」
「あ、あぁ……」
抱き留められ、脱力したニニマの腕から、イロニスは短剣を取り上げる。そしてイロニスはニニマに顔を近づける。
「え、ちょ!ニニマちゃん逃げてッ!」
拘束されているアインプが発するが、その声はニニマに届いてはいない。
「かわいそうに村娘ちゃん、辛いのねぇ――でも大丈夫、お姉ちゃんに任せて。すぐにパパやママと一緒になれるわぁ~」
言いながら、イロニスはニニマの首筋に短剣を突き立てる――
「だッ!」
「がッ!?」
イロニスの横面に何者かの飛び蹴りが叩き込まれ、彼女が吹っ飛んだのはその次の瞬間だった。
「え……?」
「へ?」
突然の事態に、ニニマやアインプは状況を把握しきれず、呆けた顔を作る。
「糞、思いのほか広くて迷うわ、ぶつけるわで散々だッ!」
彼女らの目の前、愚痴を吐き捨てそこに立つ新好地の姿がそこにあった。
「大丈夫か、嬢ちゃん?」
「ら、ラクトさん……!」
ニニマはそこでようやく乱入者が新好地である事に気付き、彼の名を呼ぶ。
「ぐッ……本当にお客さんの多い日ね……怪しい格好して、強盗さんか何かかしら……?」
「うっせぇ!怪しいのはお互い様だろうがッ!」
痛みに苛まれながらも微笑を浮かべて言ったイロニスに、新好地は返す。
「ふふ……」
直後、イロニスは不敵に笑い、そして己の指をパチンと鳴らす。
「ッ――ラクトさん!」
ニニマの声が響き、新好地は振り返る。振り返った彼の目に、飛び掛かり襲い掛かる獣のようなゾンビの姿が映った。ゾンビは中空で新好地目がけてその鋭い爪を振るう。
しかし、その爪が届くよりも、新好地の対応の方が一瞬早かった。新好地はショットガンをゾンビに向けて構え、すかさず引き金を引く。ゾンビは散弾を真正面から浴び、その勢いで壁に叩き付けられ動かなくなった。
「危ねぇ……!」
新好地は冷や汗を掻きながら発する。
「あら、不思議な武器を使うわね」
イロニスは意外そうな表情で発しながら、腕を翳して指を振るう。
すると、彼女の足元にいつの間にか現れていた、複数の新たな獣のようなゾンビが、新好地に向けて襲い掛かって来た。
「糞ッ!」
新好地は迫るゾンビ達に向けて立て続けにショットガンの引き金を引く。ゾンビ達は散弾を浴びせられ、悲鳴と共に次々なぎ倒されてゆく。
「んもう、厄介な人ねぇ――」
イロニスは口を尖らせて言いながら、新たなゾンビを呼び寄せるべく、再び指を鳴らそうとする。
「いい加減にしろッ!」
しかし次の瞬間、新好地がイロニスの掲げた腕を狙って、発砲した。
「ヅッ!?」
撃ち出された散弾はイロニスの片腕の皮を裂いて肉を削ぎ、彼女の腕に浅くはない傷を作る。
「ふふ……本当にいけない強盗さんね……」
腕から血を流しながらも、首筋に一筋の汗を流しながらも、イロニスはその笑みを崩さずに発する。
「強盗じゃねぇ!ったく、なんて奴だ……」
散弾をその身に受けてなお、微笑を浮かべ続けるイロニスの姿に、新好地は背中に寒い物を覚える。
「う~んでもでも――確かに強いけど普通の人には変わりないみたいねぇ~。研究材料としてはつまらないかなぁ~」
「ッ、何を気色悪い事言ってやがる!」
「うふふ……」
イロニスは新好地の問いかけには答えずに、不気味な笑みを彼へと向ける。
「……お姉ちゃん、いい加減にしてよ……ッ!」
そこへ、ニニマの声が飛び込んだ。新好地の登場でいくらか気力を持ち直したのか、彼女の瞳には怒りの色が浮かんでいた。
「はぁ!?このパッパラパー姉ちゃん、嬢ちゃんの姉貴なのか!?」
ニニマとイロニスの関係性を知り、新好地は驚きの声を上げる。
「あらあら~、怖い顔しないでニニマちゃん」
「なんでなの……これだけのことをしておいて、どうして笑っていられるの!?お姉ちゃんのやってる事が、おかしいと思わないの!?」
ニニマは鋭い目つきでイロニスを問い詰める。
「あら~、ニニマちゃん分からない?人ってみ~んな不安と不満を抱えながら生きてるじゃない?お姉ちゃんもこの村だけでなくいろんな所を見て来たけど、どこもギスギスしてて、嫌になっちゃうって感じだったわ~」
イロニスはふざけた口調で続ける。
「でもでも~、み~んなアンデッドちゃんになれば~、そんあ嫌~な事もなくなるわぁ。不安も不満も無くなってぇ、何に対しても一致団結ってね?ね、素敵だと思わない?」
イロニスは傷を負った身でありながら、子供のように楽し気に話す。
「元の考えは立派かもしれねぇが、辿り着いた手段がこの有様かよ……。姉ちゃん、アンタの脳味噌は確実に虫食ってるぜ!」
イロニスの言葉を聞いた新好地は吐き捨てる。
「あら~、まだ理解できない~?それなら~――」
「もういいッ!!」
ニニマはイロニスの言葉を遮り一喝する。
「お姉ちゃんはずっと前に死んだ……あなたはお姉ちゃんじゃないッ!!」
ニニマは言い切ると、イロニスが落とした短剣を拾い上げる。そして同時にイロニスに向かって切りかかった。
「おっと」
イロニスは背後へ跳躍してニニマの一太刀を避けると、そのままさらに飛ぶような動作で隣接する部屋へと逃げる。手負いの体で相手をするのは、さすがに不利と判断したのだろう。
そしてニニマはそれを追いかけて、部屋を出て行った。
一方の新好地は呆気に取られていたが、すぐに気を取り直して二人を追いかけようとする。
「あ!ま、待って!これほどいてってッ!」
「え、あぁ、悪ぃ!」
しかしそこでアインプに呼び止められ、新好地は彼女の解放を優先する事となった。
時系列は少し遡る。
「ぐッ――がッ――!」
特異体ゾンビの体当たりを受け、家屋の壁を突き破って外へと押し出されたハシアは、そのまま勢いで吹き飛ばされ、一度バウンドした後に地面に倒れる。
「ぐ……」
ハシアがその体に受けたダメージは軽い物ではなく、直ちに起き上がる事は困難であった。
しかし地面に倒れたハシアに、特異体ゾンビは容赦なく迫る。そしてハシアの傍まで来た特異体ゾンビは、彼を踏みつぶすべく、その腫れ上がった片足を持ち上げてハシアの上へと運ぶ。
しかし、特異体ゾンビの足が踏み下ろされる直前、ハシアの体がその場から消えた。特異体ゾンビの脚は、そのまま何もない地面に重々しい音を立てて踏み下ろされる。
「――え……?」
ハシアは自分の体が何者かに抱えられている事に気付く。彼が視線を上げれば、そこには他ならぬ制刻の姿があった。
「ギリだったな」
制刻はハシアを小脇に抱えて駆けながら呟く。
「ジユウ……!すまない……」
ハシアは苦し気な声色で、制刻に向けて謝罪する。
「別にいい」
それに対して制刻は端的に返す。そして制刻は敷地を覆う塀の傍へ駆け込むと、やや手荒な動作でハシアの体をそこに置いた。そしてそこに合流した策頼が、警戒の姿勢を取る。
「ジユウ……中にアインプと、この村がこうなった元凶が……」
「元凶だと?」
ハシアの言葉に、制刻は訝しむ声を上げる。
「オ゛オ゛オ゛ーー……!!」
しかしその時、特異体ゾンビが低くそして不快な呻き声を上げ、制刻等の注意を引いた。見れば、特異体ゾンビは緩慢な歩みだが、こちらとの距離を詰めつつあった。
「自由さん、奴が来ます」
「しゃあねぇ。家ん中には新好地が行ってる、あいつに任せるとしよう。俺等は、このヘヴィなヤツの処理が先だ」
言うと制刻と策頼は、特異体ゾンビを迎え撃つべく、その場を離れて向かってゆく。
次の瞬間、特異体ゾンビは制刻等目がけて、突然速度を上げて突貫して来た。
「避けろ!」
制刻と策頼はそれぞれ左右に飛ぶ。
ギリギリの所で二人は特異体ゾンビの突貫を回避。特異体ゾンビの突貫は空を切り、二人の間を突き抜けてその先で停止する。
目標を見失った特異体ゾンビは、その頭を仕切りに動かして索敵を行っている。
「賢くねぇな。ほれ、こっちだ」
制刻は特異体ゾンビの注意をハシアに向かせないため、特異体ゾンビの背中に発砲して注意を自分へと向かせる。
背中に5.56㎜弾を数発受けた特異体ゾンビは、しかしそれによりダメージを受けた様子は無く、のっそりとし動作で制刻の方を向く。そして制刻を発見した特異体ゾンビは、一転した瞬発力で駆け出し、制刻目がけて突貫して来た。
「っとぉ」
制刻は再び横に飛んでそれを回避する。
特異体ゾンビは再び目標を見失い、制刻等にその背を晒す。制刻はその背中に小銃を向けて三点制限点射で数回発砲。策頼も同様にショットガンを構えて数回発砲。5.56㎜弾と散弾が特異体ゾンビの背中に浴びせられる。
「オ゛オ゛ッ……!」
攻撃に、しかし特異体ゾンビは呻き声こそ上げれどもダメージを受けた様子は見せてはいない。そして今度は策頼の方を向き、彼に向かって突貫を仕掛けた。
策頼は制刻同様に横に飛んで突貫を回避。特異体ゾンビの突貫は三度空振り、そして目標をロストする。
「自由さん、弾が通ってません」
「見かけ通り、硬ぇようだな」
分析の言葉を交わす二人。
「しゃぁねぇ、ちょいと荒業が必要なようだな。策頼、奴を俺の鼻先で立ち止まるよう誘導できるか?」
「やります」
言うと策頼は、自分を通り越して行った特異体ゾンビに向けてショットガンを構え、発砲。攻撃を受けた特異体ゾンビは策頼に振り向き、突貫を仕掛けて来た。
策頼はこれまでと同様に横に飛んで回避。策頼が居た場所を走り抜けて行った特異体ゾンビは、その先でつんのめるようにして停止する。
「――よぉ」
その特異体ゾンビの懐へ、制刻が踏み込んで来たのは次の瞬間だった。
突然間近に現れた制刻に、特異体ゾンビは反応できていない。そして制刻の手にはピンの抜かれた手榴弾が握られており、制刻はそんな特異体ゾンビの口目がけて、手榴弾を思い切り叩き込んだ。
「ヴォッ」
手榴弾を捻じ込まれた特異体ゾンビの口からくぐもった声が上がる。
