華村花音の事件簿

川端睦月

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三本のアマリリス

和解 -2-

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「──田邊さん?」

 咲は『田邊さん』という呼び方に違和感を覚え、花音を見上げた。

 田邊は自分の苗字だけれど、花音さんからは出会った頃から『咲ちゃん』と呼ばれている。田邊さんなんて呼び方はいきなりの他人行儀だ。

 疑問から見上げた花音の顔には明らかな動揺が浮かんでいた。それで、今、口にした『田邊さん』が自分ではなく、別の誰かであることに気がつく。

 咲はギュッと布団を握る手に力を込めた。

 自分以外で花音さんと関わりのある『田邊』といえば、一人しか思いつかない。そして花音さんはその人物との関係を気付かれたくなかったのだ。

 咲の心の中に冷ややかな感情が込み上げてくる。

「──やっぱり、花音さんは父の差し金で私と関わっていたんですね」

 自嘲するように呟いた。そう口にすることで、ますます自分が惨めに感じられた。

『お前が華村ビルで築き上げた関係は本物だ』

 凛太郎さんはそう言ってくれたけど。

 ──だけど、花音さんは違ったのだ。

 花音さんは父の指示で動いていた。

 優しくしてくれたのも、世話を焼いてくれたのも、華村ビルに住まわせてくれたのも、全て父の命令だった。

 観覧車でのことだってきっと──

 じんわりと目頭が熱くなる。

「……出ていってください」

 目を伏せ、ボソリと告げる。

「咲ちゃん……」

 花音がまるで割れものでも触れるようにオズオズと手を伸ばしてくる。

「触らないで」

 しかし、咲は邪険にそれを振り払い、睨みつけた。

「これ以上、私に構わないでください」

 ビクリと花音が身じろぎし、ひどく傷ついた顔をする。

「ごめん……」

 拳を固く握り、俯く。

 そんな花音から咲は視線を逸らした。ひどい罪悪感が襲ってくる。

 ──ズルい。

 ギュッと唇を噛み、顔を膝に埋めた。

 本当に傷ついたのは私の方なのに。なのに、花音さんがそんな顔をするなんて……

 膝を強く抱え込み、身を縮める。

 重苦しい沈黙がしばらく続き、やがて花音が小さくため息を吐いた。

「──本当に、ごめんね」

 掠れた声で謝辞を述べ、花音が椅子から立ち上がる。

「あっ……」

 途端、咲の胸にズキンと鋭い痛みが走った。それは全身を駆け巡って、咲の鼓動を速めていく。

 ──待って。

 速まる鼓動に駆り立てられるように、無我夢中で咲は花音の手を掴んだ。

 驚いて花音が振り返る。

「……咲ちゃん?」
「あっ、えっと……」

 咲はバツの悪さに目を伏せた。

 ──なにをしているのだろう。

 自分から出ていけと言っておいて引き留めるなんて。

 激しく後悔する。

 それでも繋いだ大きくて温かい手に安堵する。それと同時に、花音に対する拭い切れない疑念が胸を締めつける。

 感情が複雑に混ざり合い、咲自身、自分の気持ちがわからなくなった。

 ──だけど、花音さんにあんな顔をさせたまま追い出すことはできない。

 それだけはハッキリとしていた。

 花音さんは父と繋がっているのかもしれない。父の命令で自分との関係を築いたのかもしれない。

 ──でも、花音さんはたくさんのことを教えてくれた。助けてくれた。

 それは紛れもない事実だ。

「咲ちゃん……」

 花音が戸惑った顔で咲を見下ろす。咲はその声に花音を見上げた。

 途端に明るい茶褐色の瞳と目が合う。その眼差しはひたすらに優しい。

 ──ああそうだ。

 咲は目を細める。

 ──私は、花音さんが、好きなんだ。

 今更ながらに自覚する。

 だから花音さんに裏切られたようで悲しくて、辛くて、怒っている。まさに負の感情のオンパレードだ。以前ならそんな感情を持つことすらなかった。ただあるがままを受け入れていた。

 ──これも成長と呼ぶのかな?

 自分の気持ちが可笑しくて、フフッと笑いがこぼれた。

「咲ちゃん?」

 怪訝そうに、そして心配げに花音が咲を見つめる。咲もそんな花音をしっかりと見つめ返した。

 花音さんの優しさが偽りでも、それでも私は救われた。それは紛れもない事実で。

 咲は小さく首を振った。

「……『咲ちゃんの思っていること、僕に教えてよ』」

 花音の柔らかな眉がピクリと動いた。

「初めて会ったとき、花音さんが言ってくれた言葉です」

 咲は真っ直ぐに花音を捉える。

「正直、初対面の人に自分の気持ちを伝えるのって、すごく抵抗がありました……でも、花音さんと話して、私、救われたんです」
「……救われた?」

 花音が怪訝そうに眉を顰める。そうです、と咲は頷いた。

「花音さんのお陰で自分の狭い世界に気がついたから。そして、新しい世界に飛び出せたから……だから、花音さんには感謝しています」
「感謝、か……」

 花音が呟く。伏せた瞳には自嘲の色が見えた。
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