制刻は手榴弾を特異体ゾンビの口に叩き込むと、すかさず特異体ゾンビの腹を蹴って、その反動で飛び、特異体ゾンビとの距離を取る。
その直後、特異体ゾンビの口内に捻じ込まれた手榴弾が炸裂した。
「ビョッ――」
特異体ゾンビの頭は、炸裂音とそして奇妙な悲鳴のような音と共に爆ぜた。
頭部を構成していた頭骨や脳髄、眼球や歯、その他肉片が周囲へ飛び散る。そして頭部を完全に失った特異体ゾンビは、一拍の間を置いた後に、ドシンという音と砂煙を立てて、地面に倒れ伏し、動かなくなった。
「やぁれやれ」
制刻は飛び退いた先で、立ち上がりながら呟く。
「仕留めましたね」
そこへ策頼が合流。
制刻と策頼は倒れた特異体ゾンビの体を遠巻きに確認し、完全に無力化できた事を確認する。
「ハシアを回収して、新好地んトコに向かうぞ。その元凶とやらを抑える必要がある」
「了」
二人はそう言葉を交わすと、行動へと取り掛かった。
「あぁぁッ!」
「うふふ~、かっこいいわぁニニマちゃん」
村長邸の一室で、ニニマとイロニスは戦いを続けていた。
ニニマは短剣を振りかざして幾度もイロニスに切りかかるが、イロニスは負傷している身でありながらも、ニニマから放たれる攻撃を軽やかに回避していた。
「でもでもぉ、そんな迷ってるようじゃ、いつまでたっても――」
ニニマに対して意識してか無意識かは分からないが、回避行動を行いながら挑発の言葉を掛けようとするイロニス。しかし――
「――捕まえたッ!」
「え――きゃッ!」
次の瞬間だった。短剣を回避したイロニスのローブの裾をニニマが踏みつけ、それに引っ張られたイロニスは、仰向けに転倒した。
そしてニニマはそのままイロニスの体に伸し掛かり、体を押さえつける。
「痛た……なかなか強引になったわねぇ、村娘ちゃん?」
「……」
形勢不利に陥ってなお、イロニスは余裕の表情を崩さない。
「あらぁ?」
その時、イロニスの視線がニニマの胸元に向く。
「あらぁ、そのペンダント、ニニマちゃんがみつけてくれたのねぇ」
「え……?」
イロニスが指摘したのは、ニニマの首から下がっていた二つのペンダントの内の片方だ。それは先程発見した、アインプの斧に絡まっていた物だ。
「良かったわぁ。懐かしくてつい家から持ちだしちゃったけど、あの戦士様を捕まえるときに無くしちゃって困ってたのよねぇ」
「……」
「ふふ、覚えてるかしらニニマちゃん。ニニマちゃんが小っちゃい頃、私のそのペンダントを欲しがって泣いちゃった事があったわよねぇ。そしてママがお揃いの物を作ってくれたの。ホント懐かしいわぁ」
「ぁ……」
イロニスの言葉により、ニニマとイロニスの過去の情景が、ニニマの脳裏にフラッシュバックする。
「ッ……」
ニニマは自身の頭を振ってその記憶を振り払い、イロニスに短剣を突き立てようとする。
「あら、どうしたのニニマちゃん。絶好のチャンスよぉ?」
突き立てようとした。しかし――
「………できない」
ニニマは短剣を握ったその右腕を力なく降ろし、そしてイロニスの体の上にへたり込む。そして静かに泣き出した。
「――うふふ、やっぱりニニマちゃんねぇ」
対するイロニスは上半身を起こすと、自身の体の上で泣くニニマの体を抱き寄せた。
「いい子いい子」
イロニスは片手でニニマの頭を撫でながら、もう片方の手でニニマの手から短剣を再び取り上げる。
「大丈夫、お姉ちゃんが大切にしてあげる」
「ぅ……ぇぅ……」
イロニスのその言葉の意味を理解していながら、しかしニニマは抵抗せず、静かに涙だけを流し続ける。
そしてイロニスは、ニニマの首元に静かに短剣の刃を当てる――
ドスッ――と、刃物が肉に突き刺さる音がした。
〝イロニス〟の首から。
「……ぇ?」
「――ぇ?……ぁ、が……」
ニニマとイロニス、両者から疑問の色の含まれた、声にならない声が上がる。
イロニスの首には、銃剣が突き刺さっていた。そして彼女の背後には、その銃剣の主である新好地の姿があった。
「さっきの嬢ちゃんの言葉を聞いてなかったのか。嬢ちゃんの姉貴は死んだ」
イロニスに向けて言い放つと同時に、彼女の首から銃剣を引き抜く新好地。イロニスの首から鮮血が噴き出し、彼女は床に崩れるように倒れ、動かなくなった。
新好地はイロニスの亡骸の傍で屈み、開いたままの彼女の両目を手で閉じる。
「だが、嬢ちゃん……あんたが手を下さなかったのは……多分それでいい」
そしてニニマの瞳を見つめて言った。
「ぅ……は……い……、う……うぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!」
ニニマは新好地に返事を返し、そして今度は大声で泣き始めた――。
「ケリはついたみてぇだな」
新好地に向けて声が掛かる。
新好地が顔を上げると、家屋内に制刻と策頼、ハシアとアインプの姿があった。アインプは
策頼に支えられ、ハシアは制刻の小脇に抱えられている。
「あぁ……」
新好地は静かな声で返す。
「ジ、ジユウ……もう大丈夫だから降ろしてくれないか……?」
そこへ小脇に抱えられてるハシアから、困惑混じりの要望の声が上がる。
「ん?あぁ」
ハシアの言葉を受け、制刻はハシアの体を床に降ろしてやる。
「すまない……」
降ろされたハシアは、新好地とニニマの足元に倒れているイロニスの体に視線を向ける。策頼に支えられているアインプも同様に視線を落としている。
そして二人の視線は、目元を泣き腫らしたニニマに移り、それらを目にした二人は状況を理解する。
この村で巻き起こった事態の元凶である、イロニスが倒された事は喜ぶべきことだったが、同時に姉を失ったニニマの事を考えれば、状況を素直に喜ぶ事はできなかった。
「感傷に浸るのは後だ。まだ、外の奴等が残ってる」
「あぁ、だね……」
制刻が言い、ハシアが返す。
「新好地。俺等は外の河義三曹等と合流する。お前等は、落ち着くまで休んでろ」
「すまん、頼む……」
新好地にニニマを任せ、制刻等は河義三曹等の戻るべく、村長邸を出た。
「こっちは撒き終わった」
「こっち側もOKです」
河義や出蔵等が、中身が空になった油樽を放り転がしながら、合図を交わし合う。
村長邸の敷地内には、指揮通信車を中心にそして遠巻きに囲うように、油が撒き終えられた所だった。
油の散布作業を終えた各員は、指揮通信車の元へ集まる。
「よし、矢万三曹。バリケードを撃ってくれ」
「了解」
河義は、指揮通信車のターレットで12.7㎜重機関銃に付く矢万に向けて発する。指示を受けた矢万は12.7㎜重機関銃を門を塞いでいるバリケードに向け、そして押し鉄に力を込めて発砲した。
撃ち出された数発の12.7㎜口径弾は、バリケードの各所を損壊させる。そして損壊により強度の弱くなったバリケードは、外側に群がっていたゾンビ達の圧により、音を立てて崩壊。遮る物の無くなった門からは、無数のゾンビ達が溢れ出て来た。
「来ました!」
「待てよ……油に踏み込むまで待て……」
押し入って来たゾンビ達を目にして声を上げた出蔵に、河義は待つよう声を上げながら、ゾンビ達の同行を見守る。指揮通信車に向けて緩慢な動きで迫って来たゾンビ達は、やがて油が撒かれた場所へと足を踏み入れた。
「今だ、着火しろッ!」
次の瞬間、河義の合図と共に、各員がその手に持っていた発炎筒が一斉に撒かれた油へと投げ込まれる。そして発炎筒から上がる炎が油に引火。炎は瞬く間に敷かれた油全域に燃え広がり、指揮通信車の周りに炎の壁が出来上がった。
「「「オ゛オ゛オ゛ーー……」」」
上がった炎は踏み込んで来たゾンビ達を包み込み、炎の壁の中からは鈍い悲鳴が悲鳴のような唸り声が聞こえてくる。
「何体か炎の中から出てきます」
指揮通信車の操縦席から半身を出して警戒に付いていた鬼奈落が発する。何体かのゾンビが炎の壁を抜け、火達磨になった状態でなお、指揮通信車へと向かってきていた。鬼奈落はそんなゾンビ達に向けて65式9mm短機関銃を構える。
「いい、撃つな。もう焼け死ぬ」
しかし河義が発砲を差し止めた。火達磨となったゾンビ達の動きはそれまでに輪をかけて鈍くなっており、そしてゾンビ達は指揮通信車にたどり着くことなく、次々とその場に崩れ落ちて行った。
ゾンビ達の中には何体か、俊敏さに秀でた獣のようなゾンビも含まれていたが、彼等もまた炎に巻かれ火達磨となって行く。そして火達磨となった獣のようなゾンビ達は、明後日の方向に駆けずり周り、転がり回るなど、緩慢な動きのゾンビ達とはまた違った悶え方を見せながら、しかし最終的には同様に崩れ落ちて動かなくなっていった。
数十分が経過し、炎の壁を抜けてくるゾンビはいなくなった。そして油を消費し切った炎の壁も次第にその勢いを減じ、やがて収まった炎の焼け跡からは、とても両手では足りない数のゾンビ達の亡骸が姿を現した。
「かなりの数だな」
「おそらく、ゾンビ化した村の人間の大半が押し寄せてきたんでしょう」
焼け跡の検分を行っていた河義と制刻が言葉を交わす。
「なら、事態の一応の鎮静化は、できたという事かな……」
河義は大量のゾンビ化した村人達の黒焦げになった亡骸に視線を落としながら、複雑そうな表情で呟いた。
偵察隊はおそらくこの村での最後の物になるであろう仕事に取り掛かっていた。
村長邸の家屋内から、三人分の亡骸が運び出されて来る。それは、イロニスの手によってすでに亡き者となっていた、ニニマとイロニスの両親。そしてなによりイロニス自身の物であった。
それら三人の亡骸の弔いが、残された最後の仕事であった。
敷地内の一角に再び油が撒かれ、その上にかき集められた木の枝や木屑が敷き詰められ、そこにイロニスと両親の亡骸が寝かされる。
偵察隊は三人の弔いの方法に荼毘を選択していた。万が一にも彼等の亡骸がゾンビ化する事を防ぐためであった。
準備が整い、偵察隊の各員が見守る中、ニニマが三人の亡骸の傍に傅き、祈りをささげている。そして祈りが終わると、ニニマはそれぞれの亡骸に順番に最後の別れを告げてゆく。
父の亡骸には自らの短剣を握らせてその手を握り、次に同様に母の手を握る。そして最後にニニマは、イロニスの亡骸の前に屈む。そして自身の首から下がる二つのペンダントの内、自身が元から付けていた方を外して、イロニスの亡骸の首に下げた。
「お姉ちゃん……嫌だったなら、辛かったなら、普通に帰って来て欲しかったよ……。そうすれば、私はお姉ちゃんを拒絶しなかったのに、守ったのに……!ううん、私だけじゃなくお父さんやお母さんだって……ッ!」
そしてニニマはイロニスの亡骸に向けて、再び泣き出しそうな声色で発した。
「……家族だもん……」
そして最後に一言零したニニマは、嗚咽を堪えて立ち上がり、亡骸の傍を離れた。
「……すみません、大丈夫です」
「分かりました」
ニニマは待機していた河義に言う。河義は返事を返すと、ニニマと入れ替わりに亡骸へと近寄り、手にしていた発炎筒を発火。亡骸の下に巻かれた油へと発炎筒をくべる。
油に引火した発炎筒の火は炎となって燃え上がり、その炎はニニマの両親とイロニスの亡骸を包み込んだ。
「……よし、撤収準備だ」
上がる炎を横目に見ながら、河義は指示の声を上げる。
「この村は、このままで行くんですか?」
「ここまでの惨事だ、今の私達だけでは手に余る。どこか、この世界の警察機関に持ち込む必要があるだろう」
疑問の言葉を発した矢万に、河義は返す。
「君たちも確か月橋の町に向かっているんだったよね?そこでこの村の事を報告しよう。ここはすでに月詠湖の国の領内だし、事態を知らせれば月詠湖の国の兵団が派遣されるはずだ」
「成程。それが良さそうですね」
ハシアが提案し、河義はそれに賛同する。そして各員は撤収の準備に取り掛かる。その中で、ニニマは両親とイロニスの亡骸が荼毘に付されるのを見つめている。
「嬢ちゃん」
そんなニニマに、新好地が声を掛ける。
「すみません、もう少しだけ……」
「いいさ、最後なんだからな……」
ニニマはその炎が完全に燃え尽きるまで、その光景を見つめ続けていた。
各銃座にはそれぞれ矢万と策頼が付き、警戒を行っている。
そして指揮通信車の隊員収容用スペースでは、出蔵が新好地の手当てを行っていた。
「――うん、骨も内臓も異常無いですね」
「そうか、良かった……痛てッ!」
「ただし体を強く打ってることに変わりはありませんから、回復には少しかかりますよ」
「ッー……了解……」
出蔵の言葉に、新好地は顔を顰めながら返した。
「あの、ごめんなさい……」
そこへ指揮通信車の外から声が掛かる。開け放たれた後部ハッチの側に、ニニマの姿があった。彼女は新好地の手当ての様子を、ずっと見守っていたのだ。
「嬢ちゃんが謝ることはねぇさ」
「でも、私のせいで……えっと……」
そこで少し戸惑った様子を見せるニニマ。
「ん?あぁ――おれは新好地だ」
新好地はその意図を察し、自分の名前を告げる。
「に、ニーコーチさん……?」
「呼びにくかったら、楽人でいい」
「えっと……私のせいでラクトさんが……」
「俺が勝手にやった事だ、嬢ちゃんが気にする必要はねぇさ」
「でも――いえ、ありがとうございました……」
ニニマはそれ以上は返って失礼だと判断したのだろう、少し割り切れないといった表情だが、新好地に向けて礼を言った。
「えっと、いいですか?」
そこへニニマの背後から声が掛かり、河義が姿を現した。背後には制刻や剱、ハシア等の姿も見える。
「は、はい!」
「あぁ、すみません。私はこの偵察隊の指揮を任されています、河義と申します」
驚き振りむいたニニマに、河義は謝罪と自己紹介をする。
「あなたはあの集落に住んでいる方ですか?」
「は、はい……」
「では申し訳ないのですが、教えていただけませんか。あの集落で何があったのか?」
河義のその質問に、ニニマは困惑した表情を作る。
「……ごめんなさい、私にも分からないんです……。私は一週間の間、月橋の町への使いでこの村を離れていたんです。そして今日の夕方にやっと帰ってきたら……」
「あの事態か」
ニニマの言葉の最後を、制刻が引き継ぎ答えた。
「ハシア、オメェさんは何か分からないのか?」
制刻はハシアに尋ねる。
「すまないが何も……正直、集落での光景だって、未だに信じ切れていないんだ……」
「それに関しちゃ、俺達も同じだけどな……」
ハシアの返答に、新好地が同意の言葉を発した。
「何が起こったのかも気がかりだけど、今一番心配なのは、アインプだ……」
ハシアは囮となってはぐれたアインプの身を案ずる。
「アインプさん――たしか女性の方でしたね?そう言えば、他のお二方の姿も見えませんが……?」
「あぁ、ガティシアとイクラディは、別ルートを取ってるんだ」
河義の疑問の言葉に、ハシアは答える。
ハシアによれば、他の二人は別方向にある町への使いに行っているとの事だった。そしてハシアとアインプは最短ルートである連峰を越える道を通って月橋の町を目指し、そこで情報を収集。後に町で後の二人と落ち合う事になっていたらしい。
「目的地は私達と同じなんですね」
「その道中で、あの集落を見つけたわけか」
河義と制刻が順に言う。
「あぁ。そして集落を訪ねてみたら、村人に追いかけられてるニニマさんと出くわして、そのまま逃げ回る羽目になったんだ。その途中でアインプは、僕らを逃がすために……」
「ごめんなさい……私のせいで戦士様が……」
言葉尻を暗くしたハシアに、ニニマが謝罪の言葉を述べる。
「よしてくれニニマさん。あの判断を下したのはアインプ自身だし、それを受け入れてニニマさんを連れ出したのは僕だ。ニニマさん、君のせいじゃない」
謝罪を述べたニニマに、ハシアはそう返す。
「でだ。あの集落がどうしてああなっちまったかは、誰にも分かんねぇわけか」
「情報が少なすぎるな……」
制刻がハシア達の会話に割って入り、河義がそれに続いて呟いた。
「何が起こっているのかは皆目不明だけど……僕はもう一度集落に行ってみるよ」
「待ってください、ハシアさん一人で行くつもりですか?」
ハシアを河義が差し止める。
「アインプが集落に残されてる。彼女は大切な仲間なんだ、放っておく事はできない」
しかしハシアは、確固たる意思の籠った言葉でそう返した。
「河義三曹。俺等は、どうします」
制刻が河義に尋ねる。
「あれを見てしまった以上、素通りするわけには行くまい」
「んじゃ。もいっぺん、乗り込むしかねぇようですな」
「だな……異論のある者は?」
河義が尋ねるが、各員から異論が上がる事は無かった。
「――よし決まりだ、各自装備を整えろ。じき暗くなるから暗視眼鏡を忘れるな。10分後に、集落へ再度突入する」
河義の指示で、各員は準備に取り掛かる。
「すまない、本来君達には関係の無い事なのに」
「村では、あなた方に協力していただきました。お互い様です」
申し訳なさそうにするハシアに、河義はそう返した。
準備の傍ら、指揮車の近くでは制刻と出蔵が、偶然持ち出すことのできた獣のようなゾンビの死体の検分を行っていた。
「これが動いてただなんて、信じられませんよ」
「あぁ。だが、奴等は実際、俺等に襲い掛かって来た。オメェも見たろ?」
ゾンビの死体を眺めながら言葉を交わす二人。
「あの、何を……う……!」
そこへニニマが歩み寄って来た。彼女は制刻等の足元に転がるゾンビの死体に気付き、顔色を変える。
「あぁごめん、嫌な物見せちゃったね。ちょっと検死をしてただけなんだ」
「検死……あなた、お医者様なんですか?」
ニニマは小柄な女子である出蔵の姿を見ながら、意外そうに発する。
「そんな大層な物じゃないよ。ちょっと心得があるだけ」
対する出蔵はそう発する。
「……あの、村の人達は……本当に死んじゃったんですか?」
ニニマは出蔵に恐る恐る尋ねる。
「うーん、そうだね……この体に限って言えば、大分腐敗が進んでるし、少なく見積もっても二日前にはもう……」
「……」
「これは推測だけど、村の人達が動いているのは、個々の意思によるものじゃないと思う。何かは分からないけれど、別の要因によって、一度死んだ体を無理やり動かされてるんだと思うんだ」
「そんな……いえ、ありがとうございます」
出蔵の推察を聞いたニニマは、悲し気な表情のまま礼を言った。
村の中心部にある、ある家屋の一室。
「ん……ここ、どこ……――はっ!」
そこでアインプは目を覚ました。
「気が付いた?」
そして地面に横たわる彼女の前には、一人のローブ姿の女が立っていた。
「だ、誰!?――あ、あれ……?し、縛られてる!?」
床に横たわったアインプの両手両足は、縄で拘束されていた。
「残念だったわねぇ、頑張ったのに。でもおかげで、アンデッドちゃん達のいい情報が撮れたわぁ」
ローブ姿の女はその整った顔に薄気味悪い笑みを浮かべて言う。
「だ、誰だよお前!ハシアは!?」
「うふふ。勇者様ともう一人がどうなったのかは、残念だけど私にも分からないの。ただ、勇者様の魔力が感知できなくなった所を見るとぉ、逃げ出したか、それとも――アンデッドちゃん達に殺されちゃったかなぁ?」
その言葉にアインプの顔は青くなる。
「そ……そんな事あるかぁ……ッ!ハシアはなぁ、無敵なんだぞぉッ!」
しかし慌てて首を振り、ローブの女に言葉を返すアインプ。
「うふふ、元気で健気ねぇ。それに強い力を感じるわぁ。良質な研究材料になりそう」
言うとローブの女は、妖艶な動きで小さく舌なめずりをする。
「うぅ~、何をわけわかんない事言ってんだぁ……!」
「そのうち分かるわ。ま、今は大人しくしててねぇ」
言うと、ローブの女はその一室から出ていく。
「あ、待て!ちょ……くっそぉ、ハシア~!」
集落の入り口付近。
そこに何かに集る数体のゾンビの姿がある。ゾンビ達は揃って地面にある何かを貪っている。それは村人の死体だ。元は同じ村人であった彼等は、今や食人鬼となり下がり、人の亡骸を食い漁っていたのだ。
そんな彼等の内の一体は、何か近づく物音に気付き、死体から顔を上げて振り向く。
「――オ゛ッ」
そのゾンビの頭部が、次の瞬間割れたスイカのように弾け飛んで消えた。
そして重い破裂音が遠方から響き、それに合わせて死体に集っていたゾンビ達が次々と弾け飛んで行く。
やがて動くゾンビ達が一人もいなくなった所で、その傍を指揮通信車が重いエンジン音を唸らせて通り過ぎた。
「おい……今のゾンビ達、人を食ってたんじゃないか……?」
指揮通信車の上で12.7㎜重機関銃の発砲を終えた矢万が、背後に視線を送り、先に弾き飛ばしたゾンビ達の亡骸を見ながら発する。
《人を食べるのなら、ゾンビではなくグールでは?》
矢万の言葉に、無線越しに鬼奈落が疑問の言葉を寄越す。
「細かい区分なんぞ知るかよ」
それに対しては、車上で警戒に付いている制刻が返した。
「各員、よく警戒しろ。まずはハシアさんがアインプさんとはぐれた地点まで向かう。ゾンビが出たら、指揮車に近づけるな」
指揮官ようキューポラから半身を出す河義は各員へ指示を出しつつ、指揮車の前方、斜め上へと視線を向ける。
視線の先の家屋の屋根の上には、指揮車に先行して屋根の上を飛ぶように駆けるハシアの姿があった。
「すげぇな、あいつ……」
同様に上に視線を向けていた矢万が呟く。
《――えっと、聞こえるかい?》
そこへ、各員のインカムにハシアの声が響く。ハシアには、相互連絡を容易にするため、隊の装備品であるインターカムが渡されていた。
「えぇ、ハシアさん。聞こえます」
ハシアからの通信には河義が返す。
《何か、側にいないのに声がするって変な感じだね……あぁそれより、道の少し先に集団が見える。おそらく、アンデッドだ……》
「待ってください――確認しました」
河義は暗視眼鏡を覗いて道の先を確認する。そこにはハシアの言う通り、10体以上のアンデッドが蠢いていた。
《どうする、僕が切り込むかい?》
「いえ、こちらでやります。ハシアさんは、上から周辺の警戒を願います」
《分かったよ》
そこで一度ハシアからの通信が終わる。
「策頼、彼等を攻撃しろ」
「了」
河義の指示を受けて、策頼は車体前部に据え付られたMINIMI軽機を旋回させ、前方に向けて発砲を開始。撃ちだされた5.56㎜弾の群れは、蠢いたゾンビ達に襲い掛かり、彼等をなぎ倒した。
「おおよそ倒しましたが、数体まだ動いています」
策頼の報告通り、地面には銃弾を受けて尚、這いまわっている何体かのゾンビの姿があった。
「構わん。鬼奈落士長、そのまま前進しろ」
《了解です》
河義の指示を受け、鬼奈落は指揮通信車のアクセルを踏み続ける。そして指揮通信車はゾンビ達の群れに突っ込み、コンバットタイヤが這いまわるゾンビ達を引き潰して息の根を止めた。
「うわぁ、嫌な感じ……!」
車内では、出蔵がコンバットタイヤ越しの人を引き潰す感触に、嫌な声を上げた。
《見えた、前方の交差路だ》
指揮通信車がしばらく進んだ所で、ハシアから再び無線越しの声が届く。どうやら指揮通信車の進路上にある交差路が、ハシアとアインプが分かれた場所のようだった。
「鬼奈落士長、交差路の中央で停車してくれ」
《了解》
指揮車は交差路へと踏み入り、その中央で停車する。
「アインプ、居たら返事してくれ!」
ハシアは屋根の上から交差路に響く声で発する。しかし彼の呼びかけに対する返答は無かった。
「河義三曹、周りの建物も、調べといた方がいいかと」
制刻は河義に進言する。
「だな。ハシアさん、私達で周辺の建物を調べます。その間、上から監視支援を願います」
《あぁ……分かったよ》
「よし。制刻来てくれ、他の各員は周辺警戒を」
制刻と河義は指揮通信車から降り、周辺を警戒しながら交差路の角にある建物の近くへと歩み寄る。そして玄関口の両脇へと張り付いた。
「準備はいいか?」
「いつでも」
「よし――突入!」
河義が合図を発すると同時に、制刻が家屋の玄関を蹴破る。そして制刻が一度引き、入れ替わりに河義が小銃を構えて、屋内へと突入した。
「――クリア!」
「クリア」
河義と、続いて踏み込んだ制刻が、屋内を瞬時に見渡して声を上げる。家屋内は無人であり、アインプの姿も、はたまた他の生存者も、ゾンビの姿すら無かった。
「ここは無人か……次だ」
「了解」
家屋内が無人である事を確認した二人は、家屋を出て、道を横断して次の建物に向かおうとする。
「オオオーー……」
「ッ!」
河義が視線を横断していた道の先に向ければ、10体以上のゾンビ達が、緩慢な動きでこちらへと向かってくる姿が見えた。
《河義さん、奴らだ!》
そしてインカムに、矢万から通信が飛び込む。
「矢万三曹、彼等に対応してくれ!私達は周辺家屋のクリアリングを続ける!」
《了解!》
制刻と河義が道を横断し切ると同時に、指揮通信車の12.7㎜重機関銃が発砲を開始する。重々しい射撃音と共に撃ち出された12.7㎜弾は、接近していたゾンビの群れを一瞬の内に粉砕した。
その光景を横目に見ながら、制刻と河義は二件目の家屋のドアに張り付き、そして突入した。
《クリア!》
矢万の耳に、河義の家屋無力化の報告が届く。それを聞きながら、矢万は12.7㎜重機関銃の押し鉄に指で力を込め、迫るゾンビに向けて12.7㎜弾を注ぎ込む。
「矢万三曹、北側も来ます」
そこへ策頼が報告の声を上げる。見れば、言葉通り交差路の北側に、迫る別のゾンビの群れが見えた。
《皆、屋根の上にも表れた!》
今度はハシアから通信が来る。矢万が上へ目を向ければ、周辺家屋の屋根の上に、獣のようなゾンビが次々と姿を現していた。
「クソ、各員対応しろッ!」
「了」
矢万の言葉を受けた策頼は、すでにゾンビ達に狙いを付けていたMINIMI軽機の引き金を引いた。
「勇者の兄ちゃん、上はアンタに任せていいか!」
《あぁ、任せてくれ!》
インカムに向けて発した矢万が見れば、返答をしたハシアは、すでの屋根の上でゾンビ達に向けて大剣を振るっていた。
「奴らを交差路に近づけるな!」
指揮通信車から各方向へ向けて、重機、軽機による弾幕が形成される。
《クリア!次だ――》
河義と制刻は形成される火線を掻い潜って交差路内を周り、周辺家屋を一つ一つ無力化して行く。
《ッ――すまない、取りこぼした!》
家屋上に現れる獣のようなゾンビは数を増し、その内の2~3体がハシアを無視して交差路へ降り、指揮通信車へと肉薄して来た。
「構わん、こっちでやる!」
矢万は12.7㎜重機関銃の俯角を取り、独特の俊敏さで迫る獣のようなゾンビに向けて発砲。迫っていた一体のゾンビを弾き飛ばし、四散させる。しかし、迫るゾンビはその一体に留まらなかった。
「ッ――捌ききれん!鬼奈落、お前も車上に上がってくれ!」
「了解です」
矢万からの要請で、操縦手の鬼奈落が操縦席からハッチを潜って車上に上がって来る。その手には、〝65式9mm短機関銃〟が持たれている。これはニューナンブM66短機関銃が正式採用されたものであった。
鬼奈落は65式9mm短機関銃を構えて、獣のようなゾンビに向けて発砲。ゾンビは数発の9mm弾を身体に受けて、べしゃりと転倒して動かなくなった。
「こりゃえらい事だな……!」
さらにそこへ、新好地がハッチを潜って車上に上がって来た。
「新好地!?お前はいい、中にいろ!」
負傷者である新好地が出てきたことに、矢万は驚き彼に向けて発する。
「この状況じゃ、そうも言ってられませんよ!」
しかし新好地は矢万に返すと、ショットガンを構えて別方向から迫っていた獣のようなゾンビに向けて発砲した。散弾を諸に受け、ゾンビは吹き飛ばされて地面に投げ出される。
「ほら、後ろからも来てます!」
そして新好地は指揮通信車の後方を視線で示す。指揮通信車が来た道からも、多数のゾンビが迫っていた。
「ッ――河義さん急いでください!俺等は囲まれてます!」
「待ってくれ、次で最後だ!」
矢万の通信越しの急かす声に、声を張り上げて返す河義。
制刻と河義の二人は、交差路の周辺に立つ家屋群の最後の一軒の扉の前に居た。
「行くぞ――突入!」
これまで繰り返して来たのと同じ手順で、二人は家屋内に突入。
「――クリアー!」
「クリアです」
二人は最後の家屋の内部が、無人である事を確認した。
「糞……やはりもう、ここにはいないのか……」
河義は苦い表情で呟く。
「――あん?」
一方、家屋内を見回していた制刻は、その途中で足元に落ちている物体に気付き、それを拾い上げた。
「それは……?」
河義もそれに気づき、制刻が手にした物に目を落とす。それは巨大な戦斧だった。
「斧か?」
「ほう。――河義三曹、こいつぁハシアの仲間の姉ちゃんが使ってたモンです」
「何?」
制刻の言葉に、河義は若干の驚きを顔に示す。
「本当か?」
「えぇ、コイツでぶった切られかけましたから、間違いねぇかと」
「……武器だけ落ちていたという事は、ここで彼女の身に何かあったのか……?」
河義は状況を推察する。
《河義三曹、まだですか!?こっちはあまり余裕がありません!》
しかしそこへ、再び矢万からの通信が飛び込んで来た。
「ッ、仕方がない、これだけ持って戻るぞ!」
河義は考察を中断。二人は家屋内から外へと出る。そして視界に飛び込んで来たのは、多数の獣のようなゾンビに囲われている指揮通信車の姿だった。さらに獣のようなゾンビの対応に苦戦しているためか、交差路から各方へ伸びる道からは、ゾンビ達がすぐそこまで接近しつつあった。
各員はそれぞれ担当する火器でゾンビを相手取り、ハシアも屋根の上での戦いを止めて降りて来たのだろう、指揮通信車の側で群がるゾンビを蹴散らしている。
「ッ!なんて数だ!」
「急ぎましょう」
制刻と河義は指揮通信車へと駆け出す。
指揮通信車に気取られている獣のようなゾンビ達を背後から撃ち、進路を切り開く。
そして指揮通信車の元へたどり着いた二人は、その側面に取りつき、小銃を構えてゾンビ達を蹴散らす各員に加わる。
「すまん、待たせた!」
「大人気のようだな」
そして矢万に向けて河義が謝罪の言葉を発し、制刻が軽口を叩く。
「冗談はよせ!これ以上は限界です、早く乗って下さい!」
制刻に言い、そして河義に促す矢万。
「ハシアさん、乗って下さい!」
「あ、あぁ!」
制刻と河義、そしてハシアは最寄りのゾンビを蹴散らし、指揮通信車の車上に飛び乗る。
「鬼奈落、発進させろ!」
「了解」
指示を受けた鬼奈落は、65式9mm短機関銃での射撃を止め、操縦席へと引き込む。
《で、どちらに向かいます?》
「どこでもいい、とにかくここから離脱しろッ!」
鬼奈落の状況にも関わらない冷静な質問に、対する矢万は声を張り上げる。
《了解》
返事と共に鬼奈落はアクセルを踏み込んだのだろう、エンジンがより大きな唸り声を上げ、指揮通信車は急速後進。車体後方にいたゾンビを数体、跳ね飛ばし、引き潰す。そのまま後進を続ける指揮通信車の先には、道の先から迫っていたゾンビの集団の姿があった。
《このままですと、ゾンビの大群に突っ込みますよ?》
鬼奈落はバックミラーでゾンビの群れの姿を確認しながら言う。
「構うな、突っ込めッ!」
矢万は指示の声を張り上げる。
指揮通信車は後進状態のままゾンビの群れに突入。先程以上の数のゾンビを跳ね飛ばし、あるいは引き潰し、その巨体でゾンビの群れをかき分けて進路を切り開く。
そして指揮通信車はゾンビの群れを抜けた。
「ここから離れろ、全速力だ!」
河義の指示で鬼奈落は速度を上げ、指揮通信車は交差路を後にした。
指揮通信車は交差路を離れてしばらく走り、周辺にゾンビの姿が見られなくなった所で一度停車した。
「はぁッ――全員異常無いか?」
河義は車上から一度周辺を見渡して、安全を確認した後に各員に問う。
「ナシ」
「えぇ、問題ありません」
「僕も、大丈夫だ……」
策頼や制刻、ハシアがそれに答える。
「出蔵、ニニマさんは?」
「大丈夫でーす」
河義が車内に問いかけると、空いていた指揮官用キューポラから出蔵がひょこりと顔を出した。
「それで、収穫はありましたか?」
矢万は若干疲れた様子で、河義に尋ねる。
「いや、残念だが収穫と言える程の物は無かった。アインプさんが使っていた武器は見つかったが……」
河義は言いながら、制刻が手にしている戦斧に視線を落とす。
「これは……確かにアインプの物だ」
ハシアも戦斧を確認して呟く。
「こいつがあったって事は、いったんはあそこにいたんだろうな」
「でも、それだけじゃぁ……」
制刻が言い、それに続いて出蔵が呟く。
「……あれ?」
その時、ニニマが何かに気付いた。
「どうした姉ちゃん」
「あの、その斧の柄掛かってるペンダント……」
「ん?」
制刻はニニマの視線を追い、戦斧の柄に視線を落とす。見れば、そこにはニニマの言う通り、ペンダントの紐が絡まっていた。
「あぁ、こんなモンがくっ付いてたのか」
「これは……アインプの物じゃないな」
制刻が絡まっていたペンダントを取り、横からそれを確認したハシアが発する。
「姉ちゃん、これに覚えがあるのか?」
言いながら制刻は、ペンダントをニニマに渡す。
「……やっぱり、これは私の家にあった物です」
ニニマは少しの間ペンダントを観察した後に、確信を持った様子で言った。
「ニニマさんの?」
「はい、母が作ってくれた物なんです。私も同じものを持っています」
ハシアの言葉に、ニニマは自身の首元に下がるペンダントを示して見せながら言う。
「それがなぜアインプの斧に?」
「それは、分かりません……」
ハシアは疑問の言葉に、ニニマも少し困惑した様子で答える。
「だが、姉ちゃんの家に何かありそうだな」
そこで制刻が言う。
「河義三曹、姉ちゃんの家に行ってみるのがいいかと」
「そうだな……他に当ても無い、行ってみるか」
制刻の進言を受け入れ、偵察隊はニニマの家へ向かう事となった。
偵察隊は集落を走り抜け、ニニマの家へと辿り着いた。
ニニマの家は他の家屋より少し離れた位置にあり、敷地、建物共に他の家屋よりもやや広くそして大きかった。
「ここです!」
指揮通信車は家の門を越え、敷地内へと入り込み停車する。
「何か他の家と違って広いな」
「一応、村長の家なので……」
「成程、嬢ちゃんは本当にお嬢だったわけだ」
「そ、そんなんじゃないです」
新好地の言葉に、ニニマは謙遜を見せる。
「ともかく、ここにアインプがいるかもしれない。僕は家の中を見てくる」
「あ、ハシアさん――!」
河義が制止の声を掛けるが、ハシアは建物の方へと駆けて行ってしまった。
「俺達も行こうぜ!」
「あ、あの!私も――」
新好地やニニマもそれに続こうとする。
「待った、門の方を見ろ!」
しかしそこで、12.7㎜重機関銃に付いていた矢万が、門の向こうを視線で示しながら声を上げた。
「オオオーー……」
不気味な呻き声を上げながら、多数のゾンビが接近する姿がそこに見えた。そしてその数は今までの比ではない物だ。
「糞、またゾンビか!」
「それも結構な数だ。こりゃ、探すどこじゃねぇな」
ゾンビ達の姿を見て新好地が悪態を吐き、制刻は呟く。
「あれを全部相手してたら、弾が空っけつになっちまうぞ!」
矢万が叫ぶ。
「河義三曹、直接相手をするのは避けるべきです。バリケードを築いて、奴らを足止めしましょう」
「あ、あぁ」
制刻は河義に進言すると、今度はニニマに振り返る。
「姉ちゃん。この家に、油の類はねぇか?」
「あ、油でしたら料理や食べ物の加工に使うための油の樽が、離れの倉庫にあります……」
ニニマは敷地の隅にある小さな倉庫を指し示しながら言う。
「火でも放とうっていうのか?」
「えぇ。策頼と俺でそれを取りに行きます。河義三曹達は、バリケードの設置を」
「わ、分かった……」
河義は制刻の進言を聞き入れ、各員は作業を開始した。
「アインプ!いるのかい!?」
村長邸に踏み込んだハシアは、アインプを探して家屋内を探し回っていた。
家屋内の各部屋を調べ尽くしたハシアは、最後に屋内の奥側にある物置らしき部屋の間へに立つ。
「ここが最後か……」
ハシアは剣を構え直し、警戒しながら扉を開ける。
「また来たな!この縄ほどけぇッ!」
部屋内から甲高い女の声が聞こえて来たのは、その次の瞬間だった。
「もっぺん言うぞ!この縄ほどけよぉ、性悪女ァ!」
「その声……――守護の力よ、我が身に集え――」
ハシアは自身の片腕を翳し、小さく呟く。
すると彼の手に、淡い炎のような発光体が発言し、纏わりついた。
本来は自身の攻撃力を高めるための魔法であったが、ハシアはそれを伴って発言する発光体を、明かりの代わりにしたのだ。
「うわッ!急に明かりを……って、あれ?」
「アインプ、やはり君かだったか!」
明かりに照らされた声の主の正体は、アインプであった。
「は、ハシア!なんでここに……?」
「何でって、君を助けに来たに決まってるじゃないか……」
「あ、そっか」
アインプの反応に、ハシアは若干か呆れた様子をその顔に浮かべる。
「とにかく、ここから逃げるよ」
ハシアは言うと、拘束からアインプを解放するべく、彼女に近寄ろうとする。
「あらぁ、感動的なご対面だことぉ」
しかしその時、ハシアの背後から不気味な声が響き聞こえた。
ハシアは驚き振り向く。そこには、ローブ姿の一人の女が立っていた。
「ぬぁッ!お前!」
「うふふ、ごめんなさい、お邪魔しちゃって」
アインプの敵意の視線を気にもせず、ローブ姿の女は微笑を作って発する。
「誰だ、君は……!」
ハシアは警戒の視線を、大剣の切っ先をローブ姿の女に向けて問う。
「あら、私としたことが――申し遅れました。私、魔術師をしているイロニスと申しますわ、勇者様」
イロニスと名乗った彼女は、ローブの端をスカートのように摘まみ、お辞儀をして見せる。
「……アインプを拘束したのは君か……?」
「えぇ、私のアンデッドちゃん達を相手に思いのほか奮闘してくれましたので、ぜひとも実験材料にと」
イロニスのその言葉に、ハシアは目を剥く。
「何を――まさか、この村の惨状は君の仕業だというのか……!?」
「あらあら、そんなにお怖い顔をなさらないで、カワイイお顔が台無しですわ。私は、魔術を扱う物としての好奇心を実践してみたまでですわ」
「な、なんてことを……!何が好奇心だ!こんなに多くの人達を犠牲にして……ッ!」
ハシアは怒りを込めて言い放つ。
「うふふ、さすが勇者様。素敵な正義感ですわ。そして、あなたの全身から溢れる怒気と魔力――」
イロニスは舌先で自らの下唇を軽く舐め、そして言う。
「あなたもいい研究材料になりそう」
「ふざけるなぁーーッ!」
イロニスのその言葉を聞いた瞬間、ハシアは脚を踏み切り、イロニスに向かって切りかかる。
「ッ!」
しかし大剣を振りかぶる直前、ハシアは自身の横から殺気を感じ取る。そしてその方向へ剣を翳した瞬間、何かが襲い掛かり、鈍い衝撃が彼を襲った。
「ぐッ!」
辛うじて襲い来た物を大剣で防いだものの、ハシアは横に軽く飛ばされる。
どうにか足を着いて体勢立て直したハシアの目に映ったのは、獣のようなゾンビの姿だった。
「うふふ、さすがですわ勇者様。この子達の素早さに反応なさるなんて」
楽しそうに言うイロニス。彼女の周辺には、どこから現れたのか、数体の獣のようなゾンビがいる。不思議な事に、ゾンビ達はイロニスに襲い掛かる事は無く、彼女を守るように周囲を取り巻いていた。
「な……!アンデッドを、操っているのというのか……!?」
「えぇ。少し施術を施せば、この子達もいい子になって、いう事を聞いてくださいますのよ?」
「人に……なんてことを……!」
イロニスの言葉を聞き、ハシアは歯を食いしばる。
「さぁ、みんな。少し勇者様と遊んであげて」
微笑を浮かべて発するイロニス。そして次の瞬間、彼女の命を受けた獣のようなゴブリン達が、一斉にハシア向かって飛び掛かって来た。
「……くッ!」
それに対して、ハシアは意を決し、大剣を薙いだ。狭い室内で、しかし障害物にぶつからないよう巧みに薙がれた大剣は、ハシアに襲い掛かろうとしたゾンビ達を、まとめて横一文字に切り裂いた。
「あらぁ、さすが勇者様。俊足型のアンデッドちゃん達じゃあ、手に余るみたいねぇ」
ゾンビ達が一瞬の内に倒されたにも関わらず、イロニスはどこか呑気に、そして嬉しそうに発する。
「ッ……いい加減に……!」
「じゃあ、この子ならどうかしらぁ?」
イロニスはハシアの言葉を遮り発し、そしてその指をパチンと鳴らした。
そして彼女の背後、部屋の影から、今までとは毛色の違う存在が姿を現す。
「な……」
現れた存在に、ハシアは言葉を失う。
〝それ〟は人の形をしてはいた。しかし、顔、体、手足の全てがぶっくりと腫れ上がり、そして肌はそれまでのゾンビ達同様、ボロボロになり酷く変色している。元から恰幅の良い人間だったのだろうそれは、醜い変化によりより重量感を増し、緩慢な動きでノシノシとイロニスの横へと歩いて来る。
「少し手を加えた特異体ですわぁ。この子なら、勇者様も少しはお楽しみいただけるかと。――さぁ、勇者様と遊んであげて」
イロニスが発すると同時に、その特異体ゾンビは、その巨体に見合わぬ瞬発力を見せ、ハシア向けて突貫した。
「な――がぁッ――!」
その外観に似合わぬ速さにハシアの反応は遅れ、彼は特異体ゾンビの体当たりを諸に受ける。
そしてハシアと特異体ゾンビは背後にあった家屋の壁を倒壊させ、外へと飛び出した。
偵察隊各員は村長邸の敷地内にあったガラクタなどをかき集め、どうにか門を塞ぐバリケードを完成させていた。そして今は小屋から拝借して来た油樽の中身を、周囲に散布している。
「これ、うまく行きますかね?」
「さぁな、やってみるしかねぇ」
作業を行いながら呟く出蔵に、制刻が答える。
ゴシャッ、っと何かが倒壊する音がその場にいる各員の耳に届いたのは、その時だった。
「何だ今の音?」
「家の裏からだな、家ん中でなんかあったか」
河義が疑問の声を上げ、制刻が推測の言葉を発する。
「ハシアさん、どうしました!?応答してください!」
河義はハシアに向けて無線通信を発報する。しかし、インターカムを付けているはずのハシアからの応答は無い。
「そんな、まさか――お、お父さん、お母さん!」
その直後、ニニマが家に向かって駆け出した。
「ちょ、ニニマさん!」
「俺が追います!」
河義の制止の声も聞かずに行ってしまったニニマを、新好地が追いかける。
「俺は裏を見てきます。策頼、一緒に来てくれ」
「は」
「すまん、頼む!」
そして河義の言葉を受けながら、制刻と策頼は、村長邸の裏へと向かった。
「は、ハシアぁッ!」
特異体ゾンビの突貫を受けたハシアの姿が屋内から消え、アインプは彼の名を呼び、声を張り上げる。
「あらあら、勇者様も油断なさるのねぇ。特異体ちゃんの体当たりを、真正面から受けちゃったわ」
イロニスは呑気な、それでいて煽るような口調で発する。
「な、なんてことするんだこの変態女ぁッ!」
「あらあら、そんなに怒っちゃって。大切な勇者様を傷つけられるのが嫌だったかしら?」
「当り前だろぉッ!」
アインプは犬歯を剥き出しにして発する。
「ふふ――」
イロニスはそんなアインプを見下ろして怪しく微笑む。そして、懐から小さな小瓶を取り出した。
「これをあなたに試してみるのも、いいかもしれないわねぇ」
「え……な、なんだよぉ、何する気だ……!」
怪しい微笑みを浮かべたイロニスに、対するそれを見たアインプの表情は強張る。
「ふふ。これはねぇ、村の人達をアンデッドちゃんにしたお薬よぉ」
「な!?」
「ただし、これは服用者の元の身体能力をより反映するよう改良してあるの。あなたに使ったら、きっとつよーいアンデッドちゃんになると思うわぁ」
言うとイロニスは、小瓶を持つ手とは反対の手でナイフを取り出し、ゆっくりと戦士に近づく。
「勇者様を他の誰かに傷つけられたくないのならぁ、あなた自身が直接勇者様と戦えばいいんじゃなぁい?」
「な、ふざけるなッ!やめろ、来るなぁッ!」
青ざめた顔で叫び声を上げるアインプ。
「ふふ、怯えた顔も素敵よぉ」
イロニスはそんなアインプに囁き、そして彼女にナイフを握った手を伸ばす――
「そこの人、止まってッ!」
部屋内にまた別の声が響いたのは、その時だった。その声にイロニスは動きを止め、アインプは顔を上げる。
「戦士様から離れてください!」
そこに立っていたのはニニマだった。彼女の手には短剣が握られ、その切っ先はイロニスへと向けられている。
「あらあら、今日はお客さんが一杯ねぇ」
イロニスはため息交じりに発して振りかえる。
「う、動かな――え?」
警告の言葉を発しかけたニニマだったが、直後に動きを止めたのは彼女の方だった。
「う、うそ……」
「あら?」
「………おねぇ……ちゃん?」
そしてニニマの口からイロニスに向けて、そんな言葉が発せられた。
「あら、あらあら~。ひょっとしてニニマちゃん?あらぁ、勇者様と一緒に逃げていたのはニニマちゃんだったのねぇ~。大きくなってて、遠目には分からなかったわぁ」
イロニスは笑みを浮かべて、純粋に再開を喜ぶように話す。しかし、ニニマは違った。
「なんで……お姉ちゃんは旅に出て……旅先で病気になって死んだって……」
「あら~。パパたち、ニニマちゃんにはそう教えてたのねぇ~。まぁ当然かしら?姉が邪法に触れて勘当されたなんて言えないものね~」
「勘当……?じゃ、邪法って……?」
呆然とした表情で、絞り出すように言うニニマ。
「あぁ、邪法なんて言葉を使っちゃったけどぉ、本当は全然そんな事ないの、とっても素敵な物なのよぉ?ニニマちゃんも見たでしょう、村の人達の新しい姿を?」
「そんな……まさかお姉ちゃんが……?」
「そう。お姉ちゃんは村の井戸にぃ、毒とお姉ちゃんが作ったアンデッドちゃんになる薬を入れさせてもらいましたぁ。そ・し・て、み~んな新しい姿に大変身ッ!ってわけよぉ」
「嘘……じゃ、じゃあお父さんとお母さんは!?」
「あぁ、パパとママはちょっと寝室でお・や・す・み・中よ。でも心配しないで、すぐにまた会えるから。まぁ――お話するのはちょ~っと無理かもしれないけど?」
イロニスは頬に指をあて、悪びれもせずに言う。
「あ……あ……あああああーーッ!」
次の瞬間、ニニマは短剣を逆手に持ち替え、イロニスに向けて飛び掛かった。
「おっとぉ」
イロニスはそれを避けるが、ニニマは間髪入れずに反転し、再びイロニス目がけて切りかかる。
「あああぁぁッ!」
「あらあらぁ、パパの短剣術はニニマちゃんが受け継いだのね~。太刀筋がパパそっくりだわぁ――でもね」
「あッ!?」
ニニマは短剣を持つ右手をイロニスに掴んで止められ、そしてそのままイロニスに抱き寄せられた。
「そんなに興奮してちゃぁ、お姉ちゃんは倒せないわぁ」
「あ、あぁ……」
抱き留められ、脱力したニニマの腕から、イロニスは短剣を取り上げる。そしてイロニスはニニマに顔を近づける。
「え、ちょ!ニニマちゃん逃げてッ!」
拘束されているアインプが発するが、その声はニニマに届いてはいない。
「かわいそうに村娘ちゃん、辛いのねぇ――でも大丈夫、お姉ちゃんに任せて。すぐにパパやママと一緒になれるわぁ~」
言いながら、イロニスはニニマの首筋に短剣を突き立てる――
「だッ!」
「がッ!?」
イロニスの横面に何者かの飛び蹴りが叩き込まれ、彼女が吹っ飛んだのはその次の瞬間だった。
「え……?」
「へ?」
突然の事態に、ニニマやアインプは状況を把握しきれず、呆けた顔を作る。
「糞、思いのほか広くて迷うわ、ぶつけるわで散々だッ!」
彼女らの目の前、愚痴を吐き捨てそこに立つ新好地の姿がそこにあった。
「大丈夫か、嬢ちゃん?」
「ら、ラクトさん……!」
ニニマはそこでようやく乱入者が新好地である事に気付き、彼の名を呼ぶ。
「ぐッ……本当にお客さんの多い日ね……怪しい格好して、強盗さんか何かかしら……?」
「うっせぇ!怪しいのはお互い様だろうがッ!」
痛みに苛まれながらも微笑を浮かべて言ったイロニスに、新好地は返す。
「ふふ……」
直後、イロニスは不敵に笑い、そして己の指をパチンと鳴らす。
「ッ――ラクトさん!」
ニニマの声が響き、新好地は振り返る。振り返った彼の目に、飛び掛かり襲い掛かる獣のようなゾンビの姿が映った。ゾンビは中空で新好地目がけてその鋭い爪を振るう。
しかし、その爪が届くよりも、新好地の対応の方が一瞬早かった。新好地はショットガンをゾンビに向けて構え、すかさず引き金を引く。ゾンビは散弾を真正面から浴び、その勢いで壁に叩き付けられ動かなくなった。
「危ねぇ……!」
新好地は冷や汗を掻きながら発する。
「あら、不思議な武器を使うわね」
イロニスは意外そうな表情で発しながら、腕を翳して指を振るう。
すると、彼女の足元にいつの間にか現れていた、複数の新たな獣のようなゾンビが、新好地に向けて襲い掛かって来た。
「糞ッ!」
新好地は迫るゾンビ達に向けて立て続けにショットガンの引き金を引く。ゾンビ達は散弾を浴びせられ、悲鳴と共に次々なぎ倒されてゆく。
「んもう、厄介な人ねぇ――」
イロニスは口を尖らせて言いながら、新たなゾンビを呼び寄せるべく、再び指を鳴らそうとする。
「いい加減にしろッ!」
しかし次の瞬間、新好地がイロニスの掲げた腕を狙って、発砲した。
「ヅッ!?」
撃ち出された散弾はイロニスの片腕の皮を裂いて肉を削ぎ、彼女の腕に浅くはない傷を作る。
「ふふ……本当にいけない強盗さんね……」
腕から血を流しながらも、首筋に一筋の汗を流しながらも、イロニスはその笑みを崩さずに発する。
「強盗じゃねぇ!ったく、なんて奴だ……」
散弾をその身に受けてなお、微笑を浮かべ続けるイロニスの姿に、新好地は背中に寒い物を覚える。
「う~んでもでも――確かに強いけど普通の人には変わりないみたいねぇ~。研究材料としてはつまらないかなぁ~」
「ッ、何を気色悪い事言ってやがる!」
「うふふ……」
イロニスは新好地の問いかけには答えずに、不気味な笑みを彼へと向ける。
「……お姉ちゃん、いい加減にしてよ……ッ!」
そこへ、ニニマの声が飛び込んだ。新好地の登場でいくらか気力を持ち直したのか、彼女の瞳には怒りの色が浮かんでいた。
「はぁ!?このパッパラパー姉ちゃん、嬢ちゃんの姉貴なのか!?」
ニニマとイロニスの関係性を知り、新好地は驚きの声を上げる。
「あらあら~、怖い顔しないでニニマちゃん」
「なんでなの……これだけのことをしておいて、どうして笑っていられるの!?お姉ちゃんのやってる事が、おかしいと思わないの!?」
ニニマは鋭い目つきでイロニスを問い詰める。
「あら~、ニニマちゃん分からない?人ってみ~んな不安と不満を抱えながら生きてるじゃない?お姉ちゃんもこの村だけでなくいろんな所を見て来たけど、どこもギスギスしてて、嫌になっちゃうって感じだったわ~」
イロニスはふざけた口調で続ける。
「でもでも~、み~んなアンデッドちゃんになれば~、そんあ嫌~な事もなくなるわぁ。不安も不満も無くなってぇ、何に対しても一致団結ってね?ね、素敵だと思わない?」
イロニスは傷を負った身でありながら、子供のように楽し気に話す。
「元の考えは立派かもしれねぇが、辿り着いた手段がこの有様かよ……。姉ちゃん、アンタの脳味噌は確実に虫食ってるぜ!」
イロニスの言葉を聞いた新好地は吐き捨てる。
「あら~、まだ理解できない~?それなら~――」
「もういいッ!!」
ニニマはイロニスの言葉を遮り一喝する。
「お姉ちゃんはずっと前に死んだ……あなたはお姉ちゃんじゃないッ!!」
ニニマは言い切ると、イロニスが落とした短剣を拾い上げる。そして同時にイロニスに向かって切りかかった。
「おっと」
イロニスは背後へ跳躍してニニマの一太刀を避けると、そのままさらに飛ぶような動作で隣接する部屋へと逃げる。手負いの体で相手をするのは、さすがに不利と判断したのだろう。
そしてニニマはそれを追いかけて、部屋を出て行った。
一方の新好地は呆気に取られていたが、すぐに気を取り直して二人を追いかけようとする。
「あ!ま、待って!これほどいてってッ!」
「え、あぁ、悪ぃ!」
しかしそこでアインプに呼び止められ、新好地は彼女の解放を優先する事となった。
時系列は少し遡る。
「ぐッ――がッ――!」
特異体ゾンビの体当たりを受け、家屋の壁を突き破って外へと押し出されたハシアは、そのまま勢いで吹き飛ばされ、一度バウンドした後に地面に倒れる。
「ぐ……」
ハシアがその体に受けたダメージは軽い物ではなく、直ちに起き上がる事は困難であった。
しかし地面に倒れたハシアに、特異体ゾンビは容赦なく迫る。そしてハシアの傍まで来た特異体ゾンビは、彼を踏みつぶすべく、その腫れ上がった片足を持ち上げてハシアの上へと運ぶ。
しかし、特異体ゾンビの足が踏み下ろされる直前、ハシアの体がその場から消えた。特異体ゾンビの脚は、そのまま何もない地面に重々しい音を立てて踏み下ろされる。
「――え……?」
ハシアは自分の体が何者かに抱えられている事に気付く。彼が視線を上げれば、そこには他ならぬ制刻の姿があった。
「ギリだったな」
制刻はハシアを小脇に抱えて駆けながら呟く。
「ジユウ……!すまない……」
ハシアは苦し気な声色で、制刻に向けて謝罪する。
「別にいい」
それに対して制刻は端的に返す。そして制刻は敷地を覆う塀の傍へ駆け込むと、やや手荒な動作でハシアの体をそこに置いた。そしてそこに合流した策頼が、警戒の姿勢を取る。
「ジユウ……中にアインプと、この村がこうなった元凶が……」
「元凶だと?」
ハシアの言葉に、制刻は訝しむ声を上げる。
「オ゛オ゛オ゛ーー……!!」
しかしその時、特異体ゾンビが低くそして不快な呻き声を上げ、制刻等の注意を引いた。見れば、特異体ゾンビは緩慢な歩みだが、こちらとの距離を詰めつつあった。
「自由さん、奴が来ます」
「しゃあねぇ。家ん中には新好地が行ってる、あいつに任せるとしよう。俺等は、このヘヴィなヤツの処理が先だ」
言うと制刻と策頼は、特異体ゾンビを迎え撃つべく、その場を離れて向かってゆく。
次の瞬間、特異体ゾンビは制刻等目がけて、突然速度を上げて突貫して来た。
「避けろ!」
制刻と策頼はそれぞれ左右に飛ぶ。
ギリギリの所で二人は特異体ゾンビの突貫を回避。特異体ゾンビの突貫は空を切り、二人の間を突き抜けてその先で停止する。
目標を見失った特異体ゾンビは、その頭を仕切りに動かして索敵を行っている。
「賢くねぇな。ほれ、こっちだ」
制刻は特異体ゾンビの注意をハシアに向かせないため、特異体ゾンビの背中に発砲して注意を自分へと向かせる。
背中に5.56㎜弾を数発受けた特異体ゾンビは、しかしそれによりダメージを受けた様子は無く、のっそりとし動作で制刻の方を向く。そして制刻を発見した特異体ゾンビは、一転した瞬発力で駆け出し、制刻目がけて突貫して来た。
「っとぉ」
制刻は再び横に飛んでそれを回避する。
特異体ゾンビは再び目標を見失い、制刻等にその背を晒す。制刻はその背中に小銃を向けて三点制限点射で数回発砲。策頼も同様にショットガンを構えて数回発砲。5.56㎜弾と散弾が特異体ゾンビの背中に浴びせられる。
「オ゛オ゛ッ……!」
攻撃に、しかし特異体ゾンビは呻き声こそ上げれどもダメージを受けた様子は見せてはいない。そして今度は策頼の方を向き、彼に向かって突貫を仕掛けた。
策頼は制刻同様に横に飛んで突貫を回避。特異体ゾンビの突貫は三度空振り、そして目標をロストする。
「自由さん、弾が通ってません」
「見かけ通り、硬ぇようだな」
分析の言葉を交わす二人。
「しゃぁねぇ、ちょいと荒業が必要なようだな。策頼、奴を俺の鼻先で立ち止まるよう誘導できるか?」
「やります」
言うと策頼は、自分を通り越して行った特異体ゾンビに向けてショットガンを構え、発砲。攻撃を受けた特異体ゾンビは策頼に振り向き、突貫を仕掛けて来た。
策頼はこれまでと同様に横に飛んで回避。策頼が居た場所を走り抜けて行った特異体ゾンビは、その先でつんのめるようにして停止する。
「――よぉ」
その特異体ゾンビの懐へ、制刻が踏み込んで来たのは次の瞬間だった。
突然間近に現れた制刻に、特異体ゾンビは反応できていない。そして制刻の手にはピンの抜かれた手榴弾が握られており、制刻はそんな特異体ゾンビの口目がけて、手榴弾を思い切り叩き込んだ。
「ヴォッ」
手榴弾を捻じ込まれた特異体ゾンビの口からくぐもった声が上がる。
制刻は手榴弾を特異体ゾンビの口に叩き込むと、すかさず特異体ゾンビの腹を蹴って、その反動で飛び、特異体ゾンビとの距離を取る。
その直後、特異体ゾンビの口内に捻じ込まれた手榴弾が炸裂した。
「ビョッ――」
特異体ゾンビの頭は、炸裂音とそして奇妙な悲鳴のような音と共に爆ぜた。
頭部を構成していた頭骨や脳髄、眼球や歯、その他肉片が周囲へ飛び散る。そして頭部を完全に失った特異体ゾンビは、一拍の間を置いた後に、ドシンという音と砂煙を立てて、地面に倒れ伏し、動かなくなった。
「やぁれやれ」
制刻は飛び退いた先で、立ち上がりながら呟く。
「仕留めましたね」
そこへ策頼が合流。
制刻と策頼は倒れた特異体ゾンビの体を遠巻きに確認し、完全に無力化できた事を確認する。
「ハシアを回収して、新好地んトコに向かうぞ。その元凶とやらを抑える必要がある」
「了」
二人はそう言葉を交わすと、行動へと取り掛かった。
「あぁぁッ!」
「うふふ~、かっこいいわぁニニマちゃん」
村長邸の一室で、ニニマとイロニスは戦いを続けていた。
ニニマは短剣を振りかざして幾度もイロニスに切りかかるが、イロニスは負傷している身でありながらも、ニニマから放たれる攻撃を軽やかに回避していた。
「でもでもぉ、そんな迷ってるようじゃ、いつまでたっても――」
ニニマに対して意識してか無意識かは分からないが、回避行動を行いながら挑発の言葉を掛けようとするイロニス。しかし――
「――捕まえたッ!」
「え――きゃッ!」
次の瞬間だった。短剣を回避したイロニスのローブの裾をニニマが踏みつけ、それに引っ張られたイロニスは、仰向けに転倒した。
そしてニニマはそのままイロニスの体に伸し掛かり、体を押さえつける。
「痛た……なかなか強引になったわねぇ、村娘ちゃん?」
「……」
形勢不利に陥ってなお、イロニスは余裕の表情を崩さない。
「あらぁ?」
その時、イロニスの視線がニニマの胸元に向く。
「あらぁ、そのペンダント、ニニマちゃんがみつけてくれたのねぇ」
「え……?」
イロニスが指摘したのは、ニニマの首から下がっていた二つのペンダントの内の片方だ。それは先程発見した、アインプの斧に絡まっていた物だ。
「良かったわぁ。懐かしくてつい家から持ちだしちゃったけど、あの戦士様を捕まえるときに無くしちゃって困ってたのよねぇ」
「……」
「ふふ、覚えてるかしらニニマちゃん。ニニマちゃんが小っちゃい頃、私のそのペンダントを欲しがって泣いちゃった事があったわよねぇ。そしてママがお揃いの物を作ってくれたの。ホント懐かしいわぁ」
「ぁ……」
イロニスの言葉により、ニニマとイロニスの過去の情景が、ニニマの脳裏にフラッシュバックする。
「ッ……」
ニニマは自身の頭を振ってその記憶を振り払い、イロニスに短剣を突き立てようとする。
「あら、どうしたのニニマちゃん。絶好のチャンスよぉ?」
突き立てようとした。しかし――
「………できない」
ニニマは短剣を握ったその右腕を力なく降ろし、そしてイロニスの体の上にへたり込む。そして静かに泣き出した。
「――うふふ、やっぱりニニマちゃんねぇ」
対するイロニスは上半身を起こすと、自身の体の上で泣くニニマの体を抱き寄せた。
「いい子いい子」
イロニスは片手でニニマの頭を撫でながら、もう片方の手でニニマの手から短剣を再び取り上げる。
「大丈夫、お姉ちゃんが大切にしてあげる」
「ぅ……ぇぅ……」
イロニスのその言葉の意味を理解していながら、しかしニニマは抵抗せず、静かに涙だけを流し続ける。
そしてイロニスは、ニニマの首元に静かに短剣の刃を当てる――
ドスッ――と、刃物が肉に突き刺さる音がした。
〝イロニス〟の首から。
「……ぇ?」
「――ぇ?……ぁ、が……」
ニニマとイロニス、両者から疑問の色の含まれた、声にならない声が上がる。
イロニスの首には、銃剣が突き刺さっていた。そして彼女の背後には、その銃剣の主である新好地の姿があった。
「さっきの嬢ちゃんの言葉を聞いてなかったのか。嬢ちゃんの姉貴は死んだ」
イロニスに向けて言い放つと同時に、彼女の首から銃剣を引き抜く新好地。イロニスの首から鮮血が噴き出し、彼女は床に崩れるように倒れ、動かなくなった。
新好地はイロニスの亡骸の傍で屈み、開いたままの彼女の両目を手で閉じる。
「だが、嬢ちゃん……あんたが手を下さなかったのは……多分それでいい」
そしてニニマの瞳を見つめて言った。
「ぅ……は……い……、う……うぁぁぁぁぁぁぁぁんッ!」
ニニマは新好地に返事を返し、そして今度は大声で泣き始めた――。
「ケリはついたみてぇだな」
新好地に向けて声が掛かる。
新好地が顔を上げると、家屋内に制刻と策頼、ハシアとアインプの姿があった。アインプは
策頼に支えられ、ハシアは制刻の小脇に抱えられている。
「あぁ……」
新好地は静かな声で返す。
「ジ、ジユウ……もう大丈夫だから降ろしてくれないか……?」
そこへ小脇に抱えられてるハシアから、困惑混じりの要望の声が上がる。
「ん?あぁ」
ハシアの言葉を受け、制刻はハシアの体を床に降ろしてやる。
「すまない……」
降ろされたハシアは、新好地とニニマの足元に倒れているイロニスの体に視線を向ける。策頼に支えられているアインプも同様に視線を落としている。
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この村で巻き起こった事態の元凶である、イロニスが倒された事は喜ぶべきことだったが、同時に姉を失ったニニマの事を考えれば、状況を素直に喜ぶ事はできなかった。
「感傷に浸るのは後だ。まだ、外の奴等が残ってる」
「あぁ、だね……」
制刻が言い、ハシアが返す。
「新好地。俺等は外の河義三曹等と合流する。お前等は、落ち着くまで休んでろ」
「すまん、頼む……」
新好地にニニマを任せ、制刻等は河義三曹等の戻るべく、村長邸を出た。
「こっちは撒き終わった」
「こっち側もOKです」
河義や出蔵等が、中身が空になった油樽を放り転がしながら、合図を交わし合う。
村長邸の敷地内には、指揮通信車を中心にそして遠巻きに囲うように、油が撒き終えられた所だった。
油の散布作業を終えた各員は、指揮通信車の元へ集まる。
「よし、矢万三曹。バリケードを撃ってくれ」
「了解」
河義は、指揮通信車のターレットで12.7㎜重機関銃に付く矢万に向けて発する。指示を受けた矢万は12.7㎜重機関銃を門を塞いでいるバリケードに向け、そして押し鉄に力を込めて発砲した。
撃ち出された数発の12.7㎜口径弾は、バリケードの各所を損壊させる。そして損壊により強度の弱くなったバリケードは、外側に群がっていたゾンビ達の圧により、音を立てて崩壊。遮る物の無くなった門からは、無数のゾンビ達が溢れ出て来た。
「来ました!」
「待てよ……油に踏み込むまで待て……」
押し入って来たゾンビ達を目にして声を上げた出蔵に、河義は待つよう声を上げながら、ゾンビ達の同行を見守る。指揮通信車に向けて緩慢な動きで迫って来たゾンビ達は、やがて油が撒かれた場所へと足を踏み入れた。
「今だ、着火しろッ!」
次の瞬間、河義の合図と共に、各員がその手に持っていた発炎筒が一斉に撒かれた油へと投げ込まれる。そして発炎筒から上がる炎が油に引火。炎は瞬く間に敷かれた油全域に燃え広がり、指揮通信車の周りに炎の壁が出来上がった。
「「「オ゛オ゛オ゛ーー……」」」
上がった炎は踏み込んで来たゾンビ達を包み込み、炎の壁の中からは鈍い悲鳴が悲鳴のような唸り声が聞こえてくる。
「何体か炎の中から出てきます」
指揮通信車の操縦席から半身を出して警戒に付いていた鬼奈落が発する。何体かのゾンビが炎の壁を抜け、火達磨になった状態でなお、指揮通信車へと向かってきていた。鬼奈落はそんなゾンビ達に向けて65式9mm短機関銃を構える。
「いい、撃つな。もう焼け死ぬ」
しかし河義が発砲を差し止めた。火達磨となったゾンビ達の動きはそれまでに輪をかけて鈍くなっており、そしてゾンビ達は指揮通信車にたどり着くことなく、次々とその場に崩れ落ちて行った。
ゾンビ達の中には何体か、俊敏さに秀でた獣のようなゾンビも含まれていたが、彼等もまた炎に巻かれ火達磨となって行く。そして火達磨となった獣のようなゾンビ達は、明後日の方向に駆けずり周り、転がり回るなど、緩慢な動きのゾンビ達とはまた違った悶え方を見せながら、しかし最終的には同様に崩れ落ちて動かなくなっていった。
数十分が経過し、炎の壁を抜けてくるゾンビはいなくなった。そして油を消費し切った炎の壁も次第にその勢いを減じ、やがて収まった炎の焼け跡からは、とても両手では足りない数のゾンビ達の亡骸が姿を現した。
「かなりの数だな」
「おそらく、ゾンビ化した村の人間の大半が押し寄せてきたんでしょう」
焼け跡の検分を行っていた河義と制刻が言葉を交わす。
「なら、事態の一応の鎮静化は、できたという事かな……」
河義は大量のゾンビ化した村人達の黒焦げになった亡骸に視線を落としながら、複雑そうな表情で呟いた。
偵察隊はおそらくこの村での最後の物になるであろう仕事に取り掛かっていた。
村長邸の家屋内から、三人分の亡骸が運び出されて来る。それは、イロニスの手によってすでに亡き者となっていた、ニニマとイロニスの両親。そしてなによりイロニス自身の物であった。
それら三人の亡骸の弔いが、残された最後の仕事であった。
敷地内の一角に再び油が撒かれ、その上にかき集められた木の枝や木屑が敷き詰められ、そこにイロニスと両親の亡骸が寝かされる。
偵察隊は三人の弔いの方法に荼毘を選択していた。万が一にも彼等の亡骸がゾンビ化する事を防ぐためであった。
準備が整い、偵察隊の各員が見守る中、ニニマが三人の亡骸の傍に傅き、祈りをささげている。そして祈りが終わると、ニニマはそれぞれの亡骸に順番に最後の別れを告げてゆく。
父の亡骸には自らの短剣を握らせてその手を握り、次に同様に母の手を握る。そして最後にニニマは、イロニスの亡骸の前に屈む。そして自身の首から下がる二つのペンダントの内、自身が元から付けていた方を外して、イロニスの亡骸の首に下げた。
「お姉ちゃん……嫌だったなら、辛かったなら、普通に帰って来て欲しかったよ……。そうすれば、私はお姉ちゃんを拒絶しなかったのに、守ったのに……!ううん、私だけじゃなくお父さんやお母さんだって……ッ!」
そしてニニマはイロニスの亡骸に向けて、再び泣き出しそうな声色で発した。
「……家族だもん……」
そして最後に一言零したニニマは、嗚咽を堪えて立ち上がり、亡骸の傍を離れた。
「……すみません、大丈夫です」
「分かりました」
ニニマは待機していた河義に言う。河義は返事を返すと、ニニマと入れ替わりに亡骸へと近寄り、手にしていた発炎筒を発火。亡骸の下に巻かれた油へと発炎筒をくべる。
油に引火した発炎筒の火は炎となって燃え上がり、その炎はニニマの両親とイロニスの亡骸を包み込んだ。
「……よし、撤収準備だ」
上がる炎を横目に見ながら、河義は指示の声を上げる。
「この村は、このままで行くんですか?」
「ここまでの惨事だ、今の私達だけでは手に余る。どこか、この世界の警察機関に持ち込む必要があるだろう」
疑問の言葉を発した矢万に、河義は返す。
「君たちも確か月橋の町に向かっているんだったよね?そこでこの村の事を報告しよう。ここはすでに月詠湖の国の領内だし、事態を知らせれば月詠湖の国の兵団が派遣されるはずだ」
「成程。それが良さそうですね」
ハシアが提案し、河義はそれに賛同する。そして各員は撤収の準備に取り掛かる。その中で、ニニマは両親とイロニスの亡骸が荼毘に付されるのを見つめている。
「嬢ちゃん」
そんなニニマに、新好地が声を掛ける。
「すみません、もう少しだけ……」
「いいさ、最後なんだからな……」
ニニマはその炎が完全に燃え尽きるまで、その光景を見つめ続けていた。
